1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 「ごんぎつね」と読解力教育――..
2025-03-05 35:14

「ごんぎつね」と読解力教育――自由な感想にバツをつける理由

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サマリー

ポッドキャストでは、「ごんぎつね」の物語を通じて、感想文を書くことの教育的意義や問題点について考察しています。特に、学校教育における自由な発想の重要性や、教師が評価する基準の実情について詳しく掘り下げています。「ごんぎつね」における教育の読み解き方とその影響についても語られています。教育における読解力の重要性が強調され、特に感情や共感を理解することが重要であるとされています。また、多様な解釈が可能であることや、教育における読解力の重要性も強調されています。自閉症スペクトラムの人々の視点からの解釈が取り上げられ、感情の理解が難しい場合についても考察されています。さらに、感想を通じて感情分析の重要性や、教育における読解力の役割について探求し、感情の読み取りが教育の一環であるべきとの見解が示されています。

00:05
はい、おはようございまーす。 抜粋の精神科医、リブラでございます。
今日も収録を…収録というか、 今日もやっていきましょう!イェイイェイ!
はい、今日も思ったことシリーズ 録音はできているのかな?
今日はですね、今ね、本日3月5日、 水曜日だと思いますけども、
この配信しているのは雪で通行止めなんだ。 なるほどね。
マイクは首のところにありますね。
3月4日のですね、夜、夕方に録っておりますね。
今日はね、今から夜、 ちょっと遅くなるとおっしゃってましたが、
スカンクさん、今日は時間が取れる ということでして、
本日、精神のPライン、 収録できるものと思います。
なので、久しぶりですが、 今朝、あるいは明日、
今朝上がっているのかな?わかんないけど、 盛り上がり具合によってあまり長くなると、
1日で上がらないときがありますけども、 2時間程度に収まれば、
本日ね、上がっているものと思います。 お久しぶり!ですね。
言いましょうね。
どっちが先上がるかわかりませんが、 もしこっちが上がっていたらね、
精神のPラインにぜひ聞いてください。 冒頭言いましょう。
お久しぶり!これ言いましょう。 全然面白くもなんともない。
こういうのって面白くないよね。 素人のこういうやつ、本当に面白くないよね。
クソ面白くないですね。 このクソ面白くないのを楽しむというのが、
精神のPラインでございますので、 Pライナーの皆さま、
ぜひお楽しみにしてください。 ということでね、
今日の放送は終わります。 なんちゃって、ぼんよよよよ。
今日の思ったことシリーズ。
いろいろ思ったんですけれども、 最新の思ったことから言いましょうね。
先ほど思い立てホヤホヤの話をしましょう。
チャージグループ。
我らチャージグループの代表番組である大会議。
チャー県のMCH長会議。
何人聴いてるんでしょうね。
当日ライブですからね。
オンタイムで聴いてる人は、 オンタイムって言うのかな。
ライブで聴いてる人は、 銀さんだけですね。
僕最後ちょこっと聴いてね。
そしたらね、今回は何の話かというと、
いろいろ話をされていたんだけど、 もちろんゼレンスキー関係の話もされていたんだけど、
気になったのは、
ごんぎつねの物語紹介
ゴンギツネの話。
ゴンギツネって言うと我々に縁がありましてね。
我々って言うかな。
あれハンダの人の話じゃなかったっけ、書いた。
だから愛知県なんだよね。 愛知県どころかハンダですからね。
スカークさんが住んでるところの近くじゃないかな。
スカークさんはハンダじゃないんだよね、確かね。
ハンダ付近だと思いますけど、
その辺の話だと思うので、 愛知県の人には馴染みが深いゴンギツネですけど。
なんかね、スレッズで見た、
ヤフーニュースをスレッズで見たみたいなんですけど、
三宅園さんがね、なんだか赤信号が出ているぞ。
また雪で続行止めか。
この辺、名古屋近辺は全然雪なんか一個も降ってません。
ただ雨がひとひと降っているだけ。
東京、雪、え?東京、雪で続行止めなの?
マジで?こっちなんともないですよ。
ただ雨が降っているだけ。
名古屋と東京違いますね、やっぱね。
そして、なんだっけ、話戻しますよ。
そのゴンギツネの話があって、
そのゴンギツネの読書感想文中かな、
小学生の時にね、ある人が書いて、
それを先生に出したら罰くらったみたいなね。
そういう話題なのね。
どんなことかというと、
ゴンギツネご存知かな。
最後さ、いたずら狐のゴンがね、
ずっといたずらをするんだよね。
標柱だったかな。
標柱かなんかのところにいたずらをするんですけど、
うなぎを盗むんだけど、
うなぎ盗んだ後、
実はそのうなぎっていうのは、
標柱が病気のお母さんに生をつけさせようと思って、
準備してたね、飼ったか釣ったか、
釣ったのかな、うなぎで。
そしたらそれを盗まれちゃって、
そうしているうちに標柱のお母さんが亡くなっちゃって、
ゴンはそのことを後から知って、
標柱の病気のお母さんに食べさせるうなぎだったんだと思って、
いたずらでうなぎを盗ったことを、
ものすごく狐のゴンが後悔をして、
亡くなる前か、
お母さんが病気が具合が悪い時にかな、
それで少しでも生がつくものを、
クリーアラを一生懸命ゴンは自分で盗ってね、
標柱のところに持っていってたんだよね。
標柱はなんでクリーあるのかなと思いながらね、
それをお母さんに食べさせてたりしたわけだけど、
お母さんは結局亡くなってしまっているんですね。
そうしている時にゴンがまたクリーを持ってきてたんだよね。
それを知らずに標柱がね、
ゴン、あいつ、あのうなぎを盗ったやつね、
と言ってゴンがバーンと両銃で打ち殺すんだよね、
ゴンをね。
そしたらね、ゴンのところにクリーなんかが落ちててね、
あのクリーアラは実はこのゴンが持ってきてたものなんだと
標柱はそこで知るわけですよね。
うわあ、お前だったのかということで、
標柱は涙を流してね、
最後、銃口から青白い煙が立ち上っている描写が書いてあって、
この話おしまいという、そういうお話なんですけど、
感想文の教育的側面
そのところで、どう思いましたかみたいな話なんだよね。
どう思いますかというかね。
で、そこの感想を書くところで、
そのツイッター主というか、
そのヤフーニュース主というかな、
その人は確かね、感想みたいなところで、
もうクリーが食べられないと思ったみたいな感想を書いた。
そしたら先生に、
いや、クリーが食べられないから泣いたみたいな、
そういうコメント、先生としては悲しいですみたいな、
もう一回ちゃんと読んでみてみたいな、
要はダメコメント、ダメですよと、
お前間違えたぞみたいなことを書かれちゃったみたいな、
記事かな、なんかがスレスレ上がってたのかな。
どこだかな、ちょっとわからないけど、
とにかくそういう。
通行止めなんだし、東名も新東名も。
すげえ。
名古屋なんともねえのに。
いや、すげえ。
うわ、なんだちょっとマルトラック。
怖い怖い。何よ。
なんで。
あっ、スマホ見てやがった。
マルトラック、危ねえな。
怖ええな。
マイクで録音するのはいいけど、
やめてスマホ見ながらトラック運転するの。
怖ええから。
ほんとにな、ほんとに怖いな。
急に右に、急に入ってくるときはフワーとね、
あるでしょ、たまにそういうのね。
入ってきてね、めっちゃ怖えつうんでね。
はいはいはい、話を続けましょう。
そういうことで、なんだっけ、
なんだっけ、えーと、
ここはね、道がこのギザギザ道は、
ギザギザマークがね、画面に出ましてね、
ゆっくりになるんだよね。
よくできてるなあ、日産の車。
えー、セレナすごいけどな。
いや、なんでこんなに売れない。
今、日産、セレナはいい車なんだけど、
あんな風に日産に売られると、
なんか日産の車乗ってるの、
少し恥ずかしくなっちゃう。
そうすると、日産買う人がね、
買いたい人もね、なんとなくトヨタ買っちゃうね。
日産買ってると、なんか騙されてるみたいだもんね。
やっぱり良くないな、あいうほどと思いながらね。
日産の車最高ですね。
セレナめっちゃいい車。
僕が人生で買った中で一番最高級に、
素晴らしい車だね、このセレナ。
どんだけしょうもない車買ったんだ、
という噂もありますけど、
そんなことはない。
まあ、乗り味だけで言うとね、
フォルクスバーゲンのシャランもかなり上位、
最高でしたけど、
まあまあ、安定感で言えばね、
アウディのA8も最高だったしね。
面白さで言えばね、
ストロエンのPS3レーシングもね、
なかなかにいい車でしたけどね、
最高な車でしたけどね。
まあまあ、ある種の最高さを持ってますよ、
このセレナもね。
ということで、
それはいいんですが、
それで、要はそういうことじゃないでしょ、
と先生が言うにはね。
それで罰くらったわけね。
そのことに対して、
いろんなコメントがあって、
子どもの自由な発想を潰すのは気に入らないとかね。
でも先生としてはね、
そこにいろんなコメントがある中で、
学校の先生のコメントがあって、
そのコメントは、
これは文章の読解の教育なので、
そういう自由な発想とかを求めている場所じゃないので、
というふうに書いてあったと。
三宅さんはそれに同意したということですけどね。
これについてコメントをちょっとしたいわけですけど、
僕としてもね、
全くその通りというか、
三宅さんの意見と全く同じですね。
三宅さんもチャーケンのライブの中で、
僕が前に配信した内容を引用して
少し言ってくださっていたけど、
基本的にはですね、
学校のテストというものは、
先生が出した課題に、
要は先生が答えだと思っているものに
いかに合わせていくかというゲームなので、
それに関してテストで、
先生が想定していることと違うことを書けば、
それはバツになるよねっていう。
教育と自由な発想
だからすげえ当たり前の、
なんでこれ答えが違うんだって。
学問的にはあんたの答えは違わないかもしれないけど、
論理的には違わないかもしれないけど、
先生の想定している答えと違えからなっていうね。
ここは先生の想定している答えを答えるっていう、
そういうゲームだよっていう。
何言ってんだよみたいな、
そんな感じが毎回するわけですけど、
ということなのと、
そもそも教育というものは、
前ね、これはね、
マサヤさんの配信で、
人に教養するのが嫌だっていう、
マサヤさんに僕が、
いや、何か人に教えたり何かを解くということっていうのは、
基本的には教養することだし、
相手に何かの強制力を働かせてしまうので、
教育とかそういうものっていうのは何かこう、
宗教もそうだけど、
僕らの医療とかもそうだけど、
先生みたいな名前がたくさんあるんですけど、
教育と影響力
教育とかそういうものっていうのは何かこう、
宗教もそうだけど、
先生みたいな名前がつく人っていうのは、
人に影響力を及ぼす仕事であって、
それっていうのは、
いいことをしようというね、
誰かを助けようとかね、
誰かを伸ばしてあげようとかね、
誰かを救ってあげようということなんだけど、
救うとか伸ばすとか助けるっていうのは、
何かしらの強制力を伴うもので、
その人に対して何らかの、
それは善でも悪でも、
いい方でも悪い方でも、
そんなのは簡単には選べなくて、
それは最後のところの問題で、
人にある程度の、
何か人を助けられるってことは、
人を攻撃できるって同じことなので、
何か教育とかそういうことに携わっているもの、
というものの言葉というのは、
人を傷つけるという可能性が、
そういうものであるという、
覚悟を持たないとやっぱり基本的にはダメで、
そのことを受け入れて、
そういうもんだよねと、
誰でも、
そんな完璧にはできないんだけど、
完璧というか、
そんな素晴らしいというかないんだけど、
人に教育するということで、
私はでも、
人に教養するのは嫌ですというのは、
基本的には通らないというようなことを、
まさやさんの配信の中でコメントで、
確かそのようなことを書いたり、
言ったりした覚えがありますけど、
そういうふうに思っていて、
基本的には教育というものは、
ある種の何かの考えを、
相手に教養するためのものなんですよね。
実は教育というものは、
ダイバーシティみたいなふうに言うけども、
ダイバーシティとは基本的には、
ダイバーシティと直結はしないんだよね。
多様性とは直結しないです。
読解力の重要性
ある種のものを教養するんだよね、
教育というのは。
今の公教育というのは、
基本的には、
労働者を作るための教養が、
メインで行われるわけですけど、
そういう公教育に限らずとも、
何らかの教育とか、
何らかのものというのは、
例えば学問一つとっても、
例えば数学なんかもそうですけど、
前提の概念みたいなものは、
これも共通させないと、
話が共有できないので、
それはそういうことにしてください、
あるいは我々の認識が、
とりあえず正しいということにしましょう、
みたいな何らかの前提が必ず存在するので、
そこはもう受け入れてよ、
物理法則とかだってそうですけど、
その根っこのところでは、
理由は知らんけども、
とにかくそういう現象がこれで説明できるよね、
ということがあったら、
前提みたいなものがあって、
それを共有しているというか、
共用するというか、
そういう何らかの一定の、
共用というか、
絶対あるんですよ。
教育というのは、
教育とか何か教えるとか、
説明するということは、
必ず何らかのこちらの考えとか、
価値観みたいなものを、
押し付けない、
押し付けなんだよ、
何かを押し付けるわけ、
絶対にそうなの。
押し付けない教育というのは、
基本的にあり得ない。
押し付けないですよ、
という顔をした押し付けはあるけど、
基本的には何かを押し付けてしまうものなんですよ。
なので、
教育、押し付け、
だから、
読解力と言っても、
読解力というのは何かということですけど、
その文章が何を意味しているかということを、
読解する力だけど、
何を意味しているかって本当の本当のことを言ったら、
わからんでしょ、誰にだって。
力さんなんかはそのことを、
多分おっしゃると思うんだよね。
読解力と言ったって、
いろんな読み方ができる感想で、
感情でいろいろ読めるんだから、
読解力というのは論文以外、
明らかな事実が、
もう決まった事実が書いてないもの以外は、
例えば、そういう小説の文章なんて、
いかいようにでも読めるんだから、
そこには読解なんてものはないと、
感想と違うんだから、そこに読解力って、
お前が何でそれが、
教授がこう考えて、作者がこう考えてたとか、
そんなことお前が決める権利ないということで、
そんなの読解力じゃないじゃないかって、
おそらく力さんはそういうふうに感想、
考えると思いますけど、
基本的には教育における読解力っていうのは、
作者とか、
要は、
書いてることを、
見る力ってことになってますが、
もっともっともっと深く考えると、
作者が、
考えてると、
みんなが思うことを、
思えるかどうかっていう、
それが読み解けるかどうかっていう、
そういう訓練なんですよ。
読解力っていうのは、
文章が読解できるっていうのは、
どういう意味かっていうと、
国語の読解力っていうのは、
みんなと同じ感覚、
なんですよ。
なので、論理構成が分かるかどうかっていうのは、
別の、そういう読解力もあると思うんですよ。
それだったら、論文の読み方だけでいいと思うんだけど、
それは文法ですよね。
文法の授業だけでいいと思うんだけど、
ルールで。そうじゃなくて、
作者の意図を考えるとか、
道徳、
配信の中では、
力さんは道徳だとか、倫理の話をされていた。
自分、ご自身の配信でも、
道徳とか倫理の話をされていたけど、
そうじゃないんだよね。
そうなんだけど、
道徳とか倫理とか、
そういう問題ではなくて、
だけではなくて、
倫理とか道徳のことを言っているのではなくて、
国語の授業っていうのは。
そうじゃなくて、
その文章が、
道徳とかそういう内容ではなくて、
文章に書いてある感情を読めるかどうか。
感情が共有できるかどうか。
感情の、
人寄りの人間、ロボ寄りじゃなくて、
人寄りの人間が例のように感じるところの、
感情というものが、
みんなで読めるかどうか。
これはだから、読めるかどうか。
共有できるかどうか。
みんながそう思っているので、
感じ取れるかどうか。
その訓練なんだよね。
それは完全にはできるようにならないし、
僕らロボは非常にそれが苦手なところですけども、
訓練で少しは読めるようになるでしょうね。
あるいは、
人寄りの人でも文章力がないと、
本来は感じ取れるものが、
テキストの理解力が悪いと、
その訓練ができていないと、
分かるものも分からないと、
いうことがあると思うんだよね。
なので、
ゴン狐の読み方というのは、
そこで、
表情が、
ゴン狐のゴンを打って、
死んでしまって、
泣いた時に、
それは栗が食べれないからだって、
思うのは、
一般的な共有、
みんなの感想とはずれるんだよね。
なので、
それは国語の授業、
読解力の授業としては、
バツを打つしかしょうがないと思う。
この読解力にバツを打たれる子が、
すなわち価値がないかどうかは、
別の問題だと思う。
社会における感情の役割
国語の表情の気持ちが、
読めない子でも、
僕らみたいにロボとして、
それなりに社会に貢献できる方法はあると思う。
ただ、
この国語の読解力のテストはバツだと思う。
それが丸だとなると、
わけ分からないから、
読解力なんてないから、
感情のやり取りすること自体が、
必要ないってことになるから、
そんなことないから、
感情のやり取りがなければ、
人間の社会に成り立たないから、
どっちかというと、
人寄りの人が多いんだから、
世の中はね。
僕らはロボみたいな人たちは、
人寄りだと自分では思いますけど、
こういうロボ寄りの人っていうのは、
基本的にはロボ寄りばっかりだったら、
ゴマだったりするんだよね。
感情寄りの人は多数だよね。
こちらが炭水化物だったり、
じゃがいもだったり、米だったり、
肉だったりするんだよね。
そういうものに、ちょっとスパイスで、
胡椒とか山椒とかあったらいいと思うんだけど、
山椒と胡椒とゴマだけじゃ生きられない。
ゴマはもしかしたら生きられるかもわかんないけど、
僕らは、
だから僕はちょっとゴマなのかな。
チカラさんは山椒かな。
だから僕は多少栄養があるんじゃないかな。
ちょっとこう、
あっちにね、
食べ物にちょっと寄ってんじゃないかと思いますけど、
やっぱロボ寄り、
ロボとか発達紹介っていうものは、
スパイスだと思うわけね。
だから基本的には感情寄りの人たちが大半だから、
その人たちが社会を基本的には回しているので、
やっぱりその人たちの、
それは社会ですからね、
メインはね。
そっち寄りに教育っていうものが行われるのは、
ある程度いたしかたない。
我々だけだったら、
僕はゴマだからいけるかもわかりませんけど、
山椒だけで基本的には栄養にはならんから、
それは。
社会は構成できないと思う。
いくらダイバーシティだと言ってもね、
対応だと言ってもね、
胡椒ばっかりでね、
胡椒と山椒の食べ物だっていいじゃないかって言ったら、
いいけどそれは死ぬよ。
人死ぬからね。
人死んだら話にならない。
だから基本的には成立しない。
だから胡椒のためだけの料理は存在しない。
胡椒はピリリと、
小粒でピリリと効いて価値がある。
胡椒ばっかりはダメ。
肉があってこその胡椒だから。
胡椒がいくらね、
菌と同じような価値があってね、
シルクロードで胡椒がいかに高かったかとね、
ゴマだっけ?
胡椒だっけ?
教育における読解力の重要性
とにかくそういう香辛料がむちゃくちゃね、
価値があった。
だからロボとかアスペみたいに言われる人たちは、
それはむちゃくちゃ価値があったりするけど、
そればっかりは基本ダメなわけ。
なので戻しますと、
教育というものはそういう、
みんなと同じものが感覚ができるかどうか、
我々ロボからすると、
若干ムカつく話ではありますが、
我々ロボとしては、
不本意な部分もあるけれども、
やっぱり人寄りの人がね、
本を読むときにどう感じるかということを、
ある程度、
あの人たちが訓練するためのものであって、
僕らもそこに訓練を多少させてもらってね、
僕らも本を読めるようになったり、
感情が多少読めるようになってるけど、
根本的にはね、
人までは読めない。
人までは読めない。
これはもう仕方がない。
で、
そういうものだから、
ゴンギズネはクリがもらえなくなるから、
泣いているという読解は、
これはもう間違いということになると、
僕は思います。
これはやっぱり間違いです。
感情の理解と解釈の違い
そんな人それぞれでしょ、
基本的には国語の授業としては通らない。
で、
次何の話をしようか、
どうしたかというと、
話の流れをね、
ちょっと何かどっかに書いておけばいいんだけども、
書いてないもんだから、
方向性がわかんなくなるけども、
で、何の話だっけ、
ゴンギズネで読解力は、
そうそう、
読解力っていうのは、
そういう教養するものですけど、
これがね、
僕コメントでね、
ハッターチョーガイのテストみたいですね、
って書いてたんだけど、
最後まで配信聞かずにコメント書いちゃったんだけど、
チャーケン最後まで聞いたら、
これはアスペ発見機体の記事に書いてあった、
って言うんだよね。
じゃあ僕と同じこと言ってるんだから、
記事に書いてあることを、
後追いで言っちゃったんだけど、
つまりね、ハッターチョーガイっていうのは、
こういう間違いをするんですよ。
ゴンギズネの今の話みたいな、
獣で死んで、狐が死んで、
自閉症ね、ロボね、
自閉症スペクトラムの人はこういう間違いをする。
標準が、
鳴いていたというと、
栗が食べれなくなるから鳴いてたのかなっていう、
こういう間違いをするんですよ。
これはね、
有名な、これがあれに似てるなと思ったんですけど、
なんていう名前だったかな、
忘れちゃったな、
ちょっと名前忘れちゃいました。
期待した通りのものが、
もらえないときのお話があって、
どんなお話かというと、
もしかしたらピーラインで言ったことあるかも、
わかりませんが、
まず女の子がいました。
その女の子が、
全然スピードが出ない、何これ。
女の子が、
うさぎが欲しかった。
うさぎが欲しい。
うさぎが欲しいなっていつも言ってた。
うさぎが欲しいなっていつも言ってたら、
ところ、
お母さんとお父さん、両親が、
なんかでプレゼントをくれることになりました。
そのプレゼントに、
送れるときに、
お母さんとお父さんが言いました。
これは、
あなたが一番欲しがってたものよ。
あなたが一番欲しがってた、
君が一番欲しいと言ってたものをプレゼントするよ。
で、
てっきり、
ということで、その女の子はプレゼントを、
あ、いつも言ってるし、
ってことは、みたいな感じで、
喜んで、
プレゼントを、
もらいました。
もらいましたというか、
箱を開けました。
開けたら、
そしたらね、
なんと百貨辞典が入ってた。
百貨辞典が入ってました。
ただその女の子は、
あ、ありがとう。
これは私が一番欲しかったものだわと言いました。
もう一回言いますよ。
女の子がいて、
うさぎが欲しい、うさぎが欲しいと、
よく何かにつきゃ言っていた。
あるときプレゼントをくれると両親が言って、
両親が、あなたの一番欲しがってたものを、
買ってきたよみたいな感じで言ったので、
言ったと。
で、ありがとうと思って開けたら、
百貨辞典が入ってて、
その女の子は、
ありがとう。これは私が一番欲しがってたものだわと、
親に言いました。
っていう話ね。
ここからがテストですけど、
この女の子は、
本当のことを言ったんでしょうか、
嘘を言ったんでしょうか。
それぞれ、
本当のことを言ったんだったらまだ言っただけだけど、
もし嘘を言ったと言うんであれば、
どうして嘘を言ったんですか。
っていうテストね。
さっきのアスペ発見器だったけど、
アスペとか自閉症とか、
自閉症スペクトラムとか、
ロボとかって言われる人たちは、
程度があるので、
色々ですけども、
こういう答えがあって、
割とこういう風に答えがちなんですけど、
これは本当のことだと。
やっぱりそうやって本人が言ってるからね。
でもウサギがね、
欲しいって言ってたよねと。
多分この百貨辞典に、
ウサギの百貨辞典だったんだろう。
こういう風な。
ウサギの百貨辞典だったから、
お前言ったんだろうと。
という風に例えば、
自閉症犬の人は答えたりするわけね。
本来、普通の答えというかな。
人寄りの人の感覚。
つまり、
兵獣がゴンを打ったときに、
後悔だとか、
お前だったのかと後悔だとか、
罪悪感とか、
そういったものを感じて、
申し訳なかったと、
ゴンの自分のお母さんに対する後悔とか、
愛情とかを感じて、
こいつも後悔してたのに、
知らずに打ってしまったと、
むしろ俺が申し訳ないという気持ちで、
いたたまれなくなっちゃって、
悲しくなって泣いているというようなことを感じられる、
人寄りの普通のセンスの人の
回答というのは、
普通は、
あるいは論理性で回答できる人もいると思うけど、
力さんとかはできる可能性はありますけど、
そういう人寄りのこと、
人や人寄りの感情も
計算で理解できる人の感想っていうのは、
この女の子に関しては、
これは嘘であると。
それは、お母さんたちを
がっかりさせないために、
お母さんたちは自分が喜ぶと思って、
せっかく百貨自転買ってきたのに、
私、うさぎが欲しかったのになって言ったら、
お母さんがっかりするでしょ。
がっかりするから、
お母さんたちを喜ばすために、
がっかりさせないために喜んで振りをした。
あるいは、
もうちょっとずるい見方をすると、
親が、
これで親の機嫌を損ねてしまうと、
うさぎを買ってもらえるチャンスが減るので、
ここは喜んでおいて、
お母さんたちを怒らせないでおいて、
でも、うさぎも欲しいなって、
次のチャンスを狙うと。
狙うために、嘘だけど、
ここで親の機嫌を損ねてはいけないという
計算で言っているとかね。
どっちにしろ、
これは嘘でね。
だって、うさぎが欲しかった。
百貨自転。
嘘に決まっているよなと読めるのが、
正常の子で、
今回のテストに関しては、
テストも、
いつもの馬鹿の壁と、
鈍化の壁と同じで、
テストも同じく、
テストによって、
右と左が分かれるだけのことで、
もっと右の人は、
テストの右側に行ったりするし、
右側の人は、
テストの右に行ったりするし、
左に行くと、
テストの左に行ったりするし、
テストの右か左かという、
連続体になっていますけれども、
普通と言われる、
センスがある人の側というのは、
嘘だなと、
捉えるし、
このテストにおける、
自閉症的な回答というのは、
本当で、
それは、百貨自転が嬉しい、
うさぎが好きだと言っていたから、
うさぎの百貨自転だった、
みたいな、
真正面から捉えると。
人の感情とずれた視点
こういう読み違いね、
感情の読み違いみたいなものが、
自閉症の人は起こります。
患者さんの例で、
僕の患者さんの例で言うと、
僕が、この人、
自閉症っぽくて感情ないなと思っていた人がいて、
感情ないなと思っていた人が、
奥さんだったかな、
男だったか女だったか、
とにかく奥さんだか彼女だか、
奥さんかな、お母さんかな、
とにかく家で家事をしている、
奥さんかな、おさんかな、
そうしたら、
僕の外来で泣いていて、
あいつが死んでしまって、
びっくりして、
この人、泣くんだと思って、
あまり感情ないと思っていたから、
家族が亡くなったら泣くんだと思って、
逆にびっくりして、
やっぱりロボットっぽい人だと思っても、
人の感情はあるのか、
そりゃそうかと思って、
人だもんなと思っていたら、
家事を自分でやらなきゃいけなくなった、
って言ったんだよね、びっくりしちゃって、
家事を自分でやらなきゃいけなくなった、
それも確かにそうなんだけど、
この場ではそれ言わんよねと思って、
先生これから、
俺が一人で掃除も洗濯もやらなきゃいけなくなった、
って泣いたんだよね、
びっくりしたと思って、
そっちかい!と思ってね、
めっちゃびっくりしましたけどね、
一人娘が死んだのを、
あえて言えば、
娘が自殺しましたけどね、
みたいなことを、
子供投げに言う人とかで、
えー!って言うねん、
いろんな人がいますけども、
そういう感情のずれみたいなね、
普通の人はそう考えないよね、
教育と感情の重要性
みたいなことを考える人がいるわけね、
そういう人たちにも、
僕らも含めてですけど、ちょっとずれてる、
僕らにも価値はあると思うんだよね、
校長としては、
教育という面に関しては、
その答えはやっぱりバストせざるを得ない、
社会というものがそういうものだからある、
僕らに、ロボに、
強要的な社会を作ってはだいぶくれてるとは思いますし、
僕らも社会で、
胡椒や山椒のようにピリリと、
効果をし、
価値を提供できてるとは思うんです、
僕は社会の中である程度価値があると、
自分で思っているけれど、
だけど、やっぱり、
肉や魚、お米というものの価値には、
変えられないところはあってですね、
やっぱね、
なので、
感情が読める一般の人たちの、
教育というのは、
それはダメだと、
論文で全部ね、
国語教育しろというのは、
という話には僕はならない、
というお話でした。
読解力と感情の分析
長くなったね、まとめますと、
チャーキンで、
ゴンギツネの話をしておりました。
ゴンギツネが、
死んだときの感想に、
栗が食べれなくなったから、
ヒョウジュウが泣いた、
って書いててるのを、
罰くらった人に関して、
いろんな意見が出たよって話だった。
それに対して、
例えばチカラさんなんかは、
感情なんてのはそれぞれなんだから、
論文で読解力教育をしろ、
っていうぐらいの話を、
コメントで書いてらっしゃった。
道徳と倫理はまたどうのこの、
という話もあった。
僕の感想としては、
道徳倫理の話ではなくて、
感情を読むかどうかの読解力という意味も、
大きくあって、
文法的な論理展開も、
追うという能力もあるんだけど、
その他に感情を読むというのも、
読解力の中に含まれていて、
それは感情を読み合う、
人間たちが、
構成している社会で、
僕らロボがやっぱり中心ではないので、
感情のやりとりって非常に大事なので、
文章の中の感情を読み取る、
っていうのは非常に、
人間にとっては大事な能力なので、
それが世の中で国語教育として、
読解力という名前で行われているのは、
これは当然であって、
致し方ないところで、
それは僕らが苦手なだけのことで、
僕らのポジションから言うと、
そういうものは論文だけにしろという意見は、
僕らはそういうふうに思わなくもないけれども、
思わなくもないけれども、
しかしやっぱり、
社会全体を考えると、
読解力のテストという分野において、
栗が食べれなくなったから、
栗が食べれなくなったから、
泣いているという理解で、
とどめてしまうのが、
間違いとされるのはしょうがないと思う。
ふざけが書いてある百貨店だったっていうのは、
面白い見方なんだけども、
それは基本的にはバツとさせていただくのが、
読解力のテストだね。
例えば、
奥さんが死んで泣いている人がいたら、
そういう本当にね、
俺が家事をしなくちゃいけないと思って泣いているという人も、
実際いるんだけども、
基本的には、
二人でいた生活のね、
喧嘩もしながらね、
奥さんと二人で長く生活してきてね、
愛着もあってね、
空気のような存在だとか言ったけどね、
逆に空気がなくなってしまって、
ものすごく寂しいとかね、
奥さんがいなくなって、
すごく寂しさやつらくなっちゃったみたいなことでね、
旦那さんが泣いている昔のことを思い出してね、
泣いているのかなっていう風に読み取る。
俺が家事をしなくちゃいけないって泣いてるんじゃなくて、
それが正解の場合もあるんだけども、
だけどそういう読み取り方っていうのは、
読解力としては一応罰をくらしていただくのが、
やっぱり教育としては正しくて、
そうせざるを得なくて、
基本的には、
奥さんが亡くなった、娘が亡くなったという時には、
やっぱりそれをね、
愛着のあった人がいなくなるっていうこの寂しさ、
切なさでやっぱり人は泣いているんだと、
家事を俺がするのかと思って泣いているわけじゃなくてね、
いなくなったことでの寂しさ、切なさみたいなことでね、
泣いているんだよという読解がね、
そういう読み取りがね、
これが正しいという風に考えるのが、
人間社会のデフォルトの考え方で、
そこを故障の僕たちとか、
ごまな僕たちは、
違う見方をすることがあるけど、
それは基本的には間違いで、
そういう間違いを出す人にも、
僕は価値があると思っているし、
自分に価値があるとは思っているし、
力さんにも非常に価値があると思っているけど、
でもそれは間違いです。
国語においては。
そういう意見でした。
はい、さようなら。
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