どうも、大事なムダ話をしようです。
この番組は、地域で挑戦している人から日々の気づきを学び、
それをみんなの共有財産として残していきたいという番組です。
ムダ話のように見えても、実はそこが結構大事だったりするので、ゆるく始めていきましょう。
はい、どうも。今回は、金沢市の公民館主事の川田さんからお話を伺っています。
前回に引き続き、その2ですね。
一応全部で3回予定しているんですけども、その2回目ということで、
公民館、地方の公民館のリアルとその持っている可能性についてお話を伺っています。
結構どんどん突っ込んだ話をしていく感じになっていくので、
とても面白い展開になっていくと思います。
それでは続きをお聞きください。
じゃあ後半は、さっきの感覚のずれみたいなもので聞いていきたいんですけど、
先ほどから可能性は高いのに、なかなか活かせていないということも話してきて、
世代間の感覚のずれなのか、この地域としての今までの歴史とかあると思うんですけど、
そういうものの価値観がカチカチに固まっちゃったせいで起きるずれなのか、
人なのか土地なのかっていうのは。
両方だと思います。
両方。
今、休憩時間というかその間に聞いた話で、
すごい地域の人がお祭りみたいなところで振る舞ったものがあって、
それが若い子たちにめちゃくちゃ受けて完売したと。
すごい。
その人たちも喜んでくれた。よかったよかったってなったけど、
実際振る舞った側の人たちはそんなに喜んでいないっていうことをさっきおっしゃられてたじゃないですか。
衝撃的だったんですけど。
もう今年は行きたくないって。
いや、それって普通だったら、なかなか教育的にも、
教育って言うとあれですけど、
言葉で伝えられないようなことが実際身をもって体験できた瞬間じゃないですか。
で、やったってなって。
私もやったって思います、その時は。
ですよね。
まさか、もう行きたくないって言うと思うよ。
どういう感覚なんですかね。
普通だったらですよ。
喜んで、自分たちが今までやってきたことが、
令和の時代でもこれだけ喜ばれることなんだ、
認められるというか、価値のあることなんだって思って、
自分の言ったら、
高齢になってからでも年齢に関係なく、
自分の価値みたいなのを感じられるっていう経験だと僕は聞いて思ったんですよね。
私の思う価値と違ったみたい。
ああ、価値。
皆さんのお作りになるものは、みんな大喜びだから。
特に若い子たちは手作りの石版なんて、
こんな値段で買って食べるなんてありえないし、
お姉さま方がカッポギ着て売ってるのも素敵だし、
大喜びだったと思うんですけど、
それを価値だとは多分思って。
それはあれですか、人に喜ばれたりするっていう、
感情面というか、実際に目に見えない、
豊かさみたいなところの価値っていうところじゃない、
なんだろうな、想像に難しいんですけど。
個人が認められるっていうより、
この場所に認められたいってことなんですかね。
土地から認められる方が嬉しいってことなんですか。
あとスローライフとか言って、
いかにもお姉さま方スローライフを送っているように、
外の人からは見えるんだと思うんですけれども、
全然スローじゃないですからね。
めっちゃ忙しいですからね。
全然スローではない。
田舎暮らしあるあるじゃないですか。
田舎に移住した人がスローライフできると思ったら、
全然そんなことないって話はちょいちょい聞きますよ。
こんな忙しいのかもっていうぐらい忙しい。
そうだと思いますよ。
だって自分のじいちゃんばあちゃんの世代だって、
本当に最後の方はあれですけど、
そんな暇してなかった意味ではない。
暇じゃない、全然スローじゃないの。
自分の父親、両親、母親も、
言ったら80近いんですよ、70後半ですけど、
まだ元気で働いているし、
全然暇じゃない。
毎日働いていますけど、
やや働いているじゃない、自営なんで、
そんな感じだし、元気だし、
そんな感じですよね。
地域活動も確かに忙しいし、
マジャーもしに来るし、
それぞれ習い事もやってらっしゃるし、
もちろんお家のこともまだまだ元気だし、
お父さんご飯作ってくれるわけじゃないので、
毎日の家事もやってるし、
掃除洗濯ももちろんやってるし、
全然スローじゃない。
ということはそれも外の人から見たギャップなんかも。
さっきの話に戻りますけど、
そういう方々というか、
この地域の人たちというのは、
例えばさっき石版売りました。
どうなったら嬉しかったんですかね。
同世代の人が来たら嬉しかったんだと思う。
同世代の人が来て、
同じ街に住む。
隣町なので、
隣町の同世代の方々とコミュニケーションを取りたかったのに、
若者向けのイベントやって聞かされてなかったから、
大学生ばっかりで楽しくなかった。
居心地が良くなった。
アウェーな感じがした。
それやっぱりさっきのコンフォートゾーンに繋がりますよね。
そうなんですよ。
コンフォートゾーンとしか言いようがないのが本当に申し訳ないんですけど。
なんなんですかね。
自分の普段と同じような感覚の、
同じような生活の人たちとだけで、
内輪で盛り上がりたいみたいな感じが。
そうなんです。
別に。
悪いことではないだろう。
そうなんですよ。悪いことじゃないんですよ。
内輪はいいんですけど。
この内極立地区っておよそ100世帯しかないんですね。
人口としては200人から300人の間かなと思っているんだけれども、
そんなことをずっと続けていったら、
誰も引っ越してこないし、
誰も新しい仲間にならないし、
1人いなくなり、2人いなくなり、
物理的に街はなくなる。
そして私今、社会教育とか言ってますけれども、
社会教育を基にした地域コミュニティなんて必要なくなり、
人がいなくなるから。
人がいなくなるから。
本当に過疎の街と化して寂しくなくなっていく。
住んでいる人も悲しいじゃないですか。
子供もいるんだよ。小中高生もいるのに、
このしがらみがなくならないから、
若い子らも私には諦めているように見える。
この地域で活躍する、何らかの形で地域活動に加わり、
自分も活躍するということを諦めているように私には見える。
もったいないな。
今、文科省なんかも子ども真ん中とか言ってますよね。
子ども真ん中について考えることもあるんですけど、
こういう感じの公民館、特に金沢市の公民館のこの感じだと、
子ども真ん中で行きましょうと言われると、
子ども優先とちょっと勘違いするんだろうなと思う。
子ども優先事業をすることが子ども真ん中だと
勘違いする公民館もあるんじゃないかなと思って。
でも、子ども優先事業を良かれと思ってやってると、
子どもって子どもじゃなくなった時に、地域活動から綺麗に卒業しちゃうんですよ。
要は文科省の言う子ども真ん中っていうのを極実的に解釈すると、
のどのお祭りなんかがお手本で、
お祭りっていう大きな他世代のほとんどの方が交流する、
大切なものの真ん中に子どもがいる感じ。
子どもは最初はおみこしの周りをうろうろ、
お母さんに手を引かれてうろうろしてるだけなのが、
はっぴを切れるようになり、笛を吹けるようになり、
太鼓を叩けるようになり、みこしを担ぐようになる。
決して成長したからって言って、そこから卒業したりしませんよね。
そうですね。
これが本当はお手本だと思ってる。
なるほど。それで大人になっても、地元への愛着みたいなのもあるし。
そう。と思うのだが、今のこの極実の子どもたち、若い人たちは、
なんだか諦めてるように思うの。
そもそもそんなことはありえないし、楽しくないやろうと。
楽しさみたいなのを地元でどうやって感じるかですよね。
それも社会教育事業として大切なこと。
できるのか私に。
絶対そうしたら、外からの刺激じゃないけど、
言い方はあれですけど、よそ者の感覚で入ってきてもらって、
何かやるっていう方が、いろいろ感覚が変わるきっかけにはなりますよね。
ただそれを良しとしないんでしょうけど、なかなか。
そこのズレみたいなものを、
ちょっと俺も調べてて思ったんですけど、
決して外から何か来てお手伝いしたいっていう人とか、
若い人とか、さっきのイベントの大学生とかも、
決して何かをドスメティックに変えようとかじゃなく。
むしろリスペクトしてる。
お姉さん方の作る美味しいご飯とか、
お姉さん方のキャラクターをリスペクトしてるんだけれども、
そもそも排除してるので、それを感じることができない。
全然何かを奪う気はゼロで。
皆さんゼロ。
混ざれるだけで。
だからこの地域とか、この風景とかに、
一緒に何か混ざって、何か楽しいこと、面白いことをして、
結果、この関わる人がみんな楽しくて、
地域が盛り上がればいいよねっていうぐらいで、
みんないると思うんですよ、関わる人って。
そうなんや、そういう風に思うんやとか、
いう風に考えられるようになった時、
コンフォートゾーンが急にストレッチになると思うんだよ。
で、やっぱり若さ、元気、人生100年時代に
つながりによって、若さや元気を手に入れることができるんじゃないかなと。
で、若い人は若い人で、見習う部分とか楽しめる部分ってあるから、
やっぱり他世代に緩く交流して、がっつりではなくね、
緩く交流して、お互いに伸ばすべきものを伸ばすっていうのが理想なのかなって。
今の言った、緩く交流するっていうのが地道に続けていけば、
ズレみたいのもちょっとずつ小さくなっていって、
そのうち合わさるかもしれない。
特に大学生とか20代の子とかって、
何々っていうのを立ち上げるから、役員になってとか言うと、
無理です、無理ですってなるんですよ。
でもね、役員とか構成員になることをあまり好まない子が多いんだけど、
こういう楽しいことをやりたいから、サポーター1号、2号、3号になってって言うと、
いいっすよってなるんですよ。
言い方の違いですよね。やること全く一緒なのに。
そうそうそうそう。
でも、公民間の序列とか建て社会とか組織にとらわれていると、
若い人にもそういう言い方しかできなくなっちゃうんだよね。
そうなんですか。
もっと緩く、もっと軽く、楽しい時だけくればいいんだよぐらい。
そうですね。それでいいですよね。
十分なんだけど、
要は青年部の部長になってとか副部長になってとか、
青年団の団長になってとか副団長になってとか、
何とか会員になってとかって言うから、
最初から泳ぎ腰で構えてほしくないんですよ。楽しいので。
何とか会とか部とか付けがちですよね。
公民間には付きものなんですよ。
この殻をまず取る。
他の表現方法がないんでしょうね。
ない。ないないない。
だから、やむを得ない部分はあるけど、それもわからないですよ。
もしかしたら今の20代30代の人たちに任せちゃったら、
違う呼び方を考え出すかもしれないじゃないですか。
でも地域活動ってやっぱり大切なんですよ。
全然世代も離れた人たちに、こういうことについて話し合ってもらいたいんだけどって言って、
話し合ってもらって出てきた答えを出し合って、
じゃあみんなで考えようぜってすればいいの?
しないから、たぶんね、あと5年経っても何も決まらないから。
そうなんですか。
そういうのをやるために、やるためにもやっぱり公民間同士で交流を気軽にできれば、
お宅の公民間はそんなことしてるの?とか、そんな感じなの?っていうので、
じゃあうちもそんなのちょっとやってみようかな、みたいなところは相互作用で洗えるところで。
主人たちはもう全員集まってお酒飲む機会あるんだよ。ホテルでね。
それいらなくないですか。
主人たちはそれでいいんだよ。情報交換してるよ、そういうところで。
そうなんだ。主事の方々同士は、そうですけど、主事の方々だけでは、
どうしようもないんだよ。
公民間は成り立たない。
主事はただの職員だからね。
難しいですね。難しいですねって落ち着いちゃダメなんだけど。
ダメなんです。私どう思いました?私ってすごく真面目じゃないですか。
いや、真面目だと思うし。
すごく真面目でしょ。
でも私多分ね、金沢市に61公民間あるんですけど、
よく言われるのが一番ぶっ飛んでるって言われるんです。
こんなに地域のことを寝ても起きても真面目に考えてるのに。
それはぶっ飛んでるっていうか、別に。
とんでもないって言われるんですよ。
とんでもない。
とんでもない?
とんでもないってよく言われるんですよ。
いや、至って今の感覚だと普通だと思うんですよ。
普通って言い方がいい意味ですよね。
そうだよねっていう感覚だと思う。
この価値観がぐっちゃぐちゃになってる今、
このくらい緩やかに社会に馴染もうとしなければ、
公民間は本当にこの先がちょっと心配。
心配ですね。
さっきちらっと出ましたけど、地域の居場所的になるっていう側面を
そもそももともと持ってるわけじゃないですか。
持ってる。
みんな知ってるし、公民間ってあそこにあるよねみたいな。
場所はわかるんですよね。
やってることもなんとなくイメージはできるじゃないですか。
じゃあ行くかって言ったらそれは話が違って。
そうなんですよ。
全然楽しくなさそうとか言われるんですよ。
たぶんその世代が固まっちゃってる。
世代間交流もないし、
けど子供とかって小学生くらいまではちょろちょろっと行ったりするんですよ。
なんで中学になったら卒業しちゃうのかですよね。
子供たち自身も忙しくなるっていうのもあるし、
なんだけどなんかちょっと暇なときに寄る場所じゃなくなっちゃうんですよね。
たぶん中学生くらいになると。
他に面白いとこがあって、
中学生高校生になれば自分で行けるから、
そっち行って遊ぶじゃないですか。
それはそれでいいんだけど、
でもなんか活用の方法はあるんじゃないかなと思いますよね。
まだここに学校があった頃、
うちの娘今年26歳で、
6年間通って卒業してるんですけど、
私の前の主事さんね、
私がもう9年目ですから、
その前に12年間主事をやっていたユミさんという女性の方がいらっしゃるんですよ。
未だにユミさんに褒めてもらうのが大好きなんです。
めっちゃいいですね。
それの感覚で褒められて嬉しいと思うってことでしょ。
そう。ユミさんを見かけるとパッと走って行って、
聞いてください、文化祭であそこを手伝っていますとか言うと、
えらいわねって言われると、えへんってなるんですよ。未だに。
戸田さんに褒められたいっていう気持ちは、
やっぱ公民館に対する昔からの愛着。
それってあれですよね。うまく多分説明できないだろうけど、
けど、多分子供の時の感覚が残ってるから。
子供の頃から、あ、いい。頑張ったわねとか、えらいわねとかって言われたことが