家族葬の定義と種類
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日はお悩み相談会をお送りしたいと思います。
このお悩み相談会というのは、
ハスノハというお坊さんが答えるお悩み相談のウェブサイトがありまして、
そちらに寄せられたお悩み相談を私、コウブンが答えるというものでございます。
はい、というわけで早速いきたいと思います。
30代の女性の方より、タイトル、理解できない。
はい、では本文をお読みいたします。
家族葬だと言っても芸能人が亡くなって、
家族葬だと言っても親戚でも何でもない生前信仰のあったタレントさんや俳優さんが来る。
一般の人でも関係性の薄い親族が来るのは理解できない。
なぜあなたには関係ないから来るなとは言わないのか。
という本文でございました。
お悩み相談でございました。
家族葬についてのお悩み相談ですね。
家族葬というものを聞いている方は知っていますかね。
あんまり自分で葬儀というものを考えたことがない人は、もしかしたらちょっとわからないということがあるかもしれないですね。
なのでちょっと簡単に説明しますと、
家族葬というのは葬儀の規模みたいなものって考えていただくとわかりやすいかなと思います。
葬儀というのは葬式ですね。
ちょっと最近はいろんなプランがあるんですよね。
葬儀屋さんの方で作っているプランですね。
その中の一形態というふうに思っていただくといいかもしれません。
具体的に言うと、名前が示している通り、
謹慎者のみのコンパクトな葬儀、お葬式のことを家族葬と呼んでいますね。
それに対して家族に限らずというような家族限定謹慎者のみという括りがないものを一般葬と言ったりしますよね。
その一般葬の中にも一日葬と言われる、一日で全部まとめてしまうもの。
あとは二日葬、あるいはツヤと葬儀というのは別々に二日間にわたってやるというものもありますし、
あとは最近では仮葬式といって仮葬場のところで簡単に葬儀を簡略化したものを行うと、
もう今日だけ読むみたいな形のものもあります。
あるいは時期葬といってお坊さんも呼ばないというのもあったりもしますよね。
その他にも特殊な形態としてすれば社葬、会社の社と書いて社葬ですね。
あるいは本葬、本番の本に書いて葬儀の葬と書くものとか、
そういった代々的にやるものもありますよね。
いろんな形態があるんですけど、その中で比較的コンパクトにやりたいんだという人のための向けのプランですよね。
葬儀屋さんが提供するプランの中の一つ。
これが家族葬というものですよね。
最近は家族葬専用の葬儀場、式場なんかもあったりして、
だんだんコンパクトにするというのが今の現代の流れかなというところでございます。
家族葬における参加者の関係性
ちょっとなかなか説明してしまいましたけれども、お話を戻したいと思います。
このお悩み相談、相談者さんの悩みというか疑問ですよね。
関係性が薄い親族、あるいは友人とか関係者が来るのが理解ができない。
理解ができないから、なぜ家族はあなたは関係ないから来るなと言わないのかというところですよね。
これ難しい。難しい。
なんて答えていいのかわからないというのが正直なところなんですけれども、
逆の立場で考えてみるとどうでしょうか。
例えば、この相談者さんにとって大事な人、大切な人、お友達でもいいと思いますし、
恩師、学校の先生でもいいと思いますし、部活動の時の何か先輩でもいいと思います。
ともかく身近で大切な人がいなくなった時に、家族そうですから来ないでって言われたらどう思いますかね。
ちょっと悲しくないですか。
関係ないから来るなと言われたら嫌な気持ちしますよね。
家族そうだといえども、亡くなった方と本人の三列車の関係性というのは、家族にとってはわからない部分ってあるんですよね。
だから、もしかしたら知らないだけで、家族は知らないだけですごく深いつながりがあるかもしれないですよね。
関係性の薄い親戚が来ると言っても、親戚としても小さい頃、例えばですよ。
小さい頃からお付き合いがあると、めったに何年かに一遍しか会わないような関係性ではあったとしても、
そんな小さい頃から知っている人に対して、最後お別れを言えないというのは悲しいなというふうに思ったりするんじゃないでしょうか。
それが普通の感覚なんじゃないかなと私は思うんですよね。
普通というふうに言っちゃうのはあまりよろしくないとは思うんですけども。
だから、家族そうとはいえど、三列したいという気持ちはあるんですよね。
ましてや逆に言うと、家族だからと言って三列したくないということだってありますよね。
近しい関係だからと言って三列したくないということだってありますよね。
いろいろ分からないんですよ。周りから見ると。
だから、家族層というものは確かにある一定の括りを設定はしていますけれども、そんなに厳密に考える必要はないんじゃないでしょうかね。
というふうに私は思っています。
むしろ、コンパクトにやりたいなと思ったとしても、
それだけ整然、個人がいろんな活動をしていて、いろんな人とつながっていたということを再発見するいい場面になるんじゃないかなと、
そういうふうに捉えるのもいいと思うんですよね。
この人はこんだけ、私の大切なお父さんはこんなにいろんな人と関係性を結んでいたんだ。
私のお母さんはこんなにたくさん友人がいたんだと知ることができる。
いいじゃないですか。
確かに顔も知らない人がいっぱい来るのはちょっと大変かもしれませんけれども、
でもそれよりも、個人と来てくれた方のつながりという部分、そこに対して目を向けた方がいいんじゃないかなというふうに思います。
あんまりいい答えにはなっていませんけれども。
拒否をする必要はないですよね。
少なくとも悪意を持ってくるわけではないんですから、
そういった人たちも受け入れる、そういった大きな心で行うことの方が個人にとっても、
送る側の人にとってもいいことなんじゃないかなというふうに私は思います。
少しでも参考になればいいかなと思います。
ということで、今日はこの辺で終わりたいと思います。
このようなお話を聞きたいという方、あるいは人生相談、お悩み相談、いろんなお悩みを打ち明けたいという方、
コメント欄または概要欄の方に貼ってあるフォームの方からお知らせくだされば必ずお答えいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
では、蓮城院副住職の幸文でした。ではでは、またね。