00:00
毎度、黙れ!ヤドロクでございます。お疲れ様でございます。
いやー、ちょっと暖かいだなぁ、ドラえもん。
もうなんか、体調がね、言うて言うてると思うんですけども、お元気ですか?
えぇ、元気やったえぇな、言うて。言う取り忘れということで、本日はね。
いやー、まぁあのー、前回ね、映画見させてもらいました。
あのー、ミスターXから送っていただいた、「エターナルサンシャイン」という作品を、
まぁ見てね。私見たら、まぁもうレビューができるような人間ではございませんので、
まぁ自分の思うことを喋るだけなんですけど、本日は、
「ザ・フィッシャーキング」というね、映画でございますけども、
パリィという役をロビン・ウィリアムスさん、ジャックという役をジェフ・ブリッジスさん、言うてね。
えぇ、まぁ何がよろしいかと言いますと、吹き替え版がね、
ジャックの役を大塚さんがやってるというようなことでございますけども、
私の大好きな声優さんでございますが、
まぁ、だからね、その英語版で見ようかなとはじめ思ったんですけども、字幕でね。
まぁあのー、字幕表現というのもありますからね、もちろんね。
で、これはもう、私は大塚さんとファンですから、ね。
あのー、どうしても吹き替えで見たいと、言うことでございまして、
吹き替えで見させていただいたわけでございますけども、
で、まぁ日本語字幕も出したまま、
えぇ、あの表現がちょっと違うわな。
せやさかいに出したまま見るというね、
ちょっと特殊な見方をしているわけでございますけども、
まぁ今見終わったとこなんですけどね、
あのー、映画についてああだこうだとか、
これはこんなこと言いたいんちゃうかとか、
こういう表現やというようなこと、
まぁ、私でもわかりやすいのはわかるんですけど、
わかりにくいものはね、
どの観点から見るのかというようなことなんでございます。
まぁ、まことに向こうの文化がわからんという部分もあったりするんですけど、
私ね、これロビン・ウィリアムスという役者さん大好きだね。
で、これはまぁこの人がなんで好きかと問われたら、
まぁ、なんでかわからんけど好きやねんと、
えぇ、言うようなことなんだけどね、
えぇ、この方ももう晩年ね、
まぁ、ご病気のせいもあるんでしょうけども、
というようなまぁちょっと残念な結果というんですか、
ってお亡くなりになった時もね、
やっぱりちょっとそのうつやったりとか、
まぁ、病気から来るものでというようなことでね、
えぇ、亡くなってはるわけでございます。
まことに残念な役者さんでございますが、
えぇ、この方のなんでしょうな、
まぁ、コメディアンから始まってる方なんですけど、
表現というようなところというんですかね、
えぇ、なんか、あの、その、
まぁ、私この作品実はロビン・ウィリアムスのファンやと言うてても、
その、やっぱり作品って結構限定されてるというか、
私あんま見てないものもあったりはするんですよ、中にはね。
で、その中の一本やったんです、たまたま。
で、やっぱりうちのリスナーさんが、
これはMr.Xじゃないんですよ、ない方が、
03:00
あの、送っていただいて、
まぁ、好きな映画なんですっていうことで送っていただいて、
それがまことに気持ちが嬉しいなという中でね、
見たときに、中に出てくるジャックという、
まぁ、青年というかもう中年ですな、
この方はラジオDJなんですよね。
で、その方の、まぁ、軽口というんかな、
あの、いわゆる視聴者さんと電話で会話する中で、
まぁ、ある程度こう、
ショーマンシップというか過激なことをちょっと言うような形で言ったことが、
まぁ、大きな殺人事件につながってしまって、
その被害者のご主人というのが、
後で出てくるこのロビン・ウィリアムスという方がやっている役なんですけど、
奥さんが目の前で三弾銃で撃たれている、目の前でね。
そのトラウマというんですか、
もう、記憶をほぼなくしているというか、
その、もう自分は別の人物だと、
まぁ、もともとは大学の教授やったんですけども、
それも忘れて、不老者というんですか、
いわゆるね、ホームレスの生活をしている中で、
このジャックと出会います。
ジャックもその事件が元で仕事ができなくなっているんですね。
自分が軽口で言った一言が、
まぁ、いわゆるそういう大量殺人というような事件を引き起こしてしまったということに、
まぁ、罪の意識に苛まれているということはあるんでしょうね、もちろん。
その中で二人が出会う。
ジャックはすぐ気づくんです。
その、パリーという役なんですけども、
そのロビン・ウィリアムスが、
その事件の被害者遺族であるということ、
そして、目の前で奥様、最愛の奥様を殺されて、
ものすごい大きなトラウマの下、
自分自身を見失ってしまったということにすぐ気づきます。
罪の意識に苛まれます。
何とか自分で、この人を、何とかっていうね。
でも、できることは知れてるんですよ。
けど、彼のちょっとした恋愛というんですかね、
新たに、まぁ言うたら別人格で好きになっている女性のことを話を聞いて、
どうかこの人を、うまくこの二人を付き合わすことができたら、
自分も再期できるのではないかという、
まぁちょっと自分勝手なんですけどね。
うーん、っていうところで、
まぁもうこの映画もね、有名な映画みたいですから、
あの、女演女優賞も取ってはるような、
女優さんのアンという方が、
役名ですけど、取ってはるんですけど、
物人も上手やしね、
あの、まぁ、何をお知らせしたいとかっていうことで言うと、
いっぱいあるんですよ。
その中に要素として受け取れるものというのは、
いっぱいあって、僕がとやかく言うたりとかするよりも、
今まで多分いろんなレビューでいろんなことが語られているだろうな、
というのがわかるので、
特にその、僕が見た感想っていう、
僕の切り口と言うんですか、
うーん、なんかそれでどうこうというようなことではないと思うんです。
素敵な映画なのかと、
一口でパッと素敵ですって言えるような感じでは、
やっぱり全くないと言うんですかね。
ここ二日、恋愛なのか、愛なのか、
06:00
うーん、ここ難しいところですけど、
大きなテーマの中で、
その多種多様な表現であったりとか、
多種多様な立場であったりとか、
多種多様な状況、環境みたいなものとかが、
大きく交差する中で、
自分を見失ったり、
はたまたま自分の心に気づいたりとかっていうような、
大きなテーマがやっぱり、
深層心理の中にあるものであったり、
心の奥底に抱えているものであったりとか、
そんなんが大きく影響してたりとかって言って、
すごく薄っぺらい表面的な表現をするときもあれば、
それは何なんだろうかっていうようなことというんですかね。
そのバリーという役、
これはもともと全然違う人間で大学の博士だったんですけど、
ホームレスになってから、
一人の女性、ものすごいブキッチョな、
不器用な女性に恋をするんです。
ストーカーのように毎日その人を見てるんです。
それがジャックとアンのおかげで、
なんとかデートにこぎつけて、
ダブルデートみたいな形なんですけど、
ものすごくそこで告白のシーンとかもあるんですけど、
一見聞いたらもう完全にストーカーが、
自分はこんなんしてますって告白してるように。
今の時代やからそう見えてしまうというか聞いてしまうというかね。
もうしょうもないなと。
僕の心もここまで汚くなったんかというような感じもちょっとあるというかね。
今の時代やと、
あんたそれキモいって言われるでっていうようなことをちょっと言ったりとかした。
それに感動した女の子とのある程度うまくいくんですけど、
うまくいった後すぐ、
ちょっとした事件がありまして、
パリィは、
まあ言うたらね、
そのなんちゅうのかな、
気を失っているような心々はあらずというか、
失語症というか、
なんかそんなので入院することになってしまうんですね。
それをなんとか生き返らせたい、
蘇らせたいっていうようなことで、
ジャックはもう復帰して、
結構有名DJになってきて仕事も順調で、
お金も持ってきたんですけど、
そのパリィの状態を見て、
もう自分の罪の意識が再燃するわけですよね。
うわーっと出てくるんです。
お前のなんか俺は罪悪感でこんなことをやるんじゃない。
とあることをするんですけど彼は。
それに対して、
俺はお前のためにやるんだ。
お前と友達だからやるんだみたいなセリフがあって。
ここがね、
ものすごく大きな、
僕の中では大きなことで、
罪を、
ジャックは罪を犯そうとしてるんですよ。
罪は罪ですから、
いいか悪いかは別として、
悪いんですよ。
それで言うと、
それを、
友達のために、
それも全然根拠のないことなんですよ。
けど、
何か大切な、
そこに一つの、
柿があるというか、
いうようなもので、
ジャックはそれをします。
でもね、
09:00
人間というのは面白いもんで、
本当にこの善意というか、
友のためにという動いたことには、
結果がついてくるんだっていうのはね、
難しいとこやかの、
映画の中やからね、
これが本当にね、
ファンタジーを見るみたいな映画なんですよ、
実はね。
そういうシーンもちょっと、
エッセンスとして、
含まれてるのもあるんですけど、
やっぱりアメリカ的な、
うまいことそれを現代風にやれば、
というようなことで、
ニュアンスはちょっと、
本当に、
ロールプレイングのようなニュアンスがあったりとか、
という感じはちょっとありますね。
なんかもうそれがね、
面白い作品やし、
まずんでね、
そのトラウマを抱えた、
パリーという役、
ロビン・ウィリアムスさんが、
やって当たり前というような、
好き嫌いで語るような映画では、
実はない。
恋愛映画のように見える部分もありますけど、
やっぱり、
向こうの、
愛の表現というんですかね、
なんかその辺中の、
今までは誰が向こうの映画で見させてもできたものの、
範疇の中にはあるというのかな。
やっぱり、
宗教的思想というのか、
そういうものも含めて、
あるのではないかと、
いうことですわな。
ロビン・ウィリアムスさんという、
役者さん自身が、
まあ変わった方や、
というのも見てて、
変わった方というか、
頑固な方やったりとか、
する部分もあったり、
最終的にはいろんな、
このね、
パリーという役で出てくる、
ロビン・ウィリアムスさんは、
本当にそれをちょっと表現しているような、
感じがあるというのかな。
うーん、
まあ僕なんかは、
グッドモーニングベトナムから入った人間なんで、
あのー、
彼のまあ悲哀のあるね、
まあ楽さですよね。
コミカルであるがゆえに、
悲しみがあるような、
お芝居というのが、
まあもちろん大好きで、
見ます。
いろんな作品に出てます。
今を生きるとかなんていうのは、
僕は本当に、
若い時に見たんですけど、
グッと来ましたし、
だから、
そのいろんな、
うーん、
ものの中で、
この映画が、
まあうちのリスナーさんが大好きだ、
って言って送ってくださった、
ものですけど、
本当にあの、
ああそうか、
この映画がすごく好きなんだ、
って、
あのー、
言えるっていうのは、
まあこの方、
やっぱり、
そのね、
いやまあ、
こんなん言うとあれかな、
と思うけど、
愛の何たるかを考える人っていうのは、
僕はとても大事な人だと思うんですよね。
いい人だと思ってます。
で、
普通に生きとってね、
今こうやって生活してたらね、
愛とは何ぞや、
なんて言うてね、
考える暇はないんですよ、
正直。
ほんまにそんなこと考えて生きてるかな、
と思うことが正直ほとんどです。
せやけど、
だからこそね、
こういう映画を見たりとか、
まあ、
えー、
前回ね、
見まして、
見させていただいた、
あの、
エターナルサンシャインもそうですけど、
やっぱり、
言葉で説明できへん、
言葉でもなかなか表現ができへん。
12:01
けどね、
しっかりその、
奥底のところにあるような愛を表現するときに、
どうやって表現するんだ、
みたいな、
ものすごく薄っぺらいものから、
ものすごく真相真理の部分までっていう幅があって、
なんかそこを、
どうやって表現したらいいんやろう、
どうやって表現したらいいんやろう、
ってこう羅列してるようなものっていうのかな。
うーん、
やっぱり、
それは僕ね、
表現としてこの、
あのー、
ハリウッド映画というか、
西洋の映画っていうのは、
ジョズだと思いますね。
日本映画っていうのは、
なかなかやっぱり民族性か、
その辺をオープンに表現したらね、
ちょっと違和感があるんよね。
うーん。
僕は君が好きなんだ、
言うたってね。
あー、
言うて、
へっへっへっへっへっ。
けどこれが、
向こうの方が言うと、
全然ちょっと雰囲気変わるもんな。
これはまあ、
文化の違いがあるでしょうな。
うーん。
そやから、
そのー、
ふとしたその、
人の幸せなフリを見て、
イラッとする人もおれば、
人の幸せな様を見ることで、
自分も愛情が残ってるんだと、
再確認するって言うたら、
まあこれは後者であるべきなんですよね。
べきというか、
これは決まりがあるわけじゃないけども。
うーん。
で、
自分には愛情がない、
愛がない、
そんなものはもう忘れ去った世界やって、
言うてる方が幼稚です。
うーん。
と思うんですよ。
不変的なモノチュラは存在するわけですよね、
自分の心の中にも。
じゃけど、
表面上自分の生活の中にはないから、
そりゃもうええねんと、
もうしんどいねん。
そりゃまあ、
僕らでもね、
普段生きとったら、
そういう時ありますね。
もちろん。
じゃけど、
自分の人生の中に、
そういう愛に触れるチャンスが、
もうない、
もうけえへん、
もうないんやと思ったら、
まことにこの映画見ると、
そんなことはやっぱりない、
と言うことでしょうな。
うーん。
まあ、
ええか悪いかって言うな、
その人それぞれの、
その時の、
見た時の感じ方って言うのが、
もちろん、
映画なんていうのは、
大きく影響するわけでございます。
すべて、
ロビン・ウィリアムスさんの、
作品なんていうのは、
僕は若い時に見てるものなので、
今まさに、
改めてロビンさんの、
こういう作品とかを見た時に、
やっぱり、
得意な表現ができる方だな、
というふうに、
思うわけでございます。
ありがたいな、
と言うことでね。
で、こうやって、
あのー、
私のリスナーさんね、
もうDVDこうて送ってきてくれるんですよ。
いや、
ほんまにありがたい。
こっちはて言うて、
プレゼントしてくれてるわけですよね。
もうほんまに、
かみしめて、
ほんでまたね、
もう自分が、
もうほんとに大事にしてる作品を、
送ってきてくれてるわけ。
こんな嬉しいことないのよね。
共感できるやん。
どこを共感してるかは、
わからへんけど、
ほんまに、
共有できたり、
共感できることの、
この嬉しさね、
喜び、
これもある意味、
愛やわな。
うーん、
と思うわけですよね。
えー、
だからこの、
なんかね、
愛の表現にはいろいろあるんですよ。
いろんな愛情があるんですよ、
というのを、
リスナーさんからね、
だからまあ、
僕がやってる表現っていうのは、
その中の、
ほんとに、
一つでしかないですけど、
あの、
こんなんどうですか?
15:00
こんなんもありますよ、
っていうふうに教えていただける、
っていうのは、
俺は50歳も、
20歳も関係ないでしょうな。
同じような感想を持つ、
10代の子がおってもおかしないな、
と思うわけでございます。
まことに、
映画見るときっていうのは、
やっぱり、
あのー、
心の中は、
当時見た当時のね、
若い頃見た当時の、
その感覚で見てるのが、
よくわかったりしますね。
わたりは、
まあ幼稚な人間ですから、
当たり前に、
あのー、
なんでやねん、
というようなこともあるわけです。
で、
でもね、
この2作品、
続けて見させていただいてます。
続けてというか、
まあ、
昨日、
今日と、
見させていただいてますけどね、
一つもなんでやねんと思わへん。
んで、
ロビンさんの、
やっぱり、
こう、
最終的にね、
どうならあったかを考えると、
わたりは、
そういう方に魅力を感じてる、
というとこもあるんです。
まあ、
かつら、
しじゃく師匠含めに、
うーん、
ロビン・ウィリアムスさんもファンやんで、
やっぱり、
そういう方が持ってる、
精神性であったり、
得意性というものの、
中に、
やっぱりね、
もう、
眩しいぐらい光があるんだろうなと、
で、
愛も詰まってる、
だからこそ、
考えるし、
悩むし、
立ち止まるしと、
もう、
器からあふれて出てまうんやろうな、
と思うわけですよね。
物に対して、
人に対して。
で、
やっぱりそれが、
抱えきれなくなる。
で、
やっぱりそれが、
抱えきれなくなるというのかな。
うーん、
なんか、
そんな風に感じさせてくれる作品やなと、
思うわけでございます。
もちろん、
ある意味、
ハッピーエンドで終わってる作品でございますから、
暗くなることっていうのは、
あんまりないんですけど、
まあ、
多少ちょっと途中ね、
ショッキングなアレもありますけども、
まあ、
ごく一部一瞬ですから、
まあ、
気になさらずに、
どうぞ気になる方がおられたら、
ザ・フィッシャーキングで、
ロビン・ウィリアムスさんの作品でございますな。
なかなかいいですよ。
ええ、
ほんとに、
映画っていうのは、
あの、
見るときのタイミングはありますな。
うーん、
こうやって見させていただいて、
こう、
どうですかって言われたときに、
もうね、
いや、
大なしにね、
どちら、
まあ、
ジム・キャリーも、
僕好きやしね、
あの、
結構やっぱり、
サブスクライブって思うで、
僕のお話聞いてくれる人っていうのは、
どっか根底で好みが似てるとこあるんちゃうかと、
ふとね、
思わせていただく、
感じありますね。
漫画送っていただいた漫画本とかも、
もともとやっぱり、
テーマでちょっと興味あるところのものを、
送っていただいたり、
本に関してもそうですね、
本も、
5本も送っていただいてるんです。
ね、
そんなんも含めて、
今、
興味あることやったりとか、
もう、
特に僕が今、
興味出てきたこと、
ちょっと前に興味あって、
見てたんです、
みたいな感じ。
なんや、
やっぱちょっとどっか共通ってあるような気がして、
これがやっぱりありがたいことに、
うれしいんですよね。
なんやろね。
ちょっとなんかね、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんていうか、
ちょっとなんかね、
こう笑顔になるというんですか。
こんな、
まあね、
そういう気分にさせていただいただけでも、
結構幸せなことですな、
という大いなる愛ですね。
というふうに、
思うわけでございます。
みなさんは、
どう思うでしょうか。