ヨルシカの歌に描かれる場所
日本のどこかの歌と話、お盤です。この配信は、日本のどこかの街を描いた歌1曲と、その街にまつわるエピソード、話なんかをお届けしていく配信です。
お相手は私、MCワタンドです。よろしくお願いいたします。 そんなわけで今回お届けする曲は、
ヨルシカの8月某月明かりという曲でございます。 この曲はですね、ヨルシカのアルバム
僕は音楽を辞めた、の中に入っている曲になっています。 この歌が描く場所が
東伏見の高架橋、小平、 藤見通りと商店街という場所が出てきます。
これね、全部近い場所なんですね。 全て西武新宿線、東京の
新宿駅から西の方に向かって伸びる鉄道沿線の風景が3つ出てくるんですね。 藤見通りと商店街っていうのも、上石寺駅という西武新宿線の駅の近くにある商店街のことかなというふうに私は読んでるんですけども、
そこであれば全部西武新宿線沿いの場所というふうになっています。 23区外になるかな、
そんな場所です。
駅はそれぞれ違うんですよ。同じ路線なんですけど、ちょっと離れた場所なんですね。 なので、ちょっと違う場所、フラッシュバック的に3つポンポンポンって羅列するように歌われているんです。
だからこの近辺で暮らしている人の思い出がポンポンポンと出てきたのかなというふうな、そんな感じの歌われ方をしています。
で、これね、出てくる場所もすごい日常風景通過点みたいな場所ばっかりなんですよね。 高架橋とか、
商店街とか、 ちょっと小平っていう地名だけだとちょっとわかんないですけど、
小平自体があんまり目的あっていくっていうか、住宅街的な場所なんで、 そういう意味では本当に何気ない風景が歌われているというような歌になっています。
これね、地名が出てくる歌って、 やっぱりみんなが知っている場所とかのが受けがいいわけですよね。
それこそよく歌われるのは六本木とか、 青山とか華やかな場所が多いですよね。
施設の名称とかだと東京タワーとかが多いんですよ。 それ以外にもね、それこそ京都だったら清水お寺とかね、
だからみんなが知っている場所、みんながイメージしやすい場所のほうが共感しやすいわけですよね。 だけどね、この歌は本当どこよっていうような感じの場所ばっかり、
たまに住んでいる私でもちょっと全然ピンとこないような地名が出てきています。
日常の風景が思い出として残る理由
これはね、このニッチな場所を歌っているからこそ、 この辺りで暮らしている人にはぶっ刺さる曲なんじゃないかなと。
いやーここを歌ってくれたかっていうふうに思うような歌なんじゃないかなというふうに思います。
でねー、なんて言うんだろう。
それこそ東京タワーとか清水の寺とかみんな知っててみんなイメージはできるけれど、 なんか深く共感したり刺さらないんじゃないかなと思うんですよ。
ね、1回ぐらい行ったことだったりしてね、なんとなく思い出はあるかもしれないんですけども、 なんか自分の心だとか思い出だとかにゴビリついている場所じゃないかなと思うんです。
みんなが知っている場所っていうのは。 あなたが思い出す、なんていうか住んだ場所の風景とか、行った場所の風景。
すごいよく覚えてるなっていうのって、なんかもっと日常的な、 本当に毎日の何気ない風景だったりするんじゃないかなと思うんですよ。
例えば20代の頃住んでた町、思い出って、風景ってどういうのを思い出しますかって聞かれたときに、 例えばなんかよく行ってたコンビニとか。
30歳の時に一番よく覚えてる風景、住んでた町の風景なんですかって言ったら、 なんかこう通勤の途中にいつもすれ違ってた中学生。
いつも同じ交差点で会う中学生がいた交差点あったなとか、なんかそんななんじゃないですか。 今全部僕の思い出を言ったんですけど、なんかねそんなすごい、
変哲もない、誰にも説明ができないような場所が、 思い返されたりするんじゃないかなと思うんですよ。
人生の思い出としても同じかなと思うんです。 ビッグイベント、それこそね、なんかなんだろう、
結婚式とか成人式とか、なんかそういったもの、卒業式とかね、 そういったものは確かに華やかに覚えてるのかなと思うんですけども、
日常の比重の方が人生だからすごい多いわけですから、 なんかね何気ない、
家でずっといた、家でずっと過ごしてた日曜日、 そういうのをよく覚えてたりとかするのかなという気がするんですよね。
普遍的な親しみを持つ場所とは
そういう何気ない日こそ親しみ深かったりするのかなというふうにも思ったりもします。 なのでね、この歌が描く本当に何の変哲もない場所っていうのが、
本当にこの歌い手にとってもぶっ刺さる風景だし、 誰かの心にも本当に深く刺さるんじゃないかなというふうに思います。
そんなわけで聴いていただきましょう。 よろしくお願いいたします。
8月報、月明かり。