00:01
人に優しくなれないときはどうしたらいいかな、みたいな話をしたいと思います。
こんにちは、ゆみです。 そうですね、なんだろう。
人に優しくなれない、というか、なんとなくこう、
なんとなくこう、なんて言うんですかね、厳しさを持って、人に関わってしまうというか、
少しでもちょっと苛立ちを持って関わってしまうっていうこととかって、なんかありませんかということで、
なんかこう、許せないっていう感情を、ね、なんか今の言葉でもちょっと大きい響きだなと思いながら話し始めたんですけど、
なんかこれをされると、なんだろう、すごく人に許せない感、気持ちに、人を許せない気持ちになる。
で、なんだろう、どうしてそんなことするの、みたいな、他者を批判する気持ちがすごく湧いてくるみたいな、
目の前にいる人とかね、仕事の同僚とかもそうですけど、なんかすごい些細なことでもいいと思うんですけど、
まあなんか、引き継ぎちゃんとしてないとかでもいいですし、なんかこう、
時間守ってくれないとか、なんか嫌だなとか思われることとかが、結構あったりすると怒りが湧いてしまって、
相手に大して厳しく接してしまうっていう風なことが起きるっていうことですよね。
で、それをやってる自分が嫌いになるっていうのが結構同時に起きることだったりするなと思うんですけど、
まあ、ない人もいるかもしれませんが、相手に対して苛立ちを感じるのと同時に、
なんか同時にすごく、自分こんなことで起こってる、自分嫌だなって思う時ってないですかっていう感じなんですよね。
で、なんか、そういう時っていうのは、まあ両方あると思うんですよね。
自分を大切にしたい、なんかこれをされた自分を他者に、なんて言うんですかね、
自分が大切にしていることを大切にしてもらえなかった苛立ちっていうことと、
一方で、他者を大切にできてないのではないかみたいな、この両方の葛藤。
相手を、人を大切にしたいし、そういう人であるべきであるみたいな、信念とかもあるかもしれないですよね。
なんか、私結構これ両方あるな、自分自身が結構両方あるなと思ったりはするんですけど、
なんか、人に優しい、なんでこういう話をしたかというと、
03:03
私自身は最近、なんか人に対して、なんかあんまり優しくなれてないな、みたいなことを思ったと言いますか、
こう、気づかないうちに自分が結構人に対して厳しい接し方をしているというか、
なんか優しくなれてないかも、みたいなことを思ったっていう感じなんですね。
優しさってそもそもなんなんみたいな話もあるわけなんですけど、まあちょっとその話は置いといてですね。
一般的に言う、こう、なんだろうな、柔らかいものの言い方をするであったりとか、
基本的に何か許せないことがあったとしても、ちゃんと対話をする姿勢を持つみたいな、
なんか一方的に、なんだろうな、相手を責めるっていう姿勢ではないっていうことと言いますか、
まあ少し柔軟性を見せるみたいな関わり方を優しさっていう風に、なんかまあ今、私の中では定義してるっていう感じですね。
で、優しさってより思いやりかな、そうですね。優しさっていうのはなんかいろいろあると思うんですけど、
なんか思いやりを相手に持ててるか、みたいな、そういうこともあるよねってヘペロみたいなことと、
一方で相手に対し、なんだろうな、これもちゃんとしなきゃいけないよね、みたいなことをちゃんと言えるみたいなのは、
なんかまあ両方大事みたいな話かなと思うんですけど、まあ両方それがある中で、
なんかこう人とどう接していけばいいのだろうか、みたいなことを、なんかやっぱ思うわけですね。
自分自身がこう、うん、なんかまあそういうこと自分の中であったりするな、みたいな話なんですけど、
まあ結局この二項対立と言いますか、人に優しくしたい、人にというか思いやりを持ちたいっていう話と、
なんかまああの
なんかね、自分を大切にしていることを大切にしてくれなかった相手に対して怒ってる、みたいな感じを両方あると思うんですけど、
なんかもう一個多分付け加えてるというか、ちょっと深掘っていいかもなって、まあこういう時にやっぱりちゃんと深掘ってあげる必要があるなぁと思うのは、
まあ両方なんですけど、先にやりやすい方向で行くと、
まあ怒ってる自分ですよね。なんか怒ってる自分ってなんで怒っちゃったのか、みたいな話だと思うんですけど、なんかあの、
私がなんで例えば時間守ってもらえなかったりとか、あの引き継ぎちゃんとしてくれないことに対して怒っちゃう理由とかっていうのは、
なんかあまりにも、こうなんて言うんですか、
06:01
あー今喋りながら思い出しながらイライラしちゃってるね私ね。よくまあそうですね、そういう感じです。それぐらいの熱量で怒っちゃうんですけど、
なんかあのあまりにもこっちを大切にしてないように見えてしまっているっていう感じの感覚で、
あのこう思ってしまうんですね。
で、それはなんか相手にとってはそうじゃない、そうじゃなかったとしても意識してなかったとか気づかなかったとか、
まあなんかそういうものがあったるんだろうなと思いつつ、なんかそういうふうに感じてしまうっていう感じなんだろうなと思うんですね。
で、感じているからと言って相手をまあなんか正すっていう必要性はないかなと思うんですけど、
ただこう、どうしてやっぱり怒ったのかっていうことを考えると、
もうちょっとね、怒りってやっぱ二次感情というのがあるので、なんか背景にあるのは、なんか
失望ですよね。なんかやっぱり私の中で行くと、すごく本当は大切にしてほしかったなぁとか、
なんかもうちょっと自分の感情についてちゃんと理解してほしかったなぁとか、
時間をやっぱり私にとっても有限であるということを理解してほしかったみたいな話であったり、
引き継ぎに関しては、やっぱりこうなんだろうな、それでわかってほしいって思う、私もわからないからちゃんと伝えてほしい
言いづらいけど、なんか空気読んで仕事しろって言われてるみたいで、ちょっと嫌だなっていう感じ。
なのでこう、そうですね、なんか
こう、やっぱり自分にとって大切にしていることを本当は大切にしてほしかったなぁみたいなこととか、
まあ、あの、思いがやっぱりあるのかなと思います。こうすべき、なんかなんだろうな、やっぱり
それを多分、あの、じゃあ、どうすればいいのかみたいな話だと思うんですけど、結局は、なんか伝えるっていうことでしか、何もこう、
人は人間関係、解消することできないんですよね。解消というか、まあ、なんか、あの、
何だろう、関わりを進展させることか、人間関係を進展させることって多分、伝えることとか、まあ、あの、話、相手の話を聞く両方ですけど、まあ、あの、
関わり続けることでしか、なんかやっぱり、あの、人間関係を進展させることはできないんですよね。で、あの、
今言っていた自分のですね、なんか怒りであったりとか、あの、こう、相手に思いやりを持ちたいっていう状態を、なんか対立した状態で、やっぱり人に関わっていくと、なんかまあ、避けるか、切れるかどっちかなんですよね。避けるか切れるかどっちか。
09:14
まあ、これ、まあ、どっかでおしゃべった気がするけど、避けるか切れるかのどっちかになるので、相手を避けるかね、
あの、で、めっちゃくちゃ切れるかのどっちかになるので、まあ、あの、こうなってくると、やっぱり人間関係というのは進展しないですね。進展というか、後退しやすいと言いますか。
うん。なんか、怒る、なんだろうな、切れてもいいけど、切れてもいいんですよ、ぶっちゃけ。なんか、切れるも一つの進展だと思いますし、なんか避けるもまあ一つの、なんか、まあ、
あの、関係、背作りの関係を構築するっていう、なんか、新しい関係になるっていう感じではなると思うんですけど、まあ、それも一つの手かなと思いますか。
なんか、例えばでも、あの、目の前の人にちゃんと自分が思っていることを伝えたいという視点でいくと、怒りと避けるというのは、あまりやっぱりどちらかというと、あの、大きな進展は出ない。
まあ、健全にはなりにくいよね、みたいな話なんですよね。
で、まあ、だって、相手からすると、なんか、なんで時間守ってくれないんだよ、みたいな感じの、なんか、こう、ことを言われたとしたりとか、あとは、こう、ですね、なんか、引き継ぎしろよ、それぐらい当たり前だよ、と言われたことに対して、
で、どちらかというと、相手の頭に残るのって、怒られたっていう事実の方が、あの、頭に残るじゃないですか、その、例えば言われたこととかでよりも、なんか、どちらかというと、目の前の人の表情であったりとか、声の、あの、トーンとか、あの、めちゃくちゃ自分批判されてるな、みたいなことが頭の中に残って、相手にやっぱり届きづらいんですよね、結果として。
で、うん、避けるはもう本当に極論、私これめっちゃやるんですけど、もういいやって諦めるっていう、もう言ってもしょうがないし、なんか、言われて自分が怒るっていうエネルギーとかも使うのが、もう本当にもったいないと思って、避けるっていう行動を取るわけなんですね。
で、こうなってくると、避ければ避けるほど、相手と自分の間で、なんか、あの、今後仕事をしていくだったりとか、なんか生活をしていくにしても、なんか何も発展しないというか、こう、意味がなくなる、なんだろうな、何も生まないっていうのが、まあ、一つの回答になってくるわけです。
これは別にね、なんか、正直、本当に、なんか、エネルギーをかけたいと思える人ではなければ、なんかぶっちゃけ、なんか、いいんじゃない?って思ったりもするんですけど、なんか、私も、私はそっちのタイプ、なんかどっちかっていうと、そっちで物事を考えちゃうタイプなので、なんか、ただ、一方で、やっぱり大切であったりとか、なんだろうな、なんか、もうちょっと踏みとどまって、
12:13
相手との関係を見たいぞ、みたいな、あの、ことが起きてる時っていうのは、なんか、ちょっと踏みとどまるっていう、踏みとどまって、なんか第三の選択肢を持っていけるといいよねって思ったりもするわけですよ。
まあ、それが結局は、あの、やっぱり自分のこう思いをちゃんと伝えるっていうこととか、あの、話を聞くっていうことであったりするのかな、みたいなことは、あの、思っています。
なんか、まあ、要するに、そういう、なんだろうな、自分のこう感じていることであったりとか、あの、思いみたいなこととかは、あの、ちゃんと表現するということ、表現されているものをちゃんとキャッチするということが、まあ、結局は、なんか、あの、人間関係とか、まあ、他者とのこう、関係の中で、なんか、自分がすごく嫌な気持ちになったりとか、相手との、なんだろう、関係に悩んだ時に、
できることはこれだけだなっていうのを、私は結構思ったりするわけなんですよ。で、なんか、私って基本的に、さっき言ったように、避けるが一番強い人なんですね。避ける。もう関わりたくない。関わりたくないので、関わりたくないが強くなると、何が起きるかというと、いろんな場所を渡り歩いちゃうんです。
で、渡り歩いて、で、自分にの思いをちゃんと組んでくれる人がいないっていう、なんか、現実を自分の中で割と生んでいくタイプなんですよ。そう。で、それは当たり前なんですよ。避けてるわけだから、避けたら、あの、だって相手が本当に思ってた人とかも、分からないし、なんか、分かり合ってその先に、あの、関係を築いていくっていうことがやっぱりできないわけなので、
自分でできない、なんか、あの、深く関係を築くっていうことを自分で避けるっていうことを、なんか、私が自らやってしまうっていうことが、あの、結構あったりするのかなと思っています。うん。何だろう。でも、こう、うん、何だろうな。そう、なんか、まあ、あの、両方だから、踏み留まるか、あの、一旦ここは撤退するかっていう判断とかも、結構必要なんですよ。
必要だとは思ってます。なんか、やっぱり話し合いに応じれるような人ではないとか、やっぱり、こう、環境的にそれを自分が安心を感じてできるような環境ではなかったりすると、なんか、やっぱ、撤退ってせざるを得ない時あるな、みたいなのは私自身も感じるんですよ。
だって、もう、安心感じて話せないとか、あの、もう圧倒的に侵害されるっていうのが分かっている環境であれば、やっぱり、こう、ここは撤退せざるを得ないな、みたいなこととかは全然あります。なんか、やっぱりそれも一つの、こう、あの、判断軸として持って、なんか、だから、人間関係をそのまま発展させていきたいかどうかですよね、その人たちと。
15:22
なんか、あの、割と大事だなって私はそれ思ってまして、なんか、あの、うーん、最近私もちょっと踏みとどまったんですよね。なんか、踏みとどまってみてよかったなと思っているところがあって、うーん、なんだろう、昔だったらやっぱり、なんか、避けるで終わっているところを怒りとかでも表現して終わっているところを、なんか、比較的、ちゃんと、ちゃんとではないけれど、
一旦踏みとどまって様子見るみたいなこととかができたな、みたいな感じ。で、気付いたら、まあ、ちょっと環境は良くなってきたみたいなこととか、まあ、関係性良くなったかな、みたいなことも感じることも、なんか、なくはないというか、うーん、
なんか、踏みとどまるって意外と大事なんじゃない?っていう話なんです。だから、まあ、でもさっき言ってた自分に対する思い、えーと、自分が、なんか、されて嫌だったこととかを、あの、そのまま放置するっていうのはしない方が良くって、かつ、あの、相手を、なんか、攻撃するっていう選択も、なんだろう、
一旦、なんか、踏みとどまって考えられると良いよね、と思ったりするんですね。
うーん、ちょっと、なんか、今日も結論が上手く出せなかった気がするけど、ちょっと、もうちょっと、あの、この辺りを引き続き話していきたいなと思います。
ちょっと、なんか、あの、私の場合、なんか、思考がこう、分散しちゃうので、あの、いろんな話しちゃうと思うんですけど、もうちょっと、なんか、話す練習としても、この場を使っていきたいなと思ってまして、ちょっと、そういうのも、
ですね、あの、ちゃんとお付き合いいただける方は是非、なんか、気遇な方は是非、なんだろう、あの、お話ですね、付き合っていただけると嬉しいなと思ったりします。
はい、という感じで、はい、今日も聞いていただいてありがとうございました。
由美でした。