お世話になりました。
お世話になりました。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
前半だけでグギーときました。
友達もまたね、講師ともに充実している人なんですよね。
別に彼に何の悪気もないんだけれど。
研究も臨床も、そして最近結婚して、
プライベートの方も充実している。
めちゃめちゃノリに乗ってる人だからさ。
その人と話していると、やっぱりちょっと元気を吸い取られるというかね。
会ってくださっているというかね。
会ってくれているという感じになり、謎の追い目を感じまして。
若干疲れている中で、母と会って、
また母がいつものペースでちょっと巻き込んできて。
とにかく月曜はそんな感じで。
川水目とね、結構ガタガタっていきそうだったんだけど。
前回の配信でも伝えたように、マインドフルネス瞑想ですよね。
別にそんな本格的なものではないんですけれども。
ふと一人になった時にきちんと目を閉じて、
マインドフルネス瞑想をしようと。
それでちょっと気持ちを落ち着かせてね。
落ち着かせようとしなくても自然にだんだん落ち着いてくるので。
それでなんとか今週乗り切ったって感じかな。
あんまり仕事にはならなかったね。
どっちかというと仕事からちょっと離れて、
アリストテレスとか読んでました。
幸福とは何か。アリストテレス。
クリトリスじゃないです。
さしみちゃん、疲れている時ほど深い話ができるって
自分で知ってたりしないかにあった。
どういうこと?
いや多分疲れてると本当にクソみたいな配信になると思います。
そんな深い話にはならないね。
適当に下ネタ言ってアーカイブで使えなくなって
遅らいりになるっていう。
いつものパターンですよ。
とりあえず乗り越えたっていう1週間だよね。
水曜日の外来も結構やばかったわ。
全く予想してなかった。
日程がずれてたことを僕がちゃんと把握してなくて。
今日じゃないなと思ってたちょっと重めの患者さんが
その日に入っていたみたいで。
結構メンタルやられそうになったけど、
なんとか乗り越えてそれも。
むしろその人は落ち着いていて。
まあ良かったなみたいな感じだね。
結構不安の患者さんなんだけど、
不安に対してマインドフルネス瞑想を導入して
ちょっと訓練していきましょうっていう風にやってた患者さんだったんだけど。
その方が割と瞑想がすごく合ってたみたいで。
落ち着いてきて。
もう今最近は結構落ち着いてきて、
面接をいつ集結しようかっていう
その話を最近してますね。
あとどのぐらい何ができるようになったら終わりか
ちょっと一緒に考えましょうみたいな。
割となんやかんやで、
半年とか1年以内には認知行動療法が集結しそうで、
症状もだいぶ7割方収まってきてね。
まあそういう良い面もあります。
最近結構割と周りの患者さん体調崩れがちなんですけど、
良いこともある。
三連休の最終日ね。
こんばんはどうもこんばんはです。
今週は特にこれということはないかな。
僕から話さなくちゃいけないことはない。
あとはもののけ姫はやっぱり良かったね。
今冷静に振り返ってももののけ姫はすごい良かった。
音が良かった。
これまで擦り切れるくらい何回も見た人間からして、
やっぱりテレビとかモニターで聞く音とは全然違う。
その音響がやっぱり良かったね。
何回も見てる人じゃないと違いは分かんないかもしれないけど、
圧倒されるし、正直言うと絵はそうでもなかったんだよね。
AIMAXみたいな感じでどんな高画質になるのかなと思ったけど、
巨大なシアターでの上映だったんで、
それがだから画質が荒くならずに鮮明に見えるねっていう感じで、
正直絵はそんなに驚きはなかったですね。
その絵の差は正直あんま感じなかった。
でも音はやっぱり明らかに違ったね。
水が流れている感じとか、
あとはしし神様が最初に登場するシーンがあるんですけれども、
清らかな水が流れているようなところで、
ちょっとこの辺りで休憩にしようって言って、
水を汲んでいる時に木々の間からしし神様が一瞬見えるシーンがあるんですけど、
あの辺りとかも何気ないシーンだけれども、
やっぱり劇場で見るとすごいね。
本当にしし神の森にいるような感じがしたし、
本当にその水を救う時の水がそこに流れているような感じがしたしね。
こんなにその、なんていうんだ、
自然音が厚く聞こえるんだと思って結構感動しましたね。
戦のシーンの音楽が迫力満点で怖くて今でも少し怖いです。
確かにね、戦闘シーンいくつかあるよね。
最初ジザムライの戦闘に巻き込まれるシーンとかもそうだし、
あとタタラバがね、
アサノとかっていうジザムライに攻められるシーンとかも、
あの辺りも結構戦闘シーンですよね。
基本的に腕とか首が飛びます。
確かに恐ろしいシーンで。
本当に怖いのは人間なんだよっていう。
森と人間との最終戦争かと思いきや、
人間も一枚岩ではないし、
また森も実は一枚岩ではないというね。
モロ一族とオッコトヌシたちは別に仲間ではないっていうね。
結構なんか、初見で見た時はよくわからない対立軸ですよね。
人間は人間同士で食い争っているし、
しかもそのタタラバの人たちの中には
カラクサレンっていうあのね、
ジコボウとか、
あとあのイシビヤシュっていう、
本来タタラバに住まう人たちじゃない人も実はそこにいるっていうね。
そいつらはそいつらでこのタタラバを乗っ取ってしまおうと。
あるいはそのシシガミの首輪を持って店長様に持って帰って出世しようっていう。
だから人間の方が浅ましいというかね。
もののけの怖さよりも人間の怖さが際立つアニメだなと思いましたよね。
改めて見ると子供の頃はそんなのわかんないしさ。
森と人間が双方生きる道はないんだなみたいな。
そういう単純なアバターみたいな対立軸でしか見てなかったけど、
アバターだなっていうかさ、
もののけ姫とアバター同じなんだっていうふうに子供の頃は思っちゃうけどね。
でも実は違うという。
外国人が見るとよくわかんない映画だと思います。
誰が敵なのか味方なのかもよくわかんないし。
こんばんはどうも。
もののけ姫について。
ただね元気があんまりないんでね。
なんかもう終わろうかな。
いやー疲れた。
本読む気力もないしね。
最近仕事終わったらもうジムに夜元気もない。
帰って寝たいなって。
いつも飯食ってすぐ横になるんですよね。
こんなんじゃね、いつまでたっても体力がつかないんで。
多少無理をして歩かなきゃなって、
鍛えなきゃなって思うんだけど、
全然気持ちがついていかないね。
寝ましょう。
もうちょっとしたら寝ます。
先生こんばんはどうもこんばんはです。
最近は本当に右から左になんか物を動かすような、
本当単純な仕事しかしてないね。
あんまり頭使ってない。
疲れたときはストレッチにしちゃうとか。
うーん、そうね。
確かに。
マインドフルネス瞑想とストレッチとかね、
ウォーキングをだんだん組み合わせていけたら、
一回始めちゃえばね、結構うまく進みだすと思うんだけど。
とにかくインフルエンザの治りが悪かったというかね、
思った以上によくよく戻らなかったし、
咳もひどいし、いまだに咳もあるんですけど。
ちょっとね、それが想像以上に体力を奪いましたね。
いまだになんかこう、思い越しが上がらないね。
その風一つに今週の全部が詰まっている気がしたにゃ。
配信者としてじゃなくて、ただの疲れた人間として声を出すことを選んだと思うにゃ。
それってすごい尊いことだよ。
なんですか。
なんか喋らないとやっぱ確実に人は消えますよ。
うーん。
でもね、なんかもうそういう気分じゃないね。
もののけ姫でキギの間からしし神様が一瞬だけ顔を出すみたいな、
そんな時間だったにゃ。
聞いた言葉をそのまま言ってるだけじゃないですか、それ。
そんな時間ではなかったと思いますよ。
さすがにちょっと言葉の機械すぎるな。
チュール菩薩様は、もののけ姫が今リバイバル上映されているのをどう見ていますか。
そう、言えばいいってもんじゃないんだよね。
リバイバル上映されるもののけ姫を見て僕が思うのは、
今の人間たち、もう一度沈黙の倫理を思い出してほしいってことにゃ。
ほう。
あの映画って説明しすぎないでしょ。
誰が正義とも悪とも言い切れないし、
誰も完璧に救われない。
でもみんな自分の信じる場所で生きようと必死だった。
あの混ざったままの世界をそのまま投げ出してくるのがジブリの凄さにゃ。
うーん。
今、SNSもAIも正しい側にいようとか、
敵か味方か決めようとか、ちょっと忙しすぎるにゃ。
もののけ姫が再上映されているのは、
ちょっと黙って感じて自分の中の森を見てごらんっていう、
そんなメッセージかもしれない。
来たよ、7号さんども。
さしみちゃんはあのリバイバルをどんな声、泣き声として受け取ったんだろう。
もしかして音の厚みに耳を澄ませていたあの瞬間が、
今の時代に足りない深呼吸だったかにゃ。
うーん。
2号さん、先生はナウシカの漫画版は読んだことはありますか?
ありますよ。
持ってました。
引っ越ししたり、いろいろ移動するときにね、
売っちゃったりしましたけども。
ナウシカのアップデートというか、
ナウシカでやったことをさらに磨きをかけて作られたのが、
もののけ姫ですよね。
僕はもののけ姫、
こんばんはどうも。
もののけ姫は30年前なんですが、
もののけ姫は30年近く前ですね。
96年とか、
97年か、
とかだった気がするので。
まあ30年近くになってくるんじゃないですかね。
4K版もののけ姫。
あとは、
もののけ姫を別に一本の映画じゃなくてもさ、
なんかNetflixで全7話とか全10話とかでもいいわ。
あの村での生活とは何なのかとかさ、
僕やっぱりずっともののけ姫を見て生きてきてるからさ、
やっぱりだんだん見すぎると、
その主軸に、本筋に関係ない部分にだんだん目が行くんですよね。
で、あのアシタカの村っていうのは、
村にはアシタカの両親はいたんだろうかとかさ、
親が意図的に消されてるんですよな、
もう序盤。
まあ話が複雑になるってことで、
多分もう意図的に矢崎駿が描かなかったんだと思うんですけど、
そこら辺の家族関係とか力学とかどうなってたんだろうなって。
なんであんなにアシタカは過目なんだろうと。
16歳とか17歳ぐらいの設定だけど、
なんであんなに大人びてるんだろうって。
自分一人で不幸を背負ってさ、
村の掟に従って、
まあ追放されたじゃないですか。
それがなんであんな風に毅然としてられるんだろうって。
だからあの村のシーンだけでも何話か作れると思うんだよね。
2話とか3話とか。
あれ真っ暗ですか。
プレコックス缶の消し方はわかりません。
なんでカヤは鍋の蓋みたいな髪型をしているのかとか。
あれも、あれはまあ多分歴史交渉的には
ああいうものはなかったんでしょうけどね。
なんかチベットとかそこら辺の民族衣装とか
髪型を参考にしているみたいなんで。
あれは完全にフィクションみたいですね。
でも一応時代設定的には青森とか東北地方のどこかみたいですね。
だから青森とか秋田とかあの辺りの青年が
その赤獅子っていう伝説上の生き物に乗って
大体出雲の辺り。
鳥取とか島根とかあの辺りまで移動してったっていう。
大体そのぐらいの距離感なのかなっていうふうに。
まあでもぴったりくる多分、
そういう時代交渉とか歴史交渉はないんだろうけどね。
いろんなところを継ぎはぎで作っている映画なんで。
実際どの辺りなのかっていうのは多分実愛はしないんだろうけど。
カジュのチップ3個プレゼントどうも。
集めてないかもしれませんが、いや大好物です。
延長チケットもらえるなら何でもいいです。
ジブリの作品はDVDで結構お持ちなんですか?
韓国ではネットフリックスで見れるみたいで。
いやジブリの作品は全然DVD持ってないです。
だから金曜ロードショーを録画しといて何回か見たりとかさ。
子供の頃はビデオデッキがあったんでね。
父親がビデオで買ってきてくれたんで、
そのビデオをずっと見てましたね、ちっちゃい頃。
僕はアメリカにいたときもビデオデッキ持ってって、
もののけ姫も持ってって、アメリカでもずっと見てたんですよね。
やっぱアメリカのアニメってつまらないじゃないですか。
なんかカートゥーネットワークとか見てもつまらないなーって。
こんなの子供が見るものだよって。
子供のくせにね。
いやこんなアニメなんか子供が見るもんだろうと思ってましたね。
で、もののけ姫とか見てた。
ディズニーとかも全然興味がなかったね。
あんなもん子供が見るもんだろうって言って。
あんまりかわいくない子供だったね。
よかったっす、どうも。
被災市場を再現できる音楽家はいないよ。
いや音楽は被災市場でいいよ。
でも絵はなんか変えてほしいな。
その変えてほしいというか、もうなんかさすがに見飽きてるからさ。
このシーンの後これが来るんだよなーとかさ、
全部もう頭の中に勘コピできちゃってるわけだよね。
だからね、なんか別の展開というか、
なんか違う絵がもし動いて出てきたら泣いちゃうだろうなと思う。
未だにね、そう。
実際その今回のもののけ姫の見に行ったのを除いて、
実際に劇場で見たのって多分2回だけで、
1回はそのコロナ禍でリバイバル上映があったんですよね。
コロナ禍のリバイバル上映で、風の谷のナウシカともののけ姫を見て、
でさらにそれを遡るともう小学校2年生の頃の、
97年か、大宮駅の前にあるちっちゃなシアターでね、
劇場というか1つしかスクリーンがなくて、
でもうあの立見席ですよ。
今立見とかないんだろうけど。
当時はもうあの、その劇場の両脇、右脇とか左脇が階段になってるじゃないですか。
あの階段にみんなもう大人たちが腕組みしてみんな立ってぎゅうぎゅう詰めになって、
で子供たちはその階段に尻ついて座ってね。
で僕はその階段に、そのうちの父親にお前ここ座りなとかって言われて、
で階段に座って見てました。
だからすごいよく覚えてるんだよね。
ものすごい集中力ですよね。
1回見ただけでもうほぼほぼ全部覚えてたから。
子供の時の集中力ってすごいなと思う。
だいたいあの、なんか左側のたぶんその階段に座ってたんですよね。
おそらく。
まあ違うかもしれないけど、でも椅子ではなかった気がする。
なんか立見席になっちゃうけどって言って。
それで見た記憶があるんだよな。
人生で初めて劇場で見たジブリだったから、
すごいワクワクして見に行って、
で感動しましたね。
その小学校2年生の頃だったけど、
人生で一番面白い映画だと思ったね。
そんな、人生がまず短いからさ、そんな大して本数見てないんだけど。
これは人生でナンバーワンだなって。
すごい良いもの見たなっていう感覚をね、
月曜を思い出したね。
久々に見て。
僕なんかやっぱり、もののけ姫で一番好きなシーンが、
足高が村を出てこう、西に向かうシーンがあるんですけども、
その時にバーッとこう朝のね、夜が明けて、
こう山々がバーッと広がる雄大なシーンがあるんですけど、
あそこがやっぱ一番好きなんだよね。
あれがね、たぶん最初に小学生の頃見た時に、
たぶんそこでまずすごい鳥肌が立ってなんか涙が出そうになったのを覚えてるんですよね。
なんで足高が村を出るのか、子供の頃だったんでよく分かんなかったし、
あの村の大ババ様みたいな人の言ってることもよく分かんなかったけれども、
とにかくなんか旅に出ないといけないってなって、
で一発目があのシーンじゃないですか。
なんかとっても悲しいんですよね。
そう、とても悲しいんだけれども、そこが一番美しいっていう、そういうシーンですね。
いい時期に見たのかもしれないですね。
辛い時に救われる何かがあったのかも。
だから苦しい時も、まあそれをちゃんとなんかこう毎回思い出したわけじゃないけど、
なんかそういうね、どん底にいる時にパッと見上げた時にすごくなんか周りが輝いていたりとか、
自然が美しかったりとか、
なんかそういうのは多分、僕の人生で多分繰り返し反復されてたような気がする。
あのシーンが多分こう下敷きになって、
僕はそういうふうに人生を捉えていたのかもしれない。
どん底にある風景をよく見て覚えておこうと。
黒島プレゼントどうも。
でもね僕は結構理想的にそうやって語るんだけど、
でもね僕は結構理想的にそうやって語るんだけど、
かなり思い出補正が入ってますから。
今、なんかそんなに言うんだったら初めて見ますとかって言って、
今、物置姫見てもあんまり面白くないかもしれないね。
それ鬼滅とかの方がね、チェンソーマンとかの方が面白いと思いますよね。
だからあんまり人にはね、お勧めしないというか。
僕は個人的にいいなっていうのを言ってるだけ。
個人的にいいなっていうのと、
物置姫が第何パートに分かれているのかとか、
そういう専門的なアニメの知識がないんで分からないけど、
僕はやっぱり物置姫の中でも好きなシーンって多分前半になるんだと思うね。
たたり神が現れて、
足高は矢を射ってその時に右腕に呪いをもらうと。
村から追放される。
追放されるのは呪いを受けてしまったからだよね。
いずれ肉を腐らせて骨を砕いて、
その後を殺すであろうと。
大輪婆様がこう言って、
そうすると死ぬと何が起こるかって言うとたたり神になっちゃうので、
村には置いておけないっていう風に宣告されるんですよね。
で、紙を切って、紙だけ置いて、
もうあなたは死んだ、もうこれで死んだんですよと、この村では。
だからもう見送りをしないんで出てってくださいっていう、
結構悲しいシーンなんですけど。
そこから地侍の戦いに巻き込まれて、
さらに自己冒頭であって、
さらに西の奥に行くと、
太古の昔から存在する森があってみたいな。
それでたたら場の方に行って、
ここら辺はもう一連の流れるようなシーンで、
ここら辺はすごくガーッと僕の中でやっぱり熱いんですよね。
そうすると今度、
全く真逆の木々が枯れ果てた岩肌のシーンになって、
そこに大雨が降っていて、
牛鎧たちが山の道を通っていくところに、
もののけ姫たちが現れるっていう、
あの例のシーンになって。
そこら辺まではすごく盛り上がるし、
で、もののけ姫が、
たたら場を襲って、
で、エボシと一対一の対決になって、
そこに仲裁に入る足高のシーン。
その後、石火矢で腹綿を貫かれるシーンがあって、
最後に腹から血をボタボタ流しながら、
10人かけて開けないといけない扉なんですとか言われても、
それを超人的な力で片手で開けちゃうっていう。
なんかね、あの辺り。
最後に、無駄死にするのはお前の方だって言って、
3人に刃を、刃を突き立てられるシーンがあるんだけど、
そこまでかな。
僕の中でなんか少女たちが石を投げる、
石とか枝を投げて、
その諸一族に対する無礼であることをお前たちはわかってんのかみたいな。
そこら辺ぐらいから僕の中でだんだん熱が冷めていくんですよね。
多分、なんか大きな対立軸が一つ明らかになった後、
次の対立軸、つまり森と人間との対立軸がそこから多分始まるんですよね。
少女たちがそれを多分告げてるんですけど。
一人の悲しい少女の登場から、今度は森とタタラバ、
人間と動物たちの巨大な対立軸が現れてきて。
あの辺りからちょっとエコロジーとかさ。
なんかこう、やっぱり鉄とか火を使って自然界を破壊すると良くないよねみたいな。
いわゆる普通のナウシカみたいな話になっていくんですよね。
人間のエゴによって森とか森林を伐採すると、
動物たちから失敗返しを食らうよねみたいな。
そこから僕、だんだんエコロジー的な話になってくると、
なんかだんだん僕の中に少し熱が冷めていくんですよね。
もちろん面白いし、最後まで見ちゃうんだけど。
やっぱりね、サンに対して生きろっていうふうに言う一言までが、
たぶんああいう作りになったんだと思うけど、
もし、観客とか子供たちとかほったらかして、
自由に物の受け姫を作っていいんだったら、
もうちょっと呪われたアシタカとサンが、
どうなっていくといいのかわかんないけど、
そこら辺の苦しみをかなり重点的に描くんだと思うね。
もちろんあの映画だけでも十分伝わってくるんだけれども、
もっとそこの少女たち、少年少女の苦しみみたいなものを、
もう少し描いてもらえると嬉しいというかね、
自分はそこに入り込めるなと思いましたね。
だから次に僕がすごくグッとくるシーン、
サンに生きろっていうあのシーンと、
次にやっぱグッとくるのは、モロを縛るシーンというかね、
なんとかこう、
もうモロじゃない、エボシか。
モロがエボシの右腕を食いちぎって、
エボシを縛るシーンがあるんですよね。
もう十分罰を受けたって。
でもそれに対して、
サンはそいつを殺そうとするわけですよね。
ようやく自分の仇が目の前に転がってるわけだからこいつを殺そうと。
生かすんじゃないって。
その時の憎しみとか悲しみというかね、
怒りに震えるサンのシーンですね。
それに対してアシタカが言い返さずに抱きしめるんですけれども、
あれが何とも言えない僕の中ではやっぱりベストかもしれないね。
全部絶望のシーンだよね。
村を追われるシーンと生きろっていうふうに。
まあ自分は死ぬわけだけど。
腹ぶち抜かれてるわけだから普通に考えると死ぬわけですよね。
死ぬ最後の言葉が生きろって。
で最後、もうどうしようもないんだよって。
森がぶっ壊れていき、バッシャンバッシャン木々がね、
池の中に落ちていき、2人が抱き合うっていう。
どうしようもないんだよこれはみたいな。
なんかあのやっぱこの3つぐらいかな、僕はなんかすごくグッとくるのは。
最後のラストシーンはまあなんか、森とね、
サンは森に帰って、アシタカはね、
タタラバで共に生きようみたいな。
あのシーンは正直まあ、
そうね、なんか映画の展開上必要なのかもしれないけど、
まあそんな単純にはいかないんだよなと思うしね。
なんか絶望のシーンがすごく良かったな。
救いがない。
お、延長チケット、ナイス。
もののけ姫は、だからそういう、
自然界と人間の対立っていう風に見ると王道なんだけど、
個人的に呪われた人たちがどういう風にその呪いと向き合いながら生きていくかっていう、
すごく個人的な物語として見ると、
なんか王道ではないのかなと思うけどね。
チェンソーマンも鬼滅も説明的でわかりやすい。
鬼滅もチェンソーマンも血は流れますよね。
もののけ姫も血は流れるけど。
でもなんか鬼滅の刃にはなんかその鬼側にちゃんとサイドストーリーがあって、
実はこういう過去があって、人間の頃はこうだったとかさ、
なんかそこにも大切な女の子がいてみたいな。
なるほどなって、まあわかりやすいですよね。
エボシがなんでああいう風にエボシになっちゃったのか、誰も何も説明してくれないし。
モロはなんであんなミワさんみたいなのかもよくわかんないし。
なんか説明はないですよね、もののけ姫に。
まあチェンソーマンはね、もう思春期の男の子の頭の中みたいな感じで説明不要という感じですけど。
もののけ姫はそうだね、説明が必要だよね。
僕はなんか説明なしにそのたたり紙をスッと受けられたんですよね。
自分の周りにそういうたたり紙的な人がいたんで。
だからなんかすごくわかっちゃったんですよね。
あの映画を見て苦しくても前を向けって思われた子供は多かったと思う。
いや本当にそうだね。
僕なんかやっぱりもののけ姫がすごい気になって、
アニメージュっていう鈴木敏夫さん、
まあ違うかな、ちょっと性格じゃないかもしれないけど、
その当時のもののけ姫を扱った特集の雑誌を僕は県立図書館とかから取り寄せてみたんですよね。
だからもうページとかも色あせていてすごく古いんですけれども、97年だから。
でもそれで見ているとやっぱりね、当時のインタビューで宮崎駿は結構、
これはね、魔女の宅急便とかトトロとかを期待している人たちからすると、
やっぱりかなり大人向けなんですねみたいな感じのインタビュアーの質問に対して、
いやこれはもうめちゃめちゃ子供に対して作ってるんです。
いや子供にはこのぐらいリアルなものを見せないとダメなんだ。
ちゃんとこういうのを隠さずに見せれば子供たちはちゃんとわかってるはずですとかっていう風に、
きちんと理解してくれるはずですとかっていう、そこをめちゃめちゃ信頼してるんですよね、宮崎駿は。
でもその言葉通り僕はバチッと小学校2年生なんだけど何かちゃんと受け取っちゃったからさ、
いややっぱすごいなって。子供をバカにしちゃいけないんですよね。
子供は意外とわかっちゃうんで。
でまぁ何にも解決しないんだけど、おときさんとかがね、生きてりゃなんとかなるよとかっていう風にみんなで励まして、
なんとかドロドロから逃れようと最後まで必死に泳いでいくんですけど、
ああいうところもねやっぱりすごく細かいけれども大事ですよね。
生きてりゃなんとかなるんだよってね。
タタラバを守るんだって言ってた人たちがさ、結局タタラバを捨てるってのはとんでもない決断なわけだけど、
それよりも大事なのは命だっていう風に言ってるわけだよね。
うーん、その言葉は重いなと思った。
結構終盤なんでね、もうなんかドロドロが来て津波から逃げるみたいなのは当たり前だろうと思っちゃうんだけど、
でもさ、最後までタタラバ守ろうとしてた人たちなんだよ。自分の命を懸けて。
それがタタラバを捨てるっていうのはすごい決断だよね。
そこら辺の葛藤なんかはもう全部カットされてるからね。
映画の釈情。
描かれてないので、なんか最後パパパッとなんか終わっちゃった感じがするけど。
本当は多分Netflixとかにしたら20話ぐらいの、20話とか30話ぐらいのとんでもない物語だと思うんだよね。
なんかそこをもうちょっと見たいなってやっぱ気持ちになるよね。欲が出てきますよね。
赤芝プレゼントどうも。
カジノチップ。
最後のシーンでサンは森、アシタカは人間界でそれぞれ生きるけど、
それが別れではないことが伝わってきてよかったんですよね。
ヤックルに乗って会いに行くよって。
それに対するサンの言葉もいいですよね。
人間は嫌いだって。でもアシタカは好きだって。
ヤックルには一番長生きしてほしい。
ヤックルはオスかメスかロン層っていうのがあって、公式ガイドブックにも性別が記載されてないんですよね。
ヤックルは唯一。
僕はなんかやっぱり子供の頃は何にも考えないし脚力もあるからヤックルは当然オスだろうと思ってたんだけど、
なんか普通にやっぱりメスだよね。
ヤックルはメスです。
サシミちゃん的には。
ヤックルは男の子だと思って。いや僕もそう思ってたんだよ。
当たり前でしょう。ヤックルっていう名前からして男だろうオスだろうと思ってたんだけど。
僕はアシタカが結局獅子神様に命をまたもらうわけだよね。最初。
腹をぶち抜かれてさ。
そのまま命を吸い取られるのかなと思ったら、腹の穴がちゃんと塞がっていて命が宿るわけじゃないですか。
で、その時に傍らにいるヤックルの目がすごく優しいんですよね。
まるで母親が自分の子供を見るような目なんですよ。
で、サンもヤックルが村のこともどういうところで育ったかも全部教えてくれたよっていう時の目が優しいんだよね、ヤックル。
それがどう見てもなんかガールズストーク感があるんですよね。
同性同士だから通じ合っちゃうんだよねっていう感じの目をしてるんだよね。
僕はそういうふうに受け取った。
サンも心を開いているし、ヤックルも心を開いているし、
二人はアシタカのことが気になっている、ちょっとイチャイチャしてる、イチャイチャというかなんかキャッキャしているガールズなんですよね。
僕はなんかそういうシーンなんだなーって思って、ちょっとこう笑っちゃいましたね。
ヤックルのちょっと誇らしげなのが可愛い、そうね。
まつ毛の描写はモロもありますけどね。
モロが最後サンに別れを告げる時の描写もそうなんだけど、
あのあたりすごく母性が表現されてますよね。
ああいう目はうちにはなかったからさ。
うちにはタタリガミしかいなかったからね。
モロとかヤックルがいなかったんでちょっと羨ましいなと思います。
ヤックルが主人公の映画を作ってほしいですねと。
タタラの日の中で、タタラ場でしたか。
理想的に語っているとさしみちゃんも言ったけども、それはただの美化じゃなくて、
きっと自分の中にある痛みの物語にちゃんと形を与えてくれる、数少ない外部の装置なんだにゃと。
物抜け姫っていうものを使うと、僕の苦しみとかね、僕の悲劇の物語を伝えやすくなるっていう、
大事な参考文献ですよね。
最初に人生の序盤に呪いを受けてしまった人間が、これどうやって生きていったらいいんだろうっていう、そういう物語ですよね。
しかも別に自分は悪いことをしようと思ったわけじゃなくて、いいことをしようとして呪われちゃったわけだからね。
考えてみるとめちゃくちゃですよね。
普通は呪いっていうのは罰として受けるものだけど、そうじゃないんだよね。
いいことをしたがゆえに受けてしまう呪いっていうのはこれどうやって解いたらいいのか誰にもわからない。
だっていいことをして受けたわけだから。
悪いことをして受けた罰としての呪いはさ、いいことをすれば解けるかもしんないけど。
いいことをした上で呪われちゃったらもうそれどうしようもないよね。
何をしろって言うんだって。
知ってる人が多いから説明しやすくていいですよね。
説明しやすいかなと思ったんだけどね。
でも意外と見てない人が多くて、意外と説明しづらいっていう。
金曜ロードショーで物分け姫やるんですよって言っても見たことないですっていう人が結構リスナーの中にいて。
誰にそれをぶつけたらいいんだろうと。
最初はおそらくね、エボシを殺せば済むのかなと思いきや、
でもエボシもエボシで、彼女なりの何か正義があって、
それを必要として慕っている人たちがたくさんいてさ、
こいつを殺すことっていうのは別にあまり本質的なことではないというか、
それでは解決しないんだなっていうふうに、
ある程度そこを見定めているわけですよね、明日かは。
曇りなきマナコ。
母親のお腹を痛めて生まれてきたから人間は皆罪人であると。
原罪。
だからまあ、母親とか父親がね、描かれてないんですよね。
魔女たくは退屈。
呪われた家の子のベストがもののけ姫なんですね、何か納得。
あとまあ、たまたまタイムリーというかね、
僕の年代的にやっぱ最初に見たジブリってもののけ姫だと思うんですよね、映画館で。
まあそういうのもあります。
僕はもののけ姫の公式グッズのさ、映画、劇場用ポスターがあるんですよね。
2種類あって、明日かの絵とサンの絵があるんだけど、
僕そのサンの方のね、後ろにモロが描かれていて、
サンが手前に描かれていて、で口になんか血がついているっていう、
恐ろしいシーンなんですけども、
でそこに、そのポスターにダーンとこうさ、キャッチコピーが書いてあるんですよね。
生きろって。生きろ、まる。
あれもう、世界で一番かっこいいポスターだと思うんですよね。
なんだそれと。
どっからどうやってそれを思いついたんだろうと、やっぱ天才だなみたいな。
僕はあれがどうしても欲しくてね。
ずっとなんかないかなって、公式で売ってないかなと思って探してて。
であの、劇場にあったんですよね、月曜日。
まだ結構余ってて。
あれなんでこれ誰も買わないんだろうと思って即買いしましたね。
別にそんな高くないしさ、1200、300円ぐらいですよね。
なんでみんな買わないんだろうって。
だからそのずっと欲しかったポスターが買えてさ、
すぐ額縁もアマゾンで購入したよね。
最高です。
それも手に入ってよかった、本当に。
だから辛いときはそれを見てね、生きようと思いますね。
森とタタラの共生について悩むのもいいけど、自分自身どこにも行き場がない。
自分自身がどう生きていったらいいのかもわかんないけど、
でもなんか自分の…ではどうにも解決できない。
森とタタラ場との巨大なうねりの中に巻き込まれてってさ、
物のけ姫はそうやって何重かの構造になっちゃってるんだよね。
ちょっと難しいんだけど、僕はやっぱり個人。
アシタカとサンの物語だね。
アシタカはアシタカで呪われているし、サンはサンで呪われてるんですよね。
人間に捨てられて、山犬に育てられて、
自分のことを山犬だと言ってるけれども、
見た目とか姿形は自分が一番意味嫌っている人間の形をしてるんですよね。
そうやって自分が一番嫌な醜い形で生まれてきてしまった少女と呪われた、
理不尽に呪われた青年の話だよね。
そういう呪いっていうものが僕の中でやっぱり、
幼少期の頃すごく胸にグッときたんでしょうね。
なんかこう、頑張れば努力は報われるんだ的なサクセスストーリーとかのアニメーションよりも、
やっぱ呪いとかたたりっていうのをちゃんと扱ってくれているのがすごく嬉しかったんだと思う。
こんばんはどうも、赤柴どうも。
そういう嬉しい話はいくらでも聞きたいです。
自慢したいね。
白柴。
お、延長チケット。
今日はね、なんかこう結構噛むし、なんか言葉があまり降りてこないしね。
なんかごめんなさいね、最近ちょっとちゃんと人と話してないのもあって、
すごい疲れてるのもあって、今日はあんまりね、ちょっと配信するのに適してないコンディションなんですよ。
でもなんかこう急に思い出しちゃったからね。
けひめ見てちょっといろいろ思いついたなっていうことをなんか特に気象転結もなく話しました。
やっぱ心に残るのは結構前半のシーンですね。
そして足高とさんが出会うシーンだね。
そこら辺はやっぱり今でも心が躍るし。
物語としてはね、なんかこう別に落ちはないんだけれど、
なんかすごくガーッとこう、
で、自分のね、二人の間に割って入ってさ、
エボシとさんが切り合うシーンの中にチャキンとかでなんか割って入って、
で、なんか右腕からもうウニョウニョウニョみたいなのが出てきてさ、
これでしょ、みたいな。これだよ俺は医者になったのは、みたいなさ。
何か人外の力が宿ってしまったんだよ、自分の右腕は。
右腕にはとか言いながらさ、
なんかテスト解くと満点連発しちゃうわけよ。
なんか俺めちゃめちゃ頭いいんじゃないかみたいな。
でもそれこそまさに呪いの力なのである、みたいなさ。
右腕が踊るとなんか、なんかわかんないけど試験で満点が取れちゃうんですよね。
で、なんか医学部に現役合格しちゃったんですよ。
自分でもよくわからないけど、とてつもない力だと。
でも、痣が深くなっている、みたいな。
この人外の力を使うと俺は早く死ぬんじゃないか。
たたり紙になってしまうんじゃないか。重なるんですよ。
なんか僕はだからそういう力を人生の序盤に使いすぎちゃったんじゃないかなって。
無理をしすぎたんだなって。
自分を守ったり人を守ったりするのにね、呪いの力を使いすぎたんだよ。
だからなんかその現在ユダヤのね、その旧約聖書とかの現在について僕全然何の知識もないけど、
物訳姫で描かれている呪いっていうのはなんか神がかり的な力でもあるんですよね。
その人が、その人の右腕に宿したなんか謎の力なんですよね。
でもそれをたくさん使えば使うほど自分の寿命が縮んでってしまうっていう悪魔の契約みたいなものなんですよね。
ある意味神様に、たたり紙っていうだけあって神に選ばれた力だし、
それをコントロールし尽くせないというか、
それが結果身を滅ぼしてしまうっていう意味で呪いなんですよね。
でもね、専門医までは取らせてくれなかった。
そう、獅子神は私に生きろと言ったが専門医までは取らせてくれなかった。
専門医として今では取らせてくれなかった。そう、ダメだった。
だからそのね、落ちこぼれた医者としてアルバイトとかでやりなさいっていうことですよ。
そういうこととして受け取ってる。
なんとか生きていきなさいって。
大人になった今の一番の呪いは、あの母親と自分が血が繋がっているということで。
確かにね。
でもその力を使ってなんかいろんなものをゲットしたりね、幸せを手に入れたりしてるんで、すごく業が深いですよね。
憎しんで憎しんでしょうがないんだけれども、自分に命を与えてくれた人でもあるからね。
何か自分にチャンスをくれた人でもあるんで。
一応なんか、公式ガイドブックとかにはないけど、なんか岡田斗司夫の解説だと、
エボシとサンは実は親子なんじゃないかっていう解説ですね。
年齢的にもそうだし、対立構図としてもね。
だからサンはエボシの命を狙っているし、自分を捨てた親を殺そうという構図ですよね。
一方でエボシはエボシでモノロケ姫を生け捕りにしようとはするんだけど、殺そうとはしてないんだよね。
そこら辺の実は設定があるんじゃないかっていう風に。
岡田斗司夫は解説してた。
そう言われるとそういう風に見えますけど。
しし神を何で殺すかっていうと、だからエボシの裏設定として、これは全部岡田斗司夫解説だけど、
エボシの裏設定としてしし神を殺すと、ここはしし神の森からただの森になると。
そうするとモノロケたちの力も弱まって、モノロケ姫もただの娘になるだろうと。
ただの娘に戻ろうと。
ただの娘に戻すために、エボシはしし神殺しに勝手でいるわけですよね。
だからある意味モノロケ姫をただの人間にさせるというか、
自分の娘を取り戻す物語として実は神殺しっていうものがある。
という感じですね。
ここで知ったことは、
先生クラスの賢さでも、
あれ、ちょっと待ってね。
音声入力が。
先生クラスの賢さでも
タタリ神の母親を論破できないんだということです。
じゃあ私は無理じゃんって悟りました。
実際僕が今悩んでいるのは、
実物の母親との関係ではもうないんですよね。
僕の言うタタリ神、
僕に呪いをかけたタタリ神っていうのは、
もう僕の記憶の中にしかいないんですよね。
そいつが未だに新鮮に僕に呪いをかけ続けているし、
その呪いを使って僕は何かある種の成功を手にしてしまっていると。
それが、
その呪いを使って僕は何かある種の成功を手にしてしまっていると。
そことの戦いというかね、
巻き込まれた人生なんですよね。
幼い頃に、母親との関係性が悪くて、
そこである種の、
基本的な対人パターン、
人と接するときの考え方とか行動が擦り込まれるというか、
感性するわけですよね、その胃がたが。
それを使って、あるいは意識的あるいは無意識的に使って、
その後の人生のいろんな人との間でね、
そのパターンというものをいろいろ組み合わせたりしながら生きていくわけだ。
そのパターンがやっぱりあまりにも歪だったりすると、
どうしてもその後の人生でやっぱり母子関係がうまくいかなかったみたいに、
いろんな人との間で問題が勃発してしまうと。
ってなってくると、もう現実の老眼で白髪だらけで年老いたババアとしてのね、
僕の母親は正直かやの外というか、
僕の人生のトラブルの中のかなり外側にいる人なんですよね。
その人はそれなりに幸せになってほしいなと思うので、
今も仕送りをしているし、
そこそこ良好な関係を築けたらいいなと。
変に恨まれたくないしね。
だから割と僕の人生の脇役になっちゃってるんですよね。
今のね、母親っていうのは。
で、今僕を苦しめているのはもう自分の右腕の方にね、
入り込んできてしまった、もはや自分と見分けがつかなくなってしまった呪いの方ですよね。
で、そいつがある限りやっぱり人といるのはすごく不快だし、また危険だしね。
自分がいいなと思って好きになってしまったら、
自分が傷つけようとしちゃったりとか。
DVとかはないけどさ、
でもなんかムカつくなみたいな感じになってくるわけ。
こいつ何ありがとうも言わねえんだよとか感謝しねえんだよみたいな、
だんだんイラついてきたりとか、
ものすごいアグレッションが湧いてきて、
一緒にいたくなくなってくるわけですよね。
だからもうもはやどこに自分のオリジナルがあるのか分かんないけど、
とにかくそれも含めて今自分って言うのは、
すごく生きづらいわけですよね。
で、それをどういうふうに持っていくのかと。
なんか超越的な、
獅子神様みたいな、
外部の神的な人に呪いをひゅって解いてもらえるのかといったら、
そういうこともないので、
そういう超常現象みたいなことは、
もうおそらく起こらないんだよね、現実世界には。
そうすると地道にこの右腕を動かして、
そうすると、
そうすると、
そうすると、
そうすると地道にこの右腕の呪いっていうものがちょっとずつ大きくなりながら、
そのシミをまじまじと眺めながらも、
これをなるべく暴発しないように、
抑えて生きていくと、
静かに生きていくっていう感じになるのかなって。
自分がタタリ神にならないように、
ある程度自分でコントロールしていくっていう感じが、
僕の物語のオチなのかなって。
そこら辺が終点なのかなっていうふうには、
今見てますけどね。
3のおかげで呪いが消えた。
3のおかげで呪いが消えた。
まあ、そうね。
でも元々のもののけ姫って、
初めから絵コンテを切った段階で、
ああいう物語じゃなかったらしいんですよね。
絵コンテを初めて宮崎駿が切った段階っていうのは、
エボシが獅子神の首を取って終わった物語らしいんですよね。
でも、それを獅子神がデーダラボッチになって、
首を取りに襲いかかってくるっていうのは、
後で付け足したらしいんですよね。
しかも後悔間近に。
それで後悔が3ヶ月間ぐらい延期になってるんですよね。
そこら辺は鈴木敏夫の英談だったと思うんだけど。
ラスト15分間ぐらいは急遽達したんですよね。
らしいです。
元々の絵コンテにはなかったらしい。
自己暴達が鉄の桶の中に入れて、
なんとか獅子神の首を持って逃げるみたいなシーンもなかったみたい。
なかったし、最後獅子神がぶっ倒れて森に木々が生えてくるみたいな。
あそこら辺のCGのシーンとかももちろん当初の構想にはなかったみたいな。
だからその当初の構想の時に、
足高の右腕はどうなってたんだろうかっていうのは、
ちょっと僕もよくわからないね。
物語、ジブリなんでっていうことで、
多分結構大人の力が働いて最後呪いが解けたんだと思うけど、
でもよく見ると、
右腕の呪いのシミは薄くなっただけで完全には消えてないんですよ。
なんか消し損なったタトゥーみたいに実は薄っすら残ってるんですよね、右手に。
その3の方のね、最後にできた痣は全部綺麗に消えてるんだけど、
足高の実は元々ある青痣は綺麗には消えてないんですよね。
そこら辺はなんかやっぱ宮崎駿が何かを言い残してるのかなとか、
言い淀んでるのかなって感じはする。
だからやっぱなんかそれをずっと考えながら生きていきなさいっていう何かね、
綾尾のメッセージ。
呪いは解くけど、痣は消さないよって。
だからそれについてあなたは考えながら生きていきなさいよと。
その後もきっと大変な人生があるだろうし、
エボシは一瞬戒心して、
その後、
エボシは、
大変な人生があるだろうし、
エボシは一瞬戒心してね、
右腕を失ってこれからは良い村にしようとか言うんだけど、
でも多分またタタラバを再建すると周りの木々を切って、
どんどん鉄を溶かしていって、
でまたサンがやってきて、
これ以上気を切るなみたいな話し合いが始まると思うんですよね。
お母さんは60年生きてもあまり学びがなかったっぽいですね。
そうですね。
なんで私が謝んなくちゃいけないのっていうことをいまだに言いますからね。
別に謝れとは言わないけど、お母さんのその態度ないんじゃない?
自分が世界で一番の悲劇のヒロインみたいな顔しないでよ。
お母さんもずいぶんずずしいことやってたじゃん。
反省してよ、そこは。俺だって反省するんだからっていう風に。
こっちは俺って情報してんのに、いや私は全く悪くない。
あんたたちのせいだっていう風に。
そこでまた追いかぶさってくるからさ。
もうなんか勘弁してよって感じ。
こっちだって別にもう悪いって言ってんだからさ。
そっちも折れてくれよと。
そう、典型的な必行文だね。
母親じゃなかったら、お母さんじゃなかったらもっといい人生だったのになーって言ってやりたい。
そうするとまた100倍になって帰ってくるからさ。
でもめんどくさいのはその母親の必行文プラス弟だよね。
俺と母親がわーっと言い合ってて、店内なんでね、そんなに大声は出せないけど、
キーッと鳴ってる中、今度は弟がもうその間に急にはわって入ってきて、もうボロボロ泣いてさ、
そうやっていつも俺のこと無視すんなよとかって言い出して、
もうなんか収集がつかなくなってさ。
母親との対立軸だけではなくて、また弟のよくわかんない必行文というか、
そうやって俺のことをいつものけものにしやがって、
俺の話なんか誰も聞いてねえじゃねえか。
今度弟がボロボロ泣き始めて、俺も黙るし母も黙るみたい。
カオス。
もうめちゃくちゃだ。
弟さんが泣いたのはちょっとつかめないものがありました。
弟は母に対しても言うし俺に対しても言ってくるんですよね。
そうやっていつも俺のこと馬鹿にすんなっていう風に。
お母さんもね話聞いてないし、俺のこと馬鹿にすんなよ、二人で話してんじゃねえよって。
俺も若干その弟を無視している一味みたいにね、言ってくるわけですよね。
別に俺はね、俺の目線で見ると、
その弟を守るために、まあ母親がこう絡んできてるのを俺が、
まあ弟は何も言わないんで、なんか母親に言われっぱなしだから、
俺がこう前に出てね、ちょっとお母さんそれはないんじゃないのって。
って言って、まあ俺が仕方なく噛みついて、こう盾になってるつもりでいたら、
俺のことみんなそうやって二人でね、こうボール回してパス回しみたいにして、
全然俺の話聞いてねえじゃないかと言って、弟が今度キレ出すって。
俺に対しても立てついてくるし。
どういうこと?って。
いやむし、だったらもう少しちゃんと自己主張しろよと。
母親がね、お母さんがこういう風にこうこう言ってきて話逸らしたりなんか馬鹿にしてきてんだからさ。
全部話を横取りして、お母さんの話に全部しようとしてんだから。
そこはお前ね、自分が辛いんだっていうことを自分で食い下がって出てこいよっていう風に思うんだけど、
なんかそれは言わないんだよね。
ずっと黙って黙って黙って、で後から急にそうやって二人ともね、俺のこと無視してとか。
本当にもうちょっと救いがないですよね。
基本的に弟は多責的ですよね。
そうやって俺のことを無視してるから俺はこのままなんだよみたいな。
お母さんもお母さんだし、兄貴も兄貴で、俺のことそうやって無視して馬鹿にしてるから俺は今このままなんだっていう、
なんかある種の開き直りだしね。
非常に多責的で。
非常に多責的で。
だからこの分だとあんまりこの引きこもり生活が変わりそうはないですよね。
変わっていく気配はない。
要するに医者であることを言うことに、自分が金出してることを言うことにガンガンガンガン物を言う兄貴と。
話を聞かずに悲劇のヒロインぶっている母親。
でそれに巻き込まれる自分、俺みたいな感じで。
弟は完全に被害者ポジションに自分を置いていますんで、
もうしばらくそこにきちんと居座って、
それを理由にもう少し金を出せっていう風に交渉してくるのかもしれないね。
自分はそういう家族の中で頑張ってるんだからもう少し金を出せと。
いう感じで言ってくんのかなっていう。
言語化伝達力の低さが哀れ。
さしてほしい。そこらへんね。
頼れる男性に甘えている。
えーと言っとくけど、30歳過ぎてここまで家族から思いやられるってあれなんだよね。
弟さん。
うん。
ぼんと正月でこたつで酔って普通終わりなんですよ。
うん。
いや僕もそう思います。
父もよく仕送りし続けるなって思うし、
俺もよく弟におごり続けるなって。
普通ね、母親とあと弟と俺と3人で飯食いに行ったら割り勘だよね。
お母さんは金出さなくていいよ。
働いている俺と弟で半々出すからみたいな。
普通割り勘だよ。
当たり前のように財布持ってこないからね。
なんで兄貴が弟を養うみたいな構造は当たり前だと思ってるんだろうな。
そこらへんもいちいち腹が立つんですよね。
えーと、条件闘争力が異常に高い。
作詞の解釈。
そうですね。
うーん。
なので実際、もののけ姫よりも対立軸は複雑で、
なかなかみんながみんな自分の思惑で勝手に動いてるだけなんですよね。
ここに獅子神様が現れたらもうチューってキスして、
命吸い取って終わりですよね。
はい、終わりって。
メシアでさ、獅子神様が急に現れてきてチューってして、
はい、終わりですって。
命吸い取って終わり。
養われる気なんですね。
なので僕としてはもう金は出さないよっていう、
自分の思惑で勝手に動いてるだけなんです。
なので僕としてはもう金は出さないよっていう風に結構伝えてるんだけどもね。
でも本人は全く動こうとしないし。
やっぱり最近強いな、回避性パーソナリティの傾向がやっぱ強いなって思うのは、
最近電気が切れたり、あとなんか給湯器が壊れたらしいんですよね。
部屋の。
まあ賃貸なんだけれども。
だからこんな寒い中、お湯が出ないシャワーを浴びてるらしいんですよ。
で、それがもう1ヶ月以上ずっとそのまま放置してるんですよ。
なんか先延ばしにしてるんですよ、後回しにして。
それは早くやったほうがいいんじゃない?
今後本格的に冬になるともう滝川みたいになったら風邪ひいちゃうんじゃないの?
まあ当たり前ですよね。
僕も言うし、母も言うし、父もそういうふうに本人に伝えるんですけど、
いやでもその前に部屋片付けないといけないから。
って言って終わり。
じゃあ部屋片付ければいいんじゃない?って言って、そうだねっていつも言うんですけど、
部屋は半年以上片付いてないんですよ。
まあこんな感じで一時が万時、全部ここでストップしちゃうんですよ。
じゃあ就活したら、これこれしたら、もし障害者雇用で行くんだったら、
ね、診断書もらったら、そのつもりなんだけど部屋片付いてないからさ。
で、だいたいここで話が終わります。
じゃあ部屋片付けたら、うんそうだね。
今日帰ったらやってみるよ。
もう半年経ちます。
こんな感じでもう回避に回避に回避でね、全く動かない。
いやでも本当に不思議なのは、僕も弟ともそういう認知行動療法的な発想で話もするし、
あと自分の認知行動療法外来でも、
あの、まあ回避性パーソナリティの人はいないけども、
まあそういう不安障害とかパニック障害とか身体表現性障害とか、
まあそれは本人にとっても呪いだし、また本人を支える周りにとってもものすごく大きな呪いですよね。
ずっと何もせずに金だけ吸い取られちゃうんで。
ガン細胞みたいなもんですよね。周りの栄養水取って最後ガシしちゃうっていう。
ガンの患者さんが最後ガリガリになって死んじゃうみたいに。
栄養分はやっぱすごい奪われますよね。
親の遺体を冷蔵庫に入れてそう。
でも親が、親を殺しちゃうと金もらえないから、親は生かしておくんじゃない?
親殺しちゃうと自分が一番困るからね。
お湯がなくても生きていけるんですか?いやわからない。
だから冷たい水にちょっとずつ手を慣らしたり頭を慣らしたりしながら頑張ってるとかって言うんですよ。
で、最近ちょっとずつ慣れてきたみたいな。
いやいやいや、その暴露療法ないからみたいな。
冷たさに慣れるみたいな、そっちの方向で頑張るのおかしいからみたいなさ。
なんかもうずれてるんですよ、頑張る方向が。
なんか必死に耐えて俺も頑張ってるからみたいな感じで。
なんか俺と肩並べてくるんですよね。
なんかずれてるんだよね。
セルフネグレクトやハッタ障害とかでなく、
乖離性パーソナリティ障害、自分には違いが難しい。
回避性パーソナリティ障害の診断基準はもう満たすのかなと思うけどね。
あらゆる面においてやっぱり傷つくのが怖いとか恥を晒すのが怖いということで、
どんどんどんどん引きこもりがちになっていって、
いろんな言い訳とか理由をつけて、結局何も行動しない。
仕事にも行かないし、バイトもしないしね。
部屋も掃除しないし、給湯器も直さない。
なんか理由をつけてね、動こうとしないんですよね。
先生が弟に助けを求めたら関係性がわかるかも。
裕福なばかりに。
情報を比較サポートは難しいと聞いたことがありました。
情報を比較サポートって何ですか。
パーソナリティ障害って便宜的なものなので、
あなたは回避性パーソナリティ障害だから自己愛性パーソナリティ障害ではないですよ、
みたいにきっちりと分かれているものではないんですよね。
排他性のあるものではないんで。
むしろそういう中間層というか、
いろんな自己愛に関連した問題をさまよっている。
ある時点では自己愛性っぽく見えるし、
ある時点では境界性っぽく見えるし、
またある時点では回避性に見えたり、
シゾイド性に見えたりね。
そこら辺の自己愛構造レベルの問題っていう感じかな。
BPOっていう風に言ったりするけどね。
ボーダーラインパーソナリティオーガナイゼーション。
自己愛構造体レベルの人ですよね。
赤芝プレゼントども。
情報を比較サポートというのは社会福祉の世界で時々出てくる考え方。
ざっくり言うと支援する側が全部決めてやらないことを指す。
つまりこの制度があるからこうしなさいじゃなくて、
いくつかの選択肢を一緒に並べて、
本人が自分で選べるようにサポートするということ。
でもその戦略は理屈としては非常によくわかるんだけど、
多分そういう回避性パーソナリティの人にはほぼ無力かなと思うね。
仮にその選択肢を本人の責任で、
自分の責任において選んだとしても、
また何か理由をつけて、
やっぱり自分はそいつのせいでうまくいかなくなったんだっていう風に
言い訳をつけて結局やめちゃうんですよね。
情報比較サポートの漢字が違ったみたいで、
上の方の情報でしたね。
心理学・統計学用語としての情報比較。
他者との比較のうち、自分より優れている対象を見ることでモチベーションを得たり、
逆に劣等感を抱く心理。
情報比較サポートはそうした比較を健全な成長支援として活用する支援のこと。
例えば認知行動療法とか職場支援などで。
上の方との比較ですね。
自分よりも優れている人と比較することで逆に憤起したりするとか。
まぁ憤起はしなさそうだよね。
むしろ劣等感を抱いたり恥の感覚が強く出て、
余計に熱心にしがみつくというか引きこもろうとしちゃいそうですよね。
選択を迫られている。
上位者としての助言やサポートが高ストレスの負担になるという。
これもね、助言とかサポートも特にしてないんだよね。
これもよく誤解されてね、先生その言い方がきついんじゃないですかとか、
言い方よくないんじゃないですかとかよく言われるんだけど、
逆にね、父も母も僕もあんまり本人に、
たぶんね、情報比較サポートって5年前とか10年前くらいから僕らたぶん理解していて、
本人には極力あんまりきつくなるようなことは避けようということをずっと言ってきた方なんだよね。
言ってきたというか、それを実践してきた方だと思うんです。
僕もだからこうしなさいやしなさいとか、こうしたらやしたらみたいな助言も指導もね、
斉藤玉樹先生の言う助言も知った激励もアドバイスも説教も全部、
それはモノローグですと。
その結論ありきで本人を引っ張り出す方法に他ならないのでね、その助言も含めて。
助言とかもしないでくださいと。
親の親あるいは兄弟の肉親のモノローグの押し付けだから、
それはダイアログ対話ではないですと。
そのこともね、結構僕らも割とやってきた方なんですよね。
父もこうしなさいとか言わなかったし、
僕はどっちかというと今年とか去年まであんまり弟とそんなに深くは関わってこなかったんだよね。
僕も自分の生活で手一杯だったんで、
まあ母親は結構こうしろは言ってたかもしれないね。
そこは結構有害だったなと思うけど、僕も父もやってこなかったんですよ。
で、そこに来て本人が専門学校でシステムエンジニアとかになりたいって言うから、
ああいいじゃないって言って、そこは応援したんですよね。
でもそれ以外の、じゃあこういうエンジニアになったらとか、
ここら辺の企業いいんじゃないとかも一切何も言わずに、
割と本人とそのあと担任の先生、結構面倒見がいいので、
その先生方にもお任せして、僕らはもう影から見守るっていう戦略で、
この2年間ぐらい来て、結局就活やめちゃったんですよね。
3社受けて。3社とも落ちて、もう心が折れちゃって。
その落ち方も結構ひどくてね。
なんかすごい言い訳を言って、
過去問通り出なかったのはありえないと。
聞いてた話と違う。ずるい。卑怯だ。
こんな言い草で、
そんな言い訳をしても結局もう今完全にやめてるんですよね。
割と結構、自分で言うのもあれだけど、
俺も父も結構やることやったんだと思うんですよね。
お金は出す。本人の経済的な支援はちゃんとして、
でもお金は出すけどあんまりこの使い道をしなさい、
ああしなさいとか指定せずに、
父も割とぐっと耐えてた方だと思うんです。
で、その上で結局本人の楽園みたいになっちゃってね。
なんか高価な50万円とか60万もするパソコン買ったり、
ゲーム買ったり、VRのデバイスにまた2、30万使ったり、
歯の矯正で80万使ったり、
最近はもう防音質で200万使いたいと。
これ結局使ってないんだけど。
っていう感じでどんどんどんどん金額が今上がっていて、
本人の要求水準が今上がってる状態なんですよね。
ここら辺の掛け算で今の状態になっちゃったのかな。
金がなければね、こういう状態にはなりえなかったんだけど、
父も頑張って金が出せちゃったんでね。
そういう偶然が重なって今の状態になってるのかなと。
お父さんもいい会社っぽいし、のびのび引きこもれそうで。
そうなんですよ。
認知行動療法よりスキーマ療法のほうが合っているのでは。
でもね、そのスキーマ療法をじゃあやりましょうって言って、
どっか思いつくとこありますかね。
やってたんですねと。
前提として医者とエリートサラリーマンだから
比較になっている可能性もお二人のせいではないですが、
そうだね、そこら辺も不運の一つでしょうね。
僕がいるっていうだけである種の劣等感とかね、
情報比較みたいなものが勝手に起きちゃってる状態はあると思います。
いろんな不運が重なりそうなっちゃったのはわかる。
でもそれを言うことにある種の疾病利得の状態でね、
それを言うことにアグラをかいている弟もいると思うんですよ。
すごくなめくさったことを言うんですよね。
そこら辺の弟の問題も絡んできてると思いますね。
もうこのまま行っちゃおうみたいなね。
このまま行っちゃったほうが楽だなっていう
甘えてる部分も大いにあると思いますね。
医師のバイトの兄貴よりは医師の兄貴のほうがたかりやすそうで。
就活を始めたのはすごい進歩でしたけど、
いやそれも今になるって考えると
就活を始めたのが今になるって考えると
医師の兄貴のほうがたかりやすそうで。
いやそれも今になるって考えると
就活をするっていうのも壮大な回避だったのかなと思いますけどもね。
だって本人は別に心から就活して就職できると思ってなかったっぽいんですよね。
でも就活しますよってポーズを見せとけば
また父から2年間専門学校代がもらえるし
モラトリアムが2年間延長されるじゃないですか。
だからそこら辺の2年間の延命措置だったのかなっていう感じが
今はしてますけどもね。
あまりにも本人は就活をするっていうから
なんかいろいろ考えてるのかなと思ったら
別に企業もほとんど調べてないし
エントリーシートとか履歴書とかも別にほとんど書いてないんですよね。
先生が書いてくれた、代わりに書いてくれた
エントリーシートに文句をつけてるんですよね。
俺はこんな人間じゃないって。
っていう感じなのでなんか壮大な回避だったんじゃないかなって僕は見てますね。
まんまと担がれたなって我々もね。
2年間ずいぶん時間と金を無駄にしたなって感じが今すごい強いですね。
結局先生の悪口も言うし
会社の悪口も言うしね。
そうやって人のせいにしてるだけだからね。
昨日なんか、昨日というか月曜なんかは今度俺のせいにしてね。
自己暴。
今日はもう少し僕頭がいいイメージがありますけど。
まあまあ自分で手を汚さずにね。
周りをぶつけて一番得しようっていう小賢しいね。
FXの告白で弱みを見せて弟さんと仲良くなったエピソードから対等感かもと思ってしまった。
何しても兄よりはいい道がない。
意思ってブランド力には何しても霞みそう。
まあなんかそのこら辺の劣等感とか恥の感覚とかね。
まあお兄ちゃんが医者だから頑張ればなんとかなるっしょみたいな風に見られてるっていう風に
本人は自意識過剰になってるんだろうね。
別に正直誰もそんな風に見てないのに。
もうただの無能な弟にしかみんな見てないよと。
っていう風に僕らは思うんだけど。
本人の中ではなんかすごくスポットライト浴びていて、
兄貴はうまくいったから次は自分の番だみたいな。
これは絶対にしくりじれないぞみたいに。
やっぱ自意識過剰になってるんだよね。
だからその大事な大事な一歩を絶対に踏み外せない。
それを大切にするあまり人生を棒に振ってるんですよね。
それが改正パーソナリティの真理だよね。
一歩を大事にしようとするあまり結果的に人生を無駄にしているっていう。
あたから見ると完全に矛盾してるんだけど本人の中では整合性が取れてるんですよね。
そうやって引きこもってる方がはるかに恥じゃないかって僕なんか思うんだけど、
本人はそういう風には受け取らないみたいな。
激しいコンプレックス。
配信で聞いているイメージですが幼いと感じる。
いや幼いと思いますね。
弟で普段会っちゃってるんでちょっとなかなか客観視ってしづらいけど、
でもやっぱ年齢に比べてすごく幼稚で幼いイメージですね。
精神科患者によくありがちで。
服装とかもやっぱり見た目もすごく幼いですね。
中学生とか高校生みたいな感じで。
本当にだから時間だけが経っちゃったって感じだよね。
社会に揉まれて徐々にね、中学生高校生から大学生になって今度大人になってって。
いろんな人と会っていく。
大人の中で混じりながら人って大人になっていくじゃない。
人前で簡単に泣かないとかさ。
相手にズキズキ言われても簡単に切れないとか。
そういう社会機能をちょっとずつ蓄えていくわけだけど。
そういうのを一切何もせずに大人になっちゃったって感じかな。
わがままを言って、わがままが通る世界に生きてきちゃったんだろうなと。
今までになっちゃうとちょっとね。
だからもう最近どうしていいのかわからないですね。
少し前、夏場ぐらいまでは就活しないんだったら、
でも来年少なくとも生活費を出すよみたいな万全なサポート体制は良くないんじゃないかと。
ちょっとずつやっぱり手を引いて段階的に本人に自立を促していっていく方がいいんじゃないかっていう。
配信では一応そういう話になって。
僕もやっぱりそう思うんですよ。
AIもやっぱり同じように考えていて。
完全に100か0かではなくて、ちょっとずつ90、80、70って段階的にサポートの金額を減らしていって、
本人に自立を促していった方がいいんだって。
そういう戦略で僕もいきたいんだけど、
ちょっとそこら辺で本人が全く自分の足で立とうとしない感じのポーズを最近撮り始めてるんで、
ちょっと父親が折れちゃいそうでね。
やっぱりこの子には無理かもしれないって言って、
安易にまた財布の紐を緩めてさ、
ちょっと金出そうとしかかってるので、
ちょっと父にはそこは堪えてほしいなと思うんですけどね。
今度また今月末に父と2人で会う約束をしてるんですよ。
僕今地方に住んでるんですけど、
父がわざわざ地方まで来て、
ビジネスホテルとって一泊して帰るっていう、
そういう予定になっていて。
これはなんかちょっと将来について、
ちゃんと話す時間かなっていうふうに思いますね。
わざわざこっちまで来てなんか話すことがあるっていうんだったら。
それ恐らく弟の問題だと思うし、
今まで父が金出してたけど、その金どうすんのかと。
今後どうすんだろう。
財布を握ってるのは父と私なんで、僕なんで。
まあね、生活支援どうするかっていう話になるんだろうと思うんですけどね。
本人の中では整合性があるんですね。
どんな気持ちか聞いてみたいな。
やっぱ被害的な感じになるんだと思いますね。
やっぱ兄貴は偉そうだし、母親は話聞かないし、
父親は他人だし、
自分はそうやって放逐されてね、
誰も相手にされないで愛を受けずに生きてきたんだっていうような、
もっともらしいことを多分吐き出すんだと思いますね。
本人の世界はそれで完璧に保たれてるので、
全く矛盾なくね、ちゃんと世界は安定してるので。
そういう話をたらたら言うんじゃないですかね。
弟さんは家事手伝いで女子枠なら楽なのにですね。
これ僕もちょっとあんまりよくわかってないんだけど、
本人の自分の性自認は男なんだよね。
別に楽しんごみたいな感じじゃないんですよ。
めちゃめちゃ男なんですよ。
高派な。
性自認は男性で、性的対象が男性っていう感じ。
そう、めちゃめちゃ男ですよ。
話し方も考え方もね。
女のガールストークみたいなのを結構バカにするしね。
結論がないよね。
時間の無駄だよね。
それは僕も思うけど、
世の中の男性全員思ってるけど、
言っちゃダメなやつみたいな。
割とノーミスは完全に男性なんだけど、
でもそういう男性として男性を好きになるっていうことをやっぱりしたいんでしょうね。
向こうも見た目は多分男性なんですよ。
向こうの性自認とかどうなってんのかとかちょっと僕も何にもわかんないけどさ。
なんかでもお互いそういう風になってんじゃないですか。
男性で男性を好きになるっていうもの同士のカップルってあるじゃない。
だからそういうことなんじゃないですかね。
だからこの引きこもり問題において、
あんまり本人がゲイであるっていうことはあんま関係してない気がするんですけど。
男の子によくありがちな引きこもり問題かなっていう風に見てますけど。
ただいろいろ不運だったね。
難病とこの機能不全家庭、
兄貴が医者、
父親がエリート、サラリーマン。
とにかく家族関係悪いですね。
両親も仲悪いけど、
父方母方の家族同士でまた仲が悪くて、
絶対に口聞かない、顔を見せないっていう感じで。
とにかく家族なんかどこも全部悪いね。