1. 管理職を捨てて独立したリアルを伝えます
  2. #388 自分を「変える」のでは..
2025-09-26 22:58

#388 自分を「変える」のではなく「取り戻す」

「ありのままでよい」とは、「その場所にとどまっていてよい」という意味ではない。

大人や社会によって奪われてきた純度の高いピュアな自分自身を取り戻すことで最も強いエネルギーが湧き、自分の存在そのものに価値を感じられるから難しいことにも挑戦できるので、結果的に1番成長するし、他人にも価値提供できる自分になれる。

本来の自分をどこかに取り残したまま、外付けの何かに変化や成長を求めて何者かになろうとしても、肝心の本体が空虚であれば何も生み出せない。苦しいだけ。



配信を聴いていただき、ありがとうございました!
よかったら「いいね」やフォローもしてもらえると嬉しいです✨

🎥YouTube▶️ https://www.youtube.com/@naoko-en5lu/videos

📖 note ▶︎ https://note.com/naoko_0803

🕊️ X(旧Twitter)▶︎ https://x.com/giraffe_mnm



【📢“自分の名前で稼ぐ”ための第一歩をサポート】

人生加速コーチ・なおこは、起業や副業のはじめの一歩を踏み出したい方へ、マインドと行動を整える長期コーチングを提供しています。

プロフィールはこちら💁‍♀️
https://note.com/naoko_0803/n/n9071096e4649

今だけ、LINE登録者限定で🎁無料プレゼント中!
\ ビジネス加速ワークシート2種セット /

✅ ターゲット設定ワークシート
✅ 顧客台帳フォーマット

📩 受け取り方法:公式LINEに「プレゼント」と送るだけ!
あなたのビジネスの土台づくりに、自由に活用してください✨

👉 https://lin.ee/Q085SUR
🔍 ID検索:@702bfijm

※公式LINEの友達追加画面に遷移しない場合は、「リンクを長押しして『LINEで開く』を選択してください。または、Safari等のブラウザで開いてみてください。

お気軽にメッセージお待ちしています😊
※プレゼントは予告なく変更・終了する場合があります。


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/62897c3efd1be6fc4620587a

サマリー

このエピソードでは、自分を変えるのではなく、本来の自分を取り戻す重要性について語っています。特に、成長と共に他人の期待に応えようとするあまり、自分を犠牲にしてしまう現代社会の課題に焦点を当てています。また、自己変革の代わりに自己回復の重要性についても話し合っており、特に子供の頃からの欲求を満たすことが幸福感や自己信頼をもたらすことを強調しています。

自己肯定感の重要性
こんにちは、人生加速コーチのなおこです。
このチャンネルでは、管理職を捨ててライフコーチとして独立した私が、
これから企業復業を目指している方の背中を押せるようなお話をしていきます。
今日もインコさんが元気ですね。
最近、家で撮ることがまた増えてきたので、インコさんの出演率が高くなってますが、よろしくお願いします。
今、差し当たって告知することはないのですが、
10月のヒルスナックをやりたいと思っているのですが、
私の都合で日程がまだ確定できないところがありますので、また決まったらこちらで告知させていただきます。
おとといのヒルスナックの様子を、
YouTubeでちょっとVlog風に3分ほどの短い動画ですが、
昨日あげましたので、雰囲気とかお店の感じとかですね、伝わるかなと思いますので、
ぜひ見ていただけたらと思います。
なかなかね、スナックとか、ちょっとそういう場所って来るハードルが高いので、
少しでもイメージがついたらいいなと思います。
今日はですね、自分を変えるのではなく取り戻すという話をしたいと思います。
私たちはいつの頃からか、自分に足りないものを何かを足して埋めようとしたり、
自分の未熟さを変えようとする。
こういうところがダメだから、もっとこうなりたいとか、こうならねば、みたいな形で、
自分を変えようとするんですよ。
もちろんいい方向に変えようとするっていうのが前提なので、成長ですよね。
成長するということは、自分を変えていくことなんだと思って、
いろんなものを足したり、学んだり、経験したりしながら、
自分自身をもっと高みに変えていくということに取り組むことが成長だと思いがちなところがあるかなと思うんですけど、
私はコーチングというものに出会って、4年半、もうすぐ5年ぐらいに受け始める。
最初にクライアントとしてコーチングを受け始めた頃から入れると、もう丸5年ぐらいになるかなと思うんですけど、
このコーチングというものを知れば知るほど、突き詰めていけばいくほど、
自分という存在が子供の頃からですね、大人になるにつれて、
様々な外部要因、外敵、刺激、環境によって、本来の自分というものをどんどん隠してしまい込んで、
自分ではない人間に変えてきてしまったっていうものの積み重ねが大人の自分になっているっていうことに気づきまして、
だから本当にやるべきことは、自分をさらに変えることなのではなく、
本来の自分に戻る、取り戻す、戻っていくことが必要なのであり、
その向き合う作業をするために、人との対話が必要なんだということが理解できるようになりました。
生まれたばかりの赤ちゃんで自己肯定感が低い赤ちゃんっていうのはいないわけなんですよね。
泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑って、お腹が空いたりとか不快になったら、
またそうやって声を出してアピールをして、機嫌が良くなったら泣き止んでっていう、
ありのままですよね。感情の赴くままに眠くなったら寝るしっていうことを赤ちゃんっていうのはしてるわけで、
社会の期待と自己の抑圧
誰に忖度をすることもしていないわけですよね。
それがだいたい幼児ぐらいでしょうか、3歳、だんだん人間になってきて、
社会生活をするようになって、早い子だと幼児で大分大人の顔色を伺いますよね。
でも小学校ぐらいになったら集団生活で、保育園とか幼稚園も全然集団生活してますけど、
さらに集団生活で規律をより求められるようになっていく中で、
どんどん人間としての人、生物としての自分の自我みたいなものを抑える。
何十分も椅子に座って先生の話を聞くとかっていうことをするわけですから、
そこで自我を抑える能力をどんどん身につけていくわけですよね。
さらに早い子だと中学受験とかですよね。
そういうのが始まりますと、小学校受験とかしている子もいますけど、
多分親の期待に応えようとしだすのって、中学受験とかそのあたりが早い子だと多いのかなと思います。
あとはスポーツとかやってる子であれば、特に親の期待でやらされたというか、
足向けられたというかっていう感じの方だと、小学校ぐらいから結構親の期待に応えるようにスポーツに頑張ったりとか、
勉強頑張ったりとかっていうことが起きてくるわけですよね。
中学高校とかになるとさらに部活だったりとか、
そういうより子どもなりの組織みたいなものができてくるわけですよね。
そこでまた組織の中での自分の振る舞いというものを身につけていったり、
さらに親先生からの受験とか就職とかそういうものからどんどん誰かの期待に応えるようになっていく。
本当に自分のやりたいことだけを純粋に貫けることができている人ってどれぐらいいるんだろうっていう話なんですよね。
子どもながらに自分の家庭環境の経済状況とかも、高校生大学生ぐらいになったら気にするわけじゃないですか。
本当は私立行きたいけど国公立頑張っていこうとか、大学行きたいけど四大はちょっと大変だからとか、
住んでいる地域の方によってはそもそも近くに大学がなかったりして、
そういう経済的な理由から地元の専門学校に行ったりとか、そもそも進学せずに就職したりとかですね。
いろんなものを諦めたりとかすることも増えてくると思うんですよ。
社会人になったらまたその会社の中でさらに求められるものだったりとか、ビジネスマンとしての成長ですよね。
今度成長を求められるわけなので、自分に足りないものっていうのをどんどん付け足していって、
ビジネスマンとしてもっとこうやってカラーが向けていかないといけないなっていうところで、
もちろんそういう経験もすごい大事ですし、それによって開花する才能とかいっぱいあったりすると思うので、
純粋な自分を取り戻す
別に一概に悪いことばかりではもちろんないわけですけど、競争が好きではないにも関わらず競争社会ですね。
売上とか成績っていうもので順位がつけられる世界になって、
なぜ上を目指さないのか、こんな成績で悔しくないのか、みたいなことを詰められたりとか。
たくさん理不尽なことも経験するわけじゃないですか。
お客さんもそうだし、上司もそうだし、同僚部下も含めてですけど、
自分の人格そのものを否定されるような経験をしたりとか、
そうでなくてもというか、相手はそういうつもりはなくても自分がそう受け取ってしまう。
自分の心が弱ってたりすると、相手の何気ない一言、悪気がないとかっていうのも、
それが一番悪かったりするんですけど、悪いというか、悪気がない一言ほどぐさっときたりするものではあったりするんですけど、
それを受け止めるというか、かわす、スルーする力が自分にないと、
ダイレクトに受け止めちゃったりするんで、それで自分がダメなんだになってしまったりすると、
その自分がダメだからもっと変わらなきゃって思っちゃうんですよ。
で、子供が生まれたりして、子供を見ていると、
子供ってなんて純粋無垢なんだろう、それに比べて自分は…っていうことにも気づいたりするわけなんですが、
子供に対するイライラで、自分が我慢していることを子供が全く我慢せずにすることに対しての、
自分に対しての、自分に対してというか、自分と比較してかな?
自分と比較しての怒りのような気がしていて、
私は大人でこんなに我慢をしているのに、なんで子供のあなたはそんな好き勝手に振る舞うの?
という嫉妬?妬めみ?から、子供に対してイライラしてしまうんじゃないかって思うこともあります。
なんでそんなに自由なの?っていう。
いいよな、好き勝手に無責任に言いたいことを言えて、みたいな。
そういう気持ちがあるんじゃないかなって最近思うわけですよ。
それで、親が何言ってんだ?みたいな感じで、上からガンって押さえつけちゃう。
押さえつけるから、子供は自分の言いたいことを言っちゃいけないんだ、思ったまま言ったら怒られるんだ、
っていうことを学習して、それを親の顔色を伺って言わないようになる。
勝手に好き勝手しないようになる。
はい、振り出しに戻る、みたいな。そういうループがずっと繰り返されてきているような気がするんですよ。
だから、大人が本当にやるべきことは、自分を変えるのじゃなくて、
本来の純粋無垢だった頃の自分を取り戻す、そこに戻してあげる。
もちろん大人と子供だったら、あれですよ、困りますよ、とかありますけど、
電車の中で騒ぐとか、公共の場で好き勝手騒いでいいとか、そういうことではないですよ。
なんですけど、自分の好きとか嫌いに正直で思ったことを言ったり、やりたいって思ったことを、
誰の顔色も浮かばずにやったり、やりたいだけやるですね、好きなだけやる、熱中してやるとか、
そういう自分の衝動、内発的動機衝動に基づいてやるっていうことが、
インコの愛の手がすごいですね。話に共感してくれてるんでしょうか。
でもその状態が一番、人間としては本能のままに生きているっていうことだと思うので、
その状態に大人という体を持ちながら、心は子供、コナンの逆か、その状態に持ってって戻してあげるというのが、
幸せなことだと思ってるんですよ。実際、コーチング業界とかにいてもそうですけど、
自分を取り戻していった大人たち、だいたい先輩方、50代、60代ぐらいの方とかを見ていると、
なんか子供っぽくなっていくんですよね。少年少女のように楽しそうになっていくんですよ。
セルフィッシュという言葉もありますけど、いい意味でのわがままさですね。
自分勝手っていうと、ちょっと日本語だと悪い意味に取られがちではあるんですけど、
そこはちゃんと大人としてやっていいラインですかね。
をわきまえつつ、振る舞いとしてわきまえつつ、でも自分の好きなように誰に損たくせずにやっていくっていう、
そこも自分の出し方っていうんですかね。自分の出し方が上手になっていっていった結果、
すごい純粋無垢な子供っぽい大人、シニアになっていくと、
すごい素敵な年の取り方をしているな、この人はっていう風に見えるんですよね。
若々しいし、そういう人たちは。
最近すごい思うのが、鳥さんを飼ってみて、娘が飼いたいと言い出したわけなんですけど、
実際多分一番喜んでるの私なんじゃないかなって思ってまして、
実際一番長く一緒にいるっていうのもあるんですけど、
自己回復の重要性
子供の頃から動物はすごい好きだったんですよ。
動物園とかもすごい好きだし、覚えてはいないですけど、
写真で残っているのだと、2歳くらいでも全然全く動物にビビらずに、
ヤギかなんかかな、餌をあげている写真があって、
お兄ちゃんは3つ上の兄はビビって全然触れない、近づけないっていう、
そういうシーンが残っているんですけど、
ほんと動物好き。
ただ当時住んでたマンション別にダメではなかったはずなんですけどね、
同じマンションで同級生とかが猫飼ってたんで、
ダメでもないはず。犬とかもいたし。
まだ親が面倒くさかったんですかね。
親も子供の頃それぞれ動物、猫とか犬とか飼ってた人なんで、
動物嫌いではないはずなんですが、
飼ってはいなかった。金魚ぐらいしかいませんでした。
お祭りでとってきた金魚だったんで、
ずっと動物飼いたいなーっていう気持ちもありましたし、
しかも私、ぬいぐるみがですね、動物のぬいぐるみが超大量にあったんですよ。
人間のぬいぐるみっていうか、
リカちゃん人形とか、バービーとか、
あと何でしたっけ、
なんかメルちゃんみたいな、
赤ちゃんのお世話する系のぬいぐるみとかあるじゃないですか、
ミルクあげたりおむつかえたりとかする。
ああいう人間の形のおもちゃ、ぬいぐるみには全く興味がなくて、
ひたすら動物のぬいぐるみばっかりあったんですよ。
ほとんど処分しちゃいましたけど、
唯一残しているのがキリンのぬいぐるみね。
スタイフの初期の方を遡ってもらえると、
アイコンもキリンの写真だし、
一応ハンドルネーム的な感じでキリンでやってたんですけど、
その子です。
その子だけは一番大事にしてるんで撮ってるんですけど、
っていう感じなんですよ。
で、また娘が全く同じで、
うちの娘も全く私と本当に同じで、
人間のぬいぐるみには一切興味を示さずにですね、
うち動物園みたいな感じですよ、今も。
動物のぬいぐるみばっかり。
私と傾向は若干違いますけどね。
鳥系とウミ系が娘が多いんですが、
イルカとかサメとかシャチとかシマイナガとかですけど、
動物好きというところはやっぱり変わらなくて、
この動物にうちのミルクちゃんをですね、
めでている時に私はすごい幸せを感じるので、
子供の頃からずっとそれをやりたかったんでしょうね、きっと。
それをやりたかったけどできなかったわけですが、
何十年越しに今それを自分にやらせてあげられているということが、
すごいこれが幸福感を感じるんですよ。
でも私自身は何も変わっていなくて、
ただ自分が子供の頃から本当に好きでやりたかったことを
やらせてあげているということに
一番幸福感も感じますし、
その動物をめでている時の自分が、
なんか自分らしいって言うと臭い言葉なんですけど、
固い言葉で逆に言うと自己一致しているっていうか、
そうですね、という感覚があるんですよね。
動心に変えれるんですかね。
そういう感覚があるので、
そういうことを動心に変えれるようなことを
自分にやらせてあげるっていうことが、
自己信頼と新しい挑戦
人生後半戦において大事なことだと思うんですね。
もちろんやったことないことをやってみるとか、
新しいチャレンジをするとか、
そういうことも大事なんだけれども、
そういうことをしていくためにも、
やっぱりエネルギーが必要なわけじゃないですか。
そのエネルギーの源泉になるものっていうんですかね。
例えば子供の頃に走り回ったりとか、
体を動かすのがすごい好きな子供だったのであれば、
今の自分にそれを思いっきりやらせてあげるとかもそうだし、
逆にインド派で本を読むのがすごい好きな子供だったのであれば、
めちゃくちゃ特徴の時間を取らせてあげるとかかもしれないし、
綺麗なものが好きだった子であれば、
綺麗なものをとことん見せてあげるとか、
そういう自分の中のもともと持っている欲みたいなものですかね。
これやってるだけで満たされるな、みたいなものを満たしてあげる。
それをやるために誰かに邪魔されたりとか、
誰かの許可を得たりとか、
誰かの顔色をうかがったりとか、
ということをしないでやらせてあげるということがすごく大事なのかなと思っています。
そうやって自分を取り戻せたということが、
そこが自己信頼、自己肯定、
言葉はわかんないけど、
自分自身のことを本当に認めてあげられる、
自分自身というものをそのままで受容できるようになった自分が、
さらに新しいことにチャレンジをしたり、
課題を乗り越えていける自分に慣れていくという順番なのかなと思います。
だからそれは自分を変えようとするのではなく、
自分を取り戻した先に積み上がっていくものみたいな。
自分を取り戻したからこそできるという感じかな。
そういう順番な気がしています。
逆に言うと、それをせずに、
ただ外側にだけ何か今の自分とは違うものになろうとして、
何者かになろうとして何かを外付けしようとしても、
やっぱり内側が空っぽというか、
芯がない状態っていうのは、
なんか空虚というか、
こうなりたかったわけじゃないんだけどなぁに、
なっていっちゃうんじゃないかなって気がしました。
はい、今日はちょっと抽象的というか概念的なお話ではありましたが、
なんかミルクちゃんをなでなでしていて、
なんかそんな気分になってきたので、
こういう感じ、感覚の時間を増やせるっていうのが幸せだよなって思ったので話してみました。
そろそろ出かける時間なので、この辺で終わりにしたいと思います。
最後まで聞いていただいた方は、いいねとまた聞きたい方はフォローもよろしくお願いします。
本日もお聞きいただきましてありがとうございました。
22:58

コメント

スクロール