2023-11-07 14:05

【第30回】誰もがみんなマイノリティー。

マイノリティーと聞くと、LGBTQや障害を持つ方、外国籍の方など、自分とは関係のない、特別な存在をイメージしてしまいませんか?
しかし、本当は私たち1人1人みんなマイノリティーなのです。
自分自身のマイノリティー性に向き合うことが、お互いを認め合う基盤になるというお話をしています。

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こんにちは、おあです。三次子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第30回目の今日は、【誰もがみんなマイノリティー】というテーマでお話ししていきます。
皆さんは、マイノリティーと聞いて、どんなイメージを持ちますか?
また、ご自分がマイノリティーだなぁと感じた経験はありますか?
マイノリティーというのは、社会的弱者に似た概念と言われていまして、
その社会の力関係によって、少数者、少数派、若者の立場に属する者やその集団を指すとされています。
さらに、その少数者のグループに属することによって、社会的な偏見や差別を受けたり、
少数者の事情を攻略していない社会制度の不備から損失や被害を受けることを前提とした呼び方になります。
我が家の場合で言いますと、例えば10歳の長女は左利きなんですけれども、
そのことで結構日常生活、時々面倒なこともあるんですよね。
学校で言えば書道の練習のとき、お裁縫の練習のとき、やっぱり先生や周りは教えにくいんですよ、左利きの子に対して。
あとは、次女は食物アレルギーがいろいろありまして、出かける場所が限られてしまったりですとか、
お友達の家に行っても、かなり気を使わせてしまうということがありまして。
あと、息子はそんなないかなと思うんですけど、男の子にしては、ちょっとあの戦隊ものなんとかレンジャーとかよりも、
プリキュアとかちょっと可愛らしい住み子暮らしとか、なんかそういうのが好きなんですよね。
ただ、そういう我が家の他の子に比べたら少数派と言われる特性に関しても、別にそのことで差別されたっていうことはなかったんですよ。
マジョリティとは違うので、やっぱりちょっと不自由で不便なことはいろいろあるけれども、
別にそのことで偏見を持たれたりですとか、排除されるっていうようなことは経験がそんなになかったんですよね。
ところが、昨年、娘たちが小学校に行かないという選択をした途端、私はこのマイノリティの辛さというのを本当に実感させられたんですよね。
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マイノリティというと、どうしても性的マイノリティのLGBTQですとか、障害をお持ちの方、民族的なマイノリティということで外国籍の方ですとか、
そういうイメージがどうしてもあったんですけれども、やはり当事者として本当のマイノリティに置かれた時、
そういう人々の置かれている立場の辛さですとか、何がそれの問題なのかということが初めて身をもって理解することができたんですよ。
マイノリティの辛さって何かっていうと、やっぱり偏見。すごいんですよね。偏見からくる孤立。
やっぱり理解してもらえないので、本当に孤独を感じるんですよ。
相手は排除しているつもりもないし、差別しているつもりも全くないんですよ。無自覚なんですよ。それがさらに立ちが悪いと言いましょうか。
マイノリティの人たちが何に困っているのか全く理解できないので、それが問題であるということさえなかなか認識してもらえませんし、
それをましてや変えていくために制度を変えるというところまでは、検討さえしてもらえないという感じなんですよね。
我が家のように学校に行かないという選択をしたということに関しては、例えば義理の両親からは、
本当に学校に行かないなんて罰が当たるよって本当に脅されますしね、子供たちが。どういうことだと私も責められますし、
学校の先生からも本当に遠回しに嫌味のようなことを言われたりですとか、心ない言葉を投げつけられたこともあるんですよ。
そういう方っていうのは普段は本当に普通の人、普通のおばちゃん、普通のおじちゃんなんですよ。
決して悪人ではないですし、ましてや私たちを傷つけようと思って傷つけているわけではおそらくないんです。
ただただ自分たちの立場がマジョリティであるということ。そのことに無自覚なだけであって、単に自分たちの世界以外のことを知らない。
そして少数者であるマイノリティに立たされている私たちの立場のことがわからない、理解できないだけなんですよね。
わかりやすい例で言いますと、一般的には異性愛というのが当たり前だと言われている世の中ですよね。
男性と女性が愛し合って結婚して子供を産むというのが一般的であり当たり前のことであると。
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対してLGBTQの問題というのは、同性同士、女性と女性ですとか男性と男性という同性同士の恋愛ということが一般的でないということでかなり偏見を持たれたり、
場合によっては差別という形で、普通に男性と女性同士であったら何の問題もなく結婚ができて一緒に生活が共にできて周りからも祝福されるのに、たまたま同性同士愛し合うということに関して世の中が理解していないので、
あの人たちはおかしい人たちということで、攻撃をされたり差別をされたり、結婚というのが受け入れられていないわけなんですよね。
それと同じように、まだまだ今も学校に行っていない子供というだけで、ものすごい偏見と差別がまだまだあるんですよ。
それでも学校に行きたいのに行けないという辛いと苦しんでいる子に関しては、かなり理解が進んで何とかしてあげよう、助けてあげなくちゃという感じはあるんですけれども、
そうではなくて我が家のように自分の選択として学校に行かないということを選んだというのは、もう頭のおかしい変な人たちという感じで、かなり攻撃を受けるんですよね。
要は子供というのは学校に行っていて当たり前、みんながしていることをしていない。
それだけでかなりの偏見がまだまだある世の中ですし、その受け皿というのは全く今整備されていない状態なので、代わりとなる教育というのも今のところ受けられない状態ですしね。
受けられるとしてもかなり高額な学費を払わないと難しい状況ですので、やはり社会的な制度という意味でも整っていないわけなんですよね。
やはりマジョリティに属するということはやっぱり安心なんです。そして何より便利。この社会はどうしたって大勢の人たちに合わせて制度であり環境が整えられているものなので、
例えば道路なんかも普通に歩ける人たちにとってはなんてことのない道路でも、車椅子やベビーカーの方にとってはものすごく動きにくい、凸凹した段差のあるつらい道だったりするわけですよ。
でもマジョリティの人間にとっては全くそのことについては何とも思わないですし、それを変える必要というのも感じないわけです。
大勢の集団と一緒というだけですでに既得権益というわけなんですよね。
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でもそういうことに気づいたのも、やっぱり私は自分がマイノリティの立場に置かれ、偏見や差別ということを体験したからわかったことなんですよ。
逆に言えば、私もこうしてマイノリティ学校に行かないという選択をするというマイノリティの立場に立たなかったら、おそらくLGBTQの方々の問題ですとか、障害を持っているご家族の抱える問題ですとか、
外国籍で日本にいらっしゃる方のお気持ちというのは全く想像がつかなかったかもしれないなと思いますね。
そういう意味では、マジョリティから排除されてしまった体験ですとか、やっぱりそのことで理解されない孤独感というのを味わった経験というのは本当にありがたいことではあるなと思います。
そういう傷つき体験というのが今回あったことで、やっぱり世の中の違和感に敏感になるようになりましたし、おかしいなって思うことに関してもかなりアンテナが立ってスルーしないというような強さを持てるようになった気がするんですよね。
その時に知った言葉が、誰もがみんなマイノリティであるという言葉だったんですよ。
私はこの言葉を聞いた時、いや本当そうなんだよねって思いましたね。
みんな気づいていないだけでマジョリティにいると思っている大勢の人たちも、自分では気づいていないだけで本当はみんな一人一人、みんなマイノリティなんですよね。
外国に行けば日本人ということでマイノリティになりますし、地方で生まれ育った方が東京という大都会に出てきた時にはある意味マイノリティになりますし、会社という組織の中で働いていて妊娠や出産を経て産休育休というのを取ると、それはそれでマイノリティになるわけですよね。
人生においてずっとマジョリティでずっと居続ける人なんていないはずですよね。
そのことに気づいた時に、私は初めて、どうしてね、多様性が必要なのかとか、差別はどうしていけないのかとかですね、どうして学ばなければいけないのか、この世の中のこと、いろんな人たちと出会うことが大事なのかということ、やっとその本質を理解した気がするんですよ。
当たり前のことなんですけれども、本当に一人一人みんな違う人間であるということ。背景も違えば考え方も価値観も感じ方もみんな違うと。
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そしてそれをお互いに認め合う。そういう根本を共有できないと、やっぱり一つの社会を一緒に生きていくということは難しいと思ったんですよね。
そういう意味で子どもが学校に行かないという選択をして、マイノリティという立場に立たされて、いろんな偏見や差別を受けたという体験は、私にとってはかけがえのないギフトだったなぁと思いますし、異なる人々が共に一つの社会を生きていくってどういうことなのかっていうのを本当に考えさせられるいい体験になりました。
そういうわけで、みんなが一人一人それぞれの自分自身のマイノリティ性ということに気づくことが、この社会の豊かさにつながるんじゃないかなと思いますし、
そういう自分自身のマイノリティ性ということに向き合った人同士でつながって、この社会をどうやったらみんなでお互いに認め合って生きていけるかということを考えられる素地になるのではないかと思いました。
というわけで、もし皆さんの中にも、何かこう孤独だなぁとか理解してもらえないなぁとか、何かみんなから排除されちゃうの怖いなぁとかって思う瞬間があったときには、ぜひこの誰もがみんなマイノリティであるという言葉を思い出して、その体験こそがギフトであるということに気づいていただけたらありがたいなと思います。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。 いいね、フォローお待ちしています。
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