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こんにちは、おあです。3児子育て中で、小学生の娘2人はホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第43回目のきょうは、日本の学校教育が150年経っても変わらない本当の理由、というテーマでお話ししていきます。
私は、不登校の問題をきっかけに、日本の学校教育について、どうしてこうなっているんだろう、何が問題になっているんだろうということを、いろんな本を読んできたんですよね。
そしてその歴史ですとか、制度の問題というのをいろいろ知るにあたって、明治時代からほとんど何も150年間変わっていないんだということに驚いたわけなんですよ。
あとですね、最近その宿題をやめようとか、成績表をつけるのをやめようとかっていう動きが出てきていて、そういう取り組みを始める学校というのもいくつか出てきているそうなんですけれども、
それがだいたいうまくいかなくなる理由がですね、保護者さんたちからのクレームだって言うんですよね。
つまり宿題をちょっとなくしたりですとか、授業を減らしたりすると、保護者さんたちが、こんなので大丈夫なんですかと、もうちょっと家でもしっかり勉強させられるようにしてくださいと言ってくるって言うんですよ。
結局宿題をやめたことで成績が落ちたりすると、ほらやっぱり勉強が足りないからだと、もっと宿題をしっかり出してもらって勉強させなければ学力が保てないんだということで、
過去にはゆとり教育もそうだったんですよね。結局世論ということが大きくてですね、こんな教育ではもう日本はダメになるじゃないですか。ゆとりなんて言ってちゃいかんと、もっとちゃんとやっぱり勉強させなきゃいかんということで揺り戻しで、
結局は子どもたちにまた詰め込むような勉強という形を強いるという状況に戻っていってしまっているということだったんですよ。
あと驚いたのがですね、もう英語をもっと学ばせなければいけませんって言ってですね、わざわざ海外に教育移住した日本人の保護者がですね、その現地の学校に入って子どもたちが寝そべって授業を受けたりですね。
いわゆる黒板に向かって教科書を開いてみんながいい姿勢で授業を聞くっていうようなスタイルを全くとっていない学校に入ったりするとですね、これはダメだって言ってですね、結局日本のスタイルと変わらないような授業スタイル。
教科書を使って何か黒板に向かって勉強するっていうようなスタイルの学校に転校していくっていう話を聞いてですね、何なんだろうと思ったんですね。
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以前にもお話ししましたけれども、今まで日本だって3回も子ども主体の教育に移行するというタイミングがあったはずだったんですよ。
ところが3回とも失敗していますよね。国としては何とか変えようとしようとしてたって証拠なんですよ。
ところがそれが阻止されたのが、結局は保護者のクレームだったり、世論の力だったりっていうことだったわけですよね。
結局は明治時代から150年間もこの今の日本の学校教育が変わっていないのは、国民一人一人が変えてほしくないっていう声、意識の結果っていうことなわけじゃないですか。
そうやって考えたときに、これはものすごい根深い問題なんだなと。
ちょっとね、政治家が動いて何かしたって、これは国民の一人一人の意識の問題なんだとしたら、難しいなと思ったわけなんですよ。
要は私たち一人一人が今の学校教育でいいと思っていると、変えないでほしいと思っているから維持されているってことなんではないかと。
となったときに、じゃあどうして私たち、つまり大人ですね、大人たちはそこまでしてこんな古臭いやり方、教育の形を変えられないのか、変えたくないと思っているのかっていう背景を私は知りたいと思うようになりました。
で、ある方がですね、朱子学の影響が大きいというようなことをおっしゃっていたんですね。
朱子学っていうのは、儒学、朱子学、陽明学ってちょっと歴史か何かで出てきた単語で覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。
儒学っていうのは孔子っていう方いますよね。その方が作った儒教に基づく学問ですね。
朱子学っていうのはその儒学をさらに体系立てて、かなり理論的に発展させた学問でして。
朱子さんという方が構築した学問だそうです。
で私、朱子学、それがそんなに私たちの意識に根深くあるわけ?と思って調べてみたんですよ。
そしたらですね、なるほどと、そうだなと思ったんです。
朱子学がやっぱり私たちの歴史上、文化的にもすごい強く根強く残っているから、こんなに150年間も変わらない教育スタイルっていうのを貫き続けているのかって、私すごく納得したんですね。
朱子学というのは本当に簡単にお伝えしますと、まず上下関係をものすごく重視する学問なんですよ。
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権威や秩序を重んじると言われています。
すべての物事には上下関係があるということを導き出していまして、自分よりも年上の人や身分が高い父親の言うことは絶対とする思想です。
これが過不調整につながっているわけですけれども、これは徳川家康以降が日本では社会秩序を維持するためにかなり朱子学が奨励されたということなんですよね。
江戸時代の身分制度ですとか思想統制の道具としてうまく利用されたということなんですね。
もう一つ朱子学の特徴として、知識を得ることが大事という考え方なんです。
朱子学には成人学んで至るべしという言葉があるそうで、成人つまり立派な人になるにはできる限りたくさんの知識を得ないといけないという考え方なんですね。
だからたくさんの本を読んでたくさんの知識を得ること、勉強することがとても大事であって、たくさん勉強してたくさんの知識を持っている人が一番偉いということになるわけなんですね。
もう一つ朱子学に大事な考え方としてあるのが、正座という考え方なんですけれども、この正座というのは日常的な場面でも心を安静な状態に置くことでして、
これが発展して、目上の人が何か話すときには集中して静かに座って聞くことが重要という態度につながっていくわけなんですよ。
つまり、親や先生がお話をするときは、黙って静かにいい姿勢で聞くと、教えをこうと、そういう態度から物事を深く考えたり、自分の欲望をコントロールできる人間になっていくという考え方なんですよね。
私はこの朱子学というのが背景にあるからだというのを知って、ものすごい腑に落ちましたね。
だから150年経っても先生が教団の前に立って、子どもたちは静かに整然といい姿勢で教科書を開いて教えをこうというスタイルが変わらないのかと。
たくさんの知識を身につけて、できるだけたくさんの知識を持った人が成績がいい、優秀ということでテストに合格をして上に登っていくと。
いや、めちゃくちゃわかりやすいし朱子学そのまんまの世界ですよね。
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この朱子学に基づいた教育の在り方っていうのは、今世界的に潮流になってきているイエナ・プランデスとか、モンテス・ソーリー・シュタイナといったオルタナティブな教育、子ども主体の、子どもの権利に基づいた教育とは全く真逆ですよね。
そりゃあ愛いれないわけですよ。
そりゃあこんな朱子学の世界に寝転ぶ子どもたち、子ども主体の教育なんて言ってですね、自由なスタイルで自由に学ぶなんていう考え方は愛いれないっていうのは当然なんだなっていうことがすごく私はすっきりしましたね。
私はこの朱子学というのが日本の教育の背景にあるということを知ったときに、決して朱子学が悪いわけではなくて、朱子学を否定するつもりもなくてですね、実際これまで役に立ってきたわけですよ。日本という国を維持する上でね。
江戸時代というのがあれだけ平和な時代が続いたと言われているのも、おそらくこの朱子学のおかげだったのではないかと思うわけですね。
じゃあ何が問題なのかっていうと、今の学校教育は朱子学のやり方しか公教育として認めていないということなんですね。日本が。朱子学というのは考え方ですから、宗教みたいなものなんです。
例えるなら、今の日本の教育はですね、イスラム教だったらイスラム教しか信じてはいけませんと、やってはいけませんと、イスラム教以外認めませんと言っているようなもので、それ以外も別に最近はいいですよと、イスラム教が嫌なんだったらフリースクールとかね、やってもいいですよと。
ただし、法的な教育を受けたことをとしては認めませんよと言っているだけなんです。国としてはイスラム教の教育を無償で提供しますと。イスラム教に基づき教育であれば、例えですよ、であれば無料で受けられますよと。
だけど、それ以外のも別にいいけれども、そっちにはお金は出しませんよと言っていることが問題なんです。例えるなら、フリースクールとかオルタナティブスクールとかホームスクールとか、いろいろ今、一応ね、法律ができて、教育機会確保というのができて、認められてやってもいいよと言ってもらえてはいるんですけど、お金は出しませんと言っているわけですね、国は。
なので、例えるならそのイスラム教の教育は嫌だと、私はキリスト教の学校がいいわ、私は仏教の学校がいいわ、私はヒンズー教の学校がいいわって思ってですね、そちらを選択してもですね、結局そこは全部慈悲で自分でやってくださいと。しかも、日本の公教育を卒業した資格は得られませんって、そういうような状態なんじゃないかなって思うんですね。
だから、もう何十年も昔からですね、その多様な教育を認めてほしいっていうことを訴えてきた、不登校の親の会の方々はじめ、何を言ってきたかって、もう朱子学以外のやり方の教育、考え方の教育もちゃんと日本の教育を受けたというふうに認めてほしいし、そちらにも経済的な負担なく通えるようにしてほしいっていうことを言ってきているっていうことなんですよね。
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私が言いたいのも、つまりそういうことでですね、朱子学を否定するつもりは全くありません。もう朱子学っていうのはもう一つの学問として体系だってますし、それが合うというお子さんも実際いっぱいいると思います。そっちの方が安心だし、そっちの方がわかりやすいところもたくさんいるんです。いいんです。だから朱子学の学校は朱子学の学校でやっていただいて全く構わないんです。
今の学校教育を全部変えろなんて私は一切思いません。そうではなくて、それ以外の教育、子供主体の教育、いろんな子供にあった教育、一人一人いろんな子供たちがいるわけですので、そういうのも普通に認めてほしい。
日本の教育を受けたということを認めてほしいということと、どんな学校、どんな教育を選んだとしても経済的な負担なく自由に選べる環境にしてほしいということなんですよね。
今日はですね、私がなんでこんなに日本の学校教育だけこんなに150年も変わらないんだろうってことをずっと不思議に思っていて、いろいろ調べていった結果朱子学というところに行き着いて、そしてそういう教育を受けてきた大人自身がもうある意味洗脳状態なわけですよね。
それこそが学校のスタイルだというふうに思い込んでいて、それ以外の教育のあり方ですとか学ぶスタイルということを知らないので、自分が受けた教育と同じようなものを結局また子供たちに押し付けていってしまっているという負の連鎖が起きているんだなということがわかって、すごく私としては負に落ちたということなんです。
というわけで、私たちにできることはやっぱり大人自身がまず学ぶことですよね。
世界は広いんですよ。時代も変わっているんですよ。そういうことをちゃんと大人自身が自覚して、いろんな教育のあり方があると時代がこんなに変わってきているということをちゃんと理解して、そしてもう一つがやっぱり子供にも当たり前に権利があるということをちゃんと認識すること。
そして、そういう権利をしっかり持った一人一人の子供たちにあった教育って何なんだろうということをちゃんと考えていくこと。
結論としましては、私たち大人が洗脳され続けているからではないでしょうか、ということですね。
これをお聞きの皆さんにも、もしかしてその学校教育が変わらないのって、もしかすると私たち一人一人自分自身の中にある何らかの思い込みですとか、すり込みっていうのがあるんではないかなというふうに気づいていただけるきっかけになればいいかなと思ってお話ししてみました。
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今日もお聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、フォローお待ちしています。