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2025-11-30 09:12

世界最大の青銅鏡 伊都国(糸島)平原遺跡の被葬者は女性


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サマリー

伊都国の平原遺跡では、世界最大級の銅鏡やその出土品から弥生時代の女性の王に関する重要な情報が得られています。この遺跡は古墳の被葬者が女性であることを示しており、古事記に関連する神話の形成にも影響を与えている可能性があります。

伊都国と平原遺跡の紹介
今日は11月30日です。日曜日なので終日レビューを行った後、フラットドライブに出まして、
今日はですね、いつもの弥生の風公園から山一つ越えて西側、伊都国の方にやってきました。
伊都国って言ってるんですけど、糸島ですよね。そこが2000年近く前は伊都国と呼ばれていた非常に豊かな場所だったわけですね。
今、僕がいるのは平原遺跡というところの駐車場なんです。周りが広く開けていて、右には、カノオ岳とか、日向峠とか、
北には、伊都島の山々が今見えているところなんですけども、昔はね、木々とかもこんなにないだろうから、
遥かに見渡せていたところなんだろうと思うんですけどね。この平原遺跡というのが非常に身近なところにあるもんで、あまり感じないんですけど、
実はここは超有名でですね、世界的にもすごい場所なんですね、ここはね。なぜすごいかというと、
この平原遺跡の1号墳というところから、世界最大級の銅像が5枚も出ているからなんです。
そのうちの1つの内光化紋鏡という、46.5センチもある超巨大な鏡ですね。
これが、いわゆる異星人群に置かれている工室の3種の人気のうちのやたの鏡。
それは、何ですかね、公開されていないので、どんなものかというのは一般の人は知らないんですけれども、
ただその記録されているものと非常に近い大きさとか模様とかをしているということで、
いわゆるここで発見されたこの世界最大の鏡、これが当選ということで、
大和朝廷が東の方へ行って、奈良で打ち立てたんですけど、それと同じもんだろうというようにね、原田大祿氏が言われているんです。
当選説が正しいかどうかというのは別にして、異星人群にまつられている3種の人気とほぼ同じものがですね、
この伊都国から出ていると、それが世界最大であって、実際に見られるものとしては世界最大であると。
実際にそれが今でも見られるというのはですね、やはり特筆すべき場所ですよね、ここはね。
さらにですね、ここの鏡というのの出土量がすごくて、この伊都島の、ここの伊都国ですね、
この今の見ている平原遺跡、ここに合わせて、伊都国のね、いくつ、4つぐらい今発掘されているんですよ、古墳からね。
それらが全部こう合わせるとですね、100枚以上になるんです。
世界最大の銅鏡の発見
今の平原遺跡でも40枚出てて、40枚も出てるんですよね。
で、他のも20枚とか30枚とかそんな数が埋葬されていて、全部合わせると百数枚になるわけです。
で、大和大国の一つ前の那国、この那国が博多の辺の、僕たちがよく言うすく岡本遺跡というのがあるんですけど、
そこが那国に今のところ否定されているんですけれども、そこでもですね、何枚かしか出てないというような状況の中で、
この伊都国だけとんでもない量が出ているわけですね。
で、さらにその大きさたるいは世界最大ということで、大和朝廷下の古墳でもそれだけの数の同居というのは出てないわけですね。
そうするともうやっぱふっと考えるとですね、ここ大和大国だろうって思ってもいいんじゃないのってやっぱ思うわけですね。
で、ここの被葬者、この最大のですね、王母の被葬者は女性なんですよ。
あまり武具はないんですね。いや、あるんですよ。武具も魔形もあるんですけど、三種の神器ちゃんと揃ってるんですね、ここね。
揃ってるんですけど、そんなにたくさんその棺の中にはなかったんですよ。
さらにピアスがあったんですね。それでここは女性だということがわかったわけなんですけれども、
それが最盛期の古墳に収められた女性の王様だったということなんですね。
そういうことから考えると秘密王でいいんじゃねというふうにね、やっぱ思ってしまうんですけど、
ここの古墳というのがいわゆる大和大国の時代から100年ぐらいちょっと前なんですね。
そういう意味ですぐに否定はできないんですけれども、原田大祿氏はですね、
これは玉寄姫じゃねえというふうに言われてますね。玉寄姫というのは、いわゆる天寺総みたみのことなんですよ。
ここでここの女性というものから生まれていった者たちが大和の方へ統制にして、
そこでもう一度政権をきちっと組み直して日本全国へというような形になった。
その大元の先祖である女性じゃないのかと。今でこそ天寺総みかみってすごい祀られ方をしているけれども、
現象、非常にやっぱりこの素朴な形でこの辺の王様だったんじゃないのかというようなね、そういうような言い方をしています。
神話と古事記への影響
この平原遺跡にですね、鳥居の跡があるんですけど、そこから見るとですね、毎年同じ時期、
10月の20日頃の同じ時期にですね、日向峠、日が向くと書いてね、日向峠、いわゆる広賀ですよ。
広賀という峠があるんですよね。私たちは日向峠って言うんですけど、ここにですね、綺麗に日が昇るんだそうです。
見事にね、それが綺麗に古墳を照らす形になっているということで、そこの日向信仰というのと非常に関わりがあるんでしょうね。
ちなみにそこの近くには高知穂とかね、串古竹というような、いわゆる高知穂の方にあるような地名というのがまだ残ってましてね。
それで非常に古い形態の時代のですね、素朴な神話の時代、神話の時代というより弥生時代後期ですね。
その頃のものが古事記というものの中にうっすらと出てきているんじゃないかなというように思いますね。
なので古事記というものの原初形態というのはこの畜生のですね、この辺りの土着のこういうような一つのところに残されていた記録が
だんだん大和朝廷の記録の中に古事記として含み込まれていったということの方が自然なんだろうと思うんですね。
昨日、織戸というところに行ったんですけど、これ橘の織戸という名前で、全国の神社に橘の織戸に、戸とか戸とかというのり戸の中に出てくるところなんですよね。
そこは神宮皇后であるとかそういう方々とのなじみが深いところなんですけれども、そういうところですよ。
なのでそこも昔のこの辺りの民話的なものが取り込まれていったというようなことを考えたらいいと思うんですけど、
福岡の私が非常に近いところにある飯盛神社というのがあって、弥生の架積公園からよく見える三角のご飯を持ったような形をしているので飯盛って言うんですけど、
そこにある飯盛神社というのは弥生頃のやっぱり紀元があるところみたいですね。
面白いのがイザナミの御徒を祀っているんですね。これは国有名神話の二柱の神のうちの一つです。
じゃあイザナミはどこかというと、福岡市のちょうど反対側にある、東側の方にある米の山というのがあるんですけど、そこに祀られているんですよ。
つまり国有名の二つの柱が二人で福岡を全部守っているというような状況の神話になっているわけです。
こういうことから考えても、イザナミも土着のこの辺の神様だったんでしょうね。
それがいつの間にか吸収されて古事記の中に大きな形としてずっと広がっていったのだろうというように、その原初の形がこの辺にきっと残っているんだろうなというように思います。
この辺をうろうろ歩いていると、古代のすぐ近くに僕らは住んでいるんだなということを思わせられて、気持ちがすごく大きくなります。
それではまた。
09:12

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