自立と依存の関係
はい、マモです。いかがお過ごしでしょうか。 今回は、自立と依存の関係についてちょっとお話をしていきたいなと思っております。
社会学の分野でよく言われるのが、自立とは依存先を増やすことというふうに言われると思います。
あなたは自立と聞くとどんなイメージを持ちますでしょうか。 誰にも頼らずに一人で何でもできることを自立と指すというふうに考えている方もいらっしゃるかと思います。
でも実際のところそんな人っていませんよね。 我々誰しも一人では生きていけません。当たり前ですよね。
電気、ガス、水道といったインフラがなければ、現代の生活は成り立たないし、その背景にも人がいると。
あとは着ている服、住んでいる家、食べ物といった異色種の環境も全て他の誰かに頼っているからこそ成り立っているわけで、
結局人間というのは他者との関わりでしか生きられないと、すごく当たり前なことを言っています。
そもそも依存って本来どういう意味なのかということになるんですけれども、 他のものに頼ること、支えられること、関係性の中に存在すること
っていうのが依存の定義らしいんですけど、そう考えると 人間というのは何かしらに必ず
依存するしかない存在なんですよ。 じゃあその大義語のイメージがある自立ってどういう意味なのかというと
私が考えるにそれは自分の判断、行動で依存先を選べることだと思います。
依存先というのは家族、友人、地域コミュニティという人だけではなくて、お金も教育も医療もそうですし
あるいはスマホとかホストキャバクラみたいな、そういった経済性が生じるものも対象になるかなというふうに考えます。
自立を阻害する、要は変に依存してしまうという状態はどういうことかというと、 依存先が絞られちゃうことだと思います。
これしかないという状況ですよね。選択肢がないから、これに依存せざるを得ないという状況に陥ると、これはちょっと悪い意味での依存になって自立を妨げることになるかなというふうに思いますね。
選択肢がないと相手に支配されちゃうリスクが高いんですよね。相手が理不尽な要求をしても断れない。
その関係が破綻すると立ち行かなくなってしまう場合は従うしかないので、依存せざるを得ないという感じですよね。
自分で勝手に選択肢を絞っちゃうという状態が自立の反対で、依存先が固定されてしまうということかなというふうに考えます。
何をさっきから話しているのかよくわかんないんですけれども、なんとなく自立と依存についてちょっとお話をしたかったので収録をしました。
真の自立の理解
じゃあつまり真の自立ってどういうことかというと依存しないことではなくて依存の仕方を自分で決められることなのかなというふうに思いますね。
自立とは依存先を増やすことという言葉の意味がちょっとわかるかというふうに思います。
なので依存先をいかにして増やすことで選択の自由を手に入れて自分らしく生きられるように、それこそが本当の自立なのかなというふうに思います。
今日は何のちょっと哲学者気分で自立と依存についてお話をしてみました。
参考になれば嬉しいです。最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは良い一日を過ごしください。