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こんにちは、おあです。三次子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第22回目のきょうは、【不登校の子のために居場所をつくればいいわけではない話】です。
今、不登校の子どもたちが約30万人に上るということで、ニュースになっていますよね。
子どもの数がどんどん減っているのに、学校に行きたくない、行けないという子どもがどんどん増えている。大変なことですよね。
それに焦った国も、いろいろ手を打たなければいけないということで、今、全国各地に不登校の子どもたちのための居場所というのが次々できてきています。
私の住んでいる地域にも、不登校の子どもたちのための居場所というのが何か所かありまして、我が子たちも時々そちらを利用させていただいているんですね。
不登校に悩む子どもが日中、安心、安全に過ごせる居場所があるということは、確かに本当にありがたいことです。
その重要性というのは疑いようがないと思っています。
ただ、その居場所と言いますけれども、それはあくまで学校に就かれた子たちの給養が目的につくられているんですね。
つまり、地域の学校に行くのがつらいと苦しいという子たちの避難場所として、居場所というのはとても大事な役割を持っているんです。
ただ、あくまで避難場所ですので、一時的な場所なんですよ。
学校の代わりになるコミュニティにはなり得ないんですね。
私も子どもたちと何か所か、いわゆる居場所に足を運んだことがありますけれども、やはり共通しているのは、子どもたちがバラバラに好きなときに集まってきて、別々に好きに過ごして好きに帰るということであって、
ただ子どもが集まっていれば、それでコミュニティになるかというとならないんです。
本当の意味の出会いや対話というのは、ただ子どもを集めて居場所を作っているだけでは生まれないんです。
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我が家の娘たちも、学校の生き苦しい環境がつらい、生き苦しいというだけであって、お友達とは遊びたいんですよ。
ホームエディケーションといって、勉強や学習をお家ですることも簡単です。
オンラインにいろんな良質なコンテンツがたくさんありますから、いくらでも勉強だったら家でできるわけです。
うちの子どもたちは、もっと自由で楽しい学校だったらぜひ行きたいと言っているんですよ。
子どもたちの言っている学校って何かというと、つまりコミュニティなんですよ。
子どもたちが学校は嫌だと、だけど学校に代わる別のコミュニティに所属したいという所属欲求。
これは大変なものがあるなと感じているんです。
マズローの欲求5段解説って聞いたことございますでしょうか。
まず生理的欲求がまずあって、その次にそれが満たされて初めて安全の欲求が生まれて、
その上に所属欲求が初めて生まれてくると、その上に承認欲求、最後が実効実現欲求と、
その5段階で必ず第一ステップが満たされなければ次の欲求にはいけないと言われているんですね。
ところがこのマズローの5段階欲求、最近違うんではないかという説が出てきているそうなんです。
どういうことかと言いますと、今までは生理的欲求というのが一番大事で、一番基礎にある欲求だと。
それが満たされない限り、安全だとか所属だとか承認だとか自己実現なんていうのはもう叶えようがないと言われていたんですが、
所属欲求が何よりも一番下にあるんではないかということを言い始めている説があると聞いたんですね。
人は食べたり飲んだり眠ったりそういう欲求よりもっと以前に所属欲求というのが一番基礎にあるのではないかという説が出てきたそうなんです。
これはね、わからなくはないなって私思うんですよ。
つまり、自分はここにいていい、ここに自分の仲間がいると、そういう環境があって初めて飲んだりして満たされるな、眠って安心して眠れるな、自分はこの世界に存在していいんだと思えることが最も根源的な欲求ではないかということを言っている。
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そういうことを言っている方が現れているということなんですね。
以前にもお話ししたことがあるんですけれども、やはり学校というのは巨大なシステム、巨大なコミュニティなんですよ。
やはりそこから離脱するというのは、村八部を意味しますから大変な勇気がいることなんです。
みんなが所属しているコミュニティから一人だけ抜け出て、誰も仲間を見つけられないという状況では本当に孤独ですし、やはりですね、周りの目が本当に冷たいんですよね。
変な宗教に入っちゃった家族って思われる感じなんですよ。
やはり人はね、孤独、理解してもらえない、自分を分かってもらえる同じような仲間がいないっていうのはね、確かに生理的欲求よりもっと深刻な辛さがあるなって思うんですよ。
だから居場所を作ればそれで住む話ではないっていうのが今の私の思いなんですね。
そうではなくて、やっぱり平日日中、他の子供たちはあの学校に通っているけれども、でも自分たちはあの学校の代わりにこの学校、このコミュニティに行っているんだと思える場所がどうしても必要なんです。
それは居場所なんていう中途半端な一時的な避難場所ではなくてですね、ちゃんと自分はここに所属していると思える場所がどうしても必要なんだなって最近本当に感じるんです。
だから本来は居場所を作るだけではなくて、合わせて同時に既存の公教育とは全く違う理念にのっとった子供主体の別の教育のやり方というのを実践する場が必要なんだと私は思っているんです。
それこそが多様な学びを保証するということではないでしょうか。今の学校教育はNOだと。そういうのであれば、そうではなくてこういうやり方があると、こういう子供主体の教育っていうのはちゃんとできるという実現する場が一箇所でも地域にあれば、それは必ず地域全体に波及していくはずだと私は信じているんですね。
なので私は単なる居場所ではなくて、オルタナティブスクールという形で既存のやり方とは違う別の教育のあり方というのを実践する場として、ちゃんと学校というコミュニティとして成立している場をどうしても作りたいと思って今動こうかなといろいろな方にご相談させていただいているところです。
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ただこれはとっても大変なことだと思っています。やはり居場所だけを作るんだったら、はっきり言って簡単なんですよ。場所と人があれば、みんなに居場所を作ってあげて、自由に来て自由に帰ると、特に積極的に何をする必要もないわけです。
ところが、今の学校教育とは違うやり方の教育を身をもって示すというのは、やはり教育とは何かということに正面から向き合わなければいけませんし、やはり新しい教育、今までとは違うやり方の教育を実践していくというのは、もう並大抵のことではないなと思っているんですね。
しかもね、今から動き出したとしても、どう考えても自分の子供たちって多分間に合わないんですよ。本当はね、自分の子供たちの行き場所がなくて、そういうオルターナティブな教育をちゃんと提供してあげたいと思って考えたことだったんですけれども、今ちょっと考えただけでも、もう到底これは自分の子供たちには間に合わない。
今から一生懸命、本当にいろんな知識や人脈を総動員しても、3年、4年、5年、10年、どうしてもかかってしまうんではないかというところで、まあね、仕方ないことですけれども。
でもね、やっぱりそういう教育の実践する場所を作らなければ、もうこれは不登校の子供たちが救われないなって、どんだけ居場所を作ってても、キリがないって思います。
なので、ちょっと自分の子供たちのために本来は作りたかったんですが、間に合わないというところがちょっとモヤモヤと言いますか、もどかしさはありますけれども、間に合うか間に合わないかは別として、やっぱり必要なことだと思いますので、ちょっと少しずつ、まず勉強会という形から始めていこうかなと思っています。
まず大人たち自身が違うやり方の教育っていうのをまず学ぶ必要がありますし、学びながら自分たちの形っていうのを一緒に話し合って作っていけたらいいなと思っています。
今日もお聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、フォローお待ちしています。