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どうも、コウブンです。
栃井県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
はい、えっとですね、私、この放送をいつもですね、文字起こしをしまして、AIを使って文字起こしをしまして、
そしてそれをノートというブログサービスに投稿しているんですが、
そのノートの方で、叶えたい夢というテーマでコンテストをやっているんですね。
なので今日は、私の叶えたい夢についてのお話をしていきたいなと思います。
で、夢っていうのは、目標とか夢とかっていう、自分を歩むべき道の指針としての言葉っていうのは色々ありますけども、
そもそも夢と目標ってなんだろうなっていうところをちょっと思ったんで、
まずその辺の言葉の解釈という部分っていうのをね、ちょっとお話をしていきたいなと思います。
色々調べたんですね。
そうしましたら夢と目標の違いっていうのは、夢っていうのはね、長期的ビジョンっていうところかな、
将来の理想的な状態とか、成し遂げたいこと、それが夢なんですよね。
なので漠然としている、具体性に欠けるっていうところが多いのが夢。
目標というのは、より具体的で測定可能というんでしょうかね、いつまでにという期間を決めるとか、
そういった形で表現されるものが目標ということなんですよね。
一方で、ここで言う夢っていうのは、大きな視点で、はっきりさせてなくても、いつまでって決めてなくても良いと。
そういった内容のことっていうことですよね。
一方で、よく仏教ではね、誓願という言葉を使うんですね。誓願。
誓願っていう言葉、あんまり一般的ではないかな。
どういう字を書くかというと、誓うに願うって書いて誓願ですね。
よくね、誓願って言うんですよ。
どういう時に言うかというと、例えばね、観音様。観音様っておりますよね。
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観音様は観世音菩薩というね、菩薩なんですけども、
その菩薩っていうのが、もう仏様になれるほど修行というのは完成されているのにもかかわらず、
まだ仏にならずにね、私たちの住む世界の一般の方、
主状というんですけども、主状を救うために、主状を救うという誓願を立てたので、
仏にならず菩薩のままなのだというふうにね、よく説明するんですよ、そういった。
そういう使い方をしますね。
つまり、どういうことかというと、誓願っていうのは、
願いを実現させようとする強い決意と覚悟があるところというのが誓願なんですよね。
具体的な目標とか、理想の実現に向けた強い祈りの性質も持っているというところで、
私の夢というよりかは、どちらかというと誓願に近い思いというのがあるんですよね。
なので、最初に叶えたい夢というところですけれども、私の場合は叶えたい誓願といったね、
無理やりちょっと話をすり替えてお話をしていきたいなと思います。
どういう誓願かというと、私はお坊さんですから、当然ながら仏教に関することになってくるんですけれども、
特に感じているのは、仏教というものがとても素晴らしい教えだし、
昨日の放送でも言いましたが、現代でもそういうのを求める人が多いというか、
現代の人にとっても十分通じる教えだなと私自身感じているんです。
なので、この社会の中で生きることに疲れたとか苦しいとか、
そういったいろんなネガティブなところを持っている方に対して、
ぜひとも仏教を届けていきたい。
どんな困難な内容であっても、私は私なりに応えていきたいという、そういう誓いというか願いはあります。
そして、どうしても現代だと、いろんな職業と言っていいのかな、
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カウンセラーとか、そういったお医者さんでも心理を扱うお医者さんとかいますよね。
なので、お坊さんの役割というのはおそらく昔よりかは少なくなっているんですけれども、
それでもそういう求めている人に対して応えていきたい。
と同時に、これを大切な教えというものを、2500年以上続く仏教というものを、
大切に応えて、守っていきたいという思いもありますね。
それはなぜかというと、今ね、総統宗の場合、大本山永平寺という総統宗の一番最初のお寺があるんですけれども、
そこには修行僧が数年前までは200人、300人いるのが当たり前だったんですけれども、
ここ数年、急激に減少しております。
それはね、一時期はいわゆるベビーブーム世代、ベビーブームの2時とか3時の世代で人数が多かったから、
正常に戻ったんだという考え方はあるんですけれども、
それ以上にね、子供が減っているという現状と、
それと同時に、お寺を継ぎたくないという人たちと、
そういったね、仏教に関心がなくなったとか、
あとはお寺を運営するのは大変だとか、
いろんな理由でね、大本山永平寺ですら修行僧が減っているという現状があるんですよね。
なので、私の夢としては、
夢じゃない、誓願ですね、誓願としては、
一般の苦しんでいる人を救うとともに、仏教というのを守っていきたいというね、
守っていきたいというのは具体的にどうするかということは、
僧侶をより多く育てたいということですね。
弟子をたくさんとって、私がたくさん弟子をとれば、
それだけ、そういった修行道場を助けるということにもなりますし、
お寺を守るという人を増やすということにもなります。
そして、たくさんの弟子がいれば、
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またね、そういった苦しんでいる人を救う人が増えるというわけですから、
そういった、結局一般の人にも還元をすることができる。
そういったことでね、
そういうね、仏教を、伝統を引き継ぐ人、
弟子ですね、弟子を育てていきたい、
そういう誓願をね、立てていきたいなというのがね、私の思いであります。
でね、そうは言ってもね、どうするんだという話だと思うんですよ、これは。
そう簡単には行きませんよね。
だって簡単だったら、今までの私の先輩方の和尚さんたちもみんなやってきたはずですし、
ところがですね、現実を見ると、なかなかそれができていない。
そういったところを考えると、
とてもね、難しいことなのかなというふうに感じております。
なので、私は私なりの弟子の育成の仕方、
そのヒントはね、昨日の放送でもお話ししたように、
大愚玄師夫さんの大愚道場のようなね、であったりとか、
あとは大愚玄師夫さんは弟子もたくさん育てております。
そういった形でね、どんどんね、インターネット、SNS、そういったものを活用して、
いろんな人に仏教を届けてね、
そして、後輩、これからの時代を担う仏教を担う人を、
お坊さんの、なんていうの、お寺に生まれのね、
お坊さんの子供がお坊さんになるというんじゃなくて、
一般の人でも自由にお坊さんになれる。
そういう門戸をね、もっと開いていきたいなと、そんなふうに思っております。
説明が、なんか周りくどいし、ちょっと今電車が通ったんで、うるさかったし、
すいません、お聞きに嬉しくて。
ともかく、私の誓願としては、
これからもっともっと、
こういう放送とか、あるいはそのノートであったりとか、
そういったところで地道に、まずは認知度を上げて、そして、
お寺の行っていることを多くの人に理解してもらい、
講演会とか、あるいは座禅会とか、聖人料理会とか、
そういったイベントを通じて、どんどん交流を活発にして、そして、
弟子を育てる、あるいは、
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仏教に救いを求める人をもっと救える、
システム、仕組みを作ったりとか、
そういったものをどんどん増やしていきたいと思います。
そうすることで、いずれたくさんの弟子をとって、
その弟子を育てて、その弟子がまたその弟子を育てて、という形で増えていけば、
きっと、より良い方向に向かっていくのかなと思います。
少なくても、私の周りでは。
この運動を持ち、私が少しでも成功する兆しがあるのであれば、
もっと私の所属する総統宗の内で広めて、
みんなが行ってみれば、
公文式メソッドではありませんが、
公文式弟子育成法等、そういったものを、
もうちょっと分かりやすい形で、
そういう型を作って、どんどん弟子を育成していく。
さらに、日本国内だけでなく、世界に向けて、
そういったこともやっていくという風にしていきたいというのが、
私の誓願であります。
自分で今喋っていて思ったんですけど、
果たして本当にできるのかな、というお辞儀についております。
言葉にしちゃったものの、かなり盛大な思い。
今まで、数多くのお坊さんはおりますけれども、
ほとんどその領域まで踏み込めるというのは、ほとんどいない。
たくさん弟子を育てたという人は、歴史上もちろんおりますけれども、
ほとんどのお坊さんが、もう99%のお坊さんが、
弟子は一人育てる精一杯というのが現状でありますから、
私の今語っていることは相当難しいことだと思っております。
だがしかし、この現代のテクノロジーをうまく駆使しながらやっていけたらな、という思いであります。
そんなお話でございます。
これからどうなるかというものを、この放送を通じてお伝えしていきますので、
どうぞ皆さん、応援のほどよろしくお願いいたします。
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私は励みとなります。よろしくお願いいたします。
では、今日のお話はここで終わりたいと思います。
連常院副住職の幸文でした。
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ではでは、またね。