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2012-08-30 16:18

第32回:『人から褒められたいという気持ちが、目の前の仕事の質を高める』斎藤顕一さん

当時新卒採用をしていなかったマッキンゼーに入社した斎藤さん。大学時代の留学経験がその契機でした。


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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、様々な業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
皆さんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの戸谷香菜です。
伝説の新人プロジェクト、小宮です。よろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。
本日は斎藤顕一さんをゲストとしてお迎えしているんですけれども、
本日初回になりますので、簡単に経歴の方をご紹介させていただきたいと思います。
斎藤顕一さんは、国際キリスト教大学卒業後、マッキンゼ&カンパニーに入社。
当時、マッキンゼは新卒採用を行っていなかったにも関わらず、異例の存在として入社しました。
当時社内で圧倒的な活躍をしていた大前顕一氏に見込まれ、大前氏の右腕として活躍した斎藤さんは、
1989年、大阪支社副支社長に就任。
1993年、アジアセンターの立ち上げを提案し、創立及びに同センターの所長を兼務しました。
1996年に株式会社ファーサイト&カンパニーを創立し、代表取締役社長に就任。
コンサルタントとして、日本企業の海外進出のみならず、アメリカ企業、ヨーロッパ企業の日本市場参入に当たっての様々な戦略プログラムを提案。
それまでのキャリアで培ったノウハウを元に、問題解決のできるリーダーを育成するべく、企業向けの研修も行っており、多くの企業から高い評価を得ています。
また、ビジネスブレイクする大学院及び大学の教授として教鞭を取られており、名物教授の一人として多くの学生から支持されています。
はい、という経歴をお持ちの斉藤さんなんですけども、実はですね、斉藤さんが教えているビジネスブレイクする大学で、私も今働きながら学んでるんですけども、
学生から本当に大人気の先生でした。
いつもとても面白い講義をしてくれるんですが、じっくりとこういった形で斉藤さん自身のお話を聞くっていうのは初めてなので、
とっても楽しみにしているんですが、今回はスタートダッシュが違うというお話をしていただこうと思うんですけども、
経歴でもご紹介したように斉藤さんはマッキンゼがまだ新卒採用しないときに入社されているということで、
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まあきっとかなり興味深いスタートをされているんじゃないかなと思うので。
そうですね、楽しみですね。
そうですね、ということで本日もどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
第1回目の本日はスタートが違うというお話でいろいろお話ししていただこうと思うんですけども、
斉藤さんは新卒でマッキンゼに入社されたということで、当初新卒は採用されてなかったんですよね。
そうですね。
かなり特殊な環境の中でお仕事をスタートされたかと思うんですけども、その当時のことについてちょっとお話ししていただければと思いますが。
えっとね、だいたい新卒採用していないときに、その会社に受けに行くということがやっぱり異常でね。
はい。
でももちろんこいつは背景があって、自分からそれを望んだわけじゃなくて、それを進めてくれる先生がいた。
まあIGUの僕の母校の先生がいて、その人もマッキンゼと関係があったものだから。
そうなんですね。
だから余計にね、僕のような学生時代に先生が僕のことを見ていた人間ならば、マッキンゼという組織の中でもやっていけるかもというようなことを知ってたがゆえに僕を進めたんだろうと思います。
なるほど。はい。
で、僕からしてみたら、そんなことは何にも考えてなくって、だからそもそもコンサルティングということも何なのかもわからないし、
でもこれはもうマッキンゼ先生が進めてくれたから、先生をがっかりさせると気の毒やから、
そんならまあ行こうかいなということだけで始まっただけなんです。
でもその進めてくれたっていうのは何かしらの理由があったかと思うんですけども、
ご自身で今おそらくここじゃないかなって思うこととかありますか?
うん。これはね、成績でないことは確かなんです。
僕は別に優等生くらいはもらわなかったんですけども、大きな声で言えないんですけども、言っちゃうんやけど、
1年生と2年生の頃っていうのはローグレードだったんですね。
ローグレードっていうのは、なんか今の学生に寄せて、え、そんな2年次無理やったらそれ退学にならないんですかって言われるぐらいね、
アドバイザーのアメリカ人の先生が、普段英語で喋ってたんですけどね、レビュー受けて出るときに、
おそ松って言われたのにびっくりしたんですよ。え、何?日本語喋れるの?それもおそ松って言うか?みたいな。
ただ3年次になった時にやっぱり専門家庭が始まったのでね、ちょっと真面目に勉強しようかなということはあったんですけども、
いずれにしてもトップではないわけだから、だからなんとなく成績は大したことないと。
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でもなんか学生の中でリーダーシップ取ってて、それで非常に面白いと思われていたようですね。
リーダーシップっていうのはどういったことをされてたんですか?
実は僕はクラブとかそういうのが入ってなくて、これは当時が世界的に学生紛争と人種問題で荒れてた時代なんですね。
だから私の大学もいわゆるブロックアウトされてて、いつもこの全教頭のヘルメット被った連中がみんなデモをしてる。
で、僕がそこに歩くと君ら熱そうでご苦労さんやなーって言うとね、斉藤お前も入ってやれよ、俺それかなわんねみたいな。
そういうノリだったんですよね。
ただ1年生の時に、これもこのテーマの最初のスタートということになるのかもしれへんけども、
たまたま相談しに行った大学の先生は、君アメリカ行けへんか?って一言言われたの。
その頃は授業がありませんから、でもなんとなく大学に来い。
その先生に相談して、僕何勉強しようかなって、自分で自習何したらいいんやろうって言ったの。
君アメリカ行けへんか?
もうアメリカ行けへんかのすぐ終わった時の僕の目の裏には金髪が見えました。
もうこれだ!行きます!みたいな。親に相談もクソもなくて、行きます!って言うと。
そうか、君大したもんやん。実はね。
実はどこなんですか?って。ジョージア州からさらに田舎の、はぁ!?みたいな。
黒人の学校なんですよ。
これは後でそれ聞けば聞くほど手挙げんのやめといたらよかった。
つまり世界的に人種問題が大きくて、黒人と白人の中がものすごく欠約になってたので、
アメリカの教会が、教会の団体がカラード、いわゆる白でもない黒でもない真ん中みたいな。
ちなみにそれは日本人なんですけど、みんなで、え、僕カラード!?みたいな。
それで、アメリカに黒人の中に入ってもカラードなら問題ないやろ。
で、僕は最初に金髪で手挙げたけど、今さらね、私金髪なら行きますけどって言うは逃げる。
これでもうすごすごと行くことに決定みたいな。
だからそれはまあ結果的にね、おそらく今の人が想像できないような、
KKKから逃げるとかね、そういうようなことを味わったから、
そういうことから言うとスタートからね、なんかこれかなりひっくり返ってるぞみたいな。
だから大学1年のそれひっくり返り、3年生の時にメキシコに君行けへんかって言われて、
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それで学科からお金出すよって言われて、その時にも行きますって言うたのはいいんですけど、
出発日の2週間前に短席の手術やったんですよ。
それで退院して、まだこの辺縫い目が残ってる頃に重たい荷物持ってメキシコ行ってんのね。
で向こうでスペイン語のインテンシブを取って、スペイン語をとにかく喋れないと。
英語はある程度喋れてたから、今度はメキシコ語でスペイン語をやろう。
それも言ってみたら、なんかそこで手揚げちゃったみたいなところで、また過酷な言ってみたら、
言葉的になかなか難しいところもあったし、それを論文としてまとめていくとなかなか大変だったんですけど、
そういうのを得ながら、それで成績あんまり良くない。
でなんか4年生の時に、いやー君、マッキンゼよ。これってどないなってんの?
もっともマッキンゼのすごさは何にも知りませんから。
たかがこの人が知ってるようなコンサルティンかなんかじゃないけど、そんなとこかみたいな。
それだけの理由で僕はマッキンゼに受けて。
それで受けてっていう感覚もないんですけど、なんか話聞きに行った。
ほなその後連絡来て、君おもろいから来たらどうや。
あーなんや風こっち側から吹いてきたら、風の流れるように僕も流れちゃおっかなーみたいに入ったんですから。
だから超いい加減。だからきつーみたいなことがあって、今度ええ加減って始まるけど入った途端に、
もちろんあのマッキンゼですから、自分は何にも知らない。経営も経済も小学も勉強したことがない。
でもそれですぐ辞めさせられることがもちろんあるわけですから、それ知らんかったけど入るまで。
でともかくこれは何としてでも頑張らなきゃみたいなところがまた最初のスタートでしょ。
だから大学の国人のところに行ったことから始まると、かなりハードルの高いやつばっかりね。
最初のそのちょっと間違った横縞な考えでやれちゃうのがね。後がこう混ざったなーみたいな。
常時で合わせにいく。
本当はね、もっとしてる。意思決定、慎重になってもいいはずやのに、楽観的なんですよ。
ものすごく軽く物事を考えすぎてるみたいな。
ただこれは昔からの商品で、一つのことを与えられると、何としてでもうまくやったろうみたいに。
でおそらくね、うまくやったろうの意味は、いや斉藤お前すごいなーってきっと言われたかったんだろうね。
だから頑張るんやろうと思う。
だからそれから言うとね、多分目立ちたがりやがるみたいな。
って言われればそうか分からないけど。
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だからともかく、いい仕事をしようっていうようなことはもう、大学時代からずっと続いて持ってたんや。
だから僕は、今振り返ってみると、がむしゃらにただひたすら仕事をやったんやけども、
それはね、そのことを目的にしてたわけじゃなくて、やっぱりいい仕事をしてね、
お前これなかなかすごい分析だよねって言われたいために、ひたすら頑張っちゃうんじゃない。
それが続いたんだろうと思う。
ただの目立ちたがりやだと、おそらく近前に20年勤められてましたけど、続かないと思いますよ。
なので、本当に素晴らしい仕事をされてきたのかなと思うんですけども。
はい、ということで、斉藤さんは大学時代は優秀ではなかったとご自身でおっしゃっていたんですけど、
さまざまなチャンスに巡り合ってきて、それが最終的にマッキン・ジェイの入社につながったっていうのは本当にすごいことだなと思うんですけども、
やっぱり並大抵の学生ではそんなチャンスには恵まれないんですよね。
いや、並大抵って言っちゃうとそれまでなんだけど、言うほど斉藤さんご自身も特別感はなくて、
近所のところにある、わりと普段仕事のそばにあるんだよね。
そういうのにいつも前向きでいらっしゃった斉藤さんの若い頃って、なんとなく今想像もつくじゃないですか。
今のご本人とお話ししてて、うわぁヤンチャラ。ヤンチャラ20代目やなっていう感じがするので、
そういう姿勢でいたりそういう気持ちでいることがチャンスを確実に引き寄せるんだよね。
そうかもしれないですね。斉藤さんにもおっしゃってたんですけど、
純粋に与えられたことに対して相手の期待に応えるということを意識されていたっておっしゃってたんですけど、
それもやっぱり次のチャンスに、大学時代に与えられたチャンスに対して向き合っていたからこそ、
そういう巻き金銭に入社して活躍するっていうチャンスを与えてもらえたのかなと思いますね。
そうだよね。そこでまたでも実際には巻き金銭で働くこともそうだし、
そこでまたやっぱりその場を活躍され続けたことによって、今の大学の先生につながっていたり、
いろんな広がりっていうのは当然つながっているわけでね。
そうですよね。本当に伝説の真珠の講座でも話してますけど、本当にチャンススパイラルだなという感じがしますけども。
ということで、今回はスタートダッシュが違うというお話で、斉藤先生の大学時代から含めてのスタートダッシュということでお話していただいたんだけども、
非常にまっすぐなというか、明るくて面白い方だなということがまた新たに分かって、
そうですね。いい感じの顔という感じですね。僕ら嫌いじゃないですね。
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そうですね。私も本当に大好きです。
そういった名誉業のことは僕らは一切嫌いです。
ということで、次回も斉藤先生をゲストにお迎えしてお送りしていきますので、どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日のトークはいかがでしたでしょうか。
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