TALENT TALK 才能が見つかれば、仕事も人生もうまくいく。この番組では、一人一人に秘められた才能を見つけ、その才能を生かして、自分らしい仕事や人生を作っていくためのヒントを発信していきます。
こんにちは、パーソナリティを染めます株式会社タレント代表のタカチンこと佐野孝史です。
野村 同じくパーソナリティを染めます音声プロデューサーの野村孝史です。TALENT TALK シーズン2 第28回です。よろしくお願いします。
前回、前編ということで野村さんの人生についてたくさん聞かせていただいたんですけれども、後編はですね、ここからさらに野村さんの直近に近い大人になってからの野村さんをどんどん深掘っていきたいなというふうに思っていまして、さらにたくさん聞かせてください。
野村 すいません、本当にね、1回で終わるつもりが2回になってしまいました。
いえいえいえ、すごい楽しいので、さらに深掘りをさせていただければと思います。
じゃあ出版業界入ってコンサルの仕事に就くわけですが、その時は何で転職しようって思ったんですか?
野村 当時の出版業界はやっぱり陰りが見えていたというか、もう陰ってたんですね。今はもっと厳しいんですけど、会社の業績としても、これは別に私の勧めた会社が悪いっていうよりも、出版業界全体として基本的にはもうどんどんどんどん売上が下がっていて、
本が売れないとか雑誌が売れないっていうようなことがあったと。だからやっぱりケスさんとかその事業報告を見ていても、大前年比今年は90何%着地しましたみたいな、そういう報告がやっぱり続いていたんですよ。
やっぱり下り坂の業界にいると思うのは、自分のキャリアってこのままでいいのかなっていうのをやっぱりすごい思ってしまって、やってる仕事はすごい楽しかった。
つまり人に話を聞いて、それを文章にまとめるっていう仕事はすごい楽しかったんですけど、これだけやってると自分のキャリアはどこかで頭打ちになるなってことを思って、
コンテンツというかそういうふうに文章が書けるっていうのと同じくらいビジネスを知らないとなと思ったんですね。
ビジネスが知れるところってどこだろうと思った時に、今考えたらもうちょっといろんな選択肢があったんですけど、当時は短絡的にコンサル業界なんじゃないかと思って、
コンサルティングファームを、これも非常に就職偏差的ですけど、難しいと言われるところから順番にお問い合わせ窓口に連絡していって、
そうしたらほとんど書類落ちだったんですけど、たまたま面接に呼んでくれたのがボストンコンサルティングで、何回か面接をしていったらなんとオファーもくれちゃって、
結構マジかよと思ったんですけど、だったらもうちょっと行くかと思って、転職したっていう感じですね。
確かにコンサルティングファームはいろんな業界をいろんなビジネスを知れますもんね、だから出版業界と似てますよね、そういう意味ではね。
そうなんですよね、コンサル業界の若手コンサルタントの主要な業務の一つがリサーチ、つまり情報収集なんですよね。
それはインターネット上で公開情報を見つけてくるっていうのはもちろんそうなんですけど、関係者にヒアリングをしていって、その会社で本当に実際に起きていることっていうのを探っていくみたいな話があって、
そこのヒアリングの能力に関してはもうインタビューをずっと雑誌編集者としてやっていたんで、そこは変われたと思いますね、多分面接とか。
そうですね、確かに。 でもそのビジネス構造への理解とかはもう全然なかったから、だからそこだけ一芸で多分変われて、他は頑張ってキャッチアップしてくださいっていうような当時人事の人は思いだったんでしょうけど、やっぱり入ってからはすごい苦労しましたね。
いや中途でコンサル経験ない人が外資のコンサル入るって凄まじいなって、僕が同じ立場だったらちょっと吐きそうになりますね。
実際ね、超大変でしたね、もう全然機能しなかったですね、劣等生でしたね。
結果的に何年ぐらい勤められたんですか、そこは。 もう1年数ヶ月ぐらいでしたね。
でもちょっと合わないなって思ったんですか、そのタイミングで。
だいたいその1年ぐらいやると、若手コンサルタントとしての基本的な動作が身につくんですよ。
それはヒアリングしかり、モデリングっていう事業計画とかを書くときに必要な数値の管理とか、アンケート分析とか、あと何がイシューかみたいな、どこを今回掘っていくべきかみたいな話とか、
そういう基本的な若手コンサルとしての能力が身につくのが1年ぐらいで、その時に雑誌編集者とコンサルタントの両方やって、
これはメディアの方が向いてるわと思って、ちょっとメディアに変えろっていうふうに思ったっていう感じですね。
ウェブメディアをやっているニュースピックスに転職したわけですね。
そうそうそう、でその時に、これたまたまだったんですけど、ニュースピックスの当時の編集長の人が、私出版社時代の知り合いで、
そうなんですか。
私がフェイスブックに何かしらの文章を書いた記憶があって、最近のメディア業界はこんな風になってるみたいな文章だったか、こんなインプットしてるみたいな話だったか、ちょっと忘れましたけど、
それを見て結構面白いなと思ってくれたみたいで、当時ちょうど編集部が立ち上がって半年ぐらいのタイミングだったんですよ。
でその時に、今こういうのが立ち上がったんで、よかったら来ませんかって言ってくださって、でもうちょうどメディアに帰ろうかなと思っていたんで、
じゃあ行きますって話をしてニュースピックスに入ったって感じですね。
立ち上げ機は楽しいですよね。
そうだからこれもだからラッキーでしたね。立ち上げ機に声をかけてもらって、もちろんその後いっぱい人が入ってきたんですよ。
野球の例えが伝わるかわかんないですけど、すごいスタープレイヤーが続々と入ってくるチームみたいなそんな感じになって。
でまあ自分はその比較的前の方からいたんで、やっぱそのポジションを維持するために必死みたいな。
常に自分よりも上位互換の人が入ってくるみたいな、そんな感じの環境でしたね。
まあでも野村さんも上位互換だったんじゃないですかみんなからしたら。
野球 いやそんなことないです。当時は20代後半で、フラットに今見ても多分戦力としては波ぐらい。
だから全然その上の方の戦力じゃなくて、人に話を聞いて文章を書くっていう基本的なことはできたんだけど、
メディアの人のやっぱり能力ってそんだけじゃないんですよね。比較力とか人脈とか、本当にいろんな能力があって、
でやっぱこう優れたものを書く人は私なんかよりも全然くらいものにならないぐらい、すごいものを書いていたんですよ。
で当時その編集長副編集長そういう立場にいらっしゃった方々も、やっぱ自分とは全然くらいものにならないぐらいの優れたものを書いていたから、
やっぱ能力的には並でしたね、当時編集部の中では。
そうなんですね。でも結果的にはすごい楽しいニュースピックス時代を過ごされてると思うんですけど、
ニュースピックスで自分が一番生き生きしてて一番発揮してたなっていうタイミングでありましたか。
なんでしょうね。まず大変だったんだけど、今に生きてるなっていうタイミングは、
それこそ30歳ぐらいで単なる文章を書く人じゃなくて、コミュニティ事業みたいなのがニュースピックスで立ち上がって、
それの最初はプロジェクトマネージャー、その後管理職ですね、マネージャーになったんですよ。
で、ほびった話はここでは避けますけど、源頭社さんっていう出版社とニュースピックスが組んだプロジェクトで、
今は非常に人気の方ですけど、例えば源頭社のミノワさんとか、そういった方々がまだ無名な頃に一緒にやってたんですね。
結構同じ釜の飯を食った仲間っていう、私としてはそういう認識を持ってるんですけど、そういうような立ち上げをやっていたっていうのがあって、
その時にコンテンツを作るっていう仕事もやれば、もう自らイベントの現場に立つみたいな仕事もやったり、
そのチームメンバーをマネジメントしていって、エンジニアさんとかデザイナーさんとか、職種が違う人にも動いてもらうみたいなこともやったりとか、
あともちろん売上責任も持ってるみたいな、そういう感じだったんですよ。
で、めちゃめちゃ役割が多くて、超大変だったんですけど、そこで結構自分の能力が急速に開発されていったっていうのが、たぶん今に繋がってる話。
で、結構楽しかったのは、辞める直前最後2年ぐらい、音声コンテンツ事業っていうのを何とか会社の中で立ち上げられないかっていうのをトライしてたんですね。
で、それは元々その音声コンテンツっていうのは、私リスナーとして好きで、当時のニュースピックス社はテキストと動画がメインの会社だったんですけど、
なんとかその第三の柱として音声を育てられないかと思ってトライさせてもらったんですね。
とはいえ、その100%私のリソースをそこに貼るわけにはいかなかったんで、20%ぐらいの時間を使って音声コンテンツの立ち上げに挑戦するっていうのをやったんですよ。
で、それはやっぱり生きてる実感がすごいあったというか、結局ちょっと会社の中の事業としては厳しいねって話になって、それ以上の追加投資がされなかったんですけど、
でもなんでしょうね、手触り感を持ってやれたっていう感じですよね。これはもう自分が伸ばしきらなきゃいけないみたいな、結局伸ばせなかったんですけど、なんかその充実感はありましたね。
今まで学んできて知的好奇心で得てきたインプットをその後半戦でだいぶアウトプットに切り替えてやることで、結構今までの知識をフルセットで全部使い倒して成長してったなっていう感じを得られてた感じなんですかね。
そうですね、そのコミュニティ事業、ニュースピクサーアカデミアって言うんですけど、その事業のマネージャーやってる頃から基本的に過去の自分の人生の中で少しでも触れたもの、つまり使えるものは何でも使うっていうような、そういうメンタリティーになったんですよね。
なんで多分その事業私がプロジェクトマネージャーやらないって言われたかっていうと、多分それはボスコンの時の経験だなと思っていて、取材していいものを書ける人っていうのは編集部にたくさんいたんですけど、マネジメントが多少できそうだっていう人がその中ですごい少なかったんですよ。
僕もそっち変わったかもしれないですね。総合型なんですけど今聞いて安心しました。
多分神山さんがおっしゃってるんで間違いないと思いますけど。 そうですね僕もリスペクトしてる経営者の中のトップオブトップで神山さんすごいので。
そうですよね本当にすごい方だと思ってますけど。 すごいですよね。
であとは会社にいるとどうしても特定の軸で目標設定して特定の軸で評価されざるを得ないんですよ。
確かにそうですね。 絶対そうじゃないですか。例えば営業マンだったらどんだけ売れたのって話だし、記事を書く人だったらそれがどれくらい書いてどれくらい読まれたかって話になるわけじゃないですか。
あと経理の人だったら多分どれくらい考数が削減できたとかミスが少なかったみたいな話になりますよね。
その軸だけで評価した時に自分の能力がその軸に合わないなと思う瞬間が誰にでもあると思うんですね。
例えば私の場合で言うと本当に突き抜けた一発でうわこれはすげえやみたいなコンテンツを会社員自体に生み出していたかっていうと多分そんなことはなくて、
どっちかっていうと私の強みはコンテンツの安定供給だったんですよ。そのリソース管理が得意っていう話をどっかでしたと思うんですけど、
みんなが割と疲れちゃってる時も私だけは淡々と一定のレベルで一定のクオリティのものを出し続けるっていうのが得意だったんですね。
なんだけどでもその評価軸はやっぱり目立つコンテンツをどんだけ作ったかっていう方が強いっていうのがどうしてもあったんですね当時の組織は。
その時に今この立場だと別に一個一個がめちゃめちゃ尖ってなくても一定クオリティで継続していいものを出せるっていう能力が生きるんですよね。
そういう商売をすればいいんで。つまり一発で当てるっていうビジネスモデルじゃない継続してなんぼっていうビジネスモデルを選択すればその強みが生きるんですよ。
そこはおそらく会社員だとコントロールできない部分で独立して自分で会社をやり始めるとやっとコントロールできる部分かなと思ったんですね。
だからその点ではすごく向いてたなって思いました。
この先やっていきたいこととしてはこれポッドキャストが何で今有望なのかそして思いを持ってるのかって話まではしなかったですけど非常に私はその思いを持ってやってるわけなんですよ。
ポッドキャストという市場に対してこれは結構本気で日本に必要だと思ってるんですね。
現代人ですね本当に情報型時代を生きる疲れた現代人にとって音声コンテンツっていうのは非常に有用なもの価値のあるものだと思っていて。
だからそれっていうのをそのもっと発信する側も聞く側も増やしていきたい。
少なくともアメリカぐらいの市場規模まで増やしていきたいっていう話とその中で経済とビジネスそして教養だったらアクロニクルっていうところが作ってるものは間違いないよっていう風に最初に早期される存在になりたい。
っていうのがこの先やっていきたいことですね。
もうなるんじゃないですか。なってますよね。
いやいや道仲間ですよ本当に。これを聞いてくださるリスナーさんは知ってくださってる方はいらっしゃるかもしれないですけどまだまだ世間的には道仲間なんでそれをやらなきゃなと思ってますけどね。
どうしてそれをクロニクルが教養とかビジネスの世界での発信者であるということに目指しているのかっていうのと日本でその市場を拡大させるのかに対するワイは何ですか。
ワイはね多分これはね地の部分と関係してるんですけどやっぱりね知らない話を聞きたいんですよ私。知らない話は聞きたくて何これっていう世界をやっぱり知りたいんですよね。
めちゃくちゃタレントプレーナーですね。才能生かした企業家ですね。自分のやりたいことビルを尊重された企業されてるんですね。
そうですね。でその時に自分たちがある程度そのコンテンツ界の中で影響力を持った存在に慣れているとまずそもそも多分その面白いものをリスナーさん受け手の方々に提供できると思ってるんですよ。
そういう価値の発揮のさせ方ができると思っていて。で一方でもともと面白い生き方をしている方、つまりコンテンツで言うと現役というか素材というか素材というのは言葉悪いですけど、
そういう方々もここでやってもらうとその方にとって何か良いことがあるっていうような状態が作れると思うんですね。具体的には影響力っていう意味で。
だからその方々とも結構ウインウインに組めるしリスナーさん受け手の方々にとっても良いものが提供できるっていうようなそういう立場になれると思っていて。
だからそこはやっぱりこう目指したいところ。双方に価値がはっきりきるから目指していきたいなと思ってますね。
まあ確かに間違いないですよね。どんどんどんどんこういうメディアが増えていけばもっとたくさんの皆さんの選択肢が増えるし、選択肢が増えると自分でやりたいことが見つかる上に自分が活かされる環境も見つかっていくじゃないですか。
そうですね。 なので本当に良い社会になっていきますよね。
そうなんですよね。やっぱりその自分はものを作るっていう出自なんで、これちょっと込みって話になりますけど、プラットフォームの発想とちょっと違うんですよね。
プラットフォームを作りたいっていう方はいらっしゃるんですけど、それだとその上で自由にみんなが動いてもらうようにみたいな風に発想はいくんだけど、私の場合はやっぱり自分の目利きもある程度ありながら、
でもこの人は本当に世に問うべきだなとか面白いなっていう方をちゃんとですね、人々に届けるようなそういう仕事がしたいなっていう風に思ってますね。
プラットフォームってコンテンツあんま育たないこと多いと僕は思ってまして、誰かがやっぱりキュレーションしたりまとめたり、面白く引き出すっていうことがすごい重要だったと思うので、じゃないと良いプラットフォームは最終的に築けないと思うんですよね。
そうですね。両輪だと思うんですよね本当に。 確かに。
コンテンツだけ作っててもプラットフォームが適切じゃないと届かないし、でもプラットフォームだけあっても中身がないとダメっていう。
私の場合は多分そのコンテンツの方が脳みそとしては大きいかなと思いますね。
すごいちょっともっと聞きたい話はすごいたくさんあったんですけど。
1時間近く行っちゃっていましたね。 あっという間に50分も喋りましたね。
この回こんな長くていいのかな。
分かんないです。切り方はちょっとお任せするんですけど、一本にするのか、真ん中にするのか、半分にするのか。
でも野村さんのことがより分かったのと、多分リスナーの皆さんも何者なのかなって知らない人たちは少しだけ野村さんの人生が垣間見れたんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。ちょっと何らかのメッセージになってればいいなと思いますけどね。
僕はすごい学びになりましたよ。選択肢を広げていくっていう人生だったりとか、掛け算をしていくだったりとか、興味を持つとか、あとは運ですけどねって言いながらもやっぱり野村さんが引き寄せた行動の結果なのかなって感じてましたし、掛け算の仕方、そしてたくさん学ぶ時期と才能を生かす時期っていうのが2つ違ったんじゃないかなって。