2023-11-08 14:20

【第31回】教育とは何か?

このチャンネルの本丸テーマ「教育とは何か」について私なりにお話してみます。
苫野一徳先生の言葉「信頼して、任せて、待って、支える。」この教育を私なりに別の表現で解説してみました。

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こんにちは、おあです。
三児子育て中で、小学生の娘二人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第31回目の今日は、【教育とは何か】というテーマでお話ししていきます。
さあ今日は、このチャンネルの本丸のテーマである、教育ということについて、真正面から取り上げてみたいと思います。
この教育とは何かというテーマについてはですね、もう人類のかなり初期から、いろんな偉人の方はじめ、今も日本の文部科学省の偉い先生方、
あらゆる現場の先生方、皆さん、本当に真剣に考えて向き合っているテーマだと思います。
この歴史上を振り返ってみましても、素晴らしい教育者だと言われてきた方がたくさんいるんですけれども、
そういう名教師と呼ばれる人たちに共通することは、本当にそういう人たちって一生、教育とは何かということにずっと向き合い続けてきた先生方なんですよ。
私自身はですね、教育の専門家でもなんでもありませんから、そういう方々のあらゆる教育とは何かという答えについて知っているわけでもありませんし、
今まさに私自身がずっといろんな本を読みながら、まだまだ考え続けているテーマではあるんですけれども、
ひとまず私が今、よりどころにしている言葉がありまして、熊本大学の教育学者でいらっしゃる戸間野一徳先生の言葉です。
戸間野先生は、教育とは信頼して任せて待って支えることだとおっしゃっています。
私には今のところこの言葉が一番しっくりきているんですね。
子供を信頼して任せて待って支えることが教育であると。
この言葉を私なりに、今日は違う表現でお伝えしてみたいなと思っています。
よく使われるわかりやすい例として、子供が何かの植物の種であるという表現が使われます。
親はですね、子供が生まれてきて、その赤ちゃんが、種が、この子がどういう花を咲かせる、どういう植物なのかわからないわけなんですよ。
何だかわからないけれども、いろいろお水をあげてみたり、太陽の光を当ててみたり、肥料を与えてみたり、温度をちょっとあったかくしてみたり、
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いろいろ調節しながら、その子が元気そうであれば、これでいいのかなと思いますし、何か元気がないなと思ったら、まずちょっと水の量をもうちょっと増やしてみたりですとか、
気温をちょっと下げてみたりですとか、肥料の量をちょっと増やしてみたり、いろいろ反応を見ながら育て方を変えていくわけですよね。
どんな環境でも、どんな育て方をしても、育っちゃう子っていうのも結構いるんですよ。
いわゆるたくましい子ですね。タンポポみたいな植物の種を持ってきたお子さんは、そんなに肥料をあれこれあれこれやらなくても、その辺にほったらかしてても元気に育つわけですね。そして立派な花を咲かせるわけです。
しかしですね、お子さんによっては、ゆりの種だったり、バラの種だったり、ボタンの花の種だったりするわけです。
そういう花の種を持ったお子さんはですね、適当に肥料やったり水やってたんじゃ、うまく育たないんですよ。
しかも親はプロじゃないですからね。突然自分の元にバラの種を持ったお子さんが来ても、どう育てたら綺麗なバラの花が咲くのかわからないわけなんですよ。
バラの花だということがわかってね、わかっていればまだいいと思うんですよ。バラなのかと。バラの育て方を図鑑で調べて、何月頃に咲くんだな、それに合わせてこういう肥料がいるんだなっていうのが、見れば何かに書いてあったりするし、教えてくれる人もいるのでまだいいと思うんです。
ところが厄介なのは、あんまりわからない。なんだかわからない。あれこれ、百合だと思ってたけどなんか違うなとか、あれこれもしかして花じゃないんじゃない?大根なんじゃない?みたいな。
そうするとどうしてもですね、やっぱりプロの手を借りなければうまく育てられないということが出てくるわけなんですね。で、そのプロフェッショナルこそが私は教師だと思っているんですよ。
教師というのは、いろんな植物の特徴を知っていて、どんな環境だとその植物がよりよく育つのかという知識や経験を持っている方で育てるのがとてもうまくて、その種を見たときにだいたいなんとなくわかるわけなんです。
この種はおそらく百合だなとか、この種はおそらく大根だなとか、検討をつけてその植物にとって一番ふさわしい環境を知っていて、そこで適切な量の水や肥料や光というのを与える知識を持っていて、一番いい方法でその花を咲かせる、お手伝いができる人。それが私は教師だと思っています。
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今の学校というのは、いわゆる観光農法一本という状況なんですよ。それがタンポポだろうと、大根だろうと、茄子だろうと、トウモロコスだろうと、もう関係ないと。国が定めた農薬と肥料を使って大量栽培をする。それが学校教育なんですよね、今の。
で、人参もきゅうりも大根もトウモロコスも、同じ環境でうまく育つわけがないんですよね。そりゃあ、たくましいタンポポだとか、白爪草だとか、いわゆる雑草的なお花は、そんな環境でも伸び伸びと育っていくかもしれません。
でも、その環境では、ゆりのお花を持った種のお子さんや、ぼたんの花を咲かせる予定のお子さんは、うまく育たないわけです。むしろ、芽も出ません。つぶされて、場合によっては死んでいってしまうわけなんです。
じゃあね、国が定めた大量栽培、農薬や肥料を使うことはけしからんと、そんなことじゃ子どもたちがつぶれてしまうということで、完全無農薬栽培、自然農法というのをやっている人たちも出てくるわけなんですね。
それがいわゆるアンスクーリングなどの流れになるわけですけれども、それはそれでね、ものすごく難しいんですよ。
お野菜を育てたことのある方はお分かりかもしれませんが、完全無農薬で、自然農法で野菜をおいしく育てるなんてね、素人にはまず無理です。
まあ、めんども雑草も虫も全部自分で手作業で取り除かなければいけませんし、やっと咲いたと思っても、実ったと思っても、おいしくなかったりですね。
やっぱり、完全無農薬の自然農法というのはできなくはないのかもしれませんが、相当な技術が必要になるわけです。
しかも難しいんですよね。現実、その自然農法ではどうしても育たない子っていうのもやっぱり私はいると思うんですよね。
で、私が実現したいと思っているオルタナティブな教育、子ども主体の教育って何なのかっていうと、
そういう野菜の農法の言い方で言いますと、おそらく有機栽培に近いのではないかなと思うんです。
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子ども主体というのはつまり、一人一人違う種なわけですよね、子どもって。
何の花を咲かせる種を持っている子なのかというのを一つ一つ見極めて、その植物に最もふさわしい環境を整えてあげて、
できる限り無駄な農薬や肥料は使わずに、その子自身の力で輝けるようにお手伝いをしていくと。
つまり、ものすごく手間がかかる作業なんですよ。
様々な知識や経験が必要ですし、一人一人その子の反応を見ながら、本当にこの環境でいいのかなと。
本当にこの子は百合の花だったんだっけなとか、そういうことをずっと観察しながら、考えながら探り続けてですね。
しかも、正解というのは花だったら花で、ぱーっと美しくある時期になると咲くと。
わかりやすいんですけれども、人間の場合は難しいんですよね。
何をもってその子が正解だったか、その百合だったら百合で良かったのかと。
きっとね、大人になった時に本当に幸せでいてくれたら、あ、間違ってなかったのかなって。
その子らしい百合だったら百合の花が咲けたのかなって、そのお手伝いができたのかなって思えるわけですけれども。
そこまでね、ある意味正解が見えない中やっていくわけですから。
実に根気がいってですね、覚悟のいる仕事、それが私は教師だなと思うんですよね。
だから本当の先生というのは、本当に尊敬するべき方ですし、本当のプロフェッショナルだなと思います。
はっきり言って、教育のことを学べば学ぶほど、ホームエディケーションなんて言って、
親の私がですね、ど素人の私が子供をそんな育てられるなんて、なんて傲慢、なんて思い上がりだって思いますよ。
というか、多分無理なんです。親には。
なぜなら、自分がね、例えばタンポポだったら、タンポポ以外の百合とかね、ボタンの育て方って言われたって知らないし、
そういうタンポポと百合はね、全く違う生態系を生きてますから、理解できないわけです。
どうしてもタンポポはタンポポの生き方を押し付けて、百合だということは認めずに、
あんたはタンポポの子なんだからタンポポでしょ、みたいな、そうなっちゃうんですよね。
だから、教育のプロフェッショナルである教師という仕事は、絶対に必要で重要なお仕事だと思うんですよ。
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ただ、今の学校の問題というのは、そのプロフェッショナルのはずの先生方が、観光農法のやり方しか教わってきていないと。
自分自身も観光農法で育ってきてしまっていると。
自然農法ですとか、有機栽培のやり方なんて知りませんし、ましてやね、みんな人参を育てるというような学校環境ですから、
そこにきゅうりの子がいたり、とうもろこしの子がいたり、ゆりの花の子がいたら、もう先生としては無理なんですよ。育てられない。
自分では、この子は難しいので、特別支援学級へ行っていただきますというようなことになってしまうわけなんですよね。
というわけで、私自身ですね、ホームエディケーションなんてかっこいい名前を使って家でやってみましたけれども、
教育ということに向き合えば向き合うほど、これは並大抵のことではないと、素人の私にどうにかできるレベルの世界ではないというふうに今感じてまして、
だからこそプロフェッショナルが必要であり、一人一人違う種を持って生まれてきた子どもたちが、最も花咲く環境を整える。
全部同じような人参が育つ、育てる社会ではなくて、いろんな種類の野菜に限らず、お花や草花や木やいろんな多様な植物が育つ豊かな社会、それを叶えるのが学校教育だと私は思っています。
というわけで、今日もちょっと固いお話になってしまいましたけれども、どんな種を持ったお子さんも、その子らしいその子だけの花を咲かせられるような環境を整えるということで、今オルタナティブスクールを地域に作る活動というのを始めようかと思っています。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。
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