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2013-02-11 22:32

第78回:『20代はとにかく数をこなせ。意味は後から付いてくる』柘植伊佐夫さん

ヘアサロンからキャリアをスタートさせ、人物デザインという新境地を開拓するに至った柘植さん。20代は有無を言わさず膨大なインプットをする時期だと言います。


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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、さまざまな業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
皆さんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの戸谷香奈です。
伝説の新人プロジェクト小宮です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日は今までお呼びしたことのなかったタイプのゲストなんですけども、
人物デザイナーという肩書きをお持ちでいらっしゃいます。
柘植伊佐夫さんをゲストとしてお呼びしております。
人物デザイナーってちょっとあまり聞き慣れない言葉かなと思うんですけども、
もうすでに終わってしまったんですが、
最近だとNHKの大河ドラマのタイラーの清森というかの
人物のデザインをトータル的に衣装だとかヘアだとかっていうのを担当された方でして、
監督等がイメージした人物に対して全部トータルでデザインする人なんですね。
そうですね。
その人物の特徴をよりよく表現するための表現というのをなさっている方です。
その前はヘアデザイナーですとか美容師さんとして活躍されていた方なんですけども、
そういうキャリアから取られているんですね。
そうなんですよ。ということでまずは簡単に経歴の方をご紹介させていただきたいと思います。
津芸祥さんは高校卒業後の1979年よりビダルサスウンの技術を取得し、地元長野県で美容師として活動。
1982年にモッツヘア移籍し上京します。
3年後には原宿の店長としてモッツヘア全国店舗の中で売上トップを達成する傍ら、
ヘアメイクアーティストとしても活動。
自身が手掛けたヘアをファッション界の巨匠カール・ラガーフェルドに絶賛されたことをきっかけに、
チャンネルやエルメスなどの数多くの有名ブランドからオファーを受け、
これまで東京、ミラノ、パリなど世界で開催されたコレクションのヘアメイクを手掛けてきました。
1990年、第1回ヘアデザイナー大賞を受賞。
1992年に独立し、その後は数多くの企業広告や映画のビューティーディレクションを手掛け、
世界的アーティストの美容区や現代美術家のマッシュ・バーニーとコラボするなど幅広く活躍。
最近では米国アカデミー外国語映画賞を受賞した送り人や、
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NHK大河ドラマの龍馬伝や平野清盛の人物デザイン監修を務め、注目を集めています。
はい、ということで、つぎさん本当に若い時から美容師として一気に店長としてナンバーワンになって、
その後もファッションのコレクションで世界中でいろいろ活躍されてきたということで、
今回から4回にわたってお話を聞けるのを本当に楽しみにしてるんですけど、
本日からつぎさんをゲストとしてお迎えしておりますので、皆さんお話を楽しみにしていてください。
はい、それではつぎさんどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
紹介の今回はスタートが違うというテーマでお話ししていただこうかなと思うんですけども、
その前にまずつぎさん、今NHKの大河ドラマの平野清盛の人物デザインなどを担当されてますけども、
私たちはあまり人物デザインという言葉に馴染みがないんですが、
どういったお仕事をされているのかお話していただけないかなと思うんですけども。
人物デザインというのは、具体的な仕事としては役柄がありますね。
木重りだったりとかいろんな役柄があって、
衣装が紛争と言われているものですけれども、
それが衣装だったり、かつらだったり、化粧だったり、小道具、それによって紛争で成り立っているわけで、
それを各部署があるわけですよね、衣装部だったり、メイク部だったり。
まず僕の仕事というのは、脚本なりが出てきて、役柄が決まってきたのを見て、
演出部のディレクターと打ち合わせなり、あるいはプロデューサーの意向というものがあったりするわけですけれども、
それをお聞きして、具体的にキャラクターデザインを起こして、
それを各部署、衣装部にこういうデザインの衣装がいいんじゃないかということを提案し、
かつら部も、つまりそれぞれの部署に対して提案するわけですね。
それを作り上げて出てきて、それをまた紛争チェックというものがあるんですけれども、一体化させる。
だから、プロダクションデザインといって、例えば美術だったら、
オードグだとかセットデザインだとか、いろいろ部署があるわけですけれども、
それを統合するのがプロダクションデザイナーと言われている仕事ですが、
僕がやっている人物デザインというのは、キャラクターを作っていく上での、
いわゆる統合する、統括する監督職みたいなことですね。
人物デザインというのは、本当に全体のバランスを整えるみたいな感じですよね。
ディレクター職でもあるけど、コーディネーター職でもあって、
実際に具体的なものが結果として出てくれば、そのものは見えているから、
よかったねとか言って楽しい気持ちになるわけ。
でもその途中は未知だから、みんなもうすごい迷子になるんですよね。迷子になりやすい。
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だから、言っているこちらとしては、大体は技術的なことだとか、
農機的な時間的なことだとか、あるいは価値だとかってことは見えてるんですよ。
見えてないときは、それは実現可能性がどのくらいパーセントとしてあるかっていうことは、
当然それぞれの本職の人に聞いたりするわけなんだけど、
でも大体わかってるの。見えてるの。
でもみんなは各セクションとして見てるから、ものすごく不安になって落ちてるよね。
だから、それ大丈夫だからって励ましたりとか、まずはこっちが不安にならないことですよね。
本当に見えてるんで。
ということでちょっと簡単にと言いつつ、人物デザインについていろいろ話していただいたんですけども、
そもそも辻さんが今のやられていることとかなりつながっているのかなと思うんですけども、
もともと美容師としてスタートされたんですよね。
そもそも美容師になろうと思ったきっかけっていうのは何ですか?
偶然ですね。だから僕は高校生の時に全然バンドとかやって全く勉強とかしてなかったんですよ。
それで田舎で、それで卒業する頃になって就職するという意識もないし、
かといって勉強も何もしてないからどうしようって。
でも美術的なことをやりたいと思ってて、美大っていう風に思っても、
でも僕一人っ子なんですけど、一人っ子で保守的な田舎で家を出るっていうのがすごい反対されたんですね。
かといってその反対をしきって出るほどの根性もなかったわけですよね。
つまりそのためにはいくつかの自分で越えなきゃいけないハードルがあるわけだから、
だからそこまでして美大に行くっていうことでもないし、
とするとじゃあこちらに残って何か就職するのって言ってた時に母親が言ってるような美容師と紹介されたんです。
つまりものすごくただ流れに身を任せちゃったわけ。
自分の明快なビジョンに向かって目的意識で積み重ねてそのことに乗り越えてやっていこうっていうような根性の座ったものじゃなかったんですよね。
でも免許が必要なので通信教育で受けたんです。
だから最初から現場に入って通信教育で受けて免許を取ってっていう感じで3年間くらいだったのかな。
そこの美容室にお世話になったのが。
入る時にはやっぱりそうは言っても入るということに対しての覚悟は必要だから、
先生にこの仕事は儲かるんですかって聞いた。
すごい生っぽい仕事。高校生のくせに。
先生は笑って、多分いいと思うよっておっしゃって。
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その根拠は何かって言ったら、当時は30年以上前なので、
まだ男性美容師が多くなかった頃だったんです。女性ばっかりで。
そのお店も先輩の男の人が一人いたぐらいの男性美容師は珍しい頃で。
ということは製作側のマーケットとして少ないっていうことのジャンルに入るってとてもチャンスがあることだから、
そういう意味でそれから男性美容師がこれから増えていくだろうっていうのはその方も見立ててたことで。
それを僕も聞いていて納得がいったんですよね。
あればどうせなら一つのジャンルの中で先駆になっていった方がビジネスとしてもいいんじゃないかなっていうのは思った。
だから単純にアーティスティックなことだけではなくて、そういう視点で入ったっていうことはありましたよね。
地元の美容院で3年ほど勤められた後に持ち部屋に。
そうです、持ち部屋に行って。
それはやっぱり法話するんですよ。
3年ぐらいそういうようなペースでやっていくと、自分の壁っていうよりは法話の方が近いと思うんだけれど、
もう多分ここで先生に対しての魅力とか云々っていうことよりも、
この環境そのもので自分が得られることっていうもののビジョンというものがもう多分描けなくなっていたんだと思いますね。
で、と同時に当初東京に出たい、美術学校に行きたいっていうふうに思っていたことっていうのと、
美容室で3年間やってて法話したっていうようなことっていうのはどこかでリンクしたんだと思うんですね。
で、それはその時々で選べるチョイスとして何がベストかっていうようなことで考えた時には、
もうこれは出るしかないのかなと思って、
で、そのたまたまその美容業界知ってみたパリから来たモツヘアっていうところの美容室が、
なんか単純にかっこいいなと思って、本当にこれ単純なことですよって思って電話したの。
だからそれはもう自分で電話をして、面接受けたいんですけどって言ったら、いつ来るって話をして、
で、それで友達のところに転がり込んで、で、面接受けたら、いつ来るってなって。
そんな感じなんですね。
すごく簡単だったんですよ。で、多分、しわすだったんで、人手が足りなかったんだと思って。
まあとにかくすぐ決まっちゃった。
決まっちゃった。
でも、その後モツヘアに入って、3年後に原宿の店長になられたっていうことで、
全国店舗の中で売り上げがトップに。
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そうです。もう当時で60店舗くらいになってたと思うんですけれども、
ちょうどその3年目で新しいお店を原宿に出すっていうタイミングと、
僕が技術者になるっていうタイミングがあって、
あるいはもしかしたら経営者だから合わせたのかもしれないんだけれども、
そこに店長で入っちゃったんですよね。
で、最初半年間くらいはね、半年いないくらいだな、
なかなかお客様が来なかったんだけど、
アンアンかなんかで特集を組んでくれて、
それでお客様が一気にガーって増えたんですよね。
それでそれはなんとか僕の力っていうよりは、
経営者の戦略的な部分で正しい戦略を打っていったんだと思うんだけれども、
そういうところに乗っかって、売り上げが60店舗の中で、
個人売り上げも店舗の売り上げも1位になったんですよね。
すごいですよね。そこって初めから目指してたんですか、そういうわけで。
僕が目指すはずないですよ。
いやだからね、そういうのは幼稚で、
だからその頃の自分なんていうのは、
もちろん今よりもはるかに幼稚なわけだから、
しかも年齢からすれば25、6くらいの子とか、
だから何も考えてないです。何も考えてない。
店長にまず抜擢されるっていうのは何かしらこう…
光るものがあったのかという…
いや分かんないけど、
モザイヤってヘアメイクってね、
撮影用のヘアメイクをやる人たちのチームっていうのが
アトリエとしてあって、母体としてサロンがあるわけなんですけれども、
僕が入った時には、僕は美容師だったから、
ヘアメイクという職種自体を知らなかったわけ。
つまり興味があるなしじゃなくて知らなかった。
で、そのたまたま入ることになって、
ヘアメイクってアトリエがあってって早そうなんだみたいなことになって、
みなさんは、サロンに入るみなさんは、
みんなヘアメイクになることを目標に入っているわけですよ。
で、僕はそもそも知らないから、
僕の目的は東京に外に出るっていうのが目的で、
前半に格好良いから入れたと。
そうしたらアシスタントの段階から
ファッションショーとかのヘアメイクの、
つまりアシスタントで連れて帰るとかしてたんですね。
で、つまりサロン業務をやりながら、
そのコレクションシーズンって春と秋だから、
そのシーズンになると必ずアシスタントで連れて帰れてて、
他にいないの。連れて帰るの僕一人だけなんですよ。
ああ、周りの方たちは?
そうそう、みんなは。もっとまともに仕事ができたからなのかもしれないんだけど、
サロンとして引き寄せとされてたからかもしれないけど、
連れて帰ったんですよね。
でも、だからなんでかなと思ったけど、
なんでですかなんて聞くわけにもいかないじゃん。
で、聞いたら最後連れてかれないかもしれないなと思っちゃって。
で、まあまあそんなこともあって、
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ずっとその状態が続いたんですね。
その3年間ぐらい続いていて、
それもまだ20代の頃ね。
そうですそうです。もうね、ずっとです。
ずっと連れてかれてましたね。
で、それがなんか、うまく慣れてったんですよね、それも。
で、それが不慣れな人を何回とっかいひっかい繋げるよりは、
ずっと同じ人を繋げるほうがいいじゃないですか。
で、まあそんなわけでずっと連れてかれてて、
で、だからサロンの店長になってからも、
そのことは続いてたんですよね。
だからサロンで売り上げがあるのに、
技術者として外に出ると、
その売り上げがその時間帯は減るわけじゃないですか。
なのに経営者は連れてってくれてたんですね。
だから先行投資、上と下先行投資してたわけですね。
いやーでも本当にコレクションではすごい、海外にもいろいろ。
あの頃はね、ファッションが一番力を持ってたと思うし、
お金も動いてたと思う。
経済そのものがそこに行ってたような感じがしますね。
で、そのヘアメイクっていう概念そのものっていうのも、
もちろんその美容室の人が、
そういうところにコレクションみたいなところに行って、
やるみたいなのがあったんだけど、
60年代くらいからもあったんですけど、
ヘアメイクそのものを職業としてやるっていう概念が、
決定付けられたのは80年代だと思う。
つまりそれだけ経済がファッションに対して動いてたからですよね。
そういう海外にも出られたりとか、
っていうご経験もある中で、
今その20代の頃を振り返ってみて、
今のお仕事に生きてることって何かあったりとかしますか?
いやもう全部だと思うんですよね。
とにかく数やったっていうのは大きかったと思うんですよね。
あとね、疑問をいろいろ思うじゃないですか。
何でこのことをやってんのかなとか、
やらされてんのかなとか、いろいろ思いますよ。
だってそれやっぱり一つの組織の中にいて、
自分の思惑とは違うことをシステムとしてやらざるを得ないということはあるわけだから、絶対的に。
なんでだろうなと思いながらも、
思いながらもいかんともしがたくそのことをやらなきゃいけない。
っていうのはそのためになったことですよね。
何でも自分の意思によってチョイスをして動いていくってことの大切さってもちろんあるんだけど、
20代の頃って技術や知識やあるいは開発力みたいなことっていうのはまだ土壌にあるわけだから、
とにかくその膨大な情報っていうものをもう有無を言わさず入れなきゃいけない時期だと思うんですよ。
それは、いや俺はそれ好きとか嫌いとかっていう問題じゃなくて、
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とにかく入れるってことだと思うよね。
意味は後からついてくるから。
それはもう膨大にやってたんで。
もう膨大ですよ。
それこそそういうブームの中にいたので、
嫌おうなしですね。
とにかくやらなきゃいけない。
シーズンの中で、
例えばGOメゾン、GOデザイナーやれば、
もうパニックなんですよ。
つまり自分のアイディアとか技術的なことだとか特色だとか、
そのことをどういうユニークさで出すのかって、
いうようなことも含めて、
もうGOもやると本当に枯渇するんですよね。
でもその時、僕15ぐらいやってたときがあったので、
それってもう麻痺状態になる。
脳が麻痺した状態になるんですよね。
それはどう対処してたんですか?
でもそれでも出るの。
麻痺するぐらいやったほうがいいと思うんですよ。
練習とかも、もちろんテストで上がっていくわけだから、
どうしてもやらないとそのことは得られない。
自分の体の中に得られないから、
膨大にやらなきゃならないし、
と同時に自分の好奇心というのを消さないために、
そのテストも練習以外に、
自分の友達をスタイルを作ったりだとか、
メイクをしたりだとか、
まずは部屋からやらなきゃいけないので、
メイクの練習とかっていうのはテスト外なんですよ。
でもメイクに興味があったならば、
自分でやるっていうことなんですか。
それ自体はプラスアンパーが働いてるから、
自分でやりたいことでしょ。
だからやらなきゃならないってことと、
やりたいことの両方やってたんで、
時間が足りないみたいなことになるわけ。
でもあんまり飲みに行くお金も持ってなかったし、
みんな飲みに行ったりとかしてたけど、
僕は意外と友達連れてきて、
そういうことをやってる時間がすごく楽しかったし、
後から考えてみればすごく多かったと思うんですね。
なるほど。
若いうちにはとにかく経験を詰めっていうことですね。
そうですね。
それもやらされるっていう部分が半分あって、
自分がモチベーションを持ってやるっていう半分で、
それで料理にした方が楽しいと思うんですよね。
そうですね。
そこの時間の使い方っていうのも
なかなか難しいところなのかなと思うんですけど、
そこに関してはまた別の回で
お伺いしたいなと思いますので、
今回はスタートが違うということで、
いろいろと杉さんの20代の頃に
お伺いしてきたんですけども、
どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
数ってどの世界でも裏切りになるんですよね。
はい、そうでしょうね。
これは不思議なことでというか、
杉さんのお話でも当然、
数を見てきた分で、
今多分この人にはこれが合うとか、
人この人はこうだとかっていうのって、
理屈じゃなくて数なんですよね。
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そうでしょうね。
もとでもっているデータベースがあって、
そこに無茶して考えるので、
これは実はどの仕事にも当てはまって、
やっぱりこうある一定の数を越えて始めて、
感覚がついてくるっていうか、
なるほどね。
なんかスタートってそういうのが
すごい大事だよなっていうのは、
やっぱりこの世界でも一緒なんだなと思いますよね。
そうだね。
本日のトークはいかがでしたでしょうか。
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