雨の日もあります
サマリー
2025年3月8日のエピソードでは、雨の日の過ごし方に関する考察が展開され、気持ちや体調に影響を与える電子機器との相性について触れられています。特に、鬱病やその症状に関する話題が扱われ、周囲の出来事が自己の心の状態を知る手がかりとなることが紹介されます。このエピソードでは、雨の日にどう過ごすかについての工夫や考え方が共有されており、心の健康や気分の波、うつや双極性障害に関するテーマにも言及されています。雨の日の過ごし方を考え、調子の悪い日は最小限の仕事を果たすことや自己教示の重要性が述べられています。また、調子が悪いと人の本性が現れるかどうかについての議論を通じて、心の揺らぎや柔軟性を理解することが自己理解につながることが示唆されています。このエピソードでは、うつ病や適応障害からの回復プロセスについて語られ、医療界の現状や医者としてのアイデンティティの再考が中心テーマとなっています。AIの進化や医者としての将来像についても触れられます。雨の日の過ごし方に関する様々なアプローチやアイデアが語られており、特にコーヒーに対する情熱やリラックス方法が強調され、心のケアの重要性が考察されています。このエピソードでは、雨の日の過ごし方を語りつつ、葬儀の思い出や直面した困難についても触れられ、特に祖母の葬式を通じての家族の絆や精神科医としての経験がどのように役立つかが考察されています。
雨の日の気持ち
それでは放送を始めます。
進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
こんにちは、どうも。いちごうさん、どうもです。
2025年3月8日、土曜日、15時57分。
自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
先生、こんにちは、どうもです。
朝の動画を見てました、どうも。
まあ、ちょっとこう、
頭がぼやーっとした状態の
最近ちょっと配信が続いてますんで。
聞いてて面白いかどうかはちょっとよくわからないですけど。
今もいまだにちょっと現在進行形で頭がぼやーっとしてます。
こんにちは、どうも。こんにちはです。
まあ、天気もね、雨だったり雪っぽかったりで、
でも花粉はすごくて、
なかなか大変です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
とんかつを揚げながら聞いてたんですが、
心なしかいつもよりこんがり上がりました。
意外なところで効果を発揮しますね。
ながらでいいと思う。
なんかドシッと構えて聞かれるとこっちもなんか話しづらいんで。
ながらで聞いてください。
何かをしながら、運転しながらっていう人もなんか前いましたね。
安全運転でお願いします。
なんか眠いんだが、今寝ると確実になんか睡眠のリズムが壊れちゃうので、
なんかコーヒー飲みながら何とか今、眠気を覚ましてる状態です。
最近なんかいろんなことが調子があんまり良くなくて、
パソコンのあるソフトが立ち上がらなかったり、
その湿筆にいつも使ってるね。
あとは、この間金曜日に録画した金曜ロードショーのゲドセンキがなぜか撮れてなかったり、
なんかもうよくわかんないです。
いつもと同じ設定のはずなのに。
なんか電子機器との相性が僕あんまり良くないみたいなんですよね。
私は今臨月で穏やかに過ごせません。
あ、そうなんですか。
なかなかそれは落ち着かないですね。
この間の連結部の事故で遅延してた新幹線の中でも、
妊婦さんがいらっしゃってね。
改めて本当に移動するだけでも大変だなと思いましたね。
不安だなと思うんですけど、
その一部を僕も近くにいて、
なんかハラハラドキドキでしたね。
こんな大勢がいる中で、こんな混雑の中で、
あの妊婦さん大丈夫かなって。
まあ大丈夫ですよ。適当。
まあなんとかなるっしょっていうね。
最後はもう預かり知るところではないですかね。
我々のベストを尽くして。
あとはなるようになると。
アンズルよりウムが安い。
そうですね。
まあ本当にウムんだけどね。
えーと、
普段は気に留めない電子機器との相性や
電子機器との相性
些細なトラブルが重なった時に
自分自身の心の状態を振り返るきっかけになることはありますか?
またそうした小さなつまづきが
心理的に持つ意味をどう捉えていますか?
どういう意味?
うーん、でも僕は自分が調子悪い時は
部屋が汚れてたりとか
なんか電子機器の調子が悪かったりとか
あと物をよく落っことします。
なんか手が滑って何か物が落ちたりとか
こないだはなんかあの瓶のね、牛乳の瓶を落っことしちゃって
パリーンってこう異極の中で割れちゃったりとか
まあそういう時に僕は
あ、今日は調子良くないんだなっていうのを悟りますね。
あんまり直接的になんか自分の調子っていうのをモニターできないので
そういう周りの様子の変化とか
うん、部屋が汚れてる
なんか録画が撮れてない
よくなんかこう体が物にぶつかるとか
なんかそういうところから
あとまあ配信があまり盛り上がらないっていうのも
あのひとつありますね。ひとつの指標として
まあそういうところからなんか判断しますかね。
まああとわかんないチンチンの立ちが悪いとかさ
まあまあいろんな説があります。
でこういうチンチンの話をすると
配信が滑るとか
配信が滑ってるのにずっと固くなりチンチンの話を
昨日からし続けているとかさ
そういう時なんかあ、調子悪いなって思いますね。
なんか上手くいってないんだなこの人は
まあ他人事だけど
この人はなんか上手くいってないんだな人生が
自分のことをそう思います。
部屋が汚れているのに
まあそういうエビデンスももちろんないですし
部屋の汚れはどっちかというとその時々の
なんかこう状態を
反映しているような気がしますね。
もっと自己愛が関係しているんだったらその家具の配置とか
あるいはどこに住むとかね。
タワーマンに住んでいるのか平屋に住んでいるのかとか
もっとなんか大きな変化に現れるような気がしますね。
あとは
自分のことをそう思います。
そういう気がしますね。
あと海側に住んでいるのか山側に住んでいるのかとかさ
その大きな選択の中に
何か自己愛の片鱗みたいなものが紛れ込んでいるかもしれない。
わからんけど。
あと実家からどのくらい離れているのかとか。
部屋が汚いかどうかはもうあくまでその時の心理状態ですよね。
あ、最近この人寝れてないんだなとかさ
ドレスたまってんだなみたいな。
その荒い情報しかわからないですよ。
5号さんどうも。
そうした小さなつまづきが心理的に持つ意味を
だから疲れてるんだなとかね。
だから多分電子機器が調子が悪いんじゃなくて
僕の調子が悪いんですよね。
だからなんか僕が何か普段いじらないような設定をいじってたりとか
何かしてるから電子機器がその通りに動かなくなるんですよね。
で、僕がなんか普段
放送で言わないような余計なことを言ってるから
放送が停滞するんだよね。
そういうふうにつまづきを最終的に自分のこととして
自分ごととして捉え直すっていう作業になりますね。
それが自分の状態を捉えることになるんじゃないですかね。
鬱病の理解
だから自分の状態を知りたいんだったら
他人をよく見たほうがいいし
自分の周辺に観察の目を向けたほうがいいですね。
そこに何か答えがあるような気がする。
えーっと
私は参加の先生から動けと言われたので
毎日家の掃除をしたり散歩をしたり
そうですね。確かに。
動けるうちは動いたほうがいいのかもしれないですね。
うん。
先生の色々は賢いゆえの悩みかと思います。
なんか僕のことを天才か何かだと勘違いなさってる。
いや普通に凡人中の凡人ですよ。
あんまり世の中のこともよく分かってないし
頭の良さっていうよりかは
まあ何なんだろうね。
自分自身のことをずっと考え続けている
そういう性格なんですよ。
なんか宇宙に興味があるとかね
なんかこう自分の目が外に向いている人っていうのは
すごく健康だと思うんだけど
その場合はそれがずっと内側に向いていて
人と話している時も今自分は
うまく話せているだろうかっていう意識になっちゃうんですよね。
今なんか名前を聞かれたんで自分は名前を言ったんだけれども
それがちゃんと聞こえているだろうか
っていうことばっかりに意識がいっちゃって
そういうのをもう覚えてないんですよね。
まあそういうちょっと自己愛的な
自己中心的な性格なだけですね。
それがうまくいけば
思想とか哲学とかさ
職人とか
内的なクリエイティブな仕事につながるのかもしれないけど
特にピアノも弾けないし歌も歌えないしさ
絵も描けないんで
あんまり職業的には生かされていない気がする。
生かされているのかな。
先生の声が落ち着くので体調に良いです。よかったです。
脳が回転しすぎる。
こんにちは。どうもこんにちはです。
まあ人よりかはなんか考えてはいるかもね。
もっと鬱と言える人が羨ましいです。先生。
何をしたら何をしなかったら治るのでしょうか。
まあその一口に鬱と言っても
いろんな鬱があるからね。
軽い人もいるしさ。
軽い人ほど自分はこうやって鬱を治したって胸を張って自慢するんだけれども
ほとんど役に立たないんですよね。そういう
持論みたいなものって。なのでね
ちょっと何とも言い難いです。
今見ている患者さんの鬱病は精神病性の特徴ともなった鬱病。
いわゆる精神病性鬱病で
非常にちょっとねまずい状態でね。
頭の中に電波が入ってきたりとか
お前たち盗聴してるのに
何なんだろうっていうことを突然言い始めたりとか
最初状態像としては鬱状態で入ってきたんだけども
なんか統合失調症っぽくなってきちゃって
結構困ってるんですよね。
もちろんカウンセリングとか
認知行動療法とかって次元ではないので
一刻も早く薬を投与して、まあもう口から取れないんだったら筋肉注射とかね。
体の中に強制的に入れて
脳を休めなきゃっていう
すごく重症の鬱病の患者さんもいるしさ。
重症の鬱病の患者さんを見たことある人だったら
サウナが鬱病に良いですとかっていうのが
もう全く何の役にも立たないことがわかるんですよね。
それは軽症の鬱病にはいいかもしれないけど
重症の鬱病の患者さんを自分の例えばこう
体を噛みちぎるとかさ、そういう興奮状態にあるんで
とてもサウナとか水風呂とか行ってらんないんですよね。
周りを傷つける可能性もあるし。
本当になんかね
非常に重症度が高いと動物みたいになっちゃうんですよね。
昔は多分そういうの発狂したとかね
キチガイになったっていう風に言うんでしょうけど
ああなっちゃった時って本当になんかちょっと心配でね。
ちょうど僕がだからあの葬式に行ってる最中に
患者さんがちょっとそういう状態に陥っちゃって
なんか未だにちょっと心がザワザワしてるんですよね。
まあその時の先生が多分うまくやってくださってると思うんですけど
っていうのもあったり、本当はいろんな鬱病があるんでね
一概にこれをやりなさいとはちょっと言い切れないですよね。
うーん。
でもね鬱病なんだよね。
鬱病の中にある精神病性の特徴ともな鬱病っていう診断になるんですよ。
DSM5的にはね。
鬱病のようで
鬱病じゃないって思うかもしれないけど
どっちかというとそっちが本物の鬱病なんですよね、伝統的に。
古典的な鬱病。
もう町中の人に申し訳ない。
もう自分は死んでお詫びするしかないっていう状態で入ってきたら
もう突然なんかこう
感じ。
もう今すぐ死なないと大変なことになるっていう感じになってくる。
こっちがね、結構古典的な
本物の鬱病はこういう感じなんです。
世の中で言うパワハラを受けて辛いから死にたいみたいな鬱病って
古典的には鬱病ではないんですよね。
影響障害とかの方に入るので。
今はもう鬱病って診断しちゃって
鬱病に準じた治療をなさる先生がね
ワセダメンタルクリニックの増田先生みたいに
そういう人が発達障害としてとりあえず
見ていった方がいいんじゃないかっていう立場もあるんだけど。
臨床的にはそれもありかもしれないけどね。
別に適応障害の人に抗鬱剤出しても
そんなに害はないですし、そこまで。
…になります。まあね。
なのでちょっと診察をしてみないとどういう次元にある
どのぐらいの重症度のどういう経過の鬱病なのかっていうのは
会ってみるまでわからないですね。
紹介状とか読んでもやっぱ会ってみないとわからない。
全然違ったっていうこともよくありますしね。
なんかこうテキストだけ読んで
紹介文だけ読んでもやっぱよくわかんないんですよね。
あなたが今その鬱病の中のどこにいるのかもわからないしね。
9世紀なのか満世紀なのかで
同じ鬱病って診断でも全然経過が違いますし
ある程度薬の調整ももう済んで
今はもうだいたいこう
横ばいの状態で来てますっていう方だったらね
ゆっくりなんか認知行動療法でもやりながら
まったりゆっくりやっていきましょうっていう感じなんだけど
9世紀のさなかにあるときに
認知行動療法とかやってる場合じゃないですからね。
自分の調子を直接把握することが難しいため
電子機器の不調や配信の停滞など
周囲の出来事から
事故の状態を推測しているとおっしゃっていましたが
逆に調子が良すぎる状態も
周囲の出来事から察知できますかと。
そうだね、なんかうまくいくなとかさ
周りの方が笑顔で
僕に挨拶してくれるなっていうときに
僕は今自分は調子が良いんだなって思いますね。
雨の日の過ごし方
だからいわゆる主観的に言うところの
運が良いとか運が悪いっていうのは
客観的に言うと機嫌のことを指してるのかなと思う。
その本人当事者は運が良いな今日はって言ってるんだけど
科学的に他者から見ると
あの人今日なんかご機嫌だなって見えてるはずなんですよ。
つまり何が起きてもいい風に捉えられる
マインドセットになってる。
できれば人生死ぬまでご機嫌でいたいものなんですけども
僕の場合結構波があって
しばらく鬱っぽいなっていうのが始まると
しばらくなんか続きますね。
そういうときはあんまり自分の自然に逆らわずに
だからあんまり変に旅行に行ったりとかさ
結局旅行先でも変な事態に見舞われちゃうので
極力家でまったりとか
配信でちょっとまったりっていう感じですね。
調子の悪いときは
運が悪いときはあんまりリスナーもワーッと集まってこないので
もう諦めてますね。
今日はそんなに盛り上がらない日だろうなって思いながら
ダラダラやってます。
こんにちはどうもこんにちはです。
意識としては調子悪いときもあれば
調子いいときも来るだろうっていう感じで
信じて待つしかないですよね。
よく言われることですけど天気に近いですね。
でもいずれ晴れるときもあるだろうみたいな感じで
まったり晴れるのを待つしかないですね。
天気を自分の意思で変えることはできないように
やっぱりその日の気分とか運勢っていうものを
自分で変えることはできない。
なのでそれに逆らわずに極力傷を浅く抑える努力をしますね。
こんにちはどうも。
すみません。うつで多重人格は出ますかと。
うつと多重人格とは
基本的には別の質感としてあるんですけど
そういう乖離性同一性障害の症状が
その気分の落ち込みによって
ひどくなっちゃうっていうことはあると思います。
だからうつがひどくなると多重人格になるわけではないんですが
もともと多重人格を持っている人
もうそういうふうに診断を受けている人が
気分の悪さによって症状がひどく出ちゃうっていうことは
十分あると思いますね。
認知症でさえ気分が悪くなると
やっぱり認知機能って落ちますからね。
人的過重っていうふうに言うんですけれども
認知症でさえ脳の変性疾患でさえ
その日の気分によって認知機能が多少揺らぐっていう
いい時もあるし悪い時もあるし
皆さんのIQとかも結構揺らぐと思うんですよ。
その日の気分によって。
もちろん症状も強く出る日もあれば
今日この方穏やかで温厚で
なんか調子良さそうだねなんとかさんねっていう
認知症の患者さんも結構いますね。
患者さんと話してるのにね。
なんかなぜか調子の良い日と悪い日があるんですよね。
同じ病室でずっと入院してるのに。
なのでもうそういうもんなんだと思いますね。
薬でどうこうってよりかはそういう波なんだなって。
出産より産後鬱が怖いですね。
確かにね。産後鬱とか。
ホルモンのバランス的な部分でもあるし
あと結構ね、産後が一番大変だったりしますからね。
一番助けが欲しい時に
周りのサポートが十分じゃないと
ちょっとこう辛かったりとか。
その場合は早めにご相談いただければと思いますけどね。
まずは産婦人科の先生に相談してもらうと
すぐに紹介書を書いてくれると思うんですけど。
良い日の思考を覚えておくのはどうですか?
あー。4号さんはなんかそういう経験ってあります?
調子良かった時なんかこれをしてたなーとか
こういう考えをしてたなーとか。
それをこう調子の悪い時にも
なんか再現ってできますかね。
あんまり僕ちょっと試したことがないので
それが効果あるのかどうかもちょっと今パッと答えられないんだけど。
思考記録ねー。
この間、簡単に、最も簡単に怒りを鎮める方法
みたいなことを話して
それを今YouTubeの動画にアップロードしてるんですけど
あれ話してる時の僕って結構調子良かったんですよね。
でも今、あれを実践できるかどうか
っていうとちょっと自信がない。
つまり自分が言ったことを今の自分ができるか
つまり今のちょっと調子の落ちている自分がね
あの動画で俺が言ったようなことを自分で実践できるかって言われると
ちょっと自信がないですね。
やっぱり目の前で、目と鼻の先で急に怒鳴られたりとか
理不尽なことを言われたりとかされたら
今結構動揺するような気がする。
もちろん知識としてはアンガーマネジメント的なね
とか認知行動療法的な知識もあるし経験もあるんだけれども
そういうのが格段に上がってしまう。
だから全く丸腰ではないし
一方的にやられるわけじゃないんだけど
でも調子の良い日みたいにすんなりとはいかない。
例えるならば何だろうね
車のエンジンの調子が良い日もあれば悪い日もあって
その時々によってちょっとハンドリングが変わるみたいな話ですかね。
あるいは
最近はない。ブラウン管のテレビとかだとすごく映りが良い人
なんかアンテナの調子が悪いのか
そういう人は
今の人に言ってもなかなか伝わらないかもしれないけど
ラジオでもいいんですけどね
なんかその時々によって受信する電波が違うみたいな
非常に解像度が高くクリアに聞こえるラジオの日もあれば
なんかざーっと
ノイズがずっと入っちゃう日もあったりして
それ自体を僕なんか
コントロールすることっていうのは結構難しいなと思う。
完全にコントロールはやっぱりちょっと難しいと思う。
そういう方法として認知行動療法はあると思うんですけど
つまり調子が悪い日は悪い日なりの
こう乗りこなし方というかね
今日のラジオの聞き方はこれだなとか
今日の人との接し方はこんな感じだろうなと
まあ100点満点は無理でも
なんとか70点ぐらい取れるように頑張ろうみたいな
僕は弟とこういう話をする時
よくサッカーに例えるんですけどね
ボロ勝ちする日もあれば
ビハインドで後半ラスト15分
1点取り返せればいいなっていう
なんとか勝ち点1をもぎ取って引き分けに持ち込んで
試合をなんとか終えるみたいな苦しい日もあると思うんですよ
その時のサッカー
ボロ勝ちしてる時のサッカーのプレースタイルと
1点こっちがビハインドで追いかける展開のサッカーって
やっぱり当然違ってくるし
戦略も全然変わってくるし
なのでなんか勝ってる日のボロ勝ちしてる日の思考に
あんまり僕意味がないような気がするんだよ
それが調子のいい時の考え方だから
悪い日の考え方はまた悪い日なりにあるんですよ
戦い方が
なのでちょっと思い出すとか記録するっていうのは
あんまり有効ではないんじゃないかって今
なんとなくこう思ってます
やっぱり悪い日なりの違う生き方というか
世界の認識の仕方が必要なんじゃないか
調子が悪い日は元気な時の回線に
感覚があるようなそうなんですよ
女性の場合はさらにそこに整理周期とかね
女性ホルモンのバランスが乗っかってくるので
より複雑な波動関数を
波動方程式を解かないといけないと思うんですけど
昨日解けた問題が今日解けないみたいなことがね
女性の場合なんかもっと極端にあるのかもしれません
でもそのできない時にあんまり
落ち込まないことかな
できない日もあるしできる日もあるわけだから
そういう風に一旦諦めてみるとか
雨の日の戦い方だね
心の健康について
たくさんではなく何か短い何かを覚えておくんです
YouTubeもそうですね
一応アーカイブも全部ではないんですけども
今日の話いい話ができたなっていう
比較的調子のいい日に
いい日の回は結構アーカイブを残してます
雨の日の回は正直あんまり残したくないんで
基本的にね
今日なんか滑舌も悪いしよく噛むし
コメントの流れ方もいまいちだなっていう時は
アーカイブには残さないですね
残して意味のある回もあるんだけど
家族が亡くなったのがきっかけで
2年前から僧侶性障害と言われました
治る病気なのでしょうか波がしんどくてつらいですと
僧侶性障害も結構長く付き合っていく感じの病気ってイメージがありますね
風みたいにさ
インフルエンザみたいに
2週間したら治りますとかって病気ではないから
どっちかというと体質的な
高血圧だとかアレルギーとかに近いような
戦略かなと思いますね
花粉症の方もさ治るとかないじゃないですか
基本的には薬を飲んで抑えたり
食事に気を配ったりとか
いろんな対策の仕方あると思うんですがそれと似たような感じですよね
慢性疾患だと思いますね僧侶性障害は
自己矜持の重要性
理観してる患者さんの数ってすごく少なくて
なんか僧打つと鬱病って1対1ぐらいに
思うかもしれないけど全然僧打つっていないんですよね
10鬱病がいたら
1とか2ぐらいじゃないですかね僧打つ病って
結構なんか少ないんで
意外と鬱病に紛れ込んでしまって
適切な治療法に繋がらないことも多々あります
だから鬱病の患者さんを見たときに常に
頭の片隅にねもしかして僧打つの可能性はないだろうか
一応精神科医は考えなくちゃいけない
なので鬱病の診断時には必ず
僧状態のエピソードがなかったりとか
僧病エピソードの有無っていうのは結構聞きますね
借金を作ったことはないかとか
急になんか歯ぶりが良くなったりとか
女性だったらメイクが濃くなったりとか
なんだろうな男性だとなんかあの
プラットフォームを作りたいとかさ
イーロンマスクに自分はなるんだとか
言い出すとちょっと怪しいかなって感じはしますけど
えーと自分は体外的には安定した
機嫌を発現するように
子供の頃から訓練されているので
自動的に笑顔を出せます
確かに笑顔になる
辛くても一旦笑顔を作ってみるっていうのはなんか
良いって聞きますよね
僕もまあちょっとそれに近いんですけども
あの自己教示って言ってね
その日はね結構あのおまじない的に自分に
独り言で言い聞かせますね
さあ今日もじゃあ一日世界を変えますか
とかって言って独り言を言ってまず布団から出ます
今日はまずいんだけど
まあちょっと今日一日世界を救いに行きますか
とかってなんかボソボソ言ってとりあえずシャワーを浴びるみたいな
おっと今日は
なかなかあったかいお湯が出ないみたいだな来たね
もうこういう感じかわかったなるほどわかったよとかって言いながら
もうそっちがその気だったらこっちもそういう感じでやっていくから
とかって言ってなんかシャワーにずっと話しかけたりとか
とにかくなんかあの
それをまあプラスにというかね
ちょっとこうユーモアに包んで捉えようと
そっちがその気ならこっちも出すとこ出すぞとかって
なんかパンツ脱いだりとか
まあそういうことをなんかとぼけながら
ちょっとユーモアでやりながらまあ乗り切るって感じ
これをあの心の中で言うんじゃなくて
本当に口に出すっていうことをね結構心がけてます
僕の部屋をなんかこうあの隠しカメラで
撮られたら大変だねあの
デスノートみたいなデスノートのエルが
僕の部屋に来て隠しカメラ設置したら大変なことになる
僕がおかしい人だっていうのが一瞬でバレちゃう
そう出るとこ出るぞじゃなくてねそう出すとこ出すぞって言って
その自己矜持っていうね自分に対する
矜持っていうのは教えるに示すでまあこれはあの
大丈夫大丈夫まあなんとかなるからさ
とかっていうねあの自分に言い聞かせる
それを自己矜持って言うんですよね
やばいぞやばいぞとかっていうのも自己矜持だし
これはいい刺激だとかね
マッチョな人がさなんかすごいダンベル上げるとき
ベンチプレスとかで100キロ上げるときに
これはいい刺激入ったぞみたいなさあれも自己矜持ですね
ワクワクするぞみたいなさ
なのでなるべくちょっといい刺激が入ったぞっていう風に
はっはっはっは
大丈夫ですか大丈夫です笑顔でね
ユーモはもう笑顔になるみたいなことですよねそう
空元気でいいんですよね
雨の日の戦い方
家庭環境が悪いともう笑顔の仮面を被る
プロセスに慣れますよね
まあそういう感じか
まあその仮面とはまた別にさ
自分自身を公布する何かを
まあ用意して
元気には持っていけないんだけど、まあマイナスの気分をなんとかゼロにはちょっと持っていこうっていう感じかな。
プラスにはもう転化できないので、調子悪い日はね。そこは諦めて。
例えば調子悪いからって言っても仕事に今日行くのはやめるとかさ。
もう何言ってももう知らんって言って、隊員に対してこう失礼なこと言っちゃったりしたら、余計こう傷口がえぐれちゃうじゃないですか。
それは雨の日の戦い方としてはちょっとまずいですよね。
もう後はどうでもいいやって言って、サッカーで言うともう2失点、3失点、5失点、6失点してもさ。
もういいや、どうせ負けるんだからっていうやけくそですよね。
まあそういう試合はやっぱり良くないなと思うんで、負けるんだったらゼロ1でやっぱり負けたいですよね。
ギリギリ。競って負けたい。
のでそういう負けの日の戦い方みたいな感じ。
調子の悪い日の本性
そしてそういう自己教示というかね。
さあ今日はもうやばいぞと、もう今日は終わったなとか言いながら、
とりあえず仕事には行って、
まあその日やるべき最低限のことだけやって、で帰ってくる。
僕はなんかね、そう人に言われるまで気づかなかったんだけど、結構独り言多い方なんですよね。
これちっちゃい頃からです。
子供の頃から、もうほんと物心ついた時からずっと独り言を言っていて、
別にあの幻聴とかはないんだけど、
自分に聞かせる独り言をずっとボソボソ言ってるんで、
あのちっちゃい頃親が心配してね、
なんかあの子ずっと一人部屋で喋ってるみたいとかって言ってなんか心配したみたいですね。
独り言多め。
最近はあの、声に出さないっていうこともできるようになったので、
職場ではさ、まあ僕医者なんで、
あの病院では大体いつもマスクつけてるから、
マスクの下で口をパクパクさせて独り言を言ってます。
でも声には出さない。
これはやばいっていうのをあの、声を出さずに言ってる。
口を動かして。
えーと、言い聞かせるも無理してるも気にするの程度。
しんどいよねーってそうね。
これはやばいぞ。
自己矜持。
独り言多いです。そう、多めです。
それいいですね。そう。
マスクをつければ大丈夫。
電車の中でも変な人扱いされない。
調子が悪い日は雨の日なりの戦い方があるとおっしゃいましたが、
逆に調子が悪い時の方が自分の本当の性格や隠れている欲望に気づきやすいという見方もあります。
先生が調子の悪い日だからこそ発見した。
自分にとって意外な一面や見えてきた本音などはありますか?
どうなんですかね。
調子の悪い時に人間の本性が出るみたいな説もあるけど、
僕はちょっとそれは怪異的ですね。
あんまりすぐには賛成できない。
確かに調子が悪い時に証拠を失って人に高圧的になっちゃったりとかありますよね。
女性だったら生理前とかにイライラしたりとか、怒りっぽくなっちゃったりとか。
でもそれがその人の本質かっていうとちょっとそれは意地悪な見方ですよね。
ほら見たことかってやっぱりこいつ性格悪いじゃんみたいにみんなで指を指すのはちょっと可哀想だなと僕は思いますけどね。
だって調子悪いんだからさ。
それがその人の本質なんだよとかようやく姿で表したよとかっていうのはなんか可哀想だし、
僕はあんまりそういうふうに指さされたくないなって僕だったら感じますね。
なので僕も患者さんの調子悪い時はあると思うんだけど、
それを本質だとは思わないようにしてますね。
波の揺らぎの中で見てるんで。
この人は優しい一面もあるはずだからっていうふうにいつもその差分を考えて修正するようにはしてますね。
今日は怒りっぽいけども優しかった時もあるよなっていうふうに必ずその差分を思い出して自分で埋め合わせるようにしてる。
そうじゃないと性格悪く見えちゃいますからね。
人間の本性っていうものはそんな瞬間でスナップショットみたいに切り取ることはできないので、
うつの経験と理解
その大きな流れの中で捉えていくものですよね。
この人ってこんな一面があったんだなと。
こんなしっかりしてる先生もたまにはなんかこんなぽかするんだなとかさ、
そういう流れの中で時間軸で見ていくものなんで。
本性を表したとかそういうことではないと思います。
それでは逆に調子が良い時の自分も本来の姿ではない可能性がありますか?
いやその通りですね。
この人は今調子が良すぎるな、ちょっと元気すぎるなというかね。
だからそこは逆にその差分を差し引かないといけない。
この人は今調子の良いことを言ってるけれども、でも打つの時もあるわけだから。
あんまりこの人にね、この人の言うことを信じすぎないようにしようというか。
俺はできるはずだからちょっと俺に100万貸してくれよとか言われてもさ、
ちょっとこいつ今調子高いなっていう感じで差し引かないとダメだね、ちゃんと。
先生は本当の自分という概念自体をどのように捉えていますか?
僕はなんか固定した本当の自分みたいなものはないって思いますね。
常にこう揺らいでいて、ふわふわ浮かんでいるものみたいな。
ちょっと上手い表現が見つからないけど。
だからあの振り子みたいに捉えてますけどね。
右に触れて今度左に触れてみたいなさ。
振り子とかメトロノームとか。
そういう一定のリズムを刻む動きの中で人を捉えてる。
でも突然そのビートが速くなる時もあるし、逆にゆっくりになる瞬間もあるし。
でもどこら辺にこの人の適正のリズムがあるのか。
何BPMなのかなみたいな。
必ずあるはずだから。
だから人間の心拍数とかもそうですけどね。高めなのか低めなのかは。
状況によって多少変わりはあるんだけども、でも大体こう決まってくるんですよね。
この人の自然の心拍数は大体このぐらいだろうなっていう。
そういう揺らぎの中でなんか大体捉えてます。
先生は絹ごし豆腐のように細やかですね。
そうですね。豆腐メンタルですしね。
今若い子はほにゃほにゃは理解されるのに、50代以降の人は恥ずかしいと捉えられたり理解してもらえません。
父、兄が医師で母が看護師でしたけども、学校は1日も休むなとか辛すぎました。
うつ病かな。不世人になっちゃってる。
なかなかちょっとね、この上の世代の人ってうつ病って口真似で言うんだけどね。
うつ病って辛いよねとかっていうふうに擬態するようにはなったんだけど、本当の真で理解してる人は少ないですからね。
なかなか難しいんじゃないかなと思って。
その人たちに本当に理解させるっていうのはちょっと難しいんだと。
すごいですよ。優しいんですよ。
褒めてくれてありがとうございます。豆腐メンタル。
先生は人間には固定した本当の自分などなく常に揺らいでいると捉えているとのことですが、
もしその揺らぎこそが自分の本質だとしたら、調子の悪い自分も調子の良い自分も否定せずに受け入れることが本当の意味で自己を理解することになるのでしょうか?
うん。なると思います。
なんか僕が言いたいこと全部言ってくれてるので、特にもう付け足しはないですね。
揺らぎとかその柔軟性とかね。
親と接している時の自分、子供と接している時の自分、上司と接している時の自分みたいに。
相手によって自分というものをこううまく着脱するわけじゃないですか。
空気。こう、シチュエーションによって着替えるみたいに。
いろんな自分というものを柔軟に引き出したり、あるいはこう、外したりしますよね。
その柔軟性がその人らしい部分なのかなっていう。
固い言葉で言うとこう、パーソナリティなのかなって思います。
パーソナリティという機能?
なんか難しい話をしすぎて、なんか自分でも今何を言ってるのかだんだん分かんなくなってきて。
えーっと、大切なお父さんお母さんだから喧嘩しないで笑って楽しくいてほしかったんだろうなと思いました。
うん。そうね。
うつ病になってみて本当のうつ病の辛さが分かりました。
なってみないとね、ちょっとなんとも言いがたいですよね。
で、これが治ってしまうとね。
治ってしまうと治ってしまうで、なんで自分はあんなに悩んでたんだろうって思い出せなくなるんです。
まるで悪夢みたいにね。
夢ってやっぱりこう、見終わった後スカッと忘れちゃうじゃないですか。
そういう感じでうつ病ってよくなってみるとなんか思い出せなくなるんだよね。
っていうちょっと不思議なところがありまして。
なので辛い時、まあ本当に辛い時は難しいかもしれないけど、辛い時なりの何かね。
自分でこういう状態だったっていうのをなんか記録に残したりとかすると、後々なんかこう役に立つかもしれない。
忘れちゃった時に。
夢日記みたいにさ、うつ日記みたいなものをつけといて、
10年後に振り返った時に、自分はこんな状態だったんだと。
そうなるとさ、周りのうつの人の気持ちもちょっと分かるかもしれない。
それはすごく重要な資産になると思うんで。
うつ病の人の辛さが理解できるっていうのはもう才能に近いので、大事な資質だと思いますね。
これからの時代特に。
うつ病が治ると、うつと離れる寂しさは残らないでしょうか?
僕の場合はね、もうそんな寂しさとか言ってらんないぐらいもう飽きたって感じだね。
早く次のステージに行きたいっていう感じになって。
もういいよこの人生って。
もうずーっと家にいて、半年とか1年ぐらいずっと部屋の中でゴロゴロしながらアニメ見る生活はもういいよって思いましたね。
で、こんな母親がガチャガチャ入ってきて、それに対してうるせえババアとかね、死ねえババアとかって言ってる自分はもういいよって思った。
早く自分を変えたいなって。
焦る気持ちとも違ってね、なんかもう退屈。
こんなことがまた3年とか4年とかさ、平気で10年とか経っちゃうと思うんですよ、うつになっちゃうと。
そうやって無駄に時間が溶けていくのがもう退屈でしょうがなくて。
新しい刺激が欲しくて欲しくて。
なんでもいいから外に出たいっていう気持ちになってました。
もう最後の方。
本当にうつが良くなったなっていう頃って。
うつでいた方が正直周りからも同情されるし、温かい言葉もかけてくれるしね。
サポートを得やすいっていう疾病利得の問題っていうのがあって。
まだその利得の方が欲しいっていうかね。
うつでいた方が損得で言うと得だなっていう風に感じてる時は、
まだ治る時というかね、その時ではないんだと思います。
うつが名残惜しいなんて思ってるんだったら、
まだその人は自立するタイミングではないんだと思う。
飛び立つタイミングではないんだと思います。
だからもう少しゆっくりしてもいいんだと思う。
変に焦って頑張ろうとするとまた振り返しちゃうとか再発しちゃうので。
まだ私は、私はまだうつ病を待っただなかということなんですね。
うーん、そんなに慌てなくてもいいんじゃないかなっていう風に主治医の先生から言われてないですか。
まあ本当に人によりけりなんだが、
うつ病が良くなってもうこの人は大丈夫だなっていう時ってもう処方も変わらないしね。
もう長いことずっと同じ薬を、処方箋をただ先生もコピペしてるだけだし。
で、月に1回とかさ、2ヶ月に1遍の受診の時なんかもう別に特に主治医の先生と話すこともないし、
調子はまあまあです。うん、まあなんとかなってます。みたいな。
あんまりこれと言ってこれが今困っててみたいな話も出てこないっていう感じで大体横ばいが続くんですよ。
ってなるともうなんかこれをずっと繰り返しててもしょうがないなみたいな感じになってくるじゃん。
先生は別に早く自立しなさいとか言ってこないけど、
あれこれ自分から言い出さないとまた1年2年ずっとこれ通う感じになるのかなみたいなさ。
で、ずっと同じ薬がずっとこれ続いてくのかなみたいな。
じゃあちょっとなんかね、もう少し何かやりたいなって気持ちになってきた時が落とし所というか。
まあうつの終わりかなって感じはするんですけど。
で、先生もうんそろそろなんか新しい刺激加えてもいいかもねっていうことかって言って、
もしかしたらね、あの副職の診断書を書いてくれるかもしれないし。
僕はまあどんなに短くてもやっぱ3ヶ月間ぐらいは休養は必要かなと思っていて、
その2週間とか3週間休んでリフレッシュできたっていうのは信用ならんというかね。
うつ病からの回復
そもそもそれでリフレッシュできるんだったらそれうつ病ではないですよね。
適応障害でさえないかもしれない。
僕は3年かかりましたね。3ヶ月どころか。
自分の人生を振り返ってみると3年間は全く一歩も動けなかった。
てかまあ動き出す許可ももらえなかったし。
高校3年生から、高校3年生の1年間とその医学部1年生の2年間のまあトータルで3年だね。
この期間は本当に何もしてなかった。バイトもしてなかったし、まあほぼ。
人とも話さなかったし、風呂も入ってなかったですね。
普通に1ヶ月ぐらい風呂入ってなかったね。
でもニコ生はしてましたね。
ニコ生はしてたな。
私は治ってると思い始めていますが、主治医はあなたは病気ですというふうに言っておられます。
そうするとまあもうちょっとゆっくりでもいいかもしれないですね。
先生みたいなお兄ちゃんが欲しかったですと。
新卒でICUに所属。
一緒にアルコールを飲んでいたシンゲの先生が呼び出しかかり、お部で患者さんを死なせてしまったり。
えー。
腹膜透析の感染症手順間違えた看護師に私のせいにされたり。
お、もう病院に行きたいはありません。
あ、じゃああなたは看護師だったってことですよね、まずね。
で、そこでのまあいろいろ対人トラブルがあり。
まあ医者も結構似たようなもんですよ。
A先生とB先生の言ってることが違うとかさ。
A先生の言ってることをやってたらB先生が突然怒鳴り込んできて打ち切れたりとか。
お前何やってんだよ、勝手なことをって怒鳴られたりとか。
理不尽の極みですからね。
だから若い先生方が直尾とか直参とかね。
臨床の方ではなくてなんか儲かる、簡単に儲かるインフルエンサーみたいになってっちゃうのは無理はないなと思います。
もう時代に合わない。
寿司職人だって今はYouTubeでさ、お寿司の握り方を2週間で身につけてもう開業しちゃう世界じゃないですか。
そんないつまでも職人みたいなことをやってたら取り残されちゃいますよ。
未だに医者の世界ってなんか職人みたいなことやってるんですよ。
若い連中はとにかく黙って働けと。
まずは3年間、石の上にも3年だとかって言われて。
何も言わずに3年耐えろっていう世界なんですよ。
若いみたいな世界だよね、本当に。
僕は医者になりたい若い人がいたらあんまり医者は進めないですね。
まぁあるいは医師免許を何か自分の何かを生かしていくステップみたいに捉えるんだったら、別に持っててもね、損はないものだと思うし。
あの造船太郎さん。
あの造船太郎っていうあのなんか2億円の宝くじを当てた。
宝くじじゃないのかあれは。
サッカーくじを当てたその医学生の子がいるんだけど。
その子は医師免許は7億円の価値があるって言ってました。
僕は4億ぐらいかなと思うんだけど。
その医者としての年収が1600万から2000万ぐらいの間って考えるんだったら、
4億円の資産を利回り年4%で運用してるのと同じことなんで。
まぁだいたい4億円ぐらいの価値があるのかなと思うんです。
持ってるだけでね。
なのでなんか力が有り余ってるし、
別に何かやりたいこともない人は別に取ってもいいと思うんだけど、
なんか自分を安売りして身をこにして働いて、
患者さんの命を救いたいっていうモデルはもうなんか通用しない気がしますよね。
そういう人外の働き方が求められる領域って今後間違いなくAIに置き換わっていくと思うので、
なんか全部AIがやっていいんじゃないっていう。
で、なるとなんかあんまり社に魅力もないな。
5号さんは5号さんなりの理想があってそれを追い求めていく過程で、
現実というものを突きつけられて今悩んでいらっしゃると思うんだけれども。
そうするとちょっと理想の方を一旦修正していかないとね。
修正が今迫られている苦しい時期かなと思いますけど。
まあこの配信聞きながらなんかこう頑張ってください。
適当、最後。
なんかの参考にしてください。
僕もめちゃめちゃ今理想の修正を迫られていて、
こんなどい中で働くことになると思わなかったけど、
でも今が一番幸せなんだよね。
誰にも期待されずに一人でなんかこうぼーっとしてるのが好きなんで。
医療界の現状
あと3年間は動けなかったですと。
なんか3年ってやっぱ一つの目安なのかなって勝手に思います。
科学的な意味ではなくてね。
僕はなんかうつ病って結構心の中の戦争だと思っていて、
第一次大戦も第二次大戦もだいたい3年ぐらい続いてるんですよね。
あとコロナもだいたい3年ぐらい続いていた。コロナ禍も。
そういうなんかこう人類の危機とか生命の危機みたいなものってやっぱり、
平時に戻るのにやっぱ3年ぐらいかかるのかなって。
そのぐらい長期的に捉えていくしかないのかなって思う。
幸せなのなら良かったですよね。
今ある程度穏やかな気持ちでおばあちゃんのね、
祖母の葬式に出られたのも、
やっぱ去年ちゃんと田舎に移り住んで、
で、常勤医として今きちっと地に足ついて働けてるからだと思いますしね。
もしフリーターの意思はあのまま続けていたら、
なんかおばあちゃんの葬式も本当になんか、
ちゃんとこう気持ちを作っていくことができなかったと思うんで。
きちっと修正できて良かったなって感じですね。
現実の方を変えていくんじゃなくて、
ある程度自分の方を変えていくっていう発想だよね。逆転の発想。
そもそも自分はこれが夢でこれがやりたいとか思ってたけど、
それ本当か?って。
一回全部、おもちゃ箱をひっくり返して。
これ本当に俺が好きなものだったっけ?っていうのを一個ずつ疑っていくっていう。
そうすると誰かに植え付けられていたりとか、周りからの同調圧力だったり、
そういうので意味もなく持ってたり目指してたりすることって結構あるので、
一回そういう価値観とかラベルを全部剥がして、
もう一回自分でラベリングし直す。
そう笑いする。
棚下ろしをする。
自分の価値観を全部剥がして棚下ろしをするという考え方はとても興味深いですね。
その棚下ろしをした結果、先生にとって最も意外だった。
実はこれは自分の願望ではなく、他人から貼られたラベルだったと気づいたものは何でしたか?
うーん、なんかこうサッカーが僕好きだと思ってたんですけど、あんまり好きじゃなかったとかね。
それに気づいたのは30を超えてからなんですけど。
僕は実はそんなにサッカーは好きではなかった。
子供の頃あんなにサッカー選手になりたいとか言ってたのにね。
多分親の影響で言ってただけだったんだな。
父親もずっとサッカーをやっていて。
僕は日本の出身地が埼玉県の埼玉市の旧浦和市なんですよね。
浦和っていうと浦和レッツが盛んで、その後大宮アルディジャっていう大宮のチームもできたんですけど、
結構サッカーがそれなりに熱い土地で小っちゃい頃暮らしてたんですよね。
単純にその影響が大きかったんだなと思います。
だから野球が盛んな地にいたら多分野球選手になりたいとかほざいてたんだと思いますね。
訳も分からず。
そういう周りから押しつけられたり、勝手に自分のものだって勘違いしていたものを一回全部ひっくり返して考え直した結果、
僕は別に本を読んでたり、図書館で静かに暮らしてる方が結構幸せだったんですよね。
それに気づいたのが30を超えてからです。
ちゃんと自分の中にある自然というものに逆らわないで、本を読むようになったらすごく落ち着くようになりました。
変な心のザワザワみたいなものとか、劣等感とか、孤独感みたいなものは結構減りましたね。
先生は大阪星医療センター知ってますか?
いや、ちょっとあんまり詳しくなくてすいません。
実は静かに本を読む方が好きだったと気づいたそうですが、
あるいは本を読みながらいろんな空想に吹けるのが好きって感じかな。
だから読書が好きなわけでもないんですよね。
読書をきっかけに自分でいろんなことを想像するのが好きなだけで、
だから本を読むのもめちゃくちゃ遅いし、
だいたい読み終わらずにいつも図書館に返しちゃうんですけど、空想が好き。
サッカー選手になりたいという思いを手放した瞬間、心の中に生じた感情はどんなものだったか。
サッカー選手になりたいっていうのは結構早期に手放さざるを得なかったんですけど、
小学校高学年ぐらいの頃に諦めてましたけど。
でも最近で言うと、だから自分はこういう医者になりたいとかって思ってたのも結局手放しましたね。
それって本当かなって。
周りの同調圧力とかさ、周りがこれになりたいって言ってるからあんまりわけわからず自分を目指してただけなんじゃないかなと。
あとなんか異極にいないとろくな医者にならないみたいな、得体の知れない恐怖に苛まれてたんだけど。
とか大学から離れちゃうと自分はもうダメな人間になっちゃうとか。
それって本当かなって。
2020年代はその、医者としてのアイデンティティをもう一回考え直しましたね。
ちょうどコロナ禍になってワクチンのアルバイトとかがワーッと増えてきて、世の中に。
結構その初期の方から僕はずっと携わっていてね。
英語が結構できたので、いろんな外国の大使館とかに僕実は行ってワクチンの仕事やってたんですよね。
大使館行ったというか、大使館関係者の日本語が話せない外国人対応の会場とか、結構いたんですよ。
そういうのをちょっと拙い英語ではあるんですけれども、
いろいろ話したりして、いろんな価値観があるんだなっていうのに触れてるときに、
大学病院にいたときでは味わえないやりがいがあったんですよね、そこには。
だから全然別に医局の外にも自分の技能というか能力を生かせる場所はあるじゃないっていうふうに気づかせてくれた。
おまけに稼げたしね。
ちょっとした退職金よりは結構稼げたので、
とりあえずなんかこの道で行こうというふうに思えましたよね。
王道以外にもいろんな道はあるんだなって。
アイデンティティの再考
先生はクリエイターみたいですね。
そうね、最終的には空想してたいですね。
AIが人間の仕事を奪っていってくれたら、僕も早く医者をリタイアして空想したいですね。
空想で生きていきたい。
本を読んで、その本の続きを自分で考えたりとか。
別に誰かに求められたからやるんじゃなくて、自分が楽しいからやるっていう。
同調圧力で医者になれる人はそういないですね。
周りも医者になるし、やるかみたいな。
医者になっとくかみたいな同調圧力もありますよ、きっと。
なんとなく優秀な人はみんな何か医学部行ってるじゃないですか。
大した理由もなく。
あれはもう同調圧力の何者でもないですよね。
同調圧力以外の何者でもない。
僕も結構そういうところありましたね。
周りも医者になってるし、なるかみたいな。
先輩も医者いたし、医学部に受かってる人いたし。
いろいろ難がある赤ちゃんを見守っている妊婦さんや、障害を持って生まれた子が全国から来る病院なんです。
そこで産みます。
あんまり個人情報はあれですよ。
そこまで明かす必要はないですから。
僕も自分の個人情報は管理しますけど、皆さんのまでは管理できないので、
自己責任でそこはお願いします。
いろいろ嬉しくなって、僕に伝えたい気持ちもわかるんですけれども、
ぜひ身を守ってください。
たまに変な人がここに張り付いてるんですよ。
変なリスナーもいますから。
変な配信者もいますけど。
医者になった先生たちは本当は何が向いてるんでしょうね。
いやーわかんないよ。
結局精神科になった後、作家になっちゃう人もいるし、
その人は本当は、だからラベルをもう一回自分で付け替えて、
自分のアイデンティティの核にあるのはクリエイティブな活動なんだってなって、
そっちに軸足を移していく先生もいますし、
精神科は結構そういう先生いらっしゃる気がしますね。
タレントみたいになっちゃう人もいるし、ユニークな先生方ですよね。
同業者からは、お前医者じゃないっていうふうに後ろ指を指されますけども、
全然一向に構わないですからね。飯食えてるわけだし。
僕もそういうふうにいろんな人からけなされる存在になってみたいものです。
それぐらい有名になってみたい。
周りから評価されたいですね。
いろいろ自分の中で価値観を付け替えていった結果、
内科とか外科とかメジャーな方にはいかず精神科っていうマイナーな科を選び、
さらにそのマイナーな科の中でも大学病院っていう道を選ばずに、
雨の日の楽しみ方
またマイナーなザイヤのさすらいの精神科医になろうって。
でもそれも今だんだんアイデンティティが傾せていて、
産業医はいいなとかさ。
あとはなんか最近流行ってるそういう精神科系のYouTuberのクリエイターさんとか見てると、
ああいうふうにパラソーシャルな世界に身を投じていくのも悪くないなって。
医療現場にいると患者さんと診察室で1対1になるだけでさ。
でもその1時間を例えばYouTubeにアップロードしたら何万人っていう人がもしかしたら見るかもしれないし、
そうやって世の中を変えていったり治療していったりっていうことも面白いなとかね。
なかなか同業者からはものすごい批判を食らいますけども、
クソクライダーっていうふうに反逆児でやっていくと結構面白そう。
どっちかというと今後AIが人間の仕事を奪うようになると、
そういうパラソーシャルな自分を映したり、
あるいは自分の声を投稿したりして社会に影響を与えていくっていう方がむしろ
普通になっていく。そっちの方を現実と言って、
逆に絵を動かしてるとお前現実逃避してるっていうふうに価値観が完全に反転する時代が
あと10年とか20年以内には来るような気はしますけど。
ちゃんと動画投稿しなさいとかって先生に怒られたりとか。
サボってないでちゃんと1日1本のあげなさいとか。
そんなふらふらしてないで油売ってないでちゃんと動画あげなさいよって怒られちゃうかもしれない。
本当に今後精神科医もAIになっていくと思うんですよ。
その1,2年では起こらないですけども、そういう変化っていうのが多分この15年以内には起きてくる。
単純にAIの博位を着た先生が審査室に置き換わるとかっていう話ではなくて、
もっとドラスティックに精神科医療そのものが変わるような気がするんです。
最近読んだ面白い本で、脳科学者の池谷雄二さんが最近書いた本の中でね、
面白い研究論文を紹介されていて、
脳に電極を挿して、すっごい細い電極ですね。
遠いんじゃなくてものすごく細くて、その電極の先に
その神経細胞に1個のある特定の神経細胞にプツッと挿す。
その神経細胞、ニューロンって言うんですけど、そのニューロンが興奮したときに
その興奮の微弱な電流を拾ってピカッと光る。
だからピカッと光ったってことは、このニューロンが今興奮したんだな、活性化したんだなっていうのを
測定できるまず電極があります。
でも人間、その挿された方はどういうふうにやったらピカッとつくかわからないですよね。
だからなんか普通に生活したり人と話してるとあるとき、急にピカッと一瞬光るわけですよ。
え、なんだろうみたいな。でもわからないわけです。
で、またなんか話してるとまたピカッと光るわけ。
っていうことをずっと繰り返していくと、なんか面白いんだけどね、
はい、じゃあ光らせてくださいっていうふうに指示出すと、ピカッと光らせられるようになるらしいんですよね、訓練で。
これはどういうことかっていうと、人間の任意のニューロンを人間は随意的に発火させることができるっていうことの証明になってるんですよね。
これって実はすごいことで、これで何ができるかっていうと、
例えばうつ病で脳のこの機能が落ちてますっていうある特定の部分があるとしますよね、
その部分に電極を指してピカッと光るっていうシステムとかフィードバック機構を作れば、
今の原理を使えばその機能が落ちてる部分を上げることができる。
機能を上げることができる。訓練次第で。
じゃあピカッと光らせてくださいっていうことを日常生活で何回もさせると、脳の使い方がだんだんわかってきて、
落ちている機能の細胞を活性化させることができる。
こういうふうにやるとこのニューロンが光るんだみたいな感じで、
うつ病の患者さんが自分で精神科医のカウンセリングとか薬の治療を受けずに、
自分の訓練で脳を鍛えられる。脳のある特定の部位だけを使うことができるようになる。
かもしれない。これはまだ僕の仮説というかね、想像の域なんですけれども。
いかいけがやゆうじさんの論文の紹介を読んだときに、
これめちゃめちゃうつ病の治療に使えるなと思ったんですよ。
で、その電極とピカッと光るっていうフィードバック機構さえあれば、
もう人間いらないなって思っちゃったんですよね。
だからいちいちなんか下手くそに人間が、
それはいつ頃から辛いんですかみたいな、
すっごい150年前の伝統的な悶心とかしなくてもね、
なんかピカッと光らせるにはどうしたらいいんだろうみたいに本人にひたすら訓練させていくと、
自然にうつの気分が取れてくるみたいな。
脳の使い方だんだんわかってきましたとかって言って、
最終的に精神科ってそういう脳の電極とフィードバック機構と本人の訓練によって、
脳の使い方をリハビリテーションしていくっていう形になって、
そこに第三者のAIとか、
人格を持った人間というものが必要なくなるんじゃないかなって、
僕最近ちょっと想像していて、
これって要するにもうだから、
もはや人間はいらないって、もしかしたら、
っていう世界も来るんじゃないか。
人間もいらないし診察室もなんならいらないんじゃないかな、
っていうことを僕は結構想像しながら本を読むのが好きなんですよね。
でもこういう話をすると、
何キチガイなこと言ってるんですかみたいな感じで、
まあ同業者からはもちろんキチガイ扱いされるし、
大抵なんか理解されないんだけど、
精神科のこの方向、精神科脳リハビリみたいな方向性も結構面白いなというか、
もしそれがありなんだったら、
もうカウンセリングとか精神療法とか、
本当に時間のかかる方法っていらなくなる可能性もあるなと。
今はね、やっぱりある種の母子関係みたいに、
この育て直しみたいに、
治療者がその患者さんの心をね、傷ついた心を育て直す、
子供の部分を親になり代わって育ててあげるんです、
みたいなモデルが今は有力なんですけれども、
コーヒーの楽しみ
もはやそういう空想とか幻想もいらない、
脳に電極を指して終わりなんじゃないかっていう気がしなくもなくて、
そうなった時にもう精神科医はみんな退職ですよね。
お疲れ様でした。
無駄な治療、お疲れ様でしたとかっていう風にAIに言われて、
みんな掃除職。
僕はそうなったら最終的にコーヒーが好きなんで、
ちっちゃな喫茶店でも営もうかなと思うんですよね。
そこのマスターになって、その日のブレンドコーヒーを入れながら、
お客さんに振る舞いながら、
私も昔若い頃は精神科医っていうのをやってたんですよね。
今はもう精神科医とか無くなっちゃいましたけどとかっていう風に、
言いながらお客さんにダラダラ喋ったり、
お客さんの話を聞きながら、
これ昔は認知行動療法っていう方法で
お手早されてた時代があったんですよとか言いながら、
ペチャクチャお喋りしながらコーヒー飲むのが僕の夢なんですよ、今の。
それがあと10年ぐらいで来てくれたら嬉しいなって思ってるんですけど。
精神科医っていう古臭い泥臭いやり方があったんですよね。
でもあんまり治療効果もないし、存在意義もよくわかんないし、
もともと何の役に立ったのかよくわかんないんですよ。
最高ですね。
成田雄介先生はそばの打ち方を今勉強してるみたいですけどね。
最後、人間が働かなくなって、
労働しなくなった時に備えてそばの打ち方を勉強してます。
僕はコーヒーの入れ方を今学んでますね。
美味しいコーヒーを自分のために入れるための
いろんなテクニックがあるので、それを鍛えておこうかな。
間違っても精神科とか職業を自分のアイデンティティにはしない。
いずれ早かれ遅かれなくなるもんだって思いながら日々を暮らしてますし、
そういうのを想像するために本を読んでる。
その脳の直接のフィードバック機構っていうのが
全く今まで僕の頭になかった発想なのですっごく面白いし、
脳科学系の本とかあんまり精神科医って読まないんですけど、
ちょっと興味が湧いてきましたね。
目が離せない領域ですよね。
私は養護教諭保健室の先生の免許があるので、
一度溺れて意識不明になった女の子の心肺蘇生法をしたことがあります。
なかなか少尉の心肺蘇生法って僕はかなり経験がないので心配ですね。
心配だけに。
AEDの使い方も少尉ってちょっと違うじゃないですか。
成人と。
そこら辺もなんかやっぱ勝手が違うんで結構心配だな。
プラス人間関係がなくなるので鬱になる人も減りそうだし。
そうだね。
初めましてどうも。初めまして。
いやでも逆に人間関係が素になることで鬱になっちゃう人もいるかもしんないですけど。
人となんかじゃれあったりさ。
あのトコロジョージみたいにさ。
いいよこれ持ってきなよとかって言って、
いろんな人にいろんな物をあげるのが好きな人っているじゃない。
ちょっとおせっかいなおじさんとかおばさんとか。
ああいう人たちはちょっと鬱になっちゃうかもしんない。
最近はもう滅多に人間と喋れなくなっちゃったわとか言ってさ。
寂しがっちゃうかもしんない。
コーヒーを入れながら。
昔は人間が働いてたらしいですよ。
旅をしながら暮らしたい。
それもちょっと憧れるんだけど。
僕この間のそのね、東京駅上野間の新幹線の連結部が外れて、
あの影響で僕4時間ぐらい到着が遅れたんですよね。
祖母の葬式に。
あれ以来やっぱり、旅ってリスクがあるな。
突然バスが止まったり電車が止まったり、予定通りに行かないんで、
なんか僕はちょっと旅って少しストレスなんだよね。
それを改めて認識しましたんで。
コーヒーを飲むぐらいがちょうどいいかな。
コロンビアを今日は入れますか?とかさ。
コロンビアとブラジルの違いはわかんないけど、
イチオピアとブラジルは全然違う気がするんですよ。
酸味が違うなとか。
そのバカ舌の僕でもわかるんで。
やっぱ皆さんもすぐわかると思うんですけど。
そういう違いを、今日はちょっと酸味多めにしますか?とか言いながらさ。
今はね処方箋を書いて薬を調合してますけれども、
後々コーヒーを調合してさ、ブレンドして。
人に合わせてさ、
あなたはちょっと鬱だから今日はこのコーヒーにしておきますとか言って。
やるのが将来の夢です。
違いますね。
4時間。そうなんですよ。
あれ東北新幹線が連結部外れたんだけど、
その区間の上越新幹線と北陸新幹線がやっぱり止まっちゃったんですよね。
それでモロ影響を受けました。
今日は温泉宿です。
あ、いいなぁ。
僕もこの後近くの銭湯に行こうかな。
いいですね。
寒い時ほどいいよね。
人間が働かなくなったらみんなで温泉入ればいい。
なんかYouTube見るとさ、
AIに仕事を取られたらどうするんですか?みたいな、みんな真剣に議論してるけど。
とりあえず温泉に入ったらみんなで温泉行きましょうっていう話でいいじゃん。
私はカフェインレスコーヒー飲んでます。いいですね。
カフェインレスでも結構おいしいやつありますからね。
声と話し方が落ち着いていて癒されます。ありがとう。
引き立てのコーヒー飲みたいですね。そう。
最近自分で生豆を買って焙煎してるんですよ。
その焙煎の度合いも自分で調節して酸味が強くできたりとか。
深入りにすると結構苦味が出てきて、ちょっと油分が表面に浮き出てきて、
ピカピカ光るんですよね。光沢が出てくるの。
そういうのを暇な時に取り出してみたりとか。
変態の息だよね。
コーヒーを飲むんじゃなくてコーヒーを眺めるっていう。
変態です。
僕、長い間コーヒーが飲めなくて。
なんかね、カフェインがすごい苦手で飲むようになったのってここ1,2年くらいの話なんですよね。
だからある程度量を抑えればあんまり睡眠にも影響ないし
そういうことがだんだん自分の研究でわかってきて。
1杯2杯くらいだったら1日楽しめるなっていう感じで。
そっから飲むよ。ほぼ毎日コーヒーは飲んでます。
またから血が出てるから家のお風呂に入るつもりです。了解です。
未来の仕事と余暇
ご報告ありがとうございます。
すみません。先生の枠は運転中に聞くと音量が小さく感じる。了解です。
そうですよね。僕もずっとそう思ってた。
音量小さいのよね。ちょっと待ってね。
ちょっと大きくしますよ。なのでちょっと気をつけてください。
これぐらいでどうですかね。結構大きめにしました。
他の視聴者の方は枠の雰囲気が崩れたりするでしょうか?
いや、皆さんお手元のボリュームで多分調節してくれてるんで大丈夫です。
YouTube動画の音量も小さい。なるほど。
それは大事なことだね。ちょっと確認してみます。
ありがとうございます。
あとはこのマイクの原因とかっていうのかな。そこら辺ちょっと後で調べてみますね。
フィードバックが大事ですね。さっきの電極でピカじゃないけど。
いろいろ言ってもらえると改善できるんで。
AI時代になったら婚欲が楽しみ。
どうなるんだろうね。
トランスジェンダーみたいなややこしい話もありますからね。
15年後の温泉ってどういう形をしてるんだろう。
ちょっと想像しますね。
豆はどこから買っていますか。
Amazonで買ったりとか、あと僕はふるさと納税で買ったりしてます。
なんでもふるさと納税の時代ですね。
トイレットペーパーもティッシュもシャンプーも今全部、コーヒー豆もふるさと納税で取り寄せてます。
あとお米か。米も。
東北に住んでいる元埼玉県民です。
地元を離れていると帰らなくちゃいけないとき、アクシデント起きると困ります。
そうですよ。
僕も元埼玉県民なので近近感が湧きます。
スモーキーなコーヒーが好きです。
YouTubeの動画もね。
音量気になってました。ありがとうございます。
みんな気になってたんだ。
PMSの時、私は気分が沈みやすいんですが、
そういう時はPMSの薬を飲むのが良いんでしょうか?
良いと思います。
ピルの処方とかって言われない?
産婦人科に行くと結構PMSで処方してくれたりとかありそうですけどね。
ピル推奨。
元の音量が大きい分には調整可能です。
そうですよね。
そうなんだよね。
小さい方が引き込まれる。
修学旅行みたいに。
なんかあのお葬式のお寺さん?
あのお坊さんがお経を上げてくれるけど、あれもすごいボソボソ言ってますよね。
あななな、なんなんなん、みたいな。
すごいなんかなんなんなんみたいなボソボソ言ってるから、
あれにちょっと憧れるんですよね。
そうするとみんななんか自然と聞いてくれるじゃないですか。
なむなむ言ってると。
産婦人科に行ってみます。
ぜひ。
ボソボソ言ってるから眠くなる。
そうだね、結構眠かった。
でも結構眠い対策なのかわかんないけど、
なんか突然タンバリンみたいなのを
パンパンパンパンパンで鳴らしたりとか。
なんかライブパフォーマンスみたいだったね。
なんか適切な表現じゃないと思うんだけど絶対に。
でもああいうお葬式もやっぱりライブ感がすごいなと思った。
パンパンパンパン音が鳴ったりとか。
どんどんどどどどんみたいな。
どんどん鳴ったりとか。
腹の底にこう溜まってくような。
すごいなんか重い音でしたね。
祖母の葬儀の思い出
眠い対策なのかな。
俺もぼーっとしながら見てるからさ、
なんかまるで思いつきでやってんじゃないかなこの人はって。
そろそろ眠くなってきただろうっていうタイミングでなんか急にパーンってやったりするから。
やっぱ結構雰囲気でやってんのかなみたいな。
結構適当な感じで見てましたね。
やっぱ初日おつやはさ、なんかこう悲しい気持ちになるんだけど、
国別式ってもうその新鮮さがないからさ。
もうなんかぼーっとなんか違うこと考えてたね。
とかなんか病院の患者さんの病状大丈夫かなとか。
1時間ぐらいのお経だったんですけど。
なんかずーっと別のこと考えてた。
たまに眠くなってくると、
それでお昇降お願いしますとか言われてさ、
なんか急にお昇降させられたり。
でまた眠くなってくると、
もう一度お昇降お願いしますって言われて、
2回もやるの?みたいな。
なんか寝かさない工夫がされてるんだなと思いました。
眠い対策だったのかなあれはって。
ライブ感は。
そう。
思ったより、
あの、住職さんの服装も派手だったし。
なんか、うーん。
かなりきらびやかな感じでしたね。
精神科医はフィーリング重視のエンジニア。
うーん。
ま、ある精神科医の先生はもう闇鍋みたいなこと言ってたけどね。
ある具材を足して、また別の具材を足してっていう。
ま、そうやって精神科の処方ってどんどん膨れ上がってっちゃうんだけど。
ちょっと闇鍋に近いところはありますね。
えーっと、こんばんは。ご親族が亡くなられましたか?
そうなんですよ。
祖母が先日亡くなりまして。
ずーっとあの、もう1月の頃から言っていた、
あの、おばと母親のね、ことも一応これでまぁ、一旦落ち着いて。
だからもう一時期は、そのおばとね、母が、うちの母がもう大喧嘩しちゃって、
もう葬式にならないんじゃないかって。
それぐらいまでもう結列しちゃってたんだけど、
まぁなんか奇跡的にちょっと仲直りをして。
まぁ、葬式ができたってことがまず僕は本当にほっとしてますね。
普通の人はね、なんか葬式なんかできるだろうと思うかもしれないけど、
うちの場合はやっぱり葬式ができるかどうかが結構微妙で、
おばももうなんか自分、私がいるからもう来ないで、とかって一時期言ってましたからね。
すごかったんだよ。
本当に仲悪くて。
うちの母も突然なんか僕にね、深夜になんか電話してきて、
もうあいつ本当に病気だから死んだ方がいいよね、とかって俺に怒鳴ってきたりとか。
すごかったんですよね。一時期。
で、そんなことも乗り越えて、まぁ結局ね、
無事に終えられて、本当に良かったです。
まぁ結果、おつやりも間に合ったんですよ。
あの新幹線のね、事故があったんですけども。
遅延はしたんだけど、奇跡的になんかいろいろ乗り継いだら間に合って、
おばあちゃんがこれは全部導いてくれたんだなっていう感じで解釈してます。
フォローしました。どうも。
先生もとばっちりでそうなんだよね。
まぁやれることはやりましたけどね、精神科医として。
さ、じゃあそろそろ、
今日も終わりますかね。
ちょっと夕飯の準備をしつつ、
もう疲れたしなんかサウナに入ってこようかな。
うーん。
皆さんもまぁゆっくりなさってください。
夕飯の準備もあるでしょうし。
先生は精神科医という職業をアイデンティティにしないと明言されましたが、
将来喫茶店のマスターになった時に、
精神科医として培った経験がふと役立つ瞬間が訪れるとしたら、
どんな場面だと思いますか。
いやなんか悩んでるお客さんに対して、
ちょっと私も昔ここら辺に覚えがあるもので、
腕に覚えがあるんで、少しお話でも聞きましょうか。
昔こういう職業やってたんですよって言って。
コーヒーを飲みながら、すすりながら、
涙をすすりながら、なんかこう人の話を聞くって。
そんな人生も悪くないなって思っちゃうんだよね。
サウナ。
えーと次の配信も楽しみにしてます。
どうもです。
おばあさま亡くなったんですね。
いやそうなんですよ。
1月の上旬ぐらいに救急車で運ばれて、
結構頑張ってたんだけどね。
最後はもう口から物も取れず。
でも本当に亡くなるその2日前とかまで、
あの母とかおばとかと、なんか意思疎通は測れたんで、
結構直前まで意識はあったみたいですけど。
もう電的も入らなくなっちゃってね。
もう病予備の状態だったんで、まあしょうがないかなって。
最後ねすごい脳幹紙の方が綺麗にメイクアップしていただいて、
すごい感動しましたね。
ネイルもなんか可愛くなってて。
おばあちゃんピンク色が好きだったんで、
ピンク色のネイルになってて派手でしたね。
今時のお葬式っていう感じで。
良かったですね。そう、結果良かったです。
精神科医としての経験
またそこら辺のこととかも含めて、
僕の中でいろいろ落ち着いてきたら、
ゆっくり振り返ろうかなと思います。
そう、今ネイルまでしてもらえるみたいです。
ただ本当にその脳幹紙の方の技術によるみたいです。
結構女性の脳幹紙で、
もともとそういう化粧とかの仕事に就いてた人は、
なんかそういうオシャレを提案してくれたりとかあるみたいですけど、
どこでもやってるわけではないみたいですね。
だから本当に良い人にね、綺麗にしてもらって良かったなって思う。
おばあちゃんも最後はね、良かったよ。
この人生どうなるかは分かんなかったけどさ。
とりあえずなんかちゃんと形になって、
みんなでね、集まって骨も拾って、
良かったなと思いますね。
安らかに眠ってほしいですね。
そう、センスのある方で。
はい、じゃあとりあえず終わります。
どうもお疲れ様でした。
お送りしましたのはさしみちゃんでした。
はい、失礼します。
ネイルの発想はなかった。
僕も初めて見ました。
01:35:40
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