価値の循環
おはようございます。人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨ててライフコーチとして独立した私が、これから企業復業を目指している方の背中を背るようなお話をしていきます。
今日もですね、娘を学童に送った後、今歩きながら撮り始めてるんですが、今日若干涼しいかも。日差しは強いですけど、風がちょっと涼しみ、
目があって、湿度が低いのかな。今もう10分、家出てから10分ぐらい経ってますけど、あんまり汗ばむ感じが、
ここ最近の中では少ないかなという感じです。 油断は堪えていくというところで、途中で水分補給、休憩も挟みつつお話をしていきたいと思います。
昨日はですね、デザインア.ネオというやつに行ってきまして、Xとかインスタの方には写真とかもあげてるので、興味あれば見ていただければと思うんですけど、
あれ、前やってたのがね、多分5年か6年ぐらい前なんですよ。その時も娘と言ってるんですけど、さすがに娘は覚えてないって言ってて、まあそうだよねっていう感じなんですが、
覚悟はしてましたけど、夏休みシーズンということで、子供がわんさか、少子化なの?っていうぐらいですね。
子供で、もちろん子供以外もいるんですけど、子供がみっちみちでございました。もうほとんどがこうやっぱり体験型の展示なので、見てるだけだと逆に物足りない感じになっちゃうんですが、
行列行列でですね、全部はちょっと体験できなかったですね。
最近は、うちもEテレの番組の方は見てなかったですけど、テレビ見てても見てなくても、子供でも大人でも楽しめるかなと思います。
今回の展示は特に、動詞に着目している展示なので、シンプルに、日本語って面白いなとか、言葉の、音の、何て言うんでしたっけあれ、音を求めって言うんですか?
食感を表す言葉とかですね、そこら辺のバリエーションが豊かな国だなというのを改めて感じますね。
終わった後に、同じビル、トラノモンステーションタワーの同じビルに入っているインスタ映えするですね、ソフトクリームを、お高いソフトクリームを食べて、でもすごく美味しかったです。
帰りましたけど、そっちもすっごい行列でした。
行列に耐えられる方は、ぜひ展示もソフトクリームもセットで楽しんでみてはいかがでしょうか。
私は昨日待ち時間、暇すぎてノートを更新してましたから、それぐらいですね、待ち時間があります。
はい、ということでですね、告知なんですけども、三鷹のセッションですね、8月1日金曜日10時の枠は引き続き募集しているんですが、
8月2日土曜日の10時の枠ですね、予約していた方がちょっと体調崩されたということで、キャンセルになりましたので、そちらも空きました。
なので土日だったら受けれるんだけどなーっていう方はですね、ぜひこのチャンスをお見逃しなくということでお待ちしております。
あと、ヒルスナックですね、こちらも日程決まりまして、8月22日金曜日の午後1時から午後5時が初回の開催となりました。
月1で第4金曜日かな、同じ日程で定期的に開催をしていきたいと思いますが、まず初回ですね、8月22日金曜日お待ちしております。
予約は不要ですが、もし来ていただける方はご連絡いただけるととても助かります。よろしくお願いします。
今日はですね、人がしてもらったことをしてあげたくなる生き物であるという話をしたいと思います。
例えばですね、してもらった相手ではなく別の人にしてあげたくなるですね、Aさんからしてもらったことを
Bさんにしてあげる、そんなイメージですね。本人に返すのではなく別の方に返す、してあげる、
ということで、回っていく、循環していく感じなのかなって思います。例えば、親にしてもらったことを今度は自分の子供にしてあげるとか、
感謝の重要性
先輩にしてもらったことを今度は自分の後輩に自分が先輩となってしてあげるとかですね、全部そのしてもらったことを自分がその立場になってまた別の人ですね、
過去の自分と同じポジション、役割の人にしてあげるっていう図が生まれてるのかなって思います。
コーチも一緒ですよね。自分がクライアントとしてコーチにしてもらったことを今度は自分がコーチとしてクライアントにしてあげるっていう、
全部同じ構図になっているかなって思います。
そう考えると、自分が誰かに提供できる価値というのは、
今まで自分がどれだけのことを与えてもらったか、してもらったかということに気づけているかとか、ちゃんと受け取れているか、
ということだと思うんですね。
って考えると、人に感謝できない人って、人からしてもらったことの価値を感じられていない、
同じことをしてもらっても感謝する人としない人がいるわけなので、受け取る価値っていうのは受け取る側がある意味決めているのかなと思うんですよ。
だから受け取る器がない、育っていないと、してもらったポイントが溜まらないから、自分が今度他人にしてあげられるポイントも溜まっていないみたいな。
だから提供できる価値が少ないっていうことになるんじゃないかなと、ちょっと精神論というかスピリチュアルっぽいですけど、でもそういうことなのかなと思っています。
首にかけてる扇風機が、充電が切れて、ただの荷物になっております。
邪魔。
でも今話してて思ったのが、これどっちが先なんだろうって思うんですよね。
例えば、親にしてもらったことって、子供のうちってそのありがたさ気づかないじゃないですか。
親になって初めて自分が子育てをしてみて、親の大変さとか、こんなこともしてもらった、こんなこともしてもらったっていうことに初めて気づけるので、
そうすると順番的には自分がしてあげられる立場になって、初めてその感謝を受け取ることができるみたいな、順番がよくわからなくなってきた。
でもやっぱり出すから入ってくるみたいな、そういう考え方になるのかな。
例えば先輩におごってもらった時とかって、おごってもらう立場の時は、「あ、あざす!」みたいな、「こっちでーす!」みたいな感じですけど、
それを後輩に言ってあげるんだよっていう風に言われて、「あ、わかりました!」みたいな感じのノリで受け取ってますけど、
いざ自分がやる立場になって、「これ結構大変だぞ!」みたいなのって気づくじゃないですか。
そこで初めて、先輩ももしかして気丈に振る舞っていたけど、実は結構無理をしていたのかもしれないとかですね、いろんなことを考えて、
でもやっぱりしてもらっちゃったからには、受け取りっぱなしにはしたくないというか、
そこで自分が流れを止めるというのはよろしくないなと思うわけなので、
やっぱり同じように、はったりをかまして後輩にしてあげるみたいな、そうやって流れを止めない、循環を止めないということができるのかなと思うんですよ。
コーチとクライアントの関係においてもやっぱり一緒で、クライアントさんに対してちょっと耳の痛いアドバイスを、フィードバックをしなければいけないときですね。
過去にコーチから耳の痛いフィードバックをしてもらえた経験があると、
やっぱりあの時言いにくいけど言ってくれたんだということに気づけるわけなんですけど、
その経験がなかったら伝える勇気がなかったかもしれないというふうに思うと、そこで初めてしてもらえたことの価値を本当に受け取れるというか、
自分がやっぱりやる側になって初めてその大変さに気づく、価値に気づくということですよね。
負の循環の打破
って考えると、やっぱり出そうとして初めて入ってくる、与えようとして初めて本当に受け取ることができるみたいな、そういう順番なのかなって思いました。
でも本当にこの間のキャンプの話もそうですけどね、やっぱり子供にキャンプを体験させたいって思うのも自分がさせてもらったから、
それがいい経験だったなっていうのが記憶に残ってるからっていうわけなんですけど、
でも中には親が、いわゆる毒親みたいな方もいたと思うんですよ。
なかなかその親に感謝しなさいなんて言われますけど、本当にその感謝できない親っていうのもいるみたいなんですよね。
って考えると、されて嫌だったことをされたらやり返したくなるところではあるんですけど、
あそこの負の循環を自分で止めるっていうことも一つの価値なのかな、難しいかもしれないんですけどね。
してもらって嬉しかったことはするし、されて嫌だったことは止める、もしくは逆のことをするとかですかね。
ということで、その価値を受け取れるというのかな、意味あるものにできるみたいなそんな感じでしょうか。
私も例えば前の夫とかは、ちょっともらったら、
ギミ、いやギミではないな、だいぶでしたけど、
生まれて初めてというか、本当に一生涯でその人しかいないですけど、
この人死んだらいいのにって人に対して思ったのは、後にも先にもその方だけでしたけど、
酔っ払って交通事故にでも会わないかな、って毎日思っていた時期がありました。
とにかくですね、自分が傷つけられたりとか、嫌な思いをしたことで、相手の痛みがわかる人間になったりとか、
自分で言いますけどちょっと懐が深くなったりとかね。
落ちた幅が低い幅があるほど、人生に深みというか奥行きというのは出ますので、
図形で言うと体積が広くなる感じですかね。面が下がると立方体になるみたいな。
そこで大幅に体積が大きくなるわけです。
この説明、高校1年生の時にクラスで一番頭がいい男の子が、
国語の授業の登場人物が何かしらで落ち込んでたんですけど、
その時の心情の説明として使っていた表現なんですけど、
当時は何を言っているんだこの人はって思ってたんですけど、その説明今でもめっちゃ覚えてて、
すごい纏えてるわというか真理だわって、
40歳になってやっと覚えてるんですけど、15歳でそこに辿り着いていた彼は一体何者だったんでしょうか。
親にされて嫌だったはずなのに、あれ同じこと自分も子供にしてるって思う時もやっぱりありますよね。
それしか知らないからなんでしょうね。
親って基本サンプルが一人しかいないですからね。
中には再婚したりして親が2人とか3人とかになるパターンもありますけど、
基本的にはやっぱり一人しか知らない1パターンしか、自分が実体験として受けた子育てっていうのは1パターンしかないので、
だからこそ子育てっていうのは孤独でやってはいけないのかなって思うんですよね。
人の話を聞くことで、そういうやり方もあるんだとか、そういう子育ての仕方もあるんだ、
それって自分はしてもらえなかったけど、それをしてもらったら嬉しかったなって思うことを今度はしてあげるとかですね、
っていうこともできると思うので。
昨日のデザインアーテンもうちだけじゃなくて、
かつま塾のスピンオフコミュニティ、子育てコミュニティの中の皆さんといっているんですが、
そのコミュニティもやっぱり子育てするママさんを孤独にしないということが一つ目的としてあるので、
やっぱり自分の娘が赤ちゃんのときに、こういうコミュニティがあったらよかったなって思うわけなんですよ。
こういうのがあったらよかったなっていうものですね。
あったらよかったなを自分が思うということは、他の人もそう思っている可能性が高いので、
じゃあ今度は自分がそれをしてあげれば、その価値を受け取れる人がいるかもしれない。
そうか、今自分で話しながら思いましたけど、
結局過去の自分がしてもらえたことも、してもらえなかったことをしてほしかったことも、
それを形にすれば全部価値になるんですね。
過去と現在の自己
やっぱりペルソナ過去自分っていうのはそういうことなんでしょうね。
過去の自分がされて嬉しかったことを、今度は誰かにしてあげれば、それが一番価値になるんだ、そういうことですね。
私も過去にいろんな方ですね、コーチと、今のコーチももちろんそうだし、それ以外にもメンターとしている人、していた人っていうのがその時々で人生のターニングポイントにおいていたわけですけど、
やっぱりその方たちが自分に勇気づけというか、価値観を変えてくれたり、壊してくれたり、いい方向に導いてくれたり、ということをし続けてきてくれたおかげで、今の私があると思っているので、
じゃあ今度は私が過去の自分のように自分の心身がボロボロになったり、生きる勇気を失いかけたり、将来が見えなくなったり、自分の人生何なんだっけって思ったり、このままでいいんだっけって停滞感を感じている人に対して、
私が深く関わることで、その方の人生の角度が上向きになって、前に進む力を得て進んで、困難に立ち向かう勇気と覚悟を持って、自分の人生を取り戻していくという、この価値を私から受け取ってくれる方に価値を提供する側として関わらせていただきたいなと思って、いつも活動しています。
これもしかして自分のことかもしれないなっていうふうにピンときた方はですね、公式LINEの方からご連絡をいただければと思います。
暑い、今自宅に帰ってきました。この後ミーティングがあるので、そろそろ終わりにしたいと思います。
最後まで聞いていただいた方は、いいねをよろしくお願いします。また聞きたいと思っていただいた方はフォローもお願いします。本日も聞いていただきましてありがとうございました。