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こんにちは、人生加速コーチののおこです。このチャンネルでは、私が会社員を辞めて、ライフコーチとして企業独立してきた過程や、これから企業復業を目指している方の背中を押せるような情報、考え方、マインドなどを発信していきます。
今日も例によって、朝散歩をしながらお話ししたいと思います。
まずいつもの告知です。今月は2つイベントを開催しておりまして、1つ目がオンラインズームによる企業復業何でも質問相談会です。
こちらは無料でご参加いただきまして、全国どこからでもズームなどで参加していただけます。先着3名様、残り1枠となっております。
今月いっぱいで募集を締め切りますので、今週ですかね、気になっている方は公式LINEの方から参加したいですとメッセージをいただければと思います。
特に企業復業をこれからしてみたいなという方でも、既に具体的なアクションがある方でも、フェーズはどちらでも問いません。
複数人でいろいろ話を聞いたり、意見をシェアしたりというところで、グループコーチング的な形で、お互い気づきのある会にしたいなと思っています。
2つ目がオフラインのコーチングセッションですね。三鷹でいつもやっているやつです。5月、6月は待っております。
7月はこれから日程調整なんですが、7月19日から8月3日の間の開催期間でどこかで出展したいと思っていますので、
もしご参加希望の方はご連絡いただければ、そこに合わせて、ご希望に合わせて日程調整できるかもしれないのでご連絡いただければと思います。
こちらも公式LINEの方からご連絡いただければと思います。
ちょっと本題に入る前にですね、軽くお話ししたいことがあって、先日メルカリでひな人形が売れたんですよ。
割と早く売れたんですよね。5月のゴールデンウィーク中に出して、そこから2,3週間ぐらいで売れてるんですけど、
ひな人形売れるのかなって思ってたんですけど、買ってくれた方がオランダの方っぽいんですよ。
多分オランダ人の友人のために日本人の方が代理で購入しているのかなっていうメッセージのやり取りの中の文脈からそう解釈したんですけど、
なるほどと、そういうニーズがあるのかと。外国の方が日本の伝統工芸品にすごい惚れ込んで集めたりとかっていうことがあるじゃないですか。
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多分そういう感じなんだろうなって思いまして、全然その売れ方は想像してなかったんですよ、出品するときに。
普通に想像だと、これから女の子が生まれます、もしくは直近生まれました、ひな人形欲しいな、
新品で買うと何十万とかして高いから安く中古でいいから手に入らないかな、みたいな人が買うのかなって思ってたんですけど、
やっぱり商品サービスって世の中に出してみないと、どういうところにニーズがあるのかって分からないんだなって、本当に答えて市場が持ってるんだなっていうのを実感した出来事でありました。
なので、自分でこれからもしかしたら企業副業をしたいなと思っていて、こういうサービスどうなのかなとかいろいろ考えている方いると思うんですけど、
何も考えずにとりあえず市場に出してみるということをお勧めします。
売れなくても何の損失もないし、逆に自分が全く想像していなかった客層から買われるみたいなことも全然あるので、
ターゲット設定は大事なんだけど、ターゲットと思っていた、自分が思っていた人とは全然違う人が買ってくれるみたいなことも全然あるので、
とにかく早く出してみるに越したことはないなと思った出来事でございました。
今日はですね、自分の過去シリーズすれば最近全然喋ってなかったなと思って、だいぶ間が空いちゃってるんですけど、
その前に通話企画でお話しした方がノートも読んでくださったみたいで、過去の話とかもっと会場でも聞きたいですって言ってくださったんで、
話してみようかなと思って、多い立ちから何回かに分けて順番に話していて、前回が高校に入学して、私は都立高校の新学校で有名なところに行ってるんですけど、
田舎の中学の優等生が高校に行って打ちのめされるっていう、よくあるカルチャーショックを受けたっていうあたりで、前回の話は終わってるかなと思うんですけど、
今日は高校3年間、3年間行けるかな、一旦話してみようかなと思います。
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打ちのめされると言っても、別に誰かが打ちのめしてくるわけではなくて、勝手に自分が周りとの差に落ち込むっていうだけですね。
自分で勝手に打ちのめされるだけ。誰も打ちのめそうとしてくる人はいない。
そういう意味ではですね、非常に人間関係が本当に良くて、今でもクラスの、私の高校3年間クラスがいないっていうちょっと珍しい学校なんですけど、
クラスで仲良かった6人のグループ、本当に数年に1回ぐらい集まりますし、あとは部活の仲間とも集まったり、個別で会ったりとかしたりするので、
恋愛がうまくいかないとか、そういうのはいくらでもありましたけど、いじめとかもちろんないし、そういう嫌な思いをするっていうことはすごく少なかった。
とにかく自分の至らなさに悩むっていう、自己肯定感がめちゃくちゃ下がった時期かもしれない。もともと低かったんだけど。
うちの高校はですね、部活を2つとか入るのも全然珍しくない文化で、運動部と文化部を1つずつ入るとか、兼部、兼部って言うんですけど、兼部してる人が3割ぐらいだったかな、当時のアンケートで。
3、4割ぐらいはいるっていう。部活入ってない人はほとんどいない。野球部とかがっつり系の運動部だと兼部する余裕なかなかないと思うんですけど、そういう感じだったのと、
私は中学の時に演する前にですね、文化祭を。そこで見た松林自建法部の演舞に一目惚れをしていたので、この高校に受かったら松林自建法部に絶対入るって決めてたんですよ。
なので松林自建法部はすぐ入りました。
もう1個、小学校ぐらいの時からバンドに憧れてたんですよね。当時やってたリボンで、バンドの漫画があったんですよ。
その時からすごいバンドをやるのに憧れてたんで、その高校にも軽音部、軽音部という名前ではなくてですね、民俗音楽研究部という名前で、民俗の俗は、
今めっちゃショックなんですけど、全然気づかずにマイクの電源が切れちゃったのかなんかで、
30分ぐらい全然撮れてない状態で喋り続けたっていうことに後から気づいて、今テイク2を話しているところです。
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これからですね、ちょっと人に会うので吉祥寺まで45分、50分ぐらい歩いて向かうので、時間はたっぷりあるので再開したいと思います。
民俗音楽研究部の話ですね。民俗の俗は、マサイ俗とかの俗じゃなくて、風俗の俗ですという説明をするところまでがワンセットみたいな部活なんですけど、
民音という通称ですね。民音に入りまして、そこでバンドを始めることになるんですが、軽音系の部活は2つあったんですよね。
もう1個はギター部という名前で、別にギターだけじゃなくて普通のバンドをやっている部活なんですけど、
なんとなく雰囲気というか、音楽性というか間違いがあって、ギター部の方は1個上の先輩に、
超ロン毛の男性で背も高くて細くて、Xジャパンに居そうな感じの人が、ツーバスかドラム叩いているみたいな感じでちょっと激しかったんで、
ちょっとこっちじゃないかもって思いましてですね。もう1個の民音の方は、1個上の女の子の先輩がドラム叩いていて、すごい感じも良かったんで、
すごい小さくて細くて、ここから女の子だったんですよ。こっちにしようという感じだったのと、もう1個決め手は新幹ですよね。新入生歓迎会ってあるじゃないですか。
そこで出しまうというか各部活の発表があるわけですけど、そこで3年生のギャルバンですね。女の子だけのバンドですね。
の先輩が出てて、シーナリンゴの曲をやってて、それがめちゃくちゃかっこよかったんですけど、さらにその女の先輩のドラムですね。
がまためちゃくちゃ派手でかっこよくて、ドラムやりたいみたいな感じになったんですよ。
特にバンドをやりたいけど、何の楽器をやりたいみたいなものは特に決まってなかったんですけど、それ見てドラムやりたいなっていう感じになりましたね。
ちょうど民音に入った同期の子が、ギターとかベースとかボーカルやりたいみたいな子がいたので、ちょうどバンドになったという感じだったかな。
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そんなこんなでですね、民音に入って、そのギャルバンだけじゃなくて、何個か途中で組み替えつつ、男の子と一緒にやったのもありましたけれども、
私はあんまり音楽好きだったけど、割と聴いてる曲がすごい狭かったんだなっていうことを痛感しまして、
みんなすごい洋楽とかもいろんなの聴いてたりとか、日本のゴリゴリのロックみたいなやつとか、
具体で言うと、例えばミッシュルガン・エレファントとか、あとのハイスタ、ロックっていうよりはあれ何て言うんですか、
今何て言うんだっけ、メロコアっていうのかな、ハイスタンダードですかね、が多分当時すごい勢いがあったので、
私そういうの全然聴いてなかったんで、こういうのあるんだっていう感じで、すごい新鮮というか衝撃というか、
ドラマすごい大変なんですけど、ハイスタのドラマってヒーヒー言いながら叩いてるわけなんですけど、
そういう新しい音楽にですね、出会ったりとか、そこでまた自分の文化レベルの低さにですね、
またそこでショックを受けるわけなんですけど、
その年の3年生が結構学校からも目をつけられてるぐらいの、ちょっとやんちゃな集団でして、
酒飲んでる、全員タバコ吸ってる、全員髪染めてる、全員ピアスあげてるぐらいの勢いの雰囲気だったんですよ。
学校自体は制服もないし、髪を染めようが、ピアスをあけようが、別にそれは全然自由なので、他の部活にもいっぱいそういう人はいたんで、
全然それ自体は悪いことじゃないんだけど、お酒もね、当時はやっぱりちょっと緩くて、
普通にみんなやってるよねみたいな感じではありました。
私が高校卒業する年ぐらいに、高校生で多分飲酒でなくなっちゃった子とかがいたんで、
かなりそこから厳しくなって、年齢確認とか必ず必要になったりとか、そういう感じになってたんで、
卒業するときはそれこそあんまり堂々と居酒屋でみたいなことができなくはなってたんですけど、
逆に1、2年の頃は普通に新入生歓迎会とかも居酒屋でやるみたいな、全然普通でしたね。
特にうちの学校は制服がないので、みんな私服ですし、近くに大学もあるので、
普通に大学生ですみたいな顔をして、一級っていう安い居酒屋あるじゃないですか、
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あそこによく行くわけなんですけど、そこで会員カードを作るんだけど、
一応生年月日書くんだけど、何年出かけばいいんだっけみたいな感じで、
一応裸足になるように計算をして会員カードを作るみたいな、そんなゆるい時代だったわけですよ。
そういう感じで、そこにまた私はカルチャーショックを受けるわけですよ、田舎の中学生が。
6人遊びに、遊びにっていうか、いわゆる遊び的なことをしたこともなかったし、
本当に勉強と部活しかしてきませんでしたみたいな、私はいきなり何でもありみたいな感じのところに入ったわけなので、
自由って聞いてたけど、そういうことみたいな、マジかよみたいな。
でも結構そこで考えが変わりまして、いわゆる高校デビュー的な感じですよね。
中学の時ももちろん噛み染めたりとか、してるヤンキーみたいな子たちはいたわけなんですけど、
絶対先生に怒られるわけじゃないですか、おい何だその頭は、みたいな感じで、
荒れてる中学の先生はだいたい先生も荒れているので、もうそこでいざこざみたいな、
先生と生徒のいざこざみたいなのが日曜3時なわけですよ。
そういう思いをしてまで、なんであんなことするんだろう、バカかなって私は思ってたんですよ。
なんですけど、別にやってもいいんだよっていう環境に行ったら、じゃあやろうかなみたいな感じになりまして、
普通に入学してすぐ、割と早々に噛み染めて、ピアス開けて、みたいな感じでしたね。
やっていいんだったらやろうかなみたいな感じで、順調にお酒も飲むし。
タバコだけは1年生の時はまだ吸わなくて、2年の時に民音の後輩からもらったのが初めてのタバコみたいな感じでしたね。
2年生からはしばやく吸ってましたかね。
髪染めてるんだけど、ピアスも開けてるんだけど、少林寺憲法部の大会の時は、
多分規定上ダメってことはないんでしょうけど、やっぱり雰囲気がですね、
そういうところで厳点されたらもったいないよねっていう感じでもありますし、
そもそも公立高校で少林寺憲法部があるところってすごく珍しくて、大会とか行くとほとんど私立高校なんですよ。
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なんでみんな身だし並みをきちっとしてて、そもそも髪染めてる子自体がほとんどいない。
なんなら男子は坊主とか当たり前みたいな、そういう感じだったので、
明らかに茶髪の集団が行くと、なんだあいつらって思われるので、
大会の時だけヘアスプレーで頭真っ黒くするみたいな、
だからその胴着の襟足のところがスプレーで黒くなっちゃうみたいな、そういう感じ。
あれね、シャンプーするの超大変なんですよ。黒いスプレーで頭洗うともうお風呂真っ黒なんですよ。
汗とかかくからもうすでに汗かいてる時点で黒い汁垂れてくるしみたいな。
そんな感じではありましたけど、結構全国大会の比較的常連校でもありまして、
全然先輩では全国大会優勝した人もいるみたいな、そういう感じの学校ではありました。
その指導者が非常にいい方だったので、
小林知事の本山の流れを踏んでいる、階層と呼ばれる方にも直接指導を受けたことのある、
そういった方が監督で外部から来てくださってたので、
その話は何回か前の放送でした気がするんですけど、というのもありましたし、
歴代のOBの方も部活に関わってくれていて、
普段の練習にも来てくださる大学生から社会人、20代、30代ぐらいまでの方がよく練習にも来てくださったりとか、
合宿にも参加してくれたりとかですね、という環境ではあったので、
結構順調に、私も全国大会が行っているんですけど、
香川県の、あ、そうだ私四国行ったことないと思ってたけど、香川行ったことあるんだ、その時だけ。
香川県の田土町というところですね。
そうだ、1回、1回かな、行ってますね。
そんな感じなんで、そのOBが練習来ます、帰り飲み行きます、みたいなのも全然当たり前だったし、
部活以外にも、動員といって、いわゆる道場ですね、地域にある道場でも練習させてもらってたので、
部活と動員のはしごみたいな日もありましたね。
部活終わってから動員行くって、夜9時くらいまで練習してみたいなのもありました。
あとは大会前とかだと、部活は毎日使えないっていう関係で、
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道場が他の部と、柔道部とか剣道部とかと一緒に使ってるから、使えないっていう関係で、
地域の体育館に行って練習するっていう日もあったんで、
そうするとですね、移動がすごい大変で、最初の頃は電車で、電車20分徒歩20分くらいかけて通学してたんですけど、
その動員に行ったりとか、他の体育館に行ったりとかっていうのが、結構移動が大変なんですよね。
そこから電車乗ってとか、歩いてとかなると、地元の子はチャリだったりするから、
チャリの方が早いんですよね、全然。
なので私も途中からチャリで行き始めまして、電車で20分、家から最寄駅まで徒歩10分弱、電車乗り換えで20分、
徒歩20分、だいたい45分くらい、チャリで行っても同じくらいだったんですよ、結局。
雨降った時だけはちょっと最悪なんですけど、それ以外は学校の服もそうだし、
いろんなところに体育館とか行ったりするときも、
全然チャリの方がお金かかんなくて早いみたいな感じだったんで、
普通に1日少なくても学校との往復で1時間半、
体育館とかに入れたら往復2時間くらいチャリに乗ってるみたいな、
という日が全然珍しくないみたいな、そういう生活をしていたので、
その頃からチャリンコだったらどこまででも行けるっていう下地が当時からできていましたね。
チャリ最強っていうのはその時から叩き込まれているんですよ、私の中には。
途中で壊れて大変な思いをしたことがあったんですけど、引きずって帰るみたいな。
そんな感じで部活をやり、2つですね。
県音の方、民音の方もスタジオ、学校の部室が使えないときはスタジオで練習したりとか、
っていうのもありましたからね。
そんな感じで部活に、伸び会に勤しんでいる傍ら、
うちの高校はですね、部活だけじゃなくて行事ですね。
イベントごとも非常に盛んな学校でして、
メインは文化祭と体育祭の応援ですね。応援団のやつが2大挙党みたいな感じなんですけど、
それ以外にも新入生歓迎会とか、
あと同じぐらいの頃に大工、
米東弁の大工ですね。
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通常年末に歌われる曲だと思うんですけど、なぜか春だった曲があるんですけど、
大工演奏会っていうのがあって、それで歌うんですよね。
そういうのもあったし、とにかく行事ごとも多いから、
でかつ文化祭は、3年生はクラスで演劇をやるというのがずっと伝統なので、
それもあってたぶん3年間クラス替えがないのか、どっちが先なんだろうな。
3年間クラス替えがないからそういう文化ができたのか、どっちかわかりませんが、
最近クラス替えをみたいな投票というか、打つ気があったらしいんですけど、
結局クラス替えしないっていうことになったみたいですね。
3年間一緒だからこそ、絆はすごい深くなるんだけど、会わなかった人最悪じゃないですか。
超つらいじゃないですか。
そういうのがあって、やっぱりクラス替えをするかみたいな話になったっぽいんですけど、
クラス替えをしない前提でみんな2年生の頃から来年の劇どうするみたいなことを考えているので、
なくなったみたいですね。
そういう感じなんですよ。
3年生の文化祭9月が終わるまではずっとその劇のことをやってますし、
それなりに大道具小道具もしっかり作って、教室が夏休み中工事でずっと体育仕事してるみたいな、
そういう感じではありますし、部活によっては3年生の夏ぐらいまで、
野球部とかですよね。
やってるわけじゃないですか。
という感じなので、受験勉強に本腰入れるのが3年の秋からっていうのが当たり前みたいな、
そういう感じでして、
それでも東大、京大はじめ有名な一流大学に現役で合格するような子も結構いるんですよ、
なぜか。
なんで、みたいな。
でもなんだかんだで留年してる人も、留年?老人か。留年じゃない。
老人してる人も多いわけなんですけど、
私は全然大学は中堅のその高校行ってその大学なのって言われる感じのところには行ってるんで、
特に自慢するようなことでもなんでもないんですけど、
一応現役では合格できましたという感じではあります。
とにかく勉強、本当に頭いい人はやってるんでしょうけどね。
いつ勉強してんの?っていうような感じの人でも、
なんだかんだいい大学行くし、やってるし、
やってる人は見えないところでやってるんだろうなって思いますけどね。
もう私なんかは宿題すらやるのが手一杯で、それにプラスローンの勉強なんて全くできた記憶はないんですけど、
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しかも授業中も眠気との戦いだし、
それこそ自転車で通学してるときも線路沿いに行くときも、
スラムダンクのルカワ・カエデが寝ながらチャリンコをこいでるシーンあるじゃないですか、
本当に目をつぶって朝日に向かって目をつぶりながらチャリンコをこいでるみたいな、
そんな日もよくありました。
それぐらい眠気との戦いだし、
昼休みも、昼休みはだいたい昼練の時間なんですよ。
何かしらの行事か部活の昼練の時間なので、
昼練をするために弁当を買って、
昼練をするために弁当を買って、
昼練をするために弁当を買って、
その時間なので、
昼練をするために弁当は2時間目と3時間目の間の
15分ぐらいの中休みで速弁をするっていうところまでが文化になっている学校なんですよ。
忙しいときだと朝練、昼練、夜練みたいな、
常に毎日何かしらが入ってるみたいな状態なんで、
で、往復、チャリンコとかでめっちゃ漕いでる感じなんで、もうヘトヘトなんですよね、毎日。
うちの高校は、中学受験で疲れているようでは、うちの高校の3年間を持たないっていうふうに言われているぐらい、みんなそういうハードな生活を、
しかもアルバイトとかもしている子もいますから、そんな今に。
感じではあるんで、バイトも別にオッケーなんで、バイトしている子もいましたし、私も短期のバイトとかは結構やってましたけど、
いつも帰ったら力尽きて、ソファーでもう動けなくなって、
寝落ちしてたんですけど、疲れすぎて痙攣してたらしくて、ピクピク、ピクピク、痙攣してたらしいんですよ、自分全然わかんないですけど。
それでめっちゃ母親に心配されましたね。
親はね、たぶん相当呆れてたというか、うちの子はどうしちゃったんだっていう感じでしたね。
もう不良になってしまったと。
もう髪は染めるわ、ピアスは開けるわ、酒を飲むわ、タバコもたぶんバレてたと思うんですけど、タバコは吸うわ、朝から晩まで帰ってこないわ、みたいな。
相当ショックだったと思いますね。変わり果てように。
そんなこんな非常に充実していた、忙しくも充実をしていた3年間ではありましたけど、
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子と恋愛に関しては全くうまくいきませんで、結局高校3年間は彼氏はできなかったんですけど、好きな人は何人かいたんですけど、
ことごとく振られるわけですよ。
全然今考えると当然でして、まず前回の話を聞いた方はご存知かもしれないですけど、
中学の頃に一回虚職症、いわゆる接触障害になって、一回激痩せしてからの反動の過食で太っているわけですね。
さらに受験の時期もそこからあるので、動かないけど食べる、みたいな感じでパンパンだったんですよ。
今より10何キロ、すごい太っていたわけですね。
まず太っている、私服の学校に行きますけれども、私は全然ファッションとかに興味が今までなかったからダサいわけですよ。
しかも子供の頃からどちらかというと、わりと極度の人見知りだし、友達少ないし、
中学の時はさらに病んで友達いません、みたいな感じで圧倒的にコミュニケーション能力が低いわけですよ。
コミュニケーション能力低い、かつ文化レベルも低いんですね。
普通に同級生とか後輩とかが美術館の話、私この人の絵が好きで、とかそういう話をしたりとか、
公園中の古着屋がみたいなファッションの話をしたりとかして、全く意味がわからないみたいな感じなんですけど、
そういう話もできないし、音楽もそんなに詳しくないから、音楽の話もできないし、
民音の男子とかも飲み会で何の話をするかと思ったら、自民党が政治の話とかし始めて、
私政治、いまだに政治の話はできる自信がないけど、
高校の時の私なんて教科書に書いてあること以外何も知らないみたいな、そういう感じでしたからその話にも入れないし、
全然面白くないですよね。かわいくもないし、ダサいし、話も面白くないし、みたいな。
別に明るいわけでもないし、みたいな。モテる要素がどこにもない。
というちょっと残念な高校生でございましたので、なかなかうまくいきませんでした。
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しかも高校の頃って大体モテそうな人がモテるじゃないですか。
いわゆるかっこいいっていうか、女子は基本的にかわいい子。かわいくて明るくて、みたいな。
少女漫画に出てきそうな。勉強もできて部活もできて、みたいな。
男子はめちゃくちゃかっこいいか、すごい面白いか、大体どっちかみたいな感じですよね。
勉強できるとか、なんかさらやっぱりそういう引い出てるものがある感じの子が立ちがつきあったりするじゃないですか。
どれにも当てはまらない私みたいな。それそうだわ、みたいな。
当時はなんでだろうとか思ってたけど、今冷静に考えて当然ですね。何もモテる要素がなかった。
ではあるんですけど、唯一認められた、承認されたポイントとしては、
少林寺憲法部の首相は男子がやってたんですけど、副首相には選んでいただいて。
先輩が選んだのかな?ちょっと忘れましたけど。立候補生ではなかったんで、選んでいただいたというところで。
ようやく胸を張れるものが一個できたなっていうのが、2年生のだから終わり、秋ぐらいですかね。
それ以外で特に誇れるものがないなぁ。
ドラムは高校から始めた割には、上手いよねって言っていただけることは多かったです。
地域フェスみたいなやつの予選会っていうか、オーディションがあって、
それに受かって野外フェスで演奏するみたいな、そういう経験もさせてもらったんで。
部活も全国大会も出てますんで。
ようやく自分の人生史の中で、それなりに輝かしい日だったなというのが、やっぱり高校が転機でしたかね、いろんな意味で。
なんか一番、高校生だからっていうところもありますけど、
その自分の無知さゆえの、なんていうかな、今思い起こすと恥ずかしいことばかりなんだけど、
でもこう自分の思った通りに思ったことを言ったり、やったりということができるようになった。
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自分の意思でこれをやりたいと思って、あそこに関して全力でコミットする、みたいな。
徹底的にやり込む、みたいな経験を、中学の時もやっていましたけど、走るっていうことに関しては、
体を壊したりとか、やっぱり心身を壊してましたけど、心身の状態が良いというか強靭な状態で、さらにやり込むっていうですね。
部活も2つやってたし、勉強はちょっとやり込めてなかったですけど、余力なさすぎて。
でも多分3年のその後完全に部活行事が一切終わってからに関しては、コミットはしていたかなとは思いますけど、
スケジュールで言ったら、もしかしたら社畜時代の私と同じぐらいだったかもしれない。
というかその頃の下地があって、社畜で頑張れちゃったみたいな。
そういう基礎体力がですね、その高校3年間で結構出来上がったみたいなところは、あったかもしれないですね。
今思うと、あの生活できてたんだから、できるよね、みたいな。
そんなところでございます。なかなかここまでお付き合いいただいた方いるんでしょうか。
もしいらっしゃいましたら、いいねを押していただいて、何か思ったこととか感想とかありましたらコメント等もいただけると嬉しいなと思います。
そろそろ待ち合わせの時間になりましたので終わりたいと思います。
本日もお聞きいただきましてありがとうございました。