2023-10-21 15:09

【第16回】子どもの不登校に悩む親が、本当は一番恐れていること。

子どもが学校に行きたくない、行けないとなると、ほとんどの親が「どうして?!」と原因を追及します。原因が不明瞭だと、「熱もないなら学校に行って」となります。なんとか学校に行かせようとします。
しかし、子どもが学校に行かないことよりも親が恐れていることがその裏にあるのです。

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こんにちは、おあです。3児子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第16回目のきょうは、【子どもの不登校に悩んでいる親が、本当は一番恐れていること】についてお話しします。
子どもが、学校に行きたくないとか、学校に行けないとなったときに、ほとんどの親が今でも、「え?どうして?」って思うんですね、まず。
もう、それはほとんどの親がそうです。私でさえそうでした。
何があったの?どうしたの?
大抵の子どもは、その原因とか理由っていうのを、そのときはうまく言語化できません。
もちろん、はっきりしている子はいいと思うんです。何々君にいじめられたとか、何々先生に叩かれたとかね。
とても分かりやすい理由が、はっきりあって、明確に原因があって、それがちゃんと誰にでも分かりやすい形で出ていることであれば、まだマシなんですよ。
そうではなく、今ほとんどの子が、「なんだか分からないけど嫌。行けない。行きたいけど体が動かない。」と。
うちの娘も、昨日放送した通りですけれども、なんだか分からなかったと。
なんとなく、とにかくなんだか体が動かないと。
もうそれがね、本当のところだと思います。
例えば、仕事。大人だって自分の仕事が、なんかこの仕事嫌だなとか、合わないなとか、なんかもうちょっと自分に合う仕事ないのかなとかって思ったことないですかね。
私はなんかあります。別に何って、いろいろありますけどね。これが嫌とかあれが嫌とか。
でもなんか嫌。うまくそんなのって、誰にでも分かりやすく、何でも言語化できるっていうことではないと思うんですよね。
で、分かりやすいいじめがあったりとかね、大罰があったりとか、そういうわけでもないのになぜかいかない。
熱もない。何かこう体に異常があるわけでもない。
そうすると、親としては1日2日ぐらいだったら、ちょっと休もうかぐらい言えると思うんですけど、それがさすがに1週間、2週間となってくると、
まあ大抵の親は甘えてると、怠けてると、大した理由がないんだったら、とにかく行きなさいということになるわけですよね。
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で、じゃあそういう子どもが不登校で困ってます、悩んでますという親御さん、どうして学校に行かないとダメなんですかって聞かれると、
おそらくいろいろそれぞれ言い方は違うと思いますが、大きく大体3つぐらい理由としてよく聞かれるのが、
学校に行かないと勉強ができないですよねって言いますね。学校に行かなければ勉強ができないじゃないかと。
勉強ができないと、その先どうやってこの子は生きていけるんでしょうかと。
大人になって仕事、高校も行けなかったり大学も行けなくて、どうやって働けるというんでしょうかと。
そういうことが一つ。もう一つが、かなり似た表現ですけれども、学校に行かないとまともな大人になれないと。
人間力、コミュニケーション、そういうものも育めないし、なんか変な人になってしまうと。
かなり偏っていて、字も読めなかったり計算もできなかったり、人とうまくコミュニケーション取れなくて、社会に適応できないんじゃないかというような意味だと思います。
もう一つが、学校に行かないとこのままだと引きこもりになってしまうと。それを恐れているんですというお話もあるようです。
これは完全に妄想ですよね。
本当によく不登校と引きこもりというのは、同じ問題としてよく語られているんです。
実際、不登校がそのままこじらせて引きこもりになっていらっしゃる方もいますよ。
だけれども、実は不登校と引きこもりというのは、結果として見えている形は似ているかもしれませんが、元々の原因というのは違うものなんですね。
そのことはどこかで放送で改めたいと思うんですが、とにかく引きこもりになってしまうと、このままだと。
ということを恐れている。
とにかく学校に行かさなければ大変なことになるということで、行け行けと何とか行こうとさせてしまうんです。
子どもが学校に行きたくない、行けないとなった時に、まずその親が第一ステップとして最大の難関だなって私が思うのが、
学校に行かなければならないという呪縛、思い込み、これを超えられるかどうかっていうのがものすごく大きいなって本当に思っています。
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この子どもは学校に行って当たり前という意識、呪縛っていうのはあまりに当たり前にはびこっていて、
ここを疑うというか、ここをいや行かなくていいじゃんって思えないんですよね。
本当にもうしょうがないんですけれども、なぜならやはり自分の身の回りに小学校行っていないで、中学校行っていないで、
学校という組織に行かずに普通に社会人として、普通に今の生活問題なく過ごしているという人が周りにいないからですし、
自分自身、学校という組織にずっと属してきて、学校に行かない人生を歩むということが想像できないわけですよね。
要は、学校に行かずにどうやって仕事に就いて、どうやってお金を稼いで、どうやって結婚して、どうやって子どもを育てると、
学校に行かずにそんなまともな人生が歩めるとは想像できないし考えられないということなんですよね。ほとんどの大人が。
そういう当たり前と言われている道から一歩踏み外して、道なき道を行くということ自体がものすごい親にとっても恐怖なわけです。
子どもはどうなっちゃうんだろうと。この子はこの高速道路、あるいはこのジャングルの中に行こうとしていると、とても危険だと。
死んでしまうかもしれない。生きていけないんじゃないかと、やはりとても不安。先が見えない。恐ろしいことなわけですね。
しかも、今の学校は勉強だけではないんですよ、役割が。あらゆる機能になってしまっているんです。もう一つの巨大なコミュニティですよね、学校というのは。
保育所的な機能、学童保育という形で仕事をされているご両親のお子さんを安全に日中お預かりするという保育所的な機能も学校には期待されていますよね。
食事の提供、給食という形で栄養バランスが考えられた食事を子どもたちがしっかりとるということも機能としてになっています。
さらに健康面でのケア、例えば保健室というところでは怪我やちょっと体調が悪い時にはちゃんと看護師さんのような先生がいらっしゃってきちんとケアしてくれますし、健康診断というのも定期的に行われていて、何か問題があったらきちんとお医者さんにつなげてくれるという機能も持っています。
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さらに虐待の早期発見ですとか、カルト教団による隔離、監禁の予防といった福祉的な命に関わるようなことを防ぐ機能というのも期待されています。
やはり学校にしばらく来なくて、結果的に亡くなってしまったお子さんのニュースが出ると、学校は何していたんだと、なぜ学校に来ていないのに気づかなかったのかというふうに学校が責められるというのは、つまりそういう福祉的な早期発見の機能というのも期待されているという証拠なんですね。
本来は学校ってシンプルに言えば、教育、勉強さえ子どもたちに最低限のきちんと義務教育課程を授けてくれれば本来は良かったはずなんですよ。
ところが、やはりそこにあらゆる期待や希望をいろんなところから課せられて、学校もどんどんそれを担っていくという形になってしまって、もうブクブクと太り続けて、身動きが取れないほど過剰な機能を背負ってしまっているわけなんです。
なので単に学校に行かないということは単に教育の機会が奪われるとか、そんなことよりももっといろんなことを意味するわけなんですよ。
つまり巨大なあらゆるコミュニティ、地域の包括的なコミュニティから学校に行かないということは離脱するということなんです。そのコミュニティから排除される村八部を意味するんですね。
その村八部を自分で選択できる人なんていますかねっていう話なんですよ。地域のそのコミュニティから自分が自分から抜け出す選択をするというのは大変な勇気がいります。
よく例えられるのが昔の離婚したくてもできない女性を例えによく出すんですけれども、昔はですね、どんなに暴力を振るわれていても、どんなに理不尽な扱いを受けていても、女性は生きるために辛いけれども自分を殺して我慢して離婚という形は選ばなかった、選べなかったんですよ。
それは家族というコミュニティから自分から抜けて生きていけなかったからなんですよ。
だから、学校に辛かったら行かなくていいよって言えるようになってきましたよね。最近はそういう法律もできました。
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けれども一番のそれでもハードルとしてものすごく私が大変な壁だなと思うのが、やっぱりその子供が行かなくていいよって言って、コミュニティから一緒に抜けて村端部になってもいいから。
あのコミュニティは辛いから抜け出て私たちだけでやっていこうって思えないですよ、普通の人は。それは恐ろしいことです。そう思えないということが本当に大変なことで、その壁を越えられなくてみんな悩んでいるんだと思うんですね。
かつてはね、そうやって離婚したくても辛くても、どんな暴力を受けても離婚できなかった女性のように、今かなりの子供たちが学校に行かなくていいよと言われて行かないという選択を始めたことで、かなりそこの壁というのはだいぶ抜けやすくなってきているかなと思うんですが、
今ね、例えば離婚してシングルになる女性というのは別に当たり前で、別に変な目ではもう見られませんよね。そうなるほどにはまだ子供が学校を辞めて、その巨大なコミュニティから脱出して行くというのは、離婚できる女性ほどの認知はまだいっていないのではないかなと思うと、
まだまだ親がどうしても子供にそのコミュニティから脱出していいよってやっぱり思えないし、心でもし思ってたとしても恐ろしすぎて抜けられないというのはまだ続くというところを考えると、そこはやはりいろんな知識を持って勇気を持って決断してほしいなと思いますが、
そこが決断できないという親御さんの気持ちもよくわかりますので、本当に悩んでいる親御さんというのは、子供が学校に行かないことを悩んでいるというよりは本当に悩んでいるのは、そのコミュニティから脱出することの恐怖に私は悩んでいるのではないかなと思っています。
なので学校に行かないという選択をするということが当たり前になっていく社会というのがどんどん広がっていくといいなと、それがやはり結果的に抜けても大丈夫なんだと、学校にというコミュニティから脱出しても全然大丈夫やっていけるんだって、そういう親御さんたちが気づいていけるといいなと思います。
今日もお聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、フォローお待ちしています。
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