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おはようございます。コウブンです。 栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
本日はですね、少し雑談をしてから本題の方に入っていきたいとおもいます。
栃木県は雷が結構多い地域なんですよ。
なのでね、ここ最近も毎日毎日どこかで、栃木県のどこかでね、雷が鳴っている、そんな状況なんですけれども
私の住んでいる地域、栃木県の茂加市というところなんですが、この茂加市というのは栃木県の南の端っこにあたるところで
どちらかというと東の方ですね、栃木県の南東のところですね。 すぐ隣が茨城県の桜川市ですね。
というところは隣なんですけれども、そういうエリアなんです。 栃木県はさっきも言ったように雷が多いんですが
なんでかわかりませんが、私の住んでいるエリアというのは、雷がですね、勢いが弱まって
あまりね、雷がそんな激しくならないところなんですよね。
隣の茨城県が隣って言いましたけど、その反対側の隣は宇都宮市になるんですが、宇都宮市の方はしょっちゅうなるんですよ。
その宇都宮市まで雷が来てて、もうちょっとで茂加市というところでシューンと勢いが弱まって
雨も降るっちゃ降るんですけど、ほんの少しパラパラって降っておしまいっていうようなことがね、よく続くんですよね。
なんでかわからないんですが、おそらくね地形的なものっていうの関係するんでしょうけど、ともかく
気候が非常に安定しているエリアなんですよね。
すごく良いことじゃないかって思うかもしれませんけども、実はですね、ちょっと困ることがあるんですよ、私にとって。
というのは、私のお寺で毎年ですね、大根をつけてたくあんにしてるんですけども、その大根を
今ちょうど、大根の種を畑に植えている時期なんですよ。
なのでこの時期に雨が降ってもらわないと、畑の水まきっていうのはともかく大変ですから、自然の雨が降ってくれるのが一番いいんですよね。
ところが、
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さっきも言ったように、肝心のその恵みの雨というのが、猛火周辺になっちゃうと勢いが弱まってあまり降らないという事象があって、
なんだかなという、もやもやっとする気持ち、そういうのを抱いている近頃ですという、そういう雑談でした。
どうでもいい話で3分ぐらい使ったんですけども、では今日のね、本題に行きたいと思います。
今日のテーマは、仏の顔も3度までということわざについてのお話をしたいと思います。
皆さんもこのことわざ、どこかで使ったことある、あるいは聞いたことがある言葉だとは思うんですが、
このことわざの意味というと、穏やかな人でもいつかは起こるっていうね、そういう意味で捉えているというのがほとんどだと思います。
でもですね、これは仏教的に解釈すると全く違った意味になってくるんですよね。
そもそも仏、仏の顔も3度までの仏ですね。仏というのは何かご存知ですか?
仏というのはですね、苦しみを乗り越えた人のことなんですよ。
だから苦しみの元になる怒り、それに染まってしまったらもうそれはね、仏とは言えないですよね。
このことわざ、元となったお話というのがあるんですよ。
それはね、仏教に伝えられている逸話なんですけども、どういうお話かと言いますと、お釈迦様の故郷、
カピラバスツーという国があるんですが、ある日、隣の国の王子様がですね、
軍隊を率いて攻めてきたということがあったんです。お釈迦様は、故郷の人々を守るために一人で、
なんと一人でですよ、王子様の前に立ちはだかって、そして戦いの無意味さというのを解いて、
平和の大切さというのをね、悟したというふうに言われているんです。
王子様はそのお釈迦様の言葉に心を動かされて軍隊を引き上げたというのがあったんですね。
でもそれで終わったわけじゃなくて、王子様はね、2回目、3回目と攻めてきたんですね。
その度にお釈迦様が同じように説得して戦いを止めたということですね。
お釈迦様はすごいですよね。普通はもう軍隊を率いてきたら、説得して止めるというのは無理だと思うんですけど、
そこはさすがお釈迦様ということで、見事に3回目、3回まで軍隊を止めたということなんですけど、
ところが4回目、また隣の国の王子様を攻めてきたんですよ。
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でもお釈迦様は攻めてくる王子様を止めようとしなかったんです。
なんでかなって言いますと、それはもはや説得が通じないと悟ったからなんですよね。
それで因果応報の法則に従って結果を受け入れる、そういう時が来たんだというふうに判断したということなんですね。
つまりどういうことかと言いますと、3回も説得してもダメなくらい恨まれているんだったら、もう諦めた方がいいよということなんです。
全然怒ってないですよね。むしろ逆で、因果応報という考え方を受け入れて執着を手放しなさいということなんですよね。
この考え方、私たちの日常生活にも当てはまる大事な教えというふうに言えると思います。
例えば、友達の関係がうまくいかなくて何度も話し合ったけどダメだったとしましょう。
そんな時、もしかしたらもうこの関係は手放すときなのかもって考えてみるのも一つの手かもしれませんね。
あるいは、仕事で同じミスを何度も指摘されているのになかなか改善ができない。
そんな時は、その仕事のやり方を根本から見直す、その別の方法を探してみるというのがいいのかもしれません。
大切なのは執着しすぎないこと、そして変えられないものは受け入れる勇気を持つこと。
これがですね、この教えが私たちに伝えようとしていることなんですよね。
でもね、誤解をしないでくださいね。すぐに諦めろということじゃないんです。
大事なのは、自分の努力と相手の反応をよく見極めること。
そして、もし本当に変えられないとわかったのであれば、その時は潔く手放す。
そうすることで、新しい可能性が開けてくるかもしれません。
皆さんにおいてはですね、今日の学びを日常の生活に生かしていただきたいと思います。
何度も同じことで悩んでいることはあるかもしれません。
そうしたら、その状況を違う角度から見る良いきっかけになるかもしれないのが、
この仏の顔も三度までということわざかもしれませんね。
本日の話はここで終わりたいと思います。
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今日の話を聞いてご意見ご感想等ありましたら、どうぞコメント欄の方へよろしくお願い致します。
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この放送を通じてお答えすることもできますので、どうぞご検討ください。
はい、では蓮城院副住職の郷文でした。ではまたね!