00:04
Lyustyleの知的迷走ラジオ、第52回目のきょうは、発想の仕方回です。
対話による質問の中から生まれたびっくり行伝の発想についてお話しします。
皆さんは、ラスコーの洞窟ご存知ですよね。
2万年もの前の人が描いたとはとても思えないような見事なうちの絵。
初めてあの絵を発見した人たちは、どれほど驚いただろうかなと思いますよね。
今日は、ラスコーの洞窟に関わる発想についてのお話なんですね。
数年前、ラスコー洞窟展という素晴らしい展覧会が日本中回っていたんですが、その頃のお話なんです。
私も3年前、九州国立博物館で行われているラスコー展に行って、色々と妄想をしていたんですよね。
それをメルマガの方に描いたんです。
何かというと、あんなに深く光も入らない場所、張って入らないといけないような区域に、何でわざわざ絵を描いたのかという話なんですよね。
そこから妄想していって、当然、普通は見せようというよりも、自術的な意図から、描くことそのものに意味があったのだという説がおそらく有力だろうというふうに思うんですね。
なるほどなと。
ところがね、私の場合はここから妄想が炸裂するんですよね。
いやいや、これはやはり見せようと思って描いたもので、ラスコー洞窟は観光客相手に作られたシアターかお分け屋敷だったんだ、という妄想なんですね。
2万年ほど前の人たちですよね。きっと牛の皮一枚とかね、そんな木土船を払って洞窟に入って楽しんだに違いない。
ラスコー壁がそのために描かれたんだと力説したんですよね。もちろん妄想ですよ。
ちょうど2万年ぐらい前というのは、いわゆる大改新というかね、海面がどんどん上がっていって、
今は海面近くの都市とかね、ああいうのは実は2万年ぐらい前は結構高い山の上のような位置にあるわけですよ。
つまりね、今の海の海底にはですね、かつての都市だとか文化とかがたくさん眠っている可能性があるという、そういうようなことが前提なんですが、
2万年ぐらい前にね、海の近くに栄えていた町とか文明とかね、そういう人たちがね、山の上の方にね、ある自然いっぱいのラスコーというところに行って、
あそこへ行ったらなんか面白いものがあるらしいぞと、洞窟の空の方になんかすごい絵を描いているのを見せてくれるらしいぜみたいな感じでね、みんなで出かけて行って、
03:05
そしてそこの中をね、牛のカードが払って、見たに違いないというね、そういう観光客の相手に作られたと。
で、その頃の文明というのは全部、もう海の底に沈んでしまってね、大海浸入でね。
今は山の高いところにあった洞窟が、あたかもね、その洞窟だけが残っちゃってというようなね、そんな妄想をさくらさせたんですよね。
まあ、あのですね、するとですね、次のようなツイートを当時いただいたんですよね。
ラスコーの洞窟に絵が描かれた時代というのは、自分の描いた絵を誰かに見せるという意識はあったんだろうかという、そういうことを質問していただいたんですよ。
ここからね、発想がさらに広がるわけですね。面白いなと思ったんですね。
そもそもですね、描いた絵を人に見せるという感覚が当時の人類にあったのだろうかと。
ラスコーの洞窟の絵の描かれ方からするとですね、見せようなんていう気はなかったと言えるのではないかというのがね、だってあんな張って描かないといけないような真っ暗なところをわざわざ松明つけて描いたんですからね。
見せようというような気があるなら、そのとこ描かないんじゃないかというのがね、それが当然の機決であるかのように思えると。
ところがですね、私は少し違った見方をするんですよね。いやいや、彼らは絵を見せたいと思って描いた。これです。
でね、対話による質問というのがね、いかに面白い発想を引き出したのかということについてね、今お話をしています。
さてですね、あんなに暗くて行くのにも苦労するようなところに描いてあるのにね、どうしてその絵を見せたいと思って描いたと私は言うのかなということなんですね。
それはですね、彼らがね、サピエンスだからです。
当時サピエンス全書を読んだんで、サピエンスだからとか言ってるんですけどね。
つまりですね、私たちは行動のかなりの部分で遺伝子のプログラムによる自動運転が行われているという、そういうようなことを考えているわけですね。
私はよくオートパイロット、オートパイロットと言うんですかね。
そのオートパイロットのためのプログラムによると、私たちって生まれて1年ほども経ったら、誰からも教わらないのに鉛筆を持ったらてんてんとね、打ち始めるじゃないですか。
で、そのうちぐるぐるぐるぐるやり始めて、ある日ね、丸を描くようになるんですね。
だいたい全世界の子供は3歳ぐらいまでね、丸を描くようになるんですね。
その丸を指してね、タータンとかね、カーヤンとかね、言い始めるじゃないですか。
それってね、感動的な日なんですよね。突然の日なんですよ。
全世界の子が教えられもしないのに、そういうような行動を行うんですね。
そうなるとね、すぐに丸の中に点が打たれ始めて、人の顔に近くなっていくんですよ。
06:00
顔から直接手足が生えて、明確にですね、物語がね、語られるようになると。
見たことあるでしょ?丸に目鼻が描いてあるの。
だから直接手足が生えている。
あれ、島足人って言うんですけどね、全世界の子たちが描くんですよ、あれね。
おそらく何万年も前からずっとそうなんですね。
でね、誰からも教わらなくてね、サピエンスっていうのはここまで自動運転で来るんですよ。
で、その自動運転にはですね、見てみてと。それもセットとして含まれているんですよね。
見てみてと言ってくるでしょ、子供たち。
私たちサピエンスっていうのはね、何かかかわざるを得ない遺伝子というのも持っていて、
そして同時にね、何か描いたら見せずには折れない遺伝子を持っているんですよ。
だからね、ラスコーのクロマニオン人たちもね、私たちの直接の祖先であるから、
同じ遺伝を持っているんですよ。同じ遺伝子を持っているんですよね。
で、彼らはですね、今の人たちと変わらない風貌で、仕草と顔つきも同じなんです。
昔の2万年も前の人だからといってね、お猿みたいな感じじゃないんですよね。
もう全く今の人と同じなんです。
行動の仕方とかね、感じ方とかもね、全く変わらないんですよ。
もちろん考え方とかはね、時代や環境によってね、変わりますね。
それは人間がコントロールする部分だからね。
だけどね、基本的な感じ方とかね、変わらないんですよ、全く。
で、彼らはですね、もうあれほどの絵を描いた以上、絶対それ誰かに見せたかったんだというのがね、
私の思いなんですね。だってサピエンスだからという。
でね、ここでね、見せたいという思いと、じゃあ見せようとはちょっと違うということなんです。
ラスコ人たちはですね、遺伝子レベルではね、せっかく描いてあれほどの絵っていうのをね、きっと誰かに見せてもらいたかったと思うんですね。
でもね、見せようと、じゃあ見せようと、実際に行動を決めるのはね、これは健在意識で人がコントロールしているわけです。
それはですね、属している文化によってね、左右されるんですよ。
もしね、ラスコの人たちの文化がね、この絵は描くことに意義があるのだ、人に見せてはならんという文化に属していたんだったら、彼らは見せたいなぁと思いつつも、見せないという行動をとらざるを得ないんですね。
で、遺伝子のプログラムによるね、オートパイロットからマニュアル運転に切り替わるんですよ。
彼らはあれほど奥深くね、それも果てまで行かないといけないような真っ暗な場所にね、あれほどの絵を描いたということは、やはりこのような状況を仮定せざるを得ませんというふうに思っているわけです。
すなわち、見せたい、でも見せない、でも見せたいっていう感じですよね。
で、これらの絵が描かれたね、やっぱり状況から見たらね、彼らは見せない文化に属していたんだろうなぁと。
でも、同じ時代に生きた、同じサピエンスであるね、オーストラリアのアボリジニ、彼らは違うんですよね。
09:03
彼らはね、自分たちが獲った魚をですね、何万年という長い時間かけてね、メインギャラリーと今は呼ばれている、大きな壁に描き続けているんですよ。
だって、数万年前のバラマンディという魚ですね、豊富に魚が獲れたんですから、それをどんどん描いていると。
ところがね、同じところにライフルが描いてあったりするんですね。
それその2万年くらいの間に渡って、連綿と同じ壁にね、魚が描き続けられてきているんです。
これはね、圧巻の眺めですね。
20数メートルもあるような岩の壁にね、悠久の時の流れ、それを越えてですね、彼らの、
今日はこれ獲ったぞーとかね、どうや、俺はこれだけの獲物を仕留められるんだ、すごいだろうとかね、
私だってこんな魚獲ったんだから、というような声とともに、おびったらしい魚たちが描き重ねられているんですよ。
獲った、描きたい、見せたい、どうや、とかね、そういう重い気持ちに基づく何万年に渡る行動の積み重ねですよ。
でね、そこ紛れもなくサインが添えられていたんです。
見たことありません?ハンドプリント。
プッとね、手を岩に置いて顔料をプッと吹きかけることによって、周りにね、顔料だけが吹き付けられて、手の型だけが残っている。
あれハンドプリントって言うんですよね。
で、まあサインかどうかわからないですけど、でも自分というものに残そうとした気持ちの現れということはね、それは伝わりますよね。
まあ私もそのハンドプリントを初めて見たときにね、
はあ、2万年前の人の手がそのまま残っているんだなあって、骨とかじゃなくて、骨じゃなくて、行為そのものがそのまま残っている。
その下にちっちゃなね、ハンドプリントも残っていたんですよ。
子供もね、一緒に真似したんだなあって。
変わらないんだなあ、今とってね。
そういうことを思ったんです。
だからね、アボリジニたちは、ラスコの人たちとは違って、見せる文化に属していたんだと、そういうふうに思ったんですね。
見せない文化と見せる文化ということです。
実際のところどうなるかというとね、当然これはね、私の妄想ですよ。
高校学者とか歴史学者とかね、文化人類学者とかそんな専門家じゃないんで、まあ妄想してしかないんです。
でも人間の行動という面から考えたらね、遺伝子による潜在意識化における自動運転というのは当然ありますから、
まあ上の妄想はね、穴勝ち妄想とは言えないかもしれないなと思うんです。
だとしたらですね、さらなる妄想もそこから付け加わるわけですね。
メルマガで当時書いたラスコは、古代のお化け屋敷もしくはシアター説なんですね。
そしてね、その洞窟の周りで売られてきたラスコおまんじゅうでありね、ラスコおせんべいですね。
面白いと思いませんか。
12:00
えっとね、この思考の実験なんですけどね、これっていうのはね、
まあ私は日頃、美術教育に関する研究をずっとやってきたんで、日頃から考えてきていたものをメルマガで形にしたんですけどね。
ところがね、それにメルマガによるって思っていることを私がまず投げかけて、それに反応してくださったことからね、
見える文化、見せる文化、見せない文化というところまでね、自分の考えが進んでいったんですよ。
まあ対話から生まれたということですね。
まあその対話がなかったらですね、妄想のまま頭にあるだけで、
まあ見せる文化、見せない文化のところまでね、考えは進んでいなかったかもしれないですね。
だから人と話をするっていうのはとってもいいことですよね。
自分のね、頭の中にある面白さの種っていうのはみんな持っているんですが、
それがね、顕在化させるっていうのはね、言葉にするときなんですよ。
ですからね、対話によってね、お互い良い質問を与え合うというのはね、
アイデアをね、たくさん自分の中にある種を孵化させて、
種を孵化させるってのはおかしいね。
種を発芽させて、良いアイデアに顕在化させていく、とても良い方法だと思います。
はい、いかがだったでしょうか。
つまるところ、良いアイデアっていうのは、お互いに良い質問をし合う中から生まれるというね、そういうことだなというふうに思います。
それではまた。リュースタイルでした。