AIが何でもできるようになってきた今、じゃあ人間に残るものって何だろう?
結局、最後に武器になるのは「エゴ」なんじゃないか。そんな話をしています。
スキルの差がなくなっていく時代の生き方や、僕自身が手放したくないエゴについてのゆるい考察です。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/636afda6b4418c968d1edad8
結局、最後に武器になるのは「エゴ」なんじゃないか。そんな話をしています。
スキルの差がなくなっていく時代の生き方や、僕自身が手放したくないエゴについてのゆるい考察です。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/636afda6b4418c968d1edad8
サマリー
このエピソードでは、AIによってスキルの格差がなくなりつつある現代において、エゴの重要性について考察しています。特に、自己のエゴを追求することが、他者との違いを生むために不可欠であるという点に焦点を当てています。
エゴの重要性
マモです。いかがお過ごしでしょうか。 今回は、AIに任せられるけれども、任せたくないものにエゴが眠るというテーマで話をしていきます。
端的に言うと、エゴ、利口に関してのお話になります。
最近一瞬回ってですね、やっぱりエゴが大事なんじゃないかなというふうに思い始めたんですよね。
本業とか副業をする上でも、エゴでしかもはや差別化というか他者との違いは生まれないんじゃないかなというふうに思っております。
というのも、まずAIの代表ですよね。 AIが何をもたらしているかというと、個人的な考察になるんですけども
スキルの格差をなくすという一言に尽きると思うんですよね。 これまでは一部の人、専門知識や経験がなければできなかったことが、AIによって別にそんな知識も経験がなくてもできるようになってきていると思うんですよね。
例えばプログラミングとか、あとはデザイン。 なんならアニメ制作っていうのも、一部の人しかこれできなかったよねっていうものが
別にそれ以外の人もできるようになってきているっていうのが、今のこのAIの時代だというふうに個人的には考えております。
となると、もうスキルでの差別化っていうのはもはや厳しくなってきていると思うんですよね。
この新しいテクノロジーが何をもたらしているかというと、格差の是正だというふうに思います。
というのも、これは別に自分の考えではなくて、田内真田さんっていう方が書かれた、「君のお金は誰のため?」っていう本。
これもすごく面白いお金の本なんですけれども、経済の本ですね。
格差の是正
書かれていたのが、結局そういう今の起業して社会に貢献して富豪になっている。
大体ガーファムですね。ガーファムの創業者はもちろんお金を持っていると、その方々が何をしてきたかというと、やっぱり格差の是正なんですよね。
例えば、Googleで情報格差をなくした。
Amazonでいうと、購買の格差ですね。要は消費活動の格差。
例えば、昔であれば山奥に住んでいて、年寄りで車がないという人だと、やっぱ消費活動って限られていたと思うんですよ。
ただ今は、Amazonで変な話、スマートフォンでポチッとすれば、届けてくれる時代で、そういう購買、消費の格差っていうのがなくなってきていると。
あとは、FacebookとかもSNSですよね、主に。その広告が収入になっている。
あれは情報格差もそうだし、発信の格差っていうのがなくなっていると。いつでもどこでも誰でも発信ができる時代になってきていると。
まさにこの音声配信とかっていうのも発信の格差をなくしているって言い換えられると思います。
で、Appleが何をしたかというと、これは利便性の格差をなくしたというふうに個人的には思ってますね。
例えば、スマートフォンの登場によって、ありとあらゆるものが利便性が高まっている。
で、スマートフォンって別に正直あまりお金がない人でも、めっちゃ富裕層でも使っているものってそんな変わりはないし、やってるアプリもそんな変わってないんですよね。
利便性という点では大きな差がなくなっていると。そういった感じで、これまでの今お金を持っているとか稼いでいる企業っていうのは格差をなくしたっていうふうに思うんですね。
今のAIっていうと、そういったスキルの格差をなくしたっていうことで、何かのスキルを身につけても結局AIができるようになってしまうと。
発信することの意味
だから、ただスキルがある人っていうのはなかなか厳しい時代だよねっていう。これも自分にもすごく耳の痛い話なんですけれども。
考えるとですね、何をしたらいいかというと、やっぱりエゴ。エゴの追求だと思います。自分が何をしたいのか。
何をしてる時嬉しいのか楽しいのか、あるいはムカつくのか嫌いなのかっていう、己がこうしたいとエゴを突き詰める時代が来てるかなっていうふうに思いますね。
勝手な考察なんです。むしろそれしかないと。で、例えばじゃあ今から何か事業を始めますと。
で、市場分析やらマーケティングを駆使して、何かこういった事業がうまくいくんじゃないかっていうニーズの仮説を立てると。
事業、うまくいく事業の仮説を立てる。でもこれロジックで考えても結局AIが多分同じような答えを出しちゃうと。
となると、AIにできちゃうし、あんまり意味がないよねと。多分AIができる、考えるようなことは多分自分以外の人間も考えてるし、
何なら自分以外の人間がAIを叩いたらできてしまうと。そう考えると結局うまくいかないよねと。
じゃあそうするとどうするかというと結局自分がこうしたいっていうエゴしかないかなって思うんですよね。
今生まれたそのガーハムとか、最近はテスラとか、そういったものって多分出発点ってエゴだと思うんですよ。
例えばテスラであれば結局化石燃料に頼る世界なんかムカつくよねっていう。そんな世界なくしたよねって電気自動車。
でしGoogleであればなんか一部の人がいろんな情報を持っている世界ってなんかムカつくよね。
だったらみんなの情報、みんながその等しい情報を見れる世界作ろうぜっていうのがGoogleのスタート地点だと思うし、
そういうのがあったらいいよねっていう。こんな世界だったらいいよねっていう。もはやエゴからスタートしてるわけですよね。
今はこういった事業として成功してるんで社会の役に立っているけど、当初は多分エゴがスタート地点なんですよ。
で考えると結局エゴを追求してこんなことをしたい、こんな世界を作りたいというエゴがスタート地点じゃないともはやきついんじゃないかと。
というか何事もなし得ないなというふうに思ったので改めて収録をさせていただいたんですね。
でそうすると結局いろんなものがAIできるようになってきて、とはいえエゴってなんだろうな。
自分のエゴは何だろうって思うんですよ。自分も今そのエゴを発掘する作業をしてるんですけど、
社会の荒波に飲まれてエゴをどんどん摩耗しているんですけど、
でもそれじゃちょっとダメだなと思ったら今エゴを思い出す作業をしてるんですけど、そのヒントとなるのが
AIにできるけど、でも自分がしたいっていうものだと思うんですよ。
私でいうとこの発信活動で、例えばAIに依頼すれば多分発信内容ですね、タイトルから台本まで作ってくれると思うんですよ。
こんな感じの発信したいんですけど、タイトルと台本作ってって言ったら多分作ってくれるんですよね。
でもそれしたくないんですよ。前にしたことあるんですけど、やっぱなんか熱量を持って話せないというか、自分じゃないなって思っちゃうんで、全然やりたくないんですよね。
だからぶっちゃけその今これ聞いてる人がどれだけいるかわかんないけれども、ニーズがあるかわかんない。
でも自分はこれを発信したいんだっていうものを発信したい。
例えば発信というか、タイトルと台本を作るのはAIができる。でもそれは自分譲りたくないんで、それが自分の一つのエゴだなと。
自分の感じていることとか、思っていることとか、考えていることをただ発信したいという欲望からこれスタートしてるわけですね。
それで一人でもなんかこの放送とか記事を聞いて、見て、なんか良かったなとか、ちょっと考え変わったな、良い方向に人生行きそうならって思ってくれる人が一人でもいればすごく嬉しいという感じ。
だから誰も聞いてなくても見てなくてもいい。ただ自分が発信したいから発信したい。自分の思っていることを。
っていうようなエゴがなんかこれから大事だなって思いましたという話ですね。
だから正直エゴ、エゴですね。エゴを大事にしたいと。
エゴ、エゴの反対リタです。リコの反対リタですよ。人のためっていう。それは嬉しい、美しいんですけど、でもコンパクトにリコからスタートすると思うんですよね。
アダム・スミスじゃないですけど、みんなリコ的に活動すれば最終的に社会うまくいくよみたいな。神の見えずある手によってうまくいくよっていう考えあると思うんですけど、まあそれが等しいかなというふうに思います。
それに近しいかなと思います。だからもっとエゴを追求した方がいいかなというふうに思います。もちろん自分はサラリーマンなのでなんか何でもかんでもエゴで貫き通すのは結構厳しいと思うんですけど、
せめて会社で働いているとき以外はエゴを追求してまずやっていきたいなというふうに思います。
そうするとエゴで満たせる欲求ってどこかで止まると思うんですよね。
自分がエゴで満たしたいのはお金で自分自身を満たしたいものっていうのはあるんですけど、
たぶんそんなお金あってもあんま変わらないというか、ぶっちゃけ言うと1千万ですね。
年収1千万。なかなか日本人で4%なんでこれはハードル高いけれども、それあったら満たせるんですよね自分のお金で満たせる欲求っていうのは。
それ以上は何を頑張るかというと結局エゴだと足止め食らうんで、そうするとそこで初めて人のためっていうのが出てくるかなって思いますね。
もしかしたらエゴを満たしている間に何かいつの間にかに多少も満たしていて、
人を満足させるの気持ちいいなみたいな。そうすると徐々に利太になっていくという感じなので、
利子と利太っていうのは対比、比較ではなくてむしろ延長線上にある時系列の違いかなというふうに個人的には思ってますという。
最後は余談をちょっとお話ししてこの本の収録を終わりにさせていただこうと思います。
最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは良い一日をお過ごしください。
09:46
コメント
スクロール