その、私も同じようなことをうすら思ったんですよ。
あ、ほんと?
うまいことその2つのワードは出てこなかったんですけど、
前を歩いてる人とかが、自分が追い越そうとして、
同じ方向にずれてきちゃったら、ちょっとワーってなるじゃないですか。
その時、自分の予測通りじゃないっていうことへのフラストレーションがかかるじゃないですか。
かかるね。
っていう、これもばっくり言えば期待っちゃ、期待。
この人はこう動くだろうなっていう期待を。
期待を抱いちゃって、それを予測に基づく期待みたいな。
この人はこう動いてあってほしいみたいな、
願いとはまたちょっと、こう動くものであってほしいみたいな願いとはまた別のような気がする。
願望の入る期待とね。
この人は直進で進んでほしいみたいな願いではない気もするんですよ。
確かに。
どうなんだろうね、期待ってなんか、今あることが実現するような望みをかけて待ち受けること、
あてにして心待ちにすること。
あ、あてにする、確かに。
なんかある種、未来のあてがあるんだよな、期待ってやっぱり。
期待ってこれ英語だと、例えば2つぐらい単語出てきたりしないのかな。
なるほど。
たしかに、ジェラシーとエンビみたいな、なんかすごい。
そう、ほら、ちょっと俺発音わかんないかあれだけど、
期待だけでもエクスペクテーションとさ、ホープとさ、プロミスがあるじゃん。
あー、はいはい。
だから多分ホープはなんかかけてるんだよ、多分楽しみとか、希望、期待、
思い、楽しみ、見込みあてみたいなのはなんとなく大きくかけてて、
はい。
将来的に大きくなれよみたいな、期待、ホープはかけてるけど、
なんか、これなんていうの、エクスペクテーション?
うん。
に対する期待予想予定みたいなものは、大きくは始めをとらえないみたいな。
はい。
ことはしているかもね、要は。
てかもっとと、今もっと見るって押した。
はい。
アンティシペーションとか、
ほうほうほう。
エクスペクタンシー、プロスペクト、
ほんとだ。
ウェイティング、ウェイティングも入んだ、ウェイト。
はいはい。
リライアンスとか、すごいね、めっちゃあるな。
それで言うと、ちょっと真理は定かではないんですよ。
エクスペクテーションがさっきで言う予測みたいなやつで、
そうだね、エクスペクテーション。
ホープが願いみたいな。
なんかその2つがおっきい気するな。
うん。
それを丸ごとやってるから、その期待しないよってなんか結構冷たく感じるじゃないですか。
そうだね。
でも一方で期待値を勝手に設定してないよみたいな優しみでもありそうだなと思ってて。
人間関係のさ、大体のがっかりって期待とのズッキャップだもんね。
ある種これぐらいしてくれると思ってたとか、
ある種察し手を望む人がおっきいがちなやつじゃん。
だからそれはどっちかって言うと、
どっちなんだろうな。
それはある種ホープでもあり、エクスペクテーションも混ざってはいるけど。
ホープじゃないと言い切れませんね。
でもこっちかもな、心待ちとかのほうのアンティシペーションっていうほうなのかもな。
期待っていうことがちょっとばっくりしすぎた可能性はあると思うんですけど、
予測的な期待をどう排除して、願い的な期待の比重を高めるものなんですかね。
願いは単純に心待ちにするとか楽しみにするぐらいで、
思っときゃいいだけぐらい。
子育てとかもそうですけど、どうなるんだろうなって、
その先を自分の枠以外のことになることを楽しみにしておけば、
予想通りになるってことは基本ないから、
予想外を求めているスタンスでいれば、
多分基本的にそれによっておかしなことがあんまりならないっていうか、
あんまりそういう意味ではコントロールしようとしないことかもしれない。
逆に予想外になってほしいという予測的期待を持っちゃってたりしないじゃないですか。
意外と予想通りに収まったなみたいな。
それはあるかもしれないね、もしかしたら。
普通に予定通りだなって。
すごいな、言葉の難しさを感じてはいるが、
それは半分あるタイプかもね、自分のマインド的にはね、ある種。
ただ言うほど、何だろうな、
そもそも何か基準を置いてないから、
こうなったら嫌だ、そんなないのかもしれない。
要はどうなるかなで、どうなったかわからない先の、
どんな能力が開発するかわからないじゃん。
どうなるかわからない先とどうコラボレーションできるかなみたいな楽しみでしか見てないから、
あんまりそこはどうなってもこんなに困らないのかもしれないね。
一方で予測的期待、これくらいの期間まではこれができるようになってほしいという計画を立てたりもするわけじゃないですか。
そうだね。
それ通りにいかなかったときに、それを面白みとして捉える感じなんですか。
それはどっちなんだろうな、その時はあれだね、
一旦事実確認をする、お互いに一緒にするっていうスタンスかもね。
目標はもちろん仕事だからさ、これくらいの目標で成長できるといいよねとかっていうのはあるからやるじゃん。
それに対して一旦一緒に確認して今このくらい生きてるねとか、こうだったねっていうので、
逆に言うとそれより至ってないからすごいがっかりするかっていうよりは、
どっちかというとあれかもね、その差分がなんだろうねみたいな方にフォーカスするようにしてるとあんまりそれも気にならないのかもしれないね。
思ったより外的良いんでそもそもこんな機会なかったねみたいなケースもあるし、
普通にあの時本人の頑張りが足りなかったよねみたいな時ももしかしたらあるかもしれないけど、
それはそれで率直にそう感じたよっていう話をするくらいの話かもしれない。
差分フォーカス。
差分フォーカスかもね、予測との差分。
だからそれが別に高すぎても低すぎても、なんかどっちにも一気にするなあそう考えたら。
なんかさ、めっちゃその予測の1年後の目標がめっちゃ高いとかあったとするじゃん。
一応別にそれが本人がいけるなとか挑戦しようとさえ思っていれば、その高すぎること自体は問題なくて、
要はそこに対してその目標がバカバカしいと思ってたけれど。
で、高かったけどなんか頑張ったけど全然できませんでした。
それでできなかったと一緒に考えればいいみたいな話。
で、別に目標がすごい低くて簡単に乗り越えられたって言ったら、結構目標低かったねっていうのを一緒に確認して、
次はもうちょっと高くしようかみたいな感じにすればいいか。
あとなんか逆に私の場合は、本当にそれできるのかなっていうようなのを根拠もなしに提示されたら、
そっちの方がちょっと心配になりますけどね。
新人の方が高い目標を出して、ちょっと非現実的じゃないみたいななった時に、
あまりもしかしたら現実を見えてない可能性を余儀っちゃいますね。
でもその場合はもうそれさせちゃうからって気するね。
だって一年目でA・Dになりますみたいなことでしょ?
そうですね。
って言ってて。
これもこれもみたいな。
それはもう言ったら意気込みとして買う意識でいいかなみたいな感じしちゃうから。
じゃあ一旦それを目指そうって言って。
結果一年後にA・D、難しいですねデザインってなったらそれはそれでそうだねって。
遅く、確かにデザイン、最初に言われたのが、山さんこれ何時間ぐらいでできると思うみたいな。
それも一つのアレだね。期待値だね。
やったこともないのに何時間も分かりませんって思ったんですけど。
聞くのぐらい。
なんで聞くんだろう、やったことないことって思ったんですけど。
今思えば最初に予測を自分で立てて、その差分を後で検証したまえよっていうことだと思うんで。
予測が低かろうが高かろうが、検証材を作れればいいとも言えるのかなと思いました。
そうだね。
世の中で期待で間違えるやつって、互いの期待を認識してないっていう状態なんだろうね。
互いの期待をお互い一旦机の上に出して、すり合わせさえしとけば別に高い低いはそんなに実は問題にはならなくて、
とかその期待以上だったろうが期待より下だったろうが、
コミュニケーション上そんなに問題は一緒にこの期待に行けなかったねだし、
この期待を超えてすごいねは一緒に共有できるとかなるから、あんまり他者に対するがっかり感にはならない気がするから。
一番もしかしたらよくないのは期待をこっちだけ抱えておいて伝えてないみたいな状態のことかもしれない。
こんぐらい期待してるよみたいなのを伝えてその反応をちゃんと確認しとくみたいな。
いやちょっと求めすぎですよって言われたらそうなんだ。
そこはいけないと思ってんだな、そしたらちょっと下げるみたいな話し合いするから。
いわゆる目標管理とか教育的な期待ってどっちかとそっちに合わせるのが強いじゃん。
要は何を乗り越えますかのストレッチのためのものだったりすると思うからそっちの期待って。
そいつって基本あれだね、表に出して擦り合わせるっていうことの方が実は高い低いよりも大事なのかもみたいな。
期待の基準を伝えるときに無邪気な感じでいきます?
結構高いだろうなって薄々思ってても言い言うは言い言うって感じにします?
そうだね、一旦すごく低いことよりは高いこと言うかもね。
それはあれかもね、大きな意味での本人への期待があるからっていうことかもしれないけど。
ちょっと高めのことを言ってみるかな、はじめは。
それが役割上どうしても他者にあるほうがいいかなって思うから、本人よりも高い目標を言ってくれる人っていうのは、
一応マネージャーの役割としてはそれが入ってるかなって思うから、そっちはやるかな、高く言うかな、はじめには。
その人個人のロードマップにおける基準とは別に、常識的期待みたいなのってあると思うんですけど。
向き不向きとか置いといてってこと?
置いといて、例えばですけど、コンビニの店員、海外とかだと座って接客みたいな。
なんかやるけど、多分日本でやるとこういうものでしょうみたいな。店員はこう接客するものと期待している人としたら、
たぶん反発を食らう気がするんですよ。
それは結構期待値高い人の例だなと自分でも思うんですけど、そういうのは結構自分の中に結構あると思うんですよね。
お互いね。
そういうのをどうする、どうしていったほうがいいんですか?
でもそれもやっぱ開示するしかないよね。この店は座って接客しますってあらかじめ、パッと動けば入り口の時点で。
なんか入ってきて、そんなにヒートアップしないでしょ、それにはみたいな気もするから。
やっぱ先出したほうがいい気がするね。
なんか結構ありますよね。うちはこういうスタンスなんでみたいな。
万博のガイドブックか地図か忘れたんですけど、サイト見たら環境を配慮して場内ではお配りしておりますよみたいなこと書いてあったんですよ。
別に普通に配ってないでもいいじゃんって思ったんですよ。
環境配慮してみたいな。別に言わなくてもいいじゃんって思ったんですけど、もしかしたらなんで配ってないんですかみたいなことに先出しガードみたいな。
先出しかつ理由添えだもんな。
添えで、そういう経験があったからこの文言を入れてるのかなみたいな。
一瞬コスト自由なのを環境っていうことにすり替えていいことに見せたいのかなって思ったんですよ。
実際あるかもしれない。
そういう経験がなくはないと思うんですけど、そんなこと言うくらいだったら言わなくてもいいのにって言い切ったんですけど。
実際聞いてどうだったのそれを。聞いてることによる作用はあったの。
配ってないこと。ちょっとまだ万博行ってないんで。
行った後に絵配られてないじゃんって何も知らなかったら言う可能性はなくはないです。
確かにね。探したかもね普通に。
そうですね。
探した労力に対してチッて思ったりとかね。ないんかよみたいな。
それちょっとどっちに転んだかはわかんないですけど。
先出しをするっていう。
でもやっぱ先出ししとけば早々悪くはならず、後出しするから人間関係でもいやいやこれやってくれると思ってたの。
先言ってくれたらやったじゃんって全然起きそうじゃん。
めちゃくちゃ起きそうですね。
やっぱ先出しだな期待は。
そしたらめっちゃコンビニの店の前が注意書きだらけになりません。
そうだな。
世の中の炎上見ててもこれ先出ししときゃ炎上しなかったと思うなんてめっちゃあるもんな。
ありますね。
先出ししてないのにことが起きた後にあたかも先出しできるやり方あればいいのかも。
なんかここに書いてありますよとか言って。
あれじゃないですか。
ライセンスのクリエイティブコモンズみたいな感じで期待セットみたいな。
私は別に女性だからといっておごりませんみたいなやつ。
なんか一定のセットみたいな。
コンビニで座って接客しますとか。
価格が変動性ですみたいな。
後から先に行っておきたかったことあるかもしれないもんな。
そうですね。現実的には都度都度大事な人を大事な関係性にはやりなさいということなんですかね。
目標設計とか教育とか夫婦関係ぐらいは先出しできるケースが多いじゃん。
そこいった先出しの方がいいと思うんだけど、先出ししないケースが多分もっと多く存在してて。
その先出ししないことによって期待値ギャップでトラブルをどう対処するかみたいなのは
もしかしたら人の上の期待値は低く見積もっておきましょうっていう防御策としてやっぱそれが言われちゃってるのかもね。
それが高い低いが出てくるのはそこかもね。
一番汎用的な。
汎用的には他者に対して低くさえ設定しておけばあんまりそこでがっかりすることも怒ることもないでしょうみたいな。
それが幸せかっていうとな。
何も期待してないんでっていう。
なんか寂しいよね。
なんかそれをパンと言い放ってしまうことへの。
なんか幸せになれなさそうだね。
なんかよぎっちゃいますね。
なんかでも期待してめっちゃ人に期待かけてそれどおりいかなくてわーってなって
システリックになってる様子っていうのもそれぞれ不幸なイメージあるし。
あと言ってな、期待しませんって言ってさすごいどんな時も冷静でさ。
言ってさトラブルは起きないんだけどさなんかこう逆に言うとさ可視化にも生じないじゃんそれって。
ごめん含めた。
それはちょっと寂しい感じがするね。
だからあれなんですかね、期待の変報の角度の高い推しに動詞するみたいな。
ちょっと出てこいそれ。
期待に答えてくれる可能性がかなり高い推しに動詞するっていう。
ちょっとあれでいけるみたいなそういうこと?
いやもうなんかファンサーが自分の期待どおりのファンサーをしてくれる人とか
その方としては決まってるじゃないですか。
この人はおそらくこの期待に答えてくれる人ですみたいな。
じゃあ期待ってさらにどんぐらい返ってくるかってみんな瞬時に計算してる可能性があるってことだよね。
期待はもしかしてお互いの掛け算みたいな。
かもしれないですね。
この人は期待すると期待値以上、期待値ってことはあるもんな。
0.5で返ってくる人とさ、毎回1.2で返してくれる人みたいに言ったらさ、ちょっと振る舞い変わるよね多分。
そうですね。その1.2の人との時間を最大化しようかを誰だって思うんじゃないですか。
そうね。
いつも期待が上がってくるなみたいな。
それもよくあるもんね、ビジネスでさ。
結局レッスンが早いとかさ。
定出日よりちょっと前に出すと仕事が増えるとかさ。
みんなそれちょっと軽く期待を超えろみたいな。
はい、あります。
あるもんね、ノウハウね。
ということで、まとめなくてもいいですかね。
まとめると期待には希望と予測的なものがあり、
で、予測的なものは何ですか。
先出しして釣り合わせとか。
で、マス向けの先出しが難しいものは期待値を低く設定するっていう。
でも結構まあまあやり過ごしやすくね。
そうですね。他人の期待値はどうもできないですけど、
少なくとも自分がそうあればいいなっていうことですよね。
他人の期待値を察知する方法っていうのは議論できてなかったね。
それは難しいですね。
それがあれか察する問題だよね、の難しさだよね。
察するのは難しいっていう前提で社会を動かしたほうがいい。
そうですね、予測が普通に外れて逆に期待の逆をいくみたいなこともあると思うんで。
人の期待はこちらから伺えないっていう前提で、
自分はとにかく出せるときは出す。出せないときは引くか。
ということでいいですかね。