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おはようございます。まこやんです。 この配信では、【1分1動】をテーマに、小さな気づきや行動で、明日を変えていこうというラジオになっております。
今日はですね、「優しいとは思っていないわけ。」ということでお届けしようかと思います。 結論はですね、
理解したいから優しくなれたっていうことですね。 これ何の話かというと、
結構仕事でね、優しいですよねって言われることが割と多い方なんですけど、
でも自分の中で優しいという感覚はあまりなくて、 だから優しくてね、そういう人に交接してるんだよっていう感じじゃなかったんですよね、ずっと。
だけど周りからはそんな風に言われてて、なんとなく優しくしようみたいなのはね、 あったんですけど、
でも最近ね、ちょっとこう気づいたことがあって、 自分は多分その人から何かね、例えばこう仕事とかで何々が困るんですけどとか、
なんか人間関係でね、あの人がサボってますみたいな、ちょっと違うかもしれないけど、 例えばそんなことで来たときに、
それはあしらっちゃったりすることも結構あるんですよね、その忙しかったりすると。 だけどその一人一人にちゃんと向き合って話してますよね、みたいなのが言われることがあったりして。
でも自分の中でそれは優しさとかとは何となく違っていて、 それを優しいって言われるかもしれないんだけど、
自分の中では優しくしたいからそうしてるんじゃなくて、 なんでそれが起きるのかなっていう一つの疑問だったり、
なんでそういう考えなのかなっていう、自分の中に合致しない部分があるんですよね。 なんでそうなるんだろうっていう、そこに対しての理解したいっていう思いが結構強くて。
で、なんでその人はそういうふうに考えたのかっていう部分を気になって話を聞いたりだとか。
そういういろんな細かいこととかを話を聞いてると知ったりするんですけど、そうすると、なるほどこういう考えがあったんだなとかっていうのがどんどん広がっていって。
で、なんかそれが結局、周りから見ると優しく見えたりしてるみたいなんですけど、
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そうだけど自分の中でその優しさっていうか、ただそこの自分との繋がらない部分を埋めようとする。
繋がりたいというよりかは、それを理解したいっていう思いが結構あって、だからそっちの延長線上に優しさみたいなのが生まれてるのかなって結構思ったんですよね。
だからこの理解、相手を理解したい、自分の興味というかそういう部分も結構あるのかもしれないんですけど、
相手を理解しようとするっていう言葉は、繋がって優しくなれる一つの糸口かなっていうふうにも感じたし、
今は読書とかもするようになったり、皆さんの音声配信とか情報っていうのをもらって、
たくさんの角度の視点というかいろんな考え方を教わって、
問題一つが起きたときも、こういう考えだったらどうだろうとか、一つの答えに対して本当にそうなのかなって思ったりとか、
そういうふうに考えてると、それが正解不正解とかをあんまりつけなくなってきたんですよね。
何か言われたときに、これが間違ってるじゃんとか、例えば何やってるのとかって言われたときに、
それは何でそうなってるのかなとか、それを全部真似受けない、いろんな角度から見たときに、
自分の気持ちの余裕も少し生まれたりだとか、余白を作るじゃないけど、
ちょっとクッション材になってるような部分もあったりして、そうすると変に喧嘩腰とかにもならずに、
穏やかに過ごせてる部分は結構あるのかなって。だからこの本とかも読んで、いろんな見え方とかを知っていくと、
一つ一つの問題がちょっと楽しくなったりする部分もあったりするし、何よりわからないことが興味が出てくるんですよね。
それはちゃんと人の話を聞いたりとか、気になったことは聞き返したりとか、そういうことがだんだん増えていくと、
それは結果、相手の話を聞いたりだとか、相手に寄り添ったりだとか、そういうことにつながっていくのかなって、
結果的には感じてるんですけど、そういうふうにすごく感じたんですよね。だから、毎日小さなことに気づくこと、
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気づくことというか、たくさんの見方をできるっていうことは、自分のためでもあるんですけど、
いろんな人を結果的に優しくしてるような、そういう部分もあるのかなって思いました。
全然話が変わっちゃうんですけど、最近庭にグラジオラスが咲いて、その蜜を吸いに蜜バチが来てるんですよ。
そんな蜜バチが来たからって何なのっていう話なんですけど、でも、その蜜バチが来たことで、蜜を運んだり、別の花のところに行って、
それが結局、自分を起こして実になったりして、野菜とかが育って、自分は食べられてる、そういう流れがあるんだなって、
野菜作りとかをしてると、改めて気づいて、そうすると、その一匹の蜂が、どれだけいろんなことをしてくれてるんだなって思ってくると、
蜂ってどっちかっていうと、恐慌というか危険的なところはあるんだけど、どこか愛しくなるっていうのがあって、
ちょっと変な話ですけどね、いた時におはようって何となく言っちゃう自分がいるというか、頑張ってね、みたいな感じで言っちゃう自分がいるというかね、
でもこれも変な話ですけどね、その一つこういう何かを知るっていうことは、
そういう自分の中での一つの理解をしたいっていう部分と、いろいろと繋がる瞬間でもあったりするんですよね。
だからそれは別に誰かにこれを教育、こうなんだよって言いたいわけとかじゃなくて、
ただ自分の中で何か一つそういう世界が見えた時に、何かちょっと優しくなれる瞬間があったなって思って、
だからこの何かね、さっきの人の繋がりもそうなんだけど、何かその理解をしようとするっていうことは、
結果的に優しさに繋がっていくのかなってすごく思って、
優しいから理解しようっていう順番じゃなくて、理解しようとしたら結果的に優しくなれたっていうのがね、
なんか思うんで、もし何かを形に優しくしようってね、
もしこう思って無理に自分を背伸びしようとしてしまっているとしたら、もしかしたらそうではなくて、
自分が気になることを進んでいった先に自然とその相手との接点が生まれて、
その接点の中での自分の考えと相手の考えの繋がりを糸を解くような、
それをやっていることが自然とその相手にも伝わっていくのかなというふうに感じました。
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ということでね、相手を優しくしようというかは、自分の思いをちゃんと大切にしていくっていうことがいいのかなって思いました。
ということでね、これという話ではなかったんですけど、ちょっと気づいたことをお話しさせていただきました。
またね、小さな傷つきとかをお届けしますので、よかったら聞いていただけると嬉しく思います。
本日もありがとうございました。