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こんにちは、Manaです。
マインドフルな独り言、マインドフルらじおを始めていきたいと思います。
今日のお話は本当、たぶんまとまらないんですけど、
私、全人類コーチングに触れてほしいという勝手な思いがあるんですけど、
まず私は、今コーチングを学んでいて、実際私もコーチにセッションしてもらうこともあるし、私がコーチとしてセッションさせていただくこともあるんですけど、
コーチングと触れてから、コーチングが私の生活に入ってきてから、すごい楽しいというか、楽しいというのはイエーイみたいな、
そういうテンション高い系というよりかは、穏やかで心地よくて、安心感があるみたいな楽しいなんですけど、楽っていう方が近いかな、そんな日々を送れています。
私はそうなんですけど、人と話してると結構大変そうだなって思うことがちょこちょこあって、
思い通りにいかないとか、全然わかってくれない、何々してほしいのにしてくれないみたいなセリフを聞くことが多くて、
そういうのって、やっぱりしんどくないのかなって私は思っちゃう。
それを減らしていける、ゼロにはできなくても減らしていけるのがコーチングだと私は思っていて、
例えばですけど、何々してくれないとか、思い通りにいかなかったみたいな悩みって、
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自分の過去とか他人っていう、自分では操れないものをどうにかしようとして、どうにかしたいと思って悩んでるけど、
そこらへんって操れないから、悩んでもどうしようもないし、そこで悩んでる限りは何度も同じことで苦しむと思うんですよ。
でもそれって多分、目の前の事象、例えば彼が何々してくれなかったっていう目の前の事象にフォーカスしてるから、
その悩みが出てくるけど、きっともっともっと先には、彼とこういたいとか、こういう関係性があるから、そっちに目を向けたら、
そこになるための手段って無限にあって、別に彼をどうにかしようとすることだけが手段じゃない。
自分の状態からそこになるための手段を考えるっていう矢印の方向を変えたら、いっぱい手段はあるし、柔軟性を持って進んでいける。
それがコーチングの考え方の素敵なところだなって私は思っているので、めっちゃいいよとしか言えないんですけど。
ここでもし私が、だからコーチングやってくれとかって言ったら、他人は操れないって言ったのに特大ブーメランが私に返ってくるので、ひたすら私はいいよって、こういうところがいいよとかって発信し続けるわけですが、
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ここで一個私が思っていることにテーマが変わります。何かっていうと、具体的な話をすると、私の親ですね。
親が、主にお母さんがお父さんに怒っていることがあるんですけど、それは何っていうよりかは日常些細なことでいる。ちょこちょこと。
でも怒っているって言っても、ガチ怒りっていうよりかはプリプリしてるんですよね。
トイレ行ったら電気消してよとか、卒留系なんですけど、もっと気持ちを汲んでほしいみたいな感じの願望なんですけど。
さっきの話で言うと、私はそういうのもコーチングの考え方を入れたら、怒るっていう体力とか使わなくてよくなるって思うんですけど、
ただ、うちのお母さん、そういうふうに怒る相手はお父さんだけなんですよ。私は他に含めて、他の周りの人とか他人にそういうことを言わないし、
私とかには思っていることはあるけど、言ってこないんですよ。放任主義みたいな感じ。
だけどお父さんだけには言うのって、愛というか、好きなんだなって思って、私とかお兄ちゃんとかも好きだと思うけど、愛があると思うけど、
その愛と、うちのお母さんからお父さんへの愛って全く別物だと思うんですよ。その愛があるからこそ、願望があるし、怒るし、イライラするし、その熱量があるなって思うと、
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なんかそれもすごい尊い。尊いなって思って。しかもうちのお母さんとかにずっと怒ってるわけじゃなくて、
ちょっとぷりぷりして、気が済んだらというか、ちょっとしたらケロッとしてるから、それも別になくそうとしなくてもいい的なものなのかなって思うと、
なんか難しいって思ってるよっていう話です。
なんか本当、若いですよね。そんだけ好きな人のために怒れるっていう体力があるって、うちのお母さんほんと若くて乙女だなって思ってます。
今日はこんな感じで終わろうと思います。
ここまで聞いてくださってありがとうございました。また次の配信でご一緒できたら嬉しいです。ではでは。