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チョコレートドーナツの時は初めて、映画コメンテーターとして、ちょっと役に渡ったかなっていう、あの時はもうすぐもう鮮明に覚えてるんですけれども。
黒木瞳の映画ここだけバナシ
こんにちは。今日も聞いていただきありがとうございます。映画に携わる様々なジャンルの方々とここだけバナシしていきます。
今回のゲストは、映画コメンテーターのLiLiCoさんです。
お久しぶりですね。
ミュージカルも、そして今ドラマにもご活躍なんですけれども。
ありがとうございます。
本当にLiLiCoさんといえばもう旬風満帆でいらしてて、ずっとそういうイメージをしておりましたけれども。
ありがとうございます。
私このザリガニとヒマワリというLiLiCoさんがスウェーデンから、スウェーデンで生まれて、それで葛飾区のおばあちゃんのとこ来て、それから浜松行って売れない時代があって、来るまで4年間ホームレスして。
そして今のLiLiCoさんがあるっていうのを読んで、全くイメージがご本人のLiLiCoさんのイメージから想像だにしなかったんですよ。
本当に険しい険しい体験をなさってきて、今のLiLiCoさんがあるんですね。
いろんな経験をすることってすごく後々ネタになるし、楽しかった。
今振り返ってみるとね、だからお家がないとやっぱりまずお家に住みたいっていう、みんながもう持っている当たり前の生活の中のものを夢見るんですよまず。
夢ってやっぱり目標だと思っているので、1個ずつクリアしていくっていうことがとても大事で。
他の人の話を聞いても、自分がそのくらい経験していると、本当に何があってもおかしくないと思ってしまうのね。
だからすごくいい経験をさせてもらったなっていう、そこには戻りたくないっていうやっぱり気持ちもありますし、
当時は一番いい仕事がスーパー戦闘だったんですよ。健康ランド。今それを主人がやっていて、
でもこの前も話したんですけど、2人でね、健康ランドに対するイメージがあまりにもお互いの違ってて、
私はもうできたらあそこに戻りたくない。当時はすごく助かったんです。
なぜならば、2ステージでお弁当が出るんですよ、間に。
だから食べるものがあるっていうだけで、もしラッキーなことにお風呂にも入れたりとかするんですよね。
いいですか、お風呂入ってっていう、そういうのがすごくラッキーだったけど、
巡列はそこからバッっていったんですけど、私はもうその前だったから。
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同じ場所でも全然受け取り方が違うっておっしゃってましたね。
でもやっぱりそういう経験を積んでらしたリリコさんだからこそ、映画コメンターとして、
やっぱり愛のあるコメントだったりとか、優しさとか、やっぱり希望や夢が持てる映画が好きっておっしゃってましたじゃない。
なので、だからそういうところで、やっぱりそういう言葉たちがリリコさんの口から出てくるんだろうなぁと思いながら、
5本を拝見して、びっくりしました。
忙しいのに読んでいただきありがとうございます。
この、おそ咲きも晩婚もという、ハッピーに変えてという。
またこれも読ませてというか、見せていただいたんですけども、綺麗ですね花嫁さん。
やっぱりどうしてもスウェーデンでやりたくて。
なんか日本って歩行ブームなんですけど、直行便ないですしスウェーデンまで。
だからもうちょっとこのコロナで、本当はできる予定だったんですけど、ちょっといろいろ今遅れてて。
でもなんかこう、日本人は絶対にスウェーデンが好きと思って、
みんなにね行ってもらいたいなと思って、ちょっと今フィンランドに負けてるんですよ。
スウェーデンってやっぱり航空会社の問題だったりとか、ムーミンが人気とかそういうのはねありますけど、
なんかねスウェーデンが好きだったらいいなと思う。
私も20代、宝塚辞めて仕事でノルウェースウェーデンで行って、
ヨーロッパに行く前に北欧に行ったんです。
しかも6月の下地祭の頃で。
もう一番最高じゃないですか。
自分にとってはちょっと肌寒いんですけれども、みんな裸同然で広場で。
みんななんか日光浴してらっしゃるんだけど、もう寒くて寒くてこっちは。
太陽が違うんだろうなとか思いながら。
全然今のこの日本の夏、私3ヶ月何にもできないんです。暑すぎて。
もう髪の毛セットしたらもう大体10分ぐらいでもうぐちゃぐちゃになっちゃうし、
本当にダメですね日本の夏。でも帰れないし、まだ帰れないんですけど。
私ね昨日たまたまなんですけど、ある出しの取材を受けた時に、
カメラマンの方が、昨日ね、私昔のリリコさんを見たって言って。
何?って言ったら、ゴールデンボールも見たわよって言って、
いやいやちょっと待ってください、私黒木さんに会うんですけどみたいな。
なんてタイムリーって言って。
で私、なんか15年前ぐらいかなと思った。
20年ぐらいです。
そう、2002年って言われて、恐ろしいと思って。
あの時が多分初めてです。
初めてです。
お会いしたのが。
とっても派手な対戦相手でしたもんね、ボーリングのね。
なぜか東北の女性の、ほとんどセリフはなかったんですけど、
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あのためにボーリングをめちゃくちゃ練習して、
あれノース機械だったじゃないですか。あれも結構難しかったんですよ。
2つのピンの間に通さないといけないという。
当たっちゃうんですよね。
そう当たっちゃうんです。そうやって当たるんですよね、本当に。
でもだからすごい、やっぱりこういう風に20年以上頑張ると、
いろいろ回ってくるんだなと思って。
今私32年なんですけど、芸能界。
でも20年から、やっとこういう、また会えたとか、
あの時のっていうのが、20年やらないとやっぱりなかったんですよね、私の中では。
あの時の印象、共演させていただいた時の印象も、
やっぱりリリコさんというと映画のコメンテーターで、
大出身で活躍なさっている方っていうイメージで。
え、まだ1年目だったんですよ、王様のブランチ。
え、そうなんですか。
そう、私2001年からなんですよ。
なんかすごく、なんか長くやってらっしゃるイメージ。
イメージる人。
あの、私も今バラエティとかね、やらせていただいてて、
まだ10年なんですよ、実は。
震災の後からバラエティやってるんですよ。
でもみんなもうずっとやってるっていうイメージで。
そう、なんか1本1本がきっと存在感とオーラがありすぎるんじゃないですか。
あとね、残像がひどい。
もう残像すごいなってよく言われるんですけど。
ご謙遜。
まあそれで映画のコメンテーターのお仕事についてちょっとお話をさせていただきたいんですけども。
映画のコメンテーターって今の若い方はご存じないと思うんですけど、
水野春男さんとか寄土川長原さんとかね。
さよなら、さよなら、さよならとかってご存じないでしょ。
いや、私知ってます、もちろん。
私、水野さんに大変お世話になっていて、
よく試写会でお会いして、
特にソニーピクチャーズの試写会場で必ず座ってて、
私が行くともう私と喋りたくてしょうがないんですよ。
なんか大好きだったみたいで。
水野さんもすごい監督としていろんな映画を撮られるじゃないですか。
1回結局お亡くなりになったので撮れなかったんですけど、
台本を見せてもらったんですね。
これは別の方から見せてもらったんです。
水野さんからではなく、
共通の知り合いというか、
この台本を見てくださいよって言われて、
その1つのシーンで、
そこには派手めの女性が立っていた。
リリコさんみたいな。
いやいや、勝手に名前使わないでくださいよって言って。
分かりやすかったんですよね。
分かりやすかったですね。
なんかやりたかったですね。
一緒にお仕事したかった。
私、日本に来た時はいつもね、
さよなら、さよなら、さよならやって、
水野さんはどっちかというと監督として、
知ってましたね。
その映画コメンテーターリリコさんがね、
仕事につながった映画が、
その3作品を提案された。
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そうです。
なんていうの、紹介するなら全然違うものがいいだろうということで、
その3本を教えていただけますか。
まず、サンダラブロックのコメディの
Dangerous Beautyという作品と、
あとは、私が声をやらせていただいている
サウスパークというアニメがあるんですけど、
それが映画になった時に、
もともとテレビのシリーズで、
映画化された時に、
オリジナルのメンバーは誰も選ばず、
関西弁でやりたいということで、
別の声優がみんなやってて、
アニメ、私が選ばれなくても
イラッとすることもなく、
ファンは結構ね、
当時まだネットが今みたいになかったんで、
ただちょっと荒れたみたいで、
なんであの人たちやらないんだっていう。
でも、サウスパーク無収成版という映画と、
あとはスウェーデンの感動的なラブストーリー、
太陽のいざないという、
3本を挙げさせていただいたんですけど、
ちょうどその挙げる時に、
声優を紹介するコラムだったんですけど、
毎回声優さんが、
自分の好きな映画を挙げるっていう、
決まりだったんですね、そのコラムの。
だから自分が選ばれた時に、
じゃあ3本挙げてくださいって、
せっかくやるなら、
好きだけではなくて、
広がるというものの方にいきたいなと思って、
もしかしたら誰かがこれを見て、
何かこの3本について語れるところができたらいいなとか、
いろんなことを考えたら、
その3本に絞ったということで。
それがきっかけで、
映画のコメンテーターのうち、
いろんな肩書きが終わりですけれども、
映画のコメンテーターの仕事が、
ずっと続いていったということに繋がるんですね。
あれを、まさにあの記事を見て、
この人が映画わかってるかもって言って、
今映画紹介をしている番組の放送作家の方が、
この子いいって言って、電話がかかってきたんです。
当時事務所も何もなくて、
私フリーでやってて、携帯に電話がかかって、
1回面接みたいな感じで、
来てもらえませんかっていう、
何かが変わろうとしていると思いましたね。
やっぱ感じました。
感じました。
しかも、その前の年の11月に、
私甘えにもボロボロで何もなくて、
何やっても悪い方向に行って、
やっとCD出せるって言った時に、
その会社に行ったらもう会社ごとなかったりとか、
もう全部が悪い方向に行った時に、
県民マリさんに紹介してもらった占い師のとこに行ったんですよ。
私、もうこれ別に遊びでいいですと。
でもあなたひどすぎるって言って、
それマリさんが言ったんじゃなくて、
マネージャーさんがおっしゃったんですけど、
あなたもう本当にこんなにね、何かいろいろ持ってるのに、
これおかしいって言って、
どういう星の周りかちょっと見てもらったらって言って、
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誕生日の11月16日に、
本当は半年待ちなのに、
その日に入れたんですよ。
なんて言われたんですか。
で、もう何をしたんですかこの12年間って、
もう大錯解ですよっていう。
でもそういうことで、
来年の9月から大きく変わるんで、
11月から9月まではもう、
のほほんと暮らしててください、
大丈夫です食べていきますって言われて、
で、9月から何かでかいのが決まるんで、
そこからもううまくいくんでって言って、
10月から放送がブランチに決まって、
で、9月に決定するんで、
だから本当に私10日前ぐらいに決定しました。
え、じゃあその占い師さんの言った通り。
そう、だからそれから20年間毎年誕生日に行くんです。
へー。
だからなんか、
教えて教えてって。
もちろんもちろん。
放送後に。
その時30歳だったんですけど、
だいたいね、
あなたぐらいの年齢の方が来ると、
その結婚を聞きたいんだって。
その30歳やっぱり結婚できないからどうしたらいいですかって言って、
結婚に興味ないですかって聞かれて、
いや全然興味ない。
もうとにかく生きていきたい。
仕事したいっていうことを話したら、
いやでもね、
あなたね、
あの春に出会った人、
あの包丁の人、
あの切る人、
その人と結婚しますよって言って、
いやそんなんもう、
はいはいはいって言って、
それ本当にあの、
鉄板焼きやってる人と結婚したんですよ。
そうなんですか?
そうなんですよ。
一度結婚なさってんの?
一回結婚してるんですよ。
包丁の人と?
はい、包丁の人と。
それも当たったんですか?
当たって、
もう全部だから毎年当たるんですよ。
すごい。
悪いことも。
だから、
こういうふうにちょっとだけ名前が知られて、
例えば歌出したりとか、
やっぱり歌手になりたくて日本に来たので、
この歌を出しますって言うと、
これどうですかねって聞くと、
いや、
れいこはやっぱり一人で歌わないとダメ。
その時デュエットだったんで、
これは話題にはなるけど、
売れないっていう。
売れなかった。
じゃあ、
順列にも入れないですね。
そうそう。
メンバーに。
そうそう。
でも、
順列のこともいろいろ言われました。
後で話します。
分かりました。
オフマイクで。
まあ、
そのれいこさんのコメントには、
本当にね、
素晴らしいというか、
とてつもない影響力があって、
2014年の時にチョコレートドーナツ、
れいこさんが番組で号泣しながら紹介したら、
なんと上映感が増えたとか。
いや、
でも、
このチョコレートドーナツの時は初めて、
映画コメンテーターとして、
ちょっと役に渡ったかなっていう、
でも、
本当に初めてですよ。
13年目ぐらいで、
あの時はすぐに鮮明に覚えてるんですけれども、
チョコレートドーナツって、
同性愛者2人と男性の男の子の話なんですね。
で、
それを、
映画会社が宣伝したいから、
いろんな番組に売り込んでも、
取り上げられないって言われたんですって。
で、
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そんなの、
オーソドクランチはそんなの気にしないんで、
いいものは紹介しないとダメって言って、
思い出して、
内容をね、
号泣しながら紹介したら、
1巻だったのが、
140回のコメント。
すごい影響力ですね。
しかも、
その後宮本アモンさんが舞台やったんですよ。
そうなんだ。
アモンさんから、
そのプレミアの日に、
麗子さん、
チケット手に入りましたか?って言って、
全然手に入らないんですよ。
だからすいません、
入らなくてって言って、
俺1枚だけあるからって言って、
それで見に行かせていただいたんですけど、
だから、
あの時、
監督とも、
トラビス・ファイン監督とも、
今もお付き合いがあって、
あなたがやって、
でも、
そういう風に考えると、
なんでそれを知ったかっていうと、
ありがたいことに、
舞台挨拶を監督したんですね。
その公開日に。
で、
観客から質問を、
どうぞって言った時に、
1人の方が、
今日、
王様ノブランジという番組で、
もうほぼ、
放送事故ぐらい、
号泣してる麗子さんがいたんですけど、
どう思いますか?みたいな感じで、
え、なんですかそれって。
当然、
アメリカの人なので、
そんなの知らないから。
で、
そのVTRを見せて、
で、
あの、
主演の男の子と監督から、
メッセージもらったんですよ。
来日した日に、
私、朝4時から、
ずっと生放送だったんですよ。
夕方まで。
で、
全然1分も空いてなくて、
全く会えなかったんですけど、
今度来た時、
俺は、
君と、
お話ししたいっていう、
メッセージを、
今でも携帯に入ってるのね。
それは素敵。
もうタクシーの中で見ても、
大号泣してそれでまた。
でも、
あの、
なんなんでしょうね。
なんか、
日本のテレビとかって、
なんか不思議な、
なんか、
いらないルールって、
いっぱいあるんだなと思って。
でも、
その後も、
あの、
MXテレビなんですけども、
で、
もう1回、
そうやって、
なんでキー局が、
あの、
そういう、
傑作を取り上げてくれないのかな、
っていう話をしたら、
またやっぱり、
MXテレビってこう、
ネット見ながら、
見ますから、
もうそこでもう1回、
こう、
チョコレートドーナッツが。
うーん。
でもやっぱそうやって、
映画を、
こう、
紹介、
もう心から紹介、
きちんと紹介なさって、
いい映画ですよって、
紹介して、
で、
そしてその監督や、
その出演者の方々が、
リリコさんとは、
会いたい、
会うっていう、
そういう繋がりが、
またできてくるっていう、
また、
そうなんですよ。
素晴らしいですね、
映画を通して。
やっぱり、
こう、
今、
メールとか、
なんでもあるじゃないですか、
この世の中って、
なんでもあってで、
そうすると、
どんどんどんどんこう、
人の絆が薄くなってたりとか、
繋がってるっぽいけど、
あの、
そのね、
文字で、
でも、
やっぱり心と心、
繋がってない時があるので、
やっぱ人に会う、
結局、
最後の最後は、
全部人なんですよ。
うん。
そうですね。
全部人で繋がってるので、
そこはやっぱり、
なくしたくないなと、
そうですね。
あの、
18:00
思って、
やっぱり昭和のやり方で、
令和も暴れたいなと思って。
さあ、
令和も暴れるリリコさん、
今回は、
リリコさんで、
お送りしておりますので、
また、
次回も、
ぜひ、
お楽しみに、
していただきたいと思います。
リリコさん、
ありがとうございました。
ありがとうございました。