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こんにちは、おあです。3児子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
今日は、我が家がホームエデュケーションを始めた経緯②ということでお話ししていきます。
前回、第3回目の放送で、我が家の長女、当時小学校4年生の9歳だった時に、ホームエデュケーションを選択したことになった直接のきっかけといいますか、
経緯の最初のところを話したところで終わったかと思います。私自身がオルタナティブ教育ということを知りながらも、
やはりお金がかからなくて、近くて便利ということで、地元の普通の公立小学校に通わせることにしたんだけれども、
やはり環境に適応していってしまって、娘も特に嫌がることもなかったということもあって、
変だなぁ、なんだろうなぁ、嫌だなぁと思いながらも日々に流されてしまって、疑問をあまり感じなくなっていってしまって、
コロナの生活が始まった中で改めて、学校への違和感、疑問ということがまた湧き上がってきてしまった矢先に、という話までしたかと思います。
繰り返しになりますけれども、2022年4月の第2週から朝、ご飯が食べられないというところから始まりました。
1日目は朝ご飯も食べられない状態では力が出ないだろうということで、普通に学校にも連絡をしまして休みまして、
2日目も別に熱もないし、それまでは元気だったんだけれども、朝になっていざとなると急に元気がなくなって、ご飯が食べられないと、食欲がないとなってしまったんですよね。
確か3日目ぐらいだったと思うんですよね。とうとう本人が学校行きたくないっていうようなことを言ったんですよ。
そんな疑問を持っていた私でさえ、どうしてってまずびっくりしましたね。
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熱もないしね、食欲がない、突然行きたくないと言われて、何か友達とのトラブルでもあるのかなとか、暮らす害があって嫌な子がいるのかなとか、やはりまずそこを私は考えましたね。
その時のやりとりとかは実はよく覚えていないんです。何だか本人も容量を得ないような返答だった記憶しかないんですよね。
その時は何かごちゃごちゃ友達のことも言った気がするんですけど、これだっていうのは別に決定打があるわけじゃない。
別に何か言ってたんですけど、それも別に行きたくないほどのことなんかみたいな感じの話だった気がするんですよ。
今度、当人、今小学校5年になってますけれども、10歳になってますけど、長女に今度放送に出てって言ってあって、その当時のことをもうちょっと本人に思い出せるかどうかわからませんけれども、聞いてみようと思います。
なのでその時の放送はまた別に撮りたいと思いますし、当時の本当の本人がどんな感じだったのかっていうのはちょっと本人に語ってもらうということで、とにかく私自身はちょっとよくわからなかったんですよね。
で、後でいろいろポツポツと話してくれたことを、いろんな情報をまとめてパズルを組み合わせて、後になってパッと見た時の絵として出てきたのは、一言で言えば学校が息苦しいっていうようなことだったと思います。
細かいことはいろいろあるんですよ。授業中にトイレに行けないことが不安とか、授業がつまらなくてチャレンジタッチみたいなやり方の方がいいとか、例えば3年生の時にお友達にちょっとしたことを言われた話とか、いろいろ先生がちょっとしたことで起こるとか、細かく日々の、
チリはいっぱいあるんだけれども、チリも積もればってやつで、多分いろんな細かいことがいろいろ積み重なって、コップがいっぱいになって、あふれて出てきたのが、4年生になった第2週だったというだけであって、
それがもうちょっと早かっても全然おかしくなかったと思いますし、今思えば3年生の時からね、そういうチックが出たり、ゲップが出たりとか、やっぱりサインは確実にあったなって、今ならわかりますね。
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ただ、それが学校と関係しているとかは全くその時は思ってなかったですね。私は学校に対して疑問には思ってましたけれども、子ども自身は本当に適応しているように見えましたし、
なんかね、ちょこちょこ友達にこんなこと言われたとかありますけど、それでなんかもういじめられたっていうほどの話ではないし、翌日にはまた仲良く遊んでたりもするので、
ちょっとその頃の話は私もいろいろその後ありすぎちゃって、記憶があまりないので、当人に今度話してもらうという機会に譲りまして、その後ですね、1週間ぐらいそれでもう結局お休みをして、
4月の末でゴールデンウィークに入る前に学校の個人面談があったんです。初めての4年生になって、初めての担任の先生との個人面談があったんですけれども、それまでもちろんずっと休んでいまして、個人面談に久しぶりに行きまして、
本人がちょっと学校はもう行かないということで、家で自分のペースでやっていくことにするというお話をしました。その時のですね、担任の先生は今思っても結構理解があるなと思うんです。
もう言ったらすぐに、なるほどとわかりましたという感じで、そこで無理にですね、いや何とか学校来れるようにね、こうしましょうとかそういう感じはなくて、なるほどと家で自分のペースでやっていくということを選択されるんですねっていう感じで、自然に受け止めてくださいまして、お荷物どうしますかっていう感じで、全部持って帰りますと言って、
もう学校にはもう来ないっていうことは、もうお互いにそこで合意を得まして、全部荷物を持って帰って、ただ先生としては時々連絡はしたいってことで、あそこはOKとか、あと給食費ももう止めてくれっていう話をその日にしたと思いますね。
で、ゴールデンウィークに入ってからだか入る前だかちょっと記憶にはないんですけれども、娘ととにかくじっくり話したんですよね。
その時に私が一番印象に残っているのは、3年生の最後の方、コロナでちょっと感染が怖いって言って家は休んでいて、久しぶりに学校に行った時に教室で芋虫をなんか飼ってたという話がありましてですね。
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その芋虫ちゃんに餌をですね、あげる係がいるんですけれども、全然結局みんな世話をしてなくて誰もほったらかしになっちゃってて、キャベツかなんかが干からびちゃってて、芋虫ちゃんも生きてるんだか死んでるんだかっていう状態だったみたいなんですよ。
娘はね、小さな虫とか生き物にとっても関心が強い子だったので、それがとても気になってかわいそうだと思ったみたいで、汚れた傷んだキャベツを取り除いてあげようと思ったみたいなんですよ。
休み時間にこうやっていたら、同じクラスの女の子たちにダメなんだよと先生に断りもなく勝手に世話しちゃダメなんだよみたいなことを言われて責められたらしいんですね。
いろいろあるけれども、それが一つのエピソードとして私はすごく印象的で、娘もそれなりにびっくりしたというかショックというか、なんでこんなことでみんなに怒られたり責められたりしちゃうのっていうのが、自分としては良かれと思ってかわいそうだと思ったからやっただけのことだったのに、
なんでそんな勢いでみんなに責められたのだろうという理不尽な体験として本人は思っているんですよね。私もその話を聞いて、それは大変なことだと。
やっぱり命を大事に思う。私は娘をいもむちさんがかわいそうだと思って世話をしようと思ったという気持ちがすごく親としてはすごく嬉しかったんですよ。すごく純粋な心を持っている子だなってすごく優しい子だなって、親ばっかかもしれませんけど、娘のそういうことをしようとしたっていうことをすごく誇りに思うんですよ。
みんながほったらかしに気づきもしなかったいもむしちゃんをかわいそうだと思って何とかしてあげたいって汚れた餌を取り出して。私たちは偉いと思うんですね。偉いしいいことしてると思う。
だけれどもそれは先生に言われてからじゃないとやっちゃいけないとか、かかりじゃないのにやっちゃいけないという意味もあったのかもしれません。わからないですけど、とにかく先生が許可をしないと何一つやっちゃいけないみたいな。
それこそ命一つ救うことも、気にかけることも、先生のお許しを得ないとしてはいけないっていうような雰囲気になっちゃってるってことなんですよ。クラスが、学校が。それは私としてはとんでもないことだなって私は思ったんですね。
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先生に許可を得ないと目の前で倒れてる子がいて何もしちゃいけないとかですね。目の前で何か虫がかわいそうなことになってる。それ先生やっていいですかって。おかしいなと思いませんか。私はその子たちが悪いとは思いません。
その子たちもそういうふうに育てられてるし、そういう学校環境に置かれているからそういうふうに思ってしまっているっていうことで、これはですね、友達を責めることでもありません。
そういう環境に学校全体がなってしまっていて、そういう環境で子どもたちが今育ってしまっていて、そういう子どもたちに育てられてしまっていると育ててしまっている大人の責任なんですね。
で、そのエピソードを娘から聞かされたときに、その話に当時もちょっと言ってたんですよ。でも私としては、そんなことあったんだぐらいの感じであまり深刻に受け止めてなかったんですけれども、本人としてはやっぱりそれはすごく、
きっとね、本人なりに辛いというか悲しい出来事だったんだと思うんですよね。で、私はその話を改めてもう一回本人の口からしっかり聞いて、
ああ、そっかと。あなたはね、何も間違ってないと思うよって。むしろ誇りに思うって話をしたんですね。
そんな純粋な気持ちを持ったまま大きくなってくれて、本当に素晴らしいことだと思うと、本当に優しい心を持ってね、大きくなってくれて嬉しいという話をしたと思いますね。
で、だったらもう、それはね、おかしいよねって話で、そんな学校だったら行く必要ないなって、本当にストンって私の中でもつきものが取れるというか、吹っ切れた感じでしたね。
うちの子供を、こんな良いところ、こんな綺麗な心を、もし潰されるような環境なんだとしたら、それはむしろ行くなって言わなきゃいけないなって、親としては。
守るために、自分の子供の本当の良さ、美しい心、優しい気持ち、そういうのを潰されるような環境にむしろ行かせてはいけないんですよ。
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と思って、それは友達が悪いとかね、先生が悪いとかじゃなくて、もう学校全体がそういう雰囲気、文化になってしまっているということに関して、それに気づいてしまって、それに合わないんだったらもう逃げるしかないですし、逃げたほうがいいし、と思ったんです。
すごく私も、あ、そうだったんだって、やっぱり娘のいろんなサイン、見逃してたなって反省しましたね。
突然不登校になる、突然学校に行けなくなるって、うちも私もそう思いましたけど、そんなこと本当ないんですよね。
必ず子供って、何らかのサイン、SOS、絶対出してるなって思います。
それは単に大人の側がスルーしてたり、言われてるんだけど、言葉だったり態度で示されてるんだけど、見ないふり、聞こえないふりをしてるだけ。
もしくは自分がいいように、大人がいいようにそれを解釈して、別の捉え方をしているだけなんだなっていうのは、もう今になったらわかりますけど、
うーん、こんな、あの学校に疑問を感じてた私でさえ、やっぱりいざ子供が学校行きたくないって言った時に、うーん、びっくりしちゃって。
どうしてって、やっぱり原因を追求しようとしてしまったっていうことは、まあ、そういうことなんですよね。
それだけ大人の側も、今の環境や、うーん、価値観っていうのに、もうどうしても染まってしまっていますし、そこをね、やはりから抜けるっていうのは大きな決断がいるなというふうに自分自身振り返っても思います。
というわけで、ちょっとこのゴールデンウィークですね。で、学校に行かないという選択を明確にしたというところまでのお話で、ちょっと結構な時間になってしまったので、今日はそこまでとさせていただきます。
次回からは、そこからですね、私もいくつか転換点があって、いろんな出会いがあって、ホームエディケーションというところまで行き着くので、その出会いですね、について次回以降お話ししていきたいと思います。
今日もお聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、フォローお待ちしています。