こんばんは、深谷康雄です。
ナビゲーターの早川洋平です。
ラジオこれからの旅 Life Journey Talks
この番組は、元新宅銀行マンで現リタイアメントFPの深谷康雄さんが
人生の後半を自分らしく歩む方々を迎えして
自分発の仕事づくりや心豊かな生き方のヒントをくるトーク番組です。
人生という旅の途中でふと立ち止まり、地図を広げるような
そんな時間をご一緒できればと思います。
それでは本日のこれからの旅、始めます。
さあということで第2回ですが、深谷さんも第2回ということで
やっぱちょっと慣れてきましたね、最初。
そうですね、最初よりもリラックスして。
でもなんかおっしゃるほど緊張、
まあおっしゃるというか、もともと緊張するっておっしゃってませんけど全然大丈夫ですね。
あ、そうですか。
なんか、そう、またね、ちょっとおいおいちゃんと聞きたいと思ったんですけど、
深谷さんやっぱすごく落ち着いてらっしゃるんで、
なんかあと聞き上手なんで、あんまり喋るというより聞くイメージなんですけど、
でも実はそんなことなくてですね、
今日この後の本編でもね、私にインタビューしてくださってね、どんどんトークも弾んでますけど、
やっぱり深谷さんのプロフィールでね、落語というところがすごく出色だなと思ったんですけど、
まあこれだけ話して20分になっちゃ困るんですけど、
深谷さん落語はなんか学生の時にやってたとか?
そうですね、まあきっかけはそうですね、学生の時からやってた。
それ落語研究会みたいなの?
ああそうです。
オチケンみたいな。
昔で言う、そうですね、今もそうです。オチケン、あれですね。
それはなんか、すぐ誰かに誘われてるとか、落語みんなが好きで入ったとか、
可愛い女の子がいて入っちゃったとか。
えーとね、そうですね、当時ね、落語ブームっていうのがあったんですよ。
落語ブームってね、いくつか波があるんですけれども、
当時やっぱりちょっと流行ってた時期なんでね。
で、私が大学入る前、高校ぐらいの時にも高校の文化祭みたいなところで、
いろんな人がやってたりして、面白いなと思って。
で、大学入った時にそういうのがあったりなんかしたので、
じゃあちょっと交わそうかなというぐらいの感じだったりして。
じゃあ当然、自分で一席話すというか、寄せとかじゃなくて席っていうのかわかんないけど。
古典落語ですけどね、よく知られてる話を覚えてやるみたいな。
じゃあまあでも、話すの嫌いじゃできないんですよね。
まあそうですね。
人前でガチガチ。緊張はでもするか、最初。
そうですね。落語ってやっぱりストーリーになってますから、覚えて話をするっていうやつですよね。
でも何て言うんでしょう。やりとりっていうのは。
テンポ大事ですよね。
僕はですね、著書にもちょっと書いたかもしれませんけど、ずっとサッカーが好きでプロを目指してて、高校もサッカーの新学校に進んで、プロサッカー選手になるつもりでした。
が、やはり実力が足りずにですね、高校のサッカー新学校でレギュラーになれなかった。
その時点で、やっぱりそこでレギュラーにならないとプロが難しいじゃないですか。
で、自分の中でサッカーがなくなった時に、大学ではいろんなアルバイトしたり、海外旅行、貧乏旅行したり、ちょっとサッカーバカっていうのね、まあいいでしょう。
そこを離れたんですけど、いざ就職の時に、やっぱり何やりたいかって考えた時に、サッカーに関わるものをやりたい。でももちろん選手は無理と。
で、その時に、当時ちょうど2003年、2002年に日本ワールドカップあったじゃないですか。結構盛り上がってて。
サッカーの雑誌にナンバーって文芸集に出してる。今野球とかもある。
あの辺がすごく特に盛り上がってきた時期なんで、そうか、サッカーに関わるんだったら、そういう、たとえばJリーグのチームとかに就職ももちろんできたらよかったんですけど、
今でもですし、当時なんてもうどうやって入ったらいいかわからない。もう、っていうか、候補なんてなかった。そうすると、そういうナンバーとかがいいなと。
で、そっちに目が行ったらもう一個理由があってですね、あのうちの親父がですね、元々学研という出版社、学習科学、私やりましたよね。
私もお世話になりました。
ありがとうございます。あの学研のおばさん、バカかなって。あの一番前世紀の時にありがたいことに編集長とかをやってたんですね。
そうなんですね。
だから書くわけではないんですけど、やっぱり取材とか海外行ったりとか、あれも月刊誌やってたんで、ものすごいもう徹夜しまくったり海外行ったりしてたんで、
まあ、親父の影響もあって、親父からなんか言われたわけじゃないんですけど、やっぱりサッカー、学研、メディアみたいなものが何かできたらいいんじゃないかっていうのがあって、
ナンバーとかもあって盛り上がってたんで、安直なんですけど、サッカーの取材書かれたら面白そうだと。
ワールドカップも今盛り上がってるし、これからできたらいいな、日本も強くなりそうだし。
で、思ったんですけど、やっぱりまあ、当然経験ないんでしょうがないですけど、またサッカーのメディアっていうのはこれから出来上がる時期だったので。
なので、いろいろ見たんですけど、やっぱり結局、例えば今考えればわかるんですけど、ナンバー、サッカーの雑誌ナンバーっていうのもさっきの話でいくと、
そこで書いてる書き手っていうのは文芸春秋の編集者じゃなくてですね、フリーライター、サッカーの有名な方がほとんどなわけですよ。
編集者も書かないこともないと思いますけど、なのでそんなことも知らないんで、仮にですよ、受かってませんけど、文芸春秋に入ったとしても、書いてたわけじゃ多分ないと思うんですよ。
つまりさっき言ったように、フリーライター、編集者が依頼してライターに書いてもらってるんで、外部の。
なので、いずれにしても好か不好か。もちろん出版社とかも含めてですけど、とにかくでも記者に言われたのが、マスコミとフロントも入るのが難しいから、
一回逆になんとか編集プロダクションでも小さなところでもいいから、潜り込めば、実力をつけて、記者でも編集者でも力をつける。結局転職が普通って言われたんですよ。
だからそうしていけば、フリーの逆にライターになれるかもしれないし、いろんなチャンスがあるから、とにかく入れと。
で、言われても片っ端からテレビ局からラジオ局から新聞社から全部受けたんですけど、
本当にイメージより今もですけど、マスコミって本当に倍率1000倍とか、そんなところばっかりですし、
やっぱりなんだかんだ5時面接6時面接くらいまであって、最初の筆記で90%落ちたりとか。
テレビ局なんてアナウンサーとかなんで記念受験する人もいますけど、1万人受けて2人とかね。
そんな感じなんで、とにかく落ちまくって。
で、結構弱気になってた時にですね、話長くなっちゃいますけど、もうちょっとダメかなと思ったんですけど、
たまたま広島の中国新聞の、僕は生まれも育ちも横浜なんで縁もゆかりもないんですけど、
結構マスコミってみんなそんな感じで入れるんだったら全国どこでも入ると。
入ってから転職するみたいな人もいるので、とにかく運良く、今でも奇跡だと思うんですけど、
拾ってもらってですね、広島の中国新聞に入って記者になりましたと。
つまり何が言いたいかというと、インタビューというより、とにかく一回新聞社に入って、そこから経験積んで、
広島に例えばJリーグでサンフレッジ広島あるんで、いつかそういう取材を積んでそのうちフリーのライターになって、
日本代表の取材したいぐらいの淡い考えというか。
なのでそんな感じなんで、取材したいというよりもサッカーに関わりたい。
ジャーナリズム魂もないんで、そんな感じなので就職早々ですね。
やっぱり新聞記者って夜打ち朝掛けって聞いたことあるかもしれませんけど、警察の取材とかでね。
もうその当時は、今はどうかわかりませんけど、当時もそのイメージ通りの世界だったので。
基本的に当然最初は札回りって言って警察担当になって、24時間365日何ありますかって聞いたり。
つまりネガティブなニュースをすでに、しかも締め切りが教官と、今勇敢減った新聞社ありますけど当時。
あって、それが新人だろうが何年生だろうが、もう全部それをやらなきゃいけないと。
だからそれはよっぽどの根性と優秀さができない。僕はそんな感じに斜めから入ってるんで、
もうすぐ体壊して、ちょっと自立神経失調症みたいになって、程度の鬱になっちゃって、それで辞めちゃったみたいなのがあるんですけど。
ただ、その時に良かったのが、結局その後会社辞めて、その後診療なんか通ったり、旅館戻ってきて、いろいろあったんですけど、
やっぱり良かったなと思ったのが、その時にサッカーに関わる夢っていうのはその時に一回破れましたけど、
新聞社も辞めちゃって、結構氷河期だったんで、みんなからもったいないって言われたんですけど、
でもその中でもネガティブなニュースとか、広島だったんで戦争体験者で不在とかをする中で、
いろんな場所に行って、いろんな方のお話を直接伺って、それを文章を書くのも嫌いっていうオマケもついてるんですけど、
ただ、そういう何らかの形で発信して役立つっていうのはすごく面白いなって思った。
言うのを辞めちゃってからですね。辞めちゃってというか、つまりやってる時はもう死にそうだったんで。
で、気づいて。で、その後、心を直して、でも結局その後、やっぱりもう一回サッカーライターになりたいみたいな感じで、
横浜帰ってきて、朝日新聞とちょっと関連する広告制作プロダクション。
そこで、よく記事でも、新聞とか深井さんよく読むと思うんですけど、日経とかでも記事広告ってあるの分かります?
いわゆる記事になってて、インタビューとかいろんな記事とか見せかけて広告って書いてある。
それこそファイナンシャルプランナーのね、将来の設計、なんとか新宅銀行みたいな。で、有名人が誰かみたいな。
だからあれはもちろん広告なんですけど、でも記事にもなってるじゃないですか。
ああいうのを朝日新聞から受けて、記事帯の広告を誰かにインタビューする制作会社にその後、拾ってもらったんですよ。
で、その中で、そうやって広告なんでクライアントもいるんで、書きたいこと100%書けるわけじゃない。
でも朝日新聞ってプラットフォームってかなり大きな人にも入るっていうので、そこでいろいろ鍛えてもらって。
で、その中でね、やっぱりインタビューって面白いところ。
すいません、ベラベラしゃべっちゃってる。
いやいや、全然大丈夫です。
で、結局、そのまま編集プロダクション、広告プロダクションか。
で、そこも本当にもう夜中まで働いて大変だったんですけど、
26ぐらいまで働いたときに、やっぱり書くのはしんどいけど、かなりいろんな方にアイデアを持ってきて、面白いなと思いつつ。
でもやっぱり生意気だったんですけど、なんか感覚で、そこはそういうプロダクションにしては大きくてですね。
40人ぐらいでライターとデザイナーがいたんですけど、そういうプロダクションにしてはお給料もよくてですね。
やっぱり27、8人でそのときに、このままずっと勤めてれば、そういう意味で安泰かもしれない。
でもやっぱり広告制作プロダクションなんで、自由に自分でネタを拾ってきて誰かに会うっていうのとは違うんですよ。
つまりクライアントがいて、○○銀行がいて、○○ビールがあって、そっから頼まれて企画見て、もちろんそれも大事な仕事ですけどね。
僕にはやっぱりちょっとそれは合わなくて、生意気にもそれで会社をまた辞めてですね。
で、いろいろ悩んだときに、横浜でインターネットの横浜経済新聞っていうところがあったんですね。
今今もありますけど、多分千葉でもなんとか経済新聞っていろいろあるんですけど、渋谷経済新聞からもともと離れたものなんですけど。
そこの方と知り合ってですね、横浜だったら何でもいろんなネタ取れるよみたいな。
僕も会社勤めながら転職活動して、そこ面白いなと思ったんですけど。
ただまあいろいろ話していく中でですね、やっぱりそこ母体がNPOなんで、
もうそこだけで生活するみたいなのは、僕も当時広島で奥さん見つけて結婚してたら子供はいませんでしたけど、
で、29歳。結構ギリギリじゃないですか。
その時いろいろ考えた時に、そこの理事を務める方が別で横浜でイベントの企画制作会社をやってらっしゃったんですよ。
で、それだったら生活とかもっと考えるんだったら、うちの会社に来たらと。
その方のご主人が社長で、その方が副社長みたいな、ご夫婦でやってる会社で。
で、転職させてもらって、そこだったら何やってもいいって言ってくれて。
で、イベントっていうのは僕は全然縁になかったんですけど、面接させていただいた時に、
要はいい意味ですけど、僕ら今起業してるからね。
つまり、自分で全部、部合も何もないじゃないですか。
ですけど、リクルートの小さくした会社で、自分でノルマ決めて稼げば何やってもいい。
つまり、よく言いますよね、起業すると3倍稼ぐみたいなね。
そういう感じで入って、その時にちょうど、ここでようやくラジオ、ポッドキャストが出てくるんですけど。
ラジオを聞くのが高校の時からずっと好きで。
それこそオンラインと日本とか聞いて。
ふざけてオンラインと日本とか、サッカー部の友達とみんなで誰かの家と一緒に行ったり録音して。
勝手に先生をパーソナリティにして、先生のモノマネして撮ったりとか。
くだらないことやってたんですよ。
で、そんなこともあったんで。
その時にサッカーに関わる取材もしたいなと思いつつ、ちょっとその時もiPodとか出てきたんで。
ラジオ、ポッドキャストってできたら面白いなとか。
でもそんな感じなんで、別に技術も知識もないし。
で、29歳で転職して、もう待ったなし。
その時に最初の子供も奥さんのお腹にいたんで。
転職して楽しみなもののギリギリ、いろんな意味。
で、入ったら結局何やってもいいよなんですけど、ずっとライターをやってきただけなんで。
例えば最初やっぱ社長にくっついてイベントの手伝いするんですよ。
早川くん請求書出してみていいって言われかけたら、そもそも請求書の作り方わかんないと。
で、例えばここに今iPhoneありますけど、このiPhoneある業者さんに売るとするじゃないですか。
そしたら例えば5万円減価なのに、なんで8万円で請求していいの?こんなことしちゃっていいの?って。
当たり前じゃないですか。だからそのレベルなので、つまり稼げるはずもなくですね。
何やってもいいよと言われても、結局社長とかにくっついて何とかそのノルマを達成させてもらうみたいな。
そういう日々が続いて、そんな中で当然ノルマも達成できずに。
このままどうするかなと思った時にですね、何度もいろんなところで話してますけど、今でも覚えてるのが、
このままノルマ達成できず、お情けでノルマを助けてもらってますけど、やっぱり周りの先輩たちの目もあるじゃないですか。
で、やっぱりちょうどこの近くのドトルコーヒーでですね、ある日の朝、コーヒー飲みながら。
イベント会社なんで、朝も夜も土日もないんですけど、超早くドトルコーヒー行って、やっぱり自分の時間で何とか。
俺人生何だったんだろうと。これだったらいろいろ大変だったけど、新聞記者やってたら良かったんじゃないかと。
給料も当時良かったし、やっぱりね、広島ではすごく信頼されてたし。
やっぱりしんどかったけど、続けていけばサッカーも賭けただろうし。
で、もう29歳、もうマスコミにもいない。で、拾ってもらったイベント制作会社でも役立てない。
で、結婚して奥さんも連れてきちゃって、子供も生まれそう。これどうするかと。
本当ね、今でも反射というか、こっからもう一回人生あるとは思わなかったんですけど。
で、その時に、当時2008年くらいか。なのでiPodが出てきて、アップル結構騒がれて。
スティーブ・ジョブズがね、有名な言葉です。本当に本に行った仮説はありますけど、
今日が人生最後だとしたら、これで良いのかみたいなのがあるじゃないか。
で、僕もそれを何を勘違いしたかと言うとね、スティーブ・ジョブズをよろしく自分にコーヒー飲みながら説いて。
で、何やりたいって思った時に、何の限界も受けず。
そうすると、本を読むのが好き。ラジオ。
まあその時はすでにPodcastって聞いてたんで、ラジオが好き。本読むのが好き。
あともうイベント会社なんで離れちゃってましたけど、やっぱりインタビューするのが好き。
その3つが降りてきたわけです。
で、前回深井君が週末企業で出てきましたけど、皆さんもぜひまた今後どっかで話したいんですけど、
週末企業の藤井先生と森さんか、2人の本でですね、その辺を掛け算するといいよっていうね、
ロジックがあって、本当にそうなんですよ。森さんにもよくインタビューさせてもらってるんですけど。
で、そういうシートがあったんです。僕はYouCanのその週末企業の通信協会買ってるんですよ。
それで掛け算いいよって書いて、その中にいろいろ好きなこと今3つ言いましたけど、他にもいろんなこと書いてるんですよ。
サッカーとか。で、その時に出てきたのが、本の著者にインタビューするPodcastをやるっていう今の3つなんですよ。
だから結構天から降りてきたではあるんですけど、いろんなものを掛け算をそのシートでやってる。
で、それしかないって思ったんです。でもそれ思っただけで、ただのもうノルマ達成できない、この後29歳でやばい人間で子供生まれ育ったんですけど、
そこからですね、会社に内緒というか。で、そんな感じなんで土日もイベントあるから使いなんで。
とにかく本の著者に、結構ブログとかで当時書評みたい、書評っていうのは大騙しです。結構自分でみんなアメブロとかみんな書いてるじゃないですか。
あの時代。で、僕も書いてて、書いてた時に普通の人は書いてそこでパワーブロガーみたいに思って、
で、なんか著者の人からトラックバックコメント入ってみたいなのがあったんで、僕はそこで唯一やっぱ新聞記者やっててよかったなと思って。
コメント入った時に、つまり著者の人から紹介いただいてありがとうございますみたいなね、記事を。
そしたら、じゃあインタビューさせてくださいって逆に言ったんですよ。
そう。だから僕はそれがあって、まさにその終末企業の、ちょっと順番忘れちゃいましたけど、本にも書きましたけど、
って言ってもポッドキャスのやり方わかんなかったし、もう新聞社とかの看板も使えないんで。
とにかく本もちょいちょい探そうと思って、その終末企業の集まりに行った時に、いろんな人いるじゃないですか。
でも僕、やっぱり何をしたらいいか分からない。人と話すの本当苦手だったんで、行ったんですけど誰とも名刺交換できず。
結構ギラギラしてる人もいるじゃないですか。
で、最後、これもうどうしようもないなと思った時に、別に名前言っていいですけど、そこで本では実名出してませんけど、
それでその終末企業の藤井先生が、「今日どういう目的でいらっしゃったんですか?」って言われて、藤井さんに言ったら、
あっちの方に大学の先生でポッドキャストをご自身で配信されてる教授がいますよ。
で、これだと思って、僕はご挨拶して。
で、そうしたらやっぱり、当時ポッドキャストなんて誰もやってないし知らないんで、向こうの先生もすごい喜んでくださって、いろいろ応援してくださって。
で、よくよく話すと、その先生自体が今度新刊を出すって話だった。
MBA。
なので、これしかないと思って出てくださいって言って、その彼に出ていただいたのが初めて。
なので、話かなりガーッて喋っちゃいましたよ。つまり、そういう感じでインタビューとラジオ。で、全てが始まった。
で、その時の番組が人生を変えてきたんです。本の著者にインタビューする番組だったので、それがその後、名前をキクマがライフアップデートに変えて、現在も続いている。
なるほどなるほど。
ここ戻します。
面白いですね。書評でインタビューさせてくださいっていうね。これって、普通は書評を書いて終わっちゃうじゃないですか。
そうそうそうそう。
そこにそうやって投稿したっていうところが、早川さんらしいというか。
おっしゃる通りだと思いますよね。
なんか僕がすごいとからしいかわかりませんけど、なんか多分そこは一つターニングポイントだと思う。誰も当然しないから。
しないとね。そういう発想の書評というのはないじゃないですか。
そうそうそうそう。なんかそうこうじゃないですかね。
それすごいなんか面白いですね。
すみません。結構20分使っちゃいました。
あと10分ぐらいですよ。
今の話でね、ちょっと関連してお聞きしたいんですけど、掛け算でこれとこれとこれでいけそうだみたいになって、そこで足踏み込むわけですけども。
そこで本当にこれでいけるんだっていうね、隠しみたいなものを感じたその瞬間みたいになって。
なんかどういうタイミングなのか。夢みたいなものってみんな持ってるじゃないですか。でも本当にこれでいけるのって言ってやり始めるけど。
そこの瞬間っていうのはね。
それはですね、まあシンプルにやっぱり依頼あってですね、お金を出していただいたところですね。
それ2つありますね。
今のところだけだとですね、ラジオ、自分のポッドキャスト、インタビューってどこまでだと思うか。
これ多分聞いてる方ね、今でもですけど、これポッドキャストで無料じゃんって、お金になんの?みたいな感じで。
僕はその2つ、まああえてキャッシュポイントって言いますけど、経験してですね。
1つはシンプルに番組にスポンサーがつくっていうところで、やっぱり当時ギリギリリーマンの前だったのかな。
僕の番組にですね、ありがたいことにそういう感じで踏み出したときに、つまり最初会社に勤めながら番組も始めて。
で、内緒って言いましたけど、さっきみたいな感じじゃない、途中でも明かしたんですよ。やめるかと思って。
そしたらそれ自体が面白いから社内ベンチャーでやれって言われて、社長には感謝なんですけど。
で、その時にですね、メールか電話かかってきて、ある金融系の会社から、要はCM出したいって言われて、今じゃちょっとありえないんですけど。
で、結局投資系の会社だったんですけど、やっぱり投資するっていうのは自己投資とも重なるから、僕の番組、つまり自己投資。
結構ビジネスショーとか、徐々にインタビュー投資してたんで、っていう多分読みがあったらしいんですよ。
で、月ね、100万円くらいもらってたんですよ。ありえないですけどね、今考えても。
ビギナーズラックなんですけど。そういうこともあって、最初に社内ベンチャーでやってる時に、まずそれが前付けあったので、ある意味一番成功モデルに入りましたと。
で、ただそうはうまくはいかないので、それで調子に乗って辞めたわけじゃないんですけど、いろんなことがあって会社辞めて、結局言いたくなったらさっき話したように、書くの嫌いですけど、
やっぱりライターなんかやってたんで、フリーライターでも、子供まだ一人だし、月25万くらいは当時はね、なんとかなるだろうと。
若かったら仕事とかバイトすりゃいいみたいな。あったので、辞めた途端にですね、リーマンが弾けるんですね。
ほんとね、1ヶ月後くらい。これあるあるですけど、当時の会社から、早川さんごめんっつって、もう終わりって言われて。
あの時のね、腹食ってたとはいえね、いきなりですよ。ビリーナーズラックの上にいきなり書けたという。
で、そこでまず一つ、でもその後僕はやっぱ耐えたんですよね。ちょっとフリーライターやりましたけど、半年くらいで、やっぱりインタビューしてて、今深谷さんも現在進行形ですけど、立場は全然違いますけど、これ面白いじゃないですか。
やっぱこの撮りながら。面白いですね。この感覚を当時誰もやってなかったんで、もうどう考えてもその理論で考えたら、子供も生まれてるし、もう100万円飛んでるし、どうやって辞めたほうがいいじゃないですか。普通に考えたら。