1. まなびのはなし
  2. #033 - Noと言える力

英語圏で”setting boundaries(境界線を引く)”と言われているスキルについて、今回は(厳密には少し違うかもしれませんが)「Noと言える力」と置き換えて、ざっくばらんに話をしました。自分と他人の間の境界線の話から、自己成長の機会の話、短期・長期の視点のバランス、自分を過小・過大評価する、ということから他者との関わり方への示唆、など、幅広く語り合いました。

  • Noという力、setting boundariesをする力
  • ついついやりたくなってしまう自分自身にNoを言えない時
  • 他者にNoと言えない時
  • 居心地の悪い気持ち(discomfort)を察知する感度との関係性
  • 意思決定の軸・自分にとって大事なことを知っているかどうか
  • Adam Grantも言っていた”personal policy"というもの
  • Noと言えないのは日本人だけじゃない
  • ここからがダメ(超えてほしくない境界線はココ)は個人差がある
  • Noを言いたかったけれど言えなかったときの周囲への影響
  • 勇気がいること、関係性に対するギフト
  • 自分の当たり前=相手の当たり前と思わないようにしたい

エピソードで触れたもの、関連情報

関連エピソード

「#まなびのはなし」について

大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人は「英語教育」「コミュニケーション学」「言語コーチング」に専門性をもつemi (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)と「インストラクショナルデザイン」「リーダーシップ」「キャリア・ライフコーチング」に専門性をもつtomoko (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)。毎週1回配信しています。自己紹介エピソードはこちら:⁠⁠#001 - 自己紹介⁠。文字起こしは⁠LISTENサイト上⁠で見ることができます。

サマリー

今回は、「No」という力について話しています。この力は、自分と他のものとの境界線を定める能力とされ、リーダーシップやコーチングにおいても重要なスキルです。えみさんとともこさんは、それぞれ自分が「No」と言える力について話し、境界線の引き方や「No」を言うことの意義について考えました。安定的な表現力を持つためには、自分の意見や要望をはっきりと伝えることが重要です。しかし、「No」ということには様々な難しさがあり、日本人だけでなくアメリカ人でも困っていることがあります。特に重要な意思決定の際には、自分の大切なものを守るために「No」という力を持つことが求められます。今回は、その「No」と言える力について話しています。Web 2.0の登場以降、ブログやSNSが人々の情報交換や交流の場となってネットコミュニティが盛り上がっています。

ノーという力の意義
このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今日話したいことは、Noという力です。
はい。今回ね、日本語でそのNoという力っていう風にしたんですけど、英語ではSetting boundariesって言って、
自分と他のものとの間に境界線を定めるみたいな、よくですね、リーダー育成の文脈とかでも出てきたり、
コーチングをする時のセッションの中で、自分はバウンドリーを作る力が弱いな、みたいなところに到達される方もいたりとか、
自分自身も結構このスキルについて考えることもあったりするので、
えみさんどういうことを感じるかとかも含めて話してみたいなと思っています。
はい。
えみさんはこのNoという力とか、なんか意識されたこととかってありますか?
私自身はあんまりないです。
あ、あんまりない。結構言うの得意な点ですか?
得意っていうのもね、ちょっとおかしい感じにしますけど、
いやいやいや、好きですから。
私自身は普通に言っちゃってて、後になって苦手な人が多いっていうことを知ったっていう、
苦手と思ったことそういえばないなーって振り返った時期はありましたね。
すいません。
いや結構これ出てくるんですよね。少し話がずれるかもしれないんですよ。
共感疲労っていう単語があって、人の痛みに共感するがあまり、
なんか相談に乗ってたけどなんかすごいげっそり自分が疲れるみたいな、
いい人で、別の人の相談に乗りすぎることで自分がコンディションが悪くなるみたいな。
カウンセラーの方とかもね、そういうふうにおっしゃいますよね。
そういう時にやっぱりNoというっていうのは手段ではあるんですけど、
そのセルフマネジメントをすることがやっぱり重要で、みたいなところで出てくる話があったり、
他人のニーズと自分のニーズの境界線がなんかちょっとわからなくなるみたいな。
自分自身との葛藤
私としてはなんか苦手じゃないと思ってた人にあんまり出会わないというか。
なるほど。ともこさん自身はどうですか?苦手具合としては。
私結構苦手な方だと思うんですよね。さすがに意識してこういう時は言わねば、みたいなのは結構強く今は思ってますけど、
例えばこの仕事をお願いしたいとか組織の中にいた時とか、お願いしたいと言われたらもちろんなんかやってしまう傾向がありましたし、
絶対これ直さないと後で大変になりそうみたいなのが見えてしまった時に、
自ら誰も頼んでないのにやってしまって残業というか仕事が意外と終わらないみたいなのも、
ある意味自分が仕事に対するコミットメントとそれ以外のところの境界線がうまく引けないというか、
自分自身にノーと言えないっていうところがあるなと思ってそういう時期なので苦手な方だと思ってます。
そちらに共感する人が多いのはもう本当によくわかります。目に浮かびます。
ないのか。
私も多少組織にいたことはあるんですけど、
いえ、できません。いえ、やりません。帰ります。
笑顔で。
普通に言ってたので。
昔の方がもっと言ってました。で、多少控えるようになってきていて減ってきています。
それを意識的に?
意識的に。まだ多いですけど、ここはちょっと一旦ノーを抑えようって意識しているところはあります。
ノーを伝えるとどういう影響が周囲に起こるっていうのを観察されてるんですか?
ちょっと減らそうかなって思う理由。
単純に言うとチャレンジが減ってしまいますよね。
自分にとってディスコンフォートをどんどん排除していって自分の過ごしやすいように。
わがままなのはしょうがないんですけど、でもわがままが過ぎるようになってしまうなとか、
世界が狭くなっていくなっていう気がするので、
ちょっとそういう意味ではノーを我慢してみるっていうのの方が、
私にとっては成長のチャンスかなっていうふうに思っていますね。
面白いですね。例えば、私がさっき言ったような、ついつい自分がやってしまう。
やりたくてやってしまうけど、それにノーを自分で言うみたいなパターンもあると思うんですよね。
やりすぎると良くないっていうのが分かっているので、ノーを言うっていうのに比べると、
エミさんの場合は、いや、これは今いらないんです。さよなら。
ディスコンフォートの波に対してノーというみたいなのの印象があったんですけど、
あれですか、ついついやってしまうことにノーっていうのはあまり意識したことはない感じですか?
ついついやってしまうことに対するノーか。
ちょっと待ってくださいね。ついついやってしまうことなんてあるのかな?
私の基準としては、本当に自己中な考え方なので、
私が前向きかどうかっていうところに基準があるので、
私がエネルギー的に、あるいはスキル的に、時間的に、体力的に、
大丈夫であれば大丈夫だし、やってからヘトヘトに疲れたり、
自己評価とノーという力
エネルギーや時間が足りなくなるのであればノーだし、
なんか答えにならないな。
いいですよ。白黒パキッと割れる話ではないなと思っていて、
例えば自分が日本都業務委託とかやっていると、変な時間に活動が多くて、
自分はやっぱり楽しいからやっているプロジェクトがほとんどなんですよね。
ついつい12時20分に携帯を見ないほうがいいのに見てしまって、
これ返事したかったって思ってすぐしてしまうことによって、
睡眠時間が15分とか減ったりとかする。
睡眠時間が減っていることがすごく悪かったな、やめようみたいな、
そのぐらいマイナスのインパクトも別に次の日は起きていなくて、
けれども自分の中でこれは長期的に見て、
バウンドリーを自分の中で課さないとダメだなって思うわけですよね。
なので自分はそれはノーと言える力がそこでは弱い。
その誘惑ですよね。やりたいし、やったら楽しいっていうのが分かっているものに対して、
境界線が薄くなってしまって、ついつい越えちゃうんだけれども、
これもうちょっと境界線をしっかり引けるような人間になりたいな、
みたいなところの葛藤みたいな感じなんですよね。
仕事で言うと私はバウンドリーを設けていないので、
24時間オープンなんですよ。
もちろん時差のあるところにお住まいの受講生もいますし、
例えばセミナーが午前2時から始まるって言ったら出るので、
そこはもともとバウンドリーを設けていないので、
そういう生活というかそういう仕事を自分で選んだ以上は、
ノーという必要はそこには感じてないですね。
あともう一つじゃあちょっと私の事例をお伝えすると、
お母さん1時間、時間いただけますかって言われた時に、
多分私若い時とかはもう何かいつでもどうぞみたいな感じで、
きっと相手も早く相談したいだろうから、
目に空いてるところ教えてあげようって思う時があって、
今だと緊急性のあるものとか時間を確保しなきゃいけないもの、
ポートフォリオを考えた上で、
あの人のことだけを考えたら直近のスロットを教えたいんだけれども、
自分の中で守らなければいけない境界線とかトータルで考えた時に、
あえてあんまり本位ではないんだけれどもトークの日程を教えるっていうのは、
ある意味自分がノーと言える力を行使してるっていうカテゴリーになってますね。
すごくシンプルに急に入ってくる予定に対して、
相手と自分のどちらを優先させるかっていうことですよね。
それは私に関しては、相手との関係性やその緊急の内容によりますね。
私の中では家族と今進行中の受講生っていうのが最優先なので、
その予定に関しては急に入ったものにはなるべく早く対応するように決めています。
それ以外の人たちに関してはちょっと内容によって、
ノーを言っているっていう形になるかなと思いますね。
今その絵を聞いてて、えみさんはそうやって意思決定の軸というか、
自分にとって大事なものは何かが結構明確なので、
境界線がくっきりしているんだなって聞いてて思ったんですよね。
こういうことは自分にとって最優先みたいな、
たぶん私よりもノーという力とかバウンドリーを設定する力が、
ベースラインが私より高い感じがしますね。
そんなね、それを力と思ったことがなかったっていうのね、最初に言った通りなんですけど、
そういうふうに表現していただくと、そうとも言えるかなとも思いますけど、
私の解釈としては、私自身が生き物として弱々なんですよ。
なので、体力的にも気力的にも頑張れないので、
私にできる範囲でできることをって考えると、どうしてもたくさんは受け入れられないので、
じゃあその受け入れられるものをどうしていこうかっていうところで、
優先順位が決まっていくっていうことだと思いますね。
なので、このノーをむしろ私は言い過ぎているっていうのは、
弱々であること、わがままであること、良いことにタスクを減らしすぎてしまうっていうところがあるので、
もう少し負荷かけた方が自分のためじゃないのっていう意味で、
ノーを少しずつ減らすようになってきているっていうことですね。
なるほど、面白いですね。もともとね、結構我々反対な人間ですけど、
多分、えみさんはご自身が認識されているあり方よりも、実はキャパがある人間であり、
一方、私は多分自分が理解しているよりはキャパがない人間なんですけど、
ついつい課題評価をして、引き受けられると勝手に思ってしまって引き受けてしまうとか、
時間を使ってしまうみたいなのが、その自己認識の正確さと現実との乖離の度合いが、
ノーと言える力の有無とかにもつながるかなと思って。
いやいやいや、課題評価って大事なんですよ。
自己効力感のエピソードとか、先延ばしのエピソードとかでも何かつながってきますけどね。
自信とかもそうですよね。
あの、過小評価っていう言葉を私は初めて聞いたとき覚えてるんですけど、
週2の個人面談で担任の先生に言われました。
過小評価っていう言葉知ってる?って。
この先生なんか観察していたんでしょうね。
未だに治ってないんですけど。
けど、だからこそノーという力がしっかりとあるんだろうな、やっぱり。
そう、あんまり本人としては良いことだとは思ってないです。
NOと言える力の重要性
でもね、ともこさんがシェアしてくださったアダム・グラントのポッドキャストの中でも、
例えばパーソナルポリシーっていう表現をしていましたけど、
自分の身を守るためのポリシーですよね。
ここからはもう無理です。これはできませんっていうね。
ああ、これは私はずっと持ってるなっていう感じはあります。
全然私、10代も20代もなくて、部活の副部長だったら何かやります!みたいな感じになって。
委員会とかやっててもなんか。
アダム・グラントのポッドキャストとかってどちらかというと、
ガリガリ達成感を追求するような人たちがよく聞いているポッドキャストかなと思っているので、
私のように、ああなるほど、確かにその力は大事だよなっていう方の方が多そうな気がするんですけど、
あれは確かセラピストの方との対談で、
結構そのセラピーの文脈とか、コーチングでもセラピーとボーダーラインのトピックが出てくる時もありますけど、
特に家族との境界線、それを学ばないで大人になった場合、
ノートを言うとかバウンドリーをセットするっていう概念をまず学ぶことが重要だけど、
それを家族に実践するって一番ハードルが高いテーマだなとか思っていて、
あとギリの家族と自分がどうするかみたいなのも、
ライフコーチングのところで出てきたりとかして、そこをやっぱりぼやけやすいんですよね。
家族もそうだし、親しい友人、恋人、夫婦、そういうのだと、
バウンドリーがないことが関係の良さっていうふうに理解している方も結構いらっしゃるかなという気がするので、
今回ノートを言いにくい人の立場に立って、
どこに難しさがあるのかなってちょっと考えてみた時に、
やっぱり今トムコさんがおっしゃった通り、そういう環境で育ってきていると、
バウンドリーをセットすることに対して罪悪感を覚えるみたいなことも書いてありましたし、
それからノート言った時に相手が傷つくんじゃないか、自分が嫌われるんじゃないか、
そういう怖さもあるっていうことでしたね。
そうですよね。結構深いところにありそうだなという気がします。
日本人とアメリカ人の共通の難しさ
なんとなくノート言えない日本人みたいなね、昔そんな本があったらしいんですけど、
なんか日本の人は言いにくいんだろうなって思っている日本の人が多い気がするんですね。
でも実はアメリカ人でも同じようにノーが言えなくて困っているというのかね、
なんかそのもやもやしているっていうのはよくある話で、
文化の違いっていうのはないわけではないと思いますけれどね。
でもやっぱり言えずにもやもやしている人っていうのは言語や文化にそんなに影響がないのかもしれないですね。
玉握りの両親が多く買ったからこれあげるよって野菜とかなんですけど、
ちょっと言わないときもあって、けどノート言えないからね、
ノート言えるうちから頭をよぎりまして、もちろん結局その時は言わなくて全然いいテーマなんですけど、
日本人だからどうとかっていうんじゃなくて、私の彼もノート言うのすごい下手ですし、
文化はね超えますけど、確かにノート言えない日本人っていうのがありましたよね。
あれはなんかアメリカに対してノート言いましょうっていう啓蒙の本だったみたいですけどね、
ソニーの森田さんと東京都知事に後になられた石原慎太郎さんの本でしたけどね。
よく覚えてますね。
でもなんかノート言えないみたいなフレーズって、
それ以降ね、わりとよく日本の特徴だよっていう風に強く打ち出されているケースがあって、
その度に私は別にアメリカもだよって思うので、
実際私アメリカにいて、プロフェッサーの元にね、弟子入りみたいな形で関係を作っていて、
同じように弟子が多い時10人ぐらいいたんですけど、
どう考えても弟子っ子の中で私が一番ノーを言ってるなって思っていたので、
ちょっとね反省ですけどね、私は個人的には。
日本にいてもアメリカにいても、みんなはノーはあんまり言わないんだなっていう風に感じる経験がありましたね。
意思決定におけるNOの重要性
重要ですよね、なんか今最近DEIみたいな感じで、
その多様性が重要とか組織の中でとか学校の中で言われることありますけど、
ノーと言ってくれないとそれこそ境界線がわからないというか、
どこからどこまでこの人にとってはコンフタブルなのかがわからないじゃないですか、他の人からは。
なのでやっぱり一人一人ここからはダメっていうのが人によって違うと思うので、
それがちゃんとコミュニケーションできるっていうのはある意味、
コミュニケーションスキルとして重要だろうなという気も今聞いてて思いましたね。
なるほど、そんな感じで私はあんまりノーということに困ってないんですけど、
ともこさん例えばもっと自分はここでノーを言っていかなきゃいけないなとかってご自身で思っていることあるんですか?
基本的には自分はpeople pleaserっていうんですかね、喜ばせることが結構好きなことが強みでも弱みでもあるので、
おかりするとそのpleaserモードになりすぎて自分がだんだん薄く広がってしまうっていうのがあるので、
そこはかなり自覚はしているので気をつけようと思っているんですけど、
今ね、転職活動中なので、転職活動って難しいじゃないですか、タイミングとか。
1社がすごい例えば進んでいて、けどもしかしたらもうちょっと行きたいところが2社目3社目とかでもっとスピード感が遅いところっていうのを新卒時代に経験してるんですよね。
で、なんか早くオファーもらったところに早く返事しなきゃみたいな感じで、なんか急かされるようにして決めると。
気をつけないと怒るだろうなというふうに思っているので、結構重要な意思決定なので、
この時はやっぱり自分のペースの手綱を握るみたいなことをこれからしたいなとは思っているっていうのがありますかね。
確かにな。合わせなきゃいけない部分っていうのがね、ありますからね。
そうなんですよね。それもあるけどもやっぱり自分にとっては今これが大事でその機会がもらえないならばNOですみたいな、
そのちょっと交渉みたいな素晴らしいんだけどもこれがないならば英語だとねノンネゴシュボーって言いますけど、
ここは譲れませんみたいなのはちゃんと言わないと向こうにも迷惑かかるだろうし、私にもあまりハッピーな展開にならないだろうなというのがなんとなく想像つくので、
そこはNOという力、自分の大切なものはこれですという力みたいなコミュニケーションが求められそうだなとそわそわしているって感じですね。
なるほど。
NOがあるといいんですけど。
いやいやいや、でもね、NOを言う側の私としては自分がNOって決まっているのなら早く伝えてあげるのが良いんだろうと思いすぎているところがあるんですよね。
なのでなんか期待を持たせてしまったり誤解を与えたりするのであれば早めにこれは私のNOです。
これから語源をつないでいくからこそ早めに知っておいてくださいっていうのを出してしまうっていう傾向が私は強かったし、今も強いなと思いますね。
私もなんか例えばノンネゴシブルなものをいつのタイミングで言うか結構今悩ましいところですね。
最初に言った方がもう明らかにないならば時間の無駄なのでと思いつつ、転職とかってやっぱりすごく不思議で変わる時とかあるじゃないですか、
相手がだったらこれ追加であげますみたいな話とか調整しますよみたいなことがなきにしもあらずなので、
そういう意味では探索みたいなフェーズのどこでNOを言うかっていうのは結構見極めが難しいなと思って、
聞いてみてなんかないなみたいな思ってもなんかこう話している間に何かが起きる可能性がありそうな余地があるところとかだと、
まだNOは言わない方がいいかなみたいな感じで関係性を続けるみたいなダンス、ワルツみたいな感じでいろんな人と踊っているのかなっていう気はしてますね。
そうですね。そこら辺のちょっと癖の強い表現で言うと駆け引きだったりね。
いろんな人ととりあえず当たってみて、その当たる時間を少し引き伸ばすみたいなね。
そういうのも私の側から見るとかなりスキルですよ。
私にはもうほぼできないことですね。もう切れる縁は早く切っていくっていう感じなんで、
もちろんその場合にはもう嫌われますし嫌がられますけど、
そりゃしょうがないねって思っているので。
想像つく。
あれ、ピープルプリーザーちょっと難しいんですよね。
そうなんですよね。私はもうちょっとサービス精神を持った方がいいってことですね。
いやいや、誰もそんなこと言ってないですね。
でもね、プリーザーの話は実は私が英語を学習している方とお話をしている中でも出てくることがあって、
2つ側面があるんですけど、1つには例えば会社の要請でやりたくないけれど英語をやらなきゃいけないっていうような場合にね、
脳が言えずになんとなく英語をやっているっていうそういう学習に向かう姿勢としての脳を言うか言わないかみたいなところでも1つあります。
もう1つは、うちのプログラム最初に自分が普段どんな風に英語を使って会話しているかを
録音してきて私と一緒に観察してみるっていう機会があるんですけど、
その中でご自身がこんなに相手に対していい顔しようとしていると思わなかったとか、
相手の言うことを全部受け止めて、だから苦しくなってたんだっていうような気づきにつながることがあって、
これをいい面だから続けたいっておっしゃる方もいらっしゃいますけど、
やめたい、変えたいっていう風にね、強く思われる学習者の方もいらっしゃいます。
あらわれますよね、コミュニケーションにもろに。
英語で言うと、私よくコーチに注意されてたんですけど、
言い切る、下に下げる音としてね、私の場合はちょっと跳ねやすかったんですよ。
なんかなんとか?みたいな。
要はそれってすごく説得力を下げるので、やめた方がいいって言われるんですよね。
自信がなかったりとか、全然意識してなかったんです、自分として。
気になり始めたら全て気になり始めちゃって。
ここはやっぱり無意識のうちに内面の心の状態が出るんだなっていうのは思いますよね。
恐ろしい。
そうですね、あんまり分析的になりすぎるとしゃべりにくくなったりね、
自分の中で心理的なハードルが上がりすぎたりしてしまうので、
NOを言える力について
そこのバランスも難しいところではありますけど、
学ぶプロセスとしては、私ってこんな話し方をしているんだな、
ここに原因があるんだなっていうのを知るっていうのは役に立つことはありますね。
そうですね、やっぱりここが自分のラインです、主張のラインですっていうのを言ったときに
相手がどう思うかがやっぱり少し怖いっていう気持ちの表れはあると思うので、
やっぱりちょっと勇気がいることだと思うんですよね。
2人で会話してたとしたら、2人の関係性の中にそれを見えるように出すってことなので、
もちろん自然にエミさんのようにやってらっしゃる方もいますけど、
やるってことはギフトだと思うんですよね。
その2人の関係性の中でどういうことが起きるかというのは置いておいて、
2人の間のダイナミックスに変化をもたらす石になるわけじゃないですか。
だから、ギフトを投げるみたいなのは使えるようにしといた方がいいかなという気はしてるんですよね。
数少ないかもしれないですけど、私のようにノーを自然に言ってしまう人っていうのも万能ではもちろんなくて、
自分が苦労せずノーを言っているから、相手のその今友子さんがおっしゃった勇気みたいなのに気づきにくいっていう弱点があります。
なので、例えば相手にとってノーだったら当然ノーと言うだろうと思っているので、
ノーと言われない限り、例えばおせっかいを焼きすぎたりとか、
相手のあまり引いていないバウンダリーを超えてしまうとか、そういう危険性はありますね。
そういうふうな言い方をされると、マネージャーとかリーダーとかに意外といるかもしれないっていう気もさせられる。
そうなんですよね。
日本のおじさんで教えたがりで頼みもしないのに解説してくる人に対して、
マンスプレーニー
マンスプだったかな?
マンスプレーニーが来てるんですかね、きっと。
マンって男でエクスプレインの造語で。
そう、日本語になっているっていうのを知ったんですよね。
マンスプの人が周りに、職場にたくさんいたら、
働いている人はノーという力をたくさんちゃんと駆使しないとベンタルやられちゃいそうな気がしますね。
私はお会いしたことないです。
でも、自分がそうなっている可能性あるなと思って、手をつけます。
それは私もありますよ。
コーチング、ティーチングの中で、私はティーチング寄りって話を前に言いましたけど、
相手がアドバイスを求めているかっていうところをちゃんと見極めないと、
やっぱり押し付けになるし、役に立たないし、バウンドリーを勝手に超えている厄介なおばさんみたいな。
マンスプじゃないですけど、アドバイスをするとき、ティーチングをするときも、
相手がバウンドリーをちゃんと言ってくれるとか、
そういうコミュニケーションスタイルの人かどうかによって気をつけなきゃいけないっていうのは一緒かなという気がしますね。
そうなんですよね。だから、相手がNOを言いたいけれども、言えないんでいるんじゃないかっていう想像力は、
私の方ではつけていかなきゃいけないなと思うところです。
大人の学びを支援する人みんな必要そうですね。相手に合わせて。
一方で、相手はNOを言ってくるものだろうとか、NOって言ってよって待っている側からすると、
NOを言える人はおそらく相手のNOに対して大きく傷ついたりしないんだと思うんですよね。
確かに。
NOを言ったらいけないかなって控えている人は、
NOを言うことってもうとんでもない爆弾を投下するような大変なことだと思っているかもしれないですけれど、
相手によっては、NOって言ってくれて、はい助かった、はい終わりっていう風にね、
あれ、大した攻撃力なかったみたいな思うこともあるかもしれないので、
すごく苦手だっていう方には少しずつNOを言う習慣みたいなのはね、
持っていただくとより円滑にコミュニケーションができるようになるのかなという気もします。
そうですね、結局は見えないところの多様性の一つですよね。
指標向けてお互い接することが円滑な。
そうですね。NOを言えない人も、NOを言いすぎる人も、
自分と相手は違うんだっていう前提は持っておくことが大切でしょうね。
確かに、そんな感じで綺麗にまとまったところで。
本当だね。
今回はNOという力について話しました。
紹介した情報や関連するエピソードへのリンクは、エピソードの情報欄にまとめています。
ワナビの話は毎週1回配信予定です。
番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
それではまた次回。
25:16

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