送別会の振り返り
おはようございます。人生加速コーチのなおこです。
このチャンネルでは、管理職を捨ててライフコーチとして独立した私が、これから起業を目指している方の背中を捨てるようなお話をしていきます。
今朝の6時22分なんですけど、なんか朝から今日車が多いな。
今日は5時過ぎに目が覚めてしまいまして、
昨日帰りが遅かったので、寝るのも12時過ぎちゃったぐらいだったんですけど、
5時間ぐらいしか寝れてないのかな。
なんか目覚めちゃったんで、しばらくうだうだしてたんですが、2度でもできなかったので、歩いてきました。
昨日はですね、私の送別会だったんですね。
業務委託でやっていた会社の稼働が最終だったので、私の送別会を開いていただいたというところだったので、行ってきたんですけど、
今日はそれに関連したお話ではあるので、先に告知をしたいと思います。
ヒールスナックですね、9月開催いたします。
9月24日水曜日13時から17時まで。
場所がソナック駅出しさん、東京メトロ丸の内線赤坂見つけ道30秒のところにあります。
平日の昼間から楽しくお酒を飲むも良し、お酒は飲まずにみんなと私との会話を楽しむも良しという会です。
料金体系等は概要欄でご確認をお願いします。
今日はですね、自由の代償は孤独であるという話をしたいと思います。
先ほど冒頭でお話ししましたように、私は去年の11月末で正社員を辞めていて、
その会社で業務委託契約に切り替えて、残り9ヶ月間ですね、稼働をしていました。
正社員自体はフルタイムで役職ですね、マネージャーもやっていたので、
その当時に比べれば稼働時間も全然減っているし、
最後の方はもう1週間に2時間ぐらいかな、今週は、というぐらいの稼働だったので、
徐々にフェードアウトする形で、出社も直近2ヶ月ぐらいは全くしていませんでしたし、
だんだんフェードアウトしている形になっていたんですが、
昨日送別会をしてもらって、改めて私また組織の中にいたんだなって思ったんですよ。
送別会に向かう直前に、コーチとLINEで全然別件でやり取りをしていて、
これから自分の送別会に行ってきますっていうLINEを送ったら、
コーチから返信で、個人の世界には送別会というものは存在しないので楽しんできてくださいって返信をいただいて、
確かにそうだよなって思ったんですよね。
組織にいると送別会するのもされるのも当たり前な感覚じゃないですか、
その熱量というか度合いはそれぞれとして、形式上やるじゃないですか。
それが組織の力なんですよ。
当たり前のように自分のためにお金と時間を割いてくれて、いろいろ手配してくれてっていうですね、
すごい接待を受けるわけですよ。
それがあたかも自分の力のように感じてしまうっていうですね、怖さがあるなと思っていて、
もちろん私も3年と8ヶ月ですね、正社員と病名というか含めると、3年と8ヶ月いました。
それなりに貢献したと思っています。その自負はあります。
もちろんいろいろできなかったこととか、迷惑かけたこともありましたけど、
結構いい仕事をしたなって自分でも思っているところもあるんですけど、
自由と孤独の関係
でもそうやってみんながですね、忙しい中ですね、仕事大変忙しい中、自分に対してその時間を、手間をですね、
効数をかけてやってくれるというのは、やっぱりその組織の看板というか、力があるからだと思っているんですよ。
その一個人ですね、私という一個人に対してやってくれているのではなく、
その会社組織の中にいた私に対してだと思うんですね。
だって個人で、本当に一個人でですね、人をたくさん集めて、
その人たちが自分に対して時間とお金を割いてくれるっていうことって、すごい難しいんですよね。
それを当たり前のようにやってもらえるっていうのは、
これ自分の宝石だぞっていう、ここで天狗になってはいけないなと思うんですよ。
色紙をね、いただいたんですけど、今色紙ってオンラインで書けるから、その場にいない人というか、
会社自体も身元が多いからそういう文化になっているんですけど、
そのオンラインの寄せ書きを、いつも卒業する人がいるときっていうのはやるんですよ。
色紙見てたら、結構前に辞めた人のコメントも書いてくれてるんで、
その人たちに連絡を取って、
なおこさんが卒業するんで、よかったら書いてくださいっていう、
私も見送る側の時に似たようなこともやったことあるんで、動きがわかるんですけど、
この人とつながりあっただろうな、一緒に当時働いてたよなっていう人に当たりをつけて、連絡をして書いてもらう。
その依頼された側も書いてくれるっていうのも、それもすごいことだと思っていて、
すごいのは私じゃなくて、その一緒に働いていたという、その組織の力ですね。
連体感っていうんですか。
そういう力が働いているから人を動かしてくれているのであって、
それが自分個人という存在で動かせるものではないんですよ。
でも、会社ですごい活躍をしている人ほど、そういう扱いも受けるでしょうし、
自分のためにみんなが動いてくれるのは当たり前っていう感覚を学習してしまったり、
送別会とかもそれこそ盛大にやってもらったりすると思うんですよ。
すごい自分に自信を持った状態で、いざその個人の世界にやった時に、
一人一人無料ですら集められないみたいな現実に直面するわけなんですよ。
だから組織の中ですごい窮屈だなとか、もっと自由にやりたいなって思って、
独立する方もいると思うんですけど、本当に自由になるということは、
やっぱりその孤独ですよね、孤独を伴う。
誰にも助けてもらえないわけではないんだけれども、
人が自分のために動いてくれることが当たり前ではないという、
自分の周りから誰もいなくなるという状態を伴うものである。
そこが戦いなのかなと思います。
それに耐えられない人が多いから、
個人の世界にも組織のようなものが結局存在する。
そこに所属欲求ですよね。
どこかに所属をすることで、お互い助け合うことができるという組織があるというのは、
その欲求ですよね。
孤独でいたくない人と助け合いたいという欲求があるので、
そういう組織が発生するというのは、すごく当然なのかなとある意味ですね。
個人の自立と人間関係
当然なのかなと思いました。
だから本当に自由でいたいのであれば、
それは必ず孤独を伴うということですね。
それを受け入れる覚悟があるのかということなんだと思います。
私も延満に退職しているので、
昨日も鳥島EPACの方とか何人かに最後にご挨拶をさせていただいたときに、
いつでも戻ってきてくれていいですからねって声をかけていただいたんですけど、
それは大変ありがたく頂戴しますが、
またお世話になることがないように頑張りたいと思いますってお返しをしたんですけどね。
もちろん辞める決断をするときは、
いざとなったら戻ればいいやというぐらいの心の保険ですよね。
あったからこそ決断できた、踏み切れたというのはあるんですけど、
実際に今の状況でいつでも戻れるしなっていう甘えが出るとダメだと思うんですよ。
退路を断つということですね。
差し伸べられる手を自ら振りほどくぐらいの気概が必要になるんですね。
それくらい孤独を楽しめる人でないと本当の意味での自由にはなれないのかなと思ってまして、
どれだけ孤独を楽しめるかゲームみたいな感じに捉えると、また楽しみ方が変わってくるのかなと思います。
そうは言ってもね、本当に人は一人では生きていけませんから、
いかに必要以上に群れずに、孤として、個人として、お互いが孤として自立している状態で助け合うことができる仲間を作るかというゲーム。
そこのいい塩梅をどれだけ作れるかというのが本当の自由、欲みたいなものなのかなと思います。
でも組織を出てから繋がる人というか、会社の人同士だと、例えばLINEの交換とかSNSのフォローとかしてもいいのかな、どっちかなみたいな微妙なLINEってあるよねっていう話を
自分のオフィスで会った人ともしてて、Facebookとかよく友達かもに出てくるんですけど、申請してもいいですかみたいな探り合いがあったりとかしたんですけど、
昼スナックの話とか興味持ってくれてる人もいて、ちょっと後で友達申請させてもらいますねみたいな話になったりとかするんで、会社の人だと逆に踏み込みにくいけど、個人としては興味あるんだよねみたいなパターンとかもあって、そこから意外と辞めてからの方が仲良くなるみたいな
お互いの立場が逆になくなるので、それはそれで面白いなぁなんて思ったりもします。
それこそあれですよね、個人としての魅力が試されるところですよね、あくまで組織人としてしか見てなかった、例えば悪いですけど、定年までですね、頑張った働いたおじさんが定年退職したら、誰一人付き合いもないし、年賀状が今まで毎年何百枚も来てたのに辞めた、
自由と孤独の関係
翌日は数枚しか来なかったみたいな話も聞くわけですよ、そこで一気にアイデンティティを失うみたいな感じになるわけじゃないですか、そういう意味で個人として、組織の中でも個人として魅力的であれば、組織を離れた後もつながりたいと思ってもらえる人がいるっていうのもありますよね、
その組織の看板を借りて踏んぞり返っていると、辞めた後は誰も見向きもしてくれないということになるわけですね。
というわけで今日は、自由の代償は孤独であるという話、ただ孤独を楽しめると本当の自由力が身につくという話をしました。
ここからはですね、もう余談なんですけど、この間、昔のメンターですね、バーのマスターに久しぶりに会いに行ってきたわけなんですけど、やっぱ面白い人は面白いですね。
もう74歳でした。今仙台で自宅を改装した喫茶店&モルトバーをやってるんですけど、当時私が通ってた新橋のお店と同じぐらいボトルあって、600本ぐらいシンクルモルトのボトルがところせましと並んでまして、
そのモルトバーもですね、もともとご本人がウィッシー好きすぎて、シンクルモルト好きすぎて集めてて、趣味でやるには大げさすぎるから、それをそのまま店にしちゃったみたいなことなんですけど、
そういう風に遊ぶように生きてるっていうか、本当にこういう人ってかっこいいなって思ってるから、私も当時もそこに惹かれて通ってたし、こうやってまた時を越えてもやっぱり会いに行きたくなる人なんだなって思ったんですけど、
いろいろ話してて、その話初めて聞いたなというか、もしかしたら私が酔っ払ってて前も聞いたけど覚えてなかっただけかもしれないんですけど、そのおじさんの若い頃の仕事ですね、経歴の話を聞いてて、ちょっと印象的だったエピソードがあったんで、一個お話しするんですけど、
若い頃は本当に今じゃありえないぐらいの働き方、広告関係とかですね、平日会社泊まり込みで週末はたまたま洗濯物を持って帰って洗濯するみたいな、そういう生活をしていた頃もあったみたいなんですが、
いろいろあって、お金が本当になくなってっていう時期にいろんな手でですね、いろんなところから声をかけられていくわけなんですが、地上屋ですね、地上屋の仕事をしていたことがあると。
で、ある地上屋対象の飲食店ですね、ビルの中の1階に入っている定食屋をターゲットにするという話になって、その上司に、あそこの定食屋に毎日通って、選手と仲良くなってから観光をさせてこいという命令を受けて、毎日毎日、
もちろん地上屋ということは隠してですね、身分を隠して定食屋に通ったそうなんですよ。そのおじさんはすごい人当たりもいいし、見た目もいい人そうに見えるので、基本怪しまれる感じではないですよ。
結構その前も飛び込み営業とかいろいろやってたそうなんですけど、ピンポンしてね、出てくれたお宅の玄関に猫ちゃんがいて、猫かわいいですね、僕猫大好きなんですっていう話から猫トークで1時間盛り上がって、そのまま契約取れちゃったみたいなこともあったぐらい、
そういう本当にお話しやすい楽しく話せるおっちゃんなもんで、案の定定食屋の選手とも仲良くなって話し込むようになると、そうすると他の地上屋にも狙われているわけなんですよ。
その他の地上屋の愚痴を言われるようになったそうなんですね。それもしばらくはニコニコしながら聞いていたそうなんですけど、半年ぐらい通い詰めて、その上司からそろそろ決めてこいという指令が出て、
その意を決してですね、実はと、その話をされたときに、実は僕もそういう仕事でしてっていうふうに聞き出したら、その店主の方もびっくりですよね。
あんたもそっち側だったのですか?もう本当に申し訳ない感じで、そういうことになりますって答えたみたいで、相当ショックだったと思うんですよ。裏切られたような気持ちですよね。
そしたらその店主の方が、わかったと。あんたのところで判子を押しますと。ただ一個条件があって、あんたはこのような仕事をする人ではないはずだから、この契約をする代わりにあんたはこの仕事をやめてくれと。それが条件だと。
それを言われて、マスターはわかりましたと言って、その仕事はやめたそうです。
そういうことなんですよ。そういう人との出会いとかが、自分のキャリアを良い方向にというか、悪い方向に進んでしまいそうだった自分を、誰かが引き上げてくれるというか、戻してくれる。本来の道に戻してくれるというか、そういうことがあるんだなって、それを聞いて思いましたね。
マスターもいろいろ話を聞かせてくれたんですけど、やっぱり真剣にやっていると誰かが助けてくれるんだよねって言ってて、それ以外にもいろいろ話を聞かせてくれたんですけど、本当に僕は人に恵まれてたと。
運がいい人って、自分が運が良かったって言うわけなんですけど、その運を引き寄せるような人物というか、人柄というか、振る舞いというか、こいつだったら仕方ないなって思われる。
いいわ、あんただからって言ってもらえる人物たるかどうかなのかなって思ってます。運がいいというのは。
こんな時間だ、そろそろ娘が起きる時間なので戻りたいと思います。
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