1. ままならない1on1
  2. #1 他人の些細なミスをどこま..
2025-01-14 35:29

#1 他人の些細なミスをどこまで指摘する?許容値のちがい

初回です。たどたどしさもお楽しみください。


✏️エピソードノート

() お店で注文した食べ物に小さな異物があった話

() 店員に言うか言わないかの基準

() 後輩の凡ミスを指摘するか黙って直すか

() とっさに反応した時の気まずさ

() 身近な人が気になっている場合

() 飲食店でのマナーの許容値

() 相手に言えるかどうかは許容値とは別の話

() オーダーをよく間違われる

() デフォルトが当たり前の基準なのか

() 人の食べ方にとやかく言うこと

() 客同士の許容値の違いは場の基準に従えば良かった

() 言ってみる経験を重ねて学んだこと

() ライブでの声出しはマナーか儀式なのか

() 野球の応援歌とは要求性が違う

() 推しに独自性を求めたくなる気持ち


🌀番組概要

日々のままならない瞬間をテーマに、デザイン会社の上司と部下が1on1で喋ります。「他人の些細なミスをどこまで指摘する?」「尊敬と尊重の違いって?」「男女って言葉にどう感じる?」といったトピックなど。ままならなさに頭を抱える2人と一緒に、「自分ならこう思うな〜」と楽しんでいただければ幸いです。


ままならない瞬間とは?

日常でふと引っかかる小さなジレンマや、自分ではどうしようもない状況のこと。話してみると共感されたり、全然気にならないと言われたりする、正解のない瞬間です。


🎙️スピーカー

・ヤマさん(部下)

デザイナー/ISTP/上司を困らせたがりがち/子どもの頃よく言われた言葉は「ああいえばこういう」

・ハマさん(上司)

デザイン会社のマネージャー/ENTP/フラットな意見ほしがりがち/子どもの頃よく言われた言葉は「落ち着きがない」

https://x.com/mamanaranai1on1


📮お便りはこちら

https://forms.gle/XpTZjkXLz2Jwuw2e8

※このポッドキャストでの発言は個人の見解であり、所属する会社や組織とは無関係です。また、配信時点での解釈に基づくため、正確性を保証するものではなく、事実と異なる場合があります。

00:01
ままならない1on1
濱さん
何、山さん
はい、私が部下の山さんなんですけれども、上司の濱さんという2人のやりとりで
ポッドキャストを始めようかなと思って、今こうやってこの場に集まってもらいました。
で、いつも喋っているような、同じ会社の上司と部下なんですけれども、1on1でたわいもない話もしているので、そのノリで配信をしてみちゃおうかなみたいな。
なるほどね。
それぐらいの趣旨で。
はい、お楽しみです。
で、最初の、最近あったことなんですけど、こういう場合、みんなどうしているのかなと思って。
ちょっと怖いな。
いや、そんな怖くないんですけど。
あるカフェに行ったんですよ。
うん、カフェね。
そしたら、ホットケーキ頼んだんですけど、ちょっとホットケーキに毛みたいなのが混入してまして、
ほんと1センチぐらいの、もしかしたら髪の毛かまつ毛か衣服の毛ぐらいの、汚らしい毛ではなかったんですけど、
それを出されたときにパッと見て、あ、入ってるなって思ったときに、
あ、なんか入って、みたいなジェスチャーをしたんですけど、
そういうときどうします?
いや、ちょっと多分いくつかある気はして、
なんかその、まあ自分でもいいかなって思うものだったら、パッて避けちゃって、
もうなかったことにするかなっていう。
もう言いもせずに店員さんに。
まあなんか、そのまあ、まおりもないだろうし、なんか事故みたいなもんだから、
別にそこにはこうなんていうか、わざわざ申し立てる必要もないかなっていうことで、
送るケーキもあるかもしれないし、
だからなんかそれが明らかに、ちょっと自分も気持ち的にもちょっと食べにくいなとか、
ちょっと嫌だなっていう内容だった場合は、ちょっとすいません、ちょっと言いにくいんですけどつって、
ちょっと遠慮しがちにその事実は言って、
で、ちゃんと変えてもらいたいなら変えてもらいたいっていう要望まで出すかな。
変えてもらいたい要望があったときに初めて言い出しますか?
それとも言うだけで別に、まあ変えてもらう必要はないんですけどね、
で終わらせることは選択ありますか?
変えてもらう必要ないんだったら言わないかな。
変えてもらいたいときはでも逆に我慢しない。
はいはいはい。もうそこはどっちかっていうことですね。
いや、変えてもらいたいってことは、それは商品として足りなかったっていうことだと思います。
その要求水準なんで、そこはちゃんと要求水準満たしてませんよっていう話をするっていうことで、
でも変えてもらいたいと思ってないってことは、
それは品質としてはいったんもうOKって自分の中では定めたものだから、
03:00
それに対しては別に言わなくても、むしろそこに触れることによって自分の気持ちがそっちに引っ張られる方が
総合的考えとマイナスかなって思うんで、
いったんそこをあまり気持ちとして引っ張られないようにする方が、
その食事は楽しくできるかなって思うんで。
引っ張られるってどういうことですか?
自分が指摘したらそれに自分が意識持っていかれるってこと?
そう、だからそれを要は許容できないなって思うっていうことは持っていかれるし、
さらにそれを話したときに相手のリアクションが自分の期待するものにならないケースも考えられる。
多分その微妙なケースっていうのは相手からしても微妙なラインで、
これで作り直させるの?みたいになる可能性もあるってことだと思うんで、
それにおいてもそこは運の良い悪いもあるから、
それはもう悪かったなぐらいのものとして受け入れちゃう。
答えられるとまずかった。
いやいや、大人の答えだなって。
そういうこと?
私はですね、第3の中間の選択肢を取ったんですよ。
第3の中間?間あるから。
指摘はするけど、別に正直取り替えてほしいまでは思ってないみたいな。
ただ事実として、購入したものでしたよを伝えないと気が済まないのかなって自分の中で思うときがあるんですよ。
そっちのほうがこの人の仕事の人を高めるみたいな文脈で言うと優しいなと思う。
優しい?
気づかせてあげるっていうのはこっちのパワーがかかる作業なので、
それをわざわざ言うっていうこと自体は、
次から気をつけるチャンスを与えるという意味では、
気づかせるっていう意味ではフィードバックをするっていうのは優しい行為かなと思う。
それ、仕事でも似たような例があるなと思って、
後輩の人が開けてきたものに対してちょっとした文ミスがありましたみたいなときに、
それを黙って直して、これぐらいだったら自分のほうで直して提出するか、
一応直しておいたけど、こういうことがありましたよって言うかみたいな。
その線引きってどうしてるんですか?
品質に問題ないって話だよね。すぐ直せる程度っていう範囲。
それがすぐ直せないものだったら一旦直します。
すぐ直せるみたいなものだったら、直して言うかどうかは、
多分繰り返しそうかどうかが基準になると思う。
あくまでもそのときにたまたま終わってしまったみたいなものは、
別に次そんなに大きな発生率は高くないみたいなと思うから、
そこをわざわざ言うのはこちらの手もかかるし、
向こうも気づいたとってあんまり修正しようがないというか、
06:01
今後に活かしようがそんなにないから、
そんな感じの雰囲気だとは基本言わないけど、
簡単には直せるんだけど、ミスの数が多いとかだと、
するとさすがにそれは伝えるかなと。ちょっと多かったからっていう。
ちょっとしたことで、たまたまの状況だったからと思ったら言わない。
たまたまで、それはだいぶだって逮捕はあるでしょみたいな範囲だったら、
それを言ったとて、たまたまあること言われたってみたいな感じになるから、
あんまりそこに生産性を感じないから言わないかな。
な。なるほど。
これもなんかあれだよね。
嬉しくない回答が来たみたいな。
いや、別に参考になります。
本当?
恐れ入ります。痛み入りますよ。
なんだよ、それ。
なんか、とっさにその判断難しいなと思ったんですよね。
その毛が入ってるホットケーキを見た瞬間に、
なんか反応はしちゃったんですよ。
確かにね。
あって思ったら店員さんはうんってなって、
あって、もうあって言った理由をなんか喋んないといけない感じだったから、
入ってって、でも別によくて、買えることではなくてみたいな、
なんかよくわかんない時間が流れたっていう。
ちなみにどういう気持ちとどういう雰囲気とどういう対応が実際に起きる?やってみたら。
でも普通にあってて、なんかちょっと毛が入って、
で、店員さんは取り替えますよみたいな感じで、
すごい慌てた感じになって、
でもなんかその数秒の間に取り替えることじゃないなというか、
この後すぐ出ないといけない状況だったんで、
これを食べたいなっていうふうに言って、
大丈夫なんですけど入ってました、それだけですみたいな感じ。
よくありそうだね。
それは、ちなみに言った後の感情としてはどっちに触れるの?
言ってよかったなのか、言わないほうがよかったかななのかは。
いや、なんかこの毛がどれぐらいの毛だったら自分嫌に感じるんだろうなっていう想像してました。
なるほどね。
そういうことは確かに言わなくてもよかったかなって、
あれだな、理解ってことだよね。
言わなくてもよかったなとは思わないんですけど、
ただ言わない人いっぱいいるだろうなって思ったっていう感じです。
それで言うと、俺の場合起きそうなのが、
自分は気にならないけど目の前の人が気にしてるパターンで、
目の前の人は言えないパターンみたいな。
そのときは代わりに言うかもしれない。
それでも、それほどでもなかったんだけどなみたいなケースになったりしないんですか?
それでも確認するかもしれない、言おうかっていう。
09:00
これはちょっと髪の毛じゃないんだけど、
一緒にご飯食べてるときに、横ですごくめちゃめちゃイチャつくみたいなカップルがいて、
さすがにその距離ですごくイチャつかれてると、
職人に目立ち聞こえてくるから、さすがに訴えてほしいみたいな。
やっぱり言えないじゃん、目の前のイチャついてる人は。
それは言ったりはしたけどね。
だって定員さんじゃなくて客同士ってことですよね。
そうそう。
さらにハードル高いし、私でも言えないなって思いました。
それを言って正解だったかって言うとびっくりする。
でもちょっと喧嘩みたいになるから。
なったの?
そう。だからあんまり、そういう経験もあるんだよ、過去に。
その注意期が、ちょっと目にも入るし聞こえてもくれるし、
すごいオープンな席だったから、ちょっと控えてほしいって話をしたら、
お前はしてないんか?みたいな感じで返ってくるから。
すごい切り替え。
それを言われるとな、みたいな感じで。
しないよって返したんだけど、
人前でそんなこんな食べてる時にしないよって話をしたんだけど、
そこで一時燃えちゃったりはしたから、
そうすると食事全体がおいしくなくなっちゃうんで、
結果なんていうか、あんまりね。
何も言わないことよりも、結果だけを見ると、
ちょっと怒りの残る感じも。
ただ、じゃあ自分が嫌だから不快だから立ち去りますっていうのは、
すごい大人の対話だと思うんですけど、
それはできなかったね。
そこまで大人じゃないね。
でも、第3の選択肢でそういう時って、
店員さんに言うっていうのはあるじゃないですか。
そうだね。
店員に先に言ったかもしれない。
ただ店員がそこは対応が難しいって言ってはいたから。
そうなんですね。
ちゃんとそのステップを踏んで。
踏んだ気がするね。
どっちだっけな、先に客同士で言ったか、
最後に店員で言ったかは忘れたけど、
店員とも話はしたね。
へえ。
店員も難しいって言ってて。
ただ知らなかったらその後、
そのお店はヒリが入った店にはなってたけど。
関係ないと思うけど。
ただのリフォームだと思うけど。
何かがあるのかもしれないですね。
関係ないと思う。
全然。
そんなにすごい褒めたわけじゃない。
この世にいる心優しい人とか許容値の高い人って、
こういう時どうするんだろうなっていうのは。
許容値と言えるかってまた別な気がする。
許容値はすごく低いんだけど、
すごく嫌なんだけど、
言うハードルも高くて言えないって方もあれば、
許容値が別に低いけど入れますっていう人もいるじゃん。
すぐ嫌だって言ってやめるっていう。
12:01
どっちかと言えるタイプだったけどね。
私はそうかもしれない。
許容値は高いから全部受け入れてるから、
言わなくて済むっていうケースもあるだろうから。
うちは許容値高いほうが取りにくくないだろうね。
許容値が低いっていうのはやっぱり
ストレスフルだから生きる上で。
でもその分気づくことが多いってことだと思うから、
別の点で生かされると思うけどね。
許容値が低いっていうのは
センサーの感度が高いっていうだけの話だと思う。
確かに対してそのセンサーが生かすことはあるだろうし。
そうですね。
別の許容値の低い人が言い出す前に言ってる感とか
たまに感じますね。
許容値でずれるよね。
店員側がすごい自分が異物を購入していくって言った人が
めちゃめちゃ許容値が高い店員さんだったら
え、これで?みたいな。
それはそうですね。
っていう気もするから。
だから許容値が高すぎると
そこでまた平均値とずれすぎると
プラスでその人も生きづらくはなる。
確かに。
低めの癖って
結構そういうオーダーを間違われるとかが
めちゃくちゃ多いんですよ。
みんな間違われてるんですかね。
確率論的にそんなに差が大きいものでない気がするんで
たぶん残りやすいんだろうね。
みんな間違われてます?もしかして普段。
みんな間違われたことをそんなに覚えてないケースもある。
許容値が高い人とか
そこで言ったってアクションしない人は
わりとすぐ忘れそうだよね。
そういうこと蓄積してないっていうことですか。
言った人って言ってないじゃん。
言ったりアクションしたほうが記憶に残りそうだけどね。
なんかこの寿司とかサビ抜きとか
ラーメンのネギ抜きとか
そういうちょっと細かいオプション的注文が多いんですよ。
私の場合は。
それを抜けられることが多くて。
でもわざわざ言ってるぐらい結構大事なことなんですよ。
確かにそういうわざわざ言う機会が多いから
確かにそういうのに出くわしやすいんだなって今思ったから
確率論的に多いんだろうね。
ありやすいんですよね。
確かにそのオーダーをしてるからね。
でもわさびに対しての許容値が低いのに
そのオプションを追加して
さらに間違える確率が高いっていう状況が
なんか悩ましいですよね。
確かにオーダーしてるってことはね
それだけこだわりがついたことだもんね。
そうなんですよ。
確かに悩ましいね。
悩ましい。
なんか500円、1個500円のボタンエビを最後に食べるぞ
ウキウキみたいな。
わさび抜きで言ったらわさび入ってたときは
15:01
口に入れたらもう絶対食べ切るじゃないですか。
食べちゃったけどわさび入ってましたって言って
もう1貫もらったこともあります。
そうなるとサビ抜きがデフォルトで
オプション系システムになってるほうが
いい気しちゃうね。
私からするとそうですね。
私は別に
人生側からしてどうなんだろうね。
サビ抜きっていうオーダーを覚えたり
間違えるリスクを考えると
デフォルトの設定をサビ抜きにしておいて
逆の人もいたりするんですかね。
サビやりが大好きすぎて
でも自分で追加すればいいのかなサビやりは。
でもなんで入ってないんだって怒る人いるかもね。
要はみんな自分の当たり前に対して怒るから。
たぶんすっすいわさびはあるものでしょっていう
価値観で生きてたら
食べたときに入ってないじゃんって
思いながら。
そんなにサビ抜いてない。
大変ですよ。
わさびもあれですかね。
やっぱわさびは
新鮮さをこもつ的なやつで
入れてたほうがいいみたいな
そういうリクティシューもありそうだね。
海鮮寿司絶対入ってますよ。
それを好む人が多いからだけじゃない
事情的に持ってる基準ってありそうだね
デフォルトと違う。
ネギとかだともしかしたらネギある状態で
基本的に写真を撮ってほしいみたいな
わかんないですけど。
申し訳なきゃ気持ちはあるんですよ。
ネギ抜きって頼むんですけど
ネギ抜きでグーグルの
お客口コミの写真で
あげてほしくはないだろうなって思うんですよ。
実際そういうことは何もしてないんですけど
自分が提供側だったら
ネギありでそこがアップロードしてくるよって
多分思うよなって。
自分の手料理をさ
これがおいしい状態で食べてほしいっていう店はあるし
その場の個人的なやつだったらまだしも
全員が見れる口コミのサイトで
自分が提供した状態から間引かれたので
見せてほしくないなって思うんですよ。
大学時代に吉谷さんの友達が
この時期はめっちゃ紅生姜をのせるから
そんなのせるって一言言ったら
人の食べ方に大学行くんやろって返ってきて
まあそうやなって思って
そういうの聞くと
あんま好きにしたらみたいな感じでいようって思ったから
あんまりそういうの言わなくなったもんね。
18:00
一方でラーメン屋とかにある
これからまずはすすってとか見るのがめっちゃ好きなんですよ。
なんかぎっきり見えた感じにしてくれて
それだけでちょっとおいしく感じられそうだなって
いいですね。作法としてね。
そこまで洗練されてたら楽しめるんだね。
たまにどう食べたらいいかわからないのがあるじゃないですか。
つけ麺に出てくるちょっとした薬味って今は入れるんだっけみたいな
あんま気にしたことなかったのも
変化があるようにね。
ちょっとずつ変化させて飽きないように食べてほしいのかなみたいな
そこまで汲み取りではいいんですけど
そうじゃない人間としてはこれ単体で食べるものなの?みたいな
思ったことない。
それはないなさすがに。入れてくな全部。順に入れてくね。
教育ですよそれはもう。
それを食べるものだってどこかで習得したんですよ。
習得したのかな。なるほどね。
だから入れない薬味と入れる薬味があるから
そのラインナップで見ると入れるか入れないか
好みで入れるものなのかどうかがわかんないってことか。
これを最初に入れると
一個全部これの味になりますぐらいの強いやつあるじゃないですか。
確かにね。辛いけど。
そういうのは意外と最後に持ってたほうがいいとか。
自然とやってるね。
これらがそれぞれどういう味はしてくるのかがわからないね。
やってもある程度わかると思う。
わかんない。
ある程度はさすがに初めて食べたものじゃなければわかんない。
だいたい薬味って初めてずらして出てくるんですよ。
そう。初めてずらしてるから。
薬味は薬味っていうジャンルで結構
固定メンズなんですか?
固定メンズ。
3つの皿に分けられたあいつたちは。
あと見た目で大体想像作っちゃうじゃないか。
それは教育ですね。
教育だな。
職域されてるか。
職域されてるのか。
許容値の話をしてたんですよね。
話変わってきたな。
そうですね。
本当に違うことを話してなかった?
いや、でもそういう二択なんだなってことはわかりました。
言うか言わないか。
取り替えてもらうなら言うし、取り替えてもらわないなら言わないっていう
人もいるんだなってわかりました。
そうなのね。
なんかそんな気がしたな。
だからさっきまで言うと焼肉屋で横にそれをやる人は
取り替えてもらったんだね。
席を変えてもらうとか。
本当はね。
そうですね。
席変えてほしいとかも言ったかもしれないけどね。
あえてれば自分が置くでもいいんだけど。
確かに。
難しいかな。確かに今思えば別にそんな権利はないものだと思うもんね。
21:04
店側がルールとしてこの店ではこういうことをしてないでくださいって表明してない限り
そこはどんな客もイコールなわけだから。
俺の基準でそれを言うってことは今にして思えばちょっと分かったからだけど
ある意味俺の押し付けでもあるからそういう行為をしないでほしいってことでね。
確かに逆になんでイチャイチャせずに普通に食べてるんですかみたいな。
本当そんな会社だった。お前もするだろ人前でみたいな。
すごいですね。
人前ではしないよって2人で言ったんだけど。
2人でしないよって。
店側が許容してるんだなって思う人が多いかもしれない。
それはやっぱり場のルールかもしれないね。
客同士の話は基本場のルールに従うべきだったなって今言っちゃうもんね。
でもそこで客同士で折り合いがつくなら別に調整をかけること自体はいいような気がするんですよね。
ただその時は多分調整のかけ方も下手っていうか
やっぱりまだ人と揉めることへの抵抗感もなかったから
すごい。
子供がいなかった。
子供ができてから人と揉めることへの抵抗感ってますから
揉めないときはそんなの平気だったから別に言ってたけど
今やっぱりそうはならないね。
揉めない言い方とかするし
一応よっぽどじゃない限り。
でも当時はできなかったそれ。
当時ってそれ何歳ぐらいのときはさしてた?
10代前半ぐらいだよね。
もうダメだ。
10代前半のときはやっぱり
相手がこう言ったら動いてくれるかなっていうよりは
自分はこう言いたいっていう気持ちの方が強いかな。
今も変わらない部分もあるんだけど
より強かったかなと思う。
今でも発動する瞬間は僕の自分。
子供以外でその気づけを得られるなんかあるんですか?
あるね。
普通に大人だったら普通にあるじゃないですか。
あります?
でも嫌な思いをすることだね。
そのときはそんなにいいことにならなかったわけじゃん。
めっちゃ揉めて殴り合いになりそうな雰囲気まで発展するわけじゃないですか。
ひっくり引けなくなるからさ、お互い。
負けたか。
引いたらトン来るなみたいな気持ちになるし
そもそも俺の方が別に引く理由はないよみたいな感じになっちゃうと。
でも終わったら後味悪いなみたいな経験で
次同じ場面に出会った時は同じことするかどうかもしれないじゃん
みたいなことも積み重ねる気がするけど。
次どうするんですか?同じ場面だったら。
どうすればいいんだろうね。
でも直接言う前にまずこの店ってこういうのありですかって聞くことがある。
24:00
ちょうどいい聞き方でしたね。
あれありですかって。
若干ちょっと食べててちょっと食べづらいなっていうか気になっちゃうんですけど
ああいうのって許容してます?みたいな感じ聞いて
うちのルール、だって店のルールって全然違うじゃん。
服装のドレスコードがある店もあれば
子供連れてこないでくださいっていう店もあれば
全然あると思うから一応そのスタンスは聞いてみて
一応気持ちは大体こういう気持ちですと。
今のこの店の基準とかどういうグランドルールでやってるかっていうのを確認して
あれは許容してますって言われたら後で使って分かりましたって
今だったらなるし
じゃあこの店のルールは自分に合わなかったんだなって思って
自分がその場にふさわしくないわけだから出るかもなって思うんですけど
それは自分が出るから負けじゃなくて
自分がその場の場が作ろうとしているものにフィットしてないわけだから
自分のほうが出たほうがいいなって思う
じゃあ似たような感じで次の問いかけなんですけど
店のルールを、それお店は分かりやすいじゃないですか
ライブとかだとどう思います?
アーティスト側がよく歌ってとか
もっとやってみたいな要求があるじゃないですか
全くそこまでじゃなくてももっと声出してみたいな
言うじゃないですか
あれは店側のルールで捉えたほうがいいんですか
そうだね、だってアーティスト本人が言ってるでしょ
出したほうがいいんですか
その場合は出す人のほうがその場にはふさわしいんじゃない
なんだって
だってアーティストが主役の場なんでしょそこは
でも客ですよ
客は客ですよ
そこに客かどうかってあるから
サービスはどっちが提供してるかって話があるわけで
客が求めてるものはそこのノリじゃないですよと
もしかしたら聞き入りたいっていうニーズかもしれないんじゃないですか
確かにな、でもなんか悩ましいけど
客が真に求めてるものは
ファンって言うじゃないですか
ファンで大丈夫です
ファンってアーティストが喜んだ方が美味しいんじゃない
それはもう
アーティストが嫌がることしたい
でも嫌がるかわかんないじゃないですか
声出して声を出さないことが嫌とは限らないじゃないですか
出してくれたら嬉しいじゃないですか
プラスはあっても流石にマイナスはないんじゃないかなって思ったんですけど
確かにね
ファンっていう前提におくなら
答えてあげた方が優しい気がするね
そうなのか
ちょっと声出してとか
27:02
なんですかね
本当に?みたいな
出せないって
ライブって型みたいな
ノリ型の型みたいなのがあるじゃないですか
本当に声出してほしいのかなみたいな
自分がもしアーティストだったら妄想するんですけど
声出したりとか普通じゃないですか
なんですかね
統制してる感じしません?
統制を要求してるのかな
確率的な行為を求められてる感じがして
それに抗いたいわけじゃないんですけど
手放しで参加するのがちょっと引っかかり思えるんですよね
確かにね
俺はあんまりそういう場に行かないんだけれども
そういうの行く人ってむしろそういうのを求めていくのかなと思ってた
確かにそうですね
そこの一体感みたいなのが楽しくて
ライブに行くっていう人たちが集まってると思ったから
そっちがだからコミュニティではベースカルチャーなのかなと思っていて
俺は多分何かの一体感を求めるときに
そこは自分で選びたいから
結構例えば俺らの世界でいると
セミナーとか行くときにさ
ポーズとってくださいって言われるやつあるじゃん
俺あれ嫌なんだよ
それは嫌なんだよ
みたいなのもあったり
すごく好きだったらいいんだけど
すごく好きでもないのにやりたくないのとかあるかもしれないじゃん
ある種よく例えとして直接かわかんないけど
お仕方とかっていうのは結構言葉として
宗教言葉と近いものって結構あるじゃん
言葉といいみたいなやつとか
いわゆる神であったりとか
そういうのを考えるとやっぱりその要素を求めている
現代にいろんな宗教が分散していく中の神の一つとして
アーティストが多分いるのかなと思っているので
だから自然発生的に統一された行動様式を求めたりするのは
自然じゃ自然
各宗教で求められる儀式ってあるじゃん
またぐなであったりとか
踏む中踏まえてとか
何時にどこに向かってお辞儀をするなりとかあったりするじゃん
それを守ることによって
そこの宗派でいられるわけだから
そういうものなのかなって思って
自分はあんまり言ってないけどねっていう
それで言うと今思ったんですけど
野球の応援歌
あれって別に選手が歌ってるとか言わないんですよ
30:02
ファンが勝手に歌ってるんですよ
私あれ結構心よく参加できるんですよ
でもアイドルとかアーティストの
もっと声上げては要求されてるんですよ
神からの要求のほうが嫌なんだ
神じゃない存在の横からの信者たちの野郎のほうがいけるんだね
逆かと思ってたな
要求されたら何で従わないといけないのみたいな
逆にそういう気持ちが
信仰心が足りないんだ
足りないんですかね
一心乱れぬファンの人たちが
おいおいとか言ってる姿を見るの自体は好きなんです
もしかして君はアーティストじゃなくて
アーティストにするとファンを見に行ってるんじゃないかな
だから自分は参加しないんですかね
そのファンを見ている
好きなファンの集団の理想の形があって
ファンの動きにちょっと自分の中で違うなって思った時に
ちょっと嫌な気持ちがある
どうなんですかね
ファンの名前がついてるわけでしょ
アーティストの名前がつくってことは
そこもある種アイデンティティがあるわけじゃん
我々はこういう存在だよねってあるわけでしょ
プロテスタント的みたいな感じも
詳しくはないんだけどきっとあるんだろうなと思うわけで
名前の言い方が違う時点で
アーティストごとにファンたちの集団を
違う言い方をするって言葉は
あのファンの集団と
うちのファンの集団は違う存在ですよ
っていうのは互いに認識しちゃってるわけだよね
ということはその中の
それを見に行ってるんじゃないかもしれない
ここに2人に行ってるとか
確かに単独のコンサートだと
その区別ってあんまり意味をなさないじゃないですか
ファンがそのファンしかいない
ただ夏のフェスの合同のやつだと
いつもよりはるかにでかい声を出してる自分がいますね
とか野球だと
ファン同士の応援合戦を見に行ってるとか
こっちの応援の方が
集団としてむしろ一体感が高いとか
センスがあるとか
そこが楽しみであったり
誇らしかったりするみたいな
あとあれかもしれないです
これは私だけな気がするんですけど
主従観というか
アーティストが歌う
我々は愛の手であるっていう
アーティストライブはだいたいそんな感じじゃないですか
オイオイって言ったりとか
ウーオイみたいな
ただ野球の応援歌は完全にメロを奏でてるんですよファンが
え、どういうこと?
愛の手じゃなくて普通に応援歌として歌ってるんで
33:00
なるほど、だからちょっと主従観が弱い
ヤツで飛ばすもんな
応援歌はもうメロディーを自分たちで歌って
愛の手じゃないんで
っていうのが
単純に私がメロディーを歌いたがって
愛の手は別にいいやって思ってるだけの可能性は
発したい音の差
かもしれないなって今思います
要求されることへの抵抗な気がするけどね
君の場合は
そうか、やっぱり
普通に要求されたくないでしょ
そうかもしれない
なんでみんな同じようなアイドルとか
なんでみんな同じように求めてくるんだろうっていう
そこに違うアプローチないのとかは
たまに思っちゃいます
求めてくるもののレパートリーの中に
持つ独自性が欲しいなみたいな
ちょっとした希望みたいな
みんなそうでするなみたいな
でもそれであれかもね
他者と差異があることがすごい好きなんだろうね
だからそこが自分が推してるアイドルとか
見に行ってるものが
他と一緒だと面白くない
みたいな気持ちがあるのかもね
で、なるべくそこは違って欲しいみたいなところの
独自性を見に行ってるのに
独自性のないコール要求をされると
ちょっとレスポンスしたくなるみたいな
そうですね
たまに好きなバンドとかで
本当にあなたたちが聞きたい
聞き方でこの場合言ってくださいっていう
バンドがいるんですよ
それ聞いたときのこれだって思って
それはいいね
それだと中にはモノタニア感じる人もいるんだろうね
本当はすごい熱狂が欲しいとか
数年前のこのバンドは
もっとライブ会場が熱かったのに
今はそうじゃないねみたいな
そういう気持ちがあったりします
いろんな人はね
いろんなものを求めていってると思うから
それにどう答えるかっていうのはね
アーティスト側もね
ちょっと気にしたりはするのかもしれないけど
わかんないです
なんでアーティストの皆さん
独自性のありそうな
なんかこうそういう
すごいね
そういうのがあると嬉しいなって
これで届くことないと思うけど
届いたらすごいね
すごいですね
っていう話でした
そんなとこかね
ではお疲れ様です
お疲れ様です
35:29

コメント

スクロール