1. ホイクベースラジオ
  2. #65 保育における物語の影響〜..
2025-12-05 38:26

#65 保育における物語の影響〜絵本が育む価値観と多様性〜

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回のテーマは「保育における物語の影響」。コロコロコミックに夢中になる甥っ子の姿をきっかけに、絵本や物語が子どもの発達や価値観形成に与える影響について深掘りしました。保育園で読まれ続ける古典的な絵本の魅力、物語を通じて育まれる「構成世界仮説(worldview)」、そして多様な作品に触れることで広がる思考の可能性について語り合います。絵本の読み聞かせが難しい現代だからこそ、改めて考えたい物語の力。電子書籍時代における紙の本の存在意義や、大人の読書習慣についても触れながら、保育における絵本の重要性を再確認する回です。

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BGM : MusMus

サマリー

保育における物語の影響について議論し、絵本が子供の発育や発達に与える重要性を探ります。また、古典的な絵本から最近の教育的な内容まで様々な例を挙げ、物語が持つメッセージや価値観について考察します。このポッドキャストエピソードでは、物語や童話が子供の価値観に及ぼす影響について探求します。特に『桃太郎』などの伝説的な物語が持つ一面的な視点や、正義の感覚がどのように形成されるかを紐解き、平等でない因果関係について議論します。エピソードでは、絵本が子供の価値観や多様性の理解に与える影響について考察され、桃太郎の物語の解釈や登場人物の多様性が子供の成長にどのように寄与するかが話されます。絵本が子供の価値観や多様性に与える影響について考察し、読み聞かせの重要性が強調されます。

物語の影響を考える
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の川尻です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、現役の保育園看護師である僕千尋先生と、保育は未経験だけどIT系で働くお二人とで、
いろんなテーマについて語りながら、保育の素晴らしさ、面白さみたいなところをちょっと深もっていけたら楽しいかなと思って続けているラジオです。
今回もまた川尻さんに題材を持ってきてもらいましたが、今回はどんなテーマでやりましょうか。
今回はですね、保育における物語の影響っていう話をしたいなと思ってます。
物語の影響。
ストーリーテラー。
ストーリーテイング。
具体的に言うと?こんな感じ?
イメージとしては、保育園とかでは絶対絵本とか読んだりするけど、
そういうものが発育とか発達においてどう大事なのかとか、
あるいは必ずしも良い側面悪い側面がある時にどういう感じなのかみたいな話をちょっとしてみたらいいなと思います。
絵本と学びの要素
なるほど。
ちょっとじゃあ、絵本とんで物語っていうものと人間の考察を始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
というのでですね、これきっかけとしては、つい先日僕、小学1年生のお一個がいるんですけど、
死ぬほどコロコロコミックのカービィの漫画を読んでもして、
なんか小学生男子だなーって思って。
コロコロのカービィの漫画がまだやってるんだっていう結構紹介を受けた。
今、何?現在進行形でやってる?
いや、正確には作者さんとか変わって、僕らが読んでたあれでは多分ないんだけど。
ででででぷぷぷの物語。
ではないです。
あ、ではない。
ではないんですけど、マリオは同じ作者でやってます。
あー、あの人。
みんなが一度は通った。
コマの端っこから指を立ててツッコミをする。
懐かしい。あれも物語かな。
やっぱりあれを読んでいて笑うところとかがなんかというか、小学生男子だなーというか。
何々すなーみたいな変なことをしてツッコミをしているのを見てもうゲラゲラ笑ってるんですよ。
幸せそう。
それ以来自分もちょっとおちゃらけるときにコロコロっぽいふざけ方をするというか。
そういうやっぱ物語とか漫画でよって自分の影響が受けるみたいのは大なり小なりみんなあるし。
特に。
僕らが今コロコロコミックのギャグ漫画を読んで、あんなに心の底からゲラゲラ笑えるかって言われたらちょっと難しいじゃないですか。
そうね。声を上げちゃったみたいなことはなかった。
もう我慢できない笑いが出てしまうからさ。
っていうくらい特に保育園とかでも本で読み聞かせみたいなのって多いと思うんだけど。
はいはいはい。
まあそういうのがどう影響するのかみたいなのをちょっと調べてきたりしているので。
面白い。
調べるというかそういうのもちょっと話しつつ、
まあ好材というか良い側面悪い側面みたいな話をしていけたらなと思ってるという感じです。
いいですね。
なるほど。絵本ね。
原液で読んでるチロ先生というか、どうですか絵本。
まあもちろん保育園でも随時読むし、読み聞かせももちろんするし、家でも。
本当はね、理想的には寝かしつけの時にしっかり時間とって、1冊2冊ちゃんと読んでからお休みに行ってしたいんだけど、
まあ下の子と上の子と男の子2人だとだいぶとっちらかるので、
なかなか落ち着いた時間をとれず、絵本読み聞かせしきれないところもあって、ややそこが悔やまれるポイントではございますが。
父としての悔しさみたいな。
でも当たり前に行われているし、我々世代からある絵本もあれば、新しい絵本ももちろんあって。
でもなんだろうな、僕が思っていたより、その保育園にある絵本はだいぶ古典的というか、
僕たちがちっちゃい時から知ってる絵本がまだまだいっぱい残ってて、当たり前のように子供が読んでるんだなーっていうのはなんとなく思いますね。
グリとグラとか?
そうそうそう、グリとグラとかもそうだし、バブとケロとかもそうだし。
バブとケロね。
グラマンとケロ。
本当?割と新しいものだしな。
あと、100万回生きた猫とかさ。
そういう中で、やっぱ普及の名作系。
当時から、やっぱり完成度がすごい高くて、素敵な絵本たちっていうのは生き残っていて。
強いて言えば、押入れの冒険とか。
超怖いやつだ。
押入れの中閉じ込められて妄想してみたいなね、そのイマジネーションな話もあるにはあるけど、
あ、もう今となっちゃ虐待だよねみたいなオチがつくみたいな。
やっぱ時代とともにちょっと囚われ方が変わってしまうというか、意味合いが変わってしまうようなものも多々あるなという気はしますね。
ちょっと調べた限り、やっぱり絵本って名作が強すぎて新規参入が難しい業界だって言われていて。
間違いないね。
さっき言ったグリとグラとか、押入れの冒険とか、そういう普及の名作が強すぎるだけで、
逆に言うとそれがある程度子供に与えるメッセージとしては大きいみたいなのもあったりするらしく。
そうだね。
グリとグラとかだと、みんなでカステラを作るみたいな、一緒に作るみたいなメッセージとかで協力しようみたいなメッセージ性とかね。
なるほどね、メッセージ性ね。
そうだね、それとなくその物語に隠れてるそういう表だったり。
確かに確かに。
もちろんハラペコウムシみたいなのはどうメッセージ性を取り入れればいいかわかんない。
いやいやいや、あれはもう、生態絵学の、なんと美しい一生と成長のね、描写でございます。エリック・カールのね。
あと調べた中で出てきたのと、君の体は君のものっていう絵本が。
あんま記憶ない。
これは割とこう、割と最近らしく保健指導とかの一環でちょっと使われたりもするみたいな。
あるある、やっぱりここ数年でその性教育、界隈な包括的性教育的な目線からの性の話とか体の話みたいなものを題材にした絵本も増えたり。
あ、なるほどね。
なんかその、保健指導の一環で痛い時は痛いと言ってもいいんだよみたいなことを伝えるとか、そういうのも本当に教育の一環としての絵本みたいな概念もやっぱりあるらしいですね。
そうだね、なんかまあ、こう、保育士たちがその狙いとか計画性を持って取り入れる、読み聞かせる絵本と、
当たり前に保育園の本棚に並べられて子供たちが自由な時間で自由に楽しむ絵本とあるから、
物語と自己表現
確かにそういう保健指導系のちょっと、なんていうの、しっかり伝えたい系のものに関しては、
教育的要素が強い。
そうそうそう、ちゃんとそういう場面で読むとか、
例えば、歯科健診に合わせて歯の話を読むとか、かみしば読むとかみたいなのと同じように、狙ってやるみたいなことも多々あるね。
そうだね、あと調べた影響だと、ちょっと文学的表現と言ったらちょっと言い過ぎだけど、
言葉の発達みたいな、オノマトペを伝える。
シンシンと雪が降る、みたいな表現。
風の音をソヨソヨと、あるいはビュービューと、
そういうオノマトペ的なものの基礎みたいなものを持たせるのも、絵本の一足目らしいですね。
オノマトペはもうやっぱこう、全言語的というか、感覚的に理解しやすいのも相まってか、
やっぱ幼児期から上手にニュアンスを捉えるね、子供たちが。
そうだね。
オノマトペ的なもの、表現だとやっぱりリズム。
言語的意味というより、音が面白いもので、言語感覚を育成するみたいな。
なかなかね、日常会話では出ないようなものを、絵本を通じて伝えるっていうのがあったりするんですね。
なるほどね、絵本だからすごい大事ですよね、確かにね。
だから、単純な知識としての学びもあれば、言語的な表現の学びもあれば、
他者の気持ちとか、登場人物を想像しようね、みたいな。
感情理解とか、共感力みたいなものもある。
あとは、ハラペコアオムシみたいな、ちょっとこう、なんていうか、想像力というか。
あれは芸術です。
芸術に触れる。
あれはアートに触れる。早期アート教育。
みたいなところが、どうやらこう、絵本の大きな学びの要素だよね、っていうのが。
そうだね、学びっていう、確かに観点だとそうだね。
なんか、どっちかっていうと、俺、保育者とか保護者と子供のコミュニケーション、触れ合いとか。
それもあるよね。
そうそう、そっちのなんか情緒の安定とか、なんかそっちの方のニュアンスの方がなんとなく強く思ってたけど。
確かに物語的にこう、理解力をとか認知能力を、みたいなところもあるよな。
そうだね。
実際どうですか、きそさんは覚えてますか、こういうの。
絵本?
はい。
いや、結構覚えてると思うし、いろいろ読んでたと思う。
それこそ、押入れの冒険とかもね、結構読んでたし。
ダルマ3シリーズとかあったじゃないですか。
はいはいはいはい。
あと、絵本っていうよりはちょっとあれだったけど、ゴミ太郎かなんかの金魚が逃げたっていう絵本がめっちゃよかった。
いいよね。金魚が逃げたね、いろんな題材として。
やっぱね、ゼロさん1歳で、とてもかわいいね。
とてもかわいいよね。
そんな時代があったかなって、今聞いてて思ったかな。
やっぱあるんだ、覚えてるもんね。
でも多分、割とその絵本もそうなんだけど、単純に俺は本を小さい頃から読む環境にあったから、
なんかその、絵本だけではなくて、その先小学校入ったからとかで読んでた本の記憶の方が大きいかもしれないね。
そうだよね。
絵本はなんとなく残ってる感じ?忘れてるけど。
絵本から本当に小説とかにつなぐまでのちょっとこう、
ずっこけ三人組とか、大学ズローリーとか。
ああ、懐かしいね。
そういうのもちょっとあったりするもんね。
そこにとっては多分、自分で読む人とそうじゃない人のギャップありそうやなっていうのは感じるかもね。
あるね。
エルマーの冒険とか好きだと思う。
エルマーの冒険懐かしい。
懐かしい。
あの、図替えか絵、なんか浮かぶわ。
図替えが浮かぶ。あ、図替えね。
写真図とかのやつ。
ハリーポッター、児童書と呼ばれるような。
そうだね、児童書って感じだね。
ハリーポッターも、今度ハリーポッター会しましょう、じゃあ。
ちょっと僕はあんまついていけないんで。
ちょっともうバイブル過ぎて。
はい。
まあ、こんな感じでね、いろんな物語はその後のなんというか、
大人になったらいろいろ本読んだ方がいいって言われるものの基礎とかになったりするっていう、
童話の影響と誤解
ある種、知識だけじゃない文文字とか、何かインプットするというものになれるっていう練習っていうのもあったりするんだろうな。
そうだね、長期的に捉えたらそうだな。
一方でちょっと調べると、影の部分というか、必ずしも陰陽の陰の部分もちょっとあって、
これはそのやっぱり童話っていうものの性質上しょうがないんだけど、
良いことをしたら必ず報われるよねみたいな思い込み。
これ、後世世界語尾って言ったりするんだけど。
後世世界語尾。
後世世界。
公正世界。
公正世界。
後世。
後世ね。
後世。
後世明大の後世ね。
後世明大の後世。
はいはい。
世界であるはずだという語尾。
語尾って何?
日本語?認識の誤りみたいな。語尾。
でも、尾は難しすぎて結構ひらがなになることが多い。
語尾。
語尾は多分ことわざっていう字なんじゃないかな、これ。
あー。
一文字で。
難しい字。難しいことわざの方ね。
そう。
はいはいはい。
語尾ね。
語尾っていうのは誤解とか勘違いとか。
うんうんうん。
みたいなニュアンスで捉えてもらえればいいんだけど。
これは実際、30何年も生きてる我々からすれば、
いいことをしていれば絶対に報われるっていうことはないじゃないですか。
いや、わかんないですよ。
正直、いいことと悪いことがバランス取れてるかなんてわかんないからね。
そうなんですよ。
そもそもいいことって何をもっていいことなんですか。
そう、そこですよ。
結局っていう話も当然あるわけですし。
結局それをどう捉えるかっていう人間力の話だからな。
とか、悪いっていうのも難しいわけじゃないですか。
悪いことをした人は成敗していいみたいなのが、
いきすぎると炎上を攻撃するみたいな。
それはすごい感じるかもしれないね。
いっぱいいるよな。
それこそ戦時中だったらね、人を殺めても。
そういうことです。
それの人が英雄でみたいな話とちょっとつながるよな。
だから、子供の当時は桃太郎という童話を見て、
桃太郎が鬼を退治にしていくことは何の誤解もない。
悪いことをしている鬼というのがいて、
それを退治するのはいいことで、
それをした結果、宝を得て幸せに暮らしました。
全然いいんだけど、
これもう一段階解像度上げると、
鬼何してたのとかは全然描かれない。
いや、わかる。
そうね、あんまりみんな印象に残ってないよね。
鬼視点からしたら侵略者じゃん、桃太郎って。
鬼視点からすればむしろ桃太郎の方が攻めてきて、
急に攻めてきて、宝を奪って帰っていく。
確かにね。
簡易版の桃太郎だとそこを描写されないよね。
ちゃんとした桃太郎の方は、
鬼が悪いことしてそこら中から宝を奪っていくみたいな描写って、
あ、あるような気がするんだけど。
あるだろうけど、
なんで奪ったんだっけみたいな背景とかは絶対描きにきれないわけじゃないですか。
そういうのもそうだし、多分、
誰かにとって悪いことをしてるから倒してもいいみたいな、
制裁してもいいみたいな話を、
確かに確かに。
今日してるんだよね、今ね。
ちょっと正義の、なんというか、行き過ぎ感が否めないな。
だから、政治家ってのは悪いことをしてるから叩いていいんだ、
みたいになっちゃう。
みたいな、そこが土台になりかねないよね。
なるほどね。
その認識を持って生きていくと、
もうそれでしか考えられなくなっちゃうみたいな感じ。
とか、物語のステレオタイプを内面化しちゃうみたいな側面があるらしい。
なるほどね。
分かりやすい例で言うと、
お姫様っていうのは助けられる存在だよね。
確かに確かに。
なんか、ちょっと子供長いにあるあるが出来上がってくるもんね。
そう。
女の子っていうのは助けを待っている存在だ。
ピーチ姫っていうのはやっぱりクッパに囚われてみたいな概念になっちゃう。
お姫様っつってピーチ姫なんかいいね。
ゲームのね。
最近のピーチ姫は自分で主人公を戦ったりするっていうのは、
面白くなってるね、確かに。
物語のステレオタイプ
ステレオタイプの内面化を外してていいなと思う。
あと、外見と性格を愛に結びつけちゃうみたいなのもあったりして。
魔女って見にくいよねとか。
絵本とかビジュアルが強く想像されるものはより。
でもそういうふうに描くもんね。
ちょっと怪しげな人とか悪い人を、
泥棒にさ、髭が生えててとか、
嫌なことする男。
だいたい男の人でとかさ。
俺もこの話でめっちゃ出てくるのは、
花坂じいさんだね。
悪いじいさんはだいたい悪いビジュアルで描かれるし、
金盗む、金というか盗んでいくみたいなね。
あれは、いいことしたらいいことがあって、
悪いことしたら悪いこと、悪い結末になるよっていうストーリーだなっていうふうに理解してるんだけど。
それがすごい面白かった。
なるほどね。
っていうので、これが行き過ぎると、
悪いことした人が悪いこと起こる。
まだいる。
良いことした人が良いこと起きるので、良いことを目指そうねのメッセージはいいんだけど、
悪いことが起きた。
何かしらの悪い目にあってしまった人が、
じゃあ悪いことをしたんだ、あの人はっていう。
因果関係が逆転しちゃう。
みたいなことが行き過ぎて起きちゃうと、ちょっと怖いよねっていうのがあります。
これ例えば、よく構成世界語尾の例えとして出てくるんだけど、
犯罪に遭った人、
特に男性から襲われてしまった女性みたいな、
女性犯罪に遭われてしまった女性みたいなのに対して、
いや、襲われるような格好をしていたからだ、みたいなことを言う。
お前にも原因があったんじゃないか、悪い目に遭うという言葉。
こういう完全懲悪化、行き過ぎた因果関係を兼ねないっていう、
別にこれはなんていうか、
絶対そうってわけではないけど、一部そういうことがあるんじゃないかっていう話です。
そういう、その人の価値観を作るに至った背景に、
そういう要素があるのではないっていうことだよね。
そうです。
全然ある気はするね。
なんか、普通に育つとって言ったらだけど、
割と学校とかで触れられるさ、教科書とかに出るようなストーリーって。
結構その、本来はめちゃくちゃ尖ってる作品だったりしても、
その一部しか載ってなかったりして。
そう、わかる。国語のさ、教科書って全部そう。
そういう感じなんだよね。
なんかあれって、やっぱり良いとこだけというか、そういう要素だけ出てきたりしてるから、
なんかそういうのだけで育つと、割とその感覚に陥るし、
そうじゃない作品も、そういうなんかある種の、なんだろうね、因果横行じゃないけど、
良いことしたから良いことがある、悪いことしたら悪いことがあるみたいな。
なんかこう、教育的な要素が強く入ってくると、
価値観の形成
もちろん政治的な要素もあるんだろうけど、
そうだね。
なんかそういうところから、そういう文章をこう、
使いなさいじゃないけど、
文部科学省はそういうことをやってきたんですね。
そうだね。
なんかあるでしょ、でも強制的じゃん、強制力があるじゃん。
なんかその、触れる文学と言うかさ、
強制的に触れさせる文学に対してさ、
そういうメッセージを一個乗っけることで、
ある種洗脳的なことができるわけでしょ。
されてきたわけじゃない、少なからず。
良くも悪くも。
だからそこ、そこしか確かに、その物語だけを読んでいったら、
当たり前にそのような人が出来上がったっておかしくないな、
っていうのは今なんか聞いてて思ったね。
それこそ、その、なんだっけ、
後世、後世年紀。
世界。
そうそうそうそう。
世界語尾。
そうそうそう。
そうなんですよ。
っていうのがあるので、
ちょっとこう、認知が歪んじゃうよねっていう理想があるし、
まあ、これは行きすぎればっていう話だけど、
ちょっと物語の世界に没頭しすぎて、
逆に物語の世界の人間関係ってすごいわかりやすく描かれがちだけど、
現実の人間関係ってめちゃくちゃ複雑なので、
そこをこううまく割り切れずに、
物語の世界の方にばかり系統してしまうみたいなことも、
懸念としてはあるよねっていうのが調べていると出てきました。
なんか、
良いことしたら良いことがある、悪いことしたら悪いことがあるって、
個人的な感覚としては、
なんかちょっと言葉の調整がめっちゃ難しいんだけど、
なんだろうね、
なんか救いを求める人の願いみたいなところがすごいあるなと思う。
なんか今の自分の環境とかに満足してない人ほど、
してない人ほどっていうか、
してないような状況にいるのは自分が悪いからだとか、
なんかそういう人が自分の状況を肯定するにあたって、
いつかは良いことがあるだろうみたいなこととかも、
それの一部なんじゃないかなっていう気がしてて、
なんかすげえ嫌な言い方すると、
弱者の願いみたいな感覚が強くて、
すごい嫌な言い方。
自分を肯定できない人が他人を攻撃するっていうのは、
その背景にそういう要素もちょっとあるなっていう感じはするかな。
他人を叩く、悪い人は叩いていいんだっていうのの前提が、
今みたいな、なんだろうね、世界観の話だったとして。
逆に言うと、
人を叩いてる時に自分を振り返る人ってあんまりいないと思うんだけど、
そういう人は叩かないと思うから。
だから、そういう救い、なんかいいことをしてる人は、
自分も別に現状に満足してないけど、
これから良くなるはずだっていう願いを持ってたりとか、
逆になんか悪いことしてる奴はもう、
今うまくいってても、あいつ悪いことしてっからこの先、
いいことないよみたいなことを思って、
自分を保つみたいな感覚が強いのかなってめっちゃ思う。
そうだね。
なるほどね。
かつ、そういう人は多分少なくないんだろうな、
その大小ワールドっていう人はしていて、
だから、スカット・ジャパンはウケるし、
物語とアイデンティティ
みんな選挙に熱狂しちゃう人はそういう感じなのかなって。
なるほどね。
いいことも悪いことも、
自分をそこの物語とか他の世界観と同化させる、
アイデンティティを同一化させるみたいな話ってさ、
別に全くそれが悪いとは思わないし、
ウォーカーレスクなんかで自分もやってることだと思うんだけどさ、
いわゆるスポーツのファンとかもそうじゃん、自分と。
アイデンティティ、アーティストのファンももちろんそうだとしてる。
っていうのが、なんか行き過ぎちゃうと、
そういう叩きまくるマンみたいなことになっちゃうんですけどね。
でも、そういうふうに育てられてというか、
そういう環境でやってきて、どうしたらそういう、
自分がそういうバイアスがかかっているとか、
そういう認識を持っているっていうふうに気づいたりとか、
できるんだろうね。
あー、確かにね。
なんか、ある種真面目にその授業だけ受けてきたら、
そうなる可能性があるわけだもんね。
そうだね。
これ調べていく中で、やっぱ同時に対策みたいなのも多少出てきたんだよね。
一旦絵本の話って言うんだけど、
ある程度やっぱりこう、
多様な価値観を含む作品を選びましょうっていうのが一つポイントではありますと。
まあ、さっきみたいにいい子にしてれば救われるよ、
みたいなメッセージじゃないメッセージのものだってあるだろうし、
それこそさっき言った押入れの冒険って、
ただただ怖い目にあって帰ってくるみたいな。
あと寝ない子誰だとかね。
冒険だと飛んでっちゃう。
あれすごいよね。
あれすごいじゃないですか。
あれすごいね。
何にも、ただも連れて行かれるという体験というのを、
すごいいい作品ですね。
あれは、
アートと言われればもう、
これで評価される部類にまで行ったりと思うけど、
非常にその親の心理と子供の恐怖感の煽り方と、
絶妙なテクニックだよなって思うんだよ。
ある種、今タッチローが言った、
アート的なものっていうのも実は大事で、
特定のない物語みたいのがやっぱ大事だっていうのも、
一つの理由らしいんですね。
じゃあ桃太郎のメッセージを、
悪い鬼を倒したら幸せになるって親が決めつけて、
だからあなたは桃太郎になりなさいって言い過ぎちゃうのも、
それこそ頼るわけなので、
じゃあそれを見て、
じゃあなんで桃太郎を鬼を倒したのかみたいな話とか、
そこに至る解釈とかどう思ったのか、
そういうものとか、
現実だったらどうだったんだろうね、
違いを一緒に考える機会を作れるといいよねみたいな。
絵本のメッセージ
より多角的な視点でそれを考える。
もちろん、
0歳とか1歳とかに伝えてもどこまで伝わるんだって話はあるんだろうけど、
だから年齢に応じてとか、
なんなら小学生にとっても大事かもしれない部分もあるんだけど、
一方的に聞かせるっていうのも大事だけど、
できれば子供の解釈としてどうだったか、
話させるみたいなのも大事だっていうのがあるんですね。
なるほど。
面白いね。
なかなかそこまで、
作品に対して子供たちと話し合うみたいな、
多分5歳年長さんとかだったらできなくはないんだろうから、
そういうふうに絵本を取り入れて、
精力的に活動してる縁さんとかだったらやってるかもね。
そう考えるとアンパンマンってすげえなって思う。
でもわかる。アンパンマンって完璧なんだよね。
それこそ、
アイキンマンとの関係性というか。
悪役側にも配慮があって、
彼もへこたれず頑張り続けるみたいな描写もあって、
いいんだけど食パンに恋してるドキンちゃんもいてとか、
入り混じって、
本当対応な世界観の中。
基本バイキンマンパンチされたりして飛ばされちゃうけど、
狭く見るなら完全調和的なパターンにはなるかもしれないですね。
意外とちゃんとバイキンマンがただの悪役じゃなくて、
キャラクターとしての存在意義があるし、面白いよね。
子供とそういう話するにはめっちゃいいかもね。
2023年か4年間ぐらいに出たのが、
バイキンマンが主役寄りの映画みたいなのをやってて、
それを見たエンジニア界隈がすごい感動してて、
アンパンマンって基本強くて、
顔が直りさえすれば勇気100倍で倒せるんだけど、
バイキンマンっていうのはエンジニアと思想が近いというか、
確かにトライアンドウェーナーだね。
何度失敗しても挫けずに改善を重ねて、
良くしようとするみたいなメッセージが見て取れたみたいな、
物語を楽しむ
ちょっと盛り上がってたんだけど。
めっちゃ面白かったね。
これって普通のアンパンマンを見てても多分、
なかなか読み解けないメッセージだけど、
そういうのもあるんだよって言える大人がいることで、
そうなんだって思えるかもしれない。
そういうのは大事だよね。
語る側の大人にそういったリテラシーを求められるような感じ。
こういうイフを考えるみたいなのは結構面白いし、
これ何に繋がるかって言って、
物語を自分で二次創作的に作ってみようみたいなのも、
ある種、物事を多角的に見る練習になるので、
そういうのもすごくいいよね。
それすごいいいね。
今考えると、やってた記憶あるわ。
何かの続きを勝手にやって、
それはもちろん物語としてもあるんだけど、
例えばレゴとか、その辺のおもちゃを使ってその続きをやるとかもそうだし、
意外とそういうのあるかもね。
ずっとハリーポッターごっこしてたよ。
でもそういうことだね。
私、なんかちょうど今日、たかやすとね、
デッドビデオポトキャストを撮ってたんだけど、
なんかそこでちょっとコンテンツの話をしたじゃない。
夏の。
夏の作品の話ね。
結局、日本っていろんな文化を取り入れて、
それをコンテンツとしていろいろ発信していくっていうところが、
すごい文化的に優れてる。
受け入れられるってことがすごいよねって話を、
なんかチラッとしたような記憶があって、
なんか、
何言いたかったのか忘れちゃった。
でも、
物語を自分で二次相談的にっていうところで、
やっぱそういう能力が分かんないけど、
文化的に高くあるのであれば、
その、やっぱ多角的にいろんな物語を知るとか、
一方に偏らずいろんな見方ができるっていう状態がやっぱり、
人としてというか望ましいよなって思ったね。
確かに。
なんか、日本的物語の側面の一つに、
その、
相手を食べることでその能力を得るみたいなもの多いな気がしていて。
カービィもあるでしょ、それに近いですよね。
そう、カービィもそう。
最近の異世界転生モノとかでもそういうの多いし、
読者がそういうのを割とスッと受け入れるんだよね。
なんかその別の要素を取り入れたら自分のものになって、
それを活かしてさらに発展できるっていう概念が、
結構浸透してるなっていう。
多分二次創作とかも大きくはそうだと思っていて。
確かに。
だいぶ受け入れられてるもんね。
そうそうそうそう。
自分なりの続きを考える、
あるいは自分なりのこっちのルートを考えるみたいなことが、
ある種、創作の第一歩になるっていうのも面白いよね、とは思ってますね。
なるほどねー。
そっかー。
だから結局その、物語を多様に知るっていうことをしながら、
自分で作るみたいなことをするのが、
ある種偏らない、いい方法だと思うねっていうのが、
いろいろ調整していく中でありそうな話でした。
確かに、前提これが正しいものですっていうのを知らず知らず、
植え付けられてるって言うとあれだけどさ、
何か自分の中で、そういう風に育ってきてしまって、
そうと気づかずに、自覚なく、そういう価値観になってる中で、
それをぶち壊す作品とかをね、ちゃんと読んでいくと、
あれ、みたいな、これだけじゃないんだみたいなことにはなるよね。
そういう意味で言うと、よくも悪くも、
それこそいいことをしていればいいことだ、みたいなのを裏切っていくのって、
漫画だといっぱいあるじゃないですか、その主人公の。
最終的にうまくいくことが多いだろうけど。
救いがない話もいっぱいあるしね。
だいぶきつい話のものも、文章で読むのはきつくても、
漫画だと結構読めないとかあるじゃん。
結構きつめの作品も。
それもすごいよね。
昔の時代にさ、思想統制のために文書とかあったじゃないですか。
本を焼いて読めなくするとか。
逆に言うと、本を読むってめちゃくちゃ反抗的で、こうアナーキーな。
そう、そうだね。
結局、それを多様に読めるっていうこと自体が。
文化的豊かさを示している。
本当にそうだと思う。
もしかしたら、これでも統制かかってるのかもしれないけどね。
そうだね。
でもやっぱり、誰かが言ったことが絶対正しいって思わないために、
自主的にいろいろな作品に触れるっていうのは、
一時的には単純に楽しむでいいと思うんだけど、
作品が面白いと思うとか見るでいいんだけど、
いろいろな作品とか価値観に触れるのって、そういう要素あるよね。
自分で考える尺度をいろいろ持つよね。
確かに、この我々ぐらいの年代になってくると、
自分が好きなものって、大概似通るじゃない。
自分の好きな方向性って。
わざわざ逆張りしたものを手に取る。
何というか、体力がない。
強制されることもないしね。
そうそうそう。
そうなってくると、だんだん大人の社会人の読書量ってさ、
なんかの統計でこの間ちらっと見て、年間で4冊もいかないぐらいな。
平均すると本当に少ないらしいね。
そうそうそう。
で、4冊ってよくよく考えたらすごい少ないよなって思ったんだよね。
自分買うだけ買って読んでないのもいっぱいあるけど、
買うだけなら、まあまあな量買ってるなって思って。
うん。
それだけいろんなものに触れていく意識は確かにあるな。
で、その意識自体は多分それこそ、学生時代に培われたようなものだと思うから、
もっと言えば絵本とか、自動書含めて、
絵本の重要性と影響
そういったものにたくさん触れてきたっていう経験がそこに繋がっていくって思うと、
保育園時代の絵本の読み聞かせ、保育園でもいいし、お家でもいいし、なんでもいいけど、
そこで少なく、物理的にそこに本があるっていうのって、やっぱすごい大事だなって思うのでね。
だから全部が全部電子書籍になってしまっていてはちょっと、
おそらく触れる機会が激減してしまうだろうから。
なんとなく手に取るみたいな電子書籍はすごいかもしれないですね。
確かにやっぱり絵本とかってね、そこにあるだけでなんかちょっと、
和らぐものもたくさんあるから、いいよな。
というわけでね、今回は、何でしたっけ?
語尾の話から。
絵本の話がメインだったんですけど、
結局、物語とか絵本をたくさん触れるって、
いい側面もあれば悪い側面も当然あるので、
僕個人の話だけすれば、やっぱり物語って触れれば触れるだけいいと思っているので、
そろそろ偏った思想なんだけど、
さっきね、チロ先生年4冊みたいなの言ったけど、
僕はほぼ漫画ですが、キンドルが年1200冊、
ほぼ漫画ですが、キンドルが年1200冊あるので、
素晴らしい。
確かに全部の新刊買ってたらそのくらいになってくるんだよ。
100冊を維持することができる。
ちなみに今7月、この収録戦で7月が終わりそうです。
760冊ぐらいです。
すごい。素晴らしい。
これだけ知ってもなおやっぱり、
自分で考えるとか物語の影響みたいなバイアスはたぶんあるし、
消えないし。
消えないね。
でもあるかもって思えるようになったのがやっぱりそういうところなのかもっていうところですね。
そういうのがあるので、絵本っていうのはただ読み聞かせるコミュニケーション道具でもあるし、
同時に子供が考えるきっかけのツールみたいな形で
やってもらえるとより良いと思うねっていう。
いいと、とても素敵だと思います。
やっぱりそういう時間を取ること自体が今難しいご家庭だったり、
時代的にも以前よりも大事さわかっていてもできませんみたいなことが増えてきてると思うから、
改めて絵本を読みながら寝よう、絵本読み聞かせてあげようって思いました。
構成世界仮説について
はい。
高谷さんは何か言い残したことはございますか?
いっぱいあるけどまた1時間ぐらいあるから。
この辺はね、木曽くんも言いたいことはいくらでもある。
結構いろんな方面に分かれて話がもっと深掘りできそうだっていうのが。
できそうだよね。作品に触れることの話はいっぱいできると思う。
最後にもう1回だけその構成年金みたいなやつもう1回言って。
構成世界仮説、あるいは構成世界語尾。
構成世界語尾。今日はね、この構成世界語尾だけ覚えて書いていただければなと思います。
覚えて書いても使い道ないけどね、あんまり。
どうやってください。
はい。というわけで、今後も何かしらの議題を考察しながら保育に着地するっていうそんな話を続けていきたいと思いますので、
概要欄にGoogleフォームなどのURL書いているので、ぜひぜひ感想、質問等を送っていただけると励みになります。
よろしくお願いします。ということで、ご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
バイバイ。
38:26

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