TALENT TALK。才能が見つかれば、仕事も人生もうまくいく。この番組では、一人一人に秘められた才能を見つけ、その才能を活かして、自分らしい仕事や人生を作っていくためのヒントを発信していきます。
こんにちは、パーソナリティを務めます株式会社タレント代表の高千恒こと佐野孝司です。
野村 同じくパーソナリティを務めますポッドキャストプロデューターの野村孝文です。TALENT TALKシーズン3第15回です。よろしくお願いします。
前回、賢さについての話で、賢さと語る上では、AIがどうなるかという点を避けては通れないですね。なので、その議論になりました。
そうですね。そして、今を楽しむのがいいんじゃないかということにも話しましたね。
これはね、もうね、真理。真理オブ真理だと思う。
そうですね。未来思考よりも現在思考の方が価値があるようになってきたのが面白いですよね。
あ、それ面白いですね。結構転換ですね。
転換だと思います。
基本的に資本主義社会って、未来のために今を我慢するっていうのが資本主義社会の一番根幹にあったんですよね。
そうですね。リターンを得るためにですよね。
そうなんですよ。だから、今お金使わずに未来のために投資をしよう。貯金をして投資をしようみたいな話だったり。
あとあれですよね。何か約束事を守るっていうのも、今怠けたい、寝たい、遊びたいを我慢して、将来の自分の信頼というもののために約束事を守るっていうのが資本主義社会の特徴だったんですけど。
だんだんとそれが今を楽しむ方にいった方がいいんじゃないかと。
変わってきたんじゃないかという推測ですね。
そうですね。
それは面白いですね。私最近いきなり雑談から始まりますけど、企画を考える上で、より自分の企画の考え方がマーケットインからプロダクトアウト的になってきたんですよ。
そうなんですね。
つまり、両方見てってバランスを取ってるのは前提なんですけど、これがニーズがありそうだなっていうところよりも、自分がこれを面白いと思うかどうかの方に、最近ちょっと上とか傾き始めていて。
でも野村さん最近、好きなものに対してもっと言っていきますってFacebook投稿されてらっしゃいましたので。
ありがとうございます。見ていただいて。
そうなんですよ。
なんで、それが何故なのかなみたいなことが、そこまではっきりと言語化できなかったんですけど、AIの影響が大きいかもしれないですね。
そうですよね。
AIが代替してくれますからね、マーケットインだって。
そうなんですよ。マーケットインは代替されるなと思いました。
だから、人間に残るのは個人の好みしかない感じがしていて。
僕も本当に思います。社会のためって何なのかなって思うと、個人の欲求を満たす活動なんじゃないかなって。
その感じますよね。
昔、ポンジュの監督が何だっけ、最も個人的なものが最もクリエイティブなものなんだみたいな。
いい言葉ですね。
パラサイトっていう映画の監督が、確か受賞インタビューでそんなことをおっしゃったと思うんですけど、
なんかよりそんな色彩は強くなった感じは最近しますね。
そうですよね。
ということで、今回のテーマ教えてもらっていいですか。
本日は、普通とは何か。誰が普通を決めるのか。枠からはみ出すことは普通ではないのか。というテーマです。
このタイトルを持ってきた背景としては、先日友人の経営者が普通って何だ?っていうのを展示会されていらっしゃって、
この会社は新規事業をコンサルティングしていたりとか、
あとインタビュー調査とかをしている会社なんですけども、
そこの展示会を見た時に、みんなの普通って何?っていうところからスタートしていって、
僕の解釈ですけど、いろんな普通についての統計分析がいっぱい載ってたんですよ。
例えば、あなたは何時に寝る?とか、あなたはスマホの充電が何%以下になると危機を感じる?みたいな。
僕は3%くらいなんですよ。危機を感じるのって。
それは結構ギリギリだから。
別に都道府県内にどっかチャージスポットあると思ってますし、1%でもチャージスポット走れば間に合うし。
なるほど。
そうしたら自分7%だったんですよ、それが。
7%もいるんだとか。
普通が7%だったんですね。
じゃなくてその3%以下ぐらいが危ないと思う人が7%くらいで、
少数派ですけど他にもいるんだなーって思ったりとか、
自分にとっての普通は相手にとって普通じゃない。
つまりそれ個性なんじゃないかっていうのを気づかされたんですよね。
野村さんにとっての普通と僕にとっての普通って絶対違うじゃないですか。
だから普通ってすべきっていうことではなくて、
普通は自分がいつも当たり前に思っていることで、
相手に強制するものでもなく違いなんだなっていうのはちょっと面白かったんですよ。
でもなんか普通普通って、自分子供の時大人から言われた経験ってないですか。
ありますあります。すっごいあります。
ありますよね。
うん、ある。
し、なんていうかそれに沿うことが何となくの正解とされてきた感じはしますよね。
しますよね。
うん、すごいします。
そうですよね。それに対してその時野村さんは普通がこうする予定だった時って反発心とかありました?
ありました。
私は素直な子だったんですよ。
素晴らしい。
うん、もう本当に素直な子で、いやーそんなことはみんな普通しないよって言われたら、
しないのかと思って。
え、可愛すぎる。
いや、そのなんていうか、あの欠陥に。
なんかちょっとイメージがめっちゃできました。
あ、できました?
はい。
あ、そうっすか。
はい。
その欠陥に30ぐらいでやっと気づき始めましたよ。
30、遅い。
ほんとにこれマジで。
遅いっすね。
遅い、遅くないですか。
でもね、ほんとたぶん心のどっかに、たぶんずっとその普通というものはある意味いいというか、
みんな思ってることはこっちなんだみたいなことをゼトする気持ちが自分にはあったんですよね。
あったんですけど、これどっかで言ったかもしれないですけど、
一旦キャリア的にそうじゃないと自分が思うコースに外れてからの方が楽しくなったんで。
あー。
キャリア的にですね。
普通じゃなくなってきたんですね。
普通じゃなくなってきた。
世間で言う普通のコースから外れる時に楽しくなり始めたんで、
こっちのがいいんだみたいな風に、今は結構腹落ちして思ってるっていう感じですね。
そういうことですね。
だから一般的じゃない普通を経験することによって、
普通じゃなくていいんだって認識に変わっていったんですね。
そうそうそう。
それまではやっぱり、どっか意思の力を持って普通じゃないルートを選ぶっていうこともあったんだけど、
やっぱどっか緊張していたというか、こんなことしていいのかなみたいな、本心では思っていたんだけど、
本心から別に外れていいやって思い始めたのが、それくらいの時期っていう感じですね。
やっぱりバイエスを外す経験をしないと、普通という囚われからは抜け出すことって難しいのかもしれないですよね。
なんかその気がしますね。
タカチンさんはどうだったんですか?子供の頃にこれが普通だよって言われて何を思っていたんですか?
まあでも僕も大学生くらいまで多分思ってなかったんですよ。
普通っていうものもあって、大学に行くほうがいいみたいなのあったと思うんですけど、
でも人よりもできないことが多かったんで、
なんか普通はこうだよって言われることがめちゃくちゃ負けたくないって思いから嫌だったんだと思います。
なんか普通って訳に当てはめられると負けちゃうんですよ。
みんなと違うところで飛び抜けたほうが、自分だけポジション取れるじゃないですか。
そっちのほうが生き残れたんで、これが自分にとっては生きやすいと思ってたから、
普通だからこうしなさいって言われたら、めっちゃ嫌だって思ってました。
普通が嫌なんじゃなくて、普通の中で負けることが嫌だったんで。
負けたくないみたいなところから、多分普通じゃない人生を選び始めていて、
大人になってから経営者の友人とか起業家になってから、
それって経営者として普通じゃないよねって言葉にめっちゃ腹が立った記憶が1回だけあって、
自分の経営スタイルをめちゃくちゃバカにされたんですよ。
その時に、あなたの経営者スタイルでしょってめっちゃ思って、
結構すごい方だったんで、その枠に当てはめられた時に猛烈に怒りを感じて、
めっちゃ経営者たると思って調べたんですよ。
しかも経営者ってものに定義がなさすぎて、やっぱ普通ないじゃんってすごく思いまして。
経営者ほど一番普通ってないじゃんって思って、
久々にそれは30歳ぐらいになって、普通ってことに対して敏感になった。
未だに記憶に残ってくることはありますね。
そうですよね。
いやでも今の話面白くて、多分経営者って別に普通じゃない、一番ない人種の一つだと思うんですよね。
なんですけど、地位が出てくるとか、その年数が経ってくると、
なんとなく多分その経営者こうあるべきみたいなのが、個人の中では固まってくると思うんですよ。
多分それは成功体験によっても多分影響してくると思うんですけど、
それとは全く別のルートで何かをやってる人に言うと、
いや普通はこうするよねみたいな風に思っちゃうんだろうなって思いました。今の話聞いて。
そうなんですよね。
自分にある程度の型が決まってきたりとか、成功パターンが見えてきたりとか、
同じコミュニティに所属してる場合って結構それを感じやすいんじゃないかなって。
バラバラなコミュニティに所属してると、普通がないことは改めて実感させられるんで。
そこがなんか、どっちがいいのか分かんないですけど、
自分は普通というものをあんまり人にラベリングして、
型にはめるっていうのは、されるのも好きじゃないし、するのも好きじゃないなっていう肌なという風に思いますね。
ちょっとその普通っていうことについて思ったことを言うと、
まず一般的にはその普通点じゃないんですけど、
世間がある程度傾向として思っていること、
思っているだったり、社会的な合意として、
これその法律とかも含めて、それが推奨されることっていうのが普通としてあると思うんですよ。
それが、よりこっちが正しいよねっていうのが確固たる場合と、
なんとなくみんな思ってるんだけど、でもそれも別にそんなに揺らいでるよねみたいな場合に分かれてるとか、
グラデーションがある気がするんですよね。
普通に書かれていることは基本守らなきゃいけないと思うんですよ。
法治国家に生きている以上は守らなきゃいけなくて、もちろんその法律も変えられるものなんで、
法律を疑うってことも重要な態度なんですけど、
盗んじゃいけないとかはまあ多分古今東西、ここでもそうなんだろうなみたいなことはあると思うんですよね。
ただ一方で、なんか例えば最近すごい溶けてる例で言うと、
男性とはこうあるべきとか、女性とはこうあるべき、普通こうだよねっていうのは、
これはもう特にあんまり根拠がなかったっていうのが割と最近出てきていることだと思うんで、
そこはまあその普通と言われるものの中でも相当なんかこう、
どっちが黒でどっちが白か知らないですけど、ゆるい寄りの普通みたいなイメージはあるんですよね。
で、普通という概念にも一応こうなんていうか、存在意義はあるとは思っていて、
毎回毎回多分その前提を疑うことに対して、我々は考えきれないと思うんですよね。
コストを払いきれないというか、
つまり一定ラインは思考停止しないと日常生活が遅れないんじゃないかと思っていて、
だからある程度社会の合意として、ここは普通ですよね。
つまり何も考えずにこの行動をとってくださいっていうラインが一定数あるのかなと思ってるんですよ。
ただそれが現代になるにつれて、そのラインがこうなんていうか、広がってる?狭まってる?どっちだろう?
つまり普通、そもそも疑った方がいい普通のラインが増えている感じみたいなイメージで捉えてますかね。
まあ確かにそうかもしれないですね。
普通という定義は緩くなってきましたからね。
緩くなってる感じがしますね。
まあでも確かに普通ってどういうことなのかっていうと、
そこのコミュニティの暗黙値のルールみたいなものなのかもしれなくて、
前々回の回とかで話しましたかね、
なんか自分に合ったコミュニティを選んでいけば最終的にはいいのかなと思うんですけど、
でもなんかもし才能を生かしたいなら、普通という言葉を投げかける人には注意をした方がいいのかなって思います。
あなたの才能を殺してる可能性があるよね。
まあなんかはめ込まれてる感じはありますよね。
特定の枠組みに。
そうですね。
まあでもそれが気持ちいいっていうか、ちょうどいい環境の人もいますけどね。
そうですね。そこもそうなんでしょうね。
受け入れられるか受け入れられないかの違いかもしれなくて、
自分の場合は極端なんで普通とかやれるとすごい苦手ですけど、
まあでも普通って言われても別にその気にしないわっていう人は別にあんま何でもいいのかもしれないですけどね。
そうですね。
多分その前提を疑うことはコストなんですよね。
脳のリソースを使うんで、ある一定割合の人にとっては、
多分そこは思考停止した方が心地がいいはずなんですよ。
ただ一方で残りの一定割合の人にとっては、その思考停止自体が多分不快なんですよね。
なんでみんなこれやってんだろうみたいな風になるから、
その場合は前提を疑った方がいいかなって感じはしましたね。
そうですね。
以前とある方がFacebook投稿で面白いなと思ったのが、
そのメタ認知をめっちゃできる人は、逆にメタ認知ができない人のフィールドで戦ってはいけないって書いてあったんですよ。
何が言いたいかというと、
営業とかで営業目標100万とか言ってそこに達成するのって、
メタ認知するよりかは、100万って言って、100万のために全て注ぐって言って、
バーンってやった方がいいじゃないですか直球で。
メタ認知が高すぎる人って、100万かはそもそも100万という目標正しいのかみたいな風に入って、
アートコート行ってる間に抜かされて100万は達成されちゃって、
欠けてたりするわけですよ。
だからそもそも系と直球系って、フィールドを変えて戦い方変えたりとかポジション変えたりとかしてないと、
あんまり同じ土俵で戦うともったいないことあるよねって書かれてて、
そのケースあるなと思ってて。
だから普通はこうなんだってそのまま思える人は、そのまま直球に行ってもいいかもしれないですね。
これはね、でもそうなんですよね。
なんか不思議なことに前提を疑わずにそのまま突っ込んだ人の方が、
成果とか結果を何で測るかっていうのもセンサーは別なんですけど、
ある軸においては成果が出ている場合もあるじゃないですか。
単発的には絶対そっちの方が成果出ますからね。
そうか。だからむしろそっちの場合の方が多いわけですね。
確かにそうですね。営業とかもそうですもんね。
そうですね。自分もなんでそっち側に生きれなかったんだろうってめっちゃ何回も悔やんだことあります。
なるほど。
なんかメタ認知しすぎるが故に、結果的に不器用な生き方してるなって思うことすごい日々あるんですよね。
そうですね。なるほどね。
こっちの可能性もある、こっちの可能性もある、でもこれもいいかなみたいな。
なんか考えすぎて全然進んでないですよみたいな。
そうですね。これは面白いですよね。
何だろうね、アリの8割2割もそうかもしれないですし、
多分集団の中で埋め込まれてるんだろうなって感じはするんですよね。
そうですよね。
個体として我々がどんな特性かっていうのはあんまコントロールできない感じがしていて、
こういう個体になっちゃったんでも受け入れてくださいと。
なのでその癖を生かして自分にとって望ましい人生を歩んでくださいとしか言われてない気がするんですけど、
集団においてはこういう個体がいるっていうのは意味があるような感じがするんですよね。
そうですね。もちろん絶対必要ですからね。
みんなが特定の餌ばっかり運んじゃうと、一つの環境変化でみんな死ぬみたいなことが起きますからね。
そうですね。でも変異させてしまうと、その人はいじめられたり省かれたり、むしろ殺されてしまったりとかするし、難しいですよね。
そうなんですよね。
なんでね、普通っていうのは結構捉え方が割と人によって分かれて、だからあれなんだろうな、最後ここに返ってくるんだけど、
自分がその普通というものをどう認識してるか、どう感じてるかによって行動を変えた方がいいんでしょうね、きっと。
そうですね。多分皆さん自分の基準の普通を持ってると思ってて、僕も才能という基準の普通を持っちゃってるんで、
みんなそれぞれだよねっていう普通を持ってて、でもそれぞれだよねっていう一個の括弧たる価値観なんで、哲学思考なんで、
これってでもある意味人に対してそれを押し付けてるんだろうなって思うので、究極その答えはないから、
自分に対しての普通をラベリングしたとして、その相手に押し付ける普通っていうのは、ちょっとそれを好きか嫌いかはちゃんと自分が把握しておいた方がいいと思います。
そうですよね。特定のその軸を信じることが自分にとって一番いいんだっていう人もいるわけですよね。
僕すごく身近な存在に普通を逆に好きで生きてる人がいるんですけど、その方を見てると幸せそうだなって思うんですよ。
何も疑って、すごくピュアに生きてるから、その人にメタ認知を与えたら副作用が起きて苦しくなるんじゃないかなってすごい思うこともあります。
だからその普通っていうことが良い悪いじゃないんだなっていうのは、ちょっと今日話して改めて気づかされました。
今与えられてる目標に突っ込むか、もしくはその目標ってそもそもこれ本当にそうなの?みたいなふうに疑うかっていうのって、
みんな脳の回路が2つある感じがするんですよ。どっちの傾向が強いかみたいな感じで、
たかちんさんは絶対にそもそもこの目標ってどうなの?っていう回路が強そうな感じはしたんですよね。
で、私は前半チラッと触れたんですけど、ある年齢までは割と多分目標に突っ込むタイプだったんだけど、
ある年齢からあれって気づいたみたいなタイプなんですよね。
これ難しいんですけど、とはいえ、あれって気づくことによって失っているものもいっぱいあるんで、
まあ言葉は悪いですけど思考停止した方が正解だったっていう時もあるんで、