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2024-08-12 1:20:27

#39【出雲】幽明の境を訪ねてPart3

さざなみの出雲・縁結び 幽明の境を訪ねて3日目


「幽世」(かくりよ)とは、現世(うつしよ)に対する“目に見えない世界”を指し、古代出雲を治めた大国主命が主宰する世界といわれます。目に見えない世界は、死、心、神、妖などの深遠なテーマに通じますが、いまなおそれらを本当の意味で統べることは誰一人できません。しかし、出雲においては、幽世へ通じた人物がときおり出現し、彼らの心眼によって特異な文化を継承してきました。今回は、神々の国出雲が最も賑わい、幻想的な趣を湛える秋の時季に訪れることで、“幽明の境”の一端を垣間見ます。


【目次】

〜 ゲリラ豪雨の収録にあたって

〜 凛とした朝の空気で祭礼を鑑賞 【美保神社】

〜 艷やかな石畳みが醸すノスタルジックな風情 【青石畳通り】

〜 山陰最古の木彫仏は“異形”!? 【佛谷寺】

〜 “幽世”との交感が生み出した国民的キャラクター 【水木しげる記念館】

〜 “水産王国境港ネタに絶対の自信アリ!” 【山陰のお寿司ヒトトセ 境港駅前店】

〜 山陰の覇者の本拠となった日本有数の名城 【月山富田城跡】

〜 ★歴オタ話★ 戦国のドラマの魅力が詰まった尼子氏の興亡記

〜 世界が認めた“日本一”の名庭園 【足立美術館】

〜 ★歴オタ話★ すべての出発は横山大観 足立全康の生涯を追う

〜 松江の観光の基本を概観

〜 松江の郷土料理を家庭的な居酒屋で堪能 【お食事 季節料理 やまいち】

〜 涼やかな夜に幻想的な灯りがともる 【松江水燈路】

〜 注目を集める出雲のワインと創作料理で〆る 【宍道湖ワイン】

〜 1日の振り返り


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながら、お話をしていきます。
内田です。
ハリアです。
はい。
ちょっと前回に引き続き。
ねえ、全然フリアまだ止めた。
ゲリラゴール、ゲリラゴールがね。
ああ。
あのー、全然止まない。今すごいわ。
今、赤。
今、雨雲レーダー見てますけど。
うわ、紫色になってるね。
紫色になってるね。
そう。ちょうど今激しい時期なんで。
家の中にいられてよかったけど。
なんで、まあまだちょっとゴロゴロしてる気はしますけど、ご容赦いただければと思います。
そうですね。
今回は、さざ波の出雲、縁結び、幽明の境を訪ねての3日目。ちょっと雨が強くなってきましたね。
だから聞いたところによると3日目は割とメインな感じですかね。
そうですね。最初に話したところで言うと、出雲に行くならぜひ9月、10月にといったその理由がね、3日目なんですね。
なるほど。
とあるイベントに行くんですけれども、9月下旬からかな、ちょっとそれ年々によって変わるんであったり調べていただきたいんですが、
毎年この90あたりで開催されているイベントをめがけていった方が僕はいいと思うので。
なるほどね。
じゃあ早速ね、3日目紹介をお願いします。
はい。
前日ですね、島根県松江市美穂の関にある美穂館という国の登録有形文化財のすごい旅館に泊まっています。
あるいはそのゲストハウスに泊まっています。
で、美穂の関というのは、夜が何かもう飲食店があるわけでもあんまりないところなんですけれども、
あえて泊まる理由としてはですね、実は朝にね、一つ面白いものが見られるんですね。
それがですね、朝8時半頃からね、毎日やられているのが、この美穂館からだいたい徒歩2分ぐらいのところにある美穂神社という神社の中で朝見家祭というお祭りを毎日朝8時半からやってるんですね。
朝見家祭。
これどういうことかっていうと、朝に恩備える祭りと書いて朝見家祭と言うんですね。
これ備えるっていう字なの?
はい。
これ何つったらいいんだろうね。
えーっとね。
何て言えばいいんだろう。
古い食片、あの食べるの。
そうだよね。
古い食片に、これは竜見ですかね。
うーん。ちょっと何というか。
難しいね。朝見家祭で調べてもらうのがいいかな。
そうそう。その方がいいですね。
つまり神様に朝のお供え物をしますよというのが朝見家祭になるわけですね。
朝のお勤めみたいなことですね。
03:01
そういうことです。
これが毎朝やられているわけですね。
そもそもじゃあこの美穂神社というのは何なのかということなんですけれども、祀っているのはことしろ主の神という神様になります。
はい。
このことしろ主の神というのは何者だったかというと、実は出てきてるんですね、既に。
え?
はい。
あれか?最初の。
はい。
もう名前は覚えてないんですよ。
大国主というのは覚えているかなと思うんですけど、一番主役になっている。
伊豆大社を譲ってもらったというか、作ってもらった人ですね。
で、今隔離用の世の高をやってるかもしれない大国主。
大国主が国譲りを責められた時に、息子二人も聞いてみるって言ったの覚えてますかね。
そのうちの一人は反対してたんだけど、最初に聞いた方は賛成してたと思うんですね。譲ってあげた方がいいと。
それを言ったのがこのことしろ主の神なんです。
つまりこれは大国主の子供ですが、ここに祀られています。
それはどういう神様なんですかね?
ことしろ主の神はですね、神話によるとですけれども、国譲りに賛成した後に、
自らは新しい世の中の邪魔になるからといってですね、
なんと自ら水の中に姿を消してしまったというふうに言われているんですね。
すごいね。
つましやかと言いますか。
なので水の神様、海の神様。
海難除けなどの海の神様として厚く読まれているので、
この風町の港としてね、数多くの船乗りたちがやってくる見本の関の町に祀られているということになるんですね。
そしてその海の神様というものが展示で、
実はこのことしろ主の神というのは、今我々が誰もが知っているとあるキャラクターになっている。
キャラクターと言ったらちょっとあれなんですけど。
リールでも我々お世話になっているとあるキャラクターなんですが。
エビスさんですか?
エビス様というのはことしろ主のことなんです。
そうなんだ。
確かに七福神の由来なんて考えたこともないんですけど。
そうなんですよ。
そういう由来があるんですね。
ちなみに大国主の見事は大国様になったと言われているので、
あれ親子なんですよ、七福神の父親の。
その中に親子がいた。
知らなかった。
エビスさんってエビスビールで我々は一番知っていると思うんですけど、
何持ってますか?
あれは釣竿と鯛を持ってますね。
なのでやっぱり海の神様なんですね。
そうなんだ。
これもね、書いてある文献、神話を書いてある文献によって全然やっぱりいろんな説があるので、
一概には言えないんですけれども、
ことしろ主がエビスになったというのはよく言われているような話ですね。
割と有力な。
有力な説として言われていますね。
06:02
なのでこのことしろ主エビスさんを祀っているということで、
本当にもう海の神様、海の神社としてすごい名高い、
出雲を代表する神社の一つです。
西の出雲大社、東の美穂神社という東西のね。
なので美穂神社も実際に行ってみると、
その美穂の関の港から取り入れが続いているような感じで、
海に面してね、だんだん神社から海に降りていく感じになるんです。
なので実際ですね、この朝のお勤めに行きますと、
8時半から神主さんがことしろ主さんに対してですね、
祭神に対してのりとみたいなのを捧げながら、
これは日によって変わるみたいなんですけれども、
美穂さんたちが舞いを始めたりもするし、
あるいは舞いはなかったとしても神社の方々が
神楽を演奏されて、笛とかで音楽を演奏されるというのはやりそうなので。
こういったのを毎日やるんですね。
すごいね。
これ見たら夕見家祭もあるんですね。
そうなんです。夕見家祭は夕方の3時半からやるということになっています。
ただね、やっぱり混むんですね。
見やすい時間だからね。
なので美穂の関に泊まるとこの朝見家祭を見やすいということで、
朝の凛とした空気の気持ちいい空気の中で、
かつそんなに混んでない状況下で、
このお祭りが見られるということで、
泊まる意味があるかなというふうに思います。
そうですね。
この内容を見てても朝見家祭の方が見応えがありそうだし。
そうですね。プログラムはちょっと多い感じがしますね。
当然美穂館の方もそれを分かっていますので、
美穂館のさっきのすごい有形文化財の本館で朝ごはんいただけるんですけれども、
それもこの朝見家祭に行く方のために用意してくださったりもしますので。
なので僕が行った時は、
8時半の時間に間に合わせるために7時半ぐらいに起きて、
最初に本館でご飯をいただいてから美穂神社にちょうど間に合うみたいな感じで、
実際プランを組んでいきました。
8時半に間に合うように美穂神社に行く方がいいですね。
そういうことです。
朝食すごいな。やっぱり旅館の朝食って感じだね。
そうです。
特に美穂の関の名産であるひものを自ら焼いてというものと、
あともちろんご飯になっております。
あとはイカのお刺身もあるね。
そしてやはりしじみ汁。
出雲といえばしじみですね。
本当に和のね。
いいですね。
港町の旅館の朝食。
美味しいです。
いいね。旅館の朝食たまに食いたくなるな。
ありますよね。そういう時ね。
腹いっぱいになるんだけどね。
そうそうそうそう。
でもやっぱりお米の美味しさだったりっていうのはいいですし、
あと何よりこの美穂館でいえばですね、
この朝食会場が本館の広間みたいなところで、
大きなガラスの先に港自体が見えるんですね。
09:03
本当だ。
朝日のサンサンと輝く港を見ながらね、
海産物をいただけるということですごくいいですね。
いいですね。
これで日物をいただくのは、
そうなんですよ。
なんかそのまんまいただいてるっていう雰囲気になるね。
本当に目の前を船が行き交う姿を見ながら食べる。
というのがまたいいポイントになってきます。
というのが美穂神社の話でした。
そして朝ごはんも食べ終わっておりますので、
ここからもうすぐに観光を始めちゃいたいと思うんですね。
最初に行くのが、行くのがというか、
美穂館から美穂神社の間にすでに通ってるんですけれども、
美穂の関のやっぱり一番の名物といえば、
青石畳通りというね、
石畳の敷かれたすごくノスタルジックな通りなんですね。
いいですね。
もう車一台通れないような、
すごく狭い昔ながらの街路に石畳が敷かれていて、
特に雨なんて降ったりするとね、
その石がこう艶やかに輝いて、
本当にノスタルジックなね、
佇まいを見せてくれます。
今これ、美穂の関の観光のホームページに載ってますけど、
このね、浴衣で和傘を差してるその姿が、
これは映えるね。
そうですよね。
映えた時はこんな感じ。
この少女が、
すごいね。
なんかノスタルジックな感じがしますね。
映画の中のワンシーンのように。
そもそもなんでこんな石畳が、
こんな狭いところに敷かれたかということなんですけれども、
実はこれ風情とかいう以前に、
実用の問題だったんですね。
というのは、
美穂の関というのは先ほど申し上げた通り、
江戸時代からもう本当に有数の港町、
日本海回路のね、
特に西回り航路、大阪から江戸地の方へ向かって、
ここを越えていくと、
北陸に入って富山の岩瀬に寄ったり、
秋田に寄ったりするんですね。
我々が常にこれまで何度か見てきたような話ですけれども。
っていうような重要な気候地だったので、
本当に船の出入りが盛んだった。
そして船が入ってくると、
荷物を運搬するわけなんですが、
その時にですね、
この石畳があることによって、
車でカラカラ、車輪をね、
初めてうまく回せるようになるんですね。
舗装されていないと石とかで突っかえちゃったりして、
しょっちゅうゴタゴタ問題が起こるとか、
いう時にこの石畳でね、
ちゃんと平らにしておけば、
その車輪が通りやすくなって、
荷物の運搬が楽になった。
いうことから、この石畳を商人たちがね、
自分たちの実用のためにそもそも敷いたというのが、
始まりだった。
それが今になって、
ノスタルジックな風情になってる感じですね。
そういうことですね。
なので当然、下駄とかを履いてきても、
カラカラコロコロというような音も、
奏でられるんじゃないかなと思います。
実際この美穂の関ね、
12:01
観光地としても有名な場所になりますので、
中にはね、やっぱり昔からの醸造文化が
栄えた土地でもあるので、
お醤油とか売ってる古い商家さんがあったりとか、
そういった観光的な楽しみもあるので、
それを朝早くから行ってね、
人が来る前に独り占めしちゃうというのが、
美穂の関に泊まるメリットかなと思いますね。
この青石畳通りはですね、
美穂神社から仏国寺というお寺まで続いています。
なのでこの青石畳通りをずっと行って、
大体美穂神社から5分くらいで着いちゃうんですけれども、
仏の谷の寺と書いてね、
仏国寺というところまで行きたいと思います。
この仏国寺はね、
かなり歴史好きの方のためのご紹介になるんですけれども、
何かというとですね、有名どころで言うと、
実は美穂の関というのは、
沖の島、沖ですね。
沖という島根県の離島なんですけれども、
そこに行くための根拠地だったんですね。
沖というと、なぜ沖に注目するかというと、
留宅の島として有名なところなんです。
おそらく日本史をやった方ならば、
沖に流された人というのはね、
2人有名な人がいるので知ってるんじゃないかと。
えっと、勘で言うよ。
言葉情報。
おー、正解です。
すごい、一発で出てきた。
何でまた。
何で覚えてるんだろう。
絵画ドラマ見てた?
見てない。
鎌倉殿のじゅうさんに見てない?
見てない。
なんか今ピンときたな。
じゃあなんかこう紐づく記憶の回路みたいなのがね。
何かがあったんだろうな。
全然その繋がりが思い出せないけど。
でも正解です。
言葉情報です、まず1人ね。
言葉情報というのは、
鎌倉時代の前期の情報で、
上級の乱という乱を起こして、
鎌倉幕府の執権、
北条義時を追悼しようとして、
敗れた人です。
鎌倉幕府に敗れてしまって、
で、留罪にさせられた。
で、沖の島に行く時に、
この仏国寺に行って、
ここから港でね、出て、
沖の島へ留罪になってしまいました。
この辺りはね、今ちょっと話しましたが、
絵画ドラマ、鎌倉殿のじゅうさん人で描かれた。
主人公が北条義時なので、
小栗主演さんが演じたね。
一番の仇役として言葉情報ができて、
尾上松矢さんが演じてらっしゃいました。
で、天皇、皇族を裁くという、
極悪人としてこの世に名を刻んでいくだろう、
ということでね、
現に北条義時というのは、
ダークヒーローとして最後は描かれて、
あのドラマはね、なってましたけれども。
そういった場面のね、一つのところですね。
で、もう一人が、
後醍醐天皇というね、
人物がいまして、
これは鎌倉時代を倒幕した上皇なんですけど、
その人も一回、実は二回か、
幕府転覆計画に失敗していまして、
その時に流されちゃってるんですね。
で、それやっぱり鎌倉幕府に逆らった人というのは、
15:00
言葉情報の前例に習ってなのか、
大きに流されてしまうんですよ。
なので、その時もやはり、
後醍醐天皇も大きに流される時に、
ここに寄って、ここで過ごしてから、
沖ノ島へ舟出しました。
まあ、結末としてね、
後醍醐上皇は結局、
沖から帰れずに死んでしまいましたが、
後醍醐天皇はね、
その後帰ってくることができて、
倒幕に成功するという。
明確に成功したら別れたんですけどね。
ただって、そういう不思議な因縁を持ったね、
お寺なんですね。
で、あとはこの、そもそも
そういった天皇が寄るぐらいのところなので、
昔から栄えたお寺なんですけれども、
ここはね、山陰で一番古い木彫物を
所蔵しているお寺になっていますので、
文化的にもすごい貴重なところです。
木を彫った仏像。
そういうことですね。
なので、すごく古いね。
平安時代とかだと思うんですけれども、
しかも平安時代初めの時から、
この山陰地方における独特の文化。
で、なぜ独特かというと、
これちょっとサイトに載ってませんが、
実際に置いてみるとですね、
我々が教科書で知っているような
仏像とは造形が違うんですね。
人間の体の出し方というのがね、
ちょっと微妙に違ったりして、
なんかね、耳がやたら大きかったりとか、
ちょっとね、不思議な違いがあるんですよ。
腕がね、やたら長かったりするのかな。
なんか不恰好だと。
腕が長いですよね。
やたら右腕が長い。
これがね、仏国寺に安置されてるんですね。
これはどうも出雲様式と言われていて、
京都の一派とやっぱり違ったセンスを持った
物資集団がこの出雲の見本石のあたりにいたと言われてるんですね。
彼らの貴重な作例がここに残っている。
なのでいわゆる仏像を見慣れた人だと、
余計その違いがわかると思うんですね。
何かがおかしい。
なんかね、バランスがなんか違う。
なんか縦に長いなって感じがするね。
髪もね、すごいワックスでもつけてる。
かなり持ってるんですよね。
腕も長いし。
なんかアンバランスな感じがするね。
そうですね。
このちょっと不思議なバランスの独特の造形が、
やっぱり出雲というのが近畿とは違った文化圏を
この時においてもおそらく持っていた
という一つの証拠になり得るのかなというような気がします。
こういったね、優秀あるお寺でもって
後鳥羽上皇、後醍醐天皇それぞれがやっぱり立ち寄っている
というような優秀もありますね。
なんか普通に聞いてたけど、この木のやつは
平安からの掘ってんのがすごいね。
そうですね。
本当に貴重だと思います。
特に京都奈良で今まで見たところで言うと
奈良の室王寺とかは大体この同じぐらいの時代のものになるので
貴重ではあるんですけど
島根の一つの小さな港町にこれだけのものが残ってるんですね。
そうか。海沿いだと余計に朽ちちゃいそうだけど
18:00
よく残してるなって感じだね。
そうですね。すごい貴重な作例ですね。
歴史好きの方はこの宝物館にも
実際に立ち寄っていらっしゃるといいのかなという気がいたします。
見本関の観光はこの辺りにして
徐々に車で南の方に行きたいと思います。
実は島根県のグーグルマップ先ほど見せてもらうと
こういう地理関係なんですね。
つまり見本神社というのは島根県の本当に東の突端にあるような感じなんですけれども
そこから車で少し西の方に戻って
橋を渡ると本当にわずか数百メートルの細い水道が
日本海が流入していて中海につながってるんですが
それを超えると鳥取県なんです。
実は今回は出雲というふうに言っていますけれども
鳥取県にも観光したいと思います。
行くのが水木しげる記念館。
これはもう言わずと知れたという感じなんですけれども。
前日でもノンバーの話が出てましたけど
水木しげる記念館に行くわけですね。
こちらはより水木しげるさん、いわゆるゲゲゲの鬼太郎とかで
やはりこの方も戦争体験というのがすごく大きなね
これはドラマにもなってましたけども
ゲゲゲの女房で描かれていましたけれども
やっぱりそういったところで水木さんの作品が出来上がるまでの
すごくわかりやすいミュージアムに
これノンノンバーですね。今言いました。
お子さんもすごく楽しめるし
ファミリー全員で楽しめるようなものになっていますが
やはりこの境港というところで育ち
ノンノンバーと接した彼の幼少期の話もね
そしてその戦争を経験して
多くの死を間近でやっぱり見た
やっぱりその辺りがノンノンバーの話と重なるんですよね。
その見えない世界に行ってしまって
実はノンノンバーと俺っていう回想録の中にも
実はとある少女と出会って
彼女はやがて売られていってしまう運命にあるんですけれども
その売られていってしまう運命にあるときに
船のところで迷っていたと
子供だっけなのかどうしたらいいのかわからないというときに
水木しげるはそんなんじゃダメだと
ここに絶対残るべきだから
そんな売られるなんてありえないよっていう風に言うんですけれども
その時にノンノンバーと3人でね
その少女と水木しげるでその船から夜の海の方を見たら
海の方に不思議な光が立ち込めている
それが急にそしたらその少女がお母さんだって言って
そのお母さんと会話をし始める
これも実際にあった話なんです
ノンノンバーは別にそれを不思議からないんですね
そんなことはある
隔離をから来たのだと
死んだお母さんの言葉がね
それして実はそのお母さんは
なんと後押しをするんですね
この地を離れて自らの人生を切り開いていった方がいい
売られたとしても
って言ってその少女は旅立っていくっていうのがね
21:02
ノンノンバーとの回想録の中に書かれている話
だからそういうね
なんかその隔離をというものに
水木しげるは計らずも接しているんですね
子供の時にノンノンバーと
この境港というところを通じてね
それでやっぱり戦争体験というのがいろいろ合わさって
その後の日本の漫画史上に絶対に残るね
多くの作品を描き出していった
なのでね
こちらのミュージアムは本当に初心者の方でもね
すごく分かりやすいポイントになりますが
前日に市畠役師でね
ノンノンバーの話をちょっと触れてから行くと
そういうことかっていう
ちょっと逆算みたいな感じ答え合わせみたいなね
感じで楽しむことができると思います
水木ロードって結構有名なのはここですか
そうです
この水木しげる記念館の周辺が
水木しげるロードとなっていて
いわゆる本当にきたろうはじめですね
水木しげるさんのもう有名なキャラクターたちが
出迎えてくれるようになっていますね
ホームページでもね
家族連れと女の子2人が楽しそうに見てる感じで
見やすい感じ
そうですね
なので普通に行っても全然楽しいですし
やっぱり今回の旅のテーマとしては
閣僚というものがね
一つのテーマになるので
ある意味その案内人になったね
ノンノンバーの話
でもノンノンバーの話はすごいあるんですよ
この記念館にやっぱりね
それを知っていくとね
なんか深みが出そうな感じが
そうですね
ちょっとこの辺りはね
トサの時に話した柳瀬孝さんの話と
ちょっと通じる気もします
確かに確かに
子供向けと思われているけれどもっていうね
楽しいだけじゃない深みがね
深みがあるよっていう話ですね
これを見終わると
大体11時半頃になってるかなと思うんですが
この日はね朝も早かったので
早速ねお昼ご飯にも行ってしまいたいと思います
これも鳥取県境港市
境港駅の前にあるね
開店寿司なんですけれども
めちゃくちゃ美味しいところがありまして
3人のお寿司ひととせ境港駅前店
というところをご紹介したいと
なんか普通にうまそうだね
これあの境港を本拠にしている
チェーン店ローカルチェーンなんですけれども
めちゃくちゃ美味しいんですよこれ
安いのに
あるよね
うまい開店寿司ってね
魚がうまいところにはね
そうなんですよ
チェーンなんだけれども
っていうねレベルがすげー高い
水産王国境港
ネタに絶対の自信ありとね
やっぱり港の目の前あるので
それはうまいでしょうって感じだよね
そしてこの赤シャリなんですよねここね
いいっすね
これあの我々ね
小田原で好きなお寿司屋さんありますけれども
あそこもね
赤図のね赤シャリで持ってやるので
結構我々ハマってますからね
最近行ってないな
そうね
カニがすごいね
やっぱり境港といえばね
カニですよ
これは小学校のチリとかで
24:01
漁業とかでも多分あったんじゃないかと
境港三種盛りなんてのもありますね
いいですね
ネタが大きい気がするね
確かに
朝奴隷戦略はシークレットになってますね
状況によってって書いてあるんですね
実際僕が行った時は確かね
ヒラメとかだったんですよ
沖の島の方で採れたヒラメを
境港で水揚げしたとかで
確かそうだと思うんですけど
それもうまかったですね
いいな
しかも安いんですよね
回転寿司とかね
こういうの行ったことないな俺
ローカルチェーンみたいな感じ
そうローカルの回転寿司
行ってみたいな
でね回転寿司であっても
実はカウンターも多くてね
ボックス席だけじゃないので
通りであっても全然聞かれなく行けますので
その点も安心です
ということでね
境港に水木しげるさんと
お寿司を食べるお昼に寄りました
でこっからね
また島根県に戻っていきます
そしてですね
またちょっと地図を見ていただきますと
ちょっと夜名古屋がありますけど
その西に県座街がありますよね
こっからまた島根県に戻るんですね
で行くのがですね
今画面の左下にある
月山富田城って書いて
月山富田城跡
ここを目指したいと思います
月山富田城
これは島根県靖岐市
安らか安心の湾に来ると書いて
靖岐と読むんですね
靖岐市という島根県で一番東側にある
鳥取県との県座街
ある自治体になりますが
月山富田城
月山富田と書いて
この城なんですけれども
これはもう戦国時代が好きな方は絶対知ってます
もう日本を代表する南高不落の名城
これ写真見たら険しいね
でもこれね実は200メートルくらいなんです
そんなにね特別高いわけではないんですけれども
でもなんかこの山脈じゃないけどさ
登りやすいところが一箇所しかないから
攻めにくそうだなって感じだね
おっしゃる通りです
これこのポッドキャストにおいて
忠誠城郭というのをちゃんと見るのは
多分今回が初めてだと思うんですね
今までお城どこ行ったっけ
久留米城とかは見たけど
あれも要は藩の藩庁だったわけですよね
戦いのあったというよりは江戸時代の城
あとはどっか行ったっけ
でもあんまり行ってない
高知城行ったよね
高知城もあれも戦いがあったわけではない
戸左藩の巨城として築かれた
江戸時代以降のものじゃないですか
合山戸田城は戦国時代のもう城です
なので戦いが実際にあったところなんですね
なので難攻不落と言われるだけの根拠もあるんですけれども
実は僕高校生の時に
27:00
一人旅歴かなり早い時に実はいつもわざわざ目指したのは
この城が見たくて行ったんですよ
合山戸田城とは何なのかという話なんですけれども
ここを収めていたのは
天子寺という戦国大名
天は天さんの天で子供と書いて
天子と書いて天子と読むらしいんですけど
これは日本史の資料集とかの戦国時代の地図みたいな
戦国時代勢力図みたいな時に
中国地方が真っピンクみたいな感じで染まってるんだよ
要は出雲の国合山戸田城本拠に
最極有数の超大国を築いた超巨大大名がいたんですね
最盛期には出雲から島根県の岩見
島根県を一番西にして
広島県の方まで攻めて
岡山を取って兵庫県の方まで
要は今の兵庫県から島根県の辺り一帯を全部収めてたっていう
超巨大勢力天子っていう三陰の覇者ですね
っていう大名がいたんですね
なんでそれ知らないんだろうね
これは天子というのが活躍したのが
本当に短かったというのもあると思います
というのは天子というのはもともと
出雲の国を代々いた侍なんですけれども
下国上で国を乗っ取ってんですね
つまりもともとは主がいたんですよ
なのにそれを追い落として
暴力によって追っ払って
自分が国を取っちゃったっていう
いわゆる下国上って用語で聞きますけど
あれの典型例です
それで言うと我々小田原の北条宗雲
水戸の斉藤道さん
そして出雲の天子恒久というのは
本当に悪いことというか
暴力の限りを尽くして国を奪い取ったっていう
逆に戦国時代だからこそ生きられたような英雄だったわけなんですけれども
天子恒久という人物は
黄泉の乱のちょっと後ぐらいに出てくるので
信長とかが生まれる前です
亡くなった年の翌年に徳川家康が生まれてます
っていうイメージでいてくれればいいんです
家康が生まれる前に亡くなっている人なんです
かなり初期の人
がこの合山戸田城を奪い取って
天子氏としてね
戦国大名の道を歩み
その孫にあたる春日沙という人物がいたんですが
天子春日沙の時に最盛期を迎えて
さっき言ったような近畿の方まで進出するような超巨大勢力を築く
ところがこの天子春日沙が亡くなってから
すぐ間もなく台頭してきたのが
広島県を本庁にしていた毛利本成
これは知ってると思うんですね
この人に結局春日沙の死後で
その子供の吉日沙というのが負けてしまって
天子氏の英子精髄というのは
常日沙から考えるとわずか100年に満たないくらいで
下国城で奪い取って超巨大半島を築いて
一瞬で消えていったっていう
30:01
そういう勢力だったんです
その中においてこの月山戸田城というのが
実はもう歴史の転換点で必ず出てくる
中国地方の歴史の必ずターニングポイントに
これは登場するんですね
天子春日沙というのは結構悪いことをしてたりもして
一回その主の家から追っ払われちゃうんですよ
下国城する前に
それを追っ払われて行き場所なかったのを
謀略の限りを尽くしてもう一回奪い取って
ついにあるいは追っ払っちゃったってところから始まるんですけれども
常日沙が死ぬ時ぐらいに
今の山口県にいた大内義徳という
これは逆に超政党派の大名なんですけれども
これが毛利とかと連合軍で攻めてきて
天子家は一時的に滅亡の危機に追い込まれるんですが
その時この月山戸田城に牢状作戦を取って
大内側がこれを攻められないんですね
どうしてもこの城を落とせなかったんです最後の最後まで
根気負けして山口へ撤退しようとしてるところに追撃をかけて
結局それが縁因となって大内が滅亡するぐらいの大ダメージを与えて
そっから天子の再生期が始まるんです
春日沙が死んでもう天子が衰退した後も
毛利元成がこれを攻めてくるわけなんですね
結局その戦いで天子は滅亡してしまうんですが
ところが毛利元成もこの城を落とせなかったんです最後まで
ずっと取り巻いて長年に渡って牢状作戦を取ってて
この城の中に入れなかったんですよ何度せめても
とうとう最後は食料がなくなって
あとはもうずっと籠ってても仕方ないよねってなって
城を開いて降伏して天子は滅亡する
そういうことか
確かにこれは評論を入れづらそうな感じだね
そうなんですよ山にあるだけね
補給がなかなか困難だったと思います
そしてもう一つ戦国時代のファンの方はよくご存知なのは
天子といえば山中志可之助という人物がいて
これは何かというと天子は一回毛利に攻められて滅亡するんですが
その後にその天子を復活させようとした家臣がいて
それが山中志可之助という人物
この人はノンノンバーの話じゃないんですけれども
月を三日月を厚く信仰していて
兜にも三日月をくっつけてるし
もう月に天子の最高を祈り続けたという人なんですね
ある種の悲劇のヒーローなんですが
毛利が天子を滅ぼした後に
天子の一族の生き残りみたいなのを
山中志可之助が密かに脱出させて
それで毛利と敵対した織田信長の部下になるんです
信長がだんだん勢力を広げていって
毛利が押されるようになってる時に
その時に便乗して天子を復活させようとしたんです
結構それ成功して
出雲の国は結構その時一時期
天子最高軍というものに支配されるんですけれども
ところが皮肉なことに
その天子たちがかえって攻める側になったら
この月山戸田城を落とせなかったんです
33:00
毛利が奪った月山戸田城を天子が攻めたんですよ
元々の主である
どうしても落とせなかったこの城を
本当に落とせないんだねここは
皮肉なんですよねそれが
それでこの月山戸田城を落とせなくてどうしようかって
やってる時に毛利が盛り返してきちゃって
結局山中志可之助も後々殺されてしまう
天子家は滅亡するんです
戦国時代を本当に代表する名城と言っていいでしょう
というわけで
高知城とかと明確に違うのは
実際にここが戦場になってる何度もね
内田がさっき攻めにくそうだねって話をしたのが
まさにその通りで
実際に登っていくと
上がり道が一本しか通されてないんですよ
写真で見ると道が一本しかなくて
それ以外は本当に険しそうな感じ
割と崖というか
登れなさそうな感じになってるから
これは確かに攻め入るところが一本しかないから
逆に言えばそこだけ守ればいいわけで
そういうことです
これは無理だろうな
実際天子側もね
あとは天子側に対して守った毛利側
山中敷之助の攻撃にされされた毛利側も
同じ作戦を取るわけです
そういうのがね
この毛利天子の攻防記みたいなものは
いろいろ記録にもね
あと物語にもされている
江戸時代とか戦国時代からどんどん記録も残っていて
その時にガッサン戸田城攻めって何回もあったんですけど
そのためにどこから誰が攻めて
なぜ失敗したのかということが国名に書かれてるんです
その臨場感を知識として蓄えた上で
この城に実際登ってみると
これは無理だわっていうのはよくよく分かります
この写真だけでもちょっと分かるもんね
決して高い山ではないんですよ
ただ要塞としての作りがね
抜群に工夫が凝らされてて
中世上下だからこそ成立したものですね
補給とかを考えてないあんまり
要塞なんですよ
まあよくもこんな
適した場所に城を作ったなって感じだね
そうですね
というねガッサン戸田城
これ車でねこの麓に寺廟館とかがあるので
そこまでは行けます
体力に自信のある方
あるいは戦国時代が好きな方とかは
そこから徒歩でね
この城を実際登ることができます
先ほど申し上げたように
標高自体は200メートル満たないくらいなので
そんなに大してあれなんですけれども
やっぱり守るための城で
外敵を阻むためなので
やたら道がジグザグになってたりとか
っていうのがするんですよ
なので実際そうだな
たぶん歩くと1時間くらいかかるかな
山頂までね
なるほどね
なので行きたい方は行けばいいと思うんです
歴史ファンはね
これ行ったほうがいいと思いますよ
そうね
攻めにくさを体験できるわけだね
そういうことです
登る最中でね
うん
途中で山中忍の銅像とかも
あったりしますので
36:00
あとはその周りにね
目の前川が流れてますけれども
その川を渡ったところにはね
山中忍をイメージした三日月公園なんて
公園もあって
そこにはね
暴虐で天子を築いた天子常久のね
銅像が建っていたりして
これがね結構僕戦国武将の銅像って
いろいろとかありますけど
その傑作といってもいいんじゃないかというぐらいね
すごいいい写真が撮れる銅像なんですね
ああいいですね
かっこいいですね
かっこいいんですよ
常日さんの銅像ね
こう上馬に乗ってね
右手でこう前を指してる
そうそうそうそう
かっこいいですね
うんこれね結構いい写真が撮れる銅像なので
ぜひチャレンジしていただいて
いいですね
この鼻筋の写真も斜め後ろからね
そうですね
撮ってて
シルエットになってて
そうですね
はいありがとうございます
常日さんはね
かつて大河ドラマ 毛利元成というのがね
97年に放送されてるんですけど
その時尾形健さんがね
元成が絶対勝てない
悪役なんだけれども魅力ある悪役として
尾形健さんが出てきて
尾形健さんのハマリアクップリは
大河ドラマのファンなら誰もが知ってる
すごい名演技で
常日さんといえば尾形健にもなっちゃってますね正直
そういったぐらいのね
戦国時代が好きな方はもう
ゲームとかでもこれ関東の小田原城の
ここのガッサントラジオが全然
何度ゲーム攻めてもね落とせないほど有名なので
信長の野望をやってる方なら
たぶんその辛さはわかるんじゃないかと
ということでね歴史好きの方は
ぜひ訪れていただけるといいかなと
靖岸なんですけれども
歴史好きじゃない方でも絶対に有名な
観光地になってるんじゃないかと思うんですが
足立美術館
これ聞いたことないですかねこれね
いや俺知らないわ
これ最近ね特に有名になってきてる
というところもあるんですけれども
まあ美術館
私設プライベートな美術館なんですが
なぜ有名になってるかというと
庭園
日本庭園があるんですけれども
すごいね
広いね
広いです
すごい広いですこれ
これがね
The Journal of Japanese Gardeningっていう
アメリカの雑誌
日本庭園だけをね
専門に扱うすごい雑誌があるんですけれども
すごいなそれ
でこれがね
日本にある日本庭園
確か1000ぐらい対象にしている評価
コンテストみたいなのをやってるんですけど
それで京都とかにも日本庭園あるんですけれども
20年くらい連続で1位
今もずっと1位なんです
ディフェンディングチャンピオンを20年くらいやってる
っていう日本一の庭園という風に
世界的な評価を受けていて
そのことでね
さらに有名になってしまってるんですけど
要は一言で言うと
世界が日本一と思ってる庭園なんです
この足立美術館っていうのは
すごいなーやっぱ広いし
奥に百景で山があるから
39:00
もうどこまでも続いてる感じになるんですね
おっしゃる通りです
この写真だと
その奥の山のところにね
霧というか雲がかかってて
本当になんかもうどこまでも庭園な感じがしますね
そしてこのね絵画的なね
すごい大胆でね
ダイナミックな広いスケールなんだけれども
この木の剪定以降とっても
たぶんすごい緻密な計算でね
傾斜をつけているので
内田が今言ったように
どこまでも続いているように見える
奥行きの世界を醸してますよね
どこまでが庭園かっていう境目がね
あんまりこうわからなくなってる
そうですよね
それくらい見事なものですよね
このなんか砂利道もうねっててね
なんだろうね
曲線美な感じがするね
そうですね
丸みを帯びたこう芝生の山みたいの
いろいろ月山みたいのを築きながら
松もこう丸くカットされて
ふんわりとした感じ
不思議
なんか柔らかさもあるんだけど
この岩のごつごつ下から
黒い岩肌も見えてて
まさしく日本一の名庭園なのに
ふさわしいね
ものになっています
いいですね
スケール感とこの計算された感じと
かっこいい
21年連続
という庭園が有名なんですけれども
そもそもじゃあこの足立美術館が
何なのかという話なんですね
これあくまでも美術館なんですよ
で作った人物は足立禅孝という
この靖出身の実業家です
もう亡くなっている方です
足に立つ東京都足立区の足立で
禅孝は全て全部の禅に健康の孝と書いて
足立禅孝さん
この方の人生もすごい人生でして
生まれたのが1899年
明治時代の後半に生まれて
亡くなったのが1990年
平成2年か
90歳以上長生きされた方なんですけれども
もともとは今足立美術館がある
この場所で生まれた
すごい貧しい農家に生まれた方だったんですけれども
それこそ合山戸田城から続く道で
少年時代から貧しいので働かなきゃいけないから
木炭を背負って
なんとかその道をエフホラ行って
靖の港まで運んでいくっていう
本当にそっからのスタートだったんです
ところがこの人が波の人とは違ったのは
わざわざ港まで重い炭を背負って
行くのも当然いいんだけど
それまでにある農家に対して
炭を卸売りを始めたんですよ
そういったところから
お金ってもっと効率的に稼げるんじゃないか
ってことに徐々に徐々に気づいていくんです
詳細があった
そして最初は炭1個を売ってたわけですけれども
42:02
太平洋戦争が間もなく起きて
日本はかなりの物資不足になってしまうわけですね
ところがそれを逆手に取る
つまり物資が不足
需要がいくらでもあるわけなので
そこに供給ができれば絶対に買い手がつく
っていうのは自然の言葉だと思うんです
そして売ったのがやはり綿なんですよ
モメンカイドの話さっきありましたけども
出雲はその綿がありました
それを売ったんですね
それで戦後復興と合わせて
この綿を売ることで
莫大な利益を設けて大阪に進出するんですね
そこで大阪で会社を立てて
実業家としての道を歩み始める
そしてこれだったら一つの会社のボスだったんですけど
この日本一の店員を築くまでの財力をどうして築けたのか
っていうのが一つ決定的な出来事があったんです
これは大阪市内のとある土地を持っていて
これは運もあったと思うんですけど
1960年東京オリンピックがあるという話になった時に
実はですね
これもクイズもあるんですけれども
その大阪市内のとある土地を持っていたんですけど
そこの土地がある理由で地価が爆上がりすると
それを売ったことで決定的な財産を築いたんです
なぜこの1960年前後に大阪市内のとある土地で値段が上がったのか
新幹線かと思ったけど大阪まで行ってないもんね
正解ですよ
行ってるっけ
東海道新幹線開通
そうか
つまり新幹線で言うと大阪と言えば
新大阪
足立前校が持っていた土地というのは
今の新大阪駅なんです
なるほどね
これはたまたまかもしれない
偶然も運もあったと思いますが
そもそも工場用地みたいなもので
梅田から離れてるじゃないですか
北の方に新大阪駅で
地下鉄で2、3個行かないといけないと思うんですけど
梅田とか南の方が中心だった大阪
ちょっと外れてた
まだそこで土地を持ってたんですね
逆にそこを買い占めてたみたいな感じ
ところがそこににわかに
世界初の新高速鉄道の計画が持ち上がっているということが分かり
国鉄がそれを買うと
駅を作ると
言ったのがこの彼の土地だったんですよ
それはまあ運だね
まああったとは思いますね
そういうことなんです
これが決定打にやはりもなって
押しも押されもせぬ億万長者になっていったんですね
この足立全国がただ偉かったのは
億万長者になって
後の話なんですけれども
自分の会社の利益に使うこともできたはずなんですが
それをしなかったんですねこの人はね
もちろん自分の会社はねやってたんだけれども
その莫大な資産をね
45:01
芸術作品の収集とその公開
そして郷土への
ふるさとへの発展に尽くしたんですよ
特にねこの人が熱を上げていたのが
横山大官という画家がいるんですけれども
その人の作品がね大好きだったんですね
横山大官これも歴史の教科書に必ず載る人物です
聞いたことある気がするな
明治元年というねまさに象徴的な時代に生まれていて
茨城県水戸市に生まれた画家です
岡倉天心という人が気づいて今の芸大ですよね
そこに学んだりして
日本の近代画壇においておそらく
一番有名な人だと言っていいでしょう
もう数々のね新しい近代の日本画を開いた
新境地を開いたもう第一人者です
この作品がね
足立善行さんはこの横山大官が本当に好きで
本当に感動するんですって
実はあくまでエピソードレベルですけれども
この横山大官作品収集に人生を懸けてたみたいで
もう泣きながらどうしても売ってください売ってください
っていうことをこの億万長者が頼み込む
もう本当に涙を流しながら
なぜこの絵が私にとって必要なのかというのを
所有者に対して熱弁を振るって説得して
どうにかこうにか集めた
お金と熱情で持って
それぐらいこの大官の作品に胸を打たれだすものです
そのおかげもあってですね
今横山大官のコレクターといえばやはり足立美術館
横山大官の作品が
結局130点くらい詰まったと
お金もありますからね
それでもってこれを自分の好きで集めたんだけれども
自分だけじゃなくて
やっぱりいろんな人に見てもらうべきだと
これだけの素晴らしい作品は
そしてふるさとにそれを何とかそういう施設を作りたいということで
安木の自らの家の後に足立美術館を作った
横山大官のそもそも美術館だったんですよ
その後もちろん大官だけではなくて
数々のねここは日本画ですね主にこの展示品はね
平山幸男さんだったり安田幸彦さん竹内誠宏さんというような
もう本当に日本の美術史名だたる画家たちの作品を集めている
あるいは陶芸の分野でいうと北王子・ロサンジンっていう
これも有名な人ですけども
そういった人の作品もあって
ロサンジンに関しては
ロサンジンさんの作品を集めた部屋みたいのもありますので
それぐらい充実した展示内容になっております
なので美術館としてもそもそもすごいんですよ庭園以前の問題
特に横山大官のコレクションでいうと
もう日本でも有数ですので
ただ足立前行はなんでこの庭園の話に持っていくかってことなんですけれども
これねやはり庭園作りにも熱情を注いだ原点も横山大官なんですよね
48:06
要は横山大官が描いた日本の風景美しい風景
その絵画的な描写っていうのを現実にしようとしたんですよ
極端な話をすると
そのためにですねさっき尺径のね
ウチらが注目してくれましたけれども
高さ15メートルにも及ぶ滝を人工的に作った
これをね作るんですよ
すごい発想ですよね
15メートル滝を作るっていう
滝を作るっていうのがよくわかんないもんな
人工の滝っていうものがなかなか存在し得るのかっていう話なんですけど
とか一番有名なのは枯山水底というのがね
最も有名なところですが
その他に白砂清掃亭
これはですね横山大官の作品で白砂清掃というものがあるんですけど
それを再現してるんです
それだけ大官が好きだった
絵好きでもここまでやんないよね
なかなかねできないというのもあるんですけども
なのでこの庭園はね
枯山水の庭園の方は
いわゆるこの足立美術館オリジナルなんですけれども
この白砂清掃亭っていうその隣の庭園の方は
足立全校自らが設計して
横山大官の再現するために作ったっていうものになっている
足立全校の美学としては庭園も一幅の絵画であるっていうね
名言を残していますので
あくまでも絵なんですよね
立体的な絵だというふうにしてみるので
空間設計とかもすごい緻密でありながら成立し得る
構図なんですよ
すべてね
ここは歩き回る感じじゃないですかね
この庭園の中には残念ながら入れません
決められた位置から見る
それは絵だからです
もちろん庭園いろいろ見られるんですけど
特におすすめなのがこの美術館の中にカフェがありまして
そのカフェからが一番いい席かなって僕は思うんですね
ここから見るとね
お金を払っても当然飲み物代はあるわけですけれども
それでもやっぱり一番特等席でね
窓際で見られたりしますので
時間がある方はぜひ寄っていただいてもいいのかなと思います
そうするとこの禅光というのが
途方もない人物に見えるんですけれども
私美術館に行っていただくとですね
場所がどこだったか忘れちゃった
フロントの近くだった気がするんですけれども
展示室に行く前のなんかエントランス目とか
忘れてちゃったんだけど
私禅光さんは1990年まで家御存命でしたから
生前の姿が当然残ってるんですね
何がすごいって
51:00
ビデオが公映されてるんですけれども
そのビデオを見ると
76歳の時の禅光さんが
自らこの枯れ山水庭園の砂を
放置で手入れして
朝早いんですけど手入れした後に
飛び石みたいなのパッパッパって走り回って
次はあっちだっつって
庭の手入れをして
次はガーって走ってっていう
76歳のご老人が
子供のように走り回って
笑顔でその庭の手入れとね
自らの神経と体幹のね
ものをやっていくっていう
やっぱりこのバイタリティがすごい
そして本当に幸せそうなんですよ
子供みたいなのなんか見てると
自ら手入れしてんだってところにも驚きだし
それだけの知見もまずあったでしょうしね
愛情はもちろんのこと
何より楽しかったんだろうね
76になってね
見客で
そのね生前の禅光さんの姿がね
ビデオでね見ることができるんですね
どうしても足立美術館というと
あまりにも庭園が有名すぎて
庭園の美術館みたいに呼ばれるんですけど
そもそも横山体幹なんですよ
全ての出発はね
そしてこの足立禅光というね
本当にさっきの天口担さんとは違いますけれども
一代にしてねこれだけのものを築いた
本当に伝説的な生涯の人物なんですが
この方のねやっぱりバイタリティと
あとやっぱり美しいものっていうものに対する
本当に真っ直ぐな気持ち
涙を流してまで横山体幹の絵が欲しかった
っていうねその熱情っていうのがね
やっぱり大事をなす人ってのはすごいなと思います
シンプルにね
これまでもさ実業家で美術品集めで
みんなに公開するっていう人
いましたね
なんでそんなこういろんな才能があるんだって思っちゃうよね
そうね本当に
羨ましい
才能とその心ですよね
ホスピタリティというかね
彼らに一つ共通してる
これまでこのポッドキャスト上げた人で言うと
秋田の平野正吉さん
藤田嗣晴を呼び寄せた人たちですね
そしてそのための美術館を30年越しの約束を果たして作った平野さん
そして青岸ゲルと坂本半二郎のね
二人展を開催して
久留米のために全てを捧げた石橋翔二郎
ブリジストの創業者
そしてこの足立善光さんというのが出てきましたけど
彼らに一つ共通してるのはお金はもちろんのことなんですけど
ふるさとへの愛情っていうのはやっぱり強いんですよね
確かに地元に作るぞっていう
だからやっぱりある意味箱物を作るっていうのは悪いように捉えられがちだけど
ふるさとの文化のために
ふるさとに人を呼ぶためにっていうモチベーションが必ず備わってるっていうのは
54:01
大きなポイントだと思いますね
そしてあってやっぱり一人一人にね
平野さんだったら藤田嗣晴
石橋翔二郎は青岸ゲルと坂本半二郎
特に坂本半二郎は自分の先生だったわけだから
足立善光は横山大官
っていう何かやっぱり心を動かされた
美しいものっていう話に瞬間的にガンってスイッチが入る
ひとときとそのふるさとへの思いと
モチベーションとお金っていうのがね
そういった条件を持ってる人がね
こういうことを成していくわけですね
すごいなぁと思うしいいなぁと思うし
そうね本当ですよ
自分で庭を作るなんてやってみたい感じもするけれどもね
でもできないんだろうな
いやいやいやもうね
CGで作っていただいて
まあということですね
なので足立美術館はおそらくちゃんと見て
もう普通に2時間ぐらい必要だと思います
なので午後のねお昼ご飯食べた以降は
これもやっぱり城に登ると時間がかかるガッサン戸田城と
本当にちゃんと見ごたえのある足立美術館
この2つだけにあえてもう
これでもう十分範囲地潰れちゃうので
ということにしましょう
いよいよですね足立美術館から車で30分ほど
西中海というものの南側の岸を通って
ついに来ました松江です
島根県の県庁所在地
出雲の主婦として代々栄えてきた松江という町に入ります
僕が本当に住みたいと思うぐらい心転がれる町なんですけど
ということでねちょっと松江の地図を見てみましょうか
松江という町なんですけれども
これは観光の基礎情報として押さえておいていただきたいのが
松江駅というのは大橋川というすごい大きな川があって
東西に流れていてそれの南側にあるんですね
なので一つ栄えているのはこの松江駅周辺なんですが
観光的なメインは大橋川を渡って
さらに島があるってそれを渡って松江城周辺になってます
川の北側なんですね
どっちにも飲み屋もいいところがあるので
僕が一番お勧めするのは
大橋川の北にちょっとした雲河に囲まれた
中須みたいなところがあるんですけど
そこが一番飲み屋街として面白くて
ここで行くと駅にも15分くらいで出られるし歩いて
お城にも15分くらいで行けるって
この中間地点が一番いいと思うんですね
松江駅から松江城に歩いて行こうとすると
30分くらいかかりますので
これは街の作りとしてよく上間地にある
駅周辺に宿を取ると実は歩くと結構遠かったりするパターンです
そしてGoogleマップで見てもらうだけで分かるんですけど
もう縦横に張り巡された水路
松江城の堀もそういうのは含めてなんですけれども
57:00
市街の至るところに水が張られている
水の都なんですね松江はね
これが先ほど昨日かな
雲州平田墓面街道からの水流の話もありましたけれども
そういった利点もあったわけです
というのが松江市の概要になるので
今日は夜なので観光はしませんが
飲みの話をするにあたって
松江のホテルをどこに取ればいいのか
ということをご紹介しました
この場所で言うと東本町の辺りとかがいい
一番いいですね
ただそれ以外にもちろんね
その周辺であればね
僕も松江駅周辺で撮っちゃう時もあるので
夕方で話しますが
本当に夜歩いていて楽しい街なんですよ
なので僕だったら別に
30分ぐらい全然酔いざましと思って歩いちゃってるので
実はあんまりこだわってはないんですけど
でも便利なのはそうですね
大橋川周辺がいいと思います
なので一旦その辺りのホテルにチェックインした想定でおります
車を置きましょう飲むために
大体足立美術館から30分ぐらいで松江の街に帰ってこれる
ただねこれねたまに混むんですよこの道
なのでね油断はしない方がいいです
僕1回ここすごい充電はまっちゃって
大変な目にあったことがあるので
なので6時くらいから飲み始められたら嬉しいなと思いますが
最初にご紹介するお店が
お食事季節料理山市さんになります
松江というとねいろんな名物がある中でですね
新自己湿地というね7つの珍しいと書くんです
松江というのはそういうわけで
湖に囲まれている水の都なので
でしかもその湖はね
淡水と海水が混ざる岸井湖ですいわゆる
独特の食文化が根付いてるんですよ
その代表例がしじみなんですけども
新自己湿地というのは
松江の特有の食文化
この岸井湖に囲まれてるっていう
日本でも珍しい土地なので
そういったところならではのね
水産物かを7つの珍しいと書いて
ブランディングしてるわけです
一つがスズキこれはまあお魚ですよね
これはまあ海とかでもね
よく捕れるものにはなります
次がシラウオというね
すごい小さな魚なんですけれども
これがまずある
あとコイこの辺は淡水の方ですよね
海水があるスズキと淡水のコイ
どっちも捕れるわけです
そしてウナギ
モロゲエビこれはねエビです
中海に住んでるエビです
そしてアマサギっていう
これも川魚だったと思うんですけれども
いわゆるワカサギです
湖に住んでますよね
足の子なんかでもよく有名です
そして最後がもうしじみですね
全国一の漁獲だかというしじみの産地
いくら酒飲んでも安心だと
いうわけですけれども
1:00:00
というのが真珠湖湿地
7つの珍しいという松江のね
このキスイコっていう
非常にね特有のフードに育まれた
独特の食文化
多分県庁所在地レベルの街で
このキスイコに囲まれてるっていうのはね
多分ないと思います
松江以外には
東にもっていうのはないと思うんですね
少なくともね
浜松の浜名湖とか近いっちゃ近いですけれども
とはいえ囲まれてはないので
これが松江のね
特殊な文化なんですね非常に
山市さんにおいては
もちろんこうした真珠湖湿地も
食べれることもあるんですけれども
それ以前にね
居酒屋としてめちゃくちゃ僕ここ好きで
すっごい入りやすくて安いのに
本当に美味しいんですよ
なんかね何かが特別すごい
すごいんだけど
家のそばにあったら嬉しい居酒屋って
こういうことだよねって思う
居酒屋です本当に
なので松江らしいね
真珠湖湿地を筆頭に
やっぱ日本海のね
出雲の地魚
カニもありますね
カニねいいね
そしてね松江といえばおでん
そうなの
おでんのね有名な町でもあるんですね
すごい優しい味わいの松江のおでん
出雲のおでんってのがありますので
ここもねおでんも出してくださいます
いいですね
このお出汁もね
割と色が薄めでね
そうですね
小田原によるとやっぱり
おでん食べられるもんですけど
やっぱりそれぞれのね
町の個性があって面白いですね
いいですね優しそうな感じ
一方でね
こういう家庭料理も全然出してくれるわけですよ
カニコロック
アットホームなんですけど
その土地特有のものがね
だからすっごく入りやすくて
接しやすいのに
その土地でしか食べられないものとね
食べさせてくれるっていうね
もう本当に松江
ここ来たらやっぱりいいなって思いますね
このカニコロッケもね
ソースとケチャップが混なってる感じがね
家庭料理のね感じがね
であとはそしてやっぱり
出雲といえば日本酒ですから
神様にそもそもお酒をお供えしていたみたいな話もありますので
やっぱり島根県特に出雲は日本酒文化はすごいです
本当においしくお酒多いですよ
なのでここでね
そういったほっこりする家庭料理
あとはおでんなんかにね
ちょうど秋行くのでちょっと肌寒いと思いますから
おでんで温まるのもいいんじゃないでしょうか
でねちょっと実は最近これ場所が変わってるんですけれども
大橋川っていうさっき言った巨大な川があるんですが
その近くにありますので
僕は松江が好きな理由がね
夜の風を当たりながらの散歩がもう半端なく気持ちいいんですよね
涼しい川風がね新宿の方からさーって入ってきて
いいっすね
それで夜の散歩っていうのが大好きなんですね
日本酒でこれになった上でね
1:03:01
俺もね飲んだ後の散歩は割と好きなんですよ
そうだよね
やっぱりいいですよね
なんかねやっぱこうちょっとこう気分が良くなって
ちょっとふわっとしてる中は
そう
涼しい風が来るとやっぱ気持ちいいですよね
それがここはやっぱりね
湖があるっていうのが一つ大きなポイントですね
はい
涼やかなんですよね
そりゃいいっすね
はい
っていうのが山内さん
これは本当にいつ行ってももちろん美味しいんですね
で今の夜の散歩は実はちょっと伏線だったんですけれども
ここがねこの9月にこだわってる
9月10月にこだわる理由なんですが
次の目的地というかイベントなんですね
松江水灯炉というイベントがね
9月下旬から10月下旬の土日に毎年松江では開催されています
松江水灯炉というのは
松江は松江ですが
水の灯炉の灯
非変に昇ると書いて灯ですね
道と書いて炉
松江水灯炉というものになりまして
この松江は先ほど申し上げたように
雲河がもう重要に巡らされている水の都なんですね
その水の都雲河沿いに暗洞がね
バーッと照らされて
日本のね古き良きライトアップがね
街中でこの暗洞がね設置されるんですよ
すごい量並んでますね
これは松江城の敷地ですね
なるほど
これは松江城の会場なんですが
松江城の堀がそもそもあるんですが
その周りを中心に
この水路沿いにガーッと暗洞が並ぶと
当然水に映り込むわけですので
リフレクションするんですね
いいですね
やっぱり暗洞だから優しいね
柔らかい光で
この暗洞もね一個ずつ柄が違くて
そうなんですよ
柄というかねもうこれ一個一個作品なんです
地元ゆかりのアーティストの方が
プロの方が手掛けたものもありますし
地元の本当に市民一般市民の方がね
絵を描いて捧げるものもあります
ずっと並んでるわけですね
並んでるんですよ
この9月10月の土日においては
この松江の街にね
この優しい明かりがね街中を包み込むんですね
これがね感動します
すっごい幻想的でうっとりするんですよ
これを酔いざましというか
飲んでる間にここを通ると
そういうことなんですよ
いいですね
こう一個一個のねモチーフを見ていただくと
例えばまあ出雲神話を描いてるんですね
さっきの大国主の話とか書いてあったりとか
うさぎね
稲葉の城うさぎの話ありましたけれども
それと松江城が描いてあったり
1:06:00
これは確か一般市民の方の作品だったんですけど
っていう風にねやっぱり絵柄一つをとっても
出雲っていうのは歴史において物語においても
テーマはあふれかえってますから
そうしたテーマをこの出雲の夜にほんのりと照らし出す
これはね初めて行った時本当に感動しましたね
いいですね
まあこの夏の終わりのね
ちょっと涼しくなってきた時にこれはいいですね
秋かなもう9月か
9月10月
っていうのをねやってね
なのでよいざましで
一番メイン会場は松江城の中なので
そこに行くと本当にね
松江城の車っていう原っぱみたいなところですけど
そこにガッとねいろんなこう
安藤が密集しているところがあるので
ここは一応メイン会場ですが
もうそれ以外の小さな道一つにも
ちゃんと置いてあるんですよ
ちょっとね以前戸田の愛金祭りの時とはねまた
夜のね闇の中でというのは一緒なんですけど
まるでこうコンセプトは真逆なんですけどね
こっちは本当に優しくて包み込んでくれるようなね
高校生の時にね
これ部活に行った直後で9月だったので行って
それでなんか
大学行ったら彼女欲しいなとか思いましたね
男子校だったのでね我々ね
そんなことも思ったりもしました
いまだ実現してる
いまだ松江はね一人でしか行ったことないのでね
彼女と行ったことないですねここね
今年で言うと9月の28、29
10月の5、6
12、13、14
19、20の9日間
の6時から9時までが転倒時間かな
そうかだから土日と祝日だけっていうことなんですね
はいなので3泊4日は
土曜日の夜がねやっぱり僕はいいかなと思います
なるほど
木金土日3日目の夜に松江に行く
ただ当然このルート通りじゃなくていいので
あの一泊で行く場合だったとしても
やはりこの期間に行くのであれば
この開催日にぜひね
松江には泊まっていただいた方がいいと思いますので
ここを通りながらね
通りながらちょっとその酔いざましの山内さんでいただいて
散歩をしながら
この水道路を見学するという感じです
そしてまあ最後それでいい気分になったので
最後もう一杯飲みに行こうということで
今度はね大橋川を渡って
南側の駅の方の繁華街の方にもちょっと足を伸ばしてみたいと思います
そこにあるのがですね
シンジコワインというワインバーがあるんですね
割と珍しいですねワインバー
と思うんですけれども
実はね出雲というのは
最近非常に注目されているワインの産地なんです
日本ワインってね
いろいろ最近あると思うんですけれども
1:09:02
出雲はね
実はその産地として代表的なところなんですね
やっぱりね
甲府とかね
そこら辺はやっぱり
日本の中では一番有名な気がします
北海道もね
だんだん増えてきてるっていうのは聞いたことありますけど
ここら辺でも作ってるんだ
それはやはりね
今挙げてくれたところそうですけど
やはり寒冷な気候だったりとか
要は甲府だってね
フルーツ、ぶどう有名じゃないですか
出雲もね
ぶどうが実は有名だったりもするんですよ
なのでそばが有名なところとちょっと近いのかもしれません
長野とかもそうだと思うんですよね
そういった気候風土
に由来するものなのは間違いないと思うんですね
なので出雲のワインはね
いくつかワイナリーさんあるんですけれども
特に奥出雲武道園っていうのがね
島根県雲南市
ちょっと今回行ってない山の方にありますが
そっちだったりとか
あるいは島根ワイナリーっていうのは
これは出雲大社のすぐ近くにあって
するんですけれども
そういったワイナリーさんのが
実は最近注目をされていますので
出雲のもう一つの魅力として
このワインバーに行くといいと思います
その中でもなぜこの新宿ワインさんを選ぶか
ということについては
やはりこの出雲のワインがね
品ぞれがもちろんあるというのもそうなんですけど
当然出雲だけではなくて
他の日本ワインだったり
もちろん世界中のワインをやってらっしゃるんですが
もう僕ね一人旅こういう店見つけるの大好きでして
京都のね一人旅のワイン楽だっていう
お店を紹介したと思うんですけど
そこにちょっと近い
本当に10席に満たないぐらいの
小さなワインバーなんですけど
その代わりすごい優しいね
店主のマスターの方が
いい話をねすごい教えてくれますし
何より
バーなんですけど
出雲のね食材を使った
創作洋風料理みたいのをね
作ってくださって
それがねうまいんですよ
さかいみなとさんの鮭のカルパッチョっぽい感じですかね
とかね
おでんもありますね
そうなんです
そしてしめのしじみ汁
しじみご飯という
安心ですね
このうしお汁いいね
これは最後にいいじゃないですか
そうなんですよ
だからちょっとまあ
山内さんは最初に本当に飾らない
すごいね入りやすい雰囲気で
ガッとまずビールと日本酒と
出雲のねいわゆる郷土に味わって
で盛り上がると
で酔いざましに松江水道路を見て
ちょっとこうしっとりして幻想的で
いろんなことを物々に吹きながら
大橋川
大橋川はまた綺麗でね
バンドがなくても
民家がこう川沿いにあって
それがこう明かりが揺らめいているんですね
でも見てちょっとなんか感傷に浸りながら
最後ワインを飲むというね
ちょっとキザな感じもしますけど
1:12:01
まあただね
一人旅だからこそね
できるところでもあるので
特に本当にねお料理がおいしいんですよね
ここねさらに
いつものお野菜とかを使った
その時々のね
ものを出してください
お魚料理もありましたので
いいっすね
本当に一人で行くにはね
おつまみの量もちょうどいいぐらいで
いつも出してくださいますので
すごくおすすめです
ということでね
松江の夜の過ごし方ということで
仮にですが
駅とお城の間ぐらいに宿を取っているのであれば
新宿ワインさんは駅の近くにありますので
そこからやはり大橋川の方に戻って
北の方に戻っていただいて
大体10分ぐらいあれば
宿には着けるのかなと思います
ということでじゃあ3日目を
振り返っていきましょう
まず朝美穂館に泊まっておりますので
大体朝7時半ぐらいに
朝7時半ぐらいに
朝食をいただきます
そこから徒歩2分ほど
美穂神社ですね
ここに8時半に着くように
行くということですね
朝見家祭っていう
朝のお勤めですね
神楽なんかもね
見れたりとかいうのがありますので
それに間に合うように
美穂神社に行くと
そこからもう早速観光に移りまして
美穂神社から徒歩1分ほど
これは通り道という感じですかね
美穂の関の
青石畳通りですね
綺麗な石畳の
小道という感じですかね
ここを通りながら
仏国寺に
行きます
ここはまあ
沖に流される前に
立ち寄っていた
っていうお寺ですね
そして
仏像がね
長仏か
かなり古い木の仏像で
なんか独特な
雰囲気を持っている仏像が
ここにあると
ここから来るまで
15分ほど
一旦鳥取県に入りますね
境港市ですね
水木しげる記念館に
まず行きます
この前日のね
ノンノンバーと水木しげるの
話がありましたけども
ノンノンバーの話を念頭に
置いておくと
また違った見方ができるかもしれませんね
そこから徒歩3分ほど
山陰のお寿司ひととせ
境港駅前店
ですね
ここは美味しい海天寿司
という感じですね
境港でとれている
魚介類をお寿司で
いただけるということですね
海天寿司ですので
こんな感じでいただけると
そこから来るまで50分ほど
また島根県に戻りまして
合山戸田城
ですね
1:15:01
ここはもう難航不楽の
落とされてない
力攻めで落とされてない
というね
守りに強いお城の
跡があるということですね
なので時間と
体力のある方はぜひ
山道を登っていただいて
これは攻められないわ
というのを体験していただければ
なかなかここまでの臨場感
要は日本のお城っていっぱい
中世浄化があるんですけど
何度も何度も大きな戦の舞台になって
それでいて一度も落とされてなくて
かつ遺構が
ちゃんと残っているというのを
掛け合わせていくと
日本って一番だと思いますね
そのだけの臨場感を味わえるという意味では
落とせないのを
体感できるということですね
そこから来るまで5分ほど
足立美術館ですね
ここは庭園がまず有名
まあ確かに
すごくスケールのでかい
綺麗なかっこいいお庭
っていう感じでしたね
そして横山大館を
はじめとした
日本画がたくさん
所蔵されているということですね
そこから来るまで30分ほど
松江駅から
松江城の
間ぐらいの
宿が
ベストですかね
そこのホテル
どこかお好きなところに
チェックインしていただくと
そこから夜の町へ
だいたいと5分ぐらい
ちょっと場所によるね
ホテルによるかと思いますが
お食事、季節料理
山市さん
ここはお魚
地魚とおでんとか
ちょっと独特なね
食文化をここでいただけると
そこから
松江水灯篭
ここはタイミングを合わせて
灯篭が並んでいる
水路の
沿いをね
歩いて
歩きながら
だいたいと
20分ぐらい
新宿ワインですね
島根のあたりで
作られているワインをはじめとしてね
いろんなワインをいただける
ワインバーと
そしておつまみというか
料理ですね
美味しいということ
こちらでワインをいただいて
そこから
だいたい徒歩10分から
30分
本当場所によりますね
それぞれのホテルに
帰っていただいて
3日目が終了と
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この日は
メインとしては
マカッサン戸田城と
足立美術館
島根県安城市の
2大物件ですね
足立美術館は結構
見応えありそうな
そうですね
ここはやっぱりね
混むんですよ
まず一言で言うと
3時半に入ってる予定なんですけど
結構僕
ここ2回行ってるんですけど
1回目はやっぱりすごい混んでてお昼ぐらいに行って
混んでて楽しく良かったんだけど
もうちょっと足立美術館見たいなと思ったので
2回目に行った時は
やっぱりこれ
3時半ぐらいに入って
閉館時間がたしか17時とかだったと思うんですけど
そこまで粘ってね
人がいなくなるのを待って
喫茶店に入って
最後は貸切でしたね
なるほどね
そうか
結構粘って
そこまで求めればね
でもだからそれはやっぱ松江とかに
止まれる強さですね
その日東京に帰らなきゃいけないとか
だから中部に行った方が良いと思います
はいはい
で午前中はね
一旦鳥取に入って
さかの港で
水木しげると
お寿司と
移動が
そうですね
結構忙しいメインの日になりますね
4日間全部通してもね
朝も早いですよね
でもそれだけ見どころが
たくさん詰まってる
そうですね
ガッサン戸田城とかは
登らなければもっと省略できるので
そのあたりはね
見どころたっぷりって感じですね
ということで
次回は最終日
はい
タイトル回収もしながら
有名の堺
さざ波の話ですね
そこら辺が分かる
最終日ってことですね
ということで
今回はこの辺で
ありがとうございました
01:20:27

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