1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. ごんぎつねの読み方に見る投影..
2025-03-05 17:14

ごんぎつねの読み方に見る投影の違い 〜スカンクさん篇〜

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サマリー

このエピソードでは、ごんぎつねの物語を通じて、登場人物の感情や視点の違いについて語られています。特にスカンクさんの独自の見解や、他者の感情に対する反応の違いに焦点が当てられています。また、スカンクさんの投影の仕方の違いや、キャラクターの視点で捉えられない特性が掘り下げられています。参加者はスカンクさんの感覚が他のキャラクターと異なることを感じ、その理解が難しいことについて議論します。

ごんぎつねシリーズの始まり
はい、おはようございます。 抜粋の精神科リブラでございます。
今日もやって参りましょう。
サージグルーブで不思議な盛り上がりを 見せております。
ごんぎつねシリーズ、やって参りましょう。
ごんぎつねシリーズそんなにやりたくないんです。
なぜなら、ごんぎつねシリーズ、
あまり人の興味を引かないようで、
聞いてる人がちょっと、ごんぎつねって書くと、
聞いてる人が減るね、なんかね。 そんな感じがしますね。
関係ないけど、西野明宏って書こうかな。
そうすると、聞いてる人が増えるんですよ。
まあいいでしょう。ごんぎつねにしましょう。
皆さん、西野さんには興味あるけど、 ごんぎつねには興味がないと。
そこを幹虫で、ごんぎつねにしましょう。
さあ、ごんぎつねからわかる、 いろんな話がありましたね。
先日、ごんぎつねを見ても、 読んでも標準、
もう一回おさらいをしましょう。
ごんぎつねが、
イタズラをすると、
標準がお母さんに、病気のお母さんに、 背をつけてもらおうと思ったうなぎを、
ごんぎつねがイタズラで取ってしまう。
それが病気のお母さんのためだということを 知らなかったので、ごんはね。
ごんはそれをしまったと思って、 申し訳ないということになって、
きのこやら、栗やら、
一生懸命、自分なりに、ごんなりに、 きつねなりに、いろいろ考えて、
毎日、せっせと、標準のところに、
お母さんのために、非常に申し訳ないことを したということで、やってたんだけど、
ある日、お母さんが死んだのかな。
標準が、ぱっと見ると、ごんがいて、
お前だった、お前かと。お前だな、うなぎ取ったやつ。
この野郎!って、 標準でバーンと打ち殺しちゃう。
打ち殺したら、近くに栗ときのこがあって、
あ、この栗くれてたのね、お前だったのかと。
いやー、そうだったのかと。
悪いことをしたのを反省している、 きつね、けなげさとか、
そういうのを思うと、いたたまれない気持ちになって、
お前だったのかということで、 せつない気持ちになるよね、
という悲しいお話、せつないお話です。
それは大泣きする人はいないけど、
かわいそうだなって、
殺されたごんもかわいそうだし、 けなげさみたいなものがせつなくて、
標準が、だったら泣いてしまうかもな、
スカンクさんの視点の違い
うるっとくるみたいな、 そういうお話ですよね。
なんだけど、スカンクさんは、
外獣駆除の話に聞こえるという、
なかなかの鬼畜ぶりの発言をされるわけですけど、
あれは外獣駆除でしょっていうことで、
みんながそこに感動したり、
ちょっとほろっと涙するみたいなものが、
ちっともピンとこないというようなことで、
鬼かということなんですけど、
スカンクさんとしては不思議なんですね、どうもね。
この話を聞いて、
標準に投影して、気持ちが聞いている人は、
みなさん心うるっとくるでしょ。 スカンクさんは来ないんですよ。
これが何の違いかというのを、 一生懸命スカンクさんは考えたみたいで、
そのコメント欄にスカンクさんが、 コメントをされていたわけで、
スカンクさんではなくて、 精子のPラインで出ていたような気がしますけど、
あの精子のPラインは、 また例の鬼畜スカンクさんですけども、
僕ではないんですよね。
スカンクさんの投母式、 精子のPラインのコメントが、
わかったと、もしかしてですけど、
もしかしてだけど、
自分は自分の視点でしか見ない、 自分を分離できないと書いてあったから、
つまり標準のポジションに、 自分を生かすしかないと。
自分を生かすしかなくて、 自分から見た視点で、
自分が標準の場所にいたら というふうにしか考えられないと。
もしかして皆さんは、 キャラクターになりきっているんですかと。
皆さん標準の立場で言っています。
僕は標準のところにいる自分の立場で 言っていますよと。
なので、僕は標準の場所に 行くことができるけれども、
皆さんはキャラクターに なっているんですかとよく分からない。
だから皆さんは泣けるけど、 僕は泣けないのかなと言ったのに、
意味がよく分からなくて、 言っている意味が分からないなと思って。
標準の立場にいるチカンクとして 僕は考えるが、
皆さんは標準になっているんですね と言うんだよね。
この違いが僕には 分からなかったんですよね。
チカンクさんは標準の場所に スカンクとしている。
皆さんは標準になりきっている。
でもさ、僕が標準になりきっているってことは 僕が標準の場所にいるってことじゃないの。
何がどう違うのっていうね。
スカンクさんが言うのは、 全く意味が分からなかったんだけど、
スカンクさんが言うのは、この物語の中に 標準というキャラクターを抜いて、
そこに現実のスカンクというものを置いて、
そのスカンクがどう感じるかというふうに 想像すると。
そうすると泣けないと。
もしかして皆さんは物語の中の標準になりきって 考えていらっしゃるのかなと言ったわけで、
そういう意味かというのがようやく 分かったんですよね。
そこで納得できたというか、 そういうことかと思ったんだけど、
つまり何の違いかが分からなかったんだけど、
スカンクさんはなんと驚くべきことに このゴンギツネの話を聞いて、
そこに投影というんですよね。 人の気持ちを考えるという時にね。
例えば相手が包丁で切られている時に 痛たたたと思うのは痛そうじゃないですか。
人が切られるのを見ると痛たたたとなるじゃん。
あれはミラーニューロンが脳で働くなんて 言いますけど、心理学的に言うと投影なんだよね。
自分がその人だったらというふうに考えちゃう。
自然とミラーニューロンというのが働いて、 自然と投影が図られるんですよ、人間というのはね。
なので、傷ついている人を見ると、 殴られている人を見ると、
感情の理解について
自分のことみたいに痛くなる。 そんな気持ちになって嫌な気持ちになるわけね。
いじめられている人を見ると嫌だなって 思ったりするのも全部そうですけど、
投影というのが働くんですよね。 その時には自然とその立場に立つわけだよね。
なので、兵獣の話を見ていると 自然と兵獣の気持ちになってしまったりとか、
ゴンのことを見ていると自然とゴンの気持ちになってしまう。
ゴンのことを見ていると自然とゴンの気持ちになったりとか、 それを投影と言いますね。
そういうふうに投影すると、 当然兵獣の気持ちになり変わってしまうというかね、
勝手になっちゃうんだけど、 一方スカンクさんはそっくりなんだけど、
兵獣のところにいるスカンクという状態で、
なので兵獣の経験や兵獣の環境、 兵獣がどういうふうに生きてきたみたいなものに
なり変わらない。
スカンクさんは自分が動かないとおっしゃった。
自分は自分から離れられない。 皆さんは自分から離れるんですねと言ったんだけど、
そうなんだよね。
でもスカンクさんがやっていることも 投影は投影なんだよね。
投影の仕方が違うんだよね。
だから兵獣の場所にスカンクというものを スポンと入れ替えるわけだから、
ある種の投影なんだけど、ところが入れ替えたときに、
そのゴンギツネの中に登場するスカンクは、
兵獣のような歴史や、兵獣のような生き方や、
兵獣としての立場みたいなものに連続せずに、
スカンクというものとして そこに存在するっていうんだよね。
スカンクさんの話をやると。
これはある種の投影では確かにあるんだけど、 普通の投影と違うんだよね。
普通の投影はその人の立場になり変わるんだよね。
だからスカンクさんはその人の立場になり変わるのが 苦手だってことだよね。
これは実は人の気持ちになるのが難しいってことですよね。
実はね。これは自閉症の人たちの特性ですよね。
人の気持ちが分からないっていうね。
だからスカンクさんは愉快に話をするから、
人の気持ちが分かってそうな雰囲気があるんだけど、
あの人、人の気持ちが分からないぞっていうことが見えてきて、
びっくりしたというか、そういうことなんだっていうね。
この投影法が普通の感情の人寄りの人の投影ではなくて、
割とロボットっぽい、自閉症っぽい投影をするんだなと思って。
なので標準の立場になり変わりきっていないんだよね。
スカンクがそこにいるだけなんだよね。
それは確かに投影ではあるんだけど、
一般的な感情寄りの人寄りの感情に豊かな人間の投影とはタイプが違って、
実はスカンクさんはあまり空気が読めていなかったというね。
空気じゃないな。空気じゃなくて、
人の気持ちが想像するのがあまり得意じゃなかったということがね、
想定されるというか、あ、そうなの?みたいな。
そんな感じがしましたね。
どうなんでしょう。スカンクさん、例えばね、
一般的にはですね、皆さんそうだと思うんだけど、
例えばさ、ぬいぐるみのさ、ぬいぐるみをこう、
ぬいぐるみの首を、顔をハサミでちょきちょき切るの嫌でしょ。
なんかすごい悪いことしてる気がしませんか。
でもあれって布じゃん。
そういう時にスカンクさんは、
ぬいぐるみの顔をちょきちょき切るのを見て、
イタタタ、なんか嫌だなあっていう気持ちします?
スカンクさんの投影の特性
なんか、もしかしたらしないんじゃないと思って、
それするのかな。こういうのが投影なんですよね。
どうなんだろう。スカンクさんするのかな。
こういう中に、みんなとの反応の違いが、
スカンクさんにはどうもありそうですよね。
チカラさんがね、みんなとちょっと違うのは、
なんとなくもうすでに分かっていたことで、
あの二人、ちょっと似てるとこあったよ。びっくりしましたね。
ということで、簡単に言うと、
投影は投影なんだ。
人の立場になりかわって自分のことみたいに考えるっていうね。
自分を映し、自分を映画みたいにその人に、
なんていうかな、あれだよね。
なんだっけ、何だっけ、
ディズニーランドの城に何か絵を映したりする。
プロジェクションマッピングみたいに標柱に、
キャラクターに自分を映して、
自分がキャラクターみたいに逆にね、
標柱を僕に映してるのかな。
とにかく一体となってしまって、
ドラえもんを見ていて伸びたときに投影してしまうとかね。
よく言うじゃん、投影してしまうって。
自分を投影してしまうってね。
自分をそこに重ね合わせてしまって、
重ね合わせなんだよね。
重ね合わせて自分が標柱、
標柱が自分というふうに一体化して
重ね合わせで見るんだよね。
ところがスカンクさんは重ね合わせてるんじゃなくて
入れ替えてるんだよね。
投影というよりも交換してるんだよね。
なので自分が標柱のような立場になりきってないんだよね。
自分だったらどうかって、自分だったらって言ってもさ、
自分が標柱の場所に行くっていうのが
いまいちよく意味がわからないんですよね、僕としてはね。
なんで、自分が標柱の場所に行くっていうのは
現実の社会のスカンクというものが
急にゴンギツネを打つんだよね。
ちょっとよく意味がわからないんですよね。
なんかちょっとだから、
いまひとつ意味がよくわからない。
やっぱり結局スカンクさんの感覚というのが
いまひとつよくわからないんですよね。
僕はスカンクさんが言うには、
僕が標柱と自分を立場を入れ替えて見る
という特性を持ってますけど、
みなさんは標柱というキャラクターになりきって
考えてるんですか?っていう
この意味が、そもそもこの感覚が、
この違いがよくわかりませんよね。
みなさんどうですか?
これ、あーははーって思います?
僕はね、理屈ではわかるんだけど、
絵は浮かんでる、そこにスカンクさんの顔をした
標柱みたいなものがいる場合と
標柱がいる場合というふうに
二つ想像してますけど、いま。
ただ、投影というのは普通は重ね合わせをするので、
標柱がリブラになったりするのではなくて、
標柱とリブラは一体のものとして、
自分が標柱リブラとして想像を、
分離できないものになって、
投影というのは重ね合わせなんで、
スカンクさんは重ね合わせではなくて、
自分がそこにただ行くだけ。
ということは、標柱というキャラクターの流れとか
ノリみたいなものは共有してない、
多分そういう意味だと思う。
だから泣けないって言ってるんじゃないかな
と思うんですけど、なので、
スカンクさんはその人の立場に立って
理解の難しさ
パッと想像するみたいなことがあんまり得意じゃない。
だからミスるのかなって、
ミスるっていうのは変な不容易な発言をして
失敗するじゃないですか、よく。
あれはだから、人がこう言ったら怒るかなみたいなのが
うまく想像がついていないんだなというふうに、
鈍い僕らと敏感なスカンクさんというキャラで
やってましたけど、
なんかちょっと違うぞというようなことを
今日は感じましたという警察がいました。
ということで、
これはちょっと今日の夜の配信で出しちゃおうかな。
ということで、まとめますと、
スカンクさんが標柱の言語技術の話で
全然泣けないという話をしていました。
そこでそのコメントで、
皆さんは標柱のキャラクターの視点で見てるんですか。
僕は標柱の場所にスカンクを置いて見てるんですよ
というようなコメントを書いた。
僕はそのコメントが全く意味が分からなかった。
今でも今一つ意味が分からないですけど、
意味が分からないというか、しっくりこない。
その感覚がちょっとピンとこないんですけど、
どうもこれは投影というものなんだよね。
標柱になり変わるというのは投影なんだけど、
一般的には僕らは、皆さんもそうじゃないかと思いますが、
標柱というキャラクターに自分を重ね合わせて、
投影というのはもう重ね合わせて、
それは標柱なんですか、リブラなんですかと言われても答えられない。
リブラであり標柱であるというような重ね合わせで
ものを見るんだけど、スカンクさんは重ね合わせることなく
そこにスカンクを置くみたいですね。
というふうなことから考えて、
それって自閉症の特性かなと思うんで、
やっぱり標柱の気持ちを察することがちょっと難しいということで、
実は察するように見えていたスカンクさんは、
察しない、察せない人だの可能性があるという、
割と衝撃的な、あんなに愉快に話すんで、
感情を読めているみたいに見えていたけど、
そこまでは見えていなかったけど、
とはいえロボットグループでしょとは思っていましたけども、
最近ここの数日でまあまあのロボ感が、
少し前の歌は歌謡曲含め、
歌は自分が歌えるかどうか試すためだけに聞くという
とんでもないびっくり発言がありましたけども、
そこから始まりました。
スカンクさんロボ疑いというのが、
いよいよまた強くなってきたということでした。
びっくりしましたね、皆さん。びっくりしなかったかな。
ということで、これはおまけの配信として夜上げておきましょうかね。
それでは皆さん、さようなら。
17:14

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