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どうも、コウブンです。
家善をしたり、パスを育てたり、野菜を作ったり、最近ではAI漫画にチャレンジしたりしています。
さて、本日は、食べることについて考える、といったテーマでお話をしたいと思います。
はい、ではみなさん、食べることって好きですか?
おそらくですね、食べること嫌いな人っていうのは、あまりいないのかなというふうに思います。
食べること、これは私たち人間の生命を維持する上でとても大事な行為です。
食べなければね、死んでしまいますから。生命維持という点でものすごく大事な行為ですよね。
それと、コミュニケーションをとる上でもとても大事な行為とも言えますよね。
例えば、お誕生日であったりとか、結婚式であったりとか、お葬式の時なんかも最後にお食事したりしますよね。
そういう特別な日にはですね、共に食事をしてですね、親睦を深め合ったりとか、あるいはその悲しみを分かち合ったりとか。
そんなコミュニケーションのツールとしても使われること、これが食事、食べることですよね。
とにかくですね、私たちの人生において、私たち人間の生活において、食べることっていうのはとても重要、大切なことだというふうに言えるのかなと思います。
その食べることについてをですね、真剣に考えてみるっていうことってあまり少ないのかなと思いますね。
どちらかというと衝動的にお腹が空いたから食べたいとか、おいしいものがあるって聞いたから食べたいとか、
そういう衝動に駆られて、自分の感情に駆られて食べるという行為のほうが多くて、
食べることについて、食べるとはどういうことなんだみたいなことをあまり考えるっていうのは少ないのかなというふうに思います。
とはいえですね、食べ物に携わる仕事をしている方、調理師の方であったりとか栄養士の方であったりとか、
あるいは食べ物を研究している学者の方であったりとか、そういう人たちはよりおいしいものとか、より栄養のバランスの良いものとか、
あるいはどういう栄養を摂取すると体がどういう反応が現れるのかとか、そういったことを追求するという、
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人たちにとっては食べ物のことは確かに真剣には考えると言えるんですが、
そういった科学的な視点ではなくて、私が言いたいのは宗教的な視点、仏教的な視点での食べることについてを真剣に考えてみたということですね。
というのはですね、私どもの私の所属している宗派、曹洞宗という宗派ではですね、
修行のときに、修行じゃなくてもなんですけれども、食事の前にお唱えする言葉というのがあるんですよね。
それをまずご紹介したいなと思います。五感の下というような、呼ばれる短いお唱え事なんですけれども、
どういう字を書くかというと、五つの見るって書いて五感、下は下主、詩ですね。
短い詩のことを下主と言いますけれども、五つの見るための詩というような題名でお唱えがあります。
読み上げますね。
一つには、功の多勝を計り、可の雷勝を計る。
二つには、己が徳行の善欠と計って苦に追うず。
三つには、心を防ぎ、咎を離れることは、豚頭を臭とす。
四つには、まさに良薬を事とするは、良功良善がためなり。
五つには、浄土のためのゆえに、今この時期をうく。
このような文言、このようなお唱え事なんですよね。
このお唱え事の意味を今からご説明いたしますけれども、
これをぜひとも唱えてくださいと言っているわけではないんですね。
こういったものがあるんだということを知った上で、
それを自分の生活にどのように影響させていくかということを
考えていただきたいなというふうに思うわけです。
具体的な実践方法については、
今日のお話だとちょっと長くなりすぎちゃいますので、
明日お話しいたします。
本日はこの五感の芸の内容についての説明をしたいなと思います。
それでは五感の芸の内容を一つずつ見ていきましょう。
一番目ですね。
一つには、幸の多少をはかり、不可の雷少をはかる。
この意味合いは、私たちが口にする食べ物というものは、
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どこから来たのか、そしてそれを得るために、
どれだけの労力が費やされたのかを考えること。
そういった教えなんですよね。
例えばですね、農家の方々、あるいは流通に携わる人々の努力、
そして自然の恵み、そういったものに対する感謝の心というものを育むことが
大切なんだというような意味ですね。
二つ目。
二つには、己が得業の善欠とはかって苦に応ず。
ここでは、自分の得の不足を返り見ることを説いております。
私たちは常に完璧ではありません。
足りない部分があるということを認識して、
謙虚な心で食事をいただくことの大切さを教えているということなんですよね。
要するに、自分が今目の前にある食事をいただくだけの努力であったりとか、
そういった日常の生活をきちんと行ってきたのかということについて、
反省をしてみる、反省をする心、食事をとるにふさわしい行いをしてきたのかということを
きちんと振り返ってみるというのが、この二つ目の意味ですね。
三つ目。
三つには心を防ぎ、咎を離れることは豚頭をシュートす。
これはですね、心の過ちを防ぐことの重要性を説いております。
特にむさぼりの心を今、占めていますね。
むさぼりの心というのは、もっと欲しい、もっと欲しいという心ですね。
食べ物に関して言うと、もっと食べたい、もっと食べたい。
もっとおいしいものを食べたい。
より高級なものを食べたい。
そういったものをね、そういったところがむさぼりの心と言えると思います。
そういった欲望の心というのは、抑えるというかコントロールする。
こういう、もっと食べたいという心が出てるなというところをきちんと気がつくこと。
それを気がついた上で、必要以上にもうくしがらない。
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そういったことを心がけるというのが大事ですよということを言っているのが、この三つ目の言葉ですね。
四つ目の言葉。
四つにはまさに良薬を事とするは、良好良善がためなり。
ここでは食事というものはですね、体を養う、体を作っていくための上では良薬、つまりお薬であると捉えることを説いております。
私たちの体というのはですね、食べないと死んじゃうんですよね。
いつか命は尽きてしまう。
食べることで命をつないでいるという。
極端な言い方をすると、食べないと死んでしまう病とイコールなんですよね。
その死んでしまう病に対して、それを治すための薬であるというような考え方をすると、食べるというのが良い薬なんだというふうに捉えることができますよね。
だから食事というのは基本的に欲望を乱すものではなく、健康を維持するためにいただくんだという、そういった考え方の教えがこの四つ目でございます。
では五つ目。
五つには浄土のためのゆえに、今この時期をうく。
最後のこの五つ目のお唱えはですね、修行を成就するために、つまり悟りを開くために食事をいただくという考え方なんですよね。
これは一般の人で言うのであれば、食事は単なる生命維持の手段だけではなくて、より高い目的を得るための糧である。
より高い目的、自分が何かを成し遂げたいこと、やりたいことというために必要なことなんだと、そのための食事であるというふうに捉えるということなんですよね。
これらの五つの教えというのは、日々の食事を通じて私たちの心を磨く、そして感謝の心を育む大切な機会というものを提供してくれるんですよね。
現代の社会だと、食事を急いで済ませてしまう。ファーストフードなんていうのが代表例ですね。食事を急いで済ませたりっていうのが多い。また、考えずに食べたりするっていうことが多い。
とにかくお腹を満たしたいだけ。スナック菓子なんか、そういったお菓子類なんかはもしかしたらそこに入るかもしれないですね。ただただ欲望を満たしたいだけっていうのが多かったりはしますよね。
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そういった行為を、この五感の芸を思い出すことで、食事の時間というのをより意味のあるものというふうにすることができるんじゃないでしょうかね。
今日のまとめとしましては、五感の芸というのは、食事を通じて自分というものを変えりみて、感謝の心というのを育んで、そして食べることというのは修行の一環だというふうに捉えて、捉えることの重要性というのを教えてくれているということです。
日々の生活の中でこの教えを実践することというのが、より豊かな心と精神性を育むことができるんじゃないのかなというふうに思います。
その具体的な実践方法については明日お伝えいたします。
本日は食べることについて考えてみるというテーマでお話をさせていただきました。
今日のお話を聞いてご感想、ご意見等ございましたら、どうぞコメントの方によろしくお願いいたします。
蓮城院副住職の幸文でした。ではでは、またね。