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2012-10-25 18:54

第48回:『バリアをもって考えない。まずはスタートする』石黒不二代さん

環境が厳しい中での就職、MBA取得、起業など次々にアクションを起こしてきた石黒さん。新人時代の働きぶり、スタートダッシュへの考え方をお話ししていただきます。


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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、様々な業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
皆さんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの戸谷香菜です。
伝説の新人プロジェクトの小宮です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日は、石黒不二代さんをゲストとしてお迎えしているんですけども、
初の女性ゲストに申し上げますね。
そうだね。
事前に私、本を読ませていただいたんですけども、
女性として憧れるような生き方をしていて、素晴らしいなと思ったので、
今日は本当にお話聞けるのを楽しみにしているんですけども、
是非女性のリスナーの皆さんも参考になるお話を聞けるのではないかなと思いますので、
楽しんでいただければと思います。
ということで早速、経歴の方をご紹介させていただきたいと思います。
石黒不二代さんは、1980年、名古屋大学経済学部を卒業。
卒業当時、社会的に四大卒の女性が就職することが難しかった背景もあり、
8ヶ月間、株式会社リクルートにてアルバイトを経験した後、
1981年1月、ブラザー工業株式会社に入社し、海外マーケティング業務に従事します。
1987年、キャリアアップの転職を決意し、外資系企業の面接を受けますが、
面接担当者に、当社をMBA所持者以外採用しないと言われ、衝撃を受けます。
その後、株式会社スワロフスキージャパンに転職し、新規事業担当マネージャーに就きますが、
MBAの取得を決意し、毎朝5時から勉強を始めました。
2歳になる息子さんを連れて、34歳の時にスタンフォード大学ビジネススクールに留学。
同大学にてMBAを取得後、米国シリコンバレーでコンサルティング会社を起業。
1999年にネットイヤーグループ株式会社に参画し、
2000年からネットイヤーグループ株式会社代表取締役社長に就任。
わずか10年で、年間売上高35億円。
大手グローバル企業を中心とする150以上の顧客を持つまでに成長させる一方、
経済産業省・産業高等審議会委員などの公職も務めています。
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はい、それでは石黒さん、どうぞよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
実はですね、今回初の女性ゲストということで、
私、事前に石黒さんの本を読ませていただいて、
本当に女性としてかっこいい生き方をされているなと思って、
今日お話を伺えるのを非常に楽しみにしていたんですけれども、
早速いろいろお話を伺っていきたいなと思うんですけれども、
まずはスタートが違うというテーマで本日お話ししていただこうかなと思うんですけれども、
石黒さんは大学を卒業された後、就職がなかなか女性としては厳しいという環境もあって、
難しかったかなと思うんですけれども、
少しアルバイトをした後にブラザー工業に入社されたということだったんですけれども、
その時のスタートした時の気持ちってどのような感じだったんですか。
ブラザー工業の話ですね。
就職がなかったのは難しいというよりは完全にシャットダウンだったので、
全く探しもせず、皆さん就職氷河期で大変そうなんだけど、
でも門開いてますよねみたいな。
門開いてるんだったらちょっと自分で開けたらいいじゃないのぐらいな感じなんですけれども、
もちろんそれはそれで結構厳しい現実があるので、
やっぱりちょっと心が折れちゃうこともあると思うんですけどね。
ブラザー工業に入ってからは、ただ私はですね、
割とあんまり構えない方なので、
ブラザー工業に入っても、
例えば1年間今でいう正社員ではありませんでしたみたいな、
あんまり卑屈な心もなくて、
ブラザー工業に入れてくれたことも良かったし、
配属されて割と普通に始めますけどね。
あんまり気負いはね、いつの時もないですね。
そうなんですね。
なんか気負っていると、
周りから、例えば上司から見て、
例えば同僚から見て、割と浮きません?
そうですね。
あんまりそういうのも、割と私は自然体というか、
今でもそうなんですけれども、
そういう方が人が心地よいだろうなって、
別に意識してるわけじゃないんですけどね、
性格自体がそんな感じなんですよね。
だからあんまり攻撃的であってもいけないし、
ただ、やっぱり仕事を覚えるとか、
ということは一生懸命覚えればいいと思うし、
別に長く働いてもいいし、
パフォーマンスを出すために、
きちんとやることはやるっていうことだけ心がけていれば、
なんかいいんじゃないかなと。
あんまり私、計画だってやる方でも実はなくて。
はい。
当時ってどういったお仕事をされていたんですか?
当時は営業部というところなんですけど、
情報機器事業部というブラザー工業の中で、
幸い売上げの5割、利益の8割を稼いでたところの海外部門なんですね。
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そこの中で営業部なんですけど、
やってる仕事は割と営業って言っても法人向けだし海外向けなので、
別にドアノックして電話して、
行きますみたいな、お願いしますみたいな、
全然体育会見のことはやってなくて、
当時だとFAXなんですけどね。
FAXで海外と更新をして、
決まったお客さん、OEMだったので、
決まったお客さんがいるので、そこの人と英語でやり取りをしながら、
今度の製品はこういうのを作りたいとか、
今の売上げの状況はこんな感じで、
もっとこういうふうにしてくれると売れるだろう、
っていうようなことを話しながら、
エンジニアの人と、
強いてはこういう製品が欲しいと思うんだけどどうかな、
みたいなことを話すと、
エンジニアがそんなこと知らないよ、
みたいなことを言うので、
まあまあそう言わずに頑張って作ろうよ、
みたいなことを話すわけですね。
本当にあれですよ、図面とかなんかがあって、
ここをこうして、
みたいなところから、海外からお客さんも来るので、
その時にエンジニアの人と一緒にミーティングをしたり、
実際に出荷もしますので、
出荷の手配やら、
あと工場に行って、
生産の、
ライン作るところまでは行かないんですけど、
こういうものをこのくらい作るので、
ということで、
生産管理部の人と話したり、
あとパーツの供給なんかもあるので、
その部品の事業の人と話したりということで、
全体のコーディネートをする、
でも割と、
エンジニアの人との仕事と、
相手のお客さんとの仕事が中心でしたね。
なるほど。
今お話を伺っていると、
結構そういうお仕事って、
専門知識だったり、
英語のスキルがかなりないとできないのかなっていう。
それがね、意外にできるんですよね。
専門知識は、
エンジニアが持っているし、
英語の知識は、
私は本当に英語が苦手だったので、
私はすごく怠慢な性格なんですよね。
勉強とかしなかったので、
ずいぶん営業力が落ちちゃって、
でもああいうのは割と決まった感じなので、
できます。
エンジニアの、
海外の人が来ると、
それこそ、
今流に言うとC++で、
言語で喋っちゃうみたいな、
エンジニア同士が分かるので、
うちの課長なんかも10年ぐらい、
割といたんですけど、
2人で何言ってるか分からないね。
何言ってるんだな、
みたいな感じでしたよね。
だから割とコーディネート力が必要なのかな、
と思いますし、
でも割と1年生の時からそんなことを、
割とどうぞやってください、
みたいな感じなんですよね。
私もいいんですかとも聞かずに、
何かこうやっていて、
今こういう仕事のディスクリプションを話していると、
結構ね、
普通の会社で1年生であんまりしないかな、
みたいな感じですよね。
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でも何かやってました。
それは割とすぐに、
割と早いで、
やってっていうか徐々にですけどね、
やってましたね。
だから1年間OEM、
お客さんが1つだったっていうことも、
ちょっと良かったかもしれないんですけど、
それで次はヨーロッパのディストリビューションの立ち上げ、
だから販売会社と話して、
販売会社のドイツとかイエリスとかフランスとか、
どこ行ったかな、ベルギーとか、
で、反社があって、
その反社って元々グラサコニオだから、
ミシンしか売ってなかったんですよ。
インター事業って全然違う事業なので、
そこに入っていくために、
どうしたらいいかな、みたいなことを考えて、
私は言うだけですけど、
ブランディングしたらどうですか、
こう言って、そうだな、
みたいな感じのことを向こうの社長としゃべって、
で、来るという感じですね。
当時って周りの人たちも同じような働き方されてたんですか?
男性はしてましたよ、少なくとも。
男性はもっと早い時期に、
また私たちが入った当時の課長とかが、
後にインターナショナルのトップになるんですけど、
彼はすごく進んだ人だったので、
とにかく若い人に仕事を任せたいというような人だったこともあり、
でも女性はそこまでやっぱりやってなくて、
で、首脳さんどう?みたいなことを言われて、
やり始めたという感じですかね。
ですから割と東軍的といえば東軍的で、
女性の中でも一番初めにっていうようなのは若干あったかもしれません。
伝説の新人を聞いてくださっているリスナーはそうではないとは思うんですけど、
いきなり入って、いろんな人たちをコーディネートする仕事をやりなさいと指示された時に、
結構ビビってしまう人とかもいるかなと思うんですけど、
首脳さんの場合そういう、できるのかな、怖いのかなという気持ちはなかったんですか。
私は全くないですね、そういうのは。
自分の力ってあんまりよくわからませんけど、
でもできないことではないので、あんまりビビるみたいなのはないですね。
なるほど。
スタートが違うというのがテーマなんですけど、
今までの中で、あのスタートだけはダッシュしたねというのがありますか。
ダッシュしたねですか。
MBAの勉強をする時にはすごい頑張って勉強しましたみたいなのとか。
で、あと卒業、スタンフォードのMBAに出た時に自分の会社を作ることにしたのは、
いろんな意味では作った後は、作った後も実は尋常だったんですよ。
ですけれども、私生活ともね、子どもがちょうど4歳で卒業したので、
向こうで全て始めてじゃないですか。
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子どもの教育を向こうで、学生時代は保育所に入れてるからね。
保育所から今度幼稚園に入れるでしょ。
彼の学校も選びとかもしなくちゃいけない。全く知識ないじゃないですか。
そういう中で子どもの教育だとか、今度チャンパスに住んでたのは自分の家を借りるじゃないですか。
今度仕事をするっていう時も、仕事を始めちゃったでしょ。
会社作るとか、自分のビザをサポートするとか、全て自分だったので、
結構新しいことが5つぐらい重なってるんですよね。
やり始めてから、いろんなことやってるなと思ったことはありますけどね。
卒業するとき借金してたので、お金も大丈夫なのかみたいなのが、
それもわりと普通に始めちゃうので、後から気づくというか、
後から貯金通帳を見て、10万円しかないんだけど、これで2人、
あと1ヶ月、なんかすごい正規消滅したらどうするのかなみたいなことがあったので、
そういう時にちょっと大丈夫なんだろうな、まあ大丈夫なんだろうと思いながらやってましたね。
だからそういうスタートという意味では、あんまり考えないので、
あんまりバリアを持って、これ大丈夫とかビビったりしないので、
一旦スタートして、結構たくさんやってるなみたいなのはありますね。
後から全部気づきます。
恐れずに何でもとにかくやってみるっていうことを意識されてたんですね。
意識してないのでそうなるんじゃないですか。
たぶんそれは会社経営とはだいぶ違いますよ。
会社経営の時はリスクめちゃめちゃ考えますから。
でもね、そういう時もあるんですけど、私の性格的にはわりとリスクは考えます。
すっごい考えます。
ただリスクの捉え方が違うだけだと思いますけどね。
日本から離れて子供連れてって大丈夫かっていうリスクじゃなくて、
日本にいた方がリスクだろうというふうに思ったり、
きっと20年くらい前に日本にいて子供を連れて、
外資系のマネージャーで働いていて子供を育てるということで、
リスク以外の何者でもないと思うんですよね。
アメリカに行ったらみんな家族のことを思ってるし、
ちゃんと設備もあるしっていうところに行った方がずっと働きやすいので、
大きいものより小さいものを選ぶ方がずっとリスクが少ないということを
私時々言ってるんですけど、
そういう政治的な判断とか非合理なものの中に自分を置くよりも、
合理的なものの中に自分を置いた方が絶対リスクが少ない。
自分で会社やれば戦う相手っていうのはライバルとか市場とかだから、
全て合理的に動くものなので、
そこの中で自分が間違いずに判断をしていけば必ず勝てるので、
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そっちの方がリスクが少ないじゃないですか。
だからリスクの考え方が違うだけじゃないかなと思うんですけどね。
でもリスクを徹底的に潰しますよ。どこでも。
子どもの教育においても、
小さくてもすごい大きくなりそうなリスクがあると、
それにはだいぶ時間をかけてリスクを平時しますね。
はい、ということで石村さんは本当にもともと思考が違うというか、
当時やっぱり女性として就職するのは難しい環境にあったのかなと思うんですけど、
そういう中でドラザ工業に入って、男性と同じように仕事をしてっていう、
本当にバリバリ働いていたんだなっていう印象を受けたんですけど、
おそらく一般的な女性であれば、
当時の時代背景がそういう難しい状況にあるから、
私は働かなくてもいいやと思ってしまう人とか多いかと思うんですけど、
そういう中でもきちんと自分のキャリアを作っていきたいという思いが
すごい強かったのかなという印象を受けました。
ちゃんと原理原則というか、きちんと物の考え方とか、
おそらく若い時からできていらっしゃったんだろうなという印象が強くて。
そういう印象はすごい強いですよね。
なので普通だったら、女性でそんな時代に自分を置き換えると
そんな判断ができるのかなとか、リスクの話とかもありましたけどね。
そうですね。
それが何か問題でもないですけど、ご本人からすると、
そういう原理原則じゃないですかと。
以前のライフネットセミの出口さんとお話したときに感じたようなね。
やっぱりそういう原理原則がちゃんとわかっていると、
きちんと物は判断するんだなと。
なるほど。
なのでお伺いしてて、すごく自然に聞こえるけど、
普通の人ができるのかなっていう。
確かに。
なのでぜひ聴いている方たちも、すぐにそれはできるようにならないんだけど、
やっぱりそういう人たちがお話しされていることとか、
過去の歴史上の人がどういう判断をしたかとか、
そういうことを照らすことで、
そうするとすごく志郎さんのお話とかもがてんがいくというか、
理解ができる。
この人は別人だなと思っちゃった瞬間に入ってこないので、
それはそうでしたね。
絶対手繰り寄せてほしいなと思いながらお話聞いてましたけどね。
なるほど。
本当にすごい自分の軸みたいなものを持っていて、
それに従っていっているのかなという印象は私も受けたので。
素敵だよね。
そうですね。かっこいいですよね。
本日のトークはいかがでしたでしょうか。
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ぜひ一度ご覧ください。
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新人時代の今にこそ自分のものにしていってください。
この番組は伝説の新人養成プロジェクトの提供でお送りしました。
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