どうも、大事なムダ話をしようです。この番組は、地域で挑戦している人から日々の気づきを学び、それをみんなの共有財産として残していきたいという番組です。
ムダ話のように見えても、実はそこが結構大事だったりするので、緩く始めていきましょう。
はい、どうもよろしくお願いします。 今回は金沢市の方で
公民館の主事をされている川田さんからお話を伺いました。 今回めちゃくちゃ興味深くて
予定時間をですね、少しオーバーしていろいろ話し聞かせてもらいました。 やっぱり公民館って
どういうイメージ皆さん持たれているかわかんないですけど、 ちょっと地味だったり高齢者の集まりがある施設
ぐらいのイメージだったりすると思うんですよね。 だけど
実は これからの社会においての居場所づくりのすごい可能性を秘めているような
そういう位置づけになるんじゃないかなと思って 話を聞いてきました。
正直驚いた部分もあったし だからこそちょっとこれからいろいろ変えていったら面白いよねみたいな話も
して非常に有意義な時間になりました。 それではお聞きください。
本日は極実公民館主事の川田さんにお話を伺います。よろしくお願いします。
すみません、お忙しいな。 ちょっと予定時間から僕が遅れてしまいまして。
変わらず 金沢のちょっと山の方を走ってきてすごいいい感じの
山の中の 情緒ある感じの場所で。木造校舎なんですよね。
木造校舎です。昭和29年に建った木造校舎です。
それを今公民館として使っているんですよね。
学校だったのがちょうど10年前ですから 10年前の3月に閉校して2年間使い道がなく放置されていて
平成29年に私が入りました。主事として。 その時に公民館も
移りました。 同時に移ってきたんですか。同時に移ってきたんです。
平成29年? 平成29年。
今令和何年だから。 ちょうど私が主事になって9年目です。
そうなんですね。 自分がちょっと関わらせてもらうようになってまだ1、2年とかじゃないですか。
その間がっつりコロナの時もあるんで。 そうですね。
そうでしたね。僕最初に 見に来た時ってまだコロナ終わりかけぐらいでした。
そうだったかもしれない。
ここのこの木造校舎の感じがすごい 懐かしい。
けど今あえて見ると すごい新しく見えてここでイベントというか普段やってる自分の活動をしたいなと思って貸してもらったっていうのが。
多分私思ったのは 自分ではご自分では気づいてないかもしれないんですけども
新しい学びとか新しい子供たちの場所みたいのをいつも探してるじゃないですか。 そうですね。
コンクリートじゃない学校っていうのが 子供の居場所としてすごく
マッチングしたんじゃないかなと 案に陰で思ってました。
そうなんですね。 そうかもしれないですよね。
違う形、違う形、何か違うことをって考えてらっしゃったと思うんですけど。 そうですね。
自分のイメージする学校と違う学校っていうのが魅力だったのかなぁと思っていました。
確かにそれまでやっぱり既存の市内の公共施設とかを
使っててそれもいいんですけど そうじゃないなんか自分のこの活動的にやっぱりその豊かさとか
子供たちが普段と日常の中の非日常じゃないですけど なんか感じてもらえたらなというのは多分ずっと思ってて
だけどなかなか普段その自分が生活している テリトリーの中では
そもそもそういう環境がなかなか見つけづらいし そんな時に紹介してもらってきたら
子供に関わっている方々は特に魅力を強く感じるみたいな気がします。
子供の学びとか子供の悩みとか 子供と学校との関係みたいなことに関わっている方が特に
いいですねここはっておっしゃってくださるような 気がします。ここ2,3年
だと思いますよね この木の歩いたらきしむ音とかも
僕たぶんギリギリかもしれないですけど世代的に自分が小学校低学年とか 小学生時代の雰囲気昭和のがまだ残ってるじゃないですか
僕今43ですけど 今まさにねそのコアな働く人たちのコアな年代よりちょっと上ぐらいの人たちは
言ったら子育て世代だから自分の子供たちにこういう雰囲気味わってもらいたいみたいなのが 多いかもしれないですよ
多いと思います それもあって多分教育的なイベントここでよくやってますもんね
そういうので使わせてもらってこうやってがっつり話すのは初めてです。そうですね ありがたいです
全然公民間関係者ではない方がこの社会教育っていう すごく地味で
全くお金にならず なおかつでも私が思うのは空気のように形はないんだけれども人間にとって大切なことなんです
いや間違いないです 公民間関係者でもないのに
でもないのに 注目してくださるっていうのがありがたいと感じました
即 ok ですよね もうまさにやっぱり
これも自分も多分5年前とかだったら 全然あの自分の感覚にヒットしなかったと思うんですよね
そういう教育的とか社会的っていう視点からの活動をしだしたから 今改めて気になりだしたっていう気になりだしたら調べるじゃないですか
自分が活動の場所にいつも困ってて1回何回か貸してもらっている中で ちょっと調べたりとかしてたんですよ調べてたら
すごい公民館っていうその建物というか場所ですよね 自体が可能性を含んでいるのにいるのにいるのに調べたら調べるほど
なんでもっと活用しないんだろうみたいのが思ってきて なんでなんだろうって考えてていろいろネットで記事とか調べても
書いてあるは書いてあるんですけどなんか腑に落ちなくて 誰かの話聞けないかなぁと思ったらいると思って
おそらくその 違和感の原因は
よくにつけ足利につけ金沢の金沢方式っていう特殊な ルールだと思います本当ですか僕調べて初めて知りました
金沢方式 金沢方式は地域住民が主体として動くということについては最高なんです
私 インスタグラムとかを通じてズームで
日本全国の公民館の職員さんたちと交流する機会があるんですけれども 金沢市の公民館って
すべての公民館が指定管理なんですよ 社会教育法上
公民館というものは市町村が設置するものなんです なので市町村の自治体直営の公民館っていうのがたくさんあって働いている人も
役所の人という公民館が全国にはすごく多いんですけど 金沢はすべて指定管理
であって私たち公民館職員は全員館長に雇われているんです 館長はそして自営業
金沢市も指定がないというか その土地の有名な人がなってもありっていうことなんですもんね
特殊なとっても自治体なので
本当にもうすっごい都会の すごい直営店直営公民館なんかは
ぶっちゃけこの授業費の予算ってどのぐらいですかって聞いたら
ほぼ100%借金要はもうどんどん講師の先生を呼ぶ もう本当に月に何人何十人という講師の先生を呼んで講座を開く
そこにこれに行きたいわあれに行きたいわっていう住民の皆さんが来る 1年間それを続けて借金予算が500万円ですっていうところもある
都会でもね ただ金沢と違うのは住民主体ではないんです
要は住民はお客様 なるほど
いうのが直営公民館には多い 金沢市はそうではなくて金沢方式ですからもう皆さんが公民館の
要は主体なんです 地域住民の皆さんがその代わり
あのこの地域っていう枠を超えることをすごく嫌いです それはあれですか地域の枠を超えて別の地域の公民館の方と接して何かやる
としてもってことですか 公民館同士のつながりだったとしてもってことですか
基本金沢方式には地元負担というのがあるので自分の暮らしている地域の公民館に それぞれ何百円かしら何千円かの地元負担毎年払ってるんですよ
公民館費として その地元負担があるから金沢市は公民館の館長や職員を勝手に決めることができない
です地元から選ばれた人がやる そのお金を一応毎年
払っているからそこの権限みたいなものが公民館側にある 全く地域外の人がごめんなさいお宅の口座これが素晴らしいのでお金払いますから聞き
たいんですけどってなると私たちは500円だけどあなたは1000円かもよ という空気が
それはやっぱりそのここの地域でやっていることに外から来るからみたいな感じですか 同じ言ったら金沢なか同じ金沢じゃないですか
お互いに行き来できれば別にお互いの利益利益って言い方あれですけどお互いに行き来 できれば別にお互いが得られるものがあるわけだから
いいんじゃないかなってその詳しくない人間からしたら思っちゃう これは本当に金沢市民60歳70歳以上の方に聞くとおそらくほぼ
99.9%がそうよすごい確率ですねそう そうよその通り
そうなんて言う あの金沢方式って言う
しがらみですね
っていい目も確かにありますけど言ったらその都会のさっき言ってたみたいなやり方だと 住民からしたら
カルチャー教室に行く感覚で感覚じゃないですか だけどこっちの金沢のやり方だと
やり方次第ではほんと地域の人たちのその学びのハブになる 場所にできるっていう可能性は秘めてるやり方ではありますよね
ただその その使い方がうまく回ってないって言うだけで
まあもちろん公民館ですから金沢市公民館連合会も その
公民館活動に関するテーゼみたいなのがあるんですね 集うことつながること学ぶこと
集うつながるはどこの公民館も大得意なんですけど 今この令和の時代のつながるって何なんやろ
その
地元普段とか金沢方式でしがらみの中にいる方たちがお互いにつながることなのか それともその枠を超えて新しい学びの
つながりを見つけるということが令和の新しい公民館の形なんじゃないかなぁと 怒られるかもしれないけど私は思ってる
いやきっと これも世代間ギャップかもしれないんですけど
僕らぐらいの世代とかもっと下の世代からしたら それが当たり前というか
いやそれ自分の地元って大事だし つながりは強いのは当然だけど
なんでしょうねそこだけにとどまってたら価値観が固定化されちゃってよくも悪くも もちろんもちろん
別に外から人が入ってきたってその人と仲良くなることは全然あるわけだし それを単純に地域の公民館っていう建物の中で
それをしたらなんかちょっと不運みたくなるのかよくわかんないですよ 例えばその
つながりって 実際に健康寿命を必ず伸ばすんです
これはえっと医学的にも健康上つながる人とつながればつながるほど 高齢者の健康寿命は伸びるんです
そしてなおかつそのつながりが多様で多世代であれば 学びは人生100年時代ずっと続くんです
つながるっていうことによってね けれども
つながりたがらない つながりたがらないんですよ
カートさんから見て なんでだと思いますそれはコンフォートゾーンだと思いますね
コンフォートゾーンという言葉はおかしな自己啓発セミナーとかでもよく使われているので 花沢市および石川県教育委員会は使いたがらないんですけれども
それ以外のうまい言葉が見つからなくて コンフォートゾーンだと思います自分の居心地のいい
つながりに異物が入ってきたり 変化することを嫌う居心地がよくなくなっちゃうから
でその気持ちがすごく強いんですけど
先日 今国立バレエ団の芸術監督をやっている吉田宮子プリンシパルのインタビューを見たんです
彼女は1980年代だったか70年代だったか 間違ったらごめんなさいね
ずーっとプリンシパルをやってたバレエ団から 違うバレエ団に突如移籍したんです
なんでですかって言ったらあまりにも居心地が良くて成長しないと思ったから自分が
というふうに居心地が良い場所っていうのは ものすごく守られた良い空間でありながら
その中にいる限り残念ながら学びは伸びず 物理的に一人減り二人減り
自然消滅することが 今からもう分かっている
変化を嫌い異物を排除しますので
それなんかどっかの国の大統領が言ってるような
なのでそこにプチプチっとちょっとそんな あまりにも大きな変化っていうのは混乱の元になって良くないんですけれども
ちっちゃい日々を入れる
学生サポーターを投入したりとか
学生でなくてもしかも地域の住民であっても公民館役員ではない人をサポーターとしてプイッて入れるとか
本当にちょっと卵を内側から ひよこがピピって穴を開けるように
やることを
徐々に頑張っている 地道っすね
地道なんですよ 本当に地道な戦いなんですけど
それが多分あらゆる公民館の現実
そうなんですよ はっきり言って公民館というものは戦後日本に突如現れたもので昔からあるものではない
そして公民館に日本全国の人たちが熱狂したのはやっぱり昭和20年代から30年代の初め
青年団がもう元気に活躍しとった頃
習ったっていう そうそうそう ただその人たちがそのままコンフォートゾーンを今気づいてる
戦後の戦後日本のまま 気づいたまま70代
80代になっていまだに変化が許さんって言っとるのであればすごく納得いくな
今のそのなかなか前に進まないっていうことの辻褄が合うみたいな感じですよ
だからあの まあ高齢者公民館に来られる年代って高齢者がまあ確かに多いんですけれども
やっぱりそのつながりっていうのは多様で多世代であるほど 学びは深い
いや本当そうだと思います だからえっと令和の新しい公民館っていうイメージでいくならば
えっとそこもどんどんどんどん ちょっと動かしていきたいなぁって
そのよく見る街の公民館で大体似たような形の 感じじゃないですか感じですね中の作りとかもまあ
広くてホールとかがある公民館さんとか 大小それぞれ地域によってあると思いますけどなんとなく一緒じゃないですか
やってる 取り組みも色々調べたら
神奈川市内でもちょっと特徴あることやってる公民館さんもあればあれば その
まあだいたいイメージできる 海欄版の中のチラシで入っているようなのばっかりの
肝心のところもあったりとかないだある公民館主事が恐ろしいこと言ってましたよ どこの公民館で絶対言えないけども
えっと館長がえっと若い方にたくさん公民館 に来て一緒に活動してほしいって言ってるって
いいじゃないですかいいでしょそれをあの 多世代共同ともに働くのねあの協力して働くの
多世代共同を望んでいるのかと思って あなたどうしたらいいと思いますかって言われたから主事もいろいろ考えたんだけれども
結局若い人の意見が聞きたいわけではなく 若い人の手が借りたかっただけ
そういうことですか
それはマンパワーとしてえっと若い人が 必要やっていうことを館長はおっしゃったんであって
あの別に若い人の意見なんて聞きたくない 感覚はいらないと感覚はいらないの自分が力仕事できなくなってきたから
重たいものを運んだりとかっていうようなもんで若い力っていうことだったんですか 本当に例えばじゃあやりますって言って20代大学生を含む20代の人たちが
わーってきて 館長このイベントってこうこうこうしたらいいですよとかね
でここのこのなんとか部会とかっていうのはめんどくさいのでこうこうこうしませんか とかって言われるとそれは聞きたくない
それぐらいの勢いでガンガン来られたら今まで何十年と 脈々とやってきた人たちからしたら
もしかしたら自分たちがやってきたことを全否定されていると思うんじゃないですか そうそうだからもう
死の後の言わず突っ跳ねるみたいな形になっちゃうんじゃないそうなんですよだから うちの公民館なんかでもあの全くこう
今までにない新しいことをやる当然お客様としても 若い人地域外の人がたくさん来るじゃないですか
こういう風景をとても嫌うんですね 自分たちの場所であるのにえっと全く関係ない若い人たちがニコニコ笑いながら
楽しんでいると何か えっと自分の老いを
必要以上に感じるというか なんか必要とされてないんじゃないかか
ああさい生まれるのか あの
すごい 嫌がるんですよねでも私思ったのはえっとね
例えば社会教育って本当にあの講師の先生が来てお話を聞く座学から あの職
それから手仕事 それからそれこそつながりでもうすごい多様にもうどこまででも広がっていくのが社会教育
なんですけど若い人ってあの高齢者のおばあちゃんが作った あのお菓子とかご飯好きですよ
好きだと思いますよあとあの やったことがない手仕事が上手なおばあちゃんからそれどうやるんですかって言って
あんた方やの候補をこうすればいいやみたいに言われるの好きですよ いや
自分のおばあちゃんとかおじいちゃんとかと喋ってる感覚に多分ちっ近いから 若ければ若い方が
全然違和感なく接すると思うってことはどういうことかというと高齢者の皆さんが 自分の本当の価値を
わかってない なるほど例えばこの地域にしてもあの初めて来られた方が自然がいっぱい
あって素敵ですねっておっしゃる 大抵そういう方はこういう場所のことを里山って言うんです
なんかわかりますよ 地域の人が自分が住んでるところ里山って言うのは一回も聞いたことないですから
その本 あのちょっと噛み合わなさ感覚のズレ
ちょっとじゃあついその感覚のズレみたいなちょっと次聞いてってもいいですか 1回