1. パズルの話半分
  2. #7 迷路から広がるグラデーシ..
2022-08-12 21:29

#7 迷路から広がるグラデーション

以前に紹介した本に、過去回の内容とつながる話題が出てきました。迷路の周辺には面白い広がりがあって……。


トピック:

●『迷宮と迷路の文化史』

http://www.tokyodoshuppan.com/book/b599341.html

●迷路・迷宮に求める五つのこと

●パズルナッツとの関係

●自然の道が迷路になるとき

●意図が必要かどうか

●コンテンツ自体は変化していない

●数学かパズルか

●トリッキーなパズル

●パズルとしての迷路

●迷路・知恵の輪・組木

●位置と経路

●手数を考えるということ

●キャストクロスとの関係

●手を持ちかえる?

●分野どうしのグラデーション

●作り手のヒントにもなる

●パズル批評の道具立て


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00:02
なかやか前に、「迷宮と迷路の文化史」という本について、少し話したんですけども。
はいはい。
またそれとは別に話したことと繋がるような話題が出てきたので、ちょっとそれについて触れてみようかなと。
はい。何でしょう。
この本自体は脈本なんですけども、元々は迷宮とか迷路の伝説的な話とか、お庭に迷路を作るとかですね。
最終的に迷路迷宮って言っても、いろんな作り方があるよねとか、考え方があるよねとか。
そこの中でですね、迷路迷宮っていうような言葉を、どのように用いるのが妥当なのかなっていう議論というか考察が出てくるわけなんですね。
はい。
で、実はそこにこの前、パズルナットツリーっていうのがありましたけど、自然のものってパズルとして見ていいのかとか、糸が入るかどうかみたいな話が出てくるんですよ、面白いことに。
そこでちょっと述べられてることが大体5つぐらいあるんで、ざっと簡単に言っちゃいますと、迷路迷宮っていうのは、まず一つ目が人工的な作品に限定すべきだと言うんですね。
で、その自然の迷宮みたいなものはちょっと除外して、自然物に何か使うような場合は、あくまでなんとかの迷宮みたいな、皮膚だと考えるべきなんじゃないの?
で、2番目は目的の要素があるべきだって書いてあるんですね。
小さい子、幼児とかにペンでも何でも持たせたら、クレヨンでもいいんだけど、いたずら書きするじゃないですか、ベアっとね。
で、それがあれ?迷路の形をしているぞ。あ、迷路を作ってしまった。で、そういうふうに考えたりとか。
ハエの足にインクをつけて、ちょっと髪の上を歩かせると、あれ?なんか迷路みたいな模様ができたぞっていうような、偶然の産物はとりあえず除外しようねと。
目的なしにたまたま作っちゃったみたいなのは、ちょっとそれは迷路迷宮とは違うんじゃないですかっていうような話をして。
その程度問題とはいえ、なんか複雑さがないといけないよねっていう話をするんですね。
で、残り4つはあんまりそうだろうなって内容なんですが、各部位は連結すべきみたいなこと書いてあって、要は経路は全部繋がってないと迷路とか迷宮じゃないよねと。
もう1個は内部と外部も連結する。つまり入ったり出たりができないとダメだよねっていうような言い方をしてて。
残り2つなんかは要は繋がってないといけないってことなんで、それは迷路迷宮としてはそりゃそうだろうっていう感じがするんですが。
これって実はパズル一般にも適応できる、言えそうな話で、偶然できちゃったものとか、この前の木の実。
パズルなんですけど、作ったものっていうか創作物っていう意味ではないので、どうなのかなっていうのはわかんなくもないというか。
そうですね。木の実みたいなものは、そういうのはいっぱい例がありそうですね。自然にできてるけど、いざ人間がやろうとすると戻せないみたいなね。
03:03
そうですね。
迷路って私は本当に人工的に作るものだと思ってましたけど、確かに道、勝手に迷ったら一気とはしないけど、勝手に迷うってことはありますよね。
例えば今のでいくと、簡単な道だけど迷ってしまったみたいな感じで、ただの公園に行くまでの道であるけど、そこを例えばなるべく早く行ってみようとか、なるべく長く行ってみようってのはないかもしれないけど、
こことここに寄ってから必ず行こうとかですね。そういうふうに考えると、自然の道で別に糸なく作ってあるものでも、遊び方に糸があると。
作ってはいないんだけど、遊び方が。もちろん遊んでる時点でその人が問題を作ったのだという見方もできると思うんですけど。
そのもの自体を作った作らないでいうと、糸はないんだけど、でも遊ぶときに糸が出るっていうこともあるよなと思ったりだとか。
ありますね。最短の道を見つけようなんていうのはまさにそうですよね。
あと、長い道っていう、目的地をいくつか回ってとかね。
それもありますね。
全部の道を通ってみたいなのは、後からつけるね。
そうですね、それは問題に糸がある。
そういう考えると、神奈川市はこの迷路、迷宮の話をしてるんでパズルいっぱいに適用するかどうかは別なんですけど、そこはなかなか変わってくるのかなという気もしました。
なるほど。
あと似たような話になるのか、ちょっとずれるかもしれませんが、よくこれはただ単に数学の問題だと思っていたものが、あるときこれパズルだなって感じることもあったり。
逆にですね、パズルなのかと思ってやってるうちに、これはただの数学の問題なのでは?と思うものもあるでしょうと。実際のところですね。
これってもはや何なのかって考えると、人によるんですけどね。人によるし、僕はそう思っても皆さんはそう思わない場合もあるし、僕の中だけでも気が変わって変化することもあるんで。
そう考えると、コンテンツ自体は実は問題なのかパズルなのか、数学なのかパズルなのかっていうコンテンツ自体は変化してないのに、パズルか否かっていうのが変化してるって考えると、もうこれ受け手の問題なんだよなっていう。
この前の話に戻るんですけど、そういう面がやっぱりなんだかんだ言ってあるなってちょっと思ったんですよね。
なるほど。
僕はなぜか数学科にいたことがあったんですけど、その時に指導教官の先生に、パズルっていうのを君はやってるようだけど、なんか僕らのやってる数学とは違うねってなんとなく言われたことがあるんですね、何気ない時に。
06:15
違うと違う、そうかもしれませんねみたいな感じで適当にごまかしたんですけども、なんかその人にとっては違うものに見えたんだなとか思うわけなんですよね。
どういう意味で違うと思われたのかな。
そこもちょっと聞けばよかったなと思うんですけど。
でもやっぱり同じ問題見てても、数学として見る人とパズルとして見る人がいるのかな。もちろん同時にというか、どっちでもあるっていうものもたくさんあると思うんですし、いいんですけども。
その問題自体がどうこうっていうよりは受け手によって結構変わるよなっていう。
すごい簡単なパズルでも小さい子には難しいじゃないですけど、そういうどうやるかというか、遊び手によってそのものが変わって見えるっていうのはあるよなっていうのがなんとなく思ったんですよね。
そうですよね。何だろうね。数学がやたらできるから難しく考えちゃってできないような問題とかも例が思いつかないけどありますよね。
そうですね。有名なのだと余計な情報をつけることで数学的に解くのかと思ったら別に全然そういうもんじゃなくて、大胆な的に解けるとか、そういうのもありますよね。
なんかね、トリックが隠されてるとかね。いじわるなとこが。なんだろう、ペントミノのパズルみたいなの、平面の上がありますよね。
あれも真四角だと思ってたら単位がちょっと縦横比が違って90度逆にしたら解けるんだけど、そうしないと解けないみたいなの。
ちょっと微妙なトリックを入れてると、数学できる人はこれは何単位あるから答えは何かける何だよねみたいなのを先に計算しちゃって、絶対こうなるはずだと思ってやってるとちょっと実はサイズにごまかしがあってその通りにはいかないみたいな。
そういうのって数学とかそういう計算ができる人ほどそれにはまってしまってできなくなるっていうのがありますよね。
ありますね。一方でそういうのが逆に分かりすぎて、これは何だと縦横が違うからどうこうって計算しすぎてポンパッとやっちゃうと、なんだこれは別にパズルじゃなくて数学の問題だなっていう立場すらあると思うんですよつまりね。
09:00
物の問題というよりはやっぱりその受けてって言ったらいいんですかね。例えば数学の問題の見せかけて実は言葉の問題でしたみたいなパズルとしてはあり得るわけじゃないですか。
ありますね。
なんだよ計算じゃないのかとか例えばなんだこういうそういうこと言ってるんじゃないのかとかダジャレかみたいなことだってあるわけで、それをなんだこれはパズルじゃないなっていうことももちろんできるし、
言葉の遊びをパズルと切り離すかどうかまた難しいですけども、どうとでもなるってことはやっぱり結構人間の方に理由があるのかなってどうも思ってしまうんですよね最近はね。
あと最初のこの迷路の本からだいぶ離れちゃってますけど、やっぱりこの本自体も結論明確なことを言ってるわけじゃないんですよね。
すごくそんなに新しいもんじゃないので、まだ全然現代ではこの人がちょっと誤解してるなんていう注釈もあったりしますし、まだまだこの先迷路の本を読む人はこの本以外もいろんな本を読んだ方がいいと思うんですけどね。
ちょっと私その本読んでないからわからないんですけど、それってなんか文化史だから歴史的なこととか。
そうですね。
一応迷路と迷宮の歴史とか、またわからないですよ、宗教的なものがあるとかそういう背景とかも書かれてるんですか。
あんまりちゃんと偉そうに語るほどきちっと頭に入ってるわけじゃないんですけど、もともとこのマシュウズって人が書いたこの本自体は古典的な名著っていうことで知られていた迷宮の本だったんですけど、もちろんその当時までですよね。
その迷路の歴史とかもちろん、なんとなく前半読みにくかったんですよね。
読み方って事実の来列が多いっていうのもあって、なかなか覚える必要はないんですが、いろんな話が出てくるなって。
その中にもちろん歴史のこととか、こんな逸話とかこういうところが出てくるとか、こういう側面があるって中にもちろんパズルじゃない文化史ってくらいですからね。
今言ったようなオカルトミュートの部分も含めて、いろんな面があるよねっていうこともあるんですね。
こういう解釈されてるとか、そういうのももちろん出てきます。文学狂言出てくるとかですね。
後半になってくると、実はパズルおもちゃとか変わるところとかも少し述べられてたりとか。
パズルについてもちょっとあるんですね。
出てくるんですね。迷路の形になってるパズルおもちゃ。
それはね、いっぱいありますよね。
パズルおもちゃとしての迷路っていうのもちょっと出てきたりとか、パズルの作り方みたいな話も少し。
あ、パズルじゃない。迷路の作り方みたいな話も出てきますね。
知恵の輪なんて、いろんな種類あるんですけど、基本的には迷路みたいなものですよね。
12:01
ずっとたどっていて、ピースの分かれ道があってどっち行くかみたいな迷路的な、いろんなところを通らないと出れないっていうのは。
一体の迷路みたいなものって言ってもいいですよね。
これまたね、知恵の輪とか迷路とか組み木とかそのあたりは、僕の中ではあんまり線引きできないなみたいな面白さがあるんですけど。
じゃあはっくり言うと僕はパズルだったら大体2種類に分かれるなっていうのはパズルおもちゃ特にですね。
分類がたった2つですか。
言ってしまえば結局。
位置を問題にするか経路を問題にするかって感じなんですよね。
もちろんここに収まらないんですけど。
ざっくり言えば微妙な周辺分野とかはどうなるんだとかあるんですけど。
かなり強引に解釈すると位置を問題にするか経路を問題にするか。
簡単に言うとポジションなのかルートなのかみたいなことなんですけど。
でもそれをもっと抽象化すれば結局はポジションの問題ってなっちゃうんですよね。
それぞれの瞬間瞬間の。
だからポジションに対して時間を問題にするか問題にしないかって言ってもいいのかもしれないですけどね。
順番で言うか。
そうですね。
そういうふうに言ってもいいのかもしれないですけど。
そう言ってもいいですね時間が。
そういう意味でいくとまさに知恵の輪っていうのはルートファインディングって言うんですけど。
経路を考えるものって見ると迷路と知恵の輪っていうのはその意味では区別がつけられないんですよね。
もうちょっと一個一個いわゆる手数って言いますけど。
そういうのを考え出してくると今度組織に近くなってくるんですけど。
同時に組織はポジションも気にするんですよね。
どの位置にはめるかみたいなのがあったりして。
空間的というかね。
そういうの総合関係もあったりするんですけど。
そこら辺を考えていくと結構面白いですよね。
特にだいぶ雑然してついでに言っちゃうと迷路関係で。
迷路って何手ってパズル方面で数えないんですよね。
この迷路は何手で出てるか言えないかもないけど。
その一手って何なんですかみたいな。
そうですね。手数でパズルって結構言うけど迷路とか。
言わない。知恵のはもう僕の認識ではあまり手数を問題にしないですね。
ところが似たようなので組織とかスライディングになるとやたら手数を言うというか。
そうですね。
特にスライディングは1個のコマを連続して動かしているうちは1手を数えるという風習みたいになってますけど。
15:02
ありますよね。
この手数が出る出ないの境目あたりに何か迷路とか知恵の和と組織化なんかを分ける間があるのかなと思ったりもするんですけどね。
なんかそのデジタルとアナログというか飛び飛びでカウントする必要があるのかないのか。
まあなんかあるんでしょうね。
結局連続化、離散化みたいなところの関係だと思うんですけど。
そういう認識の問題なのかなと思ったりしますね。
ただこれも微妙で、組織と知恵の和の間みたいなものがまさにエイジさんが作ってるわけですよね、クロスっていう。
キャストパズルに限らずああいう組み合わせるものは遊び方として組織なのか知恵の和なのかって言われるとどっちでもあるようなどっちでもないような。
でも知恵の和っぽいって言ってるだけであって別に手数を見るかもしれないですね。
手数って何だろうね。ピースがたくさんあるとそいつらを動かすのを手数って言っちゃうんですよね。
だから私のあれにピースだから一つを土台と考えるとやっぱり知恵の和ですよね。迷路ですよね。
そうしたら複数ピースある知恵の和でどっちかをどっちかの状態にしながら別のを動かすって言うとちょっと手数のようなものが発生するとちょっと組織っぽい感じ。
組織はやっぱりピースがたくさんあるからそれを持ち替え、違うピースを動かす時を手数って読んじゃってますよね。
手の数ですからね。実際に持ち替えるんでしょうね。そうすると迷路は持ち替えないから一手なんですか?って。
それもなんか強引なわけね。そんなわけないんだけどなんかこうちょっと引っかかってくると思うんですよね。
まあ面白いですけどね、こういう議論。
そうですね。やっぱり2ピースの知恵の和は基本的には迷路かな。
複数あるといろんな要素が絡んできてそれがだんだんピース増えてきて組織寄りにだんだんなっていくのかな。
あとは回転とかいろんなものが入ってきたりスライドだけでいったりですよね。
そうするとやっぱり遊び手の手の問題というか遊び手の問題になってくるっていうね。
この辺が僕は手変えないけどなって人が万が一出てくるとおっとこれはどうなんだみたいなことになって。
もちろん一般的な話をしてるんだって言われたらそうかもしれないですけど。
結構ここら辺って僕ら組織とか迷路とかスライディング知恵の和といったように何か分野差も分野があるようにあるんだけど、
18:00
まあなんとなく区切ってもちろんみんなそれぞれに共通の認識をなんとなく持ってるわけなんですけど、
よく考えてるとこのそれぞれのくっついてる近いところってのがモヤモヤモヤーっとして面白くなってるんですよね。
なるほど。組織から迷路までの間のいろんなグラデーションがあるのが今なんとなくわかりましたね。
そのグラデーションは別にきっかりする必要はないんですけど、そこにグラデーションがあるよねっていうところに気づくというか。
そこに目をやるとまた新しい、わかんないけど面白いことがあるような気がして。
そこら辺は昔からなんとなくモヤモヤして、久々にというか初めてかなこんな風に話したのは。
なるほど。
初めてかもしれないですけどね。そういうのがあるなと思ってですね。
なるほど。やっぱりそういうグラデーションがあるからやっぱりジャンルを分類するって難しいのはそういうところもありますよね。
分類論とかそういうのは二大分類とかいろいろ謎の面白い世界もあるんで、障害できたらいいかなと思うんですけどね。
そこら辺のなんかこう探ってみると結構面白い。作る人にとってはまた面白い世界。遊ぶ人にとっては多分面白い世界があると思うんですね。
なるほど。
そういうのはちょっとたまたまこの迷宮と迷路の文化誌、東京都出版が出てますけども。
この本で改めて気遣わされたというか、そんな一冊でした。
はい。
他にもね迷路のいろいろあるんで、なんかあると思うんで、ご感想というか面白い話題があればお便りフォームに送ってもらえればいいかなとか思うんですけどね。
あんまり迷路とは興味ないかな皆さんどうかな。
いやでも今ね迷路から組木へのグラデーションがあるっていうのは非常に面白い話で、作る側もね迷路っぽいものから組木っぽいもの。
この中間のこの辺の位置のものがあんまりないなと思ったら、その目線で作るとかね。
なるほどね。
これとこれの真ん中辺はいっぱいあるけど、もうちょっと迷路寄りの作品ってあんまりないよね。
そこを少ないジャンルを目指して開発するとか。
そうですね。
なんか逆のパターンですけど、ちょっと新しい、こういうものはないよねっていうのに気づくかもしれないですね。
そうですね。
世の中にこういうポジションのものってないですよね。だから作ってみましたみたいな。
いいと思いますね。
できそう。
だから作る人の道具にもなるし、あんまりないかもしれないけどパズルを批評、批判するっていうか批評するって言うんですかね。
それについて述べるっていうところの道具立てになるかもしれないなとちょっと思いましたね。
そうですね。そういう指標というかね。
はい。
ラベル付けにそういうのを使うと面白いですね。
そうですね。なんかうまく面白く述べるというのがあればいいかなと。
21:03
そんな感じでした。
はい。いいですね。ちょっと新しい発見があったような気がします。
今回はその辺りにしましょうかね。
その辺りにしましょうか。
はい。どうもありがとうございました。
はい。ありがとうございました。
21:29

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