1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
  2. #22 決断するためにしたこと
2024-06-27 12:33

#22 決断するためにしたこと

📻 お坊さんへの道 - 人生の岐路で見つけた使命

🙏 こんにちは、蓮城院副住職のコウブンです。今回の放送では、私がお坊さんになることを決意した経緯について、心を込めてお話しします。

🌟 このエピソードでは:
・お寺で育った子供時代の複雑な思い
・サラリーマン生活から一転、お坊さんへの道を選んだ理由
・人生を変えた父の突然の病
・大本山永平寺での修行体験

💭 人生の岐路に立たされたとき、どう決断すべきか。自分の内なる声に耳を傾けることの大切さを、私の体験を通してお伝えします。

🎧 お坊さんの人間味溢れる話に、きっと皆さんも何かを感じていただけるはずです。人生に悩む全ての方に聴いていただきたい、心温まるお話です。

👂 ぜひ最後までお聞きいただき、皆さんの感想をコメント欄にお寄せください。この放送が、あなたの人生の道しるべとなりますように。合掌。

#お坊さんの日常 #人生の岐路 #自分探しの旅 #仏教の教え #永平寺 #修行体験 #諸行無常 #内なる声 #人生相談 #スピリチュアル #マインドフルネス #自己実現 #生き方 #人生哲学 #standfm
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
00:05
どうも、コウブンです。
たぜんをしたり、パスを育てたり、野菜を作ったり、最近では絵や漫画にチャレンジしたりしています。
さて、本日の放送はですね、少し個人的なお話をさせていただこうかなと思います。
というのはですね、私がお坊さんになる決意をした、そんなきっかけのお話をしたいなと、そんなふうに思っております。
私の生まれはですね、お寺なんですね。レンジョインという田舎の小さなお寺なんですけれども、そこに生まれたわけなんですが、
お坊さんあるあるなんですけれども、お寺の息子として生まれるとですね、仏教があんまり好きじゃなくなっちゃうんですよね。
いろんな、それぞれ理由は違うかもしれませんけれども、私の場合は、小学校、学校に行くとですね、やっぱりいじられるんですよね、家がお寺ということ。
それが嫌だったんですよね。
なぜか線香臭いとか言われたりしましたね。臭いわけないんですけどね、どう考えても。だって線香に触れてないんですから。
そんなふうにね、子供の頃というのはね、一種のきっかけに過ぎなかったのかもしれませんけど、その言ってきた人に対してからすればね。
けども、そういった環境のことをですね、功績の大量として使うことというのはよくあることです。
そのような形でお寺のことがあんまり好きではなかったんですけれども、それに高校生とか大きくなってからね、あんまりお寺というものは古臭く感じていましたし、魅力を感じなかったわけです。
そんな私がですね、お坊さんになるきっかけというものがあったんですが、その前に私はですね、お寺の修行というのを2回行ってるんです。
1回目というのが、20歳の時に東京の平治別院というところ。
その後、サラリーマンをやりまして、37歳の時に会社を辞めてですね、2回目の修行。
03:00
福井県にある大本堂、永平寺というところに行きました。
2回修行行ったわけですね。
そのきっかけというのが、2回目の修行の前の話です。
1回目の修行というのはですね、当時のお寺の環境でどうしても修行に行かなくてはならなかったという事情があったんですけれども、そのお話はまた後でするとしまして、今回は2回目の修行に決意をした時のお話です。
というようなですね、私の父、お父さんがですね、ある日突然ですね、心臓の急性疾患で倒れてしまったことがあったんですね。
原因というのはあまりよくわかってないんですけれども、幸いにも大したことはなかったんですね。
緊急の手術をしてしばらく入院したら帰ってくれる、その程度のレベルであったんで、大したレベルではなかったんですけれども、それまでですね、お寺のいろんなこと、一切をですね、ほとんど父に任せてましたから、
だからですね、その時に父がいなくなってしまうと、このお寺というのはどうなってしまうんだろうというのが一番最初に強く感じたところなんですよね。
父がいなくなることによって、仏教でいうところの諸行無常というものをですね、強く感じたんですね。
いつか人は命がなくなってしまうと、いつまでも同じということはないんだと。同時にですね、そのお寺というものをですね、誰かが守らなくちゃならない、伝統を引き継がなくちゃならない、教えを引き継いでいかなければならないんだというところに対してですね、強く思ったわけです。
というのはですね、やっぱり自分が生まれ育った場所、自分がたくさんの思い出が詰まった場所、それとたくさんの恩を受けた場所、そこがですね、父がいなくなって、その後誰も何もしなければ朽ちていく、どんどんとね、傷んでいく。
そういったのはやっぱり耐えがたいですよね。できれば私の命があるうちは守っていきたいなという、そういう感情になったわけですね。
06:01
そういったことがあって、お寺を守らなくてはならないというような気持ちになった。そのお寺を守らなくてはならないという気持ちになったときにですね、私は先ほども言いましたけれども、2回修行行っているんですよ。
1回目の修行をしてからサラリーマンをやって、十何年も経ってたんですね。十何年も経っているとですね、忘れちゃうんですよ、いろんなこと。東京だったりとか、お作法でやったりとかね。
あとは一番の問題は仏教の勉強を全然してなかったんです。だからですね、人前でお説法をするなんてことはね、とてもできないなって思ったんですよ。
だって自分が何もやってないんですから、偉そうに言えるわけないですよね。だからちゃんと学びたいと思ったんですね。ちゃんとしたいなと。
あとはですね、40歳手前ということもあって、人生を80年と捉えるのであれば、ちょうど折り返しだなという、それもきっかけです。
サラリーマンの、それまでやっていたサラリーマンの仕事、とても楽しくてですね、そのまま続けていても何も問題はなかったんですけども、自分の人生をどう生きたかということを考えてみたときに、どう生きるかということを考えてみたときに、これでいいのかなっていう思いはね、あったんです。
それでやっぱり、これでいいのかなの原因は何かなっていうところを探ってみたら、やっぱりお寺のことだったんですよね。やっぱりうすうす感じてたんですよ。
自分が父ばっかりに任せっきりで何もしていないという、不甲斐なさというか恩知らずというんでしょうか。とにかくですね、やるべきことをやっていないという自負と言いますか、そういった思いがですね、心の底にあって、それがやっぱり引っかかってたんですね、ずっと。
だから父が倒れたということで、その思いが一気に出てきてですね、これじゃいけないなと思ったわけです。それがきっかけで、お坊さんをやるにしてもですよ。
それまでずーっとサボってたわけですから、打電も一切してませんでしたから、その上で教本を見て、ぽくぽく木がついていれば、一見お坊さんのようなふりはできます。
09:03
だけど、ちゃんとやるんだって決めたのに、それでいいのかという思いはあったんですね。だからやっぱりですね、修行に行きたいと。もう一度修行に行って、もう一度ゼロからスタートしたいと、そんなふうに思ったわけです。
で、その時に、一回目の修行は東京の永平寺別院というところに行きます。東京の永平寺別院というところはですね、福井県にある大本山永平寺をギュッと小さくしたような、そんな場所なんですね。
やることは基本的には一緒なんですけども、人数も少ないですし、お寺のサイズも小さいですし、とにかく小さなスケールだったんですね、永平寺に比べると。普通の一般のお寺と比べたら相当大きいですけど。
それにしても、やっぱりそういう環境で修行してましたから、修行した経験がありましたから、やっぱり永平寺で行ってみたいという思いはあったんですよね。憧れみたいなのもあった。
それと、永平寺をお開きになったのは道元禅師という方なんですけども、その方が眠っている霊廟というのがあるんですね。やっぱりそこにね、神と手を合わせたいという気持ちがあったんですよね。
そういったいろんな思いが積み重なって修行にことになりまして、そして現在に至るという、そういうわけでございます。
はい、今日はですね、本当に私の個人的な思いをただただつらつらと語っただけではございますけども、もしかしたらですね、皆さんも同じような境遇、同じような帰路に立たされている人がいるかもしれません。
そんな時はですね、自分の内なる声、そういったものに耳を傾けていただいてですね、きっとあなたが進むべき道というのがね、見えてくるんじゃないでしょうか。
私の場合は対話にも見えてきました。そういう人がない人もたくさんいると思うんですけども、ともかくですね、何か迷っているときは自分の内なる声を聞いてみるというのもいいんじゃないでしょうか。
はい、本日はですね、お坊さんになる決意についてのお話でした。
12:10
今日の放送を聞いてご感想、ご意見等ございましたら、どうぞコメント欄の方までお願いいたします。
園長院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
12:33

コメント

スクロール