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おはようございます。バスエンド精神科のリブラです。
やって参りましょうかね。
今ふと思ったことをまた思ったときに 録音するシステムでやっておりますけど、
あれはね、今日間違えた。
経済学っていうのには、いろんな見方がありますけど、
僕らの頃っていうか、僕が若い頃には、 マクロ経済とミクロ経済っていう分け方があって、
同じものを対象にしても、 経済学部もあれば、小学部もあって、
その、深んでみたときと、 個別の動きっていうのは別のものでしょう。
だから、自分が分かるための話っていうのと、 このシステムがどう回るかっていう話は、
全然別の話なんですよね。
で、それも視点を小さく持つか大きく持つかってことで 全然違ってくるんだけど、と思いますが、
教育のことを語るときって、 例えば教育学部って1個しかないよね。
教育学をマクロ教育とミクロ教育に分けてる 例ってあんまり見ないなと思って、
ふと思ったらなんでかなと思って、 ちょっと答え出ませんけど、
やっぱり教育学も、
まとめて、分野が小さいと思われたのかな。
経済の方が大きいと思われたんですかね。
でかいはね、確かに経済の方がね。 経済ってのはお金のことじゃないですよ。
形成財民とか、傾国財民とかっていう、 政治みたいなものそのものを経済と元々は言うはずなんですが、
どっちが大きいのかな、多いのかな。 形成財民と傾国財民、どっちがメジャーなのかちょっと分かりませんけど、
傾国財民、形成財民を略して経済ですよ、皆さんね。
そっちの方がでかいと思ったのかな。 だけどさ、今となってはどうですかね。
教育って大きな話ですよね、めちゃくちゃね。
で、そのどういう教育が、そうだな。
あー面白いな、今言いながら思ったけど、 ミクロ教育っていうのは僕らの思っている教育ですよね。
子供をどう育てるか、子供にとって何がいいか。
で、その子供にとって何がいいか、子供をどう教育するか、 あるいは子供の教育とは何かみたいなことを、
子供の教育、自分の子供、例えば、という個別の教育、 個別の子供の利益こそが集団の利益であるみたいな考え方に基づいているのかも分からないけど、
本当は多分そうと限らないですよね。
例えばアリンコが一番引き、何匹でもいいんだけどいて、
そのアリンコが団体としていかにたくさん生き残るかという話と、
一人一人のアリンコの利益がどうかという話は別の話だよね。
こういう風に動いた方がアリンコ全体としてはよく生き残るけども、
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その一個の働きありとしてはそういう動きをしない方が生き残りやすいとかさ、あるでしょ絶対。
だからアリンコ全体を一つと捉えるのか、一匹のアリンコをアリンコと捉えるかによって、
ミクロアリンコ学とマクロアリンコ学は別の動きを、別の答えが出るよね。
ミクロアリンコ学的にはこういう風にした方がいいけど、
マクロアリンコ学で考えればアリンコ全体としてはこっちの方がいいみたいなね、生き残るためにみたいなね。
ことは多分違うと思うので、ミクロ教育学とマクロ教育学の意味は違ってくると思うんですよね。
それがそこに嘘があるよね。
ミクロ教育学的な個人の利益が団体の利益に直結というか、
リンクする、リンクはするんだけど一致するみたいなことが嘘があるのかなと今聞いているというかね、
もう意識したとふと思いましたね。
うちの子供にとっていいことと全体は違うよね。
違うことがあるよね、おそらく。
全体といったときの全体、
全体といったときの全だよね。
何を全、すべてとするかが少し変わってきているのかもわからないですね。
少なくとも戦前戦中みたいなときは国家、少なくとも日本はですね、
日本は国家というものを全体と捉えて、
いろいろ経済も教育もそういうマクロの幅をそこに捉えていたんだよね。
ところが今難しいのは国家というものの構造自体が崩れてきていて、
つまり国家とは何かといったときに、
例えば一つは通過発行権なんかは完全に昔の国家の定義ですけど、
例えばEUの国々が通過発行権を捨ててまで、
アメリカ、日本、中国に対抗しようとしていたり、
つまりEU全体として一つの通過を、ユーロを作っているということは、
ユーロを発行する主体というものは全体になってしまった、
全体というかEU全体になってしまっているわけだから、
主にドイツとフランスですけど、
だって人口が多いし経済力が強いからね、というふうになっているとすると、
他の国々、ギリシャやらイタリアやらは通過発行権を半ば放棄したみたいな形になっているわけで、
それでもイタリアという国家を存続させていて、
みたいな国家の構造が変わっているでしょ。
軍隊なんかもナトウグみたいなものを作って、
防衛と通過発行権、あと外交権、
だから外交権だけでイタリア、ヨーロッパの国々は独自の国家として主張しているだけでさ、
通過発行権もなければさ、
なんなら交戦権はあるけど、
軍隊1個にしちゃっているから1個というか、
1個じゃないけどさ、巨大なナトウグみたいなやつで、
連邦というかグループになっているからさ、
なかなか個別の交戦権って複雑ですよね、
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ナトウグの中で個別に交戦権を発動するのって、
できると思うけど遠くで戦争する分には、
だけどロシアとウクライナみたいな内部で、
内部というか近接戦闘みたいなこと、近接というのかな、
自分の土地をかけて争うとですね、
ナトウと独自の軍隊の関係は非常に微妙なものになるんじゃないかと思うんですけど、
国家というあり方が大きく変わっているでしょ、
しかも通過発行権に関しては、
最近は仮想通過みたいなものが出てきて、
そもそも通過発行権を国家から切り離そうという動きもあるわけでしょ、
動きは実際あるわけでしょ、
どこだっけ、
ホンジュラス?
どこだっけ、違うな、
どこだっけ、
南米の国でそういうことがあるじゃないですか、
おおっともうすぐ家に行ってくる、
職場に着いちゃうね、
あるわけでしょ、
とするとさ、
国家というものが定まらないじゃない、
そこを全体として教育というもの自体がさ、
成立しないじゃないですか、
なので、
マクロ教育というものはもうちょっと考えないと、
ミクロ教育と一致しないよね、
やっぱり教育学だけちょっと違うってわけにはいかないでしょ、
社会が変わっているんだから、
なので軍隊式に、
発券ボタン押します、
駐車券取ります、
場内の案内表示に従います、
分かってます、
教育だけ別ってわけにはいかないと思うので、
ちょっと不自然だなと思って、
教育学もやはり、
マクロ、ミクロ、
ちょっとしっかり考えないといけないんじゃないの、
と思いましたという話で、
今日はちょっとついちゃった、
お疲れ様です、
さようなら。