「責任感」の正体とは何か
こんにちは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨てて、ライフコーチとして独立した私のリアルをお届けしていきます。
今日はですね、責任感の正体とは何かという話をしたいと思います。
昨日会ってお話した方がいまして、なるべく個人的なところには触れないようにしつつ、抽象化しつつことを選びながら話してみたいなと思うんですけど、
私自身も元管理職でもありますし、私と同世代。ちょっとミルクちゃんが。私と同世代、もしくはその年上の方ともわりとお話しする機会が多いので、
40代、50代とかになってくると、管理職とかそれ層のポジションについている方とのコミュニケーションがどうしても多くなるんですが、
そういう中で、これはちょっと日本人の国民性的なものもあると思いますけど、やっぱりそういうポジションを任される方というのは、いわゆる責任感が強い人なわけですよ。
やっぱり投げ出さないとか、ちゃんと最後までやり遂げるとか、その組織に対するエンゲージメント忠誠心がやっぱり高い方、そういう方はやっぱり選ばれると思うんですよね。
この人はちゃんとやってくれるだろうって、やっぱり信頼の証がそのポジションを任されるということなので、やっぱりそういう方が多いわけなんですけど、
最近この責任感とか責任を取るって、どういうことなんだろうなと、なんか責任って何なんでしょうねって思うんですけど、これは自分自身の経験を振り返っても思うわけなんですが、
口では責任を果たしたいとかいうわけなんですけど、これ実は責任を果たしたいのではなく、責任逃れをする自分を許せないというか、周りからどう思われるかを受け止められないだけなのではないか。
要はあいつ無責任だよねって言われたくないという気持ちがあるから、無責任なことはできないのではないか。あいつは投げ出した、逃げ出した、責任取らなかったって思われたくない、言われたくないだけなんじゃないのかなって。
言われるものになりたくないということですよね。何とも思われないんだったら、今すぐ投げ出してやりたいと思ってるけど、でもそんなことしたらあの人がああいうこと言うよな、思うよなとか、周りからの評価を気にしてしまうという保診の気持ちの方がでかいから、なかなか投げ出すことができないという結果、
それがあの人は責任感が強いと周りから評価されるみたいな、なんかそういうことなんじゃないだろうかって思うんですよ。
私もそうですけど、責任感が強い人って、なんであいつはあんな無責任なことができるんだって、そのすぐ投げ出す方とか、ちゃんとやりきらない人に対して、そう思うじゃないですか、その怒りがあるじゃないですか。
なんであの人あんな適当にできるの、みたいな。その怒りって、その人がちゃんとやらないということ自体に対する意気通りももちろんあると思うんですけど、でも多分ですけど、何とも周りから思われることを気にしない、なんで気にしないでいられるのっていうちょっと嫉妬っていうか羨ましいって思いません?
私は羨ましかったんですよ。え、なんでそんなこと平気でできるんだろう、羨ましいって、私はできないって思うので、自分がどう思われるか、周りからの評価を気にする人が結果的に責任感が強くなっていくということなのではないかと最近とても思っています。
自己過大評価と組織の自己治癒能力
というのと、もう一つ、責任感が強い方は、自分を過大評価しすぎているというのももう一つ側面としてあるかなと思っていまして、
自分がその責任を放棄する、投げ出してやめることで、その組織に与えるダメージをちょっと大きく見積もりすぎていないかという気がしているんですよ。
自分が辞めたら、もうなんか組織に対して致命傷を与えるぐらいのことをしてしまうっていう、すごい重い罪だと思っていませんかね。
自分はそう思っているんだけど、ここで下りたら大変なことになるみたいな、周りが大変なんですけど、周りが大変だと思うことよりも、あいつなんでこんな時に抜けたんだよって思われたくないという気持ちもあると思うんですけど、
その混乱具合ですよね。混乱具合を大きく見積もりすぎているんですよ。自分を過大評価しているから。自分が抜けたことで、もうこんなにねっちゅうせっちゅう見えなくなるんじゃないかみたいなのに思っていると思うんですけど、
多分自分が致命傷だと思っているが、組織からしたら、かすり傷、つり傷、ちょっと転んで血出たぐらいの感じなんじゃないかなと思ってるんですよね。
痛いですよ。確かに痛いんだけど、でも普通の傷だったら何日かすりゃ治るじゃないですか。自然自己治癒能力ってあるじゃないですか。その程度で治る傷なのかなと思うんですよ。
致命傷だったらやっぱり手術をしないといけないわけですが、転んで血出たぐらいだったら、ほっときゃ治るよみたいな。つばつけときゃ治るよみたいなぐらいの穴しか多分開かないんですよ。
ちゃんとその組織にも自己治癒能力というのがありますので、抜けたら抜けたで、やっぱりその周りの細胞がですね、いつも以上に働いてくれて、今まではサボっていた細胞がですね、突然働き始めて何とか埋めてくれる。
何なら以前よりちょっといい状態になったりとかするみたいな、その治すという修復作業をすることでですね、もっといい状況になるみたいなこともあったりするわけなんですよ。
免疫力が上がっていくみたいなのが、それで強くなっていくみたいなのが、組織だと思うんですけど、その営みの一つでしかないんですよ。
あなたという人間が辞めるということは、その程度のことなのに、自分が与えられるダメージをでかく見積もりすぎる。
あなたは多分そんなにすごくない。ほとんどの人はね、そんなにすごくないんですよ。残念ながら。そうなんですよ。
退職後の現実と自己価値の受容
私もね、正職を辞めて1年半ぐらい経ちますし、マネージャーを降りてですね、その後もちょっと業務痛くて残らせてもらって、ちょっとフェードアウトしながらなので、完全に辞めてからまだ1年経ってないぐらいなんですが、
私のことを日常的に思い出す人はいないでしょうね、今ね。知らない人も増えてるでしょうし、新しく入った人とかだし、
なんか、なおこさんって人いたよね、みたいなぐらいの感じで、その辞めた直後はちょっとね、なおこさんがやってくれてたんだな、こういうことみたいなのも、2,3週間じゃないですか。
あとはもうね、忘れてるでしょ。もうそんなことを引きずりながら今も仕事をしている人は誰一人いないと思うわけですよ。そんなもんだと思います。
いやでもなんでね、その課題評価しちゃうのかというか、やっぱ自分が辞めても会社普通に回っていくわけなんですけど、なんかそれを認めるのって辛いんですよ。
自分って会社にとってそんな必要不可欠じゃなかったんだ、自由の人物じゃなかったんだ、要は代わりのきくいらない人材だったんだ、ということを自分で認めるのってとっても辛いんですよね。
だって長い人だったら、40代とかだったらもう20年ぐらい以上、もしくはそれ以上ですよね。ずっとそこで働いてきた、転職もせずに、みたいな方もいらっしゃるわけじゃないですか。
っていう自分が別に辞めても困らないよって思われるということを自ら認めるのちょっと辛すぎるじゃないですか。めっちゃ辛いじゃないですか、これ。そんなの思いたいじゃないですか。自分は辞めたら困る人間なんだって思いたいじゃないですか。
それをその責任を取りたいという言葉で、なんかすごい嫌な言い方、ピカって言うとなんかすごい嫌な言い方なんだけど、多分そうしたいって思う生き物なんだと思う。自分の存在価値を自分で守りたいじゃないかなって思うんですよね。
でも、さっきの課題評価しているという話になるんですが、要は自分が組織に対して果たしている責任のサイズを大きく見積もっているわけですよね。
ということは本当は大したことないというか、もちろんその重要なパズルのピースの一つではあるんだけど、買いが利くとはいえ、今は重要な一部のピース、コマ、歯車、ちょっとあえて嫌な言い方するんだけど。
人生の時間と会社の責任
なんですけど、でもそれをちゃんと果たすために、その責任を果たすために、自分の大切な人生の時間ですよね。フルタイムで働いている時点で、1週間の、1週間は、算数が弱いのであれですけど、週5、8時間、週40時間とか。
それ以上働いている方もいると思いますけど、その時間を差し出し、それに伴って心身を疲弊させ、休日はその疲弊した心身を回復させるのでいっぱいで、自分の人生を楽しむ余裕はないです。
会社優先、会社ファーストの人生を、人生を使って差し出して責任を取ったところですよ。会社はあなたの人生の責任を取ってくれないっていう、そこは全然釣り合わないというか、釣り合わないということではなくて、
会社は、あなたがきちんと果たしてくれた責任に対しての正当な評価っていうのは、その人事評価とかね、仕事に対しての対価を出すということが、会社が個人に対して果たしてくれる責任なわけで、それ以上の責任は取ってくれないですよね。
人生の責任は取ってくれないわけなんだけど、そこに対して自分が人生を差し出しているというのは、割に合わないというか、釣り合っていない行為なんですよね。だから、そこまでして果たすべき責任なんだっけ?これは会社にとってとても大きなものなんだっけ?
冷静になって考えると、たぶんそんな大きくないんですよ。ただ、それを感情ですよね。自分が無責任と思われたくないとか、重要な人物じゃないと認めたくないという感情が入り混じることで、大きくなってしまうということが、
しんどいなぁとか、本当は辞めたいんだよなって思いながら、辞める決断ができないというのは、そこなのではないか。それを責任を取るという言葉に責任転化しているみたいな感じかな。
ちょっと違うかな。あえて責任という言葉を使ってみたんですけど。
他人軸とプライド
平たく言うと、プライドとか、人の目を気にしている、人の評価を、他人軸ってやつか、他人軸じゃないですかっていう話ですね。
一見、自分で責任を取りたいってすごい自分軸っぽいけど、実はその責任感って、めちゃくちゃ他人軸から発生していないか。本当は私は、めっちゃ責任を投げ出したい人間なのに。
っていう保診を責任という言葉にすり替えていませんかという、なんかすげー嫌な話ですね。
でも自分がそうだったので、同じような方がいるんじゃないかなと思っています。
それ別に昨日話した人がというよりも、今までの過去のクライアントさんともそういう話をしたことがありますし、
それって何を、誰の目線を気にしてるんですかみたいな話をしたことがあったんですけど、
それもやっぱり同じような話だったんですよね。
日本の管理職の苦悩と自由への痛み
日本の管理職って罰ゲームって言われてるじゃないですか。
責任というか、背負うものは大きくなるんだけど、その割に裁量が伴ってなかったりとか、自由度は意外となかったりする。
裁量が増えてるはずなのに不自由になるとか、
本来よりケアされるべき、その中間管理職という非常に心身、どっちもかなそうですね、すり減らすので、
ケアされるべき存在にも関わらず、ケアはないがしろにされ、他人をひたすらケアし続けるみたいな、
なんかちょっとつらいですよね。いやつらかったな。そうなんですよ。
っていうのを投げ出さないのは無責任だって言われるのつらすぎじゃないですか。
でもなんかそれをそう思われないようにするとかっていう、やっぱ他人はコントロールできないから、他人がどう思うかはコントロールできない以上、
やっぱり他人にどう思われようが、自分はこうするんだという自分軸で生きるということをするには、
その無責任ともしかしたら思われるかもしれない、言われるかもしれないということも含めてやらないと。
本当に自分らしく生きるということは、他人からもしかしたら恨みを買わなきゃいけないのかもしれないです。
だってみんなそれが本当はやりたいのにできてない人が多いんだから、なんであの人ばっかり、なんか好きなようにやってるんだっていう、
まあ、妬み、恋みみたいなものを、それも引き受けてこその、本当の自分軸、自由。
自由になるには痛みを伴うんですね。そう、痛みがあるから自由になりたいと言いつつやっぱりならないんだと思うんです。
自由になるにも痛みがある。だったら我慢している方が意外と、周りからは悪く言われないから楽みたいな、
っていうことなのかな、なんて思ったりします。なんかちょっとミルクちゃんが騒がしいので、
手放す勇気と自己受容
ちょっとそろそろ終わりにしたいと思います。なんかすごい嫌な話だなーって思いながら、でも自分はそれに気づけたから、
まあ辞められた、手放せたっていうのはありますね。
まあ確かにそうだな、やっぱり今の話し屋のお父さん、コーチの方の発信を見てる時もそうだったし、
その前のコーチとかにも、やっぱり、別にあなたが会社を辞めても困らないですよみたいな感じで、
グサッと言っていただけたことはありまして、やっぱりそれを認めるのって、やっぱりそう言われて、
あ、そうなんだ、じゃあ辞めますみたいな感じってやっぱりならないと思うんですよね。
一回言われただけじゃ、あ、そうなんだって素直に思えないと思うんですよ。
え、いやそう言われても、みたいな、そっか、そうなのかな、いやそんなことないとかっていうのをずっと繰り返しながら、
だんだん、そうかも、みたいな感じでこう、寝負け?こん負け?した時に、ああまあ別に、いやって、
なんかまあ半分諦めの境地みたいなところになった時に、その責任を放棄する勇気が出てくるのかなというか、
その手放す痛みを含めて、それによって得られるものというものがあるような、
確かにそっちの方が自分の人生トータルで考えた時に、大事だよな、そっちの方が本当に手に入れたいものだよな、
ということがなんか腹に、腑に落ちた時に、じゃあその一時の痛みは乗り越えるか飲み込むかって思えるんだろうなぁと思います。
はい。だからやっぱそのいろんな人の話を聞くっていうのがやっぱり大事なんだと思います。
その人のケース、私の時はこうだったよ、みたいな話をやっぱりいっぱい聞くと、いろんな人からいっぱい聞くと、
だんだんその自分の気持ちの天秤がね、いつかひっくり返る時みたいなのが来るんで、
なんか私で起きればこういう話をいくらでもしますので、ぜひ話を聞きに来ていただけたらなと思います。
イベント告知
はい。そういう話もしたりしなかったりするヒルスナックが、7月は24日金曜日13時から17時までです。
場所はいつもの赤坂三介のスナック引き出しさんです。
あとは、これはちょっと対象者はある程度絞られてますけれども、対話を打って生きていくと決めた人のリアルな情報交換会、第3回。
8月27日木曜日11時から13時まで東京の三鷹で開催します。
こちらは一応大臣支援業的なことをやっている、もしくはやろうとしている方向けではありますが、
まだお勤めの方もいらっしゃるので、そういう方も参加していただいてますので、
そこを踏み一歩を踏み出した時の話とか、そういうのも含めてお話なんでもできればと思いますので、ぜひ来ていただけたらと思います。
詳細はそれぞれ概要欄に貼ってありますので、ご確認の上お申込みをお願いします。
ヒルスナックが来ていただける方はご連絡いただけるととても嬉しいです。
一応今7月も行きますよと言っていただいている連絡をいただいている方もすでに何人かいらっしゃるので、またノーゲストはまだなれそうな感じではあります。
エンディング
時期的にね、お母さんとかいる方は夏休み入っちゃってたりとか、夏休み中なんだよな。
そういうのをよく考えたら、うちの娘も夏休み中だからな。
留守番してもらうか連れて行くか、あんまり行きたがらないんですけどね。
もしかしたら連れて行くかもしれないです。本人と相談ですが。
そんな感じです。
今日は終わります。最後まで聞いていただいた方は、いいねとまた聞きたい方はフォローもお願いします。
本日も聞いただきましてありがとうございました。