1. タイマーが大好き
  2. #5 地味に頑張れジミー
2021-06-04 1:45:39

#5 地味に頑張れジミー

第5回目のゲストは地味に頑張れジミーa.k.a「菅原充」さんをお迎えしました。 

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Facebook☞ 菅原 充 

  1. 菅原 充 ジミーの由来。 
  2. 剛柔流空手からの将棋(ファンキーウェポンと同じ将棋教室)の話。 
  3. 中学、高専時代はバレーボール部の話。 走る前はバイカーの話。 初レースは富士山麓トレイルラン。
  4. HOPEの悪魔にやられる話。 
  5. 生田緑地練参加の話。(練習前から第一関門ありw) 
  6. 木曜日もくもく階段練の始まりの話。(きっかけは田中さん!?) 
  7. 厚木大学との出会いの話。 レースの話。(信越五岳、日光マウンテンランニング) 
  8. ヤビツ峠目指せSUB1の話。
  9.  目標はUTMF30時間。
  10. ONTAKE100MileSUB24時間の話。 
  11. 海外なら家族も安心HURTの話。 

★編集後記★ とにかくいつもアンテナを張っていて、些細な会話の中でも、役に立つ情報は記憶し、それをすぐに実践。

凄く頭を使いながら練習する点や、貪欲な姿勢は私も見習わなければいけないと思いました。 

口調も常に穏やかで、本当に何を言っても包み込んでくれる懐の広さをが僕は好きです♡ 

今年中のヤビツSUB1期待しております!! 今後とも練習やそれ以外でもよろしくお願い致します。 

コロナ落ち着いたら是非とも呑み行きましょう。 


質問・フィードバック等は「#welovetimer」「#Timers」と付けTwitterより投稿お待ちしてます。 ドネーションを募集しています。ポッドキャスト維持に役立てますのでよろしければこちらからお願いします。 www.buymeacoffee.com/welovetimer

00:06
8時になりましたんで。
行きますか。よろしくお願いします。
はい、すいません。よろしくお願いします。
はい、じゃあ本日も始まります。タイマーが大好き。
今日第5回目です。よろしくお願いします。
お願いします。
はい、よろしくお願いします。
で、ちょっとゲスト紹介の前にですね、Twitterでも田中さんがおっしゃっていた。
田中さん、最近足指のパーができないっていう話をされそうじゃないですか。
知ってたね。
右足が。あれどうですか。
あれはね、徐々にできるようになってはいる。
本当ですか。
ただなんか本当にその活気的にパーにはなってないけど、できるようになった。
で、どうやってるかっていうと、お風呂入って足裏をほぐして意識的にパーにするとか、普段からパーにするとか。
あとね、結構聞いてるのが、ポーラテックかなんかで売ってる赤いイボイボのあれを持ってる。
球体のやつですか。
そうそう。それを踏みながらやると結構開いたりするね。そんな感じ。
自分も仕事中、テニスボールを足元に置いてパーにすると結構あれ開きますよね。
そうだね。ボールを下にやると結構開くね。
そうですね。でですね、今私実は昨日Amazonをこっちにまして、じゅんこさんおすすめの足指元気君。
足指元気君。
ハードLサイズを買いまして、ちょっと今つけてるんですけど、めっちゃ伸びますよこれ。
あれって何?そういう風に形付けるっていうのが特徴なのかな。
だと思いますね。これつけてバランスボードを乗ったんですけど、安定感が全然違いますよ。
バランスボード?
はい。一つ足の平らになったボードをちょっと乗ったんですけど、やっぱり原田さんにも言われたんですけど、
ちゃんと足の指が開いてるとどこにも体重が、力がかからないって言ったんですけど、まさにそんな感じで今日乗れましたね。
最近藤田慎さんがバランスボード乗っけてるインスタの画像とかをストーリーから上げてたんで、
そういう足指元気君をやると効果的なのかね。
どうなんですかね。私が今日足指元気君つけてバランスボード乗ったんですけど、つけてるときとつけてないときの安定感は全然違いましたね。
そうなんだ。そこまで買うかちょっと悩んでんだよね。一応YouTubeとかで足指をパーにするやり方とかっていうのを見て、
03:01
日々はやってるんだけど、あれをちょっとなかなか広がらない場合は買おうかなと思います。
ハードとソフトがあるんですけど、私はハードを買いましたんで。
買うならハード。
水を通さないみたいなんですよ、これ。なのでお風呂とかそのまま足浴もできるみたいなんで。
ちょっと足指元気君の回し者みたいな発言をしてますけど、ぜひ機会があれば。
家で仕事してるから今の時期だったら、靴下履かずに仕事もできるんであれば。一日やってそうだけどね。
買うかな。
ただちょっと最初は痛いっすね、今。
そうだね。最初パーできなかった。全然右の親指が動かなかったんだけど、徐々に動き出してはいるんで。
人間の体ってそういう風にやっていくとちゃんと動くもんだなっていうのをね、結構感心してるね、自分自身だけど。
私は小指が引き裂かない人なんで。
俺逆なんで小指がすげー開くんだけど親指が全然動かなかったね。
小指力入れるとき田中さんどこに力入れてるんですか?
いや別に全体的にパーにしようと思ったら勝手に小指はパーになるよ。
本当ですか?
小指が一番開くかね、そういう意味で言うと。
自分小指が全然開かないんですよね。
親指は大丈夫なんだ。
親指はすげー開くんですけど、小指がどんなに頑張っても、多分田中さんの親指と同じような感じだと思うんですけど。
人間の体面白いね。
面白いですよね。
ちょっとまずこの足指を開くことをちょっと意識して。
ランニングフォームの安定に向けて。
私も審査、ランニングフォームの安定に向けて頑張りたいと思っております。
参考になりました。足指ギリス君、元気かいですね。
そうですね、足指元気君、ぜひ皆さんも興味があれば調べてみてください。
じゃあ第5回目、ゲストをお呼びしたいと思います。
ジニーさんこと菅原光さんです。
よろしくお願いします。
そうですね、私とジニーさんが出会ったのは多分去年。去年のやびつ?
去年のやびつですよね、多分。
そうですね。
テングって走ってました?
そうなんですよ。自分も調べていた中で、ジニーさん2018年のテング5ループされてるじゃないですか。
はい。
その時も私いたはずなんですけど。
そこでファーストコンタクトしてる?
06:00
そうですね、ファーストコンタクトはそこですね。
で、たぶんジニーさんも1時間4分とかで走ってたんですかね。
そうですよね。
で、そのまま、あのイベント、世田谷のものづくり学校の。
ああ、あれだ。
あれ、でもその前にバックヤードってことじゃなくて。
あ、そっか。
バックヤードをやって、暇になったからやびつに行ったんだもん、だって。
そうでした、そうでした。
完全にそれ抜けてましたね。
第一回のバックヤードの時でしたね、それは。
そっかそっか、それがありましたね。
もしかしたらその前のテングって話でしょ。
そうですね。
2018年、自分4ループしかできなくてヒーヒー言ってましたよ、あの時は。
懐かしいです。
で、ちょっとですね、今更感がすげーあるんですけど。
はい。
今、普段僕たち、ジニーさんジミーさんって呼んでるじゃないですか。
はい。
この前ちょっと小室さんとも話したんですけど。
はい。
自分たち、なんでジミーさんがジミーさんっていうか知らないんですよね。
ああ、そうですよね。
そうです。ちょっとその由来をまず聞いてからですね、話を進めさせていただきたいなと思うので。
その由来でいうと、もう生田緑地の練習のときに、まだその当時は友さんが高尾に引っ越される前で走ってるときに話をしている中で、
なんかこう、あの時はたぶん田中さんと、あとべっぷくんと、ていしゅくんもいたのかな。
結構いて走ってる中で、なんで行くと走ってるのかみたいな、いろんなその話をしていく中で、
ジミー、べっぷくんかな、ジミーに強くなるっていいですよねみたいな会話になって、
それで、ジミーに強くなるっていいね。
じゃあ、ジミー、ジミーちゃんだねみたいな感じなのが最初ですね。
友さんがやっぱり降りてきたってことですか。
そうですね。
ジミーだからジミー大西つながりで、ジミーさんって言われたら、
ジミー大西の返しがありますよね。
やってるやってるって言いなよぐらいの感じで最初は言われてたんですけど、
いやちょっとそれは厳しいですみたいなことの話はした記憶がありますね。
そこはお前も頑張れよじゃなかったんですね、ジミーちゃんでも。
一応ジミー大西もこの返しがちょっとあるんですよね。
お前も頑張れよってやつですか。
ジミーちゃん頑張れって言ってたらお前も頑張れよっていう返しがジミー大西あるんですけど。
09:01
その返しはなかったですね。
これはちょっと使えるかもしれないですね。
ランニング中に。
今日の題名あれだよ、ジミーに頑張れジミーはまさにそれなんだよ。
なるほど。
ちょっと一瞬それかなと思いつつもやっぱり本人に聞いてみるのがやっぱり一番いいのかなと。
それがそうですね、それが由来というか。
もともといくった緑地で言うと4周も走れないぐらいの走力だったんで。
一気に強くなるっていうのはもちろんできないんで。
本当気づいてたらちょっと何かいつの間にか強くなってるよねぐらいの感じで。
徐々に走力つけたいなっていうところでジミーっていうところに繋がってるっていうのがありますね。
出世後的な感じ。ちょっと違いますかね。
最終的にはトモさんと話してたんですけど。
本当すごく強く仮にすごく強くなったらジミーが変わったって言うんでジミ編だねっていうような話まで。
かっこいい。
そうなんだ。どこまで知らなかった。
そこまでは言ったんですけど今のところずっとジミー止まりですね。
かっこいいですね。
最終的にはパープルヘイズとかルートチャイルドとかかけながら出てくるってことですよね。
かっこいいですね。
すげえかっこいい。
ジミー編になりつつはあるよね。
そうですね。確かに。
どうですかねけどもう時期が時期なんでこれからどんどん落ちていく一方の季節に。
季節とかじゃなくて年を重ねるごとに強くなって。
そうですね。年を重ねるごとに確かに。
常に今が一番早いっていう状態ではあるのかなっていうのは。
素晴らしいですね。
そういう意味ではミツル軍って年いくつだっけ。
今年で42になります。
42か。
1978年の9月28日。
79ですね。
9月28日で生まれが宮城県岩沼市と。
そうですね。
ちょっとびっくりしたんですけど自分の、私斎藤なんですけど斎藤家の本家が渡りなんですよ。
多分隣ですよね。
隣ですね。
そうですよね。
それをちょっと調べていく中でびっくりして。
よく調べられたね。
フェイスブックの出身地が。
で、Googleから岩沼ってどこなんだろうなと思ったら隣が渡りで。
近いぞって。
あっちゃんの田舎なんだ。
12:01
うちの父親の斎藤家の本家があるんですよ。
渡りっていうところに。
そこは一帯がほぼ斎藤家だった気がしますね。
昔小さい頃言った記憶あるんですけど。
のちょうど川?川ですか?川じゃない。
なんか挟んでちょうど隣があれなんですよね。岩沼市。
阿部熊川があって渡ってっていう感じですね。
阿部熊川ってなんかありますよね。
歌じゃない。あれはもがみ川でしたね。失礼しました。
あれは宮城で言うと広瀬川じゃないですかね。
広瀬川でしたっけ。
なんかありますよね。
むねさん。むねさんの広瀬川。青葉城こういう。
佐藤宗之さんですね。
そうです。
とはいってもあんまり誰もわからない感じですよね。
すいません。ありがとうございます。
ジミさんは岩手。
ございます。宮城県の岩沼市で。
一番まず自分が食いついたところっていうのが、
田中さん大変申し訳ないんですけど、
まさかの同級生がプロレスラーがいるという。
そうですね。プロレスラーがいますね。
現在新日本プロレス。
今はちょっと違いますけども、
一回ジュニアチャンピオンにもらった
ファンキーウェポン子の田口隆介。
そうですね。田口くんとは小6の時に
よく将棋クラブというか将棋させてました。
ジミさんその時は特に運動はされてなかったですか。小学校の時は。
小学校で言うと小学校3年生から、
一応公式空手というか、
フルコンタクトって言ったらいいんですかね。
こちら横浜に出てくるまでの20歳までは、
それを道場というかそこに通ってやってました。
10何年。12年ぐらいですか。
そうですね。8歳。小3だと8歳ですかね。
9歳。8歳9歳。
11年ぐらいですね。
竜派としてはどこ竜空手になるんですか。
竜派はゴージュウリュウですね。
ゴージュウリュウ、なるほど。
何ゴージュウリュウって。
ゴージュウリュウって合気柔術とかありますよね。
なんですかね。
正直ルーツがどこなのかわかんないですけど、
沖縄なのかなと思ってたりもしていて、
千葉先生っていうところがいたので、
多分派閥があって、
あんまりよく詳しくないんですけど、
ゴージュウリュウを精進してました。
15:03
で、田口選手の将棋もやりつつ。
ちなみに始めたきっかけは。
どうぞ。
始めたきっかけ。
空手ですか。
最初、野球かサッカーやりたいっていうようなことを言ったんですけど、
それじゃなくてこんなのあるよっていろんなのを見た中で、
空手が見学に行ったらすごく楽しくてっていうのがきっかけですね。
特にこれ空手をやりたいって言って始めた感じではなかったですね。
じゃあ親分の勧めで何かスポーツやりなさいと言って、
で、その中で見に行った中で空手が楽しそうだったっていう。
楽しそうだったっていう感じですね。
でも話、ちょっとジムさんこのまま話聞きますと、
スーパーセーフっていう顔の剣道の防具の網々のところがプラスチックになってるやつですよね。
そうですね。防具としてはスーパーセーフっていうメント堂をつけて、
一応素手でやるというかボコボコすかやるっていうので、
一応皮むけないようにテーピングだけ1枚巻いてっていうところではやってましたけど。
それあれですよね、今で言うミャンマーラウエーみたいな感じですよね。
それ何ですか?
ちょっと気になる人はぜひミャンマーラウエーでYouTube見てもらうとなかなか激しい。
素手のキックボクシングはミャンマーの広告でやるんですけど。
ああそうなんですね。
頭突きもありだっていう。
じゃあ防具つけて手には何もつけずにバンテージ1枚だったんですね。
そうですね。ただ小学生の時は剣サポーターをつけてっていう。
はいはいはい。
中学ぐらいから徐々に剣サポーターをやめてっていう感じでしたね。
チミさん、昔からやっぱ身長高かったんですよね。
どうでしょうね。小学校6年生の時163ぐらいですね。
中学校の時は80ぐらい。
でけえ。
中3で80ぐらいですね。
で高校が高専なんですよ。
高専で5年後に89ぐらいになって、
社会人に入ってから91、90ぐらいを今うろうろしてる感じです。
やばいですね。小学校6年で自分のほぼ同じ身長ですよ。
ご両親はやっぱ大きいんですか?チミさん。
いや、大きくないと思いますよ。
うちの父親が67ですね。
18:00
母親が155とか6とかだったはずですね。
じゃあそんなに大きいわけではないですね。
他のバレーとかバスケに勧誘とかされなかったの?
中学と高専の時はバレーボール部に所属してバレーをやってました。
ポジションはどうだったんですか?バレーは。
ポジションはセンターかレフトかっていうところですね。
じゃあ結局フロントの方で活躍されてたってことなんですね。
そうですね。打つ方。
ウイングスパンで考えたら多分2メートル余裕で超えますもんね。両手の長さで考えると。
どうでしょうね。それぐらいは多分あると思いますよね。
それが空手でやったら超怖いですね。
いやーけど、何ですかね。やった結果痛いのはあんまりいいかなみたいな感じになりましたけどね。
まあ確かに。ローキックとか地味に痛いですからね、本当に。
そうですね。ローキックとか基本的に、自分がやってたフルコンタクトっていうか、
それはローキックとかはつかみとか投げとかは次の技に繋がらなければダメっていうのがあるので、
ローキックをしても次へ繋げないと反則取られるかな。ポイントにはならないっていう感じですね。
で、スーパーセーフつけてるのは顔面もありってことですかね。
顔面、あれですね。あれがまた結構脳震盪っていうか、結構脳が揺れて倒れやすいというか。
いやーそうですよね。
失神自体は1回経験してますね。
うわー。それは記憶は大丈夫だったんですか。
記憶は当たった瞬間でほんと瞬きみたいな感じで、
瞬きしたと思ったら、体育館の横に寝てたっていう。
よく一体何があったんだみたいな横でやってるのをまさにそういう感じでしたね。
じゃあ完全にもう脳が揺れちゃったんですね。
揺れて運ばれたのもわからなくて、自分としては0.1秒ぐらいの間隔だったんですけど、目を閉じて開けただけっていう。
実は倒れてたっていうのはあります。
その後、自分1回だけ膝が当たってノックアウトした日の夜に全身痺れて、
あの時初めて死を意識したってことはありますけど、それから大丈夫だったんですか。
21:03
それは特になかったですね。
ああ、じゃあ良かったですね。
手首も1回試合が終わったら折れてたっていうことはありますね。
まどれなりに寝てるとわからないですよね、ほんとに。
そうですね。右の手首が1回試合が終わったらすごく痛くてっていうのがあって、たぶん折れてるみたいな。
じゃあバレーボールもしながら空手もやられてたってことですか。
そうですね。
バレーボール自体は宮城県の中で結構県大会というか、そういったところも。
いやいや、もう弱小チームですね。中学は、中学の時は岩沼は4校だけなんですね。
岩沼に4校中学があって、そのうち玉浦中学校っていう中学があるんですけど、
そこがバレーボールがめちゃくちゃ強くて。
県で全国とかいくレベルだったと、中学校ですごく強くて。
それもあるし、もともと自分が言ってた中学は弱いっていうのもあって、もう相手にならないっていうか。
子供と大人の試合みたいな感じでした。
じみさんの前情報で聞くと、そこの同じ中学校の先輩で、あれですよね、元全日本女子のカオル姫こと。
そうですね、菅山カオルさんが1校上の先輩でいて、だから女子バレーがめちゃくちゃ強くて。
女子の練習が優先みたいな感じはちょっとありましたけどね。
宮城ってあれですよね、古川商業?
古川商業、古川女子?古川商業。
女子って強いですよね、あそこって。
そこにカオルさん、菅山カオルさんがいて。
なるほど、そうなんですね、やっぱり。
もともとアタッカーだったんですけど、そこの高校は最終的にセッターをやってたと思います。
全日本の時ってアタックというか、攻撃の人でしょうね。
だからもう何でもできちゃうみたいな方だったんでしょうね。
バレーブ自体走ることはどうだったんですか、じみさんは。
走り込み自体もあまりやってなかったですね、他の部活に比べたら。
飛んで跳ねてみたいな練習が多かったような気がします。
持久走的なところはあまり中学の時はやってなかったですね。
24:01
じゃあどちらかというと、シャトルランというか。
とか体育館でやって、ジャンプしてっていう、コート内をジャンプしていくみたいな練習とか、そういうことをやってましたね。
で、高生でもバレーボールされてて。
そうですね、高生は逆に5年先輩が、1年生の時に5年生がいるっていうのもあって、
最初1、2年生ぐらいの時はほぼ帰宅部みたいな感じではありましたね。
高生って5年じゃないですか。
どうなんですか、高生って。全然自分、イメージがわからないんですけど。
どうなんでしょうね。クラス替えが一度も自分たちの台はなくて。
そうなんですか。
もう機械か何かみたいなので、5年間ずっと一緒なんですけど、
自分たちの下の台からは一応クラス分けがあって、
デザイン課っていうのがあったんで、そこは男の人の方が人数が少なくて、女性が多いっていうので、
クラス替えをするとそこもごちゃごちゃシャッフルされるんで、
なんかいいなーっていう感じで見てましたね。
人生はちなみに何課だったんですか。
機械課で女性は1名いました。
でも高生ってそんな感じですよね。
そうですね。どちらかというと、そっちの色の方が強いかな。
地味さんは高生は家から通われてたんですか。
家から通ってました。
私ごとで、さくらまなさんも高生ですよね。
そうなんですね。
多分あの方全寮生で。
けど寮の人も確かにいましたね。
いたんですよね、やっぱり。
福島とか、宮城の他の他県から来てる人とかもいたのかな。
高生って選択肢自分なかったんですか。田中さんありました、高生って。
いや、なかったけど、周りで言ってたやつはいるよね。
高生に行くとあれだよね、一応短大卒の資格なんだよね、あれって。
単的に受験しなくていいなっていう。
それは確かに。
そうですよね。
羨ましさはあったけどね。
ですよね。受験したことはお互いに言うことなんですけど、
もうちょっとちゃんと進路を考えればよかったなと思いますよね。
高生、すげえって。
本当に機械科だとずっとやっぱり、
普通の授業ってあるんですか、自分たちで言う。
例えば国語算数理科社会的な。
国語算数理科社会的なものは3年生の前期ぐらいで終わって、
あとはもう専門的な工作機器を使ってとか、
27:03
単像をやってとか、旋盤使ってとかっていう、
そういう実習をしたりとかっていうのはありましたね。
楽しそうですね。
結構楽しかったですね。
旋盤機とか、じゃああれですか、ヘラ絞りみたいなのもやったんですか。
ヘラ絞りまではやってないです。
なかなか難しいんですよね。脇とか使ってグイグイ伸ばすのが。
旋盤も使った。楽しそうですね。
楽しかったですね。
田中さんは普通科ですか。
俺はここは普通科だよ。大学が電気電子工学科っていう。
電気回路とか電子回路とか、そんな感じの分野のところかな。
電子回路とかもう見えない世界というか、すごく苦手でしたね。
機械をやってると見えないのが全然わからなかったですね。
まだそれでコンピューターのハードウェア系とかそういうのに行く人は多かったけど、
自分は就職でなぜかソフトウェアに行っちゃったんで、全然知識を生かしてないっていう。
そんな感じです。
ジミーさんは学生、機械科ってロボットじゃないですか、そういうの作るみたいな感じだったんですか。
よく高生のロボットコンテストとかあるじゃないですか。
あれは一応部活というか、ロボットコンテスト、ロボコンブみたいなところがあって、そのメンバーが主にやってるみたいな感じですね。
あれね、今でもスギー熱いですよね。
結構面白いですよね。
そこで卒業されて就職されて。
ちなみにそこから走り始めたきっかけっていうのはどういった経緯になるんですか。
そこからですとしばらく走ってはいなくて。
全然運動もあまり。
運動はしてないですね。どちらかというとバイクにずっと乗ってたっていうのか。
どういった感じのバイクだったんですか、それは。
いわゆるフレームとかを切って溶接してとか改造してっていう。
チョッパーバイクっていうんですかね。
長瀬富屋みたいなやつですよね。
そうですね。
に乗ってました。
それは何ですか、就職して横浜に来てからも実はそれは。
そうですね、最初は横須賀に住んでたんで。
この前あっちゃんが第1回目で言ってたようにYRPに私も行って。
30:02
行ってましたね。
そこに。そうなんです。
YRPの研究所に3年間ほぼ拘束みたいな感じで3年間そこにいて。
そこから横浜に戻ってきたという感じですね。
本当に話またYRPになっちゃいますか。
あれプリズンブレイクですよね、あそこ本当に。
いや、なかなかのとこでしたね、あそこは。
だからYRPの時はほぼカレーしか食べてなかったですね。
いや、自分もそうなんですよ。
食に意識を持っていかずに歯を磨くのと一緒で一連の流れでカレーを食べてるみたいな。
10日になったらカレーみたいな感じですよね。
そうですね。ローズテリアっていう真ん中にレストランがあってそこに行ってましたね。
今がどうかは全然私もわからないですけど。
そうですね、わかんないですね。
精神衛生上いいところでもないと思うんですよ。
今言ってる人に言ったら怒られちゃうかもしれないですけど。
で、そこで横浜に出られて走り始めた。
その当時その会社の先輩であったりとか同期であったりとかっていうのを
みんな交戦から集まってきた人たちで、
そこで遊ぶ仲間がいて、
走るというよりも11人生サッカーやったりとか、
あと自転車乗ったりとかっていうところで、
サッカーのときはちょっと自分が鎖骨を持っちゃって、
それでちょっと収束してったっていうのがあるんですけど、
その後に登山を始めてっていうところで、
トレイルランニングにつながっていくみたいな感じですね。
最初は登山からなんですね。
そうですね、ハイキングというか。
当時パタゴニアというか旗から見たら走るような格好で、
リュックはグラナイトギアのいわゆるペーパートレイルとかそういうのを背負って、
どっちなのみたいな感じの状態で歩いて登ってたっていうのがあります。
そこから、どうぞ。
それは渡辺くんとか、菅原渡辺くんとかでやってたんだ。
そうですそうです。
はいはい、生田の方ですよね。
生田緑地で一緒に走るメンバーの方です。
菅原兄弟って言って、三津くんも菅原だし、渡辺くんも菅原っていうことで。
はいはいはい。
渡辺さんの方が年上の先輩なんじゃないですか。
33:01
先輩です。
そうなんですよね。
で、そこから結構、道具を軽くしたりとか、
やっぱり日帰りでちょっと遠いところに行くと、どうしても日帰りで帰ってきたいねっていうところもあって、
徐々に軽くしていってっていう中で、
その中でトレイルランニングっていうのがあるみたいだよみたいなのになって、
で、トレイルランニングを始めたっていうのが走り始めたきっかけですね。
それが何年前ぐらいなの?
それが2011年ですね。
一番最初に出たのが2011年の10月のフジ36トレイルランっていう。
はい。
それ、立花先生ですかね、プロデュースのレースが初めて出たレースになります。
そういう意味じゃ俺より経験長いんだな。
そうですね、もう10年。
そうなんですか。
僕は始めての12年からだから。
けど同じぐらいのタイミングってことですね。
ただそこからもうほとんど練習という練習はせずにっていう感じだったので、
当初走り始めた2011年のときも、
普通にまだショートホープを吸ってる。
青いやつですね。
吸いながら走ってるっていう。
吸いながらじゃないですね。
吸って、終わった後も煙草吸ってみたいなことをしてたような感じだったんで。
あの頃ショートホープたぶん120円ぐらいの頃ですよね。
そうですよね。
一箱。
たぶんそれぐらいですね。
ですよね。
じみんさんもどちらかというと、自分もそうですけど、
マラソンっていうよりも直にそのままトレランに。
そうですね。
トレランしたって感じなんですね。
そうですね。
陸上競技場で走ったことはなかったですね、一度も。
なるほど。
走り始めた2011年。
2011年、はい。
に、富士山ロクトリエルラン18キロロングに出られて。
そうですね。ロングで18キロっていうベースでしたね。
いまだにでもこれロング18キロなんですよね。
ちょっと今日調べたんですけど。
そうなんですね。
はい。
今年はちょっとコロナの影響でやっぱり中止になってましたけど。
ここからがちょっと私が興味深いのがありまして。
はい。
ジミーさんが11年からちょっと自分が調べた限りだと、
一番古い情報が2015年だったんですよ。
ITJは72.5キロの12時間55分17秒っていう。
はい。
もうジミーさんって一番ちょっと取材がやりやすかったんですよ、実は私。
36:04
そうなんですね。
はい。こと細かに全部インスタにタイムと順位まで書いてくれてるんで。
すげえやりやすくて、ほんとこれありがたいなと思って。
で、そこからの4年間っていうのは、
じゃあ本当に走ったり走らなかったりだったんですか。
それとも結構その4年間は結構もう本当に走ることは結構メインとしてやられてたんですか。
どちらかというと、練習っていうのはあまりせずにレースを出てレースを出てみたいな感じで。
はい。
感じでずっと来てたような感じですね。
で、どちらかというと、本当にレースが練習みたいな。
そうですね。レースをして次のレースにみたいな感じで。
ちょうどそのITJのインスタの最初のやつが70キロを初めて走ったので、
おそらくその前にエントリーしてたんですけど雪で確か中止になったやつ。
そうだっすね。
あれ15年?
そうですね、その前の中止になりましたね。
14年が中止になってる。俺もエントリーしてたかな、確か。
で、15年で12月になったんだよね、確かね。
そうですね。
それが初めての70キロでしたね。
その前は東炭沢トレイルランニングとか、
あとは炭沢とか、あとは押し野高原とかに出てたような感じですね。
レースだけで言うとジムさんめちゃくちゃ出てますよね、今聞こえてると。
そうですね、本当レースで繋いでたみたいな感じだったんで。
レース出て走るのが楽しいっていう感じでした。
どれぐらいでしたの?年間で。
どれぐらいですかね。月に1回、だから5レースとかは出てたと思うんですけどね。
5レース、6レースは。
年間で。
ただその間、特に走ったり、ルーチンで走ったりっていうようなことはせずだったので、
特に走力も上がることなくみたいなので、ずっと来てましたね。
で、ちょっと先ほど出てた生田のお話なんですけども、
陣にさんが生田に初めて練習に参加されたのは2000何年になるんですか。
18年。
それは18年なんですね。
18年だっけ。
UTMFが天気が良くて、川口ホゴールの時って18年ですかね。
唯一その天気が良かったっていうのは。
39:00
それを私走って、走って、単走はしたんですけど、
なんかもう本当自分に不甲斐ない、なんていうんですかね、もう反省というか、なんでこうしてないんだろうみたいな、
悔しい思いしかなかったんで、それでやっぱりしっかり、
ちゃんと向き合うって言ったらあれですけど、
トレイルランニングをしっかりやりたいなっていう強い思いになって、
っていうのがきっかけですね、練習をちゃんとやりたいって思ったのが。
そうだね、ちょうど18だよね。
そこで、その後奥口のレースもやってたんですけど、
それがちょっと自分が中国に行く出張と被ってしまって、行けなくなってしまったんですけど、
悔しいんでちょっと雰囲気を味わいに、一人でちょっと奥口の受付まで行って、
DNSしてきたっていうのがあるんですけど、ちょっと雰囲気だけ味わいに行った時に、
これもベップ君とかテイシー君がいて、そこで会った時に、
話をしてたら、じゃあちょっと生田来たらいいじゃんみたいなことを言われて、
けど走ってるメンバーがもう本当すごい方々ばっかりなので、
いやーと思ったけど、やっぱり自分が強くなりたいなっていう思いの方が強かったんで、
もう迷惑かけてもいいから行こうと思って、トモさんに連絡したっていう感じですね。
あれ、トモさんに連絡したんだっけ、その当日。
なんか来た感じだったような記憶があるんだけど、
あー、してたしてた、してて、あれだ、駐車場が分かんなくて、
トラップに引っかかったって話だよね、あれ。
そう、トラップに引っかかったんですよ。
例のやつね。
トモさんに連絡したら、ここに集合だからってピンが打たれた地図を送られてきたんですけど、
そのピンがもう全然違うところに刺さってたんで、
そこのピンに行くと普通の住宅街の駐車場に着いてしまって、
もう時間も、もう集合時間もあと数分っていうところでもう終わったと思って、
とりあえず降りて行ったところがちょうど集合場所だったっていう感じですね。
その時たまたまあれなんだよね、いつも集まる場所じゃなくて、
使えなくて、違う集合場所にしたのかな。
たまたまそうだよね、それで分かりにくかったんだと思う。
それでトモさんにちょっとピン刺さってた場所が違いましたって言ったら、
第一関門通過おめでとうって。
落ちるまでちゃんとついてたんですね。
作っていただきました。
素晴らしいですね。
それが最初ですね。
じいさんが受付しに行ったときに小畑さんとベップさん、
その時からお二方とは認識はあったってことなんですか。
42:03
ベップ君は、九州に友達がいて、
九州からベップ君がすごい強いランナーが来てて、
一回飲み会をしたんですよね、野外で飲み会をしたときに、
初めてベップ君に会ってっていうのが最初ですね。
なるほど。
小畑さんはその時初めて。
だと思いますと、初めてだったかな。
多分初めてかどこかで、もしかしたら会ってたかもしれないですけど。
普通に話をしてという感じでしたね。
二人とも後から知ったというか、その時は普通に話してたんですけど、
後から同級生だっていうことも知ってっていう感じですね。
同級生なの?
同級生です。同い年ですね。
じゃあ、定州君とベップさんと?
そうです。
そうなんだ。
あの二人が同級生っていうのは知ってたけどね。
79年世代ってことなんですね。
79年ですね。
79年にしては皆さん大人ですよね。
どういうこと?
自分と2個しか違わないんだと思って。
俺が子供なのか?
いや、でかいだけじゃないですかね。
いや、そんなことはないです。
素晴らしい。
もう大人にならないとダメだな。
ありがとうございます。
で、生田に参加されて。
でもやっぱり相当生田に参加するのに勇気いりますよね。
いや、もう全然ついていけなかったですね、最初は。
なので、完全に一周とかもいないっていう状態がやっぱり続きました。
田中さん、一番最初にジミーさんの記憶にありますか?
最初に参加した時は、コンプリートしてるんだけど、
多分その後にやったやつで、
みつるくんが脱水で、いくたの中で遭難しかけて、
遭難しかけましたね、確かに。
100マル100タイムズで出てくるヤング。
あいつに発見してもらって、
介護してもらったっていう話がしてる。
はい、介護してもらいました。
全員練習が終わってというか、
みんなも解散している途中のヤングに助けてもらった感じですね。
それは季節的には夏ですか?
夏、夏。
夏、夏ですね。
45:00
いくた陸地で遭難って、正直なかなかあれですよね。
そうだね。
あとは、
全身つって。
そうだね。
あと3週で、僕とトモさんで、
みつるくんが、ちょっと今日はやめたほうがいいよっつって、
肩となっきをしたっていうのが1回あるかな。
1回あります。
ちょうどあれですね、
1回登って、2回目あそこの展望台の方行って降りてくるぐらいのところで、
ここから真っ直ぐ行くともうゴールというかショートカットできるかなっていう感じで、
3週で足切りっていう感じでしたね。
気分的にはどうでした?悔しさが出てくるというか。
悔しいですけど、自分の今の実力はそれが精一杯っていう感じだったんで、
しょうがないですよねっていう感じですね。
お鼻水垂らしてもう出るような状態だったような感じでした。
でも3週越えて、自分もそうですけど、なかなかそういう体験ってしないじゃないですか。
ないですね。
何とも言えない気分になりますよね。
何とも言えない気分になりますよね。
ただ、いろんな練習方法があると思うんですけど、
やっぱり最初は走れそう力がない状態での最初はもう、
こういう機会というか、本当にトップランナーの人たちと一緒に走れるっていうことは、
つまりそこの背中をとりあえずもうとことん追うっていうことをするのが、
一番の近道かなっていうのがあったんで、
とりあえずそこで追い込むっていうことだけを考えてやってましたね。
それでもう今じゃあ、もう3年やられてるっていうことですよね。
2021年なんで、約3年ぐらいですよね。
そうですね。
ようやくちょっと世間話じゃないですけど、
いくた緑地でちょっと話してっていうような感じにはなりましたね。
それまでは話すことも、それこそ携帯も持たずになるべく軽くして、
話すパワーも使わずに黙々とついていくみたいなこと。
なので田中さんと結構2人の時もあったんですけども、
会話がほとんどないっていう時間の方が多い感じですね。
それはすげーわかります、その気持ちは。
ちなみにいくたの時にすみません、
カルピスっていうのは地味に終わった後に飲むカルピスの量っていうことでいいんですか?
そうです。ちょうど止めてる駐車場にカルピスソーダが100円で売ってるので、500が。
48:04
毎回終わった後にそれを補給するかしないかっていう感じです。
あれ結構楽しみにしてるんですけどね。
自分の中で今日何本飲んだのかなと。
夏になるとチンカチンカの氷を背中に入れてっていうのは。
そうですね、氷を持たないとちょっとつらいですね。
実は最近スタート場所変えて100円の自販機は使わなくなっちゃったんだけど。
そうなんですか。
だから最近カルピスソーダはずっとゼロ感なんですよね。
確かに言われてみればそうだ。そういう背景があったんですよね。
昔はね、いくた緑地の練習って、いくた緑地の駐車場に止めてたのよ。
ほんと一番最初。
それが友さんと始めた時なんだけど。
そこだとね、1回行くと400円くらいかかるのかな。
そこから、いくた緑地の北口にタイムスがあって、
そこが朝の7時までに止めると2時間100円なのよ。
安いですね。
何かっていうと朝5時の前に止めると、例えば4時49分に止めると、
4時59分まで止めると8時59分まで200円で止めれるんだよ。
めちゃくちゃ安いですね。
朝を5時にスタートしてる時は、そこに止めてれば200円で行けたんだけど、
最近スタート6時にしてるんだよ。
そうすると、だいたいいくたって2時間半くらいなのよ。
そうするとね、だいたい300円くらいかかるから、
今はちょっと離れたところにスーパーがあって、
そこのスーパーに止めるとタダなのよ。
スーパーが朝何時くらいの駐車場?
多分ね、結構早く、もう1日空いてるのかもしれないんだけど、
そこに止めて走り行って、終わったらスーパーで買い物して帰るっていう感じで、
タダになってるっていう感じかな。
いいんすよね、私。
1回くらいくらいじゃん。面白いよ。
調べると多分始発でここに乗って、
最寄りの向こう側かゆいに着くのが6時3分なんですよね。
だからあれ6時10分にしてんじゃん。
スタートを。
で、そっから多分いくたになると忙しない気がして、
じみさんとその話したんですよね。
51:03
いくた走る前に死んじゃうんじゃないかみたいな話をしてて、
ダッシュで行かないと間に合わないみたいな話をしてて。
別にちゃんと待つよ。事情はわかってるんで。
ハギさんとかは多分それで来てるのかもしれない。
あ、そうなんすか。
そうだと思うよ。
でもなんか待たせんの悪いかなっていう、また無駄な気を使っちゃうっていう。
まあでもね、1回来てみると面白いと思うよ。
なかなか今、前は北口からスタートしてたのを今変えてるんで、
負荷が上がったよね、みつるくんね。
そうですね。ちょっと負荷上がってますね。
最後のほうはちょっと流すというか、最後のほうが楽になる感じで追われるっていうのはあるんですけど。
でもそう考えるとじみさん、火曜日ポイント連されて、
土曜も場合によってはポイント連されて、
かつたまにやび詰まるじゃないですか。
木曜日に黙々会談連やられてるじゃないですか。
この黙々っていうのは生田に参加される前、どのくらいからやられてたんですか、多分その友彦さんたちと。
それも、生田緑地で走っている中で、会話の中で田中さんに、
今の状態で他に練習何やったらいいですかねみたいな話をした中で、
坂連か会談連じゃないっていうようなことを言っていただいて、
そのときに、あ、男坂で会談あったなっていうのが始まりです。
あっ、じゃあ発起人自体がじみさんってことなんですか。
そうです。
毎週木曜、それをルーティン化しようかなと思っていて、木曜にしようって決めて、始めたときに、
そのとき、水曜日にランボーイズランガールズのグループランに。
ありますね、はい。
そのときに友彦さんとか、あとはつつみさんですね、友ちゃんとかに会って、木曜日に会談連を。
そのとき、だから2回目、自分が最初1人で1回目やって、2回目か3回目のときから、
友彦さんとか、つつみさんが一緒にやるっていうことで始めたっていう。
じゃあ結構2018年がじみさんにとって、本格的なガチな練習じゃないですけど。
ガチガチにそうですね。
やろうと思って。
黙々練はじゃあ俺のおかげでできたってことね。
そうですね、ありがとうございます。
54:02
水木さん風に言うとおじきって呼ばなくちゃいけないかもしれない。
いやおじきじゃないんじゃない?直だから。
そうですね。なんですかね、その場合。
いや師匠でいいんじゃない?
師匠でいいのか。
黙々の師匠になりますね。
でも今結構あれですよね、階段だけじゃなくてインターバルとかも結構辛そうなことをやられてますもんね。
そうですね、そこも階段をやってというか、最近いろんな会話の中でインターバルが足りないんじゃないかっていう話が結構上がってたので、
ちょっとインターバルをやろうかなっていうので始めた感じです。
定期的にじみさんやびつも、黙々の方ともやびつに行かれてますもんね。
そうですね、ただやっぱりインターバルをやり始めたらやっぱり若干そのやびつとかもちょっとタイムは上がってるのかなっていう感じはするので、やっぱりインターバルも大事だなっていうのが最近。
あれあと何秒でしたっけ?16秒でしたっけ?
あと16秒です。
1キロ1.5秒縮めりゃいけんだよね。
そうなんですよね。
タイム的に言うとそうなんですよね。
確かに。
でもなかなか厳しいですよね。
いやーけどその時はもう本当に、よく田中さんとかと走って、おっくんとかあっちゃんとかと走った時に、
菜の花台までをもう全力で行こうみたいな。
そこを目標に行こうっていう感じで走ったら本当に菜の花台で打ち上がってしまって、
もう残りのその3キロちょっとっていうのがもう本当苦行でしたね。
で最後はもう本当ダッシュして、でもやっぱ16秒足りなかったっていう感じだったんで、
ここから16秒縮めるのかっていうのは結構、うーんっていう感じでしたね。
あとはちょっと自分の1キロのペースとかを見て、どこをどう詰めればいいのかなっていうのも考えた方がいいのかなとは思ってますけど。
確かに傾斜としたら菜の花台のところって大した傾斜じゃないんですけど。
一番あの3キロって俺も好きじゃないですね、多分。
10キロぐらいのところが一番きついですね。
きついですよねー、わかりますそれ。
でもあっちゃん、あっちゃんサブワンやってんだからなんかアドバイスないの?
そう、アドバイスください。
えー、私ですか?
身の毛から菜の花台までは我慢でしたね。
そこを逆に我慢して。
我慢っていうのは辛い我慢なのか、ペースを上げない我慢なのかっていうこと?
ペースを上げないでしたね。私がやったとき田中さんが多分ペーシングしていただいて、
57:03
その時に1人、私と一緒に並走してた方がいて。
あの巻き箱だけ?
ケントが後ろにいて、あれですね、何でしたっけ?
鎌田くんか。
鎌田さんっていう花台がいて、鎌田さんがすげー田中さんについてて、
でも別に菜の花台からあそこってそんなにきつくもないじゃないですか、まだちょっと元気なんで。
で、多分鎌田さんが結構田中さんに必死についてたんですけど、
自分はとりあえず10メートルぐらい田中さんの後ろにいればいいやと思って。
で、菜の花台が見えた瞬間に、ここだ!と思って。
で、そこから結構スパッとして。
菜の花台、そうか。
確か57分とかだった気がしますね。57分30何秒とか言われますね。
いかにそうでしたね、菜の花台までどうあんまり力使わないで走るかってことは考えてましたね。
菜の花台43分でちょっと余力があれば行ける感じだよね。
そこでいっぱいいっぱいだと、一つの基準43分だよね。
そこで余裕度があって行けるかどうかかなって感じだよね。
で、結構身の毛の入りが19分とかだったんで。
これ早いなって思ったんですよ、自分の中で。
で、1分のちょっと余力があったんで、ちょっと抑えようかな。
でも完全にたぶん田中さんにぴったりくっついちゃうと、もう終わっちゃうんで、EMSさんで。
そこが一番頑張りましたね。
だからこの前は菜の花台は43分ぐらいで行ったんですけど、そこでもう力尽きてた状態で。
身の毛21分ぐらいで菜の花台43分とかっていう感じの方がいいかもしれないね。
確かにそうなんですね。
でも田中さん、確かに自分も田中さんに言われたのが、身の毛、菜の花台っていうところの途中途中があったんで。
だからあんまその途中途中しか考えてなかったですね。
身の毛まで何分で入って、菜の花台何分で入って。
で、あとの3キロはもう青い看板あるじゃないですか、500メートル大きなポールっていうんですか。
もうあれを目標に頑張るしかなかったって感じですかね。
いやでもあれ一人じゃ無理でしたね、多分。
そう、一人じゃきついですよね。
きついですよね。
で、途中で田中さんが、俺ちょっと牧場を迎えに行くよって田中さんが1キロぐらいでいなくなっちゃったんですよ。
あれでちょうどあれだよ、菜の花台だよ。
そうそうそう。え?と思って。
そこで心が、天使とオケマが現れたんですよね。
お前はもう田中さんいいから大丈夫だよって。
いいよいいよって言う俺と、田中さんはお前の1時間切りを絶対待ってるよって言う俺がすげー言って。
1:00:07
じきるとはいるじゃないですか、どうしようって。
でも歩いてもいいんだよなってすごい弱さが出て。
そしたら田中さんが急に後ろからブワーって来て、これやばいと思って、天使が勝ったんですけど。
すげー早かったです、本当に本当に。
じゃあ今年中には1時間はジムさんじゃもう。
寒くなってからですかね。
そうですね。
それまでちょっと力を貯めて。
いやーいけんじゃねー、それも上がってくるからさ。
最近だって火曜日だってやべーと思いますもん。
最後の3本にかける意気込みが。
最後の3本にちょっとかける意気込みが。
最後の3本絶対勝てるじゃないですか。めっちゃすげーとなってる。
先週はちょっとダメだったけど、その前の時はもうかなり頑張りましたね。
ただ3本目はもう落ちちゃいましたけど。
煽られてるやつですよね。
煽られてます。
確かに。
ってことは厚木大学の人っていうのはその前からジムさんとの交流があったんですか。
厚木大学の真部君との交流は新越のレースの時ですね。
その新越っていうのが確か19年、ジムさん完走されて。
完走できなかった時の年。
じゃあ18年か。18年が確か大橋で都学審の前であれですよね、DNFされたっていうのが。
その時に、幾多の時に、完走はちょっとまだ厳しいかどうかなーぐらいのことで言われてたら、まさにそんな感じになってしまったっていうのはあって。
その時に、英語で真部君が厚木大学のメンバーとか英語をやってる中で、被災さんとかとも真部君がいろいろ交流があった中で話しして仲良くなったという感じです。
真部君も同い年でっていうのもあって。
そうなんですね。
それで仲良くなったっていうのがあります。
あれ、ジムさんって2019年って日光マウンテンバラードで出ましたっけ。
19は出てます。
出てるよね。
閉鎖してたよね。
出てますよ。
閉鎖してました。被災さんの閉鎖を。
そうですよね。
で、その時に、ゴール前で俺と、私とおっくんと小室さんがゴール前でずっと、ああでもない、こうでもないってやってたんですけど。
その時に厚木のどなたかのお母さんから両手に乗り切らないぐらいの流角さんを私もらいまして。
あれですね。
なんで?
わかんない。自分がずっと喋ってたんで、なんか喉は大事にしなきゃダメだよって言われて、
1:03:04
本当に両手に抱えきれないぐらい、ほぼ一袋流角さんもらって。
もうちょっと、舐めれないじゃないですか。一気にそんな流角さんなんて。
流角さんののは喉にいいの?
いやわかんないです。すげえ手がベタベタになったっていう思い出があるっていう。
本当にどうしようもない話なんですけど。
じゃあ2018年っていうのは、結構ジミさんの中で大きい年だったんですね。
大きい年でしたね。かなり意識が変わったというか、レールランニングに対しての意識が変わった年なのかなと思います。
さっきのお話で、MFっていうのがまた43時間46分59秒。
もうボロボロでしたね、本当に。
でもゴールシーンはね、息子さんと娘さんと一緒にゴールしてるシーンは見ましたね。
いやもうずっと、もう本当にいつ組んだよみたいな感じになったみたいですけど。
僕と20時間差?
そうそう、そうですね、20時間差。もう二重曲がりでずっと座って、もう気持ち悪くて、ずっと二重曲がりでずっと段を取ってましたね。
その年はあと日光も出て、天狗もゴループだったんですね、18年が。
シンエツDNFでは?
シンエツDNFで。
大橋でDNF。その時が27時間9分6秒で、大橋でDNFされたみたいですね。
で、2019年がシンエツ100マイル完走で32時間37分30秒。
それも途中で気持ち悪くなってしまって。
目納さんでもうほぼマーキングしながら登って降りて、登り下りですね、下りでもうほぼマーキングしながらっていう感じでしたね。
でもそれで32時間ってすごいなあと早いなって思いますけど。
いやー、もっと、ちょっと、もう少し走りたいなっていうのはありましたけど、全然後半走れなかったんで。
途中もう佐久さんとかになんかすげー背中ちっちゃくなってるぞみたいな感じで背中叩かれて、っていう感じでしたね。
ちなみにあれだよね、18年のシンエツをDNFした理由がハンガーノックだったんだよね。
そうですね、ハンガーノックでしたね。
あそこの牧場というか、あそこで走ってその後にもう全然一歩が出ないというか、走ってもすぐ休みたくなるみたいな感じでしたね。
1:06:04
けどリタイアもそこで次のところまで行かないと運ばれないんで、そこまでなんとかとぼとぼ歩いていって、そこで温かい粉飴を飲ませてもらったらなんかちょっと回復してしまったっていうのがあって、悔しい思いをしました。
あー、そういうことね。リタイアをしてから行ったんだ。
はい、そうです。リタイアをしてから行きました。
あー、それは悔しいですね。
そうだ、その時に話したの、ハンガーノックになったら一気にジェルトレが治るよっていうのを後に教えたんだけど。
そうですね。
それまで行くたでってことですか?
行くたで、うん。ハンガーノックになったんですから、治し方はこういう風にすれば治るよっていう。
へー。
もうちょっと早めに聞きたかった情報ですね。
まあけど、そこを経験してっていうのはある意味良かったのかなっていうのはありますけど。
この年、その前は温滝百景。
いや、温滝はその後ですね。
19年ですね。
あ、その後がね。
うん、19年です。
13時間24分、34秒と。
これでもあれですよね。実は結構辛いって話は聞いたことあるんですけど、辛かったって話は。
温滝百景は?
温滝百景は辛かったですけど、特に故障もなく走り切れたっていう感じではありましたね。温滝百景は。
ちょっと何か聞いた話なんですけど、この時点でつつみさんが11時間ぐらいだったんですよね。
つつみさんはその前の。
前の年。
あ、前の年か。
そのタイムをうんちゃらって話は聞いたことあるんですけど。
そう、11時間何分っていうのがあって、最初走ってたらそこ、あれそれぐらいで行けるかなと思ったんですけど、後半やっぱちょっとペースが落ちて、いやこのタイムでつつみさんが行ったのすごいなって言いながらゴールしたっていう感じです。
まあでもベンチマークとしてはね、コースが違う周回だったから。
そうですね。
まあわかんないよね、そこは。
逆回りっていうのはありましたね、確かに。
逆回りっていう、なんかいつもと違う感じだったんで。
あと雨だったよね、すげえ。
雨でしたね。
最初スタートというかもうずっと雨だったようなイメージが強いですね。
いやーもうあのレースはなんか、俺膝が痛くて、膝がずっと痛い今も走った感じだったけどね。
あ、そうなんですね。
えー。
9時間台で。
9時間45分ぐらいかな、確か。
そうですね。
100キロ9時間ってことですか。
そうだね、ゲミって102、3キロあったけど。
そうですね、100キロっていう看板が立ってましたからね。
立ってたね、ここが100キロかよつって。
1:09:02
はい。
いやー異次元だな、100キロ9時間とか。
やべえなあ。
まあその時、かぶらぎさんもですね、かぶらぎさんに負けたくねえなっていうのはあったけどね。
目標がすげえ高いですよね。
いや、かぶらぎさんも調整レースだったからね。そこまでガチでやってたとは思えないけど。
うん。
もう1037人中119位っていう、ほぼ上位1割ってことですもんね。
おお。
温太刑の時。
おお、みたいですね。
一応その14時間切りっていうところをちょっとターゲット。
ああ、まあそうですよね、100マイル。
っていうのがあったんで。
いやでもこうやって見てると、やっぱり自分が言うのも本当に何様だよって思うかもしれないですけど、
やっぱり18年以降急に結構カンって上がってますよね、やっぱり。
そうなんですよ。やっぱり継続は力なりというか、やっぱり続けてやるのは大事だなって。
そうですよね。
あんまり比べるかどうかわかんないですけど、日光の安定マラソンも16年の時は5時間21分で30キロだったのが、中8年になると5時間5分とか。
まあ多分コースも違うと思うんで。結構でも13日光好きですよね、見てると。
日光好きですね、あのレースは結構楽しいなと思います。
それもあれですか、雰囲気的にほとんど、景色というか。
景色もそうですし、なんか毎年出てるようなイメージ。
そうですね、はいはいはい。
まあでも地味さん見てると、やっぱりこういろんな方との交流があるのが楽しそうですよね、友達が少ない僕からしてみたら。
いやーけど、どうなんでしょう。
みんなにいろいろ走り方を教えてもらってもらってるみたいな感じのところがありますけど。
まあ確かに地味さん、自分たちも火曜日夜、練習終わった後に一緒にお風呂入ってるじゃないですか。
そういうときは地味さんがうまいですよね、聴き上手というか、大きく受け止めてくれるっていう、すげえ女子みたいなこと言ってますけど。
なんかそういうのを、俺だけかな、大きく包み込んでくれるみたいな優しさを感じるんですよね。
そうなんですね。
田中さんどうですか、それを感じるかどうか分かんないですけど。
まあそうだね、三鶴くんは心優しいよね。
こっちは別に変なこと言わないんですけど、大きく言っても、実はこうなんですよって言っても、いやそうだよね、こうだよねっていう、
1:12:06
受け止めてくれるんだっていう、なんですかと。
ちょっとわがまま言っても許されそうなそんな感じ?
そうですよね。
ちなみにレースの話に戻ると、やっぱり2019年の新月があれだよね。
まあ結構それなりに三鶴くんにとってはいいタイムだったんじゃないかなと思うけど、その辺はどう思う?
32時間、32時間。
そうですね。唯一そこの潰れたっていうところはあるんですけど、それをなくしてもいいペースで走れたのかなっていうのはわかります。
ただちょっとその後のTDTとかで走ったりとか、
アレーシンがやる時期があったときとか、
もうちょっとやり終わったのかなっていうのはありますね。
そういう意味ではTDTはすごくいい走りをしてるよね。
最初抑えて最後の方に上がって、
あとのTDTとかで走った音のマネジメントっていうところを考えると、もうちょっとやりようがあったのかなっていうのはありますね、そこのところは。
そういう意味ではTDTはすごいいい走りをしてるね。最初抑えて最後の方に上げてって、結構早めにゴールしてたのがすごいなと思って。
安定感が増したみたいな、そんな感じを見てて思ったけど。
嬉しいですね。
そうです。最初100マイル24時間っていうのをペースで判断すると、意外に1キロのペース遅いなっていう。
それが積み重なっていくとどんどんそれが早く体感として感じるっていうのは、バックヤードで話されてたって誰かが話してますよね。
上野さんが。
上野さんですかね。っていうのはあると思うんですけど、意外に普段走ってるペースっていうことを考えると全然遅いなっていうのがあったんで、そこを常に意識しながら行くと、最初の走り皆さんすごい前走ってるなと思いながら走ってた感じですね、TDTの時は。
僕がだいたいスイーパーみたいな、前半スイーパーの役割をしてるんで、だいたい一緒に走ってたような感じだと思うんで。
そうですね、はい。
だけど折り返しになると、どちらかというと前の方にいたから。
そうですね、前の方で。ペースはほぼ落とさずにというか、同じような感じでずっと走ってたっていう感じですね。
あれがやっぱりでもね、極意かなと思うよね。ちゃんとペーシングを守って、最初から最後まである程度同じペースで行けば、そこまで潰れないっていうのはね。
そこはすごい体感できたところが、そこがすごい学べたなというのがありますね、TDTは。
ジミンさん、総括だったら勉強熱心なところありますよね。吸収力高いというか。
1:15:05
結構多分上野さんの話も、多分あれですもんね、終わった後になんだかんだ話してた中での会話を、多分記憶されてたってことですよね、今のお話がかかってると。
そうですね、けどその数字っていうところはあんまりまだ深く入り込めてないっていうのはちょっとあるなというのはありますね。
けど最近、いくたもそうですけど、各ポイントポイントでのタイムをちゃんと測って走るようにはして、そうすることによって一人で行ったときもそのペースで負荷を調整できるなと思いながら最近はやってますね。
確かに常々いつも田中さん言ってますもんね、ポイントで時間を見てると。
そうだね、いくたは何箇所か見るポイントがあるんだよね、必ず。
そこで早いか遅いかっていうのをある程度見ながらペーシングしてるね。
田中さんというか、たとえばあっちゃんとかがいくたに来たときはおそらくペースがちょっと早まるっていう傾向があるんですよね。
早い人が来ると、最初の入りがちょっと今日早いなっていうのを後ろで感じながら走ってます。
いやいやいやいや、そんなこと私たぶん、俺たぶん地味に走ってないと思いますよ。
おりえさんがツイッターで340キロ私走りましたって言ってたけど、俺より走ってましたからね。
俺だっていつも月間300キロぐらいしか走ってないんで。
ジムで走ってるのは入れずにみたいな感じですか?
あれ入れてですね、たぶん。トレ見で。
でもあれ補正してくれるのだって。
そうなんですか?
ストラバとかだったら別に補正しないっしょ。
しないしない。
なんとなく腕振ったので距離に関差してるだけだから、正しいかどうかちょっと微妙だよね。
まあでも300キロ走ってればいいんじゃん、とりあえずは。
ジムさんはよく黙々と遠野崎の方でしたっけ?行かれてたんで。
遠野崎、そうですね。
一人、早い若者というか同じ高生出身の高丸くんっていうパートナーがいて、
ちょっとそこを60分ギリ押したいっていうようなことで。
60分ギリしたの?
ギリしてましたね、はい。
そうなんだ。早いね。
自分がガチで遠野崎走ったのはほとんどやったことないから分かんないんだけど。
1:18:03
周りからの話を聞いてるって多分早いんだろうね。
けどっていうのもあれですけど、遠野崎、途中やっぱりハイカーさんがいるんで、
そこを止まって、世間話というか挨拶して行ってっていう感じなんで、
やびつ峠よりも休める、変な詞で休めるポイントがあるというか、
だからポイントポイントのインターバルみたいな感じのイメージでやってた感じですね。
そっか。でもね、走る場所じゃねえよ、あそこは。
また走りかけるの?
個人的に思うにはね。
走れないですね。ほんと登ってるだけっていう感じではありますけど、自分は。
小林くんがやってますね。
小林くんはほんと早いですからね、あの人。
早い、確かに。
エンティミさん今年はトラックもやられてますもんね、週末に。
まだ2回しかやってないですけどね。
でも5000TD20分ギリで初めての5000TD19分ギリってすごいですよね。
そうなんですかね、わかんないですけど19分47秒でしたね。
あれね、でも第2年を走ってるんで、マイナス20秒ぐらいだと思うけどね。
間隔で19分ちょっと20秒ぐらい。20秒ぐらい早い感じだと思うよ。
そうですかね、なんか調整はしたようなことは言ってましたけど。
ほんとに?
だから多分そのタイムなのかなっていう感じはしますけど。
ずっと第2年走ってたんじゃないの?
ずっと第2年走ってました?
ずっと第2年走って、スタート位置が違って、スタートとゴールが一緒だったらあれだよ。
多分一緒だよね、12週半。
第1年走ったら12週半になるかな、確か。
それより少なかったら多分調整されてるんだろうけどね。
なんかもう何週走ったかもわからないというか、
そもそも何か1周のペースすら最初掴めなかったという感じで終わった感じですね。
難しいな、第2年走っちゃって難しいんだよね、400mじゃないから。
藤森が使えないからね、第1年が確か。
いや、あれ使えんだよ。
そうなんですか、今インスタ見てるんですけど使用禁止っていうポールが。
違う違う違う、使う時に。
なるほど。
あそこの人に行って使わせてくださいって言って、どかしてやって終わったら戻したらいいんだよ。
そういうルールがあるんですね。
1:21:01
そういうルールがあるんですよ、藤森は。
だから別に大丈夫ですよ。
だからこの前LDAでタイムトライアルしたときはちゃんとそういう風に断ってやった感じかな。
そうなんですね。
この藤森の写真がまあ友さんにしか見えないんですけどね、インスタの。
ちなみにジミーさん、これも本当にどうしようもない質問なんですけど、
いつ頃ぐらいからホットキャスト聞いてます?って聞かれるようになったんですか。
一番聞かれたのはUTMFのときですね。
UTMFで自分が出てないとき、雪降ったときですね。
2019年ですね。
のときに応援に行ってるときに、友さんですよねみたいなことが来て、
いや違うんですけどって言ったら、いやまたまたみたいな感じで。
っていうのは何回かありますね。
そうなんだ。
バックヤードのときにさくらちゃんが、ジミーさんが階段上がって2階に来たんですけど、
さくらちゃんがパパーって言ってましたからね。
さくらちゃんも間違えるぐらいなんですよ。
そうなんですよね。本人的にはっていうかあんまりわかってないんですけどね。
ちなみにヤビツ、僕と三谷くんよく走るじゃん。
一回僕と友さんの知り合いの方がヤビツから下ってきたことがあって、
たぶん三谷くん見て友さんだと思ったのかもしれないですけど、
その後友さんに会ったらしくて、友さんは久しぶりですって言ったら、
この前ヤビツで会ったじゃないですかって。
マジで言われたらしいからね。
やっぱそうすると似てるのかなって思ってしまいますね。
似てるんだと思うよね。
印象的に友さんって背が高い印象があって、
ヒゲが生えてるっていうのもあるんで。
パッと見あれなんだろうね。わかんないのかもしれないよね。
iPhoneで顔認識するじゃないですか。
GoogleじゃなくてiPhone?
iPhoneも認識するんですよ。Peopleって言って。
同じフォルダに入りますからね、やっぱり。
そんなのあるんだ。知らなかった。
あるんですよ。
そうなんだ。ちょっと見てみようかな、後で。
違うじゃんって思いながらも。
たまにそこにベルティゴアゲ用のJJさんもたまにそこに入るんですよね。
そうだね。
今回のポッドキャストの写真を探すので、
Googleとかでミツリ君の写真を押すと大体出てくるじゃん。
1:24:03
で、その中にさっき言ったJJっていうやつの写真が出てきた。
JJさん、はい。
しんさんとか出てこないですかね。
しんさんはね、ミツリ君だと出てこないかな。
トモさん?
トモさんが、そうだね、JJが出てくる感じかな。
特にあれだよね、トモさん、Googleがこの人はどういう人物かっていうやつで
トモさんとミツリ君が出てくることは多々ある感じかな。
Googleのあなたはロボットじゃないですか、的な感じで選ばなきゃいけないんですよね。
ちなみに、ミツリ君と僕が最初に会った記憶があるのは、
トモさんのポッドキャストで収録で、
トモさんとミツリ君が写真を撮ってるのを覚えてて、
多分それなんだと思うんだけど、
ミツリ君でそのポッドキャストを聞き出したきっかけとかって、
どんなきっかけで聞き出したの?
確かにそうですね。
どんな感じですかね。
でもあれだよね、公開収録に来たことあるよね。
近くというか都内でやってるときは行きましたね。
多分最初どちらかというと距離的なところでいうと、
50キロとか長くても70キロとかっていうところだったのに対して、
その2018年のUTMFに出るために、
その前年度にホタカとオクム屋さんのファントレール、
それとかを出ようということになったときに、
いろいろ100マイルっていうところに行ったらそこに行き着いた。
トモさんのところに行き着いたっていうところだったと思います。
それで聞き出したって感じなんだ。
そうですね。
そのファントレール2016年ですかね、105キロ。
16年ですかね。
26時間18分42秒っていうのが私の調べたところによると。
そうですね、それもスタートは雨でしたね。
ずっと雨でしたね、確かそれも記憶にある。
内山田博史とクールファイブみたいな感じですよね。長崎はいつも雨みたいな感じ。
わかりにくすぎる。
前から気をついてるからね。
結構雨多いですね、新村で。
雨多いです。ただ雨のほうがどちらかというと体が…。
そうだね。冷えますからね、確かに。
だから御滝も13時間で行けたときは最初は雨だったっていうのは良かったのかなって思います。
1:27:06
結構雨男なんですかね。
どうなんでしょうね。確かに雨は多いかもしれないです。
UTMFはずっと天気良かったですね。
それどちらかというと逆に珍しい方ですよね、多分。
UTMFは珍しいっていうかね、4年に1回ぐらいしかレースやんねえからね。
オリンピック的な感じなんですね。
4年に1回ぐらいしかちゃんとレースできないからさ。
だってあれでしょ、2019年ダメでしょ。
2018年OK、17年やってない。
16年途中で終わった15年、雨だからね。
14年はまあまあちゃんとやったんじゃないかな、確か。
14年ちゃんとやったのか。そんな感じだもんなって。
なかなか天候に恵まれないですね、UTMFは。
そうだね。
でもじみさん、UTMFはこの2018年以外にも出られたってことなんですか?
それで言うと今年。
あ、そうだそうだ。
去年ですかね。去年と今年というか、去年行って振り返って今年もダメでっていう感じですね。
来年もあれば?
来年そうですね、一番最初に走った44時間弱っていうところに対して、どこまで詰めてるかなっていう。
楽しみですね。
すごいそれは個人的に楽しみですよね。
確かに。
今年もし走るんだったら目標何時間とかあったんですか?
高い目標で言うと30時間ぐらいでは行きたいかなっていうのはあったんですけど。
あーでもそれギリで行ける可能性はゼロじゃないよね。
ギリギリのラインかなっていう感じは。
でもなんか行けなくないような感じだね、と思うよ。
そこをちょっとチャレンジしたいなっていうのと、あとは音丈でその24時間で完走っていうところがちょっとメインで頑張ってやってたっていうのはありますけどね。
あんだけ地面にブラジルにご挨拶してれば強くなりますよね。
あれ嘘じゃないですからね。
たまに聞かれるみたいなんですよ。自分聞かれることないんですけど、他の方で。
1:30:00
あれ毎回演出なんですよねって言われるみたいなんですけど。
あー俺が撮ってる写真とか。
そうですそうです。
俺が撮ってるか、俺しか撮ってないんだろうな多分ね。
あれ演出だったら相当僕たち最優秀女演員とかそういう感じになりますよね。
演技派集団。
ほんとですよね。
あれはほんとだよね。みんな頑張ってるんですけど。
そうですね、激坂の最後のあの3本は確かになっちゃいますね。
俺もあれぐらい頑張れよって話もあるんだけど。
いやいやいやいやいやいや。
田中さんが逆にそれぐらいになる感じで走ったらどれぐらいのタイムで3本入れるんですかね。
どうなんだろうね。
まあでもフラットだとあんな感じになるよ。
この前ハーフマラソン走ったけど最後マジ死ぬかと思ったからね。
ただ坂連はどうなんだろうね。
そうだね、ヤビツの最後をマジで走ったらなるかもしれないね。
そこまでやってないかな最近は。
もうやれよって話もあるんだけど。
逆にでもやらなくても田中さんこの前ヤビツ53分でしたっけ。
53分出したね今年、そうだね。
それがちょっと異常っすよね。
いや俺ヤビツはさ、コースとかも大体全部わかってるからさ。
そうだね。
PB狙いに行ったらやるかもしれないね、そういう意味で言うと。
そこがね、PB狙いに行ったらやるかもしれないけどちょっとまだ。
頑張ります。
そうすると、自分とあっちゃんが10分前ぐらいにスタートすれば、
ブラジルになってる田中さんの写真撮れるってことですね。
10分前だったらそうだよね。
俺はPBだったらたぶん53分半ぐらいだから、1時間半?
1時間3分はかかんないから10分前で出れば確実だろうね。
逆にあれだよね、本当にタイム的に途中でダメだと思ったら追い込まないかもしれないですけどね。
そこは途中でわかるからさ。
そうですね、確かに。
それこそ最初の500メートルでわかるよ。
500メートルでわかりますもんね。
生きるかいかないかってのを。
見てみたい、見れないでしょうね。
いやいや、何かのタイミングであるかもしれないけどね。
いつなることやら。次のオリンピック迎えてるかもしれないですからね、下手したら。
1:33:05
何かあれですか、田中さん、じみさんに質問等。
そうだね。
三鶴くんの直近の目標とかって何かないの?
直近の目標ですか。
レースがなくなって、いろいろ難しいかもしれないけど、
今年じゃなくても来年とかでもいいだろうし。
それで言うと、来年もしUTMFが開催されるようであれば、そこの30時間というところと、
あとは御滝100マイルですかね、変わらず。
の感想。
そうですね。あとちょっと小海は一回思想に行ってどういう感じなのかなっていうのを体感してから、
自分がどのタイムで行けるのかっていうのはちょっと見たいなっていうのはあります。
ちなみに今年に神威とか開催したら出ないの?
いやちょっと、今のところの強い思いっていうのはあまりなくてですね。
そうなんですよね。
どちらかっていうと今年だったら真夜中、真夜中が秋になったら出るんですね。
そうですね。
エントリーするんですね。
エントリー、合戦には参加しようかなと思ってますけど、取れるかどうかが分からないですね。
6月21日ですよね、確か。
そうなの、6月21日なんだ。
確かそんな気がしますね。
今年はあれだよね、全白、紅白が別に必要ない、やらしい言い方するけど必要ないから。
そうです。
エントリーだけして宿泊は自由になるんで。
みたいですね。
費用的には例年よりは抑えていけるかなって感じですね。
抑えられる。
皆さんレース植えてますからね、相当大変そうですよね、クリック合戦は。
1000人いればどうにかなるんじゃないかなと思うけどね。
なるんですか。
だって毎年だって400人とかでしょ。
あ、600人か、600人だから。
まあそうだね。
どうなの、例年よりはやりやすくなるような気がしないでもないけど。
集中するっていうのは集中するかもしれないね、そこに人が。
それまでにこのコロナの状況がどうなってるかっていうところは正直ありますけど。
じゃあ今年は、今年来年で言うと新列出れたら出る。
来年はUTMFオンタケというそんな感じか。
なんか出てみたい海外レースとかないの?
1:36:03
出てみたいのは、今のこの状況、自分の生活状況も考えるとハートに出たいなっていうのはあります。
家族にもすごく理由を付けがしやすいっていうのがあるので。
それはあれだね、タカオの巻き箱と同じ感じだよね。
見取的発想だからね。
それはちょっとありますね。
あれって今年は多分エントリーがあるから多分7月の下旬ぐらいにはあれなんじゃないかな。
エントリーになるんじゃないかな。
そうなんですね。
ハート自体は抽選の方式が今まではみんな一緒で抽選だったんだけど、
今年から多分1回も出たことない人、走ったことある人、あとベテラン。
何回?3回以上かな?走った人で枠が違ってて。
なるほど。
僕が知ってる限りで言うと、トレイルワークをいつ以前にやってたらクキナッツがもらえるみたいな話があったような気がするんだよな。
違ったかな。
多分なので、なるべく早めにトレイルワークみたいなやつの証明書は書いてもらってもいいかもしれないね。
そうですね。
ちょっと調べて。
下手したら明後日一緒にトレイルワーク行くんで、それに書類を持っていかなきゃいけないかもしれない。
ちょっとそこは調べて連絡します。
俺もそこで書いてもらって。
でもあれじゃないですか、田中さん役員というか、逆に田中さんのサインで書いてあるって感じなんじゃないですかね。
確かに。
まあそうだね。俺自分自身で書くのかな。まあいいや。
自分自身。
それっていくらでも不正できるよね。不正じゃねえや。不正じゃないけど、俺がOKって言ったらOKなんだろうな。
ではまあこれ自分自身書いてきていいんだもんね。
そうですね。
そっかそっか。ちょっと調べてみます。
そういうのがある。
クキナってトレイルワークを早めにやるとか、いくつか条件があって、それをすると当選しやすくなるっていうのがあるんで、そこはちゃんと押さえておいた方がいいかなと思うね。
なんか一応あれですね、今ハートのホームページに概要のPDFが一応用意されているみたいなんで。
アバウトハートってやつかな?
そうですね。
1:39:00
ブックオブハートを自分2022っていうPDFファイル見てるんですけど。
ちょっと英語なんですぐわかんないんですけど、一応そこにルールとかイベントディテールとかレースエントリーとかいろいろ表記はあるんで、たぶんその中におそらくありそうな気もします。
ロッテリープロセスか。クキナってアサイメントプロセスじゃない?たぶん。
そうですね、それもありますね。ロッテリープロセス、ロッテリーカテゴリーとか、たぶんそのロッテリーカテゴリーがあるんですかね、ベテランとか。
いいですね、ハート。
そうだね、ハートベテランが18枠、ウェイトリスティッド、ネバーセレクティッド、ネバーハート50ですね。
だから1回も走ったことない人は50、要は1回でも走ったことある人は50、僕はたぶんそっちの枠になるのかな。
モレール枠かなんかが、書いてある。
でも初めてエントリーした人の方がセカンドプールなんであれなんですね。
ん?
セカンドプールとかなんていうのこれ。なんとかオブプールっていうのは読めないですけどごめんなさい。
だからあれで最初に選ぶのと、2回目に選ぶのと、別にこれは枠が決まってるからあんまり関係ないんじゃないの。
なるほど、あ、そういうことか。くじ引きの順番のことなんですね。
なるほど。やっぱりベテランよりも1回かもしくは初めての人に優しい感じなんですね、これを見ると。
逆にベテランがそんなにいないでしょ、たぶん。
あー、まあ確かに。
ベテランがたぶん3回以上だったんじゃないかな。
日本だったらトモさんとか。
トモさんぐらいじゃないかな、3回以上って。
田中さんも3はないですよね。
俺1回だけ走ったことがあるよね。
あ、これ1回なんすか。
うん、そうそうそうそう。
田中さんが?
いやいや、完走してるの1回だよ。
あー、じゃあ1回ですね。
2回走ってる人っていたかな。あんまり記憶にないけど。
いいっすね、ハート。自分もハート来年ちょっと出てみたいな気がしますけど。
なんで、うん。ちょっとそれは調べて見てもらえばいいかなと思います。
僕からは以上です。
ありがとうございます。
いえいえ。
なんかちなみにジミーさんから喋っておきたいっていうことはありますか。
告知。
何でもいいですけど。
俺まだ喋り足りねーよとかが申し訳ない。
1:42:02
いや、ないかな。ないですね。なんだろうな。
センター南で美容院やってるんで、うちの妻が働いてるんで、ぜひそこに。
重要な情報ですね。それはもう本当に。お店の名前とか大丈夫ですか。
お店の名前はシープっていうお店になります。
じゃあ詳しくはちょっとじゃあ後で書ノートの方に私。
これ貼っといていいですかね、これ。
貼っといてぜひお願いします。
はい、すいません。ありがとうございます。
じゃあこんな感じで。
そうですね。
第5回目。
終わりたいと思います。
すいません、これは業務連絡になるんですけど、また質問ですとか、もしくは感想等があれば、
TwitterにハッシュタグWeLoveタイマー、もしくはタイマーズをつけてご投稿お待ちしております。
言ってる自分がすいません、一番つけてないんで、私も気をつけます。
そうだよ、俺もつけるの忘れること多いけど。
本当に気をつけます。
もしこの番組が楽しいなど、ご協力いただけるようであれば、
ドネーションの方も募集しておりますので、
詳細に関しては書ノートからリンクを見ていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
じゃあ次回、第6回。
これどうしますか、日付はもう。
日付はもう決まってるからいいけど、
出る人は秘密にしておいたほうが良くない?どうなんだろうね。
そうですね、今度6月14日の月曜日。
16の水曜日。
16日、水曜日か。
ずらしたまま。
そうですね。
ゲストは前日か当日かのお楽しみでお待ちいただければと思います。
どうなんだろう、俺が最近。
どうなんですかね。
ゲストと言えればこのサブタイトルつけてるの俺なんだけど、
ウケてんのかね。
サブタイトル結構楽しみというか。
良いと思いますよ私も。
良いなと思います。
それをポッドキャストにする時に変えるべきかどうかっていうのも結構悩んだりするんで。
変えないほうが良いと思いますよ私もこれは。
変えないほうが良い。
じゃあ一発目のインスピレーションで。
もう一発撮りみたいな感じ。
一発撮りで。
今回のはベタだけど結構気に入ってはいるけどね。
そうですね。
愚直な感じがあって僕もこれは好きです。
ありがとうございます。
ドンシンクフィールじゃないですか、やっぱり考えるの感じろっていうことで。
1:45:08
今日5回目のゲスト、ジミンさんこと菅原光さんでした。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
また長いお時間お付き合いいただいて皆さんありがとうございました。
またよろしくお願いします。
それでは失礼します。
失礼します。
01:45:39

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