自由な時間の価値
こんにちは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、私が会社員を辞めて、ライフコーチとして企業独立してきた過程や、これから企業復業を目指している方の背中を押せるような情報、考え方、マインドなどを発信していきます。
今日もですね、例によって外を歩きながらお話をしたいと思います。今は朝じゃなくてですね、朝は朝で散歩をしてたんですけど、
午前中セッションがあったので、ちょっと短めに散歩を切り上げて、
帰ってきてセッションをして、今2回目の散歩がてら、
古着屋に古着を売りに行く、という時間でございます。駅前の方まで行きたいと思います。
最近は本当にこういう時間が豊かだなぁと思ってまして、
今日はこれをやろうって思ったことを思い立ったらすぐ、
報道に移せるとか、昨日も亀井子のミルクちゃんを病院に連れて行ってたんですけど、ちょっといつもより
様子がですね、違うところがあったので、見てもらって、全然多分発情期の関係っていうふうに言われたので、
病気とかではなさそうだったんで安心したんですけど、なんかこう今までだと、なんかちょっといつもと違うなぁと思って、
病院へ連れて行く、いつ?みたいな、いつ行ける?みたいな、でも心配なの今じゃん、みたいな感じになって、
何かあったらどうしよう、でも今日はちょっと無理かなぁ、みたいな感じでですね、
なかなかこう葛藤していたところを、
今日空いてるし行くか、みたいな感じでパッと行けるようになった、というのが
本当に大切なものを最優先できるようになった、ということにですね、すごく今の生活の豊かさ、
を感じているところです、この自由な時間というのがやっぱり本当に価値があるものなんだな、
ということを感じている、という内容を今、有料ノートにまとめていまして、このままぬるっと告知に入りますが、
6月13日の14時ですね、午後2時にリリースする予定となっています
先行予約という形でですね、予約しますと、公式LINEの方から連絡いただいた方限定で、
発売日よりも少し早く、限定価格500円で販売を開始したいと思っています。
昨日公式LINEの方でも、予約受付の告知を流したんですけど、
すでにお二人からですね、予約しますと返事をいただいてまして、大変ありがたく、また身が引き締まる所存でございますというところで、
あと1週間ですね、もうあと1週間か、気合を入れて、私も書き上げたいと思っておりますので、
読んでみたいなと思った方は、全然通常価格980円なんで、そんなに高くないと思うので、
通常価格で買っていただいても、全然私の売り上げに貢献していただける方は、そちらでも結構なんですが、
早く読みたいですというプレッシャーをかけていただけると、私もより筆に力が乗りますので、予約メッセージお待ちしております。
というのが告知の1点目と、2点目がいつも三鷹のコワーキングスペースブレスさんでやっている対面セッションの方ですね。
8月の1日2日でやるんですが、2日の枠はもう埋まっておりますので、募集している枠が8月1日金曜日の午前10時から11時半までとなっています。
評価を気にしない勇気
こちらも参加希望の方は私宛てにメッセージをいただくか、ブレスさんのイベントページも公開されていますので、ブレスさんの方に直接お申し込みいただく形でも可能となっております。
参加費が4,000円プラスワンドリンク代600円からとなっています。
出店料とかもちょっと上がっている、いろんなものの値段が上がっておりまして、出店料も上がっているので、この4,000円というですね価格で出店するのは今回で最後にしようかなと思っているところですので、
この機会にぜひ時間を作って気になっている方は受けてみていただけるといいかなと思っております。
吉祥寺も近いので、真夏ですけど8月1日って暑いよな。一番暑いですよね。7月末から8月の頭って。
うちの娘は8月3日生まれなんですよ。超余談なんですけど。
予定日は7月27日だったんですけど、全然予定日にはなっても出てこなくてですね。
臨月の方、出産経験ある方はわかると思うんですけど、特に母体に心配がなければ歩いてくださいって言われるんですよね。
人痛というか、出産を促進するために歩いてくださいって言われるんですけど、臨月の状態でですね、7月末の外を歩くというのはですね、
35度とか超えているわけですよ、連日。どんだけ危険なのよみたいな感じですね。
いろんな意味で爆弾を抱えながらの真夏の外を歩くという臨風を、臨月をやってました、私は。
あれはしんどかったな。生まれた日も暑かったですけど、その日は1日中病院にいましたけど、
よく晴れた暑い真夏の日でございましたが、その時期のセッションなので、帰りに吉祥寺まで歩こうものなら汗だくで大変だと思いますけれども、
そんな三鷹散歩を楽しんでいただければと思っていますので、お越しいただければと思います。
今日はですね、先ほどセッションをしていたので、もちろんその内容は詳しくは触れられないんですけれども、
いろいろ感じるところがあったので、私の思ったことをお話ししてみたいなと思うんですけど、
個人でビジネスをやったりとか、情報発信をしていく上で肝になる部分なのかなと思ったのが、
周りからどう思われるかをいかに気にしないようになれるかっていうところかなと思いまして、
もちろん周りからどう見せるかというですね、ブランディングみたいなところで、
どう見えるかどう見られるかどう思われるかを意識することはとても大事だと思うんですけど、
こう思われたら嫌だな、こんな風に思われたら嫌だなとか、なんか誹謗中傷みたいなことがあったら嫌だなっていう、
そのネガティブな心配の方ですね。そこがどうしてもブレーキになってしまうと思うんですよ。
その気持ちがある限り、自分の本当に思ったこととか伝えたいことって、どうしてもマスキングされてしまう、隠されてしまったりとかして、
そうするとどんどん当たり障りのない、角が立たないですね、表現になってしまう。
そうすると、当たり障りのないことっていうのは誰にでも言えることでもあったりするので、
いわゆるコモディティー化というやつですね。どこにでもある、その他大勢の一人みたいな感じになってしまう。
その状態でいくら数が大事といってもですね、その状態で数を打ってもなかなか難しいのかなと、
差別化っていう意味でですね、難しくなってくるのかなと。
誰にでも受け入れられるは誰にも刺さらないっていうやつですね。
誰かの心に動かせようと思うと、それだけエネルギーの大きなものになるので、
そうするとやっぱりよく思わない方、ネガティブに受け止めてしまう方、誰かを傷つけてしまうということはやっぱり避けられないと思うんですね。
ある漫画の台詞で、マジでこれだなって思ったのがあるんですけど、
どんなに良い人間でもきちんと頑張っていれば、誰かの物語では悪役になるっていうやつですね。
私が別にその漫画を読んだわけではなくて、元上司が一時、スラックっていう会社のチャットツールですね。
あれのアイコンにしてたんですよ。それで知ったんですけど、
確かに誰かの悪役になっている人だなって、いい意味でね。
それぐらい尖っているといういい意味で思ったんですけど、これすごい大真理じゃないですか。
きちんと頑張っていればという条件付けがされているところが、個人的にミソだなと思ってまして、
悪役になること
逆に言うと、何もしてないと誰かの悪役にすらなれないっていうことかなと思うんですよ。
その存在として認識されてないというか、何もしてない人ですよね。
毒にも薬にもならない人っていうぐらい、何もしなければ誰かの悪役にはならないんですけど、
やっぱり行動を起こしたりとか、何かを発信して誰かに影響を与えるような言動をするということが、
誰かの悪役になってしまうことも臭いを落として全然あるよね。
でもそういうもんなんだよねっていうところかなと思います。
しかもきちんと頑張った上で、誠実に行動した上で、誰かの悪役になるのであれば、
それってただの妬み、そねみ、ひがみ、嫉妬、やっかみでしかないと思うんですよね。
きちんと頑張っている人を非難する人というのは、何もやっていない人というのは、
非法中傷をすることで頑張っている人を引きずり下ろして、自分の次元で同じようにしようとする。
何もしてないやつほど人の努力を笑うっていうものだと思いますので、
そういう質の悪い声、質の低い、次元の低い声に対して耳を傾けたり、
意識を向けている時間そのものがもったいないかなって思うんですよ。
そもそも相手がどう思うかというところは、こちらがコントロールができない、課題の分離というやつですね。
そこの自分がコントロールできないものに対して、エネルギーを使うのは無意味であるし、
そう思われたとして、思われること自体にも別に何の被害もないわけです。
思わせておけばいいわけだし、何か言ってくる人がいたとしたら、
それはもう相当暇だし、あとは助けてほしいんじゃないですかね。
なんか困ってるんでしょうね、きっとね。
そういうことを言ってでも自分の存在を認識してもらいたい、
なんかヘルプの声が形を変えて現れている弱い人、かわいそうな人みたいな感じですかね。
っていうふうに思えばいいんじゃないかなと思います。
もちろん、相手がどう思うかは自分には関係ないから、何を言ってもいいとかっていう、そういうことではなくてですね。
もちろん、この間何回か前の放送でも、配慮はするけど遠慮はしないっていう言葉を使ったんですけど、それと一緒かなと思ってまして。
もちろん言い回しだったりとか、別に意図的に何かを攻撃したり、避難したりとかっていう表現を使うっていうのはもうないじゃないですか。
そういうことじゃなくて、もちろん言葉選びとかですね、傷つかないようにということは最大限配慮はするんだけれども、
でも自分がどんな表現、どんなに気をつけても、自分の意図しない受け取り方をされることっていうのは絶対あるんですよね。
なんでそう受け取るみたいなのは、そこはやっぱりコントロールができないので、自分の中で最大限ここは配慮したよなっていうそこのベストエフォートっていうんでしょうか。
そこさえ尽くせば、あとはもういいんじゃないかなと思うんですよね。
あとですね、すごく大事だし、見えにくいからこそ、ここに目を向けるっていうのがすごく大事かなと思っているところがあるんですけど、
言うても何かをやっぱり発信とかすると、
まあ嫌な思いをする人とか、もしかしたら何か言ってくる人っていうのがいるかもしれないんですけど、
それって本当に確率論的に言うとほんの一握りの人だと思うんですけど、
でもそういう人の方がよく見えるっていうのは、くっきり見えちゃう。輪郭がしっかり見えちゃうっていうか、インパクトが大きいんだけど、
でもその向こうに、その自分のことをいいと思ってくれていたりとか、
その自分が発したものによって、出したものによって、救われる人、勇気づけられる人、役に立つ人っていう方が圧倒的に多いはずなんですよ。
自己イメージの重要性
その人たちがそれを待っているっていうふうに思ったら、やっぱりその人たちのために出してあげないといけないわけですよ。
いけないっていうか、待ってる人がやっぱりいるんだから、その人たちのためにやっぱり出してあげるっていうことの方がはるかに大事だと思うけれども、
でもなかなかそれって声にもならない、目にも見えない、形にもならないものだから、
そういう存在がいるっていうこと自体を信じるのも、すごく難しいというか、勇気がいることだと思うんですよ。
自分のことを待ってくれている人がいると思うこと自体が。
そこでやっぱり大事なのが、自分に対するセルフイメージですね。
セルフイメージの高さがすごく大事で、こんな自分なんかの発信を楽しみにしてくれている人なんているはずがないって思っていると、
どうしても悪いリアクションがあるんじゃないかっていう方を信じたくなっちゃうんですよね。
自分が信じているものが現実になるので、こんな自分の発信なんていいと思う人いない、むしろ悪く言ってくれる人がいるというふうに信じていると、
やっぱりそういうものが見えてしまう、表出してしまうと思うし、逆にそんな奴らはいるかもしれないけど、
私の目には見えていなくて、私の発信を待ってくれている人がいるんだから、届けてあげなきゃっていうふうに自分のことを思えている、
その自分の価値が高く思えていれば、じゃあ早く届けてあげたほうがいいよね、出してあげたほうがいいよねっていうふうに思えるので、
どういう自分であるかを信じているかっていうですね、そこに帰ってくる、そこが全ての根本になってくるかなと思います。
自己肯定感とか言いますけど、自己効力感とか別に言葉選びは何でもいいんですけど、セルフイメージだろうがですね、
自分が自分のことを信じてあげられるか、自分の存在価値を信じて認めてあげられているかというですね、そこが全部の大元になるんじゃないかなと思います。
世の中は自分の思った通りになるっていうことなので、自分の思い通りになんてなるはずがないと思っていると、
自分の思い通りにならないことが起きるので、結局嘘を思っている、信じている通りになるわけだし、自分の思った通りになるんだというふうに信じていると、自分の思った通りのことが起きるっていうですね、どっちもそうなんですよ。
自分が信じている自分のイメージですね、その通りに現実がなるっていうですね。
なので、自分がどう思われるかが気になって仕方がない人というのは、自分が周りにどう思われるかということに対する信頼がない、自己信頼ですね。
自分に対する信頼がないという状態だと思いますので、まずやるときは自分に対する信頼度を上げること、自分の価値を認識することなのかなと思うので、
そのあたりは多分自分のその過去を掘り下げるとか、それは結構しんどい作業でもあると思うんですけど、
私も最近その自分の過去を振り返る放送を何度かやってますけど、過去の解釈ってやっぱり変わっていくところがあるので、
今まではの黒歴史だと思っていたもの、解像度っていうのかな、全体でいうと黒い歴史かもしれないんだけど、
もうちょっとこう解像度を上げると、黒い部分もあるし、光ってる部分もあるし、良かったこともあるしっていう、そこの良かったことですね。
そこに目を向けるようになって、悪かったことは悪かったことで、俯瞰的に見れるようになるみたいな、そういう振り返り方をしていくと、
そこに自分の原点というか、才能の原石みたいなものだったりとか、今につながることだったりとか、
自分自身を信頼するに値するかけら、情報一端ですね、そういうものがやっぱり見えてくるので、
ベタっと全体で捉えちゃうと、悪いこととか印象的なものとかが一緒になってぐちゃっとしちゃうんだけど、
ちゃんと断片的に、細かく分解して見てあげると、すごい自分の素敵な部分だったりとか、強みだったり武器だったり、
こういうとこ、結構自分イケてんじゃん、みたいな感じに思えるところが見えてくるので、そういうものをかき集めてみると、
結構自分っていいのかもしれないって、自分のセルフイメージがですね、上がっていくので、
という、自分の価値を信じられるようになると、そんな価値のある自分が発信するものに対して価値があると思える。
そうしたら、それを良いものだとして受け取ってくれる人というのがいると信じられるようになる、みたいな感じですかね。
過去の見直しと未来の展望
すごいまわりくどい感じですけど、それでも自分の価値を信じられない、自分のことを信じられない人はですね、
多分それによって守っているものがあるんですよ、そう思うことで、自分の価値を信用しないことで自分のセルフイメージを下げることで、
得ているもの、守っているものっていうのがあると思うんですね。
大体はプライドなんですけど、自分なんてっていうふうに、自分を下げることですね。
自分なんてって思っていれば、できなくてもいいじゃないですか。
自分なんてできないんでって自分で言っていれば、思っていれば、挑戦できなかったり、挑戦したけど失敗したみたいな時の言い訳ができたりとか、
うまくいかなかった時の言い訳ができたりとか、するわけなんですよ。
なので、大体はその予防線ですよ。予防線はただ自分で貼っているだけなんですよね。
じゃあその予防線を貼り続けた自分のままでいたら、この先どうなりますかっていうことなんですよね。
その予防線を貼っていることで、今までは傷つかなくて済んだ、失敗しなくて済んだ、恥かかなくて済んだ、みたいなところ。
まあその良かったこともあるんですよ。それによって守れていた自分っていうのはあるんだけど、
じゃあそのままこの先ずっとそれでい続けますかっていう、それで本当に良い未来が待っていますかっていうと、
まあ大体ノーなんじゃないかなって思うので、今の自分は過去の自分が連れてきてくれた、過去の自分にとっても未来ではあるけれども、
ここから先の未来はこれからの自分が作っていくわけなので、
じゃあその得たい未来のためには自分を、信念をどう変えていく必要がありますかと、
どういう自分であると信じる必要がありますかっていうことですよね。
そろそろ拝者の時間になるので、今日この辺で終わりにしたいと思います。
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ありがとうございました。