1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/03/08【Ⅱ軸/回避】
2025-03-08 1:59:40

2025/03/08【Ⅱ軸/回避】

回避しなければいいってものでもないのですけど、会費はとても厄介ですね

サマリー

このエピソードでは、花粉症に苦しみながらも、自身の旅行体験や家庭内の親子関係について語っています。特に新幹線の運行問題によるストレスや、母親との葛藤を通じて、予測不能な人生の出来事について考えています。このエピソードでは、親との関係における怒りや不安、そしてそれが子供に与える影響について考察しています。また、無意識的な行動やその背後にある心理を分析し、親の不安がどのように子供に伝わるかを探っています。精神的な問題や親子関係についての深い考察が展開されます。特に、二軸障害や複雑性PTSDに触れ、人間関係の複雑さや感情の葛藤が描かれます。また、精神科医としての経験を交え、感情の管理や修正の可能性について考えています。日本における精神科医療事情と、イタリアのアプローチの違いがテーマになっています。地域における精神科患者の受け入れ方や、患者同士の支え合いの重要性についても掘り下げています。このエピソードでは、プログラムや社会における不適応行動について議論され、人間の選択や自己愛の影響が強調されています。また、心理学的な視点から依存症や認知行動療法の難しさについても触れています。このエピソードでは、心理療法と行動介入を通じて、患者が抱える不安や恐怖を克服するプロセスについて論じられています。特に、認知行動療法がどのように機能し、自己認識を高める手助けをするかに焦点を当てています。このエピソードでは、回避行動に関する問題を掘り下げ、人間関係や治療関係の難しさに焦点を当てています。また、SNSや陰謀論に対する回避行動が、現代社会における孤独な状況を反映していることについても議論されています。映画館での集中して映画を観る経験や、情報を避ける傾向について語られています。また、相手に対する評価基準を下げることによる自己肯定感の向上についても触れています。

花粉症の影響
それでは、放送を始めます。
進行は、私、刺身ちゃんですともよろしくお願いします。
2025年3月8日、土曜日、8時11分、自宅から生配信です。
おはようございます。いちごうさんです。おはよう。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
毎朝、目をひっかいて起きるのが決まりみたいになってます。
とにかく目がかゆい。
一応、寝る前に花粉症の薬はいつも飲んでるんですが、起きる頃には大体切れています。
おそらくというか間違いなく、暖房をつけているので、その暖房の空調から花粉が大量に流入しているような気がします。
その暖房の風が直接僕に当たるんですよね。
なので必要以上に花粉が僕に集まってくるんですよね。
非常に朝から不機嫌というか。
睡眠の質もちょっと落ちちゃうしね。参っちゃいますね。
という今日この頃です。
まあでもね、ついして、まあまあ疲れは取れたかな。
今日明日と2日間もしっかり休んで、月曜日からまたしっかり働ければなと。
鼻ムズムズしますよね。去年も花粉症の症状ありましたか?
うん、もう毎年のことなんですよ、これは。
僕は鼻よりも結構目にくるタイプですね。
鼻はまあなんとか薬飲んでるんで、そっちはなんとかなってるんだけど。
目がね、目がムスカみたいな状態になってます。いつも朝起きると。
おはようございます。どうもおはようございます。
おはようございます。朝です。
どうしようもないんで、まあ目薬かね。
なんかアイボンっていう目をパチパチしてなんかこう洗うやつ、目のシャンプーとか言われてる。
まああれをこの後買ってくるかですね。
気休め程度に。
よく見たらムスカみたいな顔のアイコンですよね。そうなんですよ、よく見たらね。
ムスカ好きなんで。
好きなアニメのキャラって言われたらまずムスカかな。
愛すべきキャラですよね。
どうして、精神科医としてはさ、どうしてあんなムスカみたいな人になっちゃったんだろう、ムスカがさ。
おそらくは純粋に何かこうね、戦車とかさ、機械とか乗り物が好きな少年だったはずなの。
ここに一回どんな苦手したドラマがあるんだろうって想像力をかきたてられるよね。
ナウシカとか、あ、ナウシカじゃねえや。
エボシか。エボシとかクシャナとか。
いずれもそんなにね、ジブリの中では人気のないキャラだけど、気になりますよね。
配信者さんは花粉症で朝から辛そうですが、配信中はその不快感をどうコントロールしているのですか。
いやもうコントロールできてないです。ずっと不機嫌ですよ。
ムスカに惹かれる理由は彼が持つ屈折したドラマに興味があるからですか。
旅行のトラブルとストレス
いやそこが描かれてないんだよね。だからまあ想像の自由があるんで。
クシャナは描かれてるんですよ。漫画版の方でね。映画では全く描かれてないけど。
最近チャットGPTの命令文を変えたからちょっとイマイチだな。
質問はちゃんと3つ飛んでくるようになったんだけどその質問の質がなぜか落ちてしまった。
難しい奴だ。どういう風に調教したらいいかって難しい奴だね。
おはようございます先生。どうもおはようございます。
連休はお出かけしないんですか。連休ってあったっけ。
最近カレンダーを全然見てなくてですね。連休連休。
土日は特にどこにも行かないです。
これまで年明けからずっとおばあちゃんが帰国状態だったんですが、
実は先日おばあちゃんが亡くなりまして、
先日あの新幹線の連結部が外れた日からですね。
日に津谷とその翌日国別式があったんですよね。
僕はその新幹線の連結部が外れたせいでですね、あれは東北新幹線だったんだけど、
北陸新幹線と上越新幹線の運転見合わせになっちゃって、
あの日津谷が遅れるかどうかっていう結構瀬戸際だったんですよ。
もうなんとかしていかなきゃと。
どうする?車で行く?とかさ、新潟まで。
どうするどうする?みたいな。
東京駅に僕その時いたんですが、ちょうどその東京駅の近く、東京上野間で連結部が外れたらしくて。
大パニックです。
なんかあれでさ、結局なんかいろんな情報が錯綜して、
スマホのJRアプリとかには載ってないんだけど、
なんか大宮駅から折り返し運転の情報が入りましたみたいな。
駅のアナウンスだけ急にそういうのが流れ始めて。
よっしゃ分かった、大宮までまず行こうとかって言って、
大宮まで在来線で行って、上野東京ラインで行ってさ。
そして大宮駅に行ったら、現在そのような情報はありませんと。
でも、北陸新幹線の方は折り返し情報がございますみたいな感じでアナウンスが。
北陸新幹線にとりあえず乗って、また高崎まで行って。
高崎で僕ずっと新幹線を待ってたんですよね。
僕というか僕たち、弟と一緒に。
でもそこでまた運転再開が14時半だったんですけど、
そこからまた信号確認とかで30分から1時間ぐらい止まって、
高崎の寒いホームの上でずっと1時間ぐらい立っててさ。
何が言いたいかというと、旅行好きの人ってそういう、
そういうイレギュラーも含めて、
自分が立てた予定通り行かないところに何か、またくすぐらえる何かがあるのかもしれないけど、
僕はただただストレスなんだよね。
自分が立てたプランが壊れ、情報が錯綜しながら、
結局ずっと1時間ぐらい寒い高崎の駅のホームで待たされるみたいなのがやっぱ辛いんですよね。
あんまりそれをこう、やっぱり旅っていうのはなかなかうまくいかないもんですなーみたいな、
楽しむ心のゆとりが自分にはそんなにないなと思う。
以前よりかはね、会ったんで弟といろいろ深い話ができて、
まあ結果的には良かったんですけど、
これ一人旅だったら結構辛かったなーっていうふうに思います。
なので連休だろうと、4連休だろうと、
僕はやっぱりあんまり遠くに行って旅をして、
予定にない筋書きみたいなものが入り込むことをあんまり深くは望んでないのかもしれない。
まあおばあちゃんが亡くなって葬式が無事終わったらどっか遠くに旅行にでもと思ったんですが、
親子関係の葛藤
今回の一見でやっぱり遠くに行くと帰ってこれなくなっちゃうんじゃないかなとか、
また新幹線が連結部が謎に外れて止まるんじゃないかなとか、
考え出すともうなんか近場でいいかな。
家の近くのサウナに入って帰ってくるでいいかなみたいな。
っていう思いもありますね。
みなさんどうなったろうね。
そういうのも楽しいって感じなのかな。
列に並ぶのも楽しいですっていう感じ。
ムスカのドラマが描かれていないことで想像の余地がある。
視聴者にとって見えない部分を残すのは配信でも大事だと思いますが、もちろんですね。
僕なんかも顔を見せてないですしね。
ニコ生時代からほとんど顔は出してない。
今もパンツ一丁で配信してますし、
そうやって見えないっていうことは色々都合が良かったりします。
旅先で予定を入れたらイライラしそうですよね。
とかなんかバスが動いてないとかね。
だったら全部スケジュールがずれ込んじゃいますもんね。
そういうノイズも込みで楽しめる人が旅行が好きなんだろうなって。
僕はあんまり楽しめないな。疲れちゃう。
ずっとスマホで情報確認しちゃう。
っていうことを改めて再確認しましたね。
必要がなければそんなに動かなくていいんじゃないかな。
旅行中のイレギュラーが苦手だということですが、
精神科医としては人生の予測不能な出来事に対して患者に何をアドバイスしますか?
急にちょっと難しくなったね。
僕はまずアドバイスする前に患者さんがうろたえてるんだったら
まずどうしてうろたえたのかっていうのを聞きますけどね。
アドバイスをするっていうことは結構少ないですね、精神科医って。
特に精神療法をやってる先生はね。
患者さんもそんなにアドバイスを求めてるわけではないでしょうし。
でも本当にそうだよね。
あなたが質問の中に前提として込めたように
人生も予測のつかない運転復旧の見込みのないことだらけですよね。
最初に立てたプラン通りには全然いかないから。
なんか北陸新幹線でとりあえず高崎までは行ってそっから考えようみたいなさ。
そんなんばっかですよね。
思い返すと俺もアメリカにね、小学校5年生くらいの頃
最近なんか懐かしくなっていろいろ思い出すんですけど
小5とか小6にアメリカにいましたけど
まさか今30越えてこんなどいなかの精神科の病院で働いてるなんて
その時は全く想像もしなかったからね。
今は今で割と満足してるし
結局こういうライフスタイルが自分に当てたんだっていう風に
分析した結果一番ここが心地いいところなんですよね。
そういうのがあんまりよく分かってなかった時代だったんで
周りに勧められるがままにね。
これがいいんだっていうレールの上をなんとか歩こうと
必死に頑張ってたんで
なかなかこうなるとは想像つかなかったよ。
あとちょっと軽く葬式のことを一瞬振り返ると
ツヤと国別式って分かれていて
ツヤがあったんで近くのビジネスホテルで一泊して
翌日国別式も朝から取り行ったわけですけど
その国別式の朝
母親から何回も電話があって
うるせえなと思って取ったら
起きてる?とか言って寝てると思った。
その時もちろん起きてるし
あとあんまり寝れてなくて
花粉症の目の痒みでイライラしてたんですよ。
それもあってか母親から子供扱いされたことに対して
無性に腹が立ってきて
ガキじゃねーんだよガキじゃよ
うるせえなってガチャって切ったんですよね。
なんかもう少し穏やかに俺も言えたはずなのに
なんか母親の分かってなさというかね
ただ電話されたことで怒ったんじゃなくて
こういうことが今まで100万回くらい繰り返されてるんですよね。
俺に電話するなと
っていうことを俺10代の頃からずっと言ってるのに
この人の頭の中に入ってねーよって
言ってるのにこの人の頭の中に入ってねーんだっていう
怒りがまた湧いてきてるんですよ。
だからこれは何の怒りかっていうと
お前親のくせに俺のこと何もわかってねーなって
俺に電話したら怒るに決まってんじゃん。
昔からそうじゃん。
だって自分のこと自分でできてるんだから
お前がガチャガチャ俺の部屋に入ってきて
邪魔するからおかしいことになるんだから来んなよと。
だから一人暮らしも始めたんだし
距離もとって暮らしてるんだから
LINEなんかでガチャガチャ鳴らしてくんじゃねーよ
っていう10代の頃から持ってる怒りが
パッと瞬間的にね
今まで多分そういうの抑圧されたり乖離されてるんだけど
睡眠不足と花粉症の薬の副作用と
なんかいろいろ合いまって
なんかこうね
その時のちょっとこうね
この後国別式って精神状態が合いまって
瞬間的にカッとなりましたね久々に
そしたら母親もようやく大人しくなって
シュンってなったんですけど
この極気が俺高校2年生か3年生の頃に
母親に包丁を突きつけた時だったんですよね
それほどではないけれども今回は
でもこれと同じ文脈の中で
俺は多分包丁を突きつけてるんですよね
俺の人生をめちゃくちゃにすんじゃねーよお前は
一時ガチャガチャ入ってくんじゃねーよこの野郎と
って言って包丁を突きつけなければ距離が取れないぐらい
ヒステリックで
よく言えば心配症ですけど悪く言うと過観症ですよね
要するに自分の不安を解消するための道具みたいに
使われることに対する抵抗ですよねこれは
怒り
結構正当な怒りだと思うんだけど
そうしないと僕の人生がめちゃくちゃになるからね
なんかそれを久々に
すごく生々しく生々しい手触りとともに思い出しました
おばあちゃん云々じゃなくて母親との関係性が
今なんかパッとこう
第一に浮かんできますね
10代の頃は例えばですけどどんな声かけが嫌だったんですか
声かけではなくてね
母親と僕の部屋ってあの
当時住んでた家だと向かい側にあったんですよね
同じその一軒家の中で2階で
僕のちょうど真向かいに母親の部屋があって
母親が自分の部屋のドアガチャンって開けるとその
もう0.5秒後ぐらいに俺の部屋ガチャンって開けて
起きてる?
死んでない?
起きてる?
ご飯食べる?
ご飯食べてないの?
なんで?
みたいなもうこの感じ
うるせえなババアってなるじゃない
その皆さんのお子さんでもいいですよ
その14歳とか15歳ぐらいの頃のさちょっと
学乱来てるような反抗期のさちょっと
感じを思い浮かべてもらうともう
こうなるでしょ
親との関係と怒り
うるせえなババアでしょ
こっちでやってんだよ
こっちのペースで食うし
別に休みの日なんだから自分で起きるし
うるせえババアってなるじゃん
でこれが
あの100万年続くことをイメージしていただくと
分かるかな
なんでそんなガチャって来ることに起こるんですかじゃない
これが永久に繰り返され
そしてこれと似たことが
オンラインでも繰り返され
でただ心配で心配でとか言いながら
入り口は心配なんだけど
いつの間にか母親の話になってるんですよね
ご飯だよ
ですぐ来ないのはなぜですか
いやご飯じゃないからですね
ご飯の時間じゃないからです
それは母親のご飯の時間
うちの一家ってちょっと特殊で
家族揃って飯を食うっていうあれが一番
家族揃って飯を食うっていうあれがないんですよね
でそれ俺の飯の時間じゃないし
俺のタイミングで食うし
今勉強してるタイミングで
あれこれをやってるタイミングで
俺の好きな時間に起きるし
それは俺の責任で生きていくから
なんでお前にいちいちコントロールされなくちゃいけないんだっていう怒り
ごめんなさいね4号さんがもし
今僕に対してイライラし始めたんだったらそれは謝罪します
そう4号さんはあんまり関係ない気がする
なんかうちの息子に見えてきたみたいな怒りだとしたら
それは謝罪しますすいません
別にここでねリスナーと俺が喧嘩しても
全く本当に何の意味もないし時間の無駄なんで
それはシンプルに謝罪しますね
なんか別の話題をご用意します
ただ僕は怒ってるんじゃなくてね
自分の内面を今自由連想してるんですよね
何もしてません
あー良かったです
なのでこれは実はライブパフォーマンスだと思って
一旦飲み込んでいただくか
ブラウザーバックしていただくといいかもしれない
そうこれは実は
あんまり普通の人ができないことを今僕やってるので
要するに10代20代の頃の前半の頃の自分を今
表意させながら話してるからね
普通の人はあんまりこういうことをなさらない
でも今回は意図せずそれがまあね
子供みたいにもう本当にクソガキみたいに
扱われたことに対する
怒りとか
無意識の影響
母親はまあちょっとそういうところがあるなって
もしかしたら母親はそうやってクソガキみたいに
自分が幼少期の頃
親とか母親に扱われたのかもしれないし
なんかそこら辺の連鎖に今自分は
うん触れてんのかなっていう感じはすごいしますけどね
気になったんです
先生の内面が知りたくてどうもありがとうございます
他にも気になったところがあったら
ぜひどんどんずけずけ質問してください
親への怒りをどのように扱うかっていうのは
最近のもう1月以来のうちの配信のテーマで
まあ専門的にはね
その認知行動療法とかスキーマ療法とか
早期不適応的スキーマねコーピングスタイル
そこら辺の話を割としつつ
まあ結局はこれって訓練なんだよねとかさ
アドラーが言うほど人生は実は自由ではないし
そういったことをね
アドラーが言うほど人生は実は自由ではないし
人々の選択権というのは実はそんなにないんじゃないかな
という話の延長線上にある問題ですよね
ほとんどこれはもう瞬間的なものというかさ
頭で動いてるっていうよりかは
なんか体に染み付いてる感覚があるんですよね
さっきの僕のバッと母親に抵抗するのもそうなんだけど
例えばまあすごく次元を下げると
全然知らない人がですね
まあバスの席に座ってて隣の乗客がずっと
1時間2時間貧乏ゆすりしてたとするじゃないですか
ずーっとなんかカタカタカタカタって貧乏ゆすりし続けると
あなたはなんか心の中に色々浮かんでくると思うんですよ
貧乏ゆすりする人が頭の中にシミュレートされると
それに対するあなたの感情と
貧乏ゆすりをする人の真理みたいなものが
自動的に立ち上がってるはずなんですよ
あなたの頭の中に
意識の上に
それは大体穏やかなものではないですよね
なんでこいつさっきから貧乏ゆすりしてんだろう
とかっていう自分のネガティブな感情が
自分の感情とはいえほぼ向こうから
侵襲的に侵入的にやってきますよね
こいつ何なんだろうみたいな
誰もこいつに対して今まで何で注意してこなかったんだろう
っていう自動思考が立ち上がってくると思うんですけど
その10倍ぐらいすごい感じかな
今僕が言ってるのは
ほぼ主観とかではなく客観というか
事実としてしか受け取れないぐらいのレベルのものですよね
生活リズムを整えてほしいという親としての思いが
あーお母さん側の意識はどうだったんだろう
っていう話ですね
なるほど4号さんはお母さん世代の人だ
なるほどね
その時の母親はどういう意図があったのかっていうのは
合理化すればもちろんそうなると思いますよ
ちゃんとね社会に戻ってほしいとかさ
ちゃんと学校に行ってほしいとか
人が健やかになってほしいっていうことを
つらつらと意識の上では母は述べて合理化するんだと思うんですが
実際は母親はただ不安
自分の不安ですね
自分が不安でその不安をただぶつけてるだけなんじゃないかなと思うんです
不安の解消の仕方がわかんないから
それを鑑賞するだけで終わっちゃってる
だから要するに追い詰めるとか脅すだけです
そんなことやってたら医者になれないよ
大丈夫なの
どうするつもりなのこの先
っていうふうにひたすら直面化してるだけで
不安を抱えきれてるわけでもなく
ただつらく子供に当たってるだけですよね
親はそうやってよく合理化するんですよね
いやあなたのことが心配でとかさ
お母さんだって本当はこんなこと言いたくないんだけどさとか
言い訳をする生き物なんで
本人もよくわかってない不安の爆発とか脅しっていうものを
親は無自覚に結構やるんですよね
この配信の前提にもありますけども
人は意識ではなくて無意識を前提に動いているので
なんでご飯が好きなんですかと
パンが嫌いでご飯が好きなんですかって聞いても
その人が言う答えっていうのは別に本当の答えではないんですよね
ただ親がパン食ってるのが嫌だっただけかもしれないし
本人はそれに対する親への怒りみたいなものをよく当てて
爆発してるだけかもしれないし
基本的に本人がこうですああですとか言うさ
就活の自己分析みたいな自分の語りっていうのは
基本的に全部上滑りしたりしてるわけです
ほとんど的外れなんですよね自分の分析っていうのは
まずそういう大前提がありますので
本人にその理由を問うても
本人はその理由を知らないんですよね
っていう前提がありますので
本人に質問したりインタビューしても意味がない
わかりやすい理由生活リズムを整えてほしいとかっていうのも
おそらく嘘ですねそんなことではない
僕なんか最近いろんな本を読んでいて
アドラーとかももちろん含めてですけど
人間って無意識なんじゃないかなって
あるいはその人間というものは
無意識って言うとフロイトの機械みたいな
無意識があって全意識があって意識があってみたいな
機械構造みたいなものを想像されちゃうので
思い切って僕植物的って言いたいんだけど
生命って僕もともと植物的なものなんじゃないかな
と思うんですよね
つまり光が植物ってなんか日の当たる方向に
茎が伸びていって葉っぱがパッと開くじゃないですか
自分の生存を確保するために
それと同じように植物みたいに基本的には
生存を確保するために
植物みたいに基本的には生存を維持したり
自分自身の遺伝子のコピーみたいなものを
次世代に渡すために一番最適化された行動を
基本的には取る
もうあの無意識の生き物
だと思うんですけど
あるいは親がこう吹き込んだ価値観みたいなものを
一番叶えるために一番最善の行動を取る
ある意味機械ですよね植物っていうのは
ロボットみたいな
ロボットとか昆虫の心のことを僕は無意識っていう風に
言ってるんだと思うんですよね
昆虫も甘い樹液の元にバーっとこう群がるじゃないですか
っていう風にプログラムされてますよね
そういう機械みたいに事前に
これを良しとするっていう報酬系みたいなものを
埋め込まれて
それに沿ってなんかひたすら向かっていく
だから目の前にどんな障害があろうが
壁があろうが岩があろうが
それをよじ登ってでもその樹液を吸いに行くっていうのが
植物の心であるし昆虫の心であるし
人間でいう無意識だと思うんですけど
僕その人間でいう意識っていう方が
実は余剰分というか
後からできた余計なものというか
後で確保されたより小さいものだと思うんですよね
で多分その人間の本体は植物の無意識の方にあって
なぜ意識が必要になったかっていうと
そのプログラムそのものを修正する
プログラムが必要になったから
つまりこの樹液を吸うということを続けていくと
生存する確率が減る可能性があると
っていう風になんか待てよと
なんか幼い頃から何も疑わずに
これ樹液を吸おうとか太陽の光を浴びようとしてきたけど
これまずいんじゃないかっていう
瞬順というかさ
一旦こうためらい
みたいなものが僕は意識なんじゃないかな
意識の役割っていうのは
そういうなんかこれを壁をよじ登って
樹液を吸おうとみんなしてるけど
これってもしかして間違ってるんじゃないかな
っていう風になんか思い直して
別のことをしだすための
つまりプログラムを修正するためのプログラム
として機能してるんじゃないかな
だから昆虫はそれがないんで
ずっと樹液を吸い続けてきた結果
なんか死ぬよね
もしその樹液に何か毒物が含まれていたら
その一体の昆虫全体が死にますけども
人間の個体って一定数
自己意識と生存
瞬順してなんか違う行動を取り始める個体がいるので
仮にその樹液に毒物が含まれたり
同じ川の水を飲んでみんな
食中毒になって死んだとしても
必ず別の行動をする個体が生き残るので
結果的にそういうなんか
自分を疑って
全然従来と違うことをしだす
思い直すみたいな
ことをしてる我々みたいな
意識を持った生物はやっぱり
生き残りやすいのかな
っていう風になんか
自分を疑う
後からこう
この肉体とか精神を
乗っ取ったものとして
僕なんか意識っていうものがあるんじゃないかなって
最近そういう人間感を
なんかいろんな本読んでいくとね
別にそういう人はどこにも書いてないんだけど
持つようになりましたね
だから
我々の肉体と精神に
後から寄生したものが
いわゆる僕たちが思っている意識であり
自分という幻想なんじゃないかな
ふむふむ言われてもはって感じ
どんな風な関わり方をされたら
対応する気になったと思いますか
どんな風に対応
どんな風な関わり方をされたら
対応する気になったと思うか
まず夫婦仲をちゃんとしてほしいよね
その夫婦仲の
不和を全部子供にぶつけてきたり
あるいは父親の悪口を
俺の前でずっと言い続けるようなことは
まずやめてほしかったな
だから俺に命令をする前に
まずてめえがちゃんとてめえの人生に
蹴りをつけろって
それもできてないくせに
偉そうに親だっていう理由だけで
俺に指示出すんじゃないって思ってました
それは割と
ちっちゃい頃から思ってました
人間として何もできてないくせに
偉そうなことを言うな
自分ができなかったことを
子供に叶えさそうとするなって
その道具じゃないんだ俺は
その手足になりたくもないし
っていう風に割とはっきりと
意識するようになったのは最近ですけども
子供の頃はとにかく
嫌だなって
なんかすごく自分の体が不自由になっていき
心も全部
内側から乗っ取られてるような気持ちになって
親との関係の複雑さ
とにかく死にたかったですね
子供の時はそのぐらいの
解像度しかなかったんだ
でもそれが言えないし人に伝わらないんで
なんかとりあえず鬱病という形で
取り扱われてたんだけど
今考えるとそれは鬱病というよりかは
二軸のね
DSM4で言うところの
二軸の障害
PTSDとかの障害であり
最近流行る言葉で言えば
複雑性PTSDとか
BPD NPDに
代表されるような
パーソナリティ障害
あるいは最近の
DSM5のTRの方ですね
改訂版で
追記されたような
病的な
パーソナリティ特性
に含まれるような
否定的な
感情であったり
乖離してる感じとか
まあまあ細かく言い出すとね
単純な鬱病
ってわけじゃないってことは
精神科医になってから
後から分かりましたけど
そういう人に対する薬物療法っていうのも
極めて効果が限定的なんですよね
僕のプロフィールページにある
自己愛の問題っていうのを
読んでいただきたいんですけど
あれは交通財の効果を弱めるんですよね
ああいう幼少期の頃の
自己愛の問題っていうの
めっちゃ分かります
ドキッて
みなさんはもう
お母さんとしてはね
全然合格点だと思うんですが
うちは結構合格点で出せるかどうかの
ギリギリのところだったんですよね
うちの母親は
うちのおばもそうですけれども
とにかくブチギレやすいし
ヒステリーですね
あっわかったじゃあお母さんもう死んだらいいんだ
そっかわかったもうお母さんいなくなるね
っていうようなことを
割と俺がもう物心ついた頃から
ずっとやりがちな人なんですよ
これを言えばわかると思うんだけどね
それをだんだんだんだん年々
なんかこう巧妙になっていくというか
ただ死んだら
いいんだじゃなくて
もうあれだ息しないでいいんだ
お母さんそれだ
じゃあ息しなくなったらお母さんも
むくんで死んでもいいんだみたいな
だんだんなんか飛躍が
息詰まって死んでもいいんだよお母さん
じゃあお母さん荒川で溺れて
沈んでもいいんだみたいな
だんだんバリエーションが
そう年々ね
僕が成長していくとともに母親も
ヒステリックもなんか巧妙化していき
とにかく
結論としては
あなたひどいね親に対するそういう態度を
取るあなたって本当に親不幸だね
っていう罪悪感を植え付けてきて
コントロールしようとする
こういうのを
操作性と言いますし
先ほどの
DSM5TRのところで言うと
対人機能が
非常に悪いんですよね
共感性とか
親和性他者に対する
親密性っていうものが非常に
希薄なんですよねうちの母親って
対人場面で非常に
冷淡に移りますね
こういう人って
その割には仕事はしっかりやるんですよね
なんかニコニコしちゃって
お母さん死んじゃったらいいんだ
じゃあもう死んじゃうからとかって言ってるさなかも
急になんか家電がかかってきたら
はいもしもしみたいな
急にコア色変えてね
ターミネーターみたいな
ターミネーター2みたいな感じで
急になんかコア色変えて
別人みたいになるんで
いやあれはすごいな
そうなんかそういう
使い分けができちゃう人なんですよね
だから知的には特に問題がないんですよね
パーソナリティの問題なんですよね
むしろ
知的能力が高いからこそ
使い分けて人をこう苦しめたり
持ち上げたりすることが
容易にできちゃうっていう
知的障害とかだったらね
ただ暴れてどなって終わりなんだけど
知的に能力がある人の切れ方でね
お母さんの決まりの台本なんですね
そう
母親は父親に対しても
ずっとそういうことをやるんで
母親はもう日本に帰ってきた中学生の頃には
もう両親は口を聞かなくなってましたし
ご飯ももう
全く一緒に取ることも
なくなりましたし
母親がご飯できたよって言うけど
あの手料理なんかしないんですよ
近くのスーパーで買ってきた
ちっちゃなあのお寿司のパックとかを
ただ買ってきてるだけなんですよね
なんで食ってないのって怒る筋合いは別にないんだよね
向こうには
向こうにもこっちにもさ
でもてめえは別に買ってきたんだから
向こうから取ってきて勝手に食うだけなんだから
黙ってろって感じじゃん
それをなんか偉そうに
母親顔面すんじゃねえよと
母親面すんじゃない
精神科医の視点
っていうもうなんか
まあ怒りとかね
とにかくもうなんか語りだすと
無限に像が湧いてくるような
憎しみが湧いてくるような
怒りを通り越したこれ憎しみですね
様々なものがもう
心の中に織りとなって
溜まっていって
そういうきっかけで全部こう爆発する
じゃあ言わせてもらうけどね
こないだのこれの問題と
3年前のこれの問題と
みたいなさこれ全部お前のせいなんだよ
っていう風になんか全部こう
物的証拠を挙げながら
ブチ切れたいよ
そういうことをなんか割とね
10代の半ばぐらいから
母親に対して思っていて
最近コントロールできてきてはいるんですが
まあやっぱり余裕がなくなるとね
睡眠不足とかやっぱ結構
余裕がなくなる典型ですね
国別式の朝は
こうカッとなったね
小さかった先生は
混乱しますよね
だから母の日とかすごい
嫌でしたね
なんで感謝しなくちゃいけないんだよ
ふざけんなよっていう風に割と
小学生の頃から思ってた
で他の家庭はどうなってるんだろうって知らなかったから
大体どこもみんな演技してんだろうな
って思ってたら
実はそんなわけでもなかった
親と仲いいんだよ
みたいな話を聞いた時に
結構衝撃的でしたよね
え?って
みんな演技してんじゃないのって
その時初めて自分だけ与えられていないことに
気づいて
それはとても残酷なことですよね
これはなんか世の中でいう
反抗期とどうやら違うらしいぞと
心理学の本読んでも
こういうものがね
よく起こると思ってたけどこれ反抗期じゃないな
反抗するにはまず親密期というかさ
そんな言葉はないけども
まずぺったりくっついて
充足してる期間があっての
反抗じゃん
そっから分離独立してく上での
戦いがあるのに
うちはもう密着してた時期がない
密着も
温かいものではなくてお互い罵り合う
っていう形で
ずーっと口論し合うって形で
ぺったりくっついてただけなんだよね
言わせてもらえますけどさ
みたいな
喧嘩だよね
そうすると向こうも100倍になって返してくる
あたしだって別に結婚したくなかったなよ
みたいな
それは知らねえよって
なんか勝手に生まれてきちゃったんで
あんた達はみたいなこと言い方をするからさ
ふざけんじゃねえよ
てめえらの責任だろうと
こうなったのは
っていう口論でくっついてただけで
それをそっから離れるっていうのは
反抗期とはまた別のものですよね
殺し合い 果たし合い
とにかくこの罵り合いをしていると
自分の人生の時間が
溶けてなくなっちゃうから
もうこれを何とか切り離さなければならないという
命がけの分離ですよね
これは反抗期とは僕違うものなんじゃないかな
と思うね
というか違うものなんですよ
専門家として言いますと
エリクソンとかが考えた発達のラインに
乗ってないよね どう考えても
先生は精神科医なんですか
そうです
実は
朝からこんな酔っ払いみたいに
話してるんですが
実は精神科医です
あまり胸を張って
言えることではないけど
こんにちは どうも
ぶち切れられるほど
お母さんにつながれてたら
楽なのに
と思います 私は精神科の患者ですと
大体みんなそうです
ここにいる人は大体
何かしら精神を病んでいます
私も含め
自動的に浮かぶ
怒りや嫌悪感は
抑えがたいとのことですが
精神科医として
そうした感情を訓練で
和らげることが可能だと
本気で思いますか 挑戦的だ
本気で思ってんのかと
いや本気で思ってますよ
そう思わないと生きてらんないよね
人間はもう
すでにプログラムされていて
いずれ僕はね
次元爆弾みたいにさ
ある何歳の時期に必ず自殺するように
プログラムされていたら嫌ですよね
だとしたら
それを意識によって修正したいですよね
最近ちょっと話が変わっちゃうけど
最近他の先生から
紹介された
竹田哲也の
三枚卸とかっていう
ポッドキャストの番組があるんですね
これは無料で誰でも聞けるんですけど
なんか最近それを
ちょっと聞いたんですよね
2月下旬くらいの回を
そこに出てくる
北海道の浦川の診療所の
先生の話がすごい面白かったです
面白くて本を買ったんですよ
まだ読んでないけど
入院するための
もともと入院してた患者さんを
どんどん退院させて地域で見ていこうと
グループホームみたいなものを
作って
そこに診療所を建てて
みんなで地域で支えていきましょう
みたいな
すごくユニークな精神科の医療をされている
先生がいらっしゃるんですよね
これはなんか
一つ今言ったような
怒りとか憎しみを和らげる
もしかしたらヒントになるかもしれない
アドラーは
自分自身の
ライフスタイルとか
考え方のパターン凝り固まったパターン
みたいなものを変える一つとして
共同体感覚っていうのを
挙げてるんですよね
共同体っていうのは隣人
昔だったらネットとか
なかったのでご近所さん付き合い
とかだったと思うんですけど
同じ趣味を持った人とか
同じ部活に所属してる人とか
とにかく
趣味の横のつながりっていうのかな
単純に上司と部下と
そういうつながりではなくて
そういう横の
つながりとか
所属してるっていう感覚によって
人は修正されていくんだ
みたいなことを結構言ってるんですよね
おそらくその浦川の診療所は
それを
実践されてる
結構珍しい
ところなのかなっていう風に思いますね
元々なんとなく
ベテルっていうね
グループ推進療法やってる
話はもちろんずっと前から
知ってたんだけど
やっぱ竹田哲也の語りが上手いのかね
なんか気になりますね
あの人話が上手い
なんかこう感情が乗ってる言葉というか
情景が不思議と浮かんでくるんですよね
アンガーマネジメント
イタリアには精神病院はないらしいですね
そうねイタリアはもう廃止しちゃいました
地域医療の可能性
一応あるにはあるんですが
確かなんか1週間とか
限定の旧世紀の病院しかなくて
それ以降は
なんかこう更新の手続きが必要な
形で基本的には
もう1週間でまた地域に
返すっていうことを実践されてるらしいですね
日本ではなかなかそうはいかないと思いますね
日本でいう精神科の問題っていうのが
ほぼニアリーイコール
今もう認知症の問題に
シフトしていて
1週間の入院で退院させられるような
感じではないんですよね
なかなか
まず介護申請をして
要介護いくつなのかっていうのを確定させたり
要支援なのか
それによってヘルパーをどのぐらい
いられるのかとかっていう調整に
結構難重しますよね
あとそもそも認知症に対する
特効薬ってのは存在しないので
日本の精神科医療の難しさ
イタリアで治療されてるような
統合失調症の人に比べてね
そういう医療的な難しさもありますね
社会的な難しさに加えて
なので日本が
イタリアの医療をやろうとすると
大変なことになると思います
そこら中で高齢者が
毎日何人か
徘徊してるみたいな
毎日
街のどこかに高齢者が
裸で歩いてるみたいな
進撃の巨人みたいな感じになると思います
日本には日本にあった
何かやっぱりね
実践っていうのが大事なのかな
なので
浦川で行われている
先生の
イタリアとはまた違った形での
何か日本独特の形での
やり方なんだろうと思うんですけど
それはすごい気になりますね
世界中がそこに今注目してるらしいですね
日本の片隅のちっちゃい話ではなくて
世界中がそうやって
精神科病院に入院されてる患者さんを
どう解放したのかっていうのに
みんなが着目して
注目していると
僕も話だけ聞く限りは
にわかには信じがたいね
今自分が見てる患者さんが
突然地域に移行したら
すぐに警察が
連れて帰ってきちゃうというか
っていう人が何人かいるので
結構ちょっと想像がつかない部分が
ありますね
ぶっちゃけ
シンプルに言うと物を盗んだりとかさ
人を殴ったりとか
そういうことが普通に起こりうるじゃないですか
子供を蹴飛ばしたりとかさ
そういうものを地域が寛容になれるかっていう問題ですよね
突然わかんないけれども
サッカーの試合中に裸になって
ピッチの中を走り回っちゃう患者さんとかさ
ああいうものに対して
世間はこう
暖かく見守れるのかっていう
世間側の寛容度というか
適応障害というか
器の大きさ小ささというものが
問われているような気もしますね
イタリア人って割と
人が裸で歩いてても
寛容なのかもしれないけど
日本って結構倫理感高めというかさ
民度高めなんで
民度低めの
風に見えちゃう精神科患者さんに対して
結構つらく当たるのかな
その結果がこの収容する
っていう結果に結びついているのかな
と思うんですよね
別に精神科医が主体的に儲けようとしたわけではなくて
世の中がまるでゴミのように
その人たちを扱った結果
施設に閉じ込めるっていう形に
落ち着いたんじゃないかな
日本人の清潔感とか
高い倫理感の裏側には
そういう冷徹さがあるんじゃないかな
って気もしなくもないです
患者同士の支え合い
私は統合主張症で
合併症で不安神経症ですと
なんかいろいろあるね
依存ギャンブル
初めて聞いたときは
信じがたかったですと
イタリアね
もちろん頭ごなしに否定はできないんで
なんかいろいろ知りたいな
って気持ちはあるんですが
日々ちょっといろいろ読まなくちゃいけない本もあったりして
なかなかそこまで今手が回ってない状況ですね
でも裏側の
その試みは
すごく今気になっているので
ちょっと本で読んでみたいな
そこになんか僕もね
さっき言った話を戻すと
母親に対する憎しみとか
冗談じゃないよっていう子供の頃からの
憎しみっていうものを
もしかしたら溶かす方法があるかもしれないですよね
なんかグループホームっていうと
みんなで仲良くしましょうとか
みんなで何かをしましょうっていうのを
イメージしがちなんだけど
僕がイメージしてるのはもう
ただ場所はその場にいるんだけど
みんなお互い好きなことやってるみたい
部屋にはいるんだけど
ある人は編み物をしたり
ある人は将棋をしたり
ある人はわかんないけれども
なんかこうねゲームしたりとかさ
っていう同じ空間を共有しつつ
全く別々の世界が
存在していることを許す
っていうのがいいな
だからデイケアみたいなね
僕は精神科デイケアをよく見てるんですけど
ああいう風に
デイケアみたいな感じで
まったりと一日なんとなくその場にいて
自分のやるべきことが
そこにあって
周りの人はあんまりそこに干渉してこない
っていう空間が
もしあったら僕もやってみたいなと
医療従事者の現実
僕もその空間の一部になりたいな
っていう風に思いますけど
お医者さんは論文とか読まないといけないから
時間ないですよね
いや論文なんてほとんど読んでないです
むしろ読むよりも書かないといけない
その論文ではなくて書類をね
患者さんのなんか
自立支援の診断書だとか
なんか細かい書類があるんですよ
定期病状報告書とか
ブルシッドジョブがたくさんあるんですよね
あるいは定期病状報告書の
なんか誤植があったり
記載漏れがあったりしたんで
その訂正のまた書類を書いてください
とか
ゴミみたいな仕事が山ほど
積んであるんですよ
精神科医のデスクの上に
そんな論文を読むみたいな
知的でクリエイティブな仕事なんか
ほとんどやってないです
ほとんどの医者は帰ったらビール飲んで
野球見て寝てるだけだと思う
おはようございます
自由で安全な居場所
強制されないとかね
これは僕の理想なんだけど
母親に強制されたり干渉されたりする
それはお母さん
良いと思う悪いと思うみたいに
後乗りで母親が侵入してきて
乗っ取ってくる感じが
すごく嫌なんですよ
だから誰が良いとか悪いとか
ってまず言うなと
その人はその人の世界なんだから
ワールドなんだから
そこに容易に立ち入らない
折り紙を折りたいんだったら折らしとけ
それをね
どうやってこの折り紙って折るんですかみたいに
なんか入っていくな
興味もないくせに
なんかね
精神科の話とちょっと違うかもしれないけど
平均
町の平均寿命がやたらと
高い
ところがあって
それもどこか忘れちゃったんだけど
その町だけ
なんか他の地域に比べて
明らかに平均寿命が高いと
でその理由を
なんか調べた取材とかを読むと
町の人たちは
みんななんか挨拶はするんだけど
干渉しない
つまり挨拶するぐらいで
お互い何してるのかあんまりもう話さないらしいんですよね
それが原因か
結果かはよくわからないけど
とりあえずなんかそういうことが
根付いている
もう昔から根付いていて
あんまり人様の地に入らないっていう
ドライな感じが
あるんじゃないかってその記者は分析してたんだけど
なんかちょっとわかる気がします
人が密着したりなんかこう
粘着したりとかさ
それはよくベタベタ毎日キスする
みたいな密着もあれば
包丁で突き刺すみたいな密着の仕方も
ありますけどとにかく人が
一緒にいるっていうことが異常なことというか
ストレスなことだと思うんで
ハムスターだってさこんなちっちゃいケージの中に
10匹も20匹も入れたらすぐ死んじゃうと思うんですよね
人間にも
そういう必要なスペースみたいなものがあるんで
そのスペースっていうのは
もしかしたら僕らが想像している
2倍とか3倍くらい広いものなのかもしれないから
基本的にはもうほっとくというか
それが大事なんじゃないかなっていうのが
ぼんやりで
今思っていることで寂しくなったら
あそこに行けばね
あの部屋に行けばだいたい2,3人誰かが
何かしてるから行こうみたいな
空間があることが大事なのかな
確かにそういうものが
実践されるんだったら
まあもしかしたら
地域移行というかね
今入院している患者さんの何人かは
そこで預かってもらうとか退院させるということは
もしかしたらできるかもしれないけど
それでも一定
数の割合でやっぱり警察に
通報されて
帰ってきちゃう人はいると思うんだけど
精神科デイケアは居場所として大切だと思いますか
うん思いますね
思いますというよりも
大切なんですというふうに
切実に訴えられている患者さんと
いつも会ってるので
デイケアの患者さんの中にはちょっと能力の高い人
相手に僕今認知行動療法やってるんですけども
このデイケアがなくなると
私本当にもう大変なんです
っていうことをずっと毎週毎週
言ってくる人がいるんですよね
だから土日が本当に大変なんですと
土日デイケアやってないじゃないですか
だから私はその土日をどういう風に
生き延びるかがもう本当に死活問題なんだ
っていう風に
その土日をどうやったら生き延びたらいいんだろうね
っていうことをずっと話してるんですよね
居場所っていう言葉以上にも
もしかして生存の場所というか
砂漠にある水場みたいなものですよね
そこで水を汲みに行かないと
もう干からびて死んじゃうっていう世界なんで
精神科の患者さんたちからすると
ほとんどの人は
SNSとかスマホとかやってないですし
オフラインで今言ったような人たちって
過ごしてるんで文字通り家に一人になると
本当に一人になるんですよね
問題点にアプローチし続けるより早道
そう
問題を一旦棚上げにするというか
まあ人間
うまくいかないですよね
って分かち合う仲間を作るっていうのも
一つのアプローチですよね
もう解決の方ではなく
分かち合うみたいな
で同じ痛みをみんなで味わう
だから親からギャンギャン言われたら
その痛みをまたみんなで
大変だったねっていう風に吸収する
解決を放棄するというか
そういうやり方もありますよね
宗教はまあそういう形で
集団精神療法的に
機能してる部分はありそうですよね
まさに
なんかね
おつやと国別式と出て
お寺さんが来て
お経を唱えて
全部
なんか
おごそかにやってくれて
すごく心が落ち着きましたもんね
我々遺族としては
本当にやってくれてるんだなっていう感じとか
それについてまた
お寺さんといろいろ話ができるっていうのが
人の心を癒してるんだと
親の価値観を背負っている
そう
無意識のうちにすり込まれていて
それがさっき言った植物の中に
植物としての心の中に
内蔵されてしまって
埋め込まれてしまって
ほとんどの人はそこにアクセスができない
だからなぜ自分は
例えばピンク色が好きなのかとか
そういうところに始まってますよね
自分の好みを
自分で説明することができないのは
そういう理由ですね
自分のことなのに
自分で説明できない
自分でもよくわからない
先生おはようございます
聞けばいろいろ答えます
私桜が好きなんです
とかさ
ピンクってあったかそうでいいですよね
合理的なことを言うんですけども
さっきの母親みたいにね
そう
なんかあなたの将来が心配でとかさ
生理整頓してほしくて
とかなんか合理的なことを言うんだけど
誰もわかんないんだよねその理由を
なぜピンクが好きなのかさえ
説明ができない
もしかしたら親がただピンクが好きだっただけかもしれないし
あるいは幼稚園の先生に
じゃあピンク色で
のり紙を折ってみましょうって言われただけかもしれないし
でもそういう記憶ってのは
全部抹消されてるんで
ただピンク色っていう
プログラムだけが脳の中に
不適応行動の影響
痕跡として残っていく
そこにだから人を傷つけるプログラマが
入ってたりすると非常に厄介ですよね
ピンク色は害はないですけども
例えば人のものを盗むとか
人が泣いていても
助けないっていうものがプログラムされていると
結構大変ですよね
周囲に害が及ぶ可能性が結構あって
あるいは自分が嫌なことをされたから
相手にやり返してもいいっていうのは
結構よく見る不適応のプログラムだと
僕思うんですけどね
これは国籍に関係ないみたいですね
向こうが悪いんだからこっちだってやり返せばいいじゃん
とかっていうのを平然という人がいるんですけども
ネットにもね
これは結構害のある
プログラムだなと思います
ほとんどの人がその理由を説明できない
修正さえできない
修正しようとさえ思わない
だって正しいことをやってるんだから
うちらが正しいじゃんとか
全然話にならない
だから意識が機能してないんですよ
選択と自由の限界
無意識に植物の方みたいになっちゃってる
それだけ意識に語りかけても
修正できないんですよね
アクセスできない
さあ
だんだん喉の調子が悪くなってきたぞ
人は
関心があるから怒るし
関心がなければなんとも思わないし
嫌いと好きは
同義を
認知を変えれば行動が変わり
行動が変われば結果が変わり
認知が変わるという
認知行動両方は知ってますし
おはようございますと
うーん
まあそういうわけでもないんだけどね
まあいいです
先生おはようございます
お母さんはやり方を知らなかった
母親も独自のプログラムが
作動していて
そうなっちゃってたんでしょうね
気づいた時には
旦那は口を聞いてくれなくなったし
子供からギャンギャン死ね
みたいなことを言われて
私つらいみたいになっちゃってたんでしょう
そうしたりということは
もう全く意識の外側にあって
私に対して冷たいみたいに
母は思ってるのかもしれません
心理学的に言うと
人には意思は存在しないと教わりました
まあ意思が存在しないという
決定論みたいな人たちもいますよね
うーん
僕は
本当にちょっとだけ
まだ意思というか
まあ選択の余地はあるんじゃないかな
って思ってるんですけど
僕はある程度選択の余地があって
自分はその
ドミノ倒しの一つの
パーツではなくて
自分というものをまた分岐させて
分岐点にして
別の方向にシフトできる
流していけるんじゃないかって
まだちょっと信じてる方なんですけど
アドラーは完全に
人は自由だと
自分の選択によっていくらでも世界を変えることができる
っていう風に嘘吹くので
多くの人がアドラー心理学に浸水してるんですけど
僕はそこはちょっと宗教だなと思います
そこまで人間の選択は
自由はない
でもないとは言い切れないかなと
多少は
まだあるんじゃないかなってちょっと信じてます
だから大筋も人生の
行き着く先っていうものは
だいたい最初の5年間とか
6年ぐらいで決まるんだけど
でも本当
1度とか2度ぐらいだったら人生
依存症と認知行動療法
なんとか努力によって
努力次第で残りの人生の生き方次第で
方向をちょっとだけ変えて
着地点をちょっとだけ変えることは
まだ可能なんじゃないかな
ちょっと思ってます
諦めちゃうともう自暴自棄になっちゃうからね
じゃあもう酒に逃げようとか
男に溺れようとか
なんかもう
身を滅ぼして終わっちゃうんだよ
逃避することしかできなくなる
でも究極の逃避は自殺ですからね
最後は死ぬだけですよね
やられたらやり返せ
って言うのは半沢直樹じゃない
やり返しだ
あれを地でやっていくと生きづらいですよ
でも俺もちょっとそういうところがあって
車運転してると僕も人格が変わるんでね
たまに後ろの車両から
プッて鳴らされるんですよ
遅えぞ
信号青だぞ
その時俺はムカつくんで
プッて1回鳴り返す
鳴らし返す
プップッって2回鳴らされたら
俺プップッって2回鳴らし返すんですよ
必ず
インガの法則で
そうすると向こうも結構動揺する
流石に鳴らし返してこない
ターンは初めてだぞって向こうは動揺してるんだと
今までなんかね
プッって鳴らされてちょっとイライラしてたんですよ
なんかその日すごくなんか嫌な気持ちになるじゃない
だからとりあえず
1回ぐらい鳴らし返そう
そしたら
最近ちょっと心が落ち着くようになった
だからやり返すことも時には大事なんだけど
でもすごく難しいよね
やり返すってことは
本当はこの間も言ったけれどもさ
最も簡単に怒りを沈める方法の中で
話したけれども
やり返すと
怒りは湧いちゃうんですよね
そこが難しい
怒りは解消されるところがむしろ増えてしまう
やられたらやり返す
表なしだって
なんかそろそろ疲れてきたな
今日はとりあえずこれぐらいにしておくか
これぐらいにしといてやるか
俺は誰に怒ってたの
今日のところはこの辺にしといてやるか
覚えておけよ
先ほどのその認知が変わって行動が変わって
結果が変わっての話なんだけど
その認知を変えるっていうことが
難しい場合があるんですよね
それがさっき言った
自己愛の問題です
自己愛の問題がない人の認知を変えるっていうのは
結構可能だし
それは普通の認知行動療法の方に書いてある通りなんですけども
現実にね
精神科医として
認知行動を変える
現実のリアルワールドの患者さんにやると
ほとんどうまくいかないんですよ
なぜか
だいたい宿題やってこないし
ほとんどっていうのは言い過ぎだけども
結構な割合で
特にうつ病が長引いちゃうような
厄介なややこしい人
若くて
リストカットもしていてとかっていう
ちょっと複雑な
典型的なうつ病ではないなっていう人に対して
適応しようとすると
かなり手痛い目に合いますね
ほとんどのアディクションの患者も
効かないですと
アディクションは
本当に難しそうだね
依存するということによる
回避行動ですよね
回避が
ずっと起こり続けていて
その依存を
やめさせようとすると
本人は非常につらくなるしね
例えばもともとも
天外孤独であったり
人に誰も頼れなかったりとか
そういう本質的な問題が
すぐに露呈して
本人が本当につらくなる
ギャンブルの問題と
自傷
リストカットの問題はほぼ
同一の問題だと思いますけど
なかなか難しいですよね
えっと
ふわっちメガホンプレゼントどうもです
僕もそんなにまだそこら辺に対する
治療経験が豊かなわけではないし
まだ勉強のみだからね
勉強中のみなので
いろいろ手探りで
患者さんに教わったりしながら
今勉強している最中ではあるんですけど
まあ希望は捨てずにね
植物よりかは人間はまだ賢いんじゃないか
まだ希望は抱いてます
2018年から飲んでない
おお
素晴らしい
ギャンブルも10年で1年しかやっていない
言ってないから
自分の好き嫌いや感情の理由は
説明できないとのことで
感情の理由を
患者に尋ねることは
実際には意味がないと思います
どういう風に
どのくらいの意図を持って聞くかによりますね
サラッと聞くだけだと
ただサラッと
合理化された理由が返ってくるだけで
そのプログラムの
修正までに至らないと思います
アディクション
アディクションっていうと僕らはあんまり
普通の精神科医は扱わない
領域になっちゃってるんで
それを脅迫性障害とか
言い換えるので
脅迫性障害に話を置き換えるならば
例えば不潔恐怖の患者さんとかね
もう毎日
自分の手が汚くて汚くて
汚いと思えて仕方がなくて
もう10時間とか15時間ぐらい
ずっと手洗って
毎月水道代だけでも
10万とか20万払ってる患者さんたちがいるわけですよ
世の中に
その人たちの頭の中では
なんかまず汚いっていう
思考が向こうからこう
侵入してくるわけですよ
自分が
自分で脳で考えてるっていうよりかは
もうなんか考えさせられてるっていう次元ですよね
もう事実としてしか
思えない
いや考えとかではなくてこれ事実なんですよ
手は本当に汚いんですと
患者さんはまず思考と事実
現実を区別できないです
患者さんは思考全部現実だっていう風に
言ってくるので
なのでまずそういう現実として
語られる思考
だから思考っていうほどまだ抽象化されてないような
思考が
まず頭の中に向こう側から
飛び込んできますよね
手が汚いってうわっ気持ち悪いみたいな
それに対して
気持ち悪いとか今すぐ洗わないと
この先大変なことになっちゃうかもしれないとか
あるいはこの手を誰かに
この手で誰かを触っちゃうことによって
その人も病気になって
フジの病にかかって死んじゃうかもしれないとか
っていう
さらにそこからこう侵入した
思考を苗床にして
自分の中でどんどんどんどん
思考が立ち上がってきますよね
そうすると感情もそれに
合わせてほぼ同時に立ち上がってくる
もうどうしても心配だし怖いし
本当に
どうしたらいいんだろうって焦り
みたいなものが本当に
100分の100ぐらいでバッと立ち上がって
そうするともうその次の瞬間には
水道に
走って手を洗ってますよね
まるで人を
捕まえたみたいに
ずっと手を洗い続けてますよね
手を洗うとさっき言った回避をする
手を洗うっていうのは回避ですよね
全て頭の中にある思考を
全部断ち切るためのおまじない
というか魔術みたいなものですよね
でもそうやって手を洗うっていう回避を
続けることによって結局最初の
やっぱ手が汚いんだ
っていう思考
思考が強化されちゃうんですよね
手を洗うことによって
解消されるはずなんだけど
人間ってそうやって逃げれば逃げるほど
不安とか
その不安の元になった思考っていうものって
大きくなっちゃうんですよね
私がこんなに手を洗ったっていうことは
やっぱりすごく汚いことなんだっていう
脳がまた学習しちゃうんだと思うんですけど
そうやってどんどんどんどん
大きいものになっていくんで脅迫行為って
おまじない的な
儀式みたいな行為をすればするほど
脅迫性障害って
どんどん重度になっていくんですよ
なので認知行動療法とかもちろん
薬も使ったりもするんですけれども
認知行動療法的にはまず
この脅迫行為を
やめること
だから手を洗わせないっていう治療がまず
治療として成立するわけですね
手を洗うことによって
また不安が強くなってんだから
手を洗う重要性
じゃあこの悪循環を断つにはまず手を洗う
っていう循環をまず強制的に
断ちましょうと
思考を断つことはできないんだよね
さっきなんか認知を変えると行動が変わるっておっしゃった方いるんだけど
それは嘘で
直接変えるなんてことはほぼ不可能なんで
その人の場合はね
だって汚いと思っちゃうことを変えるってことは
なかなか難しいので現実には
まず手を洗わない
っていう行動の方から介入しますね
認知はいきなり介入できないんで
なので
手を洗わせない
そうするとどうしても洗いたいですとか発狂しそうになる
いやもうこのままいくと本当にもう
手が腐っちゃうとか
手から皮膚がんになるとかっていうので
ちょっと皮膚がんになるか手ががんになるか
一緒にちょっと確かめてみましょうと
医学的にはならないので
大丈夫だと思うんですけど一応試してみましょう
っていうことをやって
10時間くらい
手を洗わないっていう風にしてもらう
そうするとどうですか
10時間経ってみて
手腐りましたか
皮膚がんが出てきましたかっていうと
別に何の変哲もない
ただの手がそこにあって
10時間じゃまだわからないですよ先生って
そりゃ10時間じゃがんなんかできないですよ
でもこれを放置しとくと
やっぱりがんになると思います
って言うんだったらちょっとまた明日もやってみましょう
あさってもやってみましょうと
1ヶ月間くらいこの10時間放置をやってみて
がんになるかどうかちょっと確かめてみましょう
みたいな感じで呼びかけて
いくわけですよ
そうすると体験としてね
がんになってないなっていう
体験になっていくんだよねだんだん
頭の中でバーッと立ち上がってたものが
実際に検証してくと
ただの器用だったんだな
頭の中で不安が広がってたけど
これ考えすぎだったんだ
自分の想像の世界であり
現実ではなかったんだってことが
そういう体験を通じてだんだんわかってくるんですよね
恐怖の体験と介入
そういう患者さんに体験してもらうきっかけを
認知行動量を
効果は与えるっていう感じ
脇学恐怖
自己習恐怖とか
対人恐怖とかもそれに近いのかもしれないけど
なのでなんか
頭の中に最初に侵入してくる思考を
どうやって
頭の中に最初に侵入してくる思考をどうこうしようとすると
もうちょっとそれは
なんかすごく難しい問題になっちゃうので
なんか
行動レベルでどう抑えていくか
不安になったり死にたくなったり
発狂しそうになってもそれを放置するっていうね
あえてそれに対して深呼吸しましょうとかさ
なんか音楽を聞きましょうとか
回避させないで
じゃあちょっと発狂してみてください
私の目の前ではいどうぞみたいな感じで
めちゃめちゃ発狂させてみるとか
とにかく
その怖い現場に一緒に
行くっていう感じかな
高所恐怖症に対しては
高いところに一緒に登ってみたりとか
僕も今いろいろ
広場恐怖の患者さんを外来で見てますけど
その患者さんも
すごいエレベーターが怖くてもう本当になんか死にそうになるんだけど
冷や汗出てくるんだけど
一緒に僕も隣でエレベーターに乗って
暴露反応妨害法
してますね
そうするとだんだん良くなってくるんですよね
やっぱり
思ってたほど死ななかったみたいな感じで
だんだん本人も自信つけてくし
これだったら
今度は家族と一緒にエレベーターに乗れるかもしれません
みたいななんか目を輝かしてさ
なんかちょっと希望を
持ってくれたりするんで
行動レベルで介入するのも
結構認知行動療法で
大事だったりはします
っていう話と
不安とか恐怖とか
事象に対してもやっぱり
似たようなアプローチは
可能なんだと思うんです
ただ先ほど
おっしゃってた方の話だと
僕と近い
割と二軸の障害というか
性育歴とか老いたちのごちゃごちゃした
ものがあったりすると
そもそもこの治療関係そのものに
乗ってこないんですよね
例えばなんか急にドタキャンスルとか
あるいは
これやってきてねって言った宿題を
永久にやってこないとか
突然先生に対して歯向かったり
私これやっぱり意味ないと思います
先生と
っていう風にやったりあるいはエレベーターに
誘導したら突然騒ぎ出したり
とかね助けてください
とかって言って騒ぎ出して
あるいはなんか先生に復讐するためか
わかんないけど
痴漢されましたみたいな嘘をついてみたりとかね
そういう性被害みたいなものを
装ったりとかして
とにかく復讐して治療関係を
破綻させようとする人たちが
多いテイストいるんですよね
それが今言ったパーソナリティの問題なんですけど
そうやって今言った
純粋な脅迫性障害のラインに
乗ってこないような
人たちに対してずっと通り
一辺倒の
認知行動療法を
提供し続けるっていうのは結構難しい
し僕はやっぱりなんか
それは難しいなと
やっぱり
何人かいて宿題もやってこないし
だんだんもう直に認知行動療法の
外来にも来なくなっちゃう人とか
文句を言って
分かんないけども多分どっかで僕の
悪口をネットとかに書いてるんだと思うんですけど
そういう形で
隠室に攻めて
ひたすらラインに乗ってこない
っていう人たちに対しては結構
認知行動療法って無効で
難しいんですよ 究極の
回避ですよね
医者をバカにするとか悪口を書くとか
結構整形する女の子に多いですけどもね
鼻いじったり目いじったりして
こんなところでこんな
ひどい顔にされたっていう風にネットで
晒すとかいう形の人たちはやっぱり
パーソナリティの問題ですね
顔が悪いんじゃなくてやっぱり
心の形があまり良くない
それはどれだけ顔の形を変えても
治らない
究極の回避だと思いますね顔の形を変えるっていうのは
なので顔の形を変えないっていう
さっきの不潔恐怖症の
戦略でまずはいかないと
いけないんだけどそれにまず乗ってきてくれない
っていう悪口を書いたり
医者を落としめたりして
ひたすら
現実から逃避しようとし続けちゃう
こんにちは
回避行動の理解
どうもこんにちはです
なので結構最近は僕
アディクションの問題も依存の問題も
脅迫もパニックも広場恐怖も
あとはそのリストカットとか
接触障害の問題も結構その回避と
回避のモデルで
なんか
一括りにするとちょっと分かりやすいな
っていう風になってます
人はやっぱり回避したくなるんですよね
とにかく
でそれを合理化するんですよね
私やっぱりこれやりたくないです
意味がないと思いますと
なんか本で読んでとかラジオで聞いて
こういうの意味ないって言ってましたとか
なんか言ってとにかく回避し続ける
そういう生き物みたいです
それを認知化学の人たちが
現状維持バイアスって言ったりするけどね
今自分がやってる方法を取りたがる
新しく提案された方法を
とにかく堅く何に拒否する
ワクチン打ってください
って言うと絶対打ちたくないって人が
必ず出てくるのは
そういうバイアスがあるからですね
すいません
なんか
1時間以上話すとこうなるんだよね
えへん病が出てくる
単純に普段あんまり人と話してない
だけなんだけど
深呼吸も回避になるし
誰かに
大丈夫だよとか安心してね
って言ってもらうことも回避行動になりますね
だから周りの人はね
大丈夫だよつらいくないよ
大丈夫だよって励ますんだけど
その励ますことによって不安が強くなっちゃうんですよ
だからその
曝露療法するときはある程度心を鬼にしないといけないね
患者さんの足元が
ガタガタ震えるしもう汗がびしょびしょで
本当に大変
もう死ぬかもしれないみたいな
顔面蒼白になるんだけれども
いやでもね
なんとかさんここはもう少し頑張ってみませんか
せっかくここまで来たんですから
ちょっと頑張ってみましょうとか言って
回避させないっていうね
今ここでやめていただいて
後でまたね
別の機会にということももちろんできるんですが
もう少しだけ試して
あと1分ぐらい頑張ってみませんかとか言って
あの
とにかくもうちょっと頑張らせる
心を鬼にしないと
やっぱ曝露療法はできない
でもその二塾に問題がないね
生育歴にあんまり問題がない人は
バーってその瞬間泣くんだけど
でも後ですっきり笑顔になって
いや本当に先生にいつも感謝してます
っていう
もう先生がいないと乗り越えられませんでした
みたいな清々しい笑顔で帰ってくるんですよ
こういう人って僕
一塾の問題ではあるんだけど
二塾はやっぱり全然なんの問題もない
やっぱほんと健やかに成長された方なんだな
と思いますね
こういう人は結構CBTで
認知行動療法で
あの結構サクッと治っていくんだろうな
と思います
自分とは僕とは違う人間を見ているような
気持ちになります
僕とか母親
母親とはこう違う人間だな
と思う
すごく健やかで健康度の高い人だな
その瞬間はね
怖くて涙を流すんだけど
それが終わるとちゃんと挨拶もできるし
お礼も言えるし
いつも感謝してね
助けられてますみたいな感じで
いつも帰ってくるんで
そういう感じでちゃんと会ってると
僕も元気もらえますよね
よかったな
パーソナリティの人と話してると
まるで俺がダメ医者みたいな気持ちになってくるからさ
患者さんにもいろいろいるな
っていう感じですよ
私は母が中学1年の時に自殺
父が中3の時に上発
おお
こんにちはどうも
日常のルーティンが崩れたり
邪魔されたりすると
パニックを起こします
ああ
ありますね
そうするとどうしたらいいんだろうね
それに対してはね
いろいろ崩してみるって感じになるんだろうね
暴露するってことは
ご自身のルーティンを一回崩してみる
何が起こるかっていうのを
ひたすら探索していくって感じですかね
本当にルーティンが
成立した時と壊れた時とで
例えば野球の打率が本当に変わるのかとか
変わるとしたら
何パーセントくらい変わるのか
ルーティンをひたすら守りたい人って
もうその世界が破綻するみたいな
野球に例えるんだったら
どんなに打席に立っても
一本もヒットが打てないっていう風に
極端に考えがちだったりするんですよ
なのでそこら辺は
体験を通じて認知が修正されていく可能性は
ありますね
整形する人は自己肯定感が低い
と僕も思いますね
肯定には
自分は醜いんじゃないかっていう不安とか
あると思いますよ
でも
問題なのは顔ではなくて不安の方なんだよ
心の方なんだけども
大半の人は心を扱うことが
回避行動と整形問題
できないんで顔の問題に置き換えて
回避している
なので僕は整形は回避だと思います
自傷行為とか
ギャンブルとかと全く同一の問題だと
見てます
僕もたまにケンタッキーフライドチキンを
一気に食ってたまに吐いたりするんですけど
それと同じ問題だと
思ってます
その程度の問題はあるけども
カテゴリーとしては同じような
問題かな
自傷行為だね
私は前の主治医に感謝しています
倫理学の先生は
健やか以外のものこそ順調に直したいのに
難しいんです
認知行動療法をそういう人に適用すると
まず来なくなっちゃうっていう問題をね
だから
仲間との間の
関係性を築くっていうところに
すでに難があって
枠の両方の手前の手前ぐらいで脱落しちゃうんです
悪口を言ったりとか
あいつは全然俺の話を聞いてくれなかったとか
っていう風に周りに
言いふらしちゃうんですよね
全然来なくなっちゃう
自分で退路を立っちゃうんですよね
そうやって
悪口を言ったらあそこにはいけないわけじゃないですか
外来には
全部退路を立って孤立してっちゃうんだよね
そういう人にどう来てもらうかっていうのは
結構難しい問題ですよね
こちら側もそういう悪態をつく患者さんは
あんまりかわいいとは思えないからさ
なんとかしてあげたいと思えない問題があって
要するに
自分に対して誹謗中傷してくれる人を
どう抱きしめるかっていう問題はね
結構治療者の力量が問われますよね
ほとんどの治療者がそんな
クレーマーみたいな人は
治療関係の難しさ
もうどっか行けると思ってるし
少なくとも精神科以外の科では
もう完全に出入り禁止になっちゃってますよね
精神科でも結構出入り禁止になると思いますけど
あまりにも
怒鳴ったりとかね
暴力的な人に対してはもう警察呼んだりして
対応しますんで
そうすると今度はGoogleマップの
レビューに悪口を書くと
Google本社に
医者がクレームを入れても
Googleは対応してくれない
っていう形で
患者さんに有利な形で
どのクリニックも
星の数が1とか2とかになっちゃう
っていうね
ディストピアみたいな世界
非常に適切なケアが必要な人たちだと思うんですが
ケアにね
たどり着いてない
結局陰謀論にハマったりとか
SNSで
芸能人を叩いたり
っていう形で
なんとか
現実にとどまってますよね彼らは
それも全部は回避だと思うけどね
ウリン芸能人を叩くことも
陰謀論にハマることも
僕は全部回避行動だと思ってるんで
現実逃避だね
心の問題を全部現実の問題に置き換えて
解決した
風にしてるだけで
全部回避ですね
僕の捉え方だと
人間関係そのものからの
回避行動っていうのが
一番難しい回避ですよね
その治療者としても扱いようがないし
SNSで
SNSでずっと
誹謗中傷し続けちゃってるし
それとコミュニケーションの取り方の問題
治療に向き合うと
維持ができなくなる
医師側にも問題があると思う
例えばどんな問題があるか教えていただけると
ちょっと助かるんです
僕もなんか
自分で結構気づいてない問題あるかもしれない
あの医者よくないっていうのがあったら
ぜひ教えてください具体的に
ちょっとお水取りに行っていいですかね
その間
さてただいまです
いってらっしゃい
どうもです
回避行動を取る患者さんが
医師を攻撃して治療関係を
破綻させるとのことですが
それでも治療を継続させるためには
医師側にも
攻撃を許容する訓練や覚悟が
必要だと思いますか
そういうのは治療構造論で結構語ってる先生いらっしゃいます
精神分析系の先生ではね
あの限界設定をちゃんとして
つまり
リスカまでは許すけれども
とかさ
でもODをもう何十条ってして
救急車を走らせたら
それはもう
出てってもううちでは見れないから
出てってくださいっていう風に
あらかじめ上限を決めておくってやり方ありますよね
そう境界設定は結構必須だと思いますね
僕もこの配信でよくやってます
うん
なんか悪口になってきたら
もうブロックするっていう
その甘えはもうこちらでは受け止めませんっていう
明確な意思表示
話が盛り上がったり
ご自身の記憶の引き出しが空いてしまったら
それはしょうがないので
コメントに書いていただいても結構なんです
明確に僕の評判を
貶めようとするものに対しては
それは限界を超えてしまってるんで
普通にブロックしますね
僕のせいじゃないんで
その甘えは通用しないぞと
社会はお前のお母さんじゃないんだ
えーと私の場合は
はい中学1年の時に
父親から
空手の技で殴られました
でも医師は
そのことを十分に把握せずに
私に平気で空手やボクシングを
勧めてきた
どういう意図だったんだろうね
ちょっと分かりかねますが
どういうことだったんでしょうね
確かにその対応はなんか
まるで
自分がねあなたがもっと強くなりなさい
ってメッセージだよね
ボクシング習ったらどうって
勧めることっていうのは
父親が良くなかったよねって
共感ではないですよね
お前がもっと強くないから
強くならないと殴られちゃうんだよ
っていうメッセージになっちゃいますよね
なので
そのお医者さんがどういう意図だったのか
ちょっと僕もよく分からないですけど
あんまり一般的な
平均的なお医者さんの対応ではないような
感じがしました
だから六王さんのおっしゃることも
分かりますが
平均的な医師の問題ではなさそう
だからその医者の特有の問題だよね
何も考えずに
なんか友達にアドバイスするみたいに
言っちゃったのか
生計やSNSでの誹謗中傷を
回避行動だと考える場合
現代社会で回避行動がむしろ
推奨されてしまう理由は
何だと思いますか
推奨はされてないですが
回避を取り続けること
これはちょっと非常に
なんかもう
一回の医者には手に負えない難しい社会問題だから
ちょっとあんまり語らないけれども
回避行動の先には
その承認欲求とか
やっぱ人間がそもそも
回避するしないに関わらず
他者からの承認を
めちゃめちゃ渇望する生き物なんですよ
なのでその
承認欲求とか
他者への渇望っていうものをうまく
取り込まれた
機械に私たちは
飼いならされてるってことなんじゃないですかね
スマートフォンのそのね
Xとか
インスタグラムだとかYouTubeだとか
そういう承認の檻の中に
僕ら平気で自ら入ってっちゃいますから
そこにうまく巧みに
閉じ込められちゃってるっていう問題もあると思います
ビール会社とかね
アルコールの会社が
綺麗な女優さんとか俳優さんを使って
CMを使ってね
お酒を飲むことって素晴らしいことだってことを
洗脳してるのとほぼ同じだと思います
それが商業として今成り立っちゃってるので
YouTubeもビールも
全部
合法になっちゃってるんで
結構不安定な心が
そっちの方に流れてっちゃう
そういう簡単な方法を使ってみんな回避しちゃう
僕だったらケンタッキーフライドチキンで回避しちゃうし
ほとんどの人は
タバコとか酒とか
まぁ時にはその覚醒剤とかね
違法薬物で
回避しちゃいますね
そういう回避の方法が
あまりにも今世の中にたくさん
溢れてるっていう問題はあると思います
ほとんどただみたいな値段でね
YouTubeとかも
見れちゃいますし
いくらでも回避し続けられますよね
コロナ禍で
外出自粛の時にみんなやっぱり
スマホをいじって
アカウントとか作って陰謀論とか
誹謗中傷とかみんなやってましたもんね
今でもやってる人いるかもしれないけど
あれで癖づいちゃったんじゃないかな
一層なんか
より一層ブーストされた感があります
もうその味を占めてしまって
それがもう生活の
中心になっちゃってるじゃないでしょうか
だから本当に問題なのは
別に石場の問題
日本の国防とか
減税の問題
103万円の壁とかではなくて
その人自身の
孤独の問題だよね
それが最も本質的であり最も回避しない
場合の問題だと思います
その人が家の中でずっと孤立して
誰にも頼れないというのが
最も本質的な問題である
それを回避するために
政治の問題とか国防の問題とか
ウクライナの問題に置き換えてるだけです
自分の問題を
何とかしないといけないのにみんな
ほとんどの人がそれをやりたがらない
だから回避の問題っていうのは
実はすごく難しいんですよね
僕も結構回避しちゃってるし
現代社会の孤独
こうやって配信をすることも回避の一部になってる
かもしれないです
極力僕は本質に向けて今
配信の中でも語ろうとはしてるんだけど
関係ない話も結構します
回避しちゃってる
はっきり言えば医療従事者が
私のバックボーンを把握できていないのが問題
なるほど
でもできるんですかね
バックボーンを理解することとか
やる気があるかどうかの以前に
技術的に可能なんですかね
ある人がある人を理解することって
えーっと
スマホ中毒になる前は
活字中毒でしたが
今は本を一冊読み切ることが難しくなりました
そうなんですか
ってことはなんか
恐ろしい脳の変化ですよね
かつては活字中毒だったのに
そんなたった
数年間ね
スマホを手にした数年間で脳がそんなに変わるんですね
長編映画も見ようとは思いません
回避するものを選べたら
もう少しにマシになると思うんですが
スマホとか映画ぐらいだったらね
別にあの
寿命縮めるわけではないですし
そんなに思い悩む必要はないと思う
薬性剤とかさ
あの
そういうのに比べればね
大した回避ではないと思いますけど
いやーそうなんだね
でも僕その変化を
その脳の変化というか衰えっていうのか
変化は僕も感じます
僕本当にあのサッカーが大好きで
小学校の頃の
七夕の短冊には
必ずサッカー選手になりたいとずっと書いてたんですけど
それがもう今あの
90分間の1試合見るのが
もうほぼ不可能になって
サッカー長いなーって言って
途中でチャンネル変えちゃうね
1試合まるまる見ることが
もうほぼこの2、3年なくなりましたね
大体ダイジェスト
水戸間のゴールシーンだけど
水戸間のゴールシーンだけとか
これマジでやばいなって
思ってるんだけどね
最近はだからあの
AmazonとかNetflixでも1本の映画を見れなくてさ
なんか2日に分けて見たりとか
しちゃっててやばいなってなって
なるべくあの
映画館での体験
現実の映画館の方に行って
イオンとかの映画館に行って
自分を缶詰にしてスマホの電源
オフにして映画見るようにしてるんですけど
そこまで強制されると
まあさすがにね
最後まで見ようってなるんですけど
おうちにいるといろんな誘惑
ありますもんね
Netflix途中で止めてちょっとYouTube
見ようとかもできちゃうから
本当に集中できないね
今では結果しか見ない
わかるー
結果しか見ないし
今YouTubeでもね
ダゾーンとかの
ダイジェストでいいですよね
1分1分10秒ぐらいの
ゴールシーンだの失点シーンなのでいいじゃん
でもこれもね多分回避だと思いますよ
要するに負ける辛さとか
なんかいろんなものを
回避した結果どんどんどんどん
情報を削減していって
心を使わなくしようしようって
心理のプロって
言い切ってるの
ですから
聞き出すのは当然できると思う
いやできないんですよ
653は信じられないと思うんですけどもできないんです
残念ながら
かなりだから
買いかぶっていらっしゃるね
医者のことを
尊敬してるのかけなしてるのかよくわかんないですけど
とにかく医者はそういうことはできません
残念だから
誰も何人たりとも
人を理解することはできない
それでもね何とか接近しようって
頑張るのは
心理系とか精神科系の
人たちだと思うんだけど
でも多分それは653の満足には
永遠に到達しないでしょうね
なので
その不満足を解消するには
あなたの認知の方を
いじっていった方が
早い気がしますね
人をいじるよりも
日本の医療を改革してくださいとか
デモ更新とかするよりも
あなたの考え方の方とか基準を
採点を甘くする方が
遥かに満足度を高くできますね
例えば私の名前覚えててくれてたんですね
ありがとうございますみたいな感じ
にすると結構いろんな人に感謝できる
可能性はありますよ
そのぐらいちょっと人に対する
採点を甘くするっていうのはいかがですかね
僕結構甘くしたんですよ
20代の頃
なんでこんなこともこいつできないんだと思ってたんだけど
すごい立ってるみたいな
2本足で歩いてる
すごいみたいな感じで
それはバカにしてるな
でもなんかこう
この人でもちゃんとできてるじゃん
ちゃんと電車に乗れてるじゃん
すげえみたいな
人間ってすげえ
ちょっと
採点を相当甘くするようにしました
あってるじゃん
あんまり人に期待しすぎない
レンタルビデオの頃は
見なきゃいけない日数も決まってたし
今ではいつでも
見れるものが多くていつまでも見ない
確かにね
昔はあとは金曜ロードショーとかも結構
かじりつくように見てたんですけど
なんか何テラバイトとかのさ
ハードディスクに保存できるようになったら
もう何ヶ月分の
金曜ロードショーが今全部
ハードディスクに入ってるんですけど全く見てないんですよね
最近ようやく
バックトゥーザフューチャー
3部作見たんですけど
自己肯定感の向上
もちろん昔から知ってたけど
久々に見るか
でもそれぐらいだね
ゲド戦記とかちょっと見る気にならない
ゲド戦記っていうタイトルを見ただけで
見た気持ちになってる
頑張ってるじゃんっていい言葉ですね
自分自身を貶めるのをやめて
褒めていこうと
これはだからある程度
訓練でできる人もいるし
訓練でできない人っていうのはまたちょっと別の
方策が必要ですけど
人に対するちょっと合格ライン
っていうものを下げてみるっていう
あのー
僕の実体験ではないですけど
海外に行くと本当に
注文した品が
全然出てこないとかさ
電話してんのに全然向こうが
対応してくれないとか
めちゃくちゃ対応悪いんですよね海外
あとめちゃめちゃぼったくってきたりとかさ
でも海外に行くと
大半の日本人はもうそういう
合格ラインを下げて採点基準を甘くするみたいですね
まあ最悪
屋根直してくれたからいっか
みたいなさ
ここ直してくれなかったけど屋根の方直ったからとりあえず
よしとしようみたいに
あの日本人ってなぜか日本人に対して
非常に厳しすぎるんですよね
これぐらいできるでしょみたいな
なんでもっと早くやんねんだよとかさ
5分遅れてんだよとかで切れるなんていうのは
世界で理解できないと思うんですよね
電車なんか30分ぐらい遅れるでしょみたいなさ
ドイツでもフランスでも
当たり前でしょみたいな
笑われちゃいますよね
なんか日本人って日本人に対して甘えるんですよね
もっとやってくださいよみたいな
海外との比較
だからそういう方は一回
海外で揉まれて
人間っていうものの
できなさをですね
みっちりとなんかこうねっちりと
見てきてから日本に来ると
本当僕日本好きなんですよねだから
僕はアメリカに住んでたんで
あのちっちゃい頃ね
アメリカ人のできなさとか対応の悪さとかを
ご飯のまずさをすごく理解してるので
記憶ではなくて
体に染み込んでるんで
日本に帰ってきたらラーメンもおいしいし
食べ物もおいしいし
電車もだいたい動いてるし
この間の新幹線の連結部は
ちょっとびっくりしたけどね
あんなことがあるんだっていう
でも海外だったらあんなことがほぼ毎日起きてるんでしょうけど
日本だとね
1回あれが年に1回起こるだけで
もう大ニュースになっちゃうっていう
それぐらいなんか日本人に対して厳しい国なんですよね
世界最高レベルのものが揃ってるのに
それでもなお
クレームをつけてくるっていう
ちょっと厳しすぎるなっていうのは
気になるとこですね
自己肯定感っていうのかね
まあ基準が高すぎるかな
人間って
そんなできないですよ
ほとんどの人は全然何もできないし
っていう風に構えてると
なんかやってくれたときに
感謝できるからさ
私は今日禁煙2日目です
いつでもセールちゃん
と思えば意外と全然平気で
いや3日目が大変ですよ
2日はいけるんだ
だいたい薬物っていうのは
最初の3日間が大変なんだよ
薬物依存って
だからぜひ僕の配信のアーカイブとか
結構たくさん残ってますんで
そういうアーカイブを
聞きながらですね
ちょっと気持ちを反らしていただければ
回避だけどねそれもね
でも回避の割には結構僕
この配信で色んな現実を皆さんに
突きつけてる気はするんで
あんまり回避でない気もするんだけど
ここがもしなんかオルゴールがかかっててさ
なんかディズニーの話とかしてたら
それ完全に回避だと思うんだけど
とかなんか画面におっぱいが映ってたりしたら
それも回避の何者でもないと思う
割となんか現実は
現実なんじゃないかなと思う
だから中にはこの配信を見続けるのが
辛いって言って別の配信に
回避しちゃう人も結構いると思う
それは任せます
1日5分でもいいし
10分でもいいし
まあ僕はなんか聞き流すのが
いいかなと思うんですけどね
一生なんかこうスマホでガッチリ聞くとかじゃなくて
皿洗いしながら
テレビつけながら僕の配信も
BGMとして流しとくみたいな
そういう流れで
環境音みたいに使っていただくのが
非常によろしいかなと
思いますんで
頑張ってるじゃんとかあとは
最近やっぱりそうだよね
他の先生といい言葉だなって言ったのが
まあ仕方ないじゃん
まあ仕方ないよね
っていう
あんまりいい言葉ではないんだけど
でも精神科的にはこういう解決の仕方もあるのかな
っていう
そういうのを尽くして
いろんな薬を処方したんだけど
すごくなんか病状が悪化してっちゃう患者さんも
中にはいるんだけど
まあその時の医者同士の慰めとしてね
まあやるべきことはやったし
まあそれは仕方ないよね
仕方ないじゃん
誰がやったって同じことになってたわけだから
仕方ないじゃんっていう
解決ではなく仕方ないっていう落としどころもあるんだな
っていうの最近
改めて離脱がね
まあでもいい調子じゃないですか
この調子で
さて
じゃあそんな感じでぼちぼち終わりますか
はいちょうど2時間か
この後またYouTubeとPodcastの方に
それぞれ同じアーカイブを上げておきますので
はじめから聞きたい方
いればぜひそちらの方で
あとフォローの方も
ぜひお願いします
もう少しでねYouTubeが
100人到達しそうなんですよね
チャンネル登録者数
あっちはかなり
ちょっとちっちゃい冷裁企業ですけど
頑張ってます
よろしくお願いしますどうも
最後までありがとうございました
じゃあ終わります
お送りしましたのはさしみちゃんでした
じゃあ失礼いたします
01:59:40

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