なるほど。
ちょっとじゃあ、絵本とんで物語っていうものと人間の考察を始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
というのでですね、これきっかけとしては、つい先日僕、小学1年生のお一個がいるんですけど、
死ぬほどコロコロコミックのカービィの漫画を読んでもして、
なんか小学生男子だなーって思って。
コロコロのカービィの漫画がまだやってるんだっていう結構紹介を受けた。
今、何?現在進行形でやってる?
いや、正確には作者さんとか変わって、僕らが読んでたあれでは多分ないんだけど。
ででででぷぷぷの物語。
ではないです。
あ、ではない。
ではないんですけど、マリオは同じ作者でやってます。
あー、あの人。
みんなが一度は通った。
コマの端っこから指を立ててツッコミをする。
懐かしい。あれも物語かな。
やっぱりあれを読んでいて笑うところとかがなんかというか、小学生男子だなーというか。
何々すなーみたいな変なことをしてツッコミをしているのを見てもうゲラゲラ笑ってるんですよ。
幸せそう。
それ以来自分もちょっとおちゃらけるときにコロコロっぽいふざけ方をするというか。
そういうやっぱ物語とか漫画でよって自分の影響が受けるみたいのは大なり小なりみんなあるし。
特に。
僕らが今コロコロコミックのギャグ漫画を読んで、あんなに心の底からゲラゲラ笑えるかって言われたらちょっと難しいじゃないですか。
そうね。声を上げちゃったみたいなことはなかった。
もう我慢できない笑いが出てしまうからさ。
っていうくらい特に保育園とかでも本で読み聞かせみたいなのって多いと思うんだけど。
はいはいはい。
まあそういうのがどう影響するのかみたいなのをちょっと調べてきたりしているので。
面白い。
調べるというかそういうのもちょっと話しつつ、
まあ好材というか良い側面悪い側面みたいな話をしていけたらなと思ってるという感じです。
いいですね。
なるほど。絵本ね。
原液で読んでるチロ先生というか、どうですか絵本。
まあもちろん保育園でも随時読むし、読み聞かせももちろんするし、家でも。
本当はね、理想的には寝かしつけの時にしっかり時間とって、1冊2冊ちゃんと読んでからお休みに行ってしたいんだけど、
まあ下の子と上の子と男の子2人だとだいぶとっちらかるので、
なかなか落ち着いた時間をとれず、絵本読み聞かせしきれないところもあって、ややそこが悔やまれるポイントではございますが。
父としての悔しさみたいな。
でも当たり前に行われているし、我々世代からある絵本もあれば、新しい絵本ももちろんあって。
でもなんだろうな、僕が思っていたより、その保育園にある絵本はだいぶ古典的というか、
僕たちがちっちゃい時から知ってる絵本がまだまだいっぱい残ってて、当たり前のように子供が読んでるんだなーっていうのはなんとなく思いますね。
グリとグラとか?
そうそうそう、グリとグラとかもそうだし、バブとケロとかもそうだし。
バブとケロね。
グラマンとケロ。
本当?割と新しいものだしな。
あと、100万回生きた猫とかさ。
そういう中で、やっぱ普及の名作系。
当時から、やっぱり完成度がすごい高くて、素敵な絵本たちっていうのは生き残っていて。
強いて言えば、押入れの冒険とか。
超怖いやつだ。
押入れの中閉じ込められて妄想してみたいなね、そのイマジネーションな話もあるにはあるけど、
あ、もう今となっちゃ虐待だよねみたいなオチがつくみたいな。
やっぱ時代とともにちょっと囚われ方が変わってしまうというか、意味合いが変わってしまうようなものも多々あるなという気はしますね。
ちょっと調べた限り、やっぱり絵本って名作が強すぎて新規参入が難しい業界だって言われていて。
間違いないね。
さっき言ったグリとグラとか、押入れの冒険とか、そういう普及の名作が強すぎるだけで、
逆に言うとそれがある程度子供に与えるメッセージとしては大きいみたいなのもあったりするらしく。
そうだね。
グリとグラとかだと、みんなでカステラを作るみたいな、一緒に作るみたいなメッセージとかで協力しようみたいなメッセージ性とかね。
なるほどね、メッセージ性ね。
そうだね、それとなくその物語に隠れてるそういう表だったり。
確かに確かに。
もちろんハラペコウムシみたいなのはどうメッセージ性を取り入れればいいかわかんない。
いやいやいや、あれはもう、生態絵学の、なんと美しい一生と成長のね、描写でございます。エリック・カールのね。
あと調べた中で出てきたのと、君の体は君のものっていう絵本が。
あんま記憶ない。
これは割とこう、割と最近らしく保健指導とかの一環でちょっと使われたりもするみたいな。
あるある、やっぱりここ数年でその性教育、界隈な包括的性教育的な目線からの性の話とか体の話みたいなものを題材にした絵本も増えたり。
あ、なるほどね。
なんかその、保健指導の一環で痛い時は痛いと言ってもいいんだよみたいなことを伝えるとか、そういうのも本当に教育の一環としての絵本みたいな概念もやっぱりあるらしいですね。
そうだね、なんかまあ、こう、保育士たちがその狙いとか計画性を持って取り入れる、読み聞かせる絵本と、
当たり前に保育園の本棚に並べられて子供たちが自由な時間で自由に楽しむ絵本とあるから、
確かにそういう保健指導系のちょっと、なんていうの、しっかり伝えたい系のものに関しては、
教育的要素が強い。
そうそうそう、ちゃんとそういう場面で読むとか、
例えば、歯科健診に合わせて歯の話を読むとか、かみしば読むとかみたいなのと同じように、狙ってやるみたいなことも多々あるね。
そうだね、あと調べた影響だと、ちょっと文学的表現と言ったらちょっと言い過ぎだけど、
言葉の発達みたいな、オノマトペを伝える。
シンシンと雪が降る、みたいな表現。
風の音をソヨソヨと、あるいはビュービューと、
そういうオノマトペ的なものの基礎みたいなものを持たせるのも、絵本の一足目らしいですね。
オノマトペはもうやっぱこう、全言語的というか、感覚的に理解しやすいのも相まってか、
やっぱ幼児期から上手にニュアンスを捉えるね、子供たちが。
そうだね。
オノマトペ的なもの、表現だとやっぱりリズム。
言語的意味というより、音が面白いもので、言語感覚を育成するみたいな。
なかなかね、日常会話では出ないようなものを、絵本を通じて伝えるっていうのがあったりするんですね。
なるほどね、絵本だからすごい大事ですよね、確かにね。
だから、単純な知識としての学びもあれば、言語的な表現の学びもあれば、
他者の気持ちとか、登場人物を想像しようね、みたいな。
感情理解とか、共感力みたいなものもある。
あとは、ハラペコアオムシみたいな、ちょっとこう、なんていうか、想像力というか。
あれは芸術です。
芸術に触れる。
あれはアートに触れる。早期アート教育。
みたいなところが、どうやらこう、絵本の大きな学びの要素だよね、っていうのが。
そうだね、学びっていう、確かに観点だとそうだね。
なんか、どっちかっていうと、俺、保育者とか保護者と子供のコミュニケーション、触れ合いとか。
それもあるよね。
そうそう、そっちのなんか情緒の安定とか、なんかそっちの方のニュアンスの方がなんとなく強く思ってたけど。
確かに物語的にこう、理解力をとか認知能力を、みたいなところもあるよな。
そうだね。
実際どうですか、きそさんは覚えてますか、こういうの。
絵本?
はい。
いや、結構覚えてると思うし、いろいろ読んでたと思う。
それこそ、押入れの冒険とかもね、結構読んでたし。
ダルマ3シリーズとかあったじゃないですか。
はいはいはいはい。
あと、絵本っていうよりはちょっとあれだったけど、ゴミ太郎かなんかの金魚が逃げたっていう絵本がめっちゃよかった。
いいよね。金魚が逃げたね、いろんな題材として。
やっぱね、ゼロさん1歳で、とてもかわいいね。
とてもかわいいよね。
そんな時代があったかなって、今聞いてて思ったかな。
やっぱあるんだ、覚えてるもんね。
でも多分、割とその絵本もそうなんだけど、単純に俺は本を小さい頃から読む環境にあったから、
なんかその、絵本だけではなくて、その先小学校入ったからとかで読んでた本の記憶の方が大きいかもしれないね。
そうだよね。
絵本はなんとなく残ってる感じ?忘れてるけど。
絵本から本当に小説とかにつなぐまでのちょっとこう、
ずっこけ三人組とか、大学ズローリーとか。
ああ、懐かしいね。
そういうのもちょっとあったりするもんね。
そこにとっては多分、自分で読む人とそうじゃない人のギャップありそうやなっていうのは感じるかもね。
あるね。
エルマーの冒険とか好きだと思う。
エルマーの冒険懐かしい。
懐かしい。
あの、図替えか絵、なんか浮かぶわ。
図替えが浮かぶ。あ、図替えね。
写真図とかのやつ。
ハリーポッター、児童書と呼ばれるような。
そうだね、児童書って感じだね。
ハリーポッターも、今度ハリーポッター会しましょう、じゃあ。
ちょっと僕はあんまついていけないんで。
ちょっともうバイブル過ぎて。
はい。
まあ、こんな感じでね、いろんな物語はその後のなんというか、
大人になったらいろいろ本読んだ方がいいって言われるものの基礎とかになったりするっていう、
ある種、知識だけじゃない文文字とか、何かインプットするというものになれるっていう練習っていうのもあったりするんだろうな。
そうだね、長期的に捉えたらそうだな。
一方でちょっと調べると、影の部分というか、必ずしも陰陽の陰の部分もちょっとあって、
これはそのやっぱり童話っていうものの性質上しょうがないんだけど、
良いことをしたら必ず報われるよねみたいな思い込み。
これ、後世世界語尾って言ったりするんだけど。
後世世界語尾。
後世世界。
公正世界。
公正世界。
後世。
後世ね。
後世。
後世明大の後世ね。
後世明大の後世。
はいはい。
世界であるはずだという語尾。
語尾って何?
日本語?認識の誤りみたいな。語尾。
でも、尾は難しすぎて結構ひらがなになることが多い。
語尾。
語尾は多分ことわざっていう字なんじゃないかな、これ。
あー。
一文字で。
難しい字。難しいことわざの方ね。
そう。
はいはいはい。
語尾ね。
語尾っていうのは誤解とか勘違いとか。
うんうんうん。
みたいなニュアンスで捉えてもらえればいいんだけど。
これは実際、30何年も生きてる我々からすれば、
いいことをしていれば絶対に報われるっていうことはないじゃないですか。
いや、わかんないですよ。
正直、いいことと悪いことがバランス取れてるかなんてわかんないからね。
そうなんですよ。
そもそもいいことって何をもっていいことなんですか。
そう、そこですよ。
結局っていう話も当然あるわけですし。
結局それをどう捉えるかっていう人間力の話だからな。
とか、悪いっていうのも難しいわけじゃないですか。
悪いことをした人は成敗していいみたいなのが、
いきすぎると炎上を攻撃するみたいな。
それはすごい感じるかもしれないね。
いっぱいいるよな。
それこそ戦時中だったらね、人を殺めても。
そういうことです。
それの人が英雄でみたいな話とちょっとつながるよな。
だから、子供の当時は桃太郎という童話を見て、
桃太郎が鬼を退治にしていくことは何の誤解もない。
悪いことをしている鬼というのがいて、
それを退治するのはいいことで、
それをした結果、宝を得て幸せに暮らしました。
全然いいんだけど、
これもう一段階解像度上げると、
鬼何してたのとかは全然描かれない。
いや、わかる。
そうね、あんまりみんな印象に残ってないよね。
鬼視点からしたら侵略者じゃん、桃太郎って。
鬼視点からすればむしろ桃太郎の方が攻めてきて、
急に攻めてきて、宝を奪って帰っていく。
確かにね。
簡易版の桃太郎だとそこを描写されないよね。
ちゃんとした桃太郎の方は、
鬼が悪いことしてそこら中から宝を奪っていくみたいな描写って、
あ、あるような気がするんだけど。
あるだろうけど、
なんで奪ったんだっけみたいな背景とかは絶対描きにきれないわけじゃないですか。
そういうのもそうだし、多分、
誰かにとって悪いことをしてるから倒してもいいみたいな、
制裁してもいいみたいな話を、
確かに確かに。
今日してるんだよね、今ね。
ちょっと正義の、なんというか、行き過ぎ感が否めないな。
だから、政治家ってのは悪いことをしてるから叩いていいんだ、
みたいになっちゃう。
みたいな、そこが土台になりかねないよね。
なるほどね。
その認識を持って生きていくと、
もうそれでしか考えられなくなっちゃうみたいな感じ。
とか、物語のステレオタイプを内面化しちゃうみたいな側面があるらしい。
なるほどね。
分かりやすい例で言うと、
お姫様っていうのは助けられる存在だよね。
確かに確かに。
なんか、ちょっと子供長いにあるあるが出来上がってくるもんね。
そう。
女の子っていうのは助けを待っている存在だ。
ピーチ姫っていうのはやっぱりクッパに囚われてみたいな概念になっちゃう。
お姫様っつってピーチ姫なんかいいね。
ゲームのね。
最近のピーチ姫は自分で主人公を戦ったりするっていうのは、
面白くなってるね、確かに。
ちょっと盛り上がってたんだけど。
めっちゃ面白かったね。
これって普通のアンパンマンを見てても多分、
なかなか読み解けないメッセージだけど、
そういうのもあるんだよって言える大人がいることで、
そうなんだって思えるかもしれない。
そういうのは大事だよね。
語る側の大人にそういったリテラシーを求められるような感じ。
こういうイフを考えるみたいなのは結構面白いし、
これ何に繋がるかって言って、
物語を自分で二次創作的に作ってみようみたいなのも、
ある種、物事を多角的に見る練習になるので、
そういうのもすごくいいよね。
それすごいいいね。
今考えると、やってた記憶あるわ。
何かの続きを勝手にやって、
それはもちろん物語としてもあるんだけど、
例えばレゴとか、その辺のおもちゃを使ってその続きをやるとかもそうだし、
意外とそういうのあるかもね。
ずっとハリーポッターごっこしてたよ。
でもそういうことだね。
私、なんかちょうど今日、たかやすとね、
デッドビデオポトキャストを撮ってたんだけど、
なんかそこでちょっとコンテンツの話をしたじゃない。
夏の。
夏の作品の話ね。
結局、日本っていろんな文化を取り入れて、
それをコンテンツとしていろいろ発信していくっていうところが、
すごい文化的に優れてる。
受け入れられるってことがすごいよねって話を、
なんかチラッとしたような記憶があって、
なんか、
何言いたかったのか忘れちゃった。
でも、
物語を自分で二次相談的にっていうところで、
やっぱそういう能力が分かんないけど、
文化的に高くあるのであれば、
その、やっぱ多角的にいろんな物語を知るとか、
一方に偏らずいろんな見方ができるっていう状態がやっぱり、
人としてというか望ましいよなって思ったね。
確かに。
なんか、日本的物語の側面の一つに、
その、
相手を食べることでその能力を得るみたいなもの多いな気がしていて。
カービィもあるでしょ、それに近いですよね。
そう、カービィもそう。
最近の異世界転生モノとかでもそういうの多いし、
読者がそういうのを割とスッと受け入れるんだよね。
なんかその別の要素を取り入れたら自分のものになって、
それを活かしてさらに発展できるっていう概念が、
結構浸透してるなっていう。
多分二次創作とかも大きくはそうだと思っていて。
確かに。
だいぶ受け入れられてるもんね。
そうそうそうそう。
自分なりの続きを考える、
あるいは自分なりのこっちのルートを考えるみたいなことが、
ある種、創作の第一歩になるっていうのも面白いよね、とは思ってますね。
なるほどねー。
そっかー。
だから結局その、物語を多様に知るっていうことをしながら、
自分で作るみたいなことをするのが、
ある種偏らない、いい方法だと思うねっていうのが、
いろいろ調整していく中でありそうな話でした。
確かに、前提これが正しいものですっていうのを知らず知らず、
植え付けられてるって言うとあれだけどさ、
何か自分の中で、そういう風に育ってきてしまって、
そうと気づかずに、自覚なく、そういう価値観になってる中で、
それをぶち壊す作品とかをね、ちゃんと読んでいくと、
あれ、みたいな、これだけじゃないんだみたいなことにはなるよね。
そういう意味で言うと、よくも悪くも、
それこそいいことをしていればいいことだ、みたいなのを裏切っていくのって、
漫画だといっぱいあるじゃないですか、その主人公の。
最終的にうまくいくことが多いだろうけど。
救いがない話もいっぱいあるしね。
だいぶきつい話のものも、文章で読むのはきつくても、
漫画だと結構読めないとかあるじゃん。
結構きつめの作品も。
それもすごいよね。
昔の時代にさ、思想統制のために文書とかあったじゃないですか。
本を焼いて読めなくするとか。
逆に言うと、本を読むってめちゃくちゃ反抗的で、こうアナーキーな。
そう、そうだね。
結局、それを多様に読めるっていうこと自体が。
文化的豊かさを示している。
本当にそうだと思う。
もしかしたら、これでも統制かかってるのかもしれないけどね。
そうだね。
でもやっぱり、誰かが言ったことが絶対正しいって思わないために、
自主的にいろいろな作品に触れるっていうのは、
一時的には単純に楽しむでいいと思うんだけど、
作品が面白いと思うとか見るでいいんだけど、
いろいろな作品とか価値観に触れるのって、そういう要素あるよね。
自分で考える尺度をいろいろ持つよね。
確かに、この我々ぐらいの年代になってくると、
自分が好きなものって、大概似通るじゃない。
自分の好きな方向性って。
わざわざ逆張りしたものを手に取る。
何というか、体力がない。
強制されることもないしね。
そうそうそう。
そうなってくると、だんだん大人の社会人の読書量ってさ、
なんかの統計でこの間ちらっと見て、年間で4冊もいかないぐらいな。
平均すると本当に少ないらしいね。
そうそうそう。
で、4冊ってよくよく考えたらすごい少ないよなって思ったんだよね。
自分買うだけ買って読んでないのもいっぱいあるけど、
買うだけなら、まあまあな量買ってるなって思って。
うん。
それだけいろんなものに触れていく意識は確かにあるな。
で、その意識自体は多分それこそ、学生時代に培われたようなものだと思うから、
もっと言えば絵本とか、自動書含めて、