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こんにちは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、私が会社員として働きながら、ライフコーチとして企業を独立していく過程を発信していきます。
今日は、私たちは失うものの価値を大きく見積りがちという話をしたいと思います。
例で、500円を失うのと500円をもらうという、同じ500円を並べたときに、
失う500円の方が相対的に価値が高いというか、マイナス幅、ダメージが大きくて、もらう500円はそんなに嬉しくないというか、そういうことらしい、そういうふうに感じる。
確かにそう言われるとそうだなという感じなんですけど、同じものでも、得るより失う方がダメージが大きいということは、それだけ高い価値のものを失うという感覚に私たちはなるらしいんですよね。
心理的というか本能的なのかわからないですけど、というのを、この間セッションした方とのお話の中でも、本当にそうなんだなというのを感じたという話をしたいと思います。
一応ご本人にも感想のアンケートの中で公開してもいいという許可をいただいているという中で、内容についてはなるべく配慮しながらお話をしたいと思うので、ちょっと触れられないところもあるので、
例え話としてわかりづらいところもあるかもしれないんですが、ちょっとお話したいと思うんですけど、三穀コストバイアスとかもよく言いますけれども、今まで時間と労力をかけて積み上げてきたものがあると。
でもそれに対して、私の中ではもう答え出てるんだろうなって最初から思ってたんですけど、手放すかというか、嫌なこともあると。いいこともあるんだけど、嫌なこともある。
決定的に、もう絶対やめようみたいな、もうやめようっていうような決定だがないっていう状態で、でも嫌だなって思うところもある。でもこういうところはいいんだよなっていう、両方メリットデメリットがある状態。
物事なんでもそうですよね。100%嫌だとか100%いいなんていうものはないと思うので、何かしらあると思うんですけど、やっぱりこれを手放してしまうとこういうことが失われちゃうんだよなっていうところの価値は高く見積もっていて、
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それを手放した時というか、まずその何かを手放す時のエネルギーってすごく使うわけですよね。結婚よりも離婚の方がエネルギーを使うし、物を買うよりも捨てる方がエネルギーを使うので、やめるっていうことに対して、
特に人間関係とかであれば、当然話もしないといけないし、話をしたことによって相手がどういうふうに出てくるかっていうのもやっぱりわからないわけですよね。そこに対してわからないことに対してまたその大きく不安を見積もってしまうっていうところがこういうふうになるんじゃないかみたいなですね。
それを伝えられていないみたいな状況とかだと、より不安ばかりが積もっていく。
その不安に対して、そこに波風を立てるぐらいであれば、自分がこの辺りに目を瞑っておけば、おんびんに過ごせるようなところを選んでしまう。
そこに目を瞑ればいいやっていうので、変化しない方をやっぱり選んでしまうっていう癖があるんですよね。
でもそれが、その変化を起こすことに対する壁が高すぎて、その変化を起こした後の向こう側に見える世界がなかなか見えてないっていう状態だったんですよ。
そうなる、そこを頑張るぐらいだったらいいや、みたいな感じだったんですけど、
でもあえて、向こう側に手放してみたら、どうなるんですかっていう話をしたら、
失うっていうことに対する不安というか、それを失いたくないっていう気持ちもあるみたいなんですよ。
でも失ったらどうなるんですかっていう、何か問題でもっていうか、それを失うことでどんな状況になっちゃうんですかっていうことを聞いたら、
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あれなんか意外と大丈夫かもっていうか、むしろ手放したことで入ってくるものというか、
今その手放せないことで我慢していることとか、本当はこういうことしたいんだよなーって思いつつも、できていないこととかもあるみたいだったんですよね。
それを手放すことによってできるようになるっていうふうに考えたら、あれなんかいいかもみたいな感じに。
そっちのほうがいいというか、それはそれで全然ありだなっていう。
急に表情とかテンションが変わって、何かそんな悲観することないかもしれないっていう感じになったんですよね。
本当にやっぱりこう失うものの方の大きさばかりに、価値の大きさばかりに目がいっていて、本当にその代償として、それによって失っている代償だったりとか、
手放すことで得られるであろうメリット、ベネフィットが見えてないから、その状態だとやっぱり失いたくない方が優先されちゃいますよね。
っていう状態だったなと思っているんですよ。
でも本当この心理ってもうめちゃくちゃありますよね。物を捨てる時とかも、これ捨てちゃって困ったらどうしようとか、別に買えばいいじゃんっていう話なんですけど、また買うのとかもめんどくさいし、同じものがないかもしれないとか、
買えばいいとはいえ、一旦捨てちゃったことで、それがなくて困ったみたいなことがあったら嫌だなって思うと、とりあえず捨てないみたいになると思うんですけど、
でも日ごろ邪魔だなとか、場所取ってるなとか、別にもういらないんじゃないかなって思っているんですよね。でもそれがコーチングでいうと未完了というか自己基盤の一つですね。
常にそこにマイナスな気持ちが取られていて、よくバケツに穴が開いているっていう表現をしますけど、そこからエネルギーが漏れている、無意識にエネルギーが漏れている状態ですよね。
そういう状態だと、新しいこととかいいことが積み上がっていかないというか、新しいことを生み出すエネルギーが蓄えられないっていう状態なんですよね。
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やっぱりその方も次に進みたいなとか、もっとチャレンジというか、上昇していきたいなって思っている中で、やっぱりそのことが気がかりでなかなか進めないでいるという話もあったので、
やっぱり引っ張られているものがあると、部活運動部の、今だけやらないのかもしれないですけど、運動部の部活でタイヤを引いているのとかあると思うんですけど、
あの状態で前に進むのはめちゃくちゃ大変じゃないですかとか、後ろに引っ張られている状態ですよね。その状態で前に進もうと思ってもやっぱりめちゃくちゃ大変だし、何ならもう鎖に繋がれていて、進みたくても進めない状況かもしれないので、
もちろん一定のリスクはあると思うんですけど、そのリスクを結局取らないと話にならないよねっていうか、進めないよねっていう。そのリスク取り方、どこまで取れるかはもちろん人によると思うんですけど、
でも自分がまずそのリスクを大きく見積もりすぎてないかっていうことにまず疑ってかかるっていうことですよね。それってやっぱり一人だとなかなか気づけないんですよね。
人と話してて、なんか自分ちょっと難しく考えすぎてたかもって思うことが結構あるなと思ってて、え、なんかみんなそうじゃないの?みたいな。大丈夫なのこれ?みたいな。え、全然気にしてないよ?みたいな人もいるわけじゃないですか。
そうなんだ、みたいな。結構みんなポンポン行くのね、みたいな。このみんなね、みんなっていうワードが、みんながっていうのをいろいろ考えようによっては、みんなって誰?っていう話なんですけど、それをよく使う。
マイナスな時に、みんながこうだからっていうのは、なんかあんまり良くないんですけど、みんなって誰だよ?って話なんですけど、いい方向に進むように使うときは、みんな意外とこうなんだな、みたいな。
という考え方もできるのかなと。プラスにね、働くみんながこうっていうのもあるのかなと思うと。使いようなのかなと思います。みんなっていうか、こういう人もいっぱいいるんだっていう感じですかね。
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やっぱりそれがこう、当たり前の、リスクを取ることが当たり前の人っていうその環境に身を置くか、リスクを取らないことが当たり前の人たちがいる環境に置くか、自分を身を置くか。
それによって、みんなこうだからの、みんなの常識が違うんで、だったらちゃんとリスクも適切にリスクを取って、悪いことは手放して、前に進んでいるのが当たり前の人たちの環境だったりとか、人間関係だったりとか、そういうところに身を置いた方が自分もそうなれやすいと思うので。
本当それは環境の力ですよね。私にとってはそれが例えば勝間塾だったりとか、コーチングスクールのコミュニティだったりとか、スクールだけじゃなくてコーチの方たちのコミュニティだったりとか。
地域の個人事業主とか、自営業者の方たちがたくさん集まるコミュニティだったりとか。
やっぱりそれって会社員だけでやっていると、なかなかリスクを取りたがらないのが基本会社員の育ちだと思うので、やっぱりそういう育ちだけに囲まれちゃうと、じゃあ自分もってなりにくいですよね。
はい、そろそろ時間なので締めたいと思いますけれども、今日は失うリスクを大きく見積もりがちという話をしましたので、何か手放したりとか環境を変えたりとかしたいと思っているけど、
何かこう失うものが怖くて動けないみたいな方がいたら、ぜひコーチングだったりとか、いろんな人、環境の力を借りてみると何かブレイクするポイントみたいなのがあるんじゃないかなという話をしました。
はい、本日も聞いていただきましてありがとうございました。