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こんにちは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、私が会社員として働きながら、ライフコーチとして企業独立していく過程を発信していきます。
今日は、人生が退屈だと、忙しさで暇を埋めようとする、という話をしたいと思います。
まず、暇と退屈の違い。似たようで、同じようなニュアンスで使われることもあるっちゃあるんですけど、微妙にというか、意味が違くて。
さっき、チャットGDPでも、暇と退屈の違いを改めて聞いたんですけれども、
暇というのは、物理的に時間が空いているとか、予定とか義務がないということで、ポジティブな意味にもネガティブな意味にも、どちらにも使われる。
物理的に時間が空いているという状態を指している、というのが暇。
それに対して、退屈というのは、ネガティブな意味で使われて、やる気とか興味が対象に対して、興味が持てない、やる気が出ない、という状態。
感情が入っているみたいな感じなので、例えば手は動かしているとか、体は動かしているんだけど、頭もそうかもしれない。
なんだけど、退屈だなーって感じている。
例えば、作業とかをひたすらしていて、手を動かしているわけですよね、頭を動かしているとか。
なんだけど、単純作業とかで何も自分の考える余地がない、みたいなところとかと、何かやっているんだけど、退屈だなーって思う。
仕事とか授業でもそうですけど、時間が過ぎるとか遅く感じる状態ですね。
早く終わらないかなーって、つまんない授業とか、つまんない仕事とか、会議とかだと、この時間早く終わらないかなーって思っている状態が退屈という定義をされるというわけなんです。
特に虚無感とか孤独感とか、そういう感情ともなるということで、自分の状態に不満を感じているということらしいです。
というところを踏まえて、もう一回タイトルのところで言うと、人生が退屈な状態だと、自分が興味を持って、熱量を持って取り組めるものがないという状態で、
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物理的な時間の暇ができると、これ、その孤独感とか虚無感とかをより感じてしまいやすくなる状態になるわけなので、そうすると何かで埋めたくなるんですよね。
その退屈を感じている状態を隠すというか潰すというか、そこに耐えられないんで。
その時に取る行動、それは人によって違うと思うんですけど、例えば私だったら、過去の私であればお酒に行ってたんですよね。
お酒を飲んでいる時って、気分高揚するし、誰かと話していたり。家で一人でお酒を飲むってあんまりやらなかったんですよ。お酒を飲んでいる時でも。
あんまりそれをやらなくて、お酒を飲むという行為を通じて、誰かと話しているとか、誰かと過ごしているという、それによってその虚無感と孤独感とかを紛らわしていたわけですよね。
それを感じなくて済むわけですから。かつ、アルコールによってより気分が良くなるわけなので、その状態って逃れられるわけですよね。
その状態で楽しく飲んで、家帰って、一人で誰もいない家とかに帰って、ってなるとすごい虚無感があるわけですよ。
それを感じるのが嫌なんで、仕事終わってからまっすぐ家に帰れないんですよ。からまた飲みに酔っちゃうっていう、それを毎日のように繰り返して、
家帰ったら酔っ払って、バタンキューする状態まで飲んじゃうんですよね。それを感じなくて済むから。
ギリギリまで寝て、起きて、ダッシュで仕事行って、みたいな、そういう繰り返し仕事行って、めっちゃ働いて、忙しく働いて、飲み行って、寝て、みたいな、そういう生活をしていれば寂しさを感じる暇がないんで。
っていうふうにしてました。
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飲み以外もそうですよね。仕事はワーカホリックって呼ばれている状態って、とにかく時間さえあれば、時間さえあればというか、他のものをしのけてでも仕事をするわけですよね。
夜遅くとか、休日とか、もちろん大事な時とか、ここはちょっと踏ん張らなきゃいけないな、みたいな時にやるっていうのは別にいいと思うんですけど、それがもう状態化している。
その状態が当たり前になっていると、逆にそうじゃなくなるのが怖くなるんですよね。仕事に使ってない自分が怖くなるんですよ。
私は一番この時きつかったなって思うのが、3級中かな。3級中って私のたぶんお隣、社会人になってから一番暇だった時間。
1社目を辞めた後は、ニートの時期が3ヶ月くらいあったんで、その時は暇だったんですけど、本当にでも結局飲んだくれていたから、あんまり暇じゃなかったかもしれない。
本当に暇を感じたのは、3級中ですね。それまでずっとフルタイムで忙しく働いていました。
それがバッってなくなって、3級中なので当然飲みにも行けません。臨月なんで遠くにも行けません。
っていう時に、私はその時コーチングもやってないし、何かの学びとか勉強していたわけでも、本を読むのが好きだったわけでもなかったし、とにかく暇っていうか退屈だったんですよ。
退屈だったから、その暇が嬉しくなかったんですよね。何して過ごそうみたいな感じで、子供生まれたらしばらくいけないかなみたいなカフェに行くくらいしかできなかったですね。
映画とかも、いつ生まれるかわかんないからなって思うと、2時間とか出られない映画館とかもちょっと行きづらかったんで、今思ったら別に行けばよかったんじゃないかなって思いますけど、
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見てる間に、ジンツかけたら別にいいじゃんって今だったら思うんですけど、一人目なんでね、そういう気分にもなれず。
あの時はね、退屈でしたね。暇で退屈だったっていう風にして、やっぱりこう何か情熱を持って取り組めることがない状態、退屈の時って暇が嫌なんですよ。暇が全然楽しめない。
だからいろんなもので埋める。それは娯楽だったりとか、娯楽で埋める人もいるし、特に受動的な娯楽ですね。ネットフリーをひたすら見るとか、別にそれもいいんですけど、受動的なものでひたすら埋める人もいれば、仕事で逆に埋めちゃうみたいな人もいるし、いろんなもので埋めるんですけど、
退屈じゃない人っていうのは、その暇を楽しめる状態なんですよね。それは一人の時間かもしれない。本を読む時間かもしれないし、誰かともしかしたら会うとかもあるかもしれない。暇だから誰かと会うっていうこともできるって感じかな。
それで無理に埋めようとしないっていうのかな。多分私の性格的に暇ができると、どんどんそこにまた埋めようとするんですよ。スケジュールをとにかく埋めようとする。
これはちょっと達成欲とかの資質とかも関係しているかもしれないですけど、とにかくたくさんのことをこなしたいっていう願望が資質として本能的にあるので、とにかく同じ時間あたりでたくさんのことができたら満足みたいなことが、それはそれで性質としてあるんですけど、
でも本当に豊かな状態って物理的にも、ゆとりとか余裕とかがあって、何しようかなっていうふうに思える。その時に好きなことをやったりとか、逆にもしかしたら本当に何もしないっていう状態を楽しめるっていうのが心の豊かさなのかなと思うし、
その暇、ゆとりがあるからこそ突然のお誘いだったりとか、何かチャンスがあった時にギチギチに埋めちゃってると、何かその後からいいなって思う何かイベントとかお誘いとかがあっても、もうなんか飽きがなくてガチガチで動けないみたいなこともあったりするんで、
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やっぱり隙間があるからこそそういうチャンスが入ってきた時にシュッと入れられるみたいなところもあると思うんですよ。開けておく、開けておける余裕、空いている状態を無理に埋めようとせずに開けておけるゆとりですね。
それが本当の豊かであり、その状態が退屈ではないっていうことですね。空いている状態っていうのが心の豊かさだよなというふうに思うんですよね。
今思ったのが、子供の時のおばあちゃん家とかに行った時って、とにかく暇なんですよ。
うちおばあちゃん家が東京の西の外れの日野原村っていう東京都で唯一の村なんですよ。母の地下があるんですけど、子供の頃は夏休みとか冬休みとか泊まりに行ってたんですけど、
街で何もないわけですよ。山の中なんで。公園もないし、人もそんなにいないし。私、いとこの方でも年が下の方だったんで、だんだん中学生ぐらいになるとみんな来なくなるじゃないですか。
で、なると、小学生で一人で泊まりに行って、おばあちゃんおばあちゃんで昼間仕事してたりとかあったんで、本当に田舎の山の中で一日一人で過ごすっていうことをするわけですよ。
おばあちゃんは仕事してたんだけど、でも何だかんだで家事をしたりとかなんかやった気がしますけど。
まあいいや、それはいいんですけど。ってなった時に、じゃあ何して過ごすよ、みたいな感じになるわけなんですけど。
でもね、暇だったけど退屈は感じなかったんですよね。
じゃあ何してたかっていうと、あるものは川と山と畑とかなんで、畑はお手伝いとかもしましたけど、あと山と川ですよ。
なんで、山行きます、植物とか採ってきます、みたいな。
普通にただ歩いて探検してるだけだよな。
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なんかわさび見つけて採ったら怒られたんだよな。
誰々さん家のだよ、それって。
怒られた、まあいいや。
っていうのもあったし、あとは川ですよね。
川とかだと、泳げるほどの深さでもなかったので、流れに沿って石を動かしてせき止めてみたりとか、
石ひっくり返して虫とか出てきたりとかいうのとかをひたすらやってるわけですよ。
あとトンボとかカエルとかいたりとかするんですけど、何してたんだろうな。
でもなんか暇じゃなかったな。
あとなんか本棚とか、全然話しかありますけど、本棚見て、なんかよくわかんない昔の小説とか文庫本とか読んでみたりとか、
なんかやってたけど退屈ではなかった気がするな。
っていう、やっぱりその自分の興味を赴くままに、何しようかなってなって、目についたものとか、なんかこういうことやってみようかなみたいな感じで、
自分でこう考え、誰にもやっぱり強制をされていない状態で自分が思ったもの、興味を持ったものをひたすら時間を忘れて取り組んでいるっていう状態だったなというふうに思って、
それってだから暇だけど退屈じゃないんですよね。
っていう状態を、子供の頃だからできるじゃんっていう話かもしれないんですけど、
でもなんか本当は大人になってからもそういう状態がベストなんだろうなっていうふうに思うんです。
やる、今ってやっぱり大人も当然ですけど、やるべきこととか埋まっていくし、それをいかに隙間を開けられるかと、
その開いた隙間を楽しめるか、暇を楽しめるか、暇なんだけど退屈ではないっていう状態を作れるかなのかなというふうに今のところ思っています。
今まだスケジュール空きはできると、またこれ入れられる、これ入れられるってどんどん入れちゃうんですけど、
なんか本当に何も予定の入れない1日を最初は作るしかない、そういう日を意図的に作るしかないのかななんてちょっと思っています。
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その時に自分が暇だなぁ、何しようかなって思った時に、これやろうって思うことが本当の自分の心が赴くものなのかなっていうふうに思うので、
1回ちょっと暇な日をどこかで手に入れてみようかなというふうに思います。
もしかしたら年末にそれが実現するかもしれないと今思ったので、ちょっと暇な日を過ごしてみたらまたお話ししてみたいなというふうに思います。
本日もお聞きいただきましてありがとうございました。